スナックおのれ
毛。



 「揺れる」。

 いつのまにかまわりから与えられている「この人ってこんな人」、というイメージ。求められているという意味ではとても嬉しいけれど、それが窮屈になると苦痛でなりません。「そんな人じゃないと思ってた」だの「そんなことする人だったの?」だの。その人が創り上げた「私」のイメージからはみ出してただけで、なんでそんなんいわれにゃならんの?と思うことがあります。
 私にしてみれば、全部自分です。ALL自分。勝手につけられた私のイメージはすべて予測であって、当たりじゃない。しかしながら、当たりは、私の中の「私」でもありません。ただその空間にある今の自分の行動、位置状態、熱量、状態、ポテンシャル、すべてです。また、その人自体を予測の範疇内で全部つかもうとすることに意義はあるのか、とも思ったりします。
 「揺れる」の兄さんはそれだと思いました。まわりに求められている自分を演ずる自分とそれに逆らう自分。怖いけれど、反面、とても「人間」です。また、罵倒に困惑し、激昂する弟。
 兄弟って不思議です。性格の成り立ちも、生活も共有してきたのに、わかってしまっている分、友だちより遠い。兄弟よりも、人間同士って?という映画だと思いました。

2006年08月17日(木)
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