散歩主義

2006年07月31日(月) 燃える花

▲メルマガの記事を書き始める。ずいぶん個人的な記憶の絡んだ記事になる。「極私的京都ノート」ではあるけれど…。

■夏の花を咲かせている薔薇を見ながら複雑な気持ちになる。薔薇が生きていくにはあまりに高温多湿ではあるまいかと思うのだ。
虫が頻繁に現れ、食い荒らす。病気の発生も止められない。いきおい薬剤の使用が増えていく。人体にいいはずがない。

薔薇の中でも日本原産のモッコウバラは虫にも病気にも強い。びくともしない。その傍らでハイブリッドティーやツル薔薇がむしばまれている。
あまりに好対照なので、やはり日本の気候風土にあったものを(うちの場合、京都の気候風土にあったものを)育てるべきなのだろうと思う。

だからといってすでに育っている他の薔薇を見殺しにできるはずもなく、ぼくに限らず薔薇を育てている人たちには悪戦苦闘の季節である。

●すべての原稿をパソコンで書き、フロッピーに保存するようにしようと思う。発作的に自分の原稿用紙の原稿を全部燃やしたくなったからだ。
結局、止めた。
いつか燃やしそうだ。



2006年07月30日(日) 読みながら聴けない

ここ二、三日、昼のあいだに音楽を聴いていない。
それともこう書くべきか。
ここ二、三日、夜、寝る前にしか音楽を聴いていない。

「読みながら聴く」とか「書きながら聴く」ということができなくなった。
何が一番できないかというと「読みながら聴く」ことだ。

本を読んでいるとき、音楽が邪魔になりだした。
音楽を聴いているとき、本を読まないのは昔からだったけれど。
ん??わかりますか?

無印良品の「CDブック」にジャズのCDを整理。
プラスティックのケースをどんどん捨てていく。
本に入れた方が片隅に忘れるということがなくなる。

クラシックブック、お気に入りブック、ディーヴァブック、ジャズブックなどがある。
ブルースブック、ソウルブックを作らないといけない。

長嶋有さんの本を読み続ける。今日から「サイドカーに犬」「猛スピードで母は」。
文庫本の解説は井坂洋子さんだ。

主人公が女の子であることにちょっと驚くものの、どんどん読んでいく。
長嶋さんが終わったら吉田修一さんを読んでいく予定。



2006年07月29日(土) 読めば読むほど

昨日に引き続き、「タンノイのエジンバラ」「中国行きのスローボート」を読む。
村上春樹氏の作品は鮮やかだ。「わからなさ」が美しい。

おびただしい直喩を思った。
ここのところ副詞、形容詞をできる限り削ぎ落とした文章ばかり読んできたから、直喩の多さは三島作品に匹敵するのではないかとさえ感じた。
ただその「喩え」の傾向が違うぐらいで。

平易な文章でシュールリアリスティックなことを書く。
村上春樹の「癖」のような言い回しが懐かしかった。
つまりそれだけ読むことを禁じていたからだ。

溢れるほどの修辞に惹かれて、つい「春樹ふう」に書こうとすると大失敗する。
これはこの人にしか書けない。
こういうふうに説明しなければわからない世界を抱えているからだ。

村上春樹作品を読むのを止めて、エズラ・パウンドが指導したヘミングウェイの文章に注目していた。
そして吉行淳之介、車谷長吉、藤枝静男、遠藤周作、森鷗外、谷崎潤一郎と読み続けてきた。平野啓一郎、川上弘美、多和田葉子も。
読めば読むほど、もっと読まなくてはと思う。

ひさしぶりに読んだ村上春樹氏の短編の世界には、やはりぐぐいと惹かれていく。
だけど以前と風景が違う。
それはやはりいろいろなものを読んだからだろうと思う。

多くの人が嫌いだという理由も聞いた。
「それはないだろうという設定」というのと、「大人が出てこない」というのがぼくが聞いている大きな理由。
だけどこの人はこの人なりのやり方で「抒情詩人を扼殺」しているとぼくは思う。

「平易な文章で日常を描くシュールリアリスティックな作品」だと。
これはそのままレイモンド・カーヴァーにもいわれる言葉だ。
ぼくが好きな理由でもある。

まだまだ勉強は続く。
実作も次のものに取りかかろうと思う。
そうそう一緒に読んでいる長嶋有さんの作品。ぼくは好きです。



2006年07月28日(金) 二つの短編小説

本の話題が何かシンクロしながら近づいてくるときがある。
あの人もこの人もその本や小説家のことを語り、他人のブログでその名を見たと思ったら
知り合いから実は読んでいるんだ、とおしゃべりでふっと告げられたり、という具合。

