無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年08月19日(月) 偽善者の宴/『探偵学園Q』6巻(天樹征丸・さとうふみや)/『虹の子』(石ノ森章太郎)ほか

 給料日前の金欠病、今月も深刻(^_^;)。
 コメはあるけどおかずがない。まあコメがあるだけましとは言えるか。
 職場からの帰り道、いつもなら「どの店で食べる?」という会話を交わすのだが、今日はそんな悠長なものではない。
 「どうする? 食事」
 なんだか江戸川乱歩の『二銭銅貨』の世界だな。いや、狙ってやってるわけじゃないけど。
 「おかず何も買えん?」
 「600円しかないよ」
 「オレもそんなもん」
 「どうする?」
 「そりゃ、ラーメンくらいしか買えんやろ」
 「じゃ、スーパー寄ってラーメン買う?」
 「あと、卵くらいは買えるか」
 「わぁい、ラーメンラーメン♪」
 こないだ五風でバカスカ食ったせいだという自覚がないな、しげ。

 マルキョウに寄ってみると、その隣のうどん屋「マルチャン」が閉店してしまっている。え? 開店してまだ1年も経ってなかったんじゃなかったっけ? うわあ、麺にコシもノビもあって、トッピングが多くて、安くて美味くて、お気に入りの店だったのに。また美味いうどん屋を探さなきゃいけなくなったじゃないか。
 しげも憤懣やる方ないって顔で、「アンタのせいやけんね!」と私にヤツアタリ。
 「なんで俺が悪いんだよ、オレなにもしてね〜じゃん」
 「アンタ以外に当たれんやん」
 「自分に当たれや!」
 潰れると分ってたら、もう何回か通ってたのになあ。
 ……そうだよ、何日か前にも「行こうか」ってしげを誘って断られたんだよ。ああ、あの時行ってれば、潰れずに済んでたかもしれないのに……って、ンなわけないって。


 アニメ『名探偵コナン』第291話「孤島の姫と龍宮城」(事件編)。
 あ〜、あの動機もトリックもチグハグだったやつか。波のトリックには欠陥ありまくりなんだけど、アニメで少しは修正するかなあ。
 沖縄を舞台にした意味もあまりなかったよな、確か。せっかく「グソー」とか「マブイ」とか沖縄方言を盛りこんでるんだから、もう少しウンチクが欲しかったところだけれど。
 和葉がゲストの回だと宮村優子の声が聞けてホッとするな。最近、声優の仕事を段々減らしてきてるみたいで、アスカファンとしてはちょっとサビシイ思いをしているのである。それが例のAV騒ぎや離婚などゴタゴタが続いたせいで、仕事を一新しようと宮村さんが考えていたのだとしたら残念なことである。
 声優としてはぜんっぜん演技が上達しなかった人だが、そのシロウトっぽさが好きだったんだがなあ(過去形で言うなよ)。


 17日〜18日に行われた日本テレビ『24時間テレビ25 愛は地球を救う』の全平均視聴率が15.4%で、同番組歴代7位の成績だったとか。
 こういう偽善的な番組が高視聴率を取るということは世相的にはあまりいいこっちゃないのである。それだけ人も世も荒んでるから、たとえ見え透いたウソだって解りきってても、あえて引っかかっちゃいたくなるってことだからねえ。全く、そんなに善人のフリするのが好きか。
 ウチの親父なんか、第1回の放送の時から怒ってて、「番組作るの止めて浮いた製作費寄付した方が募金よりずっと大金じゃないか」と文句つけてたが、そりゃそうだよな。
 松田優作は生前プロダクションからこの番組に参加するよう勧められて断ったってことだけれど、いかにも「らしい」話である。今や「この人は絶対24時間テレビには参加しないだろう」ってタレント、役者を探すほうが難しくないかな。たけしはとっくに参加しちゃってるし(お笑い系はほとんど全滅である)。

 瞬間最高視聴率を取ったのは、100キロマラソンに挑戦した西村知美がゴールした直後で、37.5%。
 西村知美が走るって聞いた時には、どうして西村知美が? と疑問に思ったものだったが(それは間寛平でも研ナオコでも同様なんだけれど)、こういう数字が出たってことは、西村知美は世間から「受け入れられた」ってことなんだろう。でも、それって西村さんにとって、ホントにいいことなのかね?
 いや、西村さんを受け入れるなって言いたいわけじゃないよ。けどね、いい悪いは別にして、「西村知美」という名前を出しただけで、思わず「ぷっ」と吹き出してしまう雰囲気が以前には確かにあったはずなんだよ。でもこの「100キロマラソン」の企画、「西村知美を笑うなキャンペーン」というか、そういう反応をすることを許さないムードをテレビが故意に作り出そうとしている感じがあって、そこがまたどうにも偽善的でいやらしいって気がしちゃうんでねえ。

 西村知美がいかにこのマラソンに対して一生懸命になったかってことをドキュメントで紹介してるんだけれども、これがどうにもクビを捻りたくなる造りなんだよ。どうにも疑問なのは、どうして彼女のこれまでのタレント生活まで紹介する必要があるの?
 天然キャラが災いして、デビュー後数年は人間関係に悩んだとか、そんなことを放送して、何がどうボランティアと関わると言うのか。『24時間テレビ』は西村知美の宣伝のためにあるわけじゃないじゃん。それに、そういうキャラで「売った」以上は、泣き言を言うのはプロとしてどうかと思うんだが。
 もっとも、誰が走ろうと、それがそもそもどうボランティアに関わるんだよって疑問自体があるんだけどね。

 私も、『ドン松五郎の生活』のころの西村知美の美少女ぶりに眼を見張った過去があるから、今の「西村知美は何をしたいのか?」って状況にちょっと哀しいものを感じているのである。どの記事を見てみても「“タレント”の西村さん完走」と書いてあるが、アンタもともと「女優」でしょうが。と言っても西村さんの最新作って『スペースカッタくん』しか知らない(^_^;)。
 西村知美の走る姿に誰もが感動したということは、「女優としての西村知美」は求められていない、ということでもあるのだ。感動を押しつけられたことでイロモノとしての価値も捨てさせられた。「感動の人」というレッテルは、役者にとっては決して有利には働かない。歌手である研ナオコはともかく、間寛平が「コメディアンとしてはもう完全に死んでいる」、いや、「殺してしまった」事実をテレビ局は自覚しているのだろうか。
 西村さん、その轍を辿って行きそうな気配が濃厚なんだよなあ。偽善にうっかり乗っちゃうと、生きる道が閉ざされることもある。そうなってほしくはないんだけどなあ。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』6巻(講談社/少年マガジンコミックス・440円)。
 しげに「ねえ、5巻は買ってたかなあ?」と聞かれるが、即答できない。
 正直な話、ツマラン漫画は買って読んでも中身をすぐに忘れてしまう。『Q』ファンには悪いけれど、やっぱりマジメにミステリを読んでるファンなら、どれくらい出来が悪いかは共通認識として持っちゃうよ。
 これまでの日記を読み返そうとしたが、これがもう膨大な量で、とても見つけられるものではない。誰だ、こんなにムダなことばかり書いてるやつは(^_^;)。
 しげが仕事に出かけて、部屋の中の本の山をひっくり返してようやく5巻を見付ける。読み返して忘れちゃってたのも納得。特につまんない内容だった(^o^)。

 今巻第一話は前巻からの続き、『Q対A延長戦』。
 直接トリックとは関係ないけれど、事件のきっかけとなった氷川美鈴墜死事件、露店風呂から崖下の岩場に落ちて死んだにもかかわらず、体に巻いたバスタオルが全く乱れていない。こりゃてっきり犯人が死体に何かしたんだな、と思ったら全然そういう説明がなかった。
 こりゃどういうわけ? と首を捻ったが、ハッと理由に思い至った。
 アレだ、ヌードがマガジンの出版コードに引っかかるのだね。でもおかしいよなあ、ヌードを出せないなら、露店風呂を舞台にしなきゃいいのに。謎解きミステリとしてはこの描写は明らかにアンフェアだ。
 それとも、被害者はわざわざバスタオルを体に解けないほどにキツク巻きつけて墜落したと解釈してやらなきゃならんのかね? 読者に甘えちゃいかんよ。
 それはそれとして、肝心の中心トリックは、チャチだけれど明確なミスはない点で一応の評価を下せる。密室を作る必然性も「事故死と思わせるため」(警察が本当にそう思ってくれたのは御都合主義だが)と、筋は通っちゃいる。
 けれど、どの事件でも言えることだけど、犯人がこんなめんどくさいトリックを弄して犯行を行わなきゃならない必然性っつーか、自らが罪から逃れようとしたのはなぜかってことの説明がいつも不充分なんだよなあ。被害者さっさと刺したら、警察にとっつかまってもいいじゃんって犯人ばっかりなんだもの。
 今のミステリ作家たちって、揃いも揃って横溝チルドレンなんだけどさ、その論理性じゃなくて怪奇性にばっかり囚われちゃってんだよなあ。松本清張くらい読んでおこうよ。


 マンガ、石ノ森章太郎『虹の子』(双葉社/双葉文庫名作シリーズ・600円)。
 えーっと、これはなんなんでしょ?
 石森章太郎が1960年に『少女クラブ』に連載したものなんだけれど、前半、企業間の陰謀に巻き込まれた幼女が翻弄されるストーリーが展開してたのに、後半、なぜか南洋の孤島の宝探しの話になる。
 木に竹を接いだと言うか、高杉良の小説の後半が南洋一郎になってるようなもんだ。われながらスゲエ例え。でもホントにそんな感じなんだよ。
 どうしてそんな感じになっちゃったのかなあ、連載は一年でキッチリ終わってるから、急な延長で話を変えたとかそんな感じじゃなさそうだけど、素直に考えれば人気がないためのテコイレってことなんだろうけれど、とても成功してるとは言いがたいな。ヘタに絵が上手いものだから、あまりトンデモって感じで楽しむこともできにくい。ただの失敗作なんだね。
 ファンじゃなきゃまず買わない一冊でした。

2001年08月19日(日) 毛が三本/『ふざけるな専業主婦』(石原里紗)ほか
2000年08月19日(土) 今日、彼氏彼女は相々傘であった/『占い師はお昼寝中』(倉知淳)ほか


2002年08月18日(日) 草臥れ休日/アニメ『サイボーグ009』地下帝国“ヨミ”編/『エキストラ・ジョーカー KER』(清涼院流水・蓮見桃衣)ほか

 さあ、短く書くぞ(^_^;)。

 昨日の日記に書き忘れてたけど、『プリンセスチュチュ』の声優で特筆すべきはナレーションの岸田今日子&ドロッセルマイヤーの三谷昇です。
 声を聞いた瞬間、耳を疑いましたからねえ。
 どちらもメインは舞台の俳優さんなんですが、もちろん映画、テレビにも多数出演、声優経験もあります。
 岸田さんの声優の代表作と言ったら、なんと言っても初代ムーミンでしょうね。スナフキンの西本裕之さんもそうだけれど、テレビアニメ時代になって、アニメの声アテを専門にする人が声優、という区分けがハッキリしてきた時代に、あえて声優以外の方を起用したという意味では、宮崎駿の魁でもある……ってアレにも宮崎さん、ちょびっと参加してたかな。
 三谷さんが声優をしたの、『千夜一夜物語』以来じゃないかな。あ、あと『クジラの跳躍』があったか。けれどどっちにしろ声優に使うのはなかなか思い切った起用。三谷さんを知らない人には説明しにくいんだけれど、実に独特な声を出される方です。ドロッセルマイヤーの顔が何となく三谷さんにダブってくるのもご愛嬌かな。


 久しぶりに『仮面ライダー龍騎』『おジャ魔女どれみどっかーん』など、漫然と見るが、寝惚けてて全く頭に入ってこない。日曜の朝はやはり寝るに限る。
 気がついたら居間で熟睡。『ぴたテン』は完全に見損ねた。
 疲れているのだな。

 外出するのも面倒なので、出前を恃むことにする。
 ウチの近所にはラーメンもカレーもファミレスの出前もあるのだが、どれも割高。結局、ピザを頼む。
 ピザって、飯を食った気に全くなれないんだけど、肉と飯粒好きのしげが、どうしてお菓子みたいなピザが好きなんだか。


 アニメ『サイボーグ009』第43話「異変」。
 ついに、というかやっと、というか、ファン待望熱望の『地下帝国“ヨミ”編』の始まりである。かつて『サイボーグ009 怪獣戦争』として映画化されたときは、1時間ちょっとという上映時間の関係もあってか、ストーリーは大幅な改竄に遭い、ヘレナは五つ子じゃなくて一人になっちゃったし、バン=ボグートは出て来ないし、何よりあの「ジョー、君はどこに落ちたい?」のラストシーンがない!(後に旧テレビシリーズの最終回で復活したけど)ということで、もう何をか言わんやだったんだけど、声優だけは009=太田博之、003=ジュディ・オング、007=曽我町子、006=藤村有弘、ヘレナ=市原悦子という超豪華な布陣だったんだよねえ。004が大竹宏だったなんて、今ならミスキャストって言われそうだけれど、ちゃんとニヒルな声を出してましたよ。魔神像ブラックゴーストの山内雅人(ラオ博士〜!)はもう最高にリアルな悪役声だった。
 何しろもう古い古い、1967年の映画なんで、未見の人は多いと思うけれど、それなりに楽しめるアニメではあるので、新作と比較してみるのもいいかもよ。

 さて、で新作の出来映えやいかにってことだけど、出だしはまさしく原作どおり。
 超音波怪獣の登場、三友工業社長(よくこの名前出せたな。エラい)、バン=ボグートの暗躍(この名前がSF作家バン・ヴォートのモジリだってことも若い人にはわかんなくなってるみたいね)。

 原作でも描かれている009・ジョーと、孤児院(アニメでは教会)時代の旧友・茨木、小山田、メリーとの対決も、原作以上に濃いドラマに仕上がっている。
 再開を祝い、談笑する四人。一人、輪の外に取り残される003・フランソワーズ。
 三人は語る。「今、三友で働いてるんだ」。息を飲む009と003。この瞬間、彼らがなぜジョーに遭いに来たのか、そこにいた者はみな察したはずだ。しかし、何食わぬ顔で、三人はジョーを自分たちの家に招待する。
 メリーが003に一言。
 「ジョーを借りてくわね」
 メリーはもちろんジョーを愛している。しかし、既に自分がジョーを愛せなくなっていることも知っている。今、ジョーの側にいるフランソワーズへの、これがメリーの精一杯の皮肉。
 そんなメリーの心に気付きつつも微笑みながら、ジョーを送り出す003。
 けれど彼らがいなくなったあと、003は俯き、002に連絡を取る。これが哀しい戦いになることを知っていたから。
 車に乗ったジョーもやはり俯いている。「……やっぱり、そうなのか」。
 変身する茨木、小山田、メリー。毎度毎度「戦いたくない」を連発してて、ちったあ学習しろよ、と突っ込みたくなる009だけれど、このときばかりは「戦いたくない」のセリフが切実に聞こえる。戦いたくないのは三人だって同じなのだ。戦いの中でもお互いをかばいあう三人の姿がより一層の、悲しみを誘う。
 いいなあ、これだけ細かい演出を積み重ねて映像化してくれてると、『ヨミ編』を待ち望んでた甲斐があったよ。

 悲劇を演出しサイボーグたちを翻弄するバン・ボグートが、顔を見せるだけで、セリフをヒトコトも言わないのも、思わせぶりだけれどもいい演出だ。
 ヒキは全身を破壊された008、倒れ伏すヘレンを発見する004。うおおおう、盛りあがるぜい!


 アニメ『ワンピース』第122話「砂ワニと水ルフィ! 決闘第2ラウンド」。
 もー随分見てなかった『ワンピース』を見てみる。そろそろ「アラバスタ編」も終わりに近い感じだしね。
 あ〜、ニコ・ロビンの声、山口由里子さんだったんだ。キャラクター的にははっきり赤木リツコさんの流れだねえ。ジャンプアニメの欠点で、連載を食いつぶさないための間延びした演出は相変わらずだけれど、どうせこんなもん、と初めから期待もしなけりゃそれなりに楽しくは見られる。クロコダイルの大友龍三郎さんもドスのきいた声で、原作じゃ後半すっかりチンピラに成り下がったキャラをなんとか持ち堪えさせているな。
 しかし出て来る敵、出てくる敵、みんな悪魔の実を食ってるけど、泳げない海賊ばかり出してどうするんだろうね。クロコダイルなんて海の上で戦ったら一発でやられるくらい弱いキャラだと思うんだけどな。いくらなんでも海全部干上がらせることは出来ないでしょ。……おっと、これって禁句?(^o^)


 『笑う犬の発見』、オープニングが「天ピース」となって、『ワンピース』のパロになっている。ルフィはアニメなんだけど、ちゃんと田中真弓さんが声アテしてる。ウソップがネプチューンの原田泰造、謎の宇宙人(そんなん『ワンピース』にゃ出てこねーよ、とツッコミ入れられる役)に名倉潤、そこまではいいのだが、チョッパーの着グルミに入ってるのは誰なんだろう。小人のマーチャンか(^o^)。
 四つの扉のうち一つだけが通れるって、昔のドリフにもあった他愛無いコントなんで、あまり長く続くとは思えないが、こういうのも『ワンピース』ファンはチェックするのかな。


 マンガ、清涼院流水原作・蓮見桃衣漫画『エキストラ・ジョーカー KER』(角川書店/アスカコミックスデラックス・588円)。
 あ〜、基本的にミステリーではないですね、これ。根拠なしに「実はこうでした」ってのはつまりは駄作ってことなんだけど、確信犯でやってるところが始末に悪いね。わざと書いた駄作はやっぱり駄作だがね。なんだか「既知外の真似したら既知外」みたいだよな。
 この原作は、あくまで「ギャグ」として、速星七生に描かせるべきものだね。それだったら、「椅子に爆弾をしかけられたけれども、そこに座ったやつが『機会オンチ』だったから、爆弾が故障した」ってバカネタも一応笑えるよ。……これをシリアスっぽくやっちゃ、読者の中には腹を立てるヤツも出てくるって。
 ……いや、ちょっと腹立ってますよ、作者にも読者にも。多分この作者、ミステリーなんて好きでもなんでもないのだ。対象を弄くることしか出来ないのって、どこか柳田理科雄に通じるものがあるな。
 巻末の「あなたもJDC探偵になっちゃえ!!」って読者募集のコーナーがまたふざけてるんだよ。なんだよ、最優秀賞の「ダル探偵=やる気のなさが最高潮になった時、真相がわかる」って。そんなののどこに推理、どこに根拠があるんだよ。
 ほかにも「熱帯魚を観察する目の動きで脳を刺激し、推理する」とかもひどいね、そんなことしないとお前は脳ミソ一つ働かせられんのか。ただのバカじゃねえか。「あらゆるものを鏡に映し、推理力をアップさせる」だと? 一生、鏡地獄の中に入ってろ。「瞳(アイズ)で合図=メ(目)ッセージを受け推理」、人見知り=瞳知りのシャレらしいが、それがなに? 推理とどう関係あるの? 全く意味不明だ。既知外作家には既知外読者が群れるってことかい。
 ああ、でもこんなんでよければ、ミステリーなんて百万冊でも書けるなあ。そう言えば昔大学の推理研にいたころ、こういうミステリーのトリックのバカネタ、いくつも考えたこと思い出したなあ。個人ホームページ開いたらバカトリックのコーナーってのも作ってみようか。
 それにしても原作小説の方の『ジョーカー』もこういうバカネタばっかりなのかね。いや、持ってるんだけど、もう二年以上も読んでない(^_^;)。


 DVD『パワーパフガールズ』見ながら寝る。
 短く書けたかな?

