無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2005年07月28日(木) |
壊れていく定め/『画図百鬼夜行全画集』(鳥山石燕) |
朝目覚めたら、手先が痺れて動けない。 仕事を休んで病院へ行ったのだが、調べてもらったら、尿糖も血糖値も冗談じゃねえってくらいに上がっていた。手先も利かなくなるはずである。 主治医から、「去年は調子よかったんですから、節制すればよくなりますよ」と元気付けられる。薬もとっくに切れていたので、こういう結果が出るのは予測がついていたのだが、実際に言葉で伝えられるとなかなかに辛いものがある。
けれど、私のことよりも変化が激しかったのは父のほうだった。 突然、夕方電話がかかってきて「木曽路」でしゃぶしゃぶを一緒に食べることになったのだが、言動がおかしい。 父と姉との間柄があまりよくない状況はまだ続いている。本来なら姉に継がせる予定だった店を売っぱらうとか、かなり過激なことも何度か口にしていたのだが、この間から、今住んでるマンションを売り払って私やしげと一緒に住む家を探そうと考え始めている。計画に無理があるなあと思いながらも一応は付き合ってやらにゃあと、今度の日曜日にモデルハウスを見に行く約束をしていたのであるが、今日、「日曜は何時に待ち合わせる?」と聞いてみたら、「日曜日は俺、仕事やないか」とキョトンとされてしまった。自分が言い出していながら、そのことをすっかり忘れていたのである。 記憶障碍はそれだけではない。 昔話をするうちに、20年前、私が大学院に行かせてもらえなかったことについて話が及んだ。大学院まで行くことになれば当然東京で一生暮らすことになるわけで、それには父も母も反対した。まあ、カネもないということで、私は素直に諦めたわけであるが(当時は福岡に彼女もいたのでそれも帰省する理由になった)、それに関して家族間で大したトラブルはなかったのだ。 ところが当時、父の友人で「どうして大学院まで行かせて学者さんにしてやらなかったのか」と父に意見した(余計なお世話ではあるが)人がいらっしゃって、父の店の常連客でもあるので、今でもたまにその方は昔を思い返して父を非難するのである。 父は、「あの人は今でもお前を『何で大学……に行かせてやらなかったか』って俺に文句ば言いようばい」と言う。 私が「まあ、別にぼくは行けなくても構わなかったけど」と答えたところ、父の態度が急に変わった。 「何ば言いよるか。あのときはお前と『行かせろ、行かせん』で二時間もケンカしたやないか」 「え? そんなことしてないよ?」 「何言いよるか。俺はちゃんと覚えとる」 「だって、そんな喧嘩までして『大学院』に行きたいとか思ってなかったもん」 「『大学院』やない、『大学』のことや! 」 目が点になるとはこのことである。確かに私と父は、「大学」に入る前に「大学まで行って何するとや」ということでケンカをしたことがある。最終的には父か折れて、無事入試を受けさせてもらえたのであるが、どうやら父の頭の中では大学入試のときのことと、大学院に進学するときの記憶がごっちゃになっているようなのである。 しかし、父が私を「大学に行かせなかった」と記憶しているとしたら、私が上京していた四年間は何をしに東京に行っていたというのであろうか。物見遊山か。それとも私が上京していたという記憶自体が父の脳からすっぽり抜け落ちているのだろうか。私が大学を卒業していないのならば、当然、今の職にも就けていないのだが、そのあたりの知識も父からは欠落してしまっているのだろうか。多分、そのあたりの整合性の不備も父には認識できなくなっているのだろう。 父は、車から降りるときにもドアの開け方が分からなくてモタモタしていた。もう何度もしげの車には乗っているというのに、取っ手の仕組みをすぐに忘れてしまうようになっているのである。 年を取ってきて、同じ話を何度も繰り返す率はかなり高くなってきていたが、日常的な記憶の混乱もひどくなっている感じで、「それはそうじゃないよ」と言えば、頑固に「俺の方が正しい」と言い張る。追及しても仕方がないので、私は口をつぐむことも多くなった。 父と姉との軋轢も、必ずしも父の主張を鵜呑みにすることはできない。父が姉に「店を譲る」と言ったのは、母が急死して、父がショックを受けていたころのことである。現在父は、「あのころのオレは自暴自棄になっていてモノを考えられなかった」と過去の自分を否定するのだが、私から見ればそのころの父の方が今よりもよっぽどモノを考えている。今の父は、もしかすると姉に店を継がせることを約束したことすら忘れかけているのかもしれない。 父と暮らす家を探す前に、父を入れる病院を考えないといけなくなるのだろうか。父はもう四分の一ほどは私の父ではなくなっている。しかし、その喪失率がどの程度になれば「見切り」をつけることになるのか、明確な基準のあることではない。完全に「私の父だったころ」の父は、「俺がボケたら遠慮は要らないから施設に叩きこめ」と言っていたのだが、いざ自己喪失してしまったら泣き出してしまうかもしれない。脳梗塞で倒れた祖父(父の父)が私と会うたびに涙を流していたのを思い出した。 私の方が先にボケる可能性だってあるし、決断は意外に早く来るかもしれない。