今回は村上春樹氏と長島有氏の二人だった。
ぼくはこの手のシンクロにはすぐに反応する方なので二人の本を読みはじめた。(「なにか」がありはしないかと考えるタチなので)
村上春樹氏は「中国行きのスロウボート」を。長島有氏は「タンノイのエジンバラ」。
ともに短編集である。

二人とも手持ちの本は他にもあるんだけれど、再読には短編を選んだ。
それにしても相変わらず春樹氏の話題は「悪口」として近づいてくるな。
しかたない。

この日記を書く前に、それぞれ一編ずつ読んだ。
「タンノイのエジンバラ」
「午後の最後の芝生」
ふたつとも大好きな小説だ。
掌の中に渇いた寂しさが残る。

これからこの二冊とレイモンド・カーヴァー傑作選を併せて読もうと思う。



2006年07月27日(木) 葉の裏に潜んでいた

メルマガの配信予約をすます。
今回は画像の方が多いかも。

梅雨明けは日本海側待ちらしいけれど、明日からまた梅雨前線が南下してくるという。
だけど今年は天気予報の、長期的、もしくは大局的なものは半分以上信用していない。

いきなり暑くなったので植物の世話が忙しくなった。
今日はレモンの葉の裏に隠れていた毛虫に刺された。しばらく手の甲の刺されたところがぴりぴりした。

詩のイメージ、小説のイメージの一かけが見つかった。
ノートに一行。
ここからどれだけ膨らんでいくだろう。




2006年07月26日(水) 一人の時間に

ふとネットで日記を公開している人はいつ書いているのだろうと思った。

というのも、いつも読ませてもらっている学者Mさんのブログに、毎朝これを書いて一日が動き始める、という文句があったからである。

たぶん夜は執筆や面談や会合が立て込んでおられるのだろう。
多岐にわたって活躍している方だから、自らを統合しようとする試みをぽろっとブログにこぼされることがある。

たぶんその時は一人で「立ち止まって」おられる時なのだろうと思う。自らを客観視する時間というべきか。
そこで、半端じゃない忙しさのなかで覚醒を新たにされているように感じたのだった。

Mさんに限らずブログや日記を書く人は一人でパソコンの前に座っているわけだ。
それぞれの姿勢で、それぞれの想いで書き込むのだろうけれど、その時はみんな一人なんだなと思う。自らと対話しながら画面に向き合っているんだな、と。

ぼくは夜に一日の出来事を総括して終わるタイプだ。
ぼくは夜にしか時間がない。朝は犬や猫や植物が相手だからパソコンの前にはなかなか座れない。
一人になれる時間、つまり対人関係をはずして自分と対話する時間は夜しかない。
だからたぶん寝る前の日記が続く。

昼間、モバイルを持ち歩くということはしないけれど、ノートと万年筆を持って歩いてはいる。
そういえば何かを書く瞬間はどんなに騒然としたところでも、やはり「一人」である。

ただ昼間はテーマと他者が存在し
ネットの向こうの「あなた」がいないのだ。



2006年07月25日(火) 前に進もう

昨日の晩に仕上げた詩を投稿。
金曜日発行のメルマガの記事を書き始める。

ぐずついていた天気が急変した。梅雨明けが一気に近づいた気がする。

小説と詩とを書いているけれど、テーマが絞られてきた気がする。
それはやはり年齢とも関係のあることで、たとえどのような「ふり」をしていても、老いと死からは逃れられないということ。
そこを見据えた、今ということ。

明日から取材ができればいいのだけれど…。
候補地が三カ所ほどある。もう明日は水曜日だ。
書いていかねば。





2006年07月24日(月) ブランデンブルグ協奏曲

今日は基本に戻って朝と夜にバッハを聴いていた。
「ブランデンブルグ協奏曲」。指揮はアーノンクール。
やっぱりよい。特に三番。
ヴァイオリン協奏曲、ゴルドベルグ、ブランデンブルグ、定番だけどこのあたりが好きです。

岩波新書「小説の読み書き」佐藤正午・著が届く。
一言「楽しい!」。
ここのところ森鷗外や車谷さんなど「北方系」の文体を読んでいたから、とても明るく感じる。
たぶん漱石系だからだと思う。(「北方系」という言葉は三島由紀夫が使っていたもの。プロイセンからきていると理解しています。)