2001年08月18日(土) オトナの玩具はコドモ/『悪魔の手毬唄』(横溝正史・つのだじろう)ほか
2000年08月18日(金) 気が滅入る話/『明日があるさ』(林原めぐみ)ほか


2002年08月17日(土) しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん/アニメ『プリンセスチュチュ』第1話/映画『ピンポン』

 排水溝が詰まったせいか、クーラーから水がシトシト垂れ始めた。
 3、4年前にもそんなことがあって、そのときは電器屋さんに来てもらって、掃除機でゴミを吸い取ってもらったのである。
 要領は解っているので、今度は自分でゴミを吸い出しゃいいや、と思って、しげに「掃除機出して」と頼む。
 「掃除機あるけど、困っとうっちゃ」
 「何が」
 「本体はあるけどホースがないと」
 「……なんで?」
 「さあ?」
 「さあじゃないだろ、使って片付けたの自分なんだから思い出せよ」
 掃除機の在り処はしげの頼りない記憶を頼みにするしかないが(矛盾した表現だよなあ)、問題は滴り落ちる水である。
 洗面所からバケツを持ってきて、滴りの下に置く。
 ……なんだかこういう光景、昭和初期の日本映画でよく見たなあ。マンガでも40年代頃まではこんな絵がよく出て来てたものだったけど、ありゃ雨漏りだったな。現実の雨漏りを経験したことはもう三十年以上も昔だ。なんだか懐かしいなあ……って懐かしがってどうする。
 バケツを置いても結構な高さがあるので、飛沫が撥ねて絨毯はやっぱり湿ってしまう。それで絨毯の上にバスタオルを敷いて、その上にバケツを置く。バケツはほぼ6、7時間ほどで一杯になる。水をベランダに流そうとして、手がすべる。バスタオルも絨毯も水浸し。
 なにやってんだろうなあ、オレ。


 昼間、しげの白髪を抜きながらCSキッズステーションオリジナル制作アニメ第3弾、『プリンセスチュチュ 卵の章』1.AKT「あひると王子さま」を見る。
 『セーラームーン』『魔法使いTai!』のスタッフが再結集、という触れ込みだが、より原案・キャラデザインの伊藤郁子色を前面に出したって印象。佐藤順一監督はサポートに回ったって感じだね。
 『Tai!』も相当ヘンなアニメだったけれど(なぜナルト?)、それがマトモに見えるくらいヘンなアニメにしあがってるよ。

 一見、ごくフツーの人がごくフツーに生活してるように見える街、金冠町。
 そこにバレエを初め、芸術を教える金冠学園という、大きな学校がある。
 ヒロインの女の子の名前はあひる。
 ドジでノロマだけれど、プリマを目指して、初級クラスに通っている。
 なぜかクラスの先生は猫。でもどうやらそれがこの「世界」では普通のことらしい。
 「世界」?
 そう、この世界はどうやら不思議な世界。
 昔々、悪いオオガラスと戦って、そのときに受けたキズがもとで心をなくしてしまった王子様の、心のカケラが散らばって、どこかに眠っている世界。
 あひるもホントは、ホンモノのあひるなのだ。
 ある日、水辺で悲しみに沈みながら踊る美しい王子様を見て、「この人を助けたい」と思った。
 そこに現れた謎のお爺さん、ドロッセルマイヤー。
 「王子様の心を取り戻すために、プリンセスチュチュになるかい?」
 と、無気味に笑う。
 王子様は今、「みゅうと」という名前になって金冠学園にいる。あひるは言う。「王子様を救えるなら、死んでもいい」。
 そして、契約はなされたのだ。

 うーむ、こりゃ、伊藤&佐藤版の『少女革命ウテナ』だね。
 え? そんなに妖しいのかって? 妖しいですよぉ(* ̄∇ ̄*)。
 なんたって、「心をなくした王子様を助けるお姫様」の話なんですから。

 巣立ちを迎えたヒナ鳥が屋根から飛び立とうとしている。
 みゅうとは、それを窓から身を乗り出してぼんやり見つめている。
 寝起きなのか、彼は裸の上にシャツ一枚。
 風にシャツの端がはためいて見えそうだ(何が)。
 その風に煽られたか、ヒナ鳥はバランスを崩して落ちる。
 みゅうとは思わず窓から飛び出す。
 心をなくしているから、自分の命の危険すら分らないのだ。
 ドロッセルマイヤーの声があひるの心に響く。
 「このままだと王子様が死んじゃうよ」
 そのとき、あひるのペンダントが光る。
 あひるの姿がまばゆいばかりの光に包まれ、プリンセスチュチュに。
 音楽が鳴り響く。あの曲は。
 「花のワルツ!」
 校庭一面に広がる、花、花、花。
 その花の中に落ちるみゅうと。
 こうして、あひるは王子様を助けた。
 けれどドロッセルマイヤーの不気味な声が再び聞こえてくる。
 「でも、お前はただのあひるなんだよ」
 そう、あひるは、本物のあひるになっていた。

 うわあ、なんだか女の子の願望を突き放すような冷たいアニメだなあ。
 御伽話のお姫様は、普通、王子様に救われるのを待っているものだ。
 『少女革命ウテナ』では、お姫様を助ける王子様がいないから、お姫様が王子様になろうとした。「でもいいの? それで」と突っ込まれながら。
 本作では既にお姫様自体、救われる側にいない。王子様の方が、お姫様が来るのを待っているのである。
 けれど、お姫様は実はただのあひる。みにくいあひるの子。だからこそ「お姫様」のつもりになって、自分が助けられる夢に浸っていたかったのに、気がついたら自分が王子様を救う側に回らなきゃならなくなっていたのだ。
 え〜、女性の方にケンカ売るような解説になっちゃいますが、要するに女性の客観的な価値って、美貌と若さしかないって話なんですよ。それがあるからこそ、それにすがって、女の子は王子様を「待って」いられた。けれどアナタに美貌も若さもなかったらどうします? ただのあひるだったら。「王子様を救う」って新たな価値を持つしかないんですよ。自分をプリンセスだと信じて。
 どうですか? アナタに王子様は救えますか?
 久しぶりに毎週がタノシミなアニメが出てきました♪ CSに入ってる人はぜひ見てみましょう。


 博多駅でよしひと嬢と待ち合わせ、シネリーブル博多駅で映画『ピンポン』を鑑賞。
 松本大洋の原作は読んだことがないので、虚心坦懐に見ることが出来たんだけど、映画として多少メリハリがない点や、マンガチックな表現が足引っ張ってる点はあるものの、全体的には悪くない。

 マンガと映画の表現は、ムカシムカシ、それこそ天と地ほども違っていた。
 手塚治虫の例を引くのは今更だが、まずはマンガ側が積極的にクローズアップやカットバックなどの映画技術をマンガ的表現に組み替えていったのが戦後のこと。70年代あたりになると、マンガ的カリカチュアを映画も取り入れるようになり、双方の「乗り入れ」が頻繁になっていく。もちろんマンガを映画にそのまま持ち込むわけにはいかず、そこにはやはり「映画的処理」というものが必要になるのだが、それはある意味、原作の否定にもなる。そこが原作ファン、映画ファンとの間に確執を生むことにもなった。問題はなかなかに難しい。
 具体的に言えば『ブラック・ジャック』の映画化である。大林宣彦の『瞳の中の訪問者』には宍戸錠のブラック・ジャックが、あのツギハギの顔、半白髪に黒マントという姿で登場したが、当然、リアリティのカケラも感じられないヒドイ出来だった。常識的に考えるならせいぜい頬のキズ程度に留めておくのが賢明だろう。しかし、それが手塚治虫のブラック・ジャックではないことは明らかである。
 葉っぱをくわえてない『ドカベン』の岩鬼正美、「ちょんわちょんわ」をやらない『花の応援団』の青田赤道なんて意味がないことはわかるが、原作どおりのスタイル、行動を実体を持った人間にやらせれば、結果的には失笑もの、あのテイタラクになってしまうのだ。これだからマンガの映像化は難しい。だからたまに「原作から抜け出たような」イメージの映像化に出会うと、我々は狂喜したものなのである。木の内みどりの水原勇気はよかったなあ(* ̄∇ ̄*)。薬師丸ひろ子の山葉圭や、宇佐美ゆかりの若松みゆきも。なんか単にかわいい女の子ならどれでもいいみたいだが。

 『ピンポン』の話に戻そう。
 原作を読んでいないだけに、逆にこのへんはマンガの表現そのまんまだなあ、とか、ここはマンガを映画的に改変したんじゃないか、というところがかえって目につく。
 もともと、キャラクターにペコ、スマイル、アクマ、チャイナ、ドラゴンなどとニックネームをつけるのは1、2時間という短い時間でキャラクターを印象付けるための映画的手法である(もともとは短編小説の手法。長編だと主人公は逆に名前を変え職業を変え、という場合が東西を問わず圧倒的に多い。ジャン・バルジャン=マドレーヌとかね)。長編で仇名を使うと、これ、かえってキャラクターが無個性化かつ匿名化するんだよね。マンガ長編でこの手を使った松本大洋がどれだけこのことを意識したかは分らないけれど、恐らく、マンガは「妙な違和感」を内包してしまったのじゃなかろうか。
 ペコにだって本名はあるはずだ。マンガの中で彼がどれだけ本名で呼ばれるかは知らないが、しかしペコと仇名をつけられれば、ペコはペコ以上のものでも以下のものでもなくなる。ペコでない時間を過ごすときもあるはずなのに、読者は彼をペコとしてしか認識しない。これは作者にとっては不利なはずなのだ。それを松本大洋が押し通して長編をものにしたとすれば、さて、マンガのほうはどんな展開になっているのか、気になるところだ。
 映画のほうは2時間しかないから、そういう「違和感」はほとんど存在しない。ペコにも星野裕という本名があるのだが、彼は常にスマイルの目を通して見つめられる構造になっているので、終始ペコとして機能している。スマイルやアクマには、まだ、スマイルやアクマでない時間も描かれているのだが、ペコだけは特別なのだ。まさしくペコは、子供のころもスランプのときも、映画の間ずっとペコであった。「『さん』くれろ」のセリフは「ペコ」の枕詞であり、まさしくこのセリフがペコを「映画」の主人公に仕立てている。マンガが取り入れた映画的手法が、本来の生まれ故郷である映画に戻っていったような印象だ。
 逆に、マンガチックな表現が違和感を生じさせているシーンの最たるものはバタフライジョーの背に生えた蝶の羽である。一見、映画的に見えるが実はリアルさに欠けるあの表現は、映画の整合性を考えればカットしてしかるべきであった。原作を読んでいるよしひと嬢に「あのシーン原作にもあるの?」と聞いたら頷いていたから、これがまさしくマンガを映画に移すときの困難さを克服できなかった実例だろう。
 これは映画オリジナルじゃないか、と踏んだのはオババだ。
 あんな艶っぽいキャラは松本大洋の原作にはとても登場しそうにないなあと思って、よしひと嬢に聞いて見たら、原作はホントにただのオババなデザインだそうな。この変更は正解で、奇しくも映画とマンガとでは「婆さん」の持つ記号の意味の違いを表している。
 マンガだと「婆さん」はどのマンガでも地位を確立していて、「仙人」であったり「マスター」であることの記号をデザイン段階から持ち得ている。『らんま1/2』のシャンプーの婆ちゃんなんかがいい例だ。それに対し、映画では婆さんは何かを付け加えない限り、どうしたってただの婆さんにしかならない。北林谷栄も三戸部スエも丹阿弥谷津子も千石規子も野村道子もみんな普通のお婆ちゃん。日本のお婆ちゃんで普通でない婆あを演じたのは、『紅孔雀』で黒刀自を演じた毛利菊枝さんとか、『大盗賊』で地獄谷の婆を演じた天本英世さんくらいのものかも(^o^)。原泉も確かなんかの魔女演じてたような。
 つまり、オババを市原悦子や泉ピン子が演じてもインパクトがないのだ。夏木マリを配役し、艶っぽさを加えたことによって、彼女に関わるペコやバタフライジョーにまでその「魔力」が伝播する。夏木マリがかつて憧れた男だからこそ、竹中直人は竹中直人なのにカッコよく見えるし、ペコの復活にも説得力が生まれるのである。
 彼女をオババと呼んだのはペコたちだろう。この呼称はまさしく「魔女」としての「オババ」である。だとすれば、そのキャスティングに関しては、マンガの絵面よりも、「魔女」を演じることのできる俳優は誰か、という視点で選ぶのが当然の帰結だ。「マンガのイメージと違う」ということで、夏木マリを否定するなら、映画の見方をまるで知らないと排斥されても仕方なかろう。
 だから、頬擦りされるなら市原悦子と夏木マリのどっちがいいですかって話で(^o^)。こういう姐さんに「愛してるぜ」と言われたら死んでも悔いはないですよ、ホント。


 よしひと嬢の希望で「五風」で食事。
 真っ先にタコワサビを頼むよしひと嬢。しげは辛くて食べられないが、こういうところでオトナとコドモの差が出るな。
 刺身、テンプラ、焼肉と三人で食いまくる。おかげで昨日取り戻した税金が一気に吹っ飛ぶ。しげ、少しは手出ししろよな。

 帰宅して、DVD『ミニパト』や『ラ・ハッスルきのこショー』『パパ・センプリチータ』など、よしひと嬢に見せてなかったモノを連続してかける。
 『ミニパト』は押井守&榊原良子ファンのよしひと嬢には痛く楽しんでもらえたよう。一心に画面に食い入る様子を見てると、オタクの血がうずいてきて、ついつい聞かれもしないことをトウトウと喋る。
 「今のとこ、セリフが飛んだでしょ? 実は押井さんの脚本、カットされてるんだよ。何しろ押井さん、メカデザインの○○○さんが大っ嫌いでさ、そのことまんま脚本に書いちゃったもんだから、監督の神山さんが削ったんだって」
 オタクがモテないのはこういうところなんだよなあ。なのに、イヤそうな顔一つしないで、ニコニコ聞いてるんだから、全く、よしひと嬢も心が広い。でも内心では実は、「ウゼェよこのオタク」とか思ってんじゃないかなあ(^_^;)。
 今朝見たばかりの『プリンセスチュチュ』も録画しといたのを見せたら好評。やっぱり猫先生が可愛いみたいだね。みゅうとがシャツ一枚で鳥を助けようと身を空へ投げ出すシーンで、思わず「か、『風と木の詩』!」と叫んでいたのは内緒にしておいてあげよう(^o^)。
 そうこうしているうちに深夜。
 しげは「まだ『カタクリ家の幸福』見せてない」と不満気であったが、よしひと嬢がダウン。なんだかウチに来るたびにビデオ責めにされてるような気がするが、これも我々夫婦に関わってしまった不運と思って諦めて頂きたい。勝手ですみません。

2001年08月17日(金) 代打日記
2000年08月17日(木) 明日から仕事/『夜刀の神つかい』(奥瀬サキ・志水アキ)ほか


2002年08月16日(金) ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか

 夜中にしげの寝部屋で平積みにしていた本がなだれを起こしたらしい。
 何となくしげの悲鳴を聞いた気はしたが、特に助けを求められなかったので、そのまま寝る。睡眠時間はできるだけ確保しておかなければ、カラダが持たん。

 今日は午前中だけ仕事。
 おかげでしげは昼日中に迎えに来なければならず、数時間しか眠れずイライラしている。けれど、昼のうちに片付けなきゃなんない用事があったんで、多少の無理は承知で、しげにがんばってもらうしか仕方がなかったのだ。
 というのは、役所の手違いで、固定資産税が二重に引き落とされて、マジで金欠病に陥ってしまっているのだ。このン万円を取り戻さねば、今月、給料日までの日々を暮らしていけない。
 一週間ほど前に役所に電話連絡して、銀行振込を頼んでいたのだが、役所仕事が迅速なわけもなく、未だに入金がないのである。と言うわけで、区役所に直談判に行くために仕事を半日、休みを取ったのである。
 役所の駐車場にしげを待たせて、窓口まで行くと、やたら書類を書かされて、20分ほどかかって、やっとお金を返してもらえる。しかし、役所のねーちゃん、一見物腰が柔らかいんだけれど、「すみませんでした」の一言もないのな。さすが公務員、よく教育されてるじゃないの(--#)。

 その足でキャナルシティを回り、盗まれたしげの手帳などを物色。気に入ったものがなかったらしく、しげまた落胆。
 いつもの食事をどうしようか、という相談、「ジョイフル」にドリンクバーが出来たというしげの言葉を信じて、家の近所の店に行ってみたが、ドリンクバーなんて影も形もない。どうやら店舗によって設置の時期にズレがあるらしい。