マンガ、新沢基栄『フラッシュ奇面組』3巻(スクウェア・エニックス)。 二年ぶりの新刊。作者の腰痛による休載はファンにはもう周知の事実なので、もうわずか10ページだろうと掲載されていれば嬉しいという状況。良くぞ3巻が出てくれた、と感激である。 だからと言ってマンガの方が面白いかというと、十年一日というか二十年一日で、新しいものは何もない。「先生が生徒にメシをたかりに家庭訪問に行くが、かえってひどい目に合わされる」とか「キャンプで仲間とはぐれてサバイバル」なんてネタ、これまでどれだけあったことか。しかも、そこで展開されるギャグも殆ど破天荒なものがない。前者なら空き巣と勘違いされるとか、後者は熊に襲われるとか、「どうしてこれで面白いと思えるのか」と作者に問いかけたくなるくらいにありふれすぎている。なんかねー、『奇面組』よりも更に十年くらい古い永井豪の『ハレンチ学園』や『キッカイくん』にも家庭訪問ネタやサバイバルネタがあったけど、そっちの方がまだSFが入ってる分、面白かったりするのよ。つまり、かつての『3年奇面組』も『ハイスクール!奇面組』も、『少年ジャンプ』に連載されていた当時ですら、そのギャグはかなり古かったのだ。これが新人マンガ家の持ち込んできた原稿だったら、絶対にボツを食らってるだろう。 ところがオビには「あるある探検隊のレギュラーも推薦ッ!! 『おもしろすぎて西川くんが気失ってもたぁ〜!』」とか書いてあるんである。何かのギャグを「面白い」と評することは、即ち自分のギャグセンスがその対象と同程度だと言うのを告白するのと同じであるから、レギュラーのギャグはまさに20年、30年昔のそれだってことになる。この推薦、レギュラーにとっては自殺行為じゃないかと思うんだが、でも、レギュラーがこのあと「あるある探検隊」で何年も持つとは誰も考えていないだろうから(別のギャグを考え出してもたいして変わるまい)、これはある意味、実に適切な起用のようにも思える。まあ、レギュラーが『奇面組』の推薦してることに気づく人自体少なかろうから、何の影響もないかもしれないのだが。 ギャグセンスも変化なしなら、作中で描かれる風俗もあくまでジャンプ連載当時のものだから、零君たちはケイタイも持ってはいない。いや、一番気になってたのは天野邪子率いる御女組だけれども、やっぱり昔と変わらないロングスカートだ。若い人たちが見たら「このひとたちどーゆーひと?」としか思えないのではなかろうか。 これだけ「変わらない」のであれば、今後この作者に何か新しい境地が生まれるとは思えない。人に勧められるマンガでは決してないのだが、これを「骨董品」的な面白さとして楽しむ向きには貴重であるかもしれない。それで、たとえ単行本刊行に二年の間が空こうと、やっぱり買ってしまうのである。
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)。 『妖怪大戦争』映画化の余波で、こんなものまで文庫化。 国書刊行会発行のシリーズを大枚はたいて買ってた身にしてみればチト悔しくはあるのだが、若い人がこういう「古典」に廉価で触れることができるようになっていることはうらやましいことである。 知ってる人は知ってるが、現代の妖怪ブームのルーツは江戸時代にある。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する妖怪のスタイルがかなりの率で鳥山石燕のデザインを踏襲したものであることが、この「原典」を見れば一目瞭然であるし、京極夏彦が小説中に登場させている妖怪たちの多くがやはり石燕に拠っている。 石燕の功績は、それまで、伝説や昔話の中に「言葉」としてしか語られなかった妖怪たちに「姿」を与えたことだという。石燕の絵は実際にあちこちに引用され模写され、現代にまでこうして生き残っている。その絵の魅力を絵の専門家でもない私が語ることは難しいが、簡単に言ってしまえば、人ならず獣ならず、しかし人のようにも獣のようにも見えるそのキメラ的な姿が、人間界と異界との間を繋ぐイメージとして的確に機能したからではないだろうか。西洋画に登場するドラゴンや悪魔たちのような単純なイメージに比べると、石燕の妖怪たちははるかに個性的で親しみ深い。 例えば、石燕の描く人魂の中には、往々にして人間や鳥獣の顔が描かれる。我々はその姿に恐れを抱くがそれは即ちそこに「心」を見るからである。人間ならざるものに心があることは確かに恐ろしいが、そこには若干の親しみやユーモアもまた生まれるのだ。 石燕はその絵も面白いが、文章もまた面白い。心霊家が心霊写真を見て「これは何々の霊だ」と根拠もなく断定するいい加減さに似た面白さだ。 「人面樹」という妖怪は、花が人の首の形をして笑うのであるが、笑い過ぎて地面に落ちてしまうのである。妖怪の中で一番馬鹿なのではなかろうか。「目目連」という妖怪(破れ障子にたくさん目が現れる)などは、「碁打ちの霊だ」とか言ってるのである。それって、「碁打ちは『目』をたくさん読む」ってシャレではないの(笑)。「否哉(いやや)」などは、女の服を来ているのに顔を見たら爺さんだったので「いや〜!」と叫んで付けた名前である。そんな妖怪なら巷にゴロゴロしてると思う(苦笑)。 こんなふうに面白い妖怪を紹介していったらキリがない。あとの妖怪たちはぜひご自分の目で確かめていただきたい。 残念ながら原文のままで訳文は付されていないが、たいして難しい古文ではないので、中学生レベルの読解力で読みこなすことができるだろう。
2004年07月28日(水) 会話のナカミがウスくったっていいじゃないの……ねえ。 2003年07月28日(月) ついに出ますよ、アレが/『タク坊の毎日』(中川いさみ)/『最良の日、最悪の日 人生は五十一から�◆戞幣�林信彦) 2002年07月28日(日) 台本書いてると仕事してる気になるなあ/『アベノ橋魔法☆商店街』2巻(完結/出口竜正)ほか 2001年07月28日(土) アイ・ラブ・アッシー。……違うって(-_-;)/『スーパーロボットマガジン』第一号ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|