どれもこれもおもしろい。
谷崎、吉行、漱石、鷗外、荷風など好きな作家も取り上げられている。
吉行さんの「技巧的生活」をとりあげるあたりもおもしろい。
(小説を読んでいない人でも読めます。楽しめます。)

この明るさの真逆。極北と思われる「悲しいだけ」藤枝静男・著を読み進めている。
簡単な感想文を書きつつあるので書けたらアップします。
徹底的「私小説」です。



2006年07月23日(日) TRIO

寝苦しい夜だった。午前一時に目が覚め、サイドスタンドを点けてぼんやりしていた。
今夜、この家で寝ているのはぼくと犬のハナと猫四匹である。

ベッドの横で寝ている犬の様子を伺うと、薄目をあけてこちらを見る。
慌てて小さなランプに変えた。
猫はたぶん家のあちこちに寝ているだろう。

サイドボードに置いた文庫本の続きは読む気にならない。
ヘッドフォンを耳に当てた。中学生頃からの、眠れない時の半ば習慣である。
昨夜まで寝る間際に聞いていたCDが積んである。
ネヴィル・ブラザース「ヴァレンス・ストリート」「ブラザース・キーパー」、ニーナ・シモン「ヒア・カムズ・ザ・サン」、ビートルズ「アビイ・ロード」、スージー&バンシーズ「ティンダーボックス」、ウエス・モンゴメリー「アウト・オブ・マイ・ヘッド」、ラヴサイケデリコ「アーリー・タイムス」、バンブー茂「マタタビ」、トム・ウエイツ「ナイト・オン・アース」ライトニン・ホプキンス、JJケール、ケニー・ドーハム…。

そのなかからジェシ・ヴァン・ルーラーの「トリオ」を抜き出した。
ジヤズ・ギター・トリオというのはあるようであまりない。
あるギタリストに教えてもらった作品である。

三人だから、音と音が「聴きあっている」感じが伝わってくる。
インタープレイ。ピアノトリオではおなじみだけど、ギターだとまた違って新鮮だ。
静かなイマージュがアタマの中を水のように流れていく。

スタンドを消して、眼をきっちりと開けた。



2006年07月22日(土) 発言する人

自分がどういう時代に生きているのか
ネットで鋭い発言をしている人の記事を読んでいて
はっとすることがある。

そういう人たちの発言をほぼオンタイムで「自宅」で読むなんて
20年前なら絶対あり得ないことだ。
ネットとケータイが世界を変えた。
昭和から生きてきている人間だから、
痛切にわかる。
小さい頃からパソコンとケータイがあった者には
当たり前のことでも、そういう人たちに
君たちは歴史的な大転換時に生まれてきたんだよと
言いたい。そのうち歴史を俯瞰したら必ずわかるから。

ただ「鋭い発言をしている人」=「見えている人」を探すのは
大変だ。新聞や書籍でも発言しているからマメにチェック
するしかない。

ただ有り難いことに、そういう人はたいていブログを持っている。
発言がオープンなのだ。さらにそこで紹介される文献や人がある。
だから一人見つかると、それこそネットの強みで
みるみる広がりを持つことができる。

それをどうとるか。
無視するか注目するか。それだけのことなのだけれど、
ゆくゆく大きな違いが現れてくると思う。

ぼくが注目しているのは「はてな」の近藤さんだ。
また梅田望男さん、茂木健一郎さんはその以前から注目している。


同時代の作家で大学時代から注目し続けているのが矢作俊彦さんなのだけれど
最近、「暫定」オフィシャル・サイトが立ち上げられたという。
すでにリニューアルした「気分はもう戦争」がアップされだしている。
本人の写真やプロフィルもあるけれど、ほんとに唐突に始まったからその真偽も含めて大注目。
ほんとにほんとかな?といいながら第一章を読んでしまった。
あ、これ無料だ……。

ご覧なになってみますか?
【暫定】矢作俊彦オフィシャルサイト



2006年07月21日(金) 菫

婦人公論8/7号読者フォーラム「詩」の欄で「菫」という詩が佳作になった。明日、書店に並ぶ。名前とタイトルが小さい字で載っていた。
今年二つめの佳作である。
このところ小説ばかりに関わってきたから、詩を書く励みになる。
今月も投稿する。作品はこちら。