 ドリンクバーを諦めきれないしげ、夜もまた、別店舗の「ジョイフル」まで足を伸ばす。
 こちらはドリンクバーがありはしたのだが、なぜか偶然、知り合いが大挙して食事に来ていて、話し掛けられてうるさかったのだった。私はそういうときでも適当に相槌打ってその場を取り繕えるのだが、問題なのはしげである。しげは私の知り合いでも面識がないと挨拶一つ出来ない。挨拶を促しても、ムッツリして愛想がないこと夥しい。
 「奥さん、遠慮してるんだ」と、相手がかえって気を遣ってくれるのだが、それに対しても返事を返さない。しかたなく、私の方が「気後れしやすいんだよ」とフォローを入れるのだが、人付き合いという点を考えるとちょっと困りモノなのである。だからと言って、しげの対人恐怖症は年季が入っているので治る見込みがほとんどない。一旦知り合いになれば、人一倍お喋りもするのだが、ほんの少しでも心にワダカマリがあると、全く話せないのである。
 実は私の両親ともしげはマトモに話せなかった。声をかけられれば返事はできるのだが、自分から進んで声をかけるには、心の中で相当シミュレーションをしないと出来ないのだ。父には「猫かぶってるんだよ」と弁明しているが、そうではないことを父も感じているようである。
 いつぞやの某オフ会でも、見知らぬ人間に囲まれて気分が悪くなり、そのあと泣きじゃくっちゃったくらいである。これはもう、世間の人々にしげはそういうやつだと納得してもらうしかないのだ。

 冗談ではなく、しげの精神年齢は小学生並ですので、人見知りするのも許してやってください。で、しげと出会った方は、できれば声をたくさんかけるようにしてください。多分それでも失礼な態度をとっちゃうとは思いますが、しげはあなたがたのことを嫌っているわけではありません。適切な対応をしようと思うあまり、かえって何かドジを踏むんじゃないか、失敗するんじゃないかとプレッシャーを感じて身動きが取れなくなっているだけなのです。


 『キネマ旬報』8月下旬号。
 昔は映画のニュースって、ほとんど『キネ旬』に頼るしかなかったんだけれども、今やネットですぐに収集できるようになったので、記事がいささか古い印象を受ける。「角川大映」も、「『千と千尋』が赤いぞ」事件もとうの昔に知っちゃってる。だから今は、もっぱら見た映画の批評を読んで、自分の意見との違いなんかを確認するだけになってるんだよね、最近は。
 今回は『猫の恩返し』特集。森田宏幸監督のインタビュー、高橋望先輩が相当裏で動いたらしいことを暴露してくれている。高橋先輩、「みんなの意見をまとめると、どうもみんな柊さんの原作が好きで、少女漫画として映画にすることを期待してる」と森田監督に伝えたとの話だけれど、さて、ホントに意見をまとめたのかどうか。迷ってる森田監督に勢いを付けるためにハッタリかました可能性もあるぞ(ホントにちゃんとスタッフの意見を聞いてたんだったらごめんなさい)。
 『猫の恩返し』も、世間の評価は結構厳しいようだ。「宮崎アニメ」と比較して、「中身がない」とか抜かしてるバカ意見が多いけど、宮崎アニメに中身があったことなんてただの一度もないぞ。宮崎駿自身がそう言ってるんだからこれは間違いない(^^)。
 つまりは自分だけの妄想で映画見てるやつがどれだけ多いかってことだよな。もともとあの映画は「少女マンガ」というファンタジー、「成長する少女」なんて描くつもりはなかったってことだから、「少女の成長が描かれてない」とか「底が浅い」とか批判するのはお門違いなのである。
 興行収入はどうやら30億程度で終わりそうだが、『千と千尋』には遠く及ばないにしても、新人監督の作品としては充分なヒットだろう。ジブリブランドのおかげだろう、と皮肉るのは当たっていない。それならどうして『となりの山田くん』はコケたんだよ。映画をエンタテインメントとしてちゃんと作って、ちゃんと宣伝すれば、数字はついてくるんである。
 そして、映画を見る際にはこれが大事。エンタテインメントに「教訓」を期待しちゃいけないよ。これ鉄則。 


 マンガ、新沢基栄『フラッシュ!奇面組』1巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。
 『奇面組』の新作が21世紀に読めるとはなんという感慨。
 高校のときに友達の女の子と、「奇面組、番組にも勝っちゃったよ!」と手を取り合って喜んだ思い出(バスケ大会の時の話ですな)が懐かしい。そんなことやっとったのかと言われそうですがやっとったんです。すみません。
 こないだよしひと嬢、塩浦嬢に見せたらやっぱり懐かしがられた。てことは、よしひと嬢は小学生、塩浦嬢は幼稚園のころか? ヘタすりゃ塩浦嬢はアニメの再放送でしか知らないんじゃないか。

 懐かしいことは懐かしいのだけれど、驚くべきことは、その中身が、絵柄もギャグも、二十年前と全く変わってなかったってことだね。
 何しろこの1巻、中学生編からのやりなおしなのである。続編ではなくリメイク。確かにカンペキに完結しちゃったお話だから、そうするしかないか。「奇面フラッシュ」や「イカリコング」のギャグを、まったく何のアレンジもせずに繰り返してるこの変化のなさは、おそらく作者の「律儀さ」の表れだ。リメイクにアレンジは要らない、改作はかつての作品との間に矛盾を生み出すだけだ、と新沢さんは考えているのだろう。
 律儀さゆえにギャグとしては今一つ破天荒になりきれなかった欠点はあるのだけれど、かつて、その上品さは、「汚い絵のギャグマンガ」が『ジャンプ』や『マガジン』で幅を利かせていく中では、まるで清涼飲料水のような爽やかさすら感じさせていたのだ。『奇面組』にエッチギャグは絶対に出て来ない。それが読者に安心感を抱かせていたのだ。
 もっとも、個人的にはオトナになった零くんと唯ちゃんとのラブコメってのもちょっと見てみたなあ、という気がしないでもない。けれど、ほんの少しでも生々しく描いた途端に読者の総スカンを食らうことは眼に見えている。やっぱり、「リメイク」しかなかったってことなんだね。
 でも、昔と同じく、腕組や番組、御女組とか出しといて、骨組やルッ組はなぜ出さなかったのかな。婦組が出せないのは時代に合わなくなってるから解るけど。でも好きだつたんだよ、子役締ひろ(^。^)。今更だけど、どうして新沢さん、アキナやキョンキョンはパロってたのに松田聖子はやらなかったのかな。小松田せいとか聖田松子とでも名前つけりゃ作れたろうにねえ。もしかして嫌いだったのかも。……一部のファンにはブリッコってことで蛇蝎の如く嫌われてたからなあ、聖子。そういう事実も今は世間から忘れられてるかなあ。
 なんか話題がずれちゃったな(^_^;)。


 マンガ、野中英次『課長バカ一代ベストセレクション 子供用』/『魁!! クロマティ高校』1巻「黎明編」2巻「登校編」(講談社/マガジンKC・各410円)。
 しげがいきなりこんなもん買ってきました(^_^;)。
 そう言えば、『クロマティ』の連載第1回、『マガジン』で立ち読みしたときまた妙なのが始まったなあ、と思ったもんだったけど、まさかウチに置くことになるとはなあ。
 池上遼一の絵柄で会社ギャグ、ヤンキーギャグをやるってだけのマンガだけどさ、もうこの志の低さがすばらしいね。諷刺とか権威への挑戦とかそんなの全くなし。ただひたすらアホなだけ。話が進むにつれてもう、会社マンガかヤンキーマンガかってことすらどーでもよくなってくる。メカ沢ってなんなんだよ、もう。


 マンガ、川崎郷太原作・伊藤伸平漫画『突発大怪獣漫画 永遠のグレイス』(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。
 私が買うマンガで、しげが「どうしてつまんないのに買うの?」と文句をつける三大作家はあろひろしと伊藤伸平と小山田いくだと思うが、『課長バカ一代』買ってくるやつには言われたくないもんである。
 でもつまんないと言えば確かにつまんないんだよね、伊藤さん。オタクなのは作品の端々見てても解るんで、ついシンパシーを感じて本を買っちゃうんだけれど、オタクにも付き合って楽しそうな人と鬱陶しそうな人がいて、何となく後者のような気がするんだよなあ、伊藤さん。
 まず表紙が昭和29年版『ゴジラ』のポスターをそのまんまパロってんだけど、さて、イマドキこれをやらかすセンスをどう思うよ、って問題がまず一つある。パロにしては芸がないし、かと言って若い世代にゃ初代『ゴジラ』も見たことねえって人が多かろうから意味ないだろうし。知り合いや友達が表紙を見たとき、喜んでくれるとでも思ってるのかね、伊藤さんは。思ってんだろうな。困ったねえ。┐(~ー~;)┌
 タイトルの『永遠のグレイス』ってのも意味ありげだけれども、「エターナル・グレイス」ってのは「永遠の恵み=神の恵み」を表す言葉らしい。賛美歌にもそういう一節があるし、そういうタイトルや詩を含む曲を発表している歌手も複数いるようだ。原作の川崎郷太監督(すみません、『ウルトラマンティガ』見てなかったんで、どの程度の実力の方かとんと存じ上げませんです)が、このタイトルをどこから引用してきたのかは不明だけれども、作中に特にタイトルへの言及はないから、自由に解釈してくださいってことなんだろう。突然の怪獣の来襲を人々がどう受け入れるか、それもまた神の試練って解釈なのかね。……ちょっとありきたりではないかい?
 いや、基本アイデアは面白いのよ。あとがきマンガで川崎監督も描いてるけど、「60メートルの怪獣が出て来てもビル一つ離れたら見えない」「事件なんてニュースを見てなきゃ知らずにすんじゃう」という視点から、怪獣の破壊を尻目に自分たちのデートのことだけ考えてる待ち合わせカップルを主人公に、というのは実に映画的で面白いんだけどね。
 惜しむらくは、それを演出・表現する実力が伊藤さんには欠けていた、ということだろう。伊藤さんの描くキャラクターの最大の欠点は、好きなキャラの幅が極端に狭いということだ。性格の歪んだ美少女異星人ユニットとか、マシンガンぶちかます美少女テロリストとか、そういう性格破綻者を描かせたらすごく魅力的なんだけども、実は引き出しソレしかない(^_^;)。おかげで、フツーの女の子を主人公として描くことがとことん出来ないんだよねえ。
 主人公の麻美、しょっちゅう何か企んでるようなシニカルな表情を見せるけど、別に何も企んでない。つーか、ドラマの文脈から察するに何も考えてないはず。そんなキャラ、伊藤さんの引きだしにはないから、ついそういうチグハグな絵になっちゃうんだな。で、相方の緑坂だって、あそこまでアホで軽薄で外道なキャラに描くことはない。ドラマ上、緑坂は殺せないんだから、バカはバカでも、もちっと感情移入しやすいキャラにしないと、読者はキャラへの反発を「ドラマのつまんなさ」と勘違いしてしまう。そういう演出も伊藤さんには出来ない。多分、心の底からとことんああいう男が嫌いだからなんだろう。
 伊藤さんみたいなアニメ絵のなりそこないみたいな絵を描く人じゃなくて、もっと劇画チックな絵の人の方がこのドラマには合ってると思うんだけど、こういう共同作業って、縁だからねえ。この程度の出来に収まっちゃったのはいたし方ないことか。

2001年08月16日(木) 代打日記
2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか


2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一)

 なんだか疲れが溜まっていて、午前中はひたすら寝る。
 どうせパソコンはしげと穂稀嬢が占領してて、日記の更新もできないし。
 それに、できるだけ寝て暮らさないと、書きたいことが溜まって、日記の量がどんどん溜まるのだ(^_^;)。

 夕方、父と姉と合流して、食事。
 初め八仙閣に行くが、団体さんが来ていて30分待ちということで、十徳やに移る。その席で親戚の誰か(顔も知らん)が、今度結婚することを知らされる。
 「お前たちの結婚のとき、お祝い貰ったんだからお礼せんとな」
 「そんなん貰ったかいな?」
 「忘れとうとや!」
 しげにも聞いてみたが、私以上に記憶力のないしげが覚えているはずもない。
 父、本気で呆れているが、本当に貰ってたとしても、当時から私がお礼のことなんか考えてなかったことはまず間違いないと思われる。
 そういう贈答だの親戚づきあいだの無意味な儀礼が大っ嫌いだったから、結婚式だって入籍以来5年以上も挙げなかったんである。それを母が死んで、墓前に結婚写真を捧げたいからと父に懇願されて、形だけということで親戚も呼ばず神主も坊主も神父も呼ばずに、父の弟子たちだけを呼んで挙げたのが我々の結婚式ってやつだったのだ。
 その程度のもんだから、私も職場からの祝いの申し出は一切断っている。そんなんにお祝い送る方もどうかしてると思うがな。断るより先に親が受け取っちゃってんだから、どうしようもない。
 まあ、放たっときゃ、親が勝手に包んでお祝いとやらを送るだろう。父はしきりに「育て方を間違った」と嘆いていたが、こーゆー性格、小学校のころから変わってないんですが、アナタ三十年以上も気付かなかったんですか。
 しかしその貰ったっていうお祝い、いったいいくらで何に使ったのかな。

 そのあと、父がすっかり酔っ払ってたので、しげの車に乗せて、マンションまで送る。
 初めは「一人で自転車で帰る」と言い張ってた父だが、歩いているうちに、こりゃ無理だと自分で気付いたらしい。5年前なら意地でも一人で帰ってたところだろう。意地っ張りで頑固者の父も自分の肉体の衰えには逆らえなくなっている。
 しげの車に父が乗るのは初めてだが、特に怖がってる様子はない。
 盆送りの場所の川岸にも車で乗り付け。道幅狭いってのに、こういう迷惑なやつはウチだけかと思ったらほかにも車が2台ほど。全くエゴイストが増えたもんだ。
 去年まではみんな自転車で出かけてたんだよなあ。
 私ももう自転車で何10キロも飛ばす体力も元気もなくなってきてるから、これからだんだんとしげに頼りっきりになってくんだろう。私が定年になってもしげはまだ40代だから、しげが先にくたびれ果てることはないと思うけど、もしもしげに見捨てられたらって考えたら、自分で自分の処置は考えないといけなくなるよなあ。そろそろそういうことも射程距離に置いとかないといけないトシになっちゃったね。
 父は母を送りながら、「あまり、はよう呼ばんでね」と呟く。えらく生に執着してるようだが、残された姉が心配なんである。私の生活のことは父は全く心配してないのだが(心配のしがいがないともゆー)、姉はまだ一人だちしていない娘三人を育てていかねばならないのだ。父の後ろ盾なしにやっていけるものではない。

 父には、母の声が聞こえているのだろうか。
 夢にでも出てくるか、と聞いたら「全然」と答えられたことがある。
 かと思ったら、気配を感じたようなことを言うこともある。
 恐らく、全ては錯覚だ。
 私は時々、母に声をかける。返事は、心の中に直接「思い」の形で響く。
 たいてい、母は怒っているし、恨み言を言うこともある。父やしげへの私の対応が優しくないからだと言う。責められて嬉しいはずもないから、たまにしか声をかけない。母に声をかけるときは、私が本当に疲れているときだ。叱られると解っていても、つい、「どうしたらいい?」と呟いてしまう。母は無言で答える。無言の感覚が伝わってくるのだ。
 母の声は、私の罪悪感の現れだろう。
 母を仮構しなければ、私は、私自身の罪すら自覚できないほどに傲慢なのだろう。ホントに霊魂になっているのなら、祟ってくれてもいいんだが。
 こういうことを書くと、母の声が聞こえるのだ。
 「バカが」と一言。 

 母が意地悪でなければ、あと10年は父を呼んだりはしないだろう。
 頼むよ、お袋。


 帰宅して、CSファミリー劇場で『快傑ズバット』の第2話「炎の中の渡り鳥」。
 こういうタイトル付けといて、「渡り鳥シリーズは意識してない」とか言ってのけてるんだから、脚本の長坂秀佳、鉄面皮と言うか厚顔無知と言うか、人間見えちゃうよな。20年前の脚本に文句付けるのもどうかと思うが、まあ今はもっとひどくなってるから構うまい。武上純希がどんなにヒドイ脚本を書こうが、長坂秀佳にはかなわない。
 ブラックハート団の用心棒、居合切りの達人風流之介を演じるのは天本英世さん。各話悪役の中でも一番ギャラが高かったんじゃないかな。テロップでも一枚看板だったし。けれど、身長がすごく高い方なんで、宮内さんとの背丈の差を誤魔化すのにカメラが苦労してるね。若いころから猫背で演技させられることが多かったけれど、居合切りの達人って設定も、腰を低くさせるための方便って気がしないでもない。でも天本さんの代表作はやっぱり背筋をピンと伸ばしたキャラに限るんである。
 みどりとオサムの二人、第2話にして、はやくもいてもいなくてもいいキャラに成り下がっている。早川がブラックハート団に入るフリをするのも30分の短い枠の中ではほとんど無意味。いいよなあ、いくら手を抜いても脚本として扱ってもらえるってのは。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』5〜9巻(白泉社/花とゆめCOMICS・各410円)。
 途中で読むのをやめてた分を一気に読了。
 でも、まとめて読んでもあまり進展がないなあ。十二支なかなか全部揃わないし、慊人は思わせぶりな行動取るばっかりで、なかなか仕掛けてこないし。やたら回想シーンが入るとこも含めて、こんな展開どこかで見たなあ、と思ったら『ワンピース』だった(^_^;)。シリアスとギャグを適度にマゼコゼするあたりもね。人気がある理由もわかりはするが、なんだか今一つドラマの「幹」がないというか、盛り上がりに欠けてるよなあ。
 うおちゃん、はなちゃんの過去なんか、番外編で書きゃいいんであって、本編に差し挟んでも、ドラマの流れ中断させるだけだと思うけど、ファンの声に答えたんだろうね。あの二人、人気ありそうだし。
 はなちゃんとかあーやとか、コメディリリーフの役を果たすキャラって、ドラマツルギーから行けば狂言回し以上の働きさせちゃいけないんだけど、この作者、それを知っててワザと崩してるんじゃなくて、単に語り口がヘタなだけって感じだから、そのうちカベにぶち当たっちゃうんじゃないかなあ。
 それにしてもアニメはどこで結末つけたのかな。まだ9巻かけてもほとんど事件らしい事件起こってないんですけど。


 マンガ、田中圭一『田中圭一最低漫画全集 神罰』(イーストプレス・1049円)。
 この人のマンガを買うのって、『ドクター秩父山』以来だが(もう15年も経つのか)、こんなに絵柄が変わっていたとは(^o^)。
 いやね、『コミック伝説マガジン』に『グリンゴ』の後日譚を描いてた時点で、この人、手塚治虫の絵を随分本気で研究してるなあ、とは思ってたんだよ。だってねえ、普通、手塚治虫を模写しようと思ったらさ、『メトロポリス』や『来るべき世界』のころの描線か(スノウチサトルが描いてたね)、アニメ的に整理された『鉄腕アトム』後期のころの描線か、どちらかを選ぶ場合が圧倒的に多いんだよね。
 それを田中さん、ハッキリ手塚さんの表現力が落ちてきた80年代の線をベースにしてるんだよねえ。これがまた実によく似ているのよ。コイズミ首相の似顔絵にもよく表れてるけれど、田中さんは手塚さんの描線、デザイン能力を自家薬籠中のものとして、新しいキャラクターを作れる域にまで達しているのだ。これほどの能力、水木しげるの線をモノにした森野達弥と肩を並べるほどだ。
 本人の意図はどうあれ、結果としてこれはもうイヤガラセ以外の何物でもない。なんてったって、その内容ときたら、明確なパロディはほんの少し、ほとんどが単なるエロ・シモネタマンガを「手塚のキャラで描いた」だけのシロモノなんでねえ(^_^;)。
 装丁は『手塚治虫漫画全集』のまんまっつーか、ここまで似せてたら盗作と言われてもしかたないくらい。オビに踊ってる手塚るみ子の「ライオンキングは許せても田中圭一は許せません!」のコトバ、ちょっとマジ入ってないか(^o^)。
 いやまったく、手塚治虫を神様のように思ってる人にとっては、マジでこれ、噴飯ものではなかろうか。

 でもねー、これがねー、恐ろしいくらいに面白いのよ。いや、ギャグはつまんないんだ。ギャグだけを取り上げて説明したら、もうしょーもないというか、誰も笑わねーだろーってくらいにベタ。
 例えば、こんなギャグ。シスターが寿司屋を開いているが、海苔を切らしてしまう。主に祈ると、そこに中国皇帝が現れて、冠のてっぺんを剥ぐとそれが海苔。皇帝曰く、「だめだよ、きらしちゃ。」。
 ……面白い? これだけだと全然笑えないね。
 あるいはこんなの。
 愛するシモーヌが死ぬ。夫の脳裏に走馬灯のように浮かんでは消える彼女の思い出……。「あなたのいちもつを見ていると安心するの」「え!? 理由? あなたのいちもつが立派だったからよ」「よかった!あちこちケガしてるみたいだけどいちもつだけは無傷だわ!」「あなたのいちもつだけでいいの!! ほかになにもいらないわ!!」「あなたのいちもつのことで頭がいっぱいだから!」……。
 なんだか書き写してて人生が無意味に思えてきた(-_-;)。
 つまんないなー。とことんつまんないなー。
 これだけで笑えるという人がいたら、そいつのギャグセンスを私は思いっきり疑っちゃうぞ。

 けれど、これらの最低最悪なギャグが、カンペキな手塚治虫の絵で描かれるのですよ。これがどれだけすごいギャグだかおわかりいただけますでしょうか? え? 神様手塚をとことんコキ降ろしてるのが痛快だからだろうって?
 違います。
 何がすごいかって言うと、生前の手塚治虫のギャグセンスが、まさしく田中圭一と同レベルのどーしょーもないものだったからです! つまり、このマンガ、手塚治虫が描いたと言っても通用する作品になってるんですよ!
 あ、信じてませんね? でも、冷静になって考えてくださいな。ヒョウタンツギとかブクツギキュとか、あなた、ホントに面白いですか? ピノコのアッチョンブリケで笑った人いますか? 『新・鉄腕アトム』に出てくるロボット・アトラスなんて、おしっこ引っ掛けて敵を爆発させる仕組みになってるんですよ。これでギャグのつもりだったんですから、あの神様は。

 誰かをからかったり、バカにしたりすることを極端に嫌う人がいるが、悪口雑言には権威的なもの、抑圧的なもの、絶対的なものを相対化する作用もあるのである。手塚治虫を神棚に祭り上げて信奉するだけではその価値を冷静に判断することはできなくなるだろう。
 手塚治虫はいやらしい。手塚治虫はくだらない。だから面白い。田中圭一は絶妙の模写でそれを証明してくれているのだ。こうなったら『グリンゴ』だけじゃなくて『ネオ・ファウスト』も『ルードウィヒ・B』も『火の鳥 アトム編』も全部田中圭一に続きを描いてもらったらどうだ。全部エロにして(^o^)。
 ブラック・ジャックとロックが懸命になってギャルゲーの中の和登サンやサファイアやメルモを落とそうとしてる姿って、リアリティあるよな。手塚治虫がもしも生きてたら、ブラック・ジャックの新作で絶対に似たようなシーンを描いてたに違いない。なんたっていしかわじゅんと吾妻ひでおのキスシーンまで描いてた人なんだから。
 でも藤子・F・不二雄の模写は似てないぞ。永井豪はまあまあ。本宮ひろしと福本伸行は……まあいいか(^_^;)。


 DVD『パワーパフガールズ』をかけながら寝る。

2001年08月15日(水) 代打日記
2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか


2002年08月14日(水) 魔性の女/DVD『プカドン交響楽』/『藤子不二雄論』(米沢嘉博)ほか

 朝方、突然、穂稀嬢が訪問。
 と言っても当然しげに呼ばれて来たのだが、これまで劇団で上演して来た台本をHPにアップするための打ち込みに来たのだとか。
 「別にハカセ呼ばなくても、自分でやればいいじゃん」としげに言ったが、穂稀嬢、「私がやった方が速いからなんですよ」とのこと。
 なるほど、確かに穂稀嬢のタイピング、しげの2倍は早い。
 けれど、穂稀嬢の雑談もしげの2倍はうるさい(^_^;)。
 イヤな男とどうやったら別れられるかとか、その手のどーでもいー話題を振られると私は途端にサドになるので、プライバシー無視で突っ込みまくる。
 「前の別れた彼氏ってですね、私が映画館だと息苦しくて堪えられないって言ってるのにぃ、ムリヤリ連れてくんですよぉ」
 「男にしてみれば、好きな彼女と一緒に映画見たいって願望、あるんじゃないの? それくらい許してやりゃいいじゃん。で、何を見に行ったの?」
 「『千と千尋の神隠し』」
 「……あ〜、そりゃヤな男だ。自ら『私を振ってください』って言ってるようなもんだな」
 「仕方なく付き合ってあげたんですけどぉ、やっぱり気分が悪くなったら『俺と一緒はそんなにイヤか』って逆ギレされたんでぇ、別れ話切り出したらまたキレてぇ……」
 「思い込みの激しい男っているからな。そんな子供みたいな奴じゃ、未練がましくてなかなか別れてくれなかったろ」
 「練習中に呼び出されて、暴力振るわれたんですよぉ。それでもうこんなやつど〜でもい〜なって思って」
 「別れてよかったじゃん。でも、穂稀さん、男見る目ないんじゃない? そんなガキじゃなくて、もっとオトナな男を相手にしてりゃよかったのに」
 「その前の彼氏はずっと年上だったんですよぉ」
 「じゃあ、なんで別れたの」
 「だって、○○○○○○○○ですもの」
 「……あほかあ!」
 そういやそんなこと前にも言ってたっけ。ほかにも穂稀嬢、ここには書けないようなムチャクチャなことを言いまくる(^_^;)。アンタそりゃ、自分からトラブル呼びこんでるって。男に弄んで下さいって自ら言ってるようなもんだ。
 話を聞いてると笑えるのだが、その間、穂稀嬢の手は止まったままである。
 しかもこいつ、台本の漢字が読めなくてやたら引っかかる。
 「おまえ、学校で漢字ぐらい習わなかったのかよ」
 「成績はよかったんですよぉ」
 「ウソだろ? 全然漢字知らないじゃん」
 「そんなの、センセーのところに行って、『センセ〜、成績お願い♪』って息吹きかけてあげれば一発ですよぉ」
 一発って何が一発なんだよ。こいつホンマモンの外道だな。
 しかしこんなのに落とされる教師もいるってかよ。情けないと言うかだらしないというか世も末っつーか。
 タイピングがいくら速くても、お喋りでスピードが相殺されて、しげとたいして変わらん進行状況(-_-;)。ったく、何しに来たんだオマエ。

 そんなこんなで、しげと穂稀嬢と二人で2台のパソコンを占領されてしまったので、パソコンが全く使えない。盆休みの間こそ、日記を更新しようと思ったのになあ。

 結局私は二人のメシスタント。
 エビチリ玉を作ってやるが、穂稀嬢の食事のスピードがまたえらく遅い。何でも一食にいつも1時間以上かけないと食べられない難儀な体質らしい。そんなのに付き合うのってめんどくさいだけって気がするが、そこが可愛いと勘違いするバカ男も世の中にはいるんだろうなあ。
 エビチリ玉、しげには好評だったらしく、一人だけオカワリする。予想してたので一人分余計に作っておいたのだ。しげ、それもペロリと平らげ、更に3杯目を要求する。「もうないの?」
 「材料はあるけど、カニ玉だよ?」
 目を輝かせて頷くしげ。
 仕方なく、穂稀嬢を送って出て行っている間にかに玉メシを作る。これも好評でしげ、ペロリと食う。けど片づけや食器洗いは全くしないのだ。
 ああ、私も外道に引っかかったクチか(-_-;)。


 Hくんに貸してたDVD『ファンタジア2000』におまけ映像として『プカドン交響楽』が付いてたことに初めて気付く。実はこの作品自体、見たの初めてなんですわ。こんな超有名な作品なのになのに。すみません私が悪いんです、石を投げないで下さい。
 作画・監督は先日亡くなったばかりのウォード・キンボール。
 さすがディズニーの異端児だっただけあって、ほかのディズニー作品と一線を画してるね。どっちかというと、ハンナ=バーベラ、テックス・アヴェリーのナンセンスギャグに近いな。
 音楽の誕生を原始時代から辿るという、発想は『漫画大学』みたいなもの(たとえが古くてわかんねーって)。短編なので、あっという魔に終っちゃってやや物足りないが、途中、日本人が琴を鳴らすシーンがアニメートされてるんだけれど、その擬音がカタカナで表示されてるんだがこれが謎の文字で全く読めない。まさか神代文字?(^o^)


 アニメ『ヒカルの碁』第四十四局「起死回生」。
 ここは原作でも難しいところだったよなあ。
 ヒカルがプロになるのは間違いないところだから、和谷はどうしたって負けることが決まっちゃってる。その和谷を簡単に負けないように描くのが大変なんだよな。森下先生と和谷とのやりとりを挿入するのは悪い工夫じゃないけれど、効果は今一つ。
 結局、和谷には順当に負けてもらうことにして、どちらかと言うと、ヒカルが佐為と同等の力量を身につけつつある描写の方に力点を置いた描き方になったのは、多少「逃げ」の演出ではあるけれども仕方のないところか。


 米沢嘉博『藤子不二雄論 FとAの方程式』(河出書房新社・1890円)。
 しげが車の中に持ちこんで、日に焼けちゃったせいですっかり本が歪んでしまってる。本好きのクセに全然本を大事にしないんだよな、こいつ。

 文芸評論家の手すさびじゃなくて、独立したマンガ評論家として、マンガを見てきたという意味では、米沢さんはまさしくオーソリティーであると言えると思う。
 何と言っても、これまで断片的に書かれたことはあっても、総論としては未だに語られることのなかった、「藤子不二雄論」である。本書に関して言えば、米沢さん以外には書けなかったろうな、と思える記述も多い。
 しかしながら、たいへんな労作ではあっても、本書を傑作だと評価しにくいのは、結局、「藤子不二雄とはなんだったのか」という肝心な部分が、霧の中に包まれたままだからだ。米沢さんが「藤子不二雄」を通して語ろうとしていることがなんなのかも、読んでも読んでもいっこうに見えて来ない。

 藤子不二雄論、特に藤本弘氏の著作について評論がしにくいのは、その初期作品が現在ほとんど読めない状態にあるからである。かつて「全集」と銘打って刊行された中央公論社の「藤子不二雄ランド」は、301巻を数えながら、『海の王子以前の著作は『UTOPIA』を除いてほとんど収録されなかった。そこには藤本氏の「古い作品はもう今の読者には見せたくない」という強い意志があったという話である。
 その姿勢は徹底していて、小学館漫画賞を受賞した『すすめロボケット』や『てぶくろてっちゃん』まで単行本化はされていない。いくら私がトシヨリと言っても、これらの作品が連載されていたのは私が0歳のときであり、読みたくっても読めるものではない。九歳年上で、当然学年誌でそれらのマンガを読んでいたであろう米沢さんが羨ましい。
 しかし、デビュー当時からリアルタイムで藤子マンガを追いかけていたであろう米沢さんですら、二人の姿を捉えるのに幾度となく誤謬を犯している。安孫子氏の描線が独特であるのに対し、藤本氏の描線が模写を前提としたアニメ向きの線、などと評しているのはいったいどこに目をつけているのか。数限りなく作られたアニメ作品で、藤本氏の描線を忠実に再現出来たアニメはただの一本もない。藤子プロのアシスタントによって描かれた『ドラえもん』は数多いが、ドラえもんは何とかマネできても、人間キャラになれば全く他人の筆になっていることが歴然としている。単純でありながら模写を拒絶しているのは、まさに藤本氏の線がキャラクターの心理表現であるからだ。
 F+Aの藤子不二雄という巨人は、米沢さんの実績を以ってしても、論ずるに手に余る存在だったんだなあ、ということを感じざるをえない。
 二人はなぜコンビを解消したのか、それを二人の資質の違いが顕在化とたと捉えるのならシロウトでも出来る。膨大な紙数を費やしながら、その真実に迫ることが米沢さんにはできなかった。初期作品の復刻が行われれば、また新たな藤子不二雄論が語られるときも来るように思うが、代表作『オバケのQ太郎』すらつまらん差別問題で絶版になっている現在、それは望み薄のように思える。 

2001年08月14日(火) 代打日記
2000年08月14日(月) せっかくいい気分だったのに……/映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』ほか


2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪)

 盆は朝寝。
 昼過ぎ、広島に住んでる友人のHくんが里帰りして来たのを、博多駅まで迎えに行く。
 それからどこかに出かけたのかというとそうではなくて、なんとゴミタメよりも乱雑な我が家にご案内したのである(^_^;)。
 年に1、2回しか会えないのだから、そんなときくらい部屋を片付けておけばいいのに、もう引っ越し以外に本の整理はムリだと諦めちゃってるので、ぐちゃまらにとっ散らかってる部屋にそのまま招き入れてしまったのだ。全く、いい迷惑だったろうなあ、申し訳ない。
 「床に敷いてあるフトンは絨毯だと思ってくれ」
 と、いきなりムチャを言う。
 Hくん、笑って頷くが、これで友達をやめないんだから、彼も相変わらず心が広い。夫婦でケンカひとつしたことないってんだから、全く、世の中に善人ってのはいるものだね。
 いつも来てもらうたびに要らなくなった本なんかを頂いてるのだが、今日は大野安之の『That'Sイズミコ』全巻をくれる。……って、それ、持ってんだけど(^_^;)。
 お礼がわりにいつもDVDなんかを貸してるんだけど、何しろオタク系のものが圧倒的に多いので、お子さんと一緒に見られるものがほとんどない。
 「やっぱりオタク度強いのは、ウチじゃ見られないか?」
 「まあな」
 Hくんも以前は私以上にオタクだったんだけれども、美人で素敵な奥様と、かわいく聡明なお子さんができてからというもの、自分の趣味をほとんど犠牲にして、ご家族との生活を第一に考えているのだ。煩悩捨て去り難い私には、とてもマネの出来ないことである。
 結局、今回貸せたのは『パンダコパンダ』1本きり。正月までにもう少し健全なものを買っとかないとなあ(^o^)。
 あまり滅多に見る機会はなかろうと、『DAICONFILM版 帰って来たウルトラマン』を見せる。
 「これ見たことある?」
 「ないけどアレか? アンノヒデアキが素顔でウルトラマンやったとゆー」
 なんだ、知ってるじゃん(^_^;)。Hくんからオタクの血が消えたわけではないのだな。そのことは、武田信廣さんが出演した途端に彼が「のーてんきー!」と叫んだことで確認できたのであった(^o^)。まあ、簡単にやめられないからオタクなんだろうけれども。
 帰り際、部屋を一瞥したHくんから痛いツッコミ。
 「あそこに置いてある○○○○(エロゲーのタイトル)はいったい何だ?」
 「しげのだよ!」
 しげよ、頼むから目立つところにエロゲーの空箱並べるのはやめてくれ。私が全部やってると疑われるじゃないか(T.T)。

 Hくんを再び駅までお送りしたあと、最近できたばかりのアジアンレストラン「バーミヤン」で食事。
 味はまあまあってとこだが、単品が安いのがなかなかいい。
 私はカレービーフン、しげはタンタン麺。だったんだけれども、辛いと言って私のと交換させられる。あと、エビマヨネーズを二人で分けるが、私が二個食べてるうちに、気がついたら残り5個くらいあったのを全部食われた。いくら好物だからって、一言くらいあってもいいんじゃないか。