文体の勉強はつづく。
誰がどう、ではなくて私自身が一番好きな「文章家」は誰かというと内田百�里任△襦�
外国だと結局、ヘミングウェイになる。

村上春樹、小川高義共訳の「SUDDEN FICTION」にはアメリカの超短編小説が70作収められているのだけれど、やっぱりヘミングウェイの削ぎ落とされた文体が一番好きだということを再確認した。

例えば何かを書く前に、何でもいいから内田百�里虜酩覆鯑匹鵑任�らにすると、ものの見事に「はまる」。文体が感染する。
ちょっと怖い。読んだだけでそうなる。

今日、藤枝静男さんの「悲しいだけ」が届いた。硬質な文章の姿に驚く。
「透きとおるような悲しみ」という言葉そのままの作品である。
じっくりと読みたい。

本日午前五時、メルマガ配信しました。






2006年07月20日(木) 復旧

終日、雨降り。
昨日の晴れ間は一瞬の出来事だった。

ハードディスクが壊れたパソコンが修理から戻ってきた。
早速、ネットやメールの設定、各ソフトの再インストール、そして作品や画像を再びファイルに戻す作業に追われた。

金曜日の午前5時にメルマガを配信する、と決めている。
何とか記事と画像をまとめて配信予約までこぎつけた。
メルマガ読者の皆様、明朝をお楽しみに。

もう一つの旧いパソコンも動作が不安定だったので、メール等これからもう一度チェックします。
返事が少し遅れますがご容赦ください。

ところで今年は谷崎潤一郎生誕120周年だとか。
講演や関連した新刊が目白押しのようである。
そのなかに「松子伝説」を粉砕するような新たな谷崎論がでたらしく、読んでみたいと思う。

もちろん谷崎は大好きな作家だけれど、最近、美食家の谷崎より粗食家の永井荷風をよく読みたいと思うようになった。
全集を横目で見つつ短編から読んでいきたい。

森鷗外の短編で、庄野潤三さんが「自分の羽根」が紹介していたもの。
荷風の短編で、車谷長吉さんが紹介していたもの。
どちらも全集でなければ読めない。
古本屋で買うか図書館に行くか、である。

長いこと図書館に行っていない。
久しぶりに行く時期が来たのかな、と思っている。



2006年07月18日(火) 方法論と実作

朝、五時前に起床。
バッハのバイオリン協奏曲を聴く。千住さんのバイオリンがとてもいい。

文体についてさらに勉強しつつ、実作に励む。
三島由紀夫は戦略的に創作の前提として文体をつくった。まず文体ありき、のひとだった。ラディケが基本であると指摘され、自らもそのように書いている。
「自己改造の試み」というエッセイでは細かく自らの作品をあげながら文体の変遷を解説までしている。

平野啓一郎さんが三島に似ている、といわれることがある。
確かにフレーズのいくつかに相似する部分があるかもしれない。
(例えば三島「春の雪」のなかの『一滴、一滴「時」のしたたり落ちる音』のような)
しかし、似ているとしたら文体においてではないだろうか。

三島はある時期からはっきりと鴎外の文体を使っていると述べている。鴎外+○○、というぐあいに。平野さんもよく知られていることだけれど鴎外を自らの文体の基礎としている。だから二人は文体という括りのなかで、鴎外をはさんで似ているといえるのかもしれない。

三島由紀夫は自らの文体について明晰に書き残している。それは彼が文体に対して特に意識的であったからに他ならない。

注意すべきは文体というものを個性としてよりも普遍として捉えているということである。作品はあるがままの自分を表現するためにあるのではなく、文体そのものが意志としてが自己改造のためにあるのだという認識である。だから彼の文体はまだまだ変遷を続けるはずであった。

最近では佐藤正午さんが岩波新書から小説家としての書き方、読み方の本を出している。読んでみようと思う。

実作は原稿用紙2枚ぐらいのペースで進んでいる。小品がひとつ、ほぼ最初の稿が書けた。これからくっつけたり削ったり書き足したりの作業である。

今まで以上に文体を意識するまでになっているかどうかわからない。
仮に文体を、書き写さずに模そうとするなら徹底的に読書することだろう。座右とし、自分の原稿を書く時も常に読めるようにしておくのだ。
それで不十分なら書き写すことだと思う。

あるいは平野さんのように耳から聴き続けるというのも一つの方法だと思う。

すくなくとも前進するということは、創作をつづけることだ。
そう信じている。



2006年07月17日(月) 豪雨の山鉾巡行




朝からずっと雨降りだった。
午前五時にはまだ降っていなくて、珈琲を飲みながらモーツァルトの交響曲40番、41番を聴く。今朝は40番のほうが耳に入ってきた。指揮はフランス・ブリュッヘン。