 夕方、父のマンションで迎え火。
 小さな庭の、土の上で火を焚く。風が少しあって、下火に使った新聞の燃えさしが吹き飛ばされるのをしげが慌てて追いかけるが追いつかない。火事になる心配はないと思うが。
 チラチラと燃える火を見ながら、父が呟く。
 「もう、最近はこんなことする人も少なくなったってな」
 死後の世界を信じるか信じないかは別として、こういうしきたりは忘れずに続けていきたい、というのが父の考え方だ。
 しきたりなんて全否定したい私とは180度逆なので、私のことを牽制したつもりなんだろう。ここで私が余計なことを言ったりした日には、盆だってのに母の墓前でケンカをすることになりかねない。オトナになって、黙ってウンウン頷く。
 「さあ、これでお母さんが来たたい」
 蝋燭に移した火を仏壇に捧げ、少し肩を落として仏壇を拝む父。後ろ頭はすっかりハゲだ。二十年後には私もこういう運命か(^_^;)。
 私としげも、父に続いて手を合わせる。父と私は数珠を使うが、しげは使わない。何か意図があるんだろうか。単にめんどくさいだけかもしれないが。
 ふと、位牌を見ると、母の戒名の字数が祖母のものより少ないことに気付く。葬式んときにケチったからかなあ(^。^)。さて、オヤジんときにはどうするか。母と字数が違うのも座りが悪い感じだし。
 私は戒名なんて要らないけれど、死んだあと勝手に変な名前つけられそうな気がするな。もっとも私がマトモに墓に入れたならって話だが。

 母は、しょっちゅう夢の中には来てるように思う。うっすらと、そんな気はしてるのだ。けれど、目が覚めたら忘れてることがほとんど。多分、私のいろんなドジに呆れてるんだろう。 
 父はもう食事をしていたとかで、火を焚いたらすぐに帰宅する。
 なんだか疲れが溜まってたので、そのまま寝る。


 マンガ、小花美穂『アンダンテ』2・3巻(完結/集英社/りぼんマスコットコミックス・各410円)。
 えーっと、お兄ちゃんは、血のつながった妹と、血のつながってない妹と、どっちを選ぶか迷って、血のつながってる妹を選びました。マル。
 って、いーのか? 『りぼん』にそんなマンガ載っけて。私はいいんだけど、世間の反響はいろいろあったんじゃないかなあ。わずか3巻で終わり(と言っても一年以上は連載してるけど)ってのも、もしかして、どこぞから批判があったせい? とか邪推したくなる。
 もっとも、前作の『こどものおもちゃ』でも、相当シリアスな設定持ちこんでたから、これくらいなんということもないのかも。
 けれど、本当の人間ドラマってのは、ここから始まるんだよね。
 恐らくはもう長くは生きられないだろうメルと兄の那都との最後の日々、更にメルを失ったあとの那都の生き方はどうなるのかとか、洲に押し倒されたあと茗はどうなっちゃうのかとか(^o^)。ヘタすりゃドロドロする直前でシメちゃったのが、少女マンガの限界ってことなのかなあ。


 マンガ、永井豪『魔王ダンテ 神略編』1巻(講談社/マガジンKCZ・550円)。
 永井豪がいったいいつからつまらなくなってしまったのか、ということを真剣に考えてしまうと、それはどうしても『デビルマン』を頂点として、答えるしかない。もちろんそののちも永井氏は『バイオレンスジャック』『手天童子』『凄ノ王』と力作を発表していくのだが、作者本人がどんなに精魂込めて描いていようが、読者にしてみれば、燃え尽きたあとの「残滓」にしか見えなかった。いや、『デビルマン』以前はたとえギャグマンガであろうが、永井氏の若さとエネルギーの爆発が見られていたのに、それ以後は気の抜けたサイダーのような、はっきり「愚作」としか言えない作品ばかりを乱発するようになってしまったのだ。
 それは『デビルマン』の原型たる『魔王ダンテ』のリメイク版であるこの『神略編』を読めば特に感じることである。オリジナル版でメドゥーサによって語られた侵略者としての「神=人間」の起源。1巻を費やしてそれを描きながら、それは物語でもマンガでも無く、ただの「説明」にしかなっていない。作者本人は語り口が上手くなっているつもりなようだが、実際にはどんどんヘタになっている。魔獣ゼノンとの戦いの後、メドゥーサの涙とともに語られたからこそ、かつての神略に読者は衝撃を受け、悪魔たちの戦いに感銘を受けもしたのだ。
 『マジンガー』や『キューティーハニー』のリメイクもそうだが、どうして永井豪は自作を貶めるような新作ばかり描くようになっちゃったのか。描線が死に、キャラクターに深みがなくなり、アイデアも陳腐、ドラマも作れない、どうにも見るに堪えない状況がもう何年続いているだろう。なのに、どうして誰も永井さんに「つまんねえよ」と言ってやらないのか。本当に永井さんは燃え尽きてしまったのか。
 思うに、完全にシリアスに転じてしまって後、永井さんのマンガからは「伸びやかさ」が消えていったのではないか。
 『ハレンチ学園』『キッカイくん』『あばしり一家』『馬子っこ金太』『まろ』『ズバ蛮』『ガクエン退屈男』『あにまるケダマン』『ドロロンえん魔くん』『スペオペ宙学』『イヤハヤ南友』『おいら女番』『けっこう仮面』『迷探偵イボ痔小五郎』、かつて驚嘆と歓喜に打ち震えつつ読み耽っていた一連の永井豪ギャグワールド。ギャグかと思えばシリアス、シリアスかと思えばギャグ、その縦横無尽な自由さこそが永井豪の真骨頂だった。しかし、今の永井氏のマンガにはそういった驚きが毫も見受けられない。
 今、永井豪は何かに縛られている。
 それは、永井氏自身、長年かかって自ら身に付けたと信じているマンガのテクニックだろう。けれど、コマ割り一つ取ってみても、永井氏の技術は昔より後退しているのである。もはや昔に戻ることが出来ないのはしかたがない。けれどせめて、自分の遺産を食いつぶすマネだけはもうしてほしくないのだ。
 このままだと、『デビルマン ハルマゲドン編』なんてのを、いつか永井さんが描き始めるんじゃないかと心配で心配で……。

2001年08月13日(月) 代打日記
2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)


2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか

 今日も謎の出張(^^)。
 全くたいして立派な仕事でもないってのに秘密にしなきゃならんってのも理不尽な話だ。でも、不思議なもので、こうやって職業をボカして書いてると、それはそれで知ってる人には面白く読めるらしいんである。「私だけが知っている」(また古いネタを……)って快感があるってことなんだろうか。
 けれど知らない人にはいったいどんな仕事してるように見えてるのかね、私は。そこんとこ聞いてみたい気もするけれど、当たっちゃったら困るしなあ。
 世間的に偏見の強い職業でもあるし、この日記書いてる私は、本職の立場を離れて自由に書いてるのだけれど、どうもそこんとこを誤解されることも多い。ネットで知りあった人と親しくなって、つい職業を言っちゃった途端、疎遠になっちゃったって経験もあるしな(^_^;)。全くどんな職業なんだか。

 帰りに博多駅を回って、紀伊國屋に寄ったら、ちょうど宮部みゆきの『理由』が文庫化されていた。しげがつい二、三日前に、「『理由』はまだ文庫になっとらんと?」と言ってたので、買おうかと思ったが、うっかりしげも買ってちゃマズイので、念のためしげに電話を入れる。
 けれど全く応答がないので、さては寝てるものと思って、安心して『理由』を購入。ところが、帰ったら、しげも昼間本屋に寄っていてちゃっかり買っていたのだった。
 「何で電話に出なかったんだよ」
 「だってヒョウジケンガイだったから」
 携帯の電池が切れていたので公衆電話でかけたんだが、あれって、ナンバーディスプレイだと「ヒョウジケンガイ」って出るのな。うーむ、この行き違いはどうしようもない。
 余った一冊はしかたがないからよしひと嬢にあげよう、ということになったが、こんなダブり分を通算したら、多分、これまでで万単位で損してるのだ。これって、すれちがいが多い夫婦ってことになるのかな。


 マンガ、内藤泰弘『トライガン・マキシマム』7巻(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。
 掲載誌の休刊で一回中断したときにはここまで続くとは思わなかったけれど、いよいよクライマックスが近いかな。ヴァッシュとナイブスがどうして別々の道を選択しなければならなかったのか、謎がようやく明かされていくんだけれど、ちょっと『エヴァンゲリオン』か『エイリアン4』っぽいな。
 考えてみたら、これも延々と続く『フランケンシュタイン』テーマの物語だったわけである。ある意味結末がわかりきっているこのテーマの物語に、なぜ人が惹かれ続けるのかってことも、考えていけば哲学的に面白い研究テーマになるんだろうな。私は面倒だからやらんが。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』巻之四(講談社/少年マガジン・コミックス・410円)。
 連載、最近は巻末ページに近くなってきてるけど、打ち切りになったりしないだろうかななあ。もっとも、今巻で通巻90巻になる連載が終わったからって、早過ぎるってことはないんだけれども。
 それでもこれが大長編の最終章だと考えれば、まだ敵のほんの一旦しか見えていないのに、尻切れトンボで終わってほしくはないなあと思う。もう一度復活してほしいキャラ、腐るほどいるぞ。個人的にはジェイソン(♀)が好きだったしなあ(そういうファンも滅多にいないと思うが)。
 コータローの父ちゃんだって出さないとね。

 今回新登場のいかにもヤラレ役なマール・スネーク、名前からして「大蛇丸」なわけだけれども、となるとあとは自雷也に綱手姫が出るのかね。自雷也はまんま「G・ライヤー」とかになりそうだよな。綱手姫は「プリンセス・ロープハンド」か?(^o^) ちょっとネーミングはも少し考えてほしいもんだけれども、未だに「シーノ・タッカー」の元ネタがわからない。誰か知らない?


 WOWOWで『エースをねらえ!』1〜4話の再放送。
 久方ぶりに見たけれど(最近そういうのが多いな)、よくお蝶夫人のキャラデザインなんかがからかわれるけれど、それ以前にセリフ回しがもう聞いてて恥ずかしくてしかたがない。当時ホントにこんな喋りかたしてた少女たちがいたのかね?
 大学時代、下宿先の学生が、私以外みんな、原作の『エース』にかぶれちゃって、アニメ版、劇場版を「原作の精神を全く解ってない」と憤慨してたが、いったい原作の『エース』にどんな思想があるというのか。私ゃ妄想しか読み取れなかったんだけれど。向上心も精神修養も、それが規範扱いされて人を縛れば宗教にしかならんと思うんだがねえ。


 夜中の3時頃、ペルセウス座流星群が北東の空に見えるとのニュース。
 あいにくの空模様なのだが、もしかしたら見えるかもしれない、と思い、仕事帰りのしげを誘って、須恵の岳城という山に向かう。
 街中では明る過ぎて見えないことは解りきっていたけれど、どの山に登れば条件がいいかは解らない。ニュースでは「雲が出ていますので、南の方に行かないと」と言ってたが、具体的な山の名前は言わなかった。
 岳城は南というより東にある。そこを選んだのは、そこなら道を知ってる、ということでしかない。
 山腹に公園があって、乗用車が何10台も並んでいる。てっきり我々と同じ空の観測に来たのかと思ったが、誰も外に出ていない。ただの駐車場がわりにしてるかと思ったが、側を通ると人が乗っているのである。
 ……こんなとこまで来てヤってんじゃねえよ(-_-;)。
 とてもこんなところで観測はできないので、行きつ戻りつ、山上の広場の側に車を停める。

 ずっと昔、中学生の頃、友達とみんなでキャンプをした。
 水を汲みに、山間の小道を歩いていて、ふと見上げたら、空一杯に天の川が広がっていた。
 そのころも目は悪かったが、まだ今よりはマシだった。どれくらい、そこで空を見上げていたろう。水を持って帰って、「どこまで行ってたんだよ!」と友達に叱られたから、結構な時間、ぼーっとしてたのだ。
 「もう、こんな星空は見られないかもしれない」
 そのとき、そう思ったのが、当たった。

 視力は年々衰えている。右目はときどき血管が切れるようになって、霞むことも多くなった。
 何年か前、同僚と雑談していて、「もう星を見ることもないかもって思いますよ」と言ったら、「まあ、そうでしょうね」と笑われたことがある。その同僚とは結構親しくしていたのだが、その一言がその人との絶縁の動機になった。思い返せば青臭い話なのだが、この人には「孤独」の意味ってのがわかんないんだよな、と悟ってしまったのだ。
 今日、星が本当に見えると思っていたわけではない。
 ただ、しげと一緒に星を見たことがなかったな、と思って、それで衝動的に行きたくなったのだ。
 
 暗い中、私は足元も見ずに広場に上がって行く。どうせ見たって見えないのだから同じことだ。しげの方が心配しているのか自分のほうが怖いのか、懐中電灯で私を照らしながら追って来る。
 「そんなん光らせてたら星も見えんよ」
 私の側に来て安心したのか、しげ、懐中電灯の光を消す。
 しばらく、流星雨が流れるという北の空を見た。
 しかし、山の上でも、平野の電気は空をそれとなく照らしている。雲間にチラチラと星が見えなくもないが、そこにもまたうっすらと雲が掛かってはいるのだろう。昔見た、あの星の群れには程遠い。
 しげが「何か流れた気はするけど、錯覚かも」と言う。
 しげの視力は1.0以上だろう。そんな錯覚すら私には見えない。
 もう、見えないな、と諦めたが、まだ帰るわけにはいかなかった。いつの間にか流れ出していた涙が乾いてくれないと困るからだ。
 「星が動いてない?」
 としげがバカなことを言う。
 「星は動かねえよ」
 と答える。
 「目がおかしいのかな、ほんとに星が動いて見えるんだよ」
 多分、雲が動いているので相対的にそう見えているのだろう。
 夜目に慣れて、何となく足元も見えるようになってきた。
 10分か、20分か、そこにいた。
 そして、帰った。

 多分、またいつかしげを誘って、星を見にいく。そのときも見えないかもしれないけれど、それでも見にいく。
 付き合わされるしげには迷惑かもしれないが、せっかく夫婦になったのだから、これくらいのワガママは許してもらいたい。

2001年08月12日(日) 代打日記
2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか


2002年08月11日(日) 島田賢志君、元気?(読んでねえって)/DVD『∀ガンダム�供〃邯�蝶』/『キカイダー大全』(岩佐陽一編)ほか

 今日もまた出張。
 車で送ってもらおうと思ってたのだけれども、しげ、めんどくさがる。
 『外、暗いよ。雨も降りそうだから送ってくれん?」
 「雨、降ってないよ。電車の方が絶対速いから行って来なよ」
 「電車は途中までじゃん。現地までの足がないし」
 「乗り換えのバスがあるよ。ちゃんと知ってるもん」
 しげの言葉を信用して、電車で現地に向かうが、駅を降りてみると乗り換えのバスなんてない。しかも雨も降り出した。しげの適当なウソに騙されたのだ。
 遅刻するわけにはいかないので、タクシーを拾う。この分のタクシー代はしげに請求してやるぞ。

 帰りにバス停で偶然、知り合いの女の子たちに出会う。
 「こんなとこで何してるんですか?」と驚かれるが、確かに、ここは「こんなところ」だ。仕事がらみなんで具体的には書けないんだが、普通、私のような職業の者がいる場所ではない。案の定「仕事で」と言うと目を丸くされる。
 すぐバスに乗らなきゃならなかったんで、たいして会話もしなかったが、実は知り合いと言っても顔をあまり覚えていなかっので助かったのである。ただでさえもの覚えが悪い上に、人の顔があまり見えてないせいなんだが、相手は覚えられてないとわかったら気を悪くするだろうなあ。すまんこってす。
 いや、努力はしてるんですけれどもね。若い女の子って、このトシになるとみんな同じに見えちゃうんでねえ。
 あの、道端で私と出会って無視された経験のある方、私、単に相手の顔が見えてだけなんで、許してくださいね。声かけられたらわかりますから。


 昨日に引き続きDVD『∀ガンダム�供〃邯�蝶』。
 宇宙編に入ると途端につまんなくなるんだよな、これが。と言っても、テレビシリーズ初期の演出が素晴らしかったんで、反作用的に後半のキャラクターのウスさが目につくってことなんだけど。
 テレビシリーズを見るのを途中でやめてたんで、この後半部分は実は今回が初見。だもんでテレビシリーズとの細かい比較は出来ないが、『地球光』と『月光蝶』との間には、相当カットがあるらしい。
 ディアナがいつの間にか埒されてるのは、映画版だけを見ていると確かに戸惑うのだけれど、不思議と説明不足じゃないか、という気が起こらない。やはり「勢い」の演出で見せてしまう点は評価しないとなあ。
 それにしても、どうして今回の敵方、バカばっかりなの?
 アグリッパ・メンテナー、一応オマエ黒幕だろう、ギム・ギンガナムみたいな
狂人と組んだら自分の身が危なくなるって気付けよ(-_-;)。「地球の重力に引かれて」云々のセリフも、「黒歴史」引きずってるしなー。思想に凝り固まったバカしか為政者にはなれないって皮肉のつもりか?
 こんな後半にステロタイプな悪役がゾロゾロ出てきちゃったっていうのは、キースを悪役にし損なった構成ミスじゃないかと思うがどうかね。石丸博也のちょっとおかまチックなアグリッパの声アテは好きだけどさ。
 テレビ放映終了時に論争となった「ディアナ様はラストで妊娠してたのかどうか」問題、いや、思い入れの激しいお方がネットでンなこと仰っていたのだけれども、富野さん、ロランとディアナを本気でそういう関係にしたいんだったら、もっと具体的な描写するよ。温かいスープと厚着だけでそう決めつけられたら、冬場の女は皆、妊娠してることになるがね(^_^;)。
 
 テレビ版のラストでちらっとだけ流れた「祭の音」、劇場版ではカット。ディアナ様のまどろみは、そのまま星空に沈んで行く。些細だけれどもテレビから劇場に移って、富野さんの心情に何か変化があったのかな。それがどんなものかはよく分らないんだけれども。


 夜、仕事から帰ってきたしげと食事に出かける。
 ふと、車の助手席から手を伸ばして、しげの肩に手を置くと、「うひょひょい!」と叫んで驚かれる。
 「……何、驚いてんだよ!」
 「だっていきなり手を置くやん! 誰か分からんでビックリするよ!」
 「誰かわからんって、オレ以外に誰がいるんだよ!」
 「誰かおったらって思うから怖いんやん!」
 「自分自身の妄想で勝手に怖がるな!」
 うーん、久しぶりにラブな雰囲気でも演出してやろうかと思ったのに、しげ相手ではムリなのであった。

 食事はガストで。
 そろそろまた金欠病が始まっているので、しげに奢ってもらう。となると高いメニューは選べない。スパゲティと目玉焼きハンバーグで千円以内。スパゲティもハンバーグもしげに分けてあげるので、これくらいの量ならなんとか納得してもらえる。自分がたかるときには二品も三品も頼んでデザートまでつけさせるのに、私に奢るときにはケチケチ値切るのである。これだから貧乏人は(以下自粛)。

 ガストのディスプレイ、以前はあった唐沢俊一さんの一行知識コーナー、消えてしまっている。利用者が少なかったのかなあ。準備期間が長かったわりには、実際の利用期間はえらく短かった気がする。
 仕方なくほかのコーナーを見たら、「夫婦の値段」を計るというのがあって、私はこういうのに目がない。試しにしげとやってみたら、「マイナス一億二百万円」と出た。千万の単位がないところが妙にリアルだ(^_^;)。
 どうやら、今日は我々、最悪に相性の悪いカップルらしい。さっきの「肩に手」が影響してるか? 以前、ジョイポリスで占ったときは「最高」だったんだけれど、やっぱりそのときそのときの気分で結果は違うもんである。


 マンガ、奥田ひとし『新天地無用!魎皇鬼』3巻(角川書店/角川コミックスドラゴンJr.・588円)。
 新シリーズになって、長編ばかりになっちゃったなあ。以前みたいなおバカな短編シリーズの方が好きだったんだけれども。
 鷲羽ちゃん中心の話になっちゃって、魎呼も阿重霞も影が薄くなったよなあ。ブラック鷲羽軍団との団体戦でも多分負けるだろうと思ったらその通りだったし(^_^;)。90年代版『うる星やつら』って雰囲気で始まったこのシリーズだけど、本来ヒロインになるべき魎呼・阿重霞より、砂沙美、鷲羽、美星の方に人気が偏っちゃったのが、ドラマを作りにくくした要因じゃないかなあ。ぶっちゃけた話、魎呼がラムで、阿重霞がしのぶなんだから、魎呼はもちっと露出度がないと、阿重霞との差異がハッキリしないんである。……じゃあ主役の天地はどうなるんだって話だけれども、天地があたるみたいに男の煩悩の塊になっちゃっても困るけど、品行方正で無個性すぎるのもちょっとね。そのへんも『天地無用』がオタク人気に留まっちゃった原因の一つかも。
 ブラック鷲羽改め多麻ちゃんの登場で、また新キャラ増えたけど(今更)、このネタ、新OVAシリーズには繁栄されるのかね。

 『天地』と言えば、これのテレビ版第1シリーズの動画を担当してた島田賢志君、昔の知り合いなんだけれど、最近ようやく原画に昇格したみたいだ。遅えよ(^_^;)。ビンボーしてるんじゃないかとは思うけど、アニメーターを辞めてなかったのはホントに立派だ。まだ三十歳にはなってないんだし、がんばって監督目指してほしいなあ。
 私信。よしひとさん、島田君は『アベノ橋魔法☆商店街』の10話の原画やってるので、その巻だけでも買ってあげてね(^^)。
 

 岩佐陽一編『キカイダー大全 人造人間キカイダー/キカイダー01の世界』(双葉社・2100円)。
 双葉社の大全シリーズはこの種のムックとしては資料的価値が高い方だが、以前に出た角川書店の『人造人間キカイダーTRIBUTE』の方が資料的に正確な部分も多く、そっちを参考にしておきながらどうしてウソ書いてるのかなって疑問に思う部分も多い。
 例えば「原作萬画は、原作者の石ノ森章太郎の筆で連載された」とか書いてるけど、石森さんは下書きを担当しただけで、実際には土山芳樹、細井雄二、山田ゴロが作画してたのは有名。そういうボカし方って、かえって石森さんを傷つけることになると思うんだけど、どうなんだろ。
 原作版登場時に名前のなかった服部半平の助手に、アニメ版に準拠して「猿飛悦子」って名前を記載するのも資料としてはどうかと思うけどなあ。……光明寺博士の名前、原作のときから「伝」だったっけ? 
 インタビューの類は充実。一人一人の思いが違っているのをつき合わせて見るのも、見方としては意地悪だけれど楽しい。ワルダーとビジンダーの恋など、平山亨プロデューサーや脚本の長坂秀佳は嬉々として語ってるのに、ジロー役の伴大介は、主役の池田駿介をないがしろにしてる、と怒ってる。
 どっちかと言えば、私は伴さんの意見に組したいところだな。路線変更と言えば聞こえはいいが、実質的にはテコ入れだ。元からギャグならともかく、途中からオチャラケになっちゃ、第1話から見てきたファンにとっては腹が立つのも当然だよ。もうビジンダーの「ムネのボタンをはずして!」だって、嗤うしかなかったし(すみません、私、志穂美悦子はそんなに好みじゃなかったんです)。ワルダーだって、いくらなんでもサムライロボットはねえだろと思ってたし。原作コミックでワルダーがただ単に「ミエ子の兄」と設定されてたのも、さすがにあれはない、と石森さんが考えたからじゃないかな。
 原作の精神に忠実に、と作られた新アニメシリーズが、「01編」に入って監督交代、ダイジェスト版になっちゃったのは残念でしかたがない。これで岡村天斎監督版のリメイクはまず作られなくなったってことだろうからなあ。アニメ版ワルダーも見たかったのに。

2001年08月11日(土) 代打日記
2000年08月11日(金) 小心者は女房に内緒で寿司が食えるか?/『冥王と獣のダンス』(上遠野浩平)ほか


2002年08月10日(土) 映画ファンってどこにいるの?/DVD『∀ガンダム�機|狼絽�』/『アフター0 著者再編集版』1・2巻(岡崎二郎)ほか

 具合が悪くてずっと寝る。
 書くことなくていいなあ(^^)。

 9日付の記事。
 イギリス映画研究所が1952年から10年に1度行っている「映画の史上ベストテン」を選ぶ投票で、オーソン・ウェルズ監督・脚本・主演のアメリカ映画『市民ケーン』(1941年)が、批評家と映画監督部門の両方でベストワンに選出。
 と言っても、前回の投票でも本作は1位で、アメリカや日本で行われる種々のベストテンでも1位を取りまくっているので、今更驚くことではない。
 驚くべきことは、テレビ放映やリバイバル上映が少ないせいか、この映画を見てるって人が意外に少ないことだろうな。スペクタクルシーンだけで繋いだ遊園地ムービーやお涙頂戴の人情ドラマだけが映画だと思ってる人には、映画のスタイル、語り口、演出ってのがどんなものなのか、どれだけの可能性を秘めているものなのか、まず『市民ケーン』を見たあとで考えてほしいもんである。
 私ゃもう「『シックスセンス』見て泣きましたぁ」とか、嬉々として喋ってるねーちゃんに愛想笑いするのもキツイんよ。ヽ(  ̄д ̄;)ノ ハラホレヒレハレー。

 日本映画では小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)が批評家選出部門の5位。黒澤明監督の『羅生門』(1950年)と『七人の侍』(1954年)が、監督選出部門の9位。溝口健二は落ちたか。少しずつ、過去の名匠も歴史の彼方に追いやられている感じだけれども、新しい監督がなかなか出てこないものねえ。現実問題として、このあとを継いでいるのは宮崎駿だけではないかね。
 その宮崎駿作品ですら初期作品まで見ている人は数少ない。ましてやオズ・クロサワ・ミゾグチの日本映画三羽烏の映画を一本も見てないなんて人間は、いいトシしたオトナでも腐るほどいるのだ。そう言えば、『東京物語』のリメイクドラマ、私は見ませんでしたが誰か見た人いますか。勝手に最低だろうと決めつけてたんですが(^_^;)。
 文科省も学習指導要領を改訂するヒマがあったら、主要教科に「映画・演劇」を新設しろよ。


 CSキッズステーションで『ガッチャマン』特集。
 『科学忍者隊ガッチャマン』『ガッチャマン�供戞悒�ッチャマンF』の各第1話に、OVA『GACCHAMAN』全三作を一挙放送。
 タツノコプロの作品については、ギャグ作品はまだしも、ヒーローには当時から今に至るまで思い入れはあまりない。だって設定もドラマもキャラクターもダサイし。リアルさとセンスがいつもチグハグだったんだよねえ。「科学忍者」と言えば、誰だって忍者の荒唐無稽なイメージをリアルに補強するもんだって思うじゃないの。それが「科学忍法火の鳥」だものなあ。リアルでもアニメチックでもなく、中途半端なんである。
 何より、世界の運命を託すのに、考えなしの熱血漢やニヒルぶりっこのバカをメンバーにしちゃいかんよなあ(^o^)。ほかに見るのがなかったから全作見てたけどさ、今見返すと旧作はイタイセリフが多過ぎる。何だかんだ言って、OVA版の見栄えが一番いいのは、アニメがやっぱり進歩してきてるってことなんだろうね。
 

 DVD『∀(ターンエー)ガンダム�機|狼絽�』。
 映画を見に行き損なってたんで、DVDで見る。テレビシリーズも途中で飽きちゃって見なくなってたしなあ。富野さんの悪いクセで、キャラクターの出し過ぎなんである。ご本人に引き出しがあるならともかく、結局は似たようなキャラクターばかりになっちゃうからねえ。

 かつての『ガンダム』シリーズの戦争の歴史が「黒歴史」として封印されているはるか未来。地球の文化・科学は中世のころにまで後退し、宇宙に取り残された月の民“ムーンレイス”は密かに地球への帰還を計画している。
 平和的に行われるはずだった地球と月の民の交渉は、月の軍隊“ディアナカウンター”の暴走によって、地球の自警軍“ミリシャ”との間で戦争状態を引き起こすことになった。
 月から試験的に地上のアメリア大陸に送られて来ていた少年、ロラン・セアックは、神殿に隠されていた黒歴史の遺産、∀ガンダムに偶然乗りこむことになり、同朋であるディアナカウンターと戦う羽目になる。
 紛争を解決すべく、アメリアに降り立った月の女王ディアナ・ソレル。彼女はそこで土地の有力者、ハイム家の長女、キエルが自分と瓜二つであることに気づき、入れ代わって地球のことを知ろうと考えるが……。

 再編集版はロランがガンダムに乗りこむまでを大胆にカット。まるで『ザブングルグラフィティ』(^o^)のように、要所要所のシーンをクリップのように繋いで一気に見せる。ロランを巡る物語はやや後方に下がり、地球とムーンベースとの交渉を縦軸に、キエルとディアナの入れ代わりを中心に物語は進む。いつの間にかキエルの正体がキースにバレていたりと、カットし過ぎてるところはあるものの、映画としてこの編集のしかたはまあ妥当なところだろう。戦闘シーンはもっとカットしてもよかったんじゃないか。ミリシャ側がモビルスーツの操縦に慣れてないために、モビルスーツのパイロット同士の会話がないのがいいやな。その分独り言は多いが。
 地球から発見されたのはモビルスーツだけではなく核兵器。この核兵器の記憶すら地球人は忘れていて、うっかり爆発させてしまうってのが、なんだか今の富野さんの「戦争論」的演出で(ファーストガンダムのどこに核兵器が登場してたよ)、いささか鼻につくけれど、パート2への引きとしてのこのラストはやはりツボを押さえてるなあ、と思わざるを得ない。
 演出家としての富野さん、嫌いなところもあるんだけれど、やはり今年見た映画のベストの中には入れなきゃいけないかなって思う。
 ロランが初め月に向かって吼えるところで「ユニバース!」と言ってるのは新録かな。なんかこの時代の流行語って設定らしいが、ちょっとセンスがはずれてるところがかえってリアルか(^o^)。


 マンガ、岡崎二郎『アフター0 著者再編集版』1・2巻(小学館/ビッグコミックスオーサーズセレクション・各530円)。
 旧版全部買ってるのに、未読短編のために買い直しやがな。
 一編や二編ならともかく、単行本1冊分くらい未収録短編があったってんだから、小学館もナニ考えてたんだか。読んでみるとほかの作品に比べて出来が悪いのが多いんで、編集部判断でカットしてたのかもしれないけれど。
 いや、「出来が悪い」と言っても、それは岡崎作品の中でのこと、全体的な作品レベル自体は極めて高く、岡崎さんがSF・ファンタジー・ミステリー短編の名手であることは間違いないことだ。

2001年08月10日(金) 代打日記
2000年08月10日(木) トマトの罠/『太陽がいっぱい(リプリー)』(パトリシア・ハイスミス)ほか


2002年08月09日(金) 文学を教養で語るな/劇場版『機動戦士ガンダム』四部作/『まんがサイエンス�次.蹈椒奪箸陵茲親察戞覆△気蠅茲靴箸�)ほか

 田中真紀子さんがあれだのこれだの、いろんなことの責任を取るとかで辞職しました。でも、こういう人はタレントの道が残されてるから辞めるのも気楽でいいやな。ホントに転向したらまた叩かれるだろうけれど。
 「辞めることが責任を取ることになるのか、まだ秘書給与の疑惑は解明されてないぞ」という批判はやっぱり出てるが、もし真紀子さんが「疑惑をはっきり解明するまでは辞めない」とでも言おうものなら、今度は「潔くない」と批判が出るに決まっているのだ。マスコミの勝手さ、と言うか、批判だけしてりゃそれで仕事が成り立つお気楽さ、無責任さ、まるでこの日記のようだ(^o^)。
 しかし、あれだけ世間の認知度の高い人だから、相当政治経験があるのかと思ったら、議員生活自体はたったの6年だったんだねえ。オヤジさんにくっついてた時期が長いから、いかにもキャリアがあるように錯覚するけれども、だいたいにおいてどんな職業でも、おえらいさんの後ろにくっついてるだけじゃ修行にも何にもならんのである。田中真紀子が今シドロモドロだからと言って、「幻滅した」などと勝手に落胆してるやつ、期待しすぎだったんじゃないのかね。


 長崎の原爆慰霊式典で、長崎市長が名指しでアメリカのテロ報復について批判。どうですかね、一年前、「テロは絶対に許せない、アメリカの報復を指示する」とか言ってたニワカ「平和主義者」のみなさん、長崎市長のコメント、批判しますかね?
 全く、一年前の状況と比べると世間の反応もガラリとかわったもんだよね。
 ブッシュ大統領の報復戦略は明らかにやりすぎってことにみんな気がついてきたんだろうけど、遅いよ(-_-;)。政治オンチはそれはそれで構わないんだけども、自分の意見が所詮はシロウト考えに過ぎないってことは自覚してなきゃなあ。
 もっとも、テロ事件の直後だったら、長崎市長だって「テロは許せない」とか、コメントしてた可能性は大だけど。やっぱり「結果」が出ないことには人間は事実を納得できないものなんである。けれど、その「結果」が出る以前に意見を述べると、それは「憶測」だって退けられちゃうのだよな。憶測もなにも、アメリカがこれまで何をしてきたか、記憶してないのか。
 「世界の警察」なんて妄想に囚われてる国に、必要以上にすり寄ってくのは結果的にワリ食うことになりかねんってこと、ちっとは考えようよ。


 体調を崩して、仕事休んで寝る。
 熱があるみたいだけど、何度なのかわからん。しげが看病してくれないのもいつもの通りだし。っつーか、こいつも昼過ぎまで寝てやがる。
 全く、気力はともかくカラダがついていかなくなってきたよ。
 おかげでこうして日記の更新はどんどん遅れていくのである(-_-;)。

 昼まで寝てたら、さすがに腹が減ってきたので、ロイヤルホストで食事。
 しげも、ずんだ氷を頼む。なんだか今年は私にもしげにもかき氷が流行しそう。してどうするかって気はするが。


 夜、テレビを見てると、テレビQで怪談特集の番組をやっていた(タイトルは忘れた)。
 漱石、鴎外、芥川といった作家たちがどうして怪談に関心を寄せていたのかって企画のものだったけれど、唐沢俊一さんが出演されてコメントしていたので、身を乗り出して見る。
 かつては人間の心の闇の部分を怪談を通して描いていたものが、私小説の流れに日本文学が傾いていったために失われていった、というのが大意。やや言葉足らずに思ったが、多分元のコメントはもっと長かったんだろう。

 日本文学がどうして読まれなくなっていったかってことは、原因はいろいろ複合的なものがあるので一言で言いきれるものではないけれど、根本にはやっぱり明治期の黒船コンプレックスと武士階級の選民意識があるよな、と思う。
 つまりは福沢諭吉を始祖とする「啓蒙」意識よ。文学を「アホなやつのアタマをよくする」ための「教養」と規定してることがそもそもの間違い。文学読んだって頭がよくなるものか。バカになるばかりであるってのは私のこの日記なんかを読んでいただければ納得してもらえないかね。
 で、「バカでいいじゃん、文学読んでる間は世間の道徳とか倫理とか現実のめんどくさいこと忘れてられるし」ってのが文学を読む一番の動機だったんだよね、江戸期までは。
 もちろんそのころも教養派の作家たちはいて、文学は女子供の読むべきものではない、と、ひたすら道徳だの倫理だのを語った作家たちもいたのだが、たとえばその代表のような曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』などは、明治になって教養派の坪内逍遥に「荒唐無稽でくだらん」と貶されるのである。で、逍遥の『一読三歎当世書生気質』は、「表面的な人間観察しかしてない」とまたぞろ教養派に貶されてるのだ(^_^;)。
 だから教養主義で文学を語ったって、「あんたまだ人間見えてないね」と批判されりゃそれで終わりなんである。そして、「人間が描けていない」という批判ほど言葉として無意味なものはないってことも、これでわかっちゃうんだよね。そもそも教養主義自体が人間を描く手段としては全く機能できないんだってこと、教養派のアタマのいい人たちはバカなので分かってないのだ。
 「説明」で小説は書けんよ。
 だから、今、馬琴だの逍遥だのを読むと、トンデモ本としてしか読めないんである。あのね、馬琴ってさ、本気で狐狸妖怪の類が実在するって信じてたやつなんだからね。日記に「双頭蛇が発見された!」とか書いてるやつだし。イマドキなら「ツチノコが発見された!」って喜んでるようなもんだね。そういうのを「啓蒙」のつもりで読本を何百冊と描き続けてった人なんである。教養がどれだけ役に立たないものか、いや、役に立たなければ立たないものこそ面白いという図式の法がよっぽど文学の本質を表してますよ。
 