昨晩の宵山の人出は例年より7万人少なかったという。今日は大変だ。辻回しの時に車輪が滑りすぎたら、と思う。
屋根で壁や電線をさばいている屋根方の人は命綱があるとはいえ、転落事故が心配である。かつてあったことを覚えているから。
うちの斜め前のお宅のお父さんは引き方を手伝っていて、辻回しで亡くなったのだ。

朝、小説の原稿を打ち込む。

午後、雨の中をメルマガの取材にでる。朝の散歩でみつけたもの。まさかこんなところにという思いだった。

結局、豪雨の中の山鉾巡行は無事故であったようだ。ただし見物客は去年の半分だったという。



2006年07月16日(日) 夕立の三日目は豪雨

今日も夕立。これで三日目だからもう梅雨明けといきたいところだけれど、天気予報では明日も雨である。

祇園祭は雨で大変だ。昨晩の宵宵山は平年に比べて数万人、人出が減ったという。今夜は宵山だけれど、どうだろう。
明日も雨だと山鉾巡行が大変だ。

今朝は四時半に起床。SEALのベストを聴きながら珈琲を飲んだ。
昨日揃えた原稿用紙に自分の作品を書き出していく。




2006年07月15日(土) 土曜日、宇野千代さんの言葉に出会う。

朝、五時前に起き出し、机を拭き、部屋を掃除し、珈琲を淹れて、飲みながら昨日の日記の手直しをして本を読んだ。こんなに早くから本を読んだのは久しぶり。
小さい音でケニー・バレルのソウル・ラメントをかけていたんだけれど、すっとしみてきた。

読んでいたのは白洲正子さんの絵に関するエッセイ。今、京都では藤田嗣司展とルーヴル展が開催されているけれど、たまらなく日本画が観たくなった。
部屋には竹林柚宇さんの絵が掛けてあって、それは行く先々へ持ち歩き、置き直してはいつも視界にはいるようにしている。今日はその絵があって本当に良かったと思った。

白洲さんのエッセイには「弱虫」「なまけもの」という言葉がよく出てくる。率直な励ましとして響いてくる。

原稿用紙を200枚積んで、誰かの作品を書写しようと考えた。
文体のことで随分揺れていて、凡人である我が身故に、作家を一人定めてもう一度自分の文体の基礎から作り直そうと考えたのである。

そういうことをしない人も多い。やらない人のほうがたぶん多いんじゃないか。
ここのところ「能」に関する文章ばかり読んでいて、かたちの大事さを知ったのと、自分の文章をさらによくしたいという欲が出たのだ。

好きな作家の文体で書いていくというのなら、車谷さんや春樹さん風の文体を選べばよい。だけどそれをしたらそこで終わる。
高橋源一郎さんのように何通りもの文体を自在に操れるほど優秀ではないから、愚直なまでに自分の文体でいくしかないということはわかっている。

ただ自分の文体を決定するための骨格として、これと定めた先人の文章を書き写す作業をなすことは、一種の伝統でもある。

明治以降、文語と口語に分裂した「国家の言葉」をまとめ上げてきたのは口語で書いた小説家なのである。詩人でも政治家でもない。まして国語学者でもない。
踏襲すべき流れがそこにはあると考える。

と、そこまで考えてさて誰を、となった。心の中ではほとんど森鴎外と決めていたのだけれど、漱石も百鬼園も三島も谷崎もと次から次と出てくる。
困った。
白洲さんの「弱虫」という言葉がアタマを掠めた。

落ち着いたのは宇野千代さんの言葉を読んでからだった。
宇野さんは諭すようにこう書いておられた。
とにかく机の前に坐りなさい。坐るのが習慣になったら忽ち書くのです、と。

これはこの宇野さんの文章にも出てくる人形師の方もそうだったし、白洲さんの著書に出てくる能面打ちの方も同様であった。
いつでもすぐに「坐る」。坐ると途端に作業を始める。この繰り返し。
「職人」なのだ。

男性による幾多の「文章読本」に比べて宇野さんの言葉にはなんの「けれんみ」もない。つまらない欲がない。いちばん実際的であるとさえいえる。
あ、そうだったと何かをおもいだした。