 WOWOWで懐かしの劇場版『ガンダム』特集、『機動戦士ガンダム』『ガンダム�供^ダ鏤諒圈戞悒�ンダム�掘,瓩阿蠅△け�宙編』『逆襲のシャア』と続けて見る。
 新作カットがあるとは言え、テレビシリーズの編集版を映画として認めるべきかどうか、というのはいろいろ論議はされてるけれども、結局は出来がよけりゃいいんだよね。
 久しぶりに見返してみて、我々「一年戦争世代」(^o^)がファーストしか認めないってのは、単にオリジナルに対する拘りだけじゃないなということに気づいた。最初のころは、モビルスーツに乗ってるパイロット同士が会話するシチュエーションはほとんどなかった。ガンダムとグフの外壁が破壊されて、初めてアムロとランバ・ラルがお互いを認識する。まあ、そんな偶然があるかいってシーンだけれど、そういうムチャな展開にでもしない限り、パイロット同士は会話ができなかったのである。
 お互いを知らずに、でも戦う。でもそれが戦争ってもんだ。そういうところにリアルさを感じてたんだけどなあ。その「リアル」が一番明確な形で描かれたのが『0080 ポケットの中の戦争』だったんだけれど、クリスとバーニィが戦う必要がなかったってことも、クリスがバーニィを殺したってことも、知ってるのがアルだけってのがもう泣けて泣けて。『1st.ガンダム』へのオマージュとして最もそのエッセンスを表現出来てたのがこの『0080』だったと思うなあ。
 それがもう、後期になればなるほど、ニュータイプがどうのってやつのせいで、ただの観念論の会話劇になっちゃうし。『逆シャア』のセリフの「重み」のなさと言ったらもうどうしようもない。なんで頭でっかちの小学生の感情のぶつけ合いを延々と聞かされなきゃならんかね。
 「オトナなんて嫌いだァ!」
 はいそうですか。クェスは、もっと惨めに殺してほしかったなあ。
 ラストの尻切れトンボ感もすごいよねえ。ヒッチコックか。


 マンガ、あさりよしとお『まんがサイエンス�次.蹈椒奪箸陵茲親察戞奮惱�研究社/ノーラコミックス・820円)。
 ロボットは3巻で既に扱ったテーマだけれど、今回再度、というのは、それだけロボットの発達が日進月歩だからだろう。
 いやね、私も別に鉄腕アトムのように心を持ったロボットってのはファンタジーだなとは思うけれど、SONYのSDR−4Xみたいに踊ったり歌ったりしてるロボットを見ちゃうと、将来的にはもしや、と期待したくなるよ。
 ロボットを機能重視で、「ヒト型である必要はない」と断ずる人はいるけれど、ロボットに感情があるように錯覚したいのは人間の欲求だからね。だいたいテレパシーがない以上、人間同士だって、「相手に心があるもの」という錯覚の中で付き合っているのだ。
 形も表現も、人間に近いほうが嬉しいに決まっている。『�訥婆症寛濺后戮離疋献蹈椒奪箸鮓�なさい(^^)。もしもキミの彼女が実はロボットで、おなかに真空管の入れ替え口があったりしてナニのとき「見ないで……」とか言われたら萌えませんか? あ、それって『最終兵器彼女』か。


 マンガ、宇河弘樹『朝霧の巫女 平成稲生物怪録』1巻(少年画報社/ヤングキングコミックス・530円)。
 サブタイトルに惹かれてつい購入。
 1巻を読んだだけじゃ、もう腐るほど読んできた従来の妖怪退治ものとどこがどう違うんだってことだけれど、『鬼太郎』や『エンマくん』と違うのはこれが「専守防衛」の妖怪ものってところになるかね。『稲生物怪録』の作者の稲生平太郎も、ただウチにいたってだけだし。
 言い替えれば攻めてくる妖怪の方に動機が必要となってくるんだけれど、あまり因縁めいた展開になるのもありきたりだし、それこそ原典通り、「脅かしに来た」くらいで充分だと思うけど、どうもそうはならないみたいね。まあ3人姉妹の巫女さん姿が可愛いから飽きるまでは続きを買ってみよっと。

2001年08月09日(木) 代打日記
2000年08月09日(水) 姓は愚奈印、名は南公/映画『ジュブナイル』ほか


2002年08月08日(木) モラリストは読まないように(^_^;)/『軽井沢シンドロームSPROUT』1巻(たがみよしひさ)ほか

 朝のニュースで、『少年ジャンプ』に『世紀末リーダー伝 たけし!』を連載中の漫画家、島袋光年が女子高生を買春した容疑で逮捕されたとか。
 一応、まだ容疑の段階ではあるけれども、本人は正直に罪を認めたんだと。認めたからって罪が軽くなるわけではないが。知り合ったのは出会い系サイトという、なんだかもうお定まりのパターンだけれど、っつーことは、女子高生の方もモトモトその気だったってことだな。男の方が罪に問われて、女の方は未成年ってこともあってか被害者扱いってのはなんか不公平な気もするが、このヘン突き詰めて語ると怖いおねえさんが絡んでくるので止しとこう(^o^)。未成年と美女の犯罪には寛大な国だからね、ここは。
 『たけし』は読んでなかったので、あまりショックは受けなかったのだけれど、これは当然連載中止、単行本の出版も同様だろう。それどころか、島袋氏の漫画家復帰自体ありえなくなる可能性が大だ。
 作家や芸能人だと、人を殺しても刑期を終えてカムバック、という例がないではないが(箔が付くって見方すらある)、マンガ家だと同じ扱いは難しかろうからなあ。いや、私がマンガ家に偏見持ってるってんじゃなくて、過去の例から想定してるんだけどね。賭博や銃刀法違反なら、「禊」もありえようが、買春だとどうだろう。復活するとしても「実録漫画」の道しかありえないのではないか。
 少なくとも『ジャンプ』が拾ってあげないことは確実のように思う。ほかの少年誌もほぼムリだろう。サブカルチャーと言われてはいるものの、実質上、少年マンガの世界はコチコチの保守なのである。『ガロ』なら拾うか?
 なんだか随分先の話をしているようだが、本当に島袋氏にマンガ家としての実力があるなら、各出版社は「復帰」を前提としてこの事件を考えねばならないのではないか。道徳がどうの倫理がどうのは関係ない。島袋氏が真実「作家」であると考えるなら、逆に世間の道徳で彼の存在を縛ってはならないはずである。
 ……まあ、結局は島袋さんがホントに面白いマンガを描いてるかどうか(今後も描けるかどうか)がポイントになるんだけどもね。

 それはそれとして、今『少年ジャンプ』の発行部数って、毎週340万部なんだってね。一時期700万部に迫ってたころを考えると、半分に減ってるんだなあ、やっぱり。あれだけアニメ化攻勢を仕掛けていながら、これが限度なのか。つまんなくなっても、『ワンピース』が終われないわけだ。


 今日も昨日に引き続き、小倉に出張。特急で行こうか新幹線で行こうか迷ったが、たいして料金が変わらないことに気づいて、新幹線に乗ることにする。
 おかげでゆっくり朝寝ができました。
 実は出張とは言っても、寝ていても仕事がこなせてしまう種類のものなのだが(どんな仕事や)、どうも生真面目なタチで積極的に働いてしまう。ムダな仕事はしたくないが、調子に乗ると必要以上に仕事をしちゃうのだが、上司にしてみれば、こういう人間が一番使い勝手が悪いんだろうな。
 昼は、昨日と同じAIMでジャージャー麺を食べる。全体、味のわりに値段が高いぞ。

 仕事は4時ごろに片付く。
 せっかく北九州に来たんだから、と、よしひと嬢と塩浦嬢に、夕食でもご一緒に、と声をかけていたのだが、よしひと嬢の仕事が引けるまでまだ2時間ほどある。観光施設の類はもう閉まっているので、回れるところなんて本屋くらいしかない。
 商店街に入るなり、いきなり○○○○○人が○○していたが、全く小倉の治安は昔からちっとも変わってない。
 博多はなんだかんだ言って、アブない通りが区分けされてるからなあ。ヘタに入りこまなきゃ危険はないのだが、北九州はどこで誰にどんな目に合わされるかわからないところがあるんだよなあ。
 10年以上前、北九州に住んでたころ、小倉駅前でヤクザに絡まれたこともある。女の子連れだったので(妻ではないが怪しい仲でもない)、逃げるに逃げられず、ニコニコ笑って歓談して、みぞおちに一発入れられた程度で赦してもらった。痛くないふりをしたのがよかったのだろう。でもあんな目にはもう二度と会いたくない。

 駅前の商店街にヤバイ店がチラホラあるってこと自体、どうかと思うのだが、アニメ絵のキャラクターが看板になってる「メロンブックス」という本屋があったので覗いてみたらエロマンガ屋でした。店の名前で気づけよ、オレ。
 冷やかしで帰るのも悪いので、エロでないマンガを探して買い、慌てて外に出る。口直しに福家書店に行く。福岡も小倉も、福家だけはオタク少年のためのメッカである。福岡で探して見つからなかった『軽井沢シンドロームスプラウト』の1巻をめっけた。他にも何冊かマンガや小説を買いこみ、ロッテリアで時間を潰す。


 マンガ、竹本泉『ねこめ〜わく3』(宙出版・600円)。
 え〜、百合子様がろーにんになりました。新しくオスカ・ヨーリスがやってきて猫の世界の人間は二人になりました。……ってもう『ねこミックス』で読んじゃった話ばっかだから今更感想はないな。
 うん、ねこに軍隊はいらないねってことを再度確認。


 マンガ、たがみよしひさ『軽井沢シンドロームSPROUT(スプラウト)』1巻(秋田書店/ヤングチャンピオンコミックス・540円)。
 兄貴兄貴、薫平の野郎、メッシュ入れてますぜ(^_^;)。
 今、昔の『軽シン』読み返すと、もうカッコつけ過ぎててクサイばかりで、ようこんなんにハマッてたもんだなあと自分が情けなくなるのだが、多分、今この『スプラウト』(「芽」の意味だそうな)にハマる若い連中も、20年経って同じ思いをすることだろう。
 筋はまあ、なんつーか、もうバカな自己中のガクセイが、でもカッコだけつけてりゃ世間サマが許してくれるっていう内容の勝手なもの。
 18歳の相沢薫平くんは、腕っ節が強くてモテモテくんなので、葛西綾愛ちゃんというかわいい彼女がいるのですが、つい吉田芙美恵ちゃんという後輩の女の子とエッチしてしまいました。でも正直な薫平くんはそのことを綾愛ちゃんに告白するのでした。正直に喋ったので、綾愛ちゃんから嫌われずにすみました。よかったですね。
 ……あほ?
 昔と変わってねーよ。たがみさん(-_-;)。
 現実に「おれの運命やいかに?……てか」なんてキザったらしいセリフを口にしてたら、誰ぞにボコにされても文句は言えないと思うけれど、なんだか軽井沢が舞台だと別に構わないような気が昔はしてたんだよなあ。いや幻想幻想。けれどその幻想に乗せられて大学時代、仲間うちで軽井沢で合宿までしたんだよ、私。
 「ら・くか」にも行ったよ。「ピクシー」には行かなんだが(^_^;)。
 ううう、忘れたい過去って、私にもあったのだな。

 で、20年経っても「ら・くか」も「ピクシー」も潰れてねえ。そんでもって、耕平も絵里も全然老けてねえ。なのに薫と純生だけジジババになってやがる。たがみさん、キャラにエコヒイキしてないか?
 いや、そのヘンはまだいいのだ、ともかくどうしようもなくイタイのが、欄外の書き込み……。うわあ、あれだけ楽しかった書き込みがたかだか20年弱でこんなにイタイものになっちゃうとは……。
 ああ、しかし、このままいくと40歳の久美子にも出会わなきゃならんのだろうか。つらい。つらすぎる。
 

 待ち合わせ時間になったので、よしひと嬢に連絡を付けようとするが、携帯の番号が変わってて繋がらない。塩浦嬢の番号も変わっている。繋がらないだけならまだしも、どちらも謎の人に繋がる(^_^;)。
 こりゃ、向こうから連絡がなかったら、今日はこのまま帰るしかないか、と心配していたら、ようやくよしひと嬢から連絡あり。小倉駅の改札前で待ち合わせすることにする。
 7時ちょうどによしひと嬢到着。塩浦嬢に連絡を取ってもらったら、もうこちらに向かっているとのこと。暑い中、けっこうな時間待ち続けていたので、喉が乾いてたまらない。塩浦嬢が来るまでと、キオスクに飲み物を買いに行く。
 改札から少し離れたところにある階段を降りたところの売店でお茶を買って飲む。戻ってきてみると、もう塩浦嬢も来ていた。
 「あの、どこへ行ってたんですか?」
 「飲み物買いに行ってたんだけど?」
 「売店、すぐそこにありますよ?」
 見ると、改札のすぐ隣が売店。こりゃ癪だった。でも実際、よく見えてないんだからしゃあないやな。塩浦嬢の案内で、インドカレーの専門店で食事。

 塩浦嬢、久しぶりに会うのだが、それほど雰囲気は変わってない。ちょっと期待してたのだが(何をだ)。
 知ってる人は知ってるあんなことやこんなことがあって、そんなのが芸のコヤシになってればなあ、と思ってたのだが、中身はともかく、見た目がそうガラリと変わるものでもないか。まあ、ヘンにスレた感じになるよりゃいいってか?
 今は北九州の大学に通いつつ、「うずめ劇場」という劇団で、ドイツ人のペーター・ゲスナー氏の指導のもと、女優目指して修業中の身なのだが、ホームページの役者紹介のところに名前はまだない。板の上に立つにはまだまだのようだ。
 「ドイツ人が面白いんですよぉ、私のバッグ勝手に開けて、アメ取り出して袋を開けたあとで、『このアメくださ〜イ!』とか言って。もう開け取るやんか!」。
 うーん、ドイツ人のギャグって深淵だなあ(^_^;)。
 突っ込んでる塩浦嬢のノリは、まるでヨシモトであるが。入る劇団、間違えてないか(^o^)。
 大学生活も楽しそうでまずは重畳。
 思想的にカブレたやつがいて、「ゴーマニズムがどうの」と騒いでいるとか。ガクセイの分際で政治に関心持ってるやつって、実はアイデンティティを確立できてないのを誤魔化そうとしてるだけってのが多いからなあ。だから言ってることがどんどんわけのわからん方向に向かって、ただわめいてるだけになっちゃうってのも昔からよくある話。シューキョーと変わらん。時代は移ってもバカは相変わらずいるってことかね。
 よしひと嬢は「大学に行きたいなあ」としみじみ語るが、年齢制限はないんだから、今からでも働いてお金貯めて、入っちゃえばいいのである。私が大金持ちならパトロンになるのだが(こればっか)、そういう僥倖は滅多にあるものではないので、自分でがんばってね。

 三倍だか五倍だかのカレー、美味。よしひと嬢も、「ちゃんとしたカレー食べるの久しぶり」とか言ってたが、私もそうだ。いや、「ちゃんとしたカレー」以前に「ちゃんとした料理」が食べたいよ。
 塩浦嬢、以前バイトしていた鰻屋は辞めて、今はCOCO一番屋で働いているそうである。カレー屋で働いてるのに、カレー専門店で食事をしたがるというのはどういう了見だって感じだが、まあ、COCOはねー、具はいろいろあるけどねー、肝心のルーの味がねー、ムニャムニャ。
 塩浦嬢、「不味いです」。
 おいおい、従業員が自らそれを言うか(^_^;)。でもホントにそうだからしかたがないんだなあ。もう少しコクを出すにゃどうしたらいいか考えてほしいよ。市販のカレーマルシェとかの方がよっぽど美味いんだもの。

 ロッテリアに移動して、埒もない駄弁り。
 ここでも気がついたら、「『クレヨンしんちゃん』はいいぞ」とか「『パワーパフガールズ』はいいぞ」とか喋りまくる。ほかに話題はないのか。
 よしひと嬢が、最近『サイボーグ009』にハマってるとか、塩浦嬢が『ガンダム』を“初めて”見始めた、とか聞くと、全く、世代の格差を実感しないではいられない。
 私「こないだのルパン(『ファーストコンタクト』のこと)、つまんなかったな。原典に返ろうとして失敗してるし」
 よ「私、クリカンの声がダメです」
 私「目黒祐樹よりはマシだけどね」
 塩「誰ですか? それ」
 私「実写版ルパンだよ。しらない? 次元が田中邦衛で銭形が伊東四朗。『ルバンょぉ〜、オレたちのルパン帝国はどうなっちまうんだよぉ〜』ってな感じで」
 すみません。8月7日、午後9時ごろ、小倉駅のロッテリアで田中邦衛の次元のモノマネしてたおかしなやつは私です(-_-;)。

 気がついたら10時近くになってたので、辞去。
 塩浦嬢、「しげさんに会いたいな」を連発してたが、元気でいればまた会える日もあろう。
 特急に飛び乗ったら、なんか特別列車だったらしく別料金を2千円ほど取られた。ううう、イタイ出費だ。