また宇野さんのこの言葉を紹介しているのが吉行淳之介さんで、なぜかすとんと腑に落ちるものがあった。

毎日の繰り返し。凡人たる自分にはそれしかない。
原稿用紙に書き写す作業はつまり「呼吸」をまねることである。能が結局、形を受け継ぐのと何ら変わるところはない。

個性がどうの、というのは自分の決めることではない。読む人が決めることだ。
たゆまず書いていこう。



2006年07月14日(金) 雷のなった日

■朝から真夏の日差しだったのだけれど、昼過ぎから俄に不安定になり、激しい雨が一時に降った。雷も鳴っていた。

■午後、PCがメーカーに引き取られた。
机の上から「塔」が消えて、眠っていた「ノート」が開いた。
OSは「98」。最近、何かのアンケートで「未だに98」といわれた「98」。妙に懐かしかった。メインPCが帰ってくるのは10日後。

■午前五時にメルマガが無事配信された。「まぐまぐ」でチェックしたら購読者数が先週よりも20人増えていた。
ありがとうございます。
こちらでは数はわかるけれど、誰が購読しているかはわからない。
メールやコメントで名乗って頂いてやっとわかる。

今のところ文学からのアプローチだけれど、他のことも書きしるしていきたい。
次の原稿を書き始めた。

■白洲正子「ほとけさま」読了。



2006年07月13日(木) HDD破損

HDDが壊れてしまった。
明日の夕方メーカーに渡して、戻ってくるまで10日ほどかかる。

それまでは旧いノートパソコンで作業をする。
容量は小さいし、OSも98だから無理は出来ない。

文庫本主義者は「もう全部原稿用紙に書いたら」というけれど
このノートパソコンが「光函」を創ったんだから、捨てたもんじゃない。

今日から集めた白洲正子さんの本を集中的に読む。
今までは二、三冊しか読んでいなかった。

パソコンが壊れたのも何かのサインだと思って、
小説の執筆にも集中したい。



2006年07月12日(水) 大葉を穫り入れた日

知人から鰹のたたきを頂いたので、我が家の大葉をたくさん摘み、刻んで添えて食べた。
今年の大葉は去年ほどではなく、かなり小ぶりである。
たたきはおいしかった。

我が家の「極小菜園」の収穫物。すでに茄子とアオトウは何度も食卓に並んでいるし、バジルはジェノベーゼペーストをさらに一瓶つくった。それぞれなお旺盛に繁っている。
トマトは明日穫り入れである。
永田農法に準じたやり方だったけれど、茄子の皮はやわらかだった。

金曜日発行のメルマガの配信予約をすませた。
明日は画像を整理する。

多田富雄「独酌余滴」(朝日文庫)、小林秀雄「Xへの手紙」(新潮文庫)「考えるヒント」(文春文庫)、白洲正子「ほとけさま」(ワイアンドエフ)を読む。
小林秀雄の主だった著作はほとんど文庫で読めるのがありがたい。
それにしても多田さんのエッセイの文章は素晴らしい。白洲さんはいわずもがなである。

椎名誠「犬の系譜」(集英社文庫)を読み継ぐ。この方だけ文体が違う。今日読んだ本はみんな違うのだが、この方は特に違う。切ない物語だ。

気がつくと周りが本だらけになっている。
まだまだ読みたい。



2006年07月11日(火) 帰ってきた人、出て来た人

江藤淳「文学と私・戦後と私」を読む。
ことに「現代と漱石と私」のなかの「帰ってきた人」と「出て来た人」についての論に考えることが多かった。

「帰ってきた人」とは漱石のことである。
どこから帰ってきたのかというと、単にイギリスというだけではない。西洋というわけでもない。
<他人から遠く離れた場所、孤独な自己追求が何ものかをもたらすと信じられた場所>から帰ってきたのだという。
そして孤独な自己追求が狂気と死をもたらすしかないと噛みしめて帰ってきたのだ。

漱石に対してよくいわれる「個人主義」にしても、実現すべきものとしてではなく、「個人」としてしか生きられない近代人の寂しさに耐えようとする決意として理解されている。

他方「出て来た人」とは「近代文学を支えてきた作家の大多数」のことである。
<故郷のわずらわしい家族関係や因襲をふりきってひとりになり、そうすることによって自己を実現しようとした人々>のことだ。
この人たちには「孤」になる「個」の悲惨さは理解の外である。

もう少しきちんと引用しよう。

…彼らにとっては「自我の確立」という目標は、「芸術」のために、「近代」のために、あるいは日本人の精神の解放のために行われるべき大事業であった。彼らの現実の悲惨さ、道徳の不毛さは「芸術」のために、あるいは「革命」のためにという観念にさえぎられて、その心の視野に映じることがなかった。彼らは一言にしていえば自己追求に憑かれた人々であった。
もし明治以後の文学が「出て来た」作家によって支えられたとすれば、漱石は無言の批判者にあった。…

漱石は「個の解放」のその先にある問題点から出発して書き始めている、というのである。

「帰るべきところ」はどこなのか。そもそもそんなところはあるのか。
漱石であれば「坊っちゃん」が帰っていったところがすぐに思い浮かぶけれど、人は失われていく。

私としては、やはり無能者と自覚して、もはや逃げ場はどこにもないと観念することのように思う。
「無能者」を「ならずもの」と表現したのは漱石だった。
それが私だ、といったのが車谷長吉さんだった。

今、「帰ってきた人」として私の読書の視界に入ってきているのは遠藤周作である。

■メルマガ読者の方へ
磯田多佳、夏目漱石の交流については江藤淳「漱石の中の風景」にも詳しいです。
「文学と私・戦後と私」江藤淳(新潮文庫)所収。






2006年07月10日(月) 金輪際

車谷長吉「金輪際」読了。
短編小説が七編。
物議を醸した「変」、のちの「赤目四十八滝〜」にも通じる「児玉まで」など。
いちばん好きだったのは「静かな家」だった。

書かれているのは「私(わたくし)小説」だけれど、三浦雅士さんが解説で書かれている「幻想小説家である」という断定に賛成だ。
細部の描写が幻想をかき立てずにはおかないからだ。
もうひとつ、これは私見だけれど書かれていることは徹頭徹尾、BLUESである。

「児玉まで」という作品は吉行淳之介さんの「街の底で」と構造や設定がよく似ているのだけれど、吉行さんが女の手を取り一歩踏み出すところで終わるのに対し車谷さんは置き去りにしていく。実は自分を棄てているのだけれども。
吉行さんは優しい。車谷さんは尖っている。だけど両作品ともぼくにとってはBLUESである。

車谷さんの小説を読んでいると文体の見事さを感じる。森鷗外を下敷きにしたその文体は切れ味鋭く、余分なところが何もない。骨太である。
その文体で細部を克明に書くのだ。余分なところが何もないから強烈に印象が残る。リアルな描写なのだけれど「幻想」はいくらでも脹らむ。

車谷流小説作法というべきものを見つけた気がした。
だけどそれは「車谷流」といいながら、自分自身の書き方を見つけつつあるのかもしれないと思う。
ご当人の流儀を他人がわかるものではないから。



2006年07月09日(日) 「ゴッホの靴」

■パソコンのバックアップに追われる。内部から異音がするので来週、メーカーに点検修理依頼をするため。データが全部消える可能性もあるからだ。一週間かかるという。

■書きかけの小説はプリントアウトし、原稿用紙に続きを書く。
メルマガもアップロードし、配信予約までもっていきたい。

■自費出版で有名な新風舎から心待ちにしていた本が出版されることになった。
「ゴッホの靴」坂本美智子・著
坂本さんは73歳でらっしゃる。

■新風舎では出版大賞が精力的(?)に行われていて、坂本さんは何回めかの井狩春男賞を受賞された。選考委員の中で井狩さん一人、この作品だけははずせないと、譲らなかったと漏れ聞いた。とにかく文章が美しい、と。

■すわ、73歳のデヴューかと思ったのだが、カネボウヒューマンドキュメンタリー大賞の優秀賞を受賞されていることを知った。
坂本さんは現役の介護支援専門員であって、その経験が見事に作品に結びついているようだ。
スーパー・アマチュアである。

■坂本さんが応募した時の大賞はたしか中学生だった。若い人の感性もよいけれど、人生のベテランならではの作品を読みたいと思っていたのだった。プロを唸らせたその文章を。
すでに朝日新聞に書評がでているという。

■「ゴッホの靴」坂本美智子・新風舎・1680円



2006年07月08日(土) 荒れた庭に手をいれる

■ここのところ忙しく、また雨が降り続いたこともあって庭の手入れがおろそかになっていた。
薔薇たちがかなりワイルドになっていたので剪定したのだけれど、一番困ったのは虫の大発生だった。駆除に時間がかかった。

切り戻しした草花も多く、この季節、放っておくと大変なことになると改めて認識。

■来週のメルマガの記事を書き始める。

■最近の田口ランディさんに興味がある。新刊は「被爆のマリア」だったか。読んでみたい。

■ところで内田百�里蓮▲好肇蹇爾妊轡礇鵐僖鵑魄�みながら亡くなったそうである。81歳。幸せな人生からの退出のしかただな、と思う。

■「光函」の発注分が到着。「音函」と併せて親戚に送らなければならない。



2006年07月07日(金) 「犬の系譜」と縁がありました。

5月に椎名誠さんの文庫「かえっていく場所」を読んだと書いたら、畏友田川ミメイさんから「犬の系譜」を是非に、と勧められた。

ぼくはすぐに探した。ところがすでに絶版になっていた。1988年初版で、吉川英治文学新人賞受賞作であるにもかかわらず、である。

そうなると「古本屋」しかあてはないのだが、いくら探しても見つからなかった。これはいつかの再版を待つしかないと思っていたところ、思わぬところで見つかった。

友人「文庫本主義者」の本棚の片隅である。
本人曰く、もはや読んだことすら忘れかけていたのだけれど、うっすらと残っていた読後の感触をたよりに探してみたら出てきたという。

本の縁が茶に焦げていて、ページを繰ると魅力的な章のタイトルが並んでいた。これから心、沈めて読んでいく。

最近、私は「本」との「縁」をもっと意識にしようと思っている。
新聞書評欄での出会いも、書店での偶然の出会いも「縁」だけれど、人の勧めも「縁」だ。

読書のコンテキストのいっとう最初が、コンセプトや研究課題から選ばれたのではなくて、人のなにげない紹介、というのもいいんじゃないか。
そこから「縁」がどこまで拡がっていくか楽しみでもある。


ところで本日、メルマガ「京都余情」を配信した。今回からの「縁」で次がつながった。次はあまり知られていない谷崎潤一郎の「京都」を紹介したいと思っている。



2006年07月06日(木) 祇園・白川界隈

メルマガを補強するためにブログをつくった。
メルマガに登場する場所の画像を見ることが出来るようにするためだ。

それならばブログだけでいいじゃないか、とも思えるのだけれど、メルマガは「購読する」意志を表明してくれた方たちなのだから
尊重したいと考えた。

明朝届くよう配信予約を済ませた。
ブログには祇園・新橋白川界隈を紹介している。徳川から大正まで祇園の中心はここだった。

今でも、ある意味そうかもしれない。

夜、車谷長吉「白洲正子の目」を読む。
これからもう一度ブログの点検である。



2006年07月05日(水) それが「私」

朝から激しい雨が降り、一日雨音に呆けてしまうのかと思っていたら昼前から空は小康を保ち、そのまま夕暮れを迎えた。

金曜日発行のメールマガジンの原稿を書き上げ、本日届いた文庫本、車谷長吉「金輪際」を読み始める。
そこで保坂和志氏と車谷氏との因縁を知る。

因縁を知ったところで、どちらも好きな小説家なのだ。因縁にまでつきあうこともなかろうと思う。だいたいそのことを書き付けているのは車谷氏だけなのだし。
保坂和志も車谷長吉もどちらも読んでいるのが、或いは「読める」のが、
つまりそれが「私」だ。
私の因縁なのだ。



父が亡くなり、言葉の力の凄さを知った。
このことは書かずに死ぬまで抱きしめていたいと思っている。
ただ、その言葉をぼくに与えてくれた人には、なるべく速やかに伝えたいと思っている。

あなたの言葉が「私」を救ってくれました、と。



2006年07月04日(火) さいかい

再会。
そして再開。

日記の再開に、理由を書く必要があるかどうかはわかりません。
公開の日記を楽しみに読んでくれている方たちには書いておくべきだと考えました。

父が亡くなりました。
そのことで、とても日記を書くことが出来ませんでした。
心にたたみ込むには時間が必要です。

最後に父が教えてくれた「死ぬ」ということ。
自分が変わった、とはっきり自分でわかります。

日記を再開します。



2006年07月01日(土) 妹と

妹がロンドンから帰ってきました。
ずいぶん久しぶりなので聞いてみたらロンドン在住が10年になるといいます。
病院での再会でした。

一家にとって辛い時がやって来ました。
少しの間、日記はお休みします。

メルマガは毎週金曜日にお届けします。


 < 過去  INDEX  未来 >


にしはら ただし [MAIL] [HOMEPAGE]