2001年08月08日(水) 代打日記
2000年08月08日(火) ボケ老人の夕べ/『カランコロン漂流記』(水木しげる)ほか


2002年08月07日(水) コギャルかく語りき/DVD『久里洋二作品集』/『ヒカルの碁』18巻(ほったゆみ・小畑健)ほか

 8/6日の日記の続きから。

 映画『パワーパフガールズ ムービー』。
 内容については、テレビシリーズでも部分的に紹介されていた「パワーパフガールズ誕生編」を、改めて本格的に描いたのが効を奏している。この映画で初めて『PPG』に触れたって人にも、キャラクターや世界観が分かりやすく、すんなりと入り込めるようになっている。
 お定まりの「お砂糖、スパイス、すてきなもの一杯、でもユートニウム博士は間違ってとんでもないものを入れちゃった。それはケミカルX〜」のナレーションが入らないのは残念だけれど、オープニングは、BGMに乗せて、まだただのサルだったころのモジョ・ジョジョと、ここだけいかにもマッドサイエンティストな博士とのメリハリの効いた動きでミュージカルっぽく見せている。いい演出だなァ。
 「かわいくてすてきな女の子を作るのが夢だった!」って博士が叫ぶあたりも、随分アブナい。この博士、一見品行方正に見えて、テレビシリーズでも相当アブナい発言を繰り返していて(セドゥーサとはオトナの関係にもなってたしな)、このあたりの描写一つ取ってみても、この作品がファミリー路線じゃないってこと、気づきそうなもんだが、騙されてる日本人多そうだよなあ。
 スーパーパワーを持つがゆえにタウンズビルの人たちに嫌われ、それと気づかずモジョの悪巧みに荷担させられていく過程の細かな描写が実にうまい。たとえ真実を知らなかったとは言え、結果的に街を災厄に陥れちゃうわけだから、観客の中にはPPGの3人に対して拒否反応を抱く人もいるかも知れない。けれど、警察に拷問された(と思しい。この辺の描写もハード)博士に「彼女たちは子供なんだ……どうしてそれがわからない」とつぶやかせたり、モジョに連れられて3人が動物園に行った時、バブルスが赤ちゃんの落としたオモチャを拾ってあげたのに、母親から悪態をつかれるシーンを挿入したりと、さりげないけれども、3人に対して同情がわくようにうまく演出している。いいなあ、こういうのを「演出」と言うのだよ。
 モジョがケミカルXをPPGに盗み出させて作り出した猿軍団(これが世界のお猿大集合って感じでやたら何十匹も出てくるのが可笑しい)をものともせずに倒し、PPGはようやく街の人たちに迎えられる。結末がそうなることはわかっているのだけれども、こういう話で予定調和で終わるのは当然のこと、描写をキチンと積み上げてドラマに仕立てているから、不自然なところや欲求不満に感じるところは少ない。ホントに『スターウォーズ』よりよっぽどドラマの構造がしっかりしてるよ。

 これまで謎(と言うほどでもないが)となっていた事実が明らかにされている点も多く、オタクなファンにはそれだけでも大満足。
 ブロッサム、バブルス、バターカップのネーミングの由来も「お花が咲くようにパッと喋り出したから(ブロッサム)」「泡がはじけるように笑うから(バブルス)」ときて、「Bで始まる名前だから(バターカップ)」と、3人目が割リを食うのは、『リア王』以来の伝統か。
 バブルスがいつも抱いてる玩具のオクティは、ユートニウム博士がくれた最初のプレゼント。博士のことを「Dady(パパ)」と呼んでキスをするのもバブルスが最初。オクティを肌身離さず抱いてたのは、パパとの最初の思い出だからなんだね。
 レギュラー悪役で顔を見せるのは、モジョのほかにはファジー・ラムキンズとギャングリーン・ギャングだけ。ファジーは普段は山奥に引っ込んでてそんなに悪い事してないと思ってたけど、強盗してるのは食料調達で出稼ぎに来てるのかね。ギャングリーンギャングの住まいは、ゴミ捨て場のダンボール箱の中。なんだ、こいつらホームレスだったのか。バターカップもまさかこのときは後にエースに惚れることになろうとは想像もしてなかったろうなあ。
 モジョの秘密基地を作ったのが実はPPGだったってのが、一番の衝撃の事実かな。エネルギーがマグマってのは見たとおりだけれど、基地を作った材料が、沈没船(何となくノーチラス号っぽい)や、氷山の中の隕石だってのはもしかして五右衛門の斬鉄剣(原作では「流星」という名の隕石から作った剣)からの連想か? それにしても、そんなことモジョはなんで知ってたんだろう(^_^;)。
 喋る犬パピィは、てっきりテレビ第一話で、モジョが博物館から盗み出したアヌビスの呪いのせいで、人間が犬に変身させられていたんじゃないかと推測されていたが、もともと喋る犬だったことが判明。道理で呪いが解けても人間にならなかったはずだ。このパピィ、堂々と立ちションしてるけど、アメリカでは子供向けアニメに立ちションシーンを描くのは犬でもご法度。つまり、この一点だけ考えてみても、製作者たちがこの作品を子供向けだと思ってない何よりの証拠なのだ。
 うーん、こういう細かいところも語りだしたらキリがないね。
 PPGがテレビを見つめるシーン、画面に映ってる人たち、多分、実在人物のパロだと思うんだけど、よく知らないから解らない。誰か知ってる人いないか。
 嬉しいのは特撮ファンにだけ分かるギャグを随所に散りばめてくれていること。市庁舎を巨大モジョがまたぐシーンは、明らかに本邦の『キングコングの逆襲』のイメージだし、そのあとPPGを捕まえて摩天楼(明らかにエンパイアステートビルがモデル)に昇るのはもちろんオリジナル版『キング・コング』。つまりこの二つのシーンが東西キングコング映画を結び付けているって趣向なのである。
 摩天楼の中に働いてる人たちを見て、モジョが「こんなやつら、救ってやる価値があるのか!」って怒鳴ってるけど、恐らくこの人たちアニメのスタッフだ(^_^;)。楽屋オチだけど、一番好きなギャグがこれでした。
 で、もひとつ人を食ってたギャグが、「PPG」という呼び名を考えたのが博士でも街の人たちでもましてやモジョでもなく、ナレーターだったってこと(^∇^)。いやはや、意表を突いてくれるねえ。

 これは口にするとあまりにも単純なテーマなんで、気恥ずかしいんだけれど、この映画のテーマは、やはり、人間の心の「絆」だってことなんである。スーパーパワーだって、作者たちは決して便利ですばらしい能力だとは思ってない。博士が「ユニークなものは人には理解されにくい」と語った通り(幼稚園児に向かってすごいこと言わはる)、これは差別に立ち向かう物語でもあるのだ。
 PPGとモジョはケミカルXが作り出した兄弟のようなもの。つまり、硬貨の表と裏のように、両者の境遇はいつ逆転するか分らない緊張感の中にある。憎しみや恨みを乗り越えて、人を赦せればPPGになるが、赦せなければモジョになる。
 しかし、監督は恐らく、モジョを絶対悪の存在だとは思っていない。モジョもまた、もともとは「虐げられし人々」の一人なんで、逆恨みで博士やPPGや街の人々を恐怖のズンドコに陥れてるけれど、やっぱりスタッフからも視聴者からも暖かく見つめられてるのである。だってこいつの悪さがなかったら、PPGだって生まれてなかったって設定を、これだけハッキリと打ち出してるんだからね。
 どんな悪にだって、そこに生きてる意味はある、それが『PPG』の隠れテーマでもあるのだ。意外とハードじゃない?
 さあ、みんなも『PPG』を見て悪の道に走ろう!(違うって)  


 映画がハネたあと、「カルビ大王」で食事。やっぱりしげ、肉ばかり食う(^_^;)。みんなでPPGを誉めたたえて、気分よく散会。
 帰りの車の中で、しげから鴉丸嬢がエロマンガがうまく描けなくて困ってる話を聞く。
 「やっぱり絡みのポーズがうまく描けないんだって」
 「エロビデオ見りゃいいじゃん」
 「そう思うけど。其ノ他くんに頼んで、知り合いの女の子と絡んでもらおうかと考えたけれど、それもイヤだしって言ってた」
 「……オレたちがやってみせてもデブ専にしかならねーしなー」
 これでも役者のハシクレなんで、ポルノモデルになるのも吝かではないのだが(貧弱な体形でもドデブでもそれなりの需要はあるもんである)、何分、職場にバレた時がまずいんでねえ。
 けど、鴉丸嬢のマンガ、一度はホントにじっくり読んでみたいものだ。エロ話するわりには彼女は意外と純情なんで、ちゃんとエロが描けるかどうか心配なんだけど。やっばりネチっとした質感と言うか、絵に「重み」を与えられるかどうかが鍵だと思うんだが(ヤオイ同人誌の大半がエロではなくただのファンタジーだってのは、この質感のなさに起因してる面が大きい。どこに挿入してるんだかわからん絵も多いしな)、イラストだけ見てるといまいちエロに向いてないような印象なのが気になってるんである。
 

 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)が稼動して、マスコミは政府批判に忙しい。批判をしようと熱が入るあまり、針小棒大でムリヤリな報道を繰り返してる痴態が笑える。
 その辺のコギャルにインタビューしてるけど、こいつらがいかにも馬鹿ヅラで、予めキャスターが与えた情報に操作されて、何も考えずにモノ言ってるのがバレバレ。
 「住基ネットについてどう思う?」
 「やっぱー、いきなりー、電話とか掛かってきてー、『オマエの秘密を知ってるぞー』とか言われたらー、怖いしー」
 あのー、電話番号なんて、住基ネット調べなくても既に世の中には電話帳ってものが存在してるんですけれど(^_^;)。わざわざ電話帳に載ってない情報まで手間隙掛けて調べてイタズラ電話掛けるやつなんていないよ。逆に、そういうこと言うバカがいるからわざわざ調べようってやつが出るかもな。そうなっちゃうと、こりゃまさしくヤブヘビってもんである。
 こういうアホな報道がまかり通ってること自体、住基ネットのどこがどう危険なのか、マスコミが全く理解してないってことを証明している。どうせ批判するなら、もっと別んところにカネ使えって批判した方がまだマシじゃないかね。
 私の場合、本名も住所も電話番号も、どこにどう個人情報が漏洩しようがしまいがへったくれもない(ここで私の職業を勝手に憶測しないように)。逆にこの日記のことを職場にチクラレることのほうがマズイんだよねえ。
 っつーことは、日記を移動して1年以上、今んとこ職場に秘密がバレてないってことは、私、意外と読者の方に好かれてる?(いや、常連さんはたいてい私の職業知ってるもんで。メールで聞かれりゃ教えてるしな)


 NHK、『BSマンガ夜話』、今日のお題は『ぶっせん』(三宅乱丈)。見たことないマンガだけれど、結構面白そう。
 アシスタントがなんとサトエリ。NHKも張ったなあ、という感じだけれど、衣装が全くムネを強調してないので、アシストに使う意味が全くない。ここでコスプレさせるくらいの度胸がないのがNHKの限界か。特定番組の宣伝になるのがマズイってんならオリジナルキャラでも作ればいいのに。いしかわじゅんにデザインさせてさ。きっと凶悪なデザイン描いてくるぞ(^o^)。
 岡田斗司夫さんは、ダイエット中とかで10キロ以上痩せたというが、見た目たいして変わってない。大月隆寛も言ってたが、「でぶは14キロ痩せても普通の人の7キロ分」なのである。イタイ言葉だ(-_-;)。
 毀誉褒貶激しい番組だけれど、もう23弾。ややネタに詰まってきつつある感じはあるけれど、古いのも新しいのも取り混ぜて、今後も続いて行ってほしいものだ。なんだかんだ言いながら、定期的に放送されてる唯一のマンガ情報番組なんだよ、これは。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』6巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 イギリス編ラスト……っつーかデザイン的にも性格的にもヘンなキャラばっかり出て来るようになったなあ。『ワンピース』の影響か? 絵的には師匠の藤田和日郎の影響も大きいんだが(つまり天野嘉孝の影響も大)。
 原稿の規定枚数がまたオーバーしそうなので感想はこんだけ(^_^;)。


 DVD『久里洋二作品集』。
 イラストレーターとしての久里さんしか知らない人も多いだろうが、アニメファンにとっては何と言っても実験アニメの久里さん、『殺人狂時代』の久里さん、「アニメーション三人の会」の久里さんである。だから『殺人狂時代』と言った場合、それがチャップリンのなのか、岡本喜八なのか、久里洋二なのかってのを区別するためには(ほかにも誰かいたな)必ずアタマに「誰それの」と付けなきゃなんないのである。
 アイデア勝負の実験アニメだから、ハズしちゃって「なんだかなあ」って印象になっちゃってる作品もあるけれど、さすがに代表作の『人間動物園』や『殺人狂時代』は、シニカルな題材をサラリと見せるあたり、ブラックでゾクゾクする快感が味わえる。手塚治虫の実験アニメも多分に久里さんの影響受けてるよなあ。
 『椅子』のような「実写アニメ」をマネしたやつ、もうホントに数え切れないほどいるものな。ヤン・シュヴァンクマイエルだって、久里さんの延長線上にいるのである。
 懐かしかったのは『ケメ子のLOVE』。これをフルコーラスで聞けて嬉しがってるのはもう四十路(^_^;)。



 で、、ここから8月7日(^_^;)。

 炎天下を小倉まで出張。
 特急だと小倉まで四十分か。昔、快速でも1時間半かかってたのがウソみたいだなあ。って何年前の話や。駅弁買ったりして、しばし旅の気分を味わう……ヒマもない。
 中身は仕事に絡みすぎるからどこで何をしたかは一切書けない。楽しいこと半分、つまらんこと半分。
 アジア太平洋インポートマート(AIM)で昼食ったバイキング、千円で食えるのはいいけど、チャーハンとかヤキソバとか、皿が空になったら追加がないのは頂けない。おかずが少なきゃバイキングの意味ないじゃん。
 おかげでやたらスイカばっかり食っちゃったよ。

 帰りの特急の中で外を見てたら、赤間で人間の背丈ほども直径のあるどでかい面が飾ってあるのを見付ける。どうやらエビスとオタフクらしいのだが、どちらもなんつーかこう、顔の歪んだ普通のオジサンとオバサンにしか見えない。いったいどういうセンスなんだ。「お師様まつり」とか幟りが立ってたみたいだけど、さっと通り過ぎたので確認できず。あのいびつなお面のせいで、ちょっとどういう祭か見てみたくなったが、行ってみりゃどうせただの縁日なんだろうな。


 アニメ『ヒカルの碁』第四十二局「ヒカルVS和谷」。
 原作ではもうこのころのキャラは完全に以前と違ってオトナなキャラになってるけれど、アニメの方は各話作監の問題もあるのがオトナになったりコドモになったり。今回はコドモだ。……和谷が楽平に見えちゃうんだよなあ。キャラ設定表、そろそろ一新したらどうかと思うけど、余裕がなくなってきてるのかなあ。
 プロ試験も残り2戦。再来週くらいにはひと区切り、9月からいよいよ佐為との別れも秒読み段階ということになるけれど、それでも9月一杯じゃ終わらないよなあ。番組延長決まったのかな? 12月で最終回と踏んだがどうかな。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健漫画・梅沢由香里四段監修『ヒカルの碁』18巻(番外編/集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 第2部への場繋ぎエピソードで、内容のレベルダウンがあるんじゃないかと思ってたけど、一つ一つの短編がよくまとまっている。これもアニメにするなら、OVAでじっくりと時間と予算をかけて作ってほしいなあ。
 塔矢アキラ、加賀鉄男、名瀬明日美、三谷祐輝、倉田厚、藤原佐為の6人をフィーチャー。帯で倉田さんだけがカラダがはみ出てるのが可笑しい。
 表紙を飾っただけあって、奈瀬のエピソードの完成度は実に高い。
 ……奈瀬、16歳だったのか。絵のイメージだと18歳くらいかと思ってたのに。それだけ小畑さんの絵がオトナっぽいんだけどね。
 いやあ、本編では全く目立たなかったし(だから番外編に登場したんだろうけれど)、普通、番外編に出すならあかりだろう、なぜ奈瀬?(シャレではない)とか思ってたけど、読んでみるとこれが実にいい女だわ、奈瀬。
 いやホント、マンガのキャラで「コイツいい女ー!」なんて思ったの、久しぶりじゃないかな。碁会所のオヤジたちの間で一歩もヒケを取らない打ちっぷり、毅然とした態度、こういう女を落としてこそ男の本懐ってもんだろう(古い表現でスマンねえ)。モデルはもしかして監修の梅沢由香里四段か? もっとも梅沢さんはちゃんとプロ試験に合格してるし、イイ男性にも巡り会えてるようだけれども(ご結婚おめでとうございます)。
 やっぱ、現代の若い男って、みんな本気で軟弱化してるからさあ、「男を必要としてない女」、ありふれた言い方だけど「自立してる女」とは付き合えなくなってるんだよね。どうしても「女を守る」視点でしか女を見られないもんだから、必然的に「バカオンナ」しか引っ掛けられない。おかげで世の中の一人身の女ってのが、必然的にみんな「イイ女」揃いになる。ああ、もったいない。
 ……いや、ホントに現実にイイ女があぶれてるわけじゃないんだけど、そう感じるくらい、リアリティがあるってこと。現実にいないかなあ、奈瀬。いたら真っ先にパトロンになってやるのに(カネねーだろ)。
 ほったさん&小畑さん、月刊とかに『明日美の碁』とか描いてくれないかな。「奈瀬明日美写真集」でも可(^o^)。


 CSチャンネルNECOで何気なく『パンツの穴 キラキラ星見つけた!』を見てたら、どこかで見たような人がチラホラ出てたんで驚く。
 主役の西野妙子は、このあともなんかアイドル歌手やってたみたいだけど、言っちゃなんだが顔に華がないからねー。『プレイボーイ』のグラビアで何度か見かけたっきり、どこかに消えてっちゃったけれど、それも仕方がないかなって感じ。
 それよりも浅野忠信だよ(^_^;)。これがデビュー2、3作目くらいか?
 いや、ヘタとかいう半端なレベルじゃないって。キャスト順位で言えば三番めだってのに、存在感も全くないし、これがよくもあそこまでブレイクしたもんだ。当時この映画を見てたとしても、あとになって出演してたなんて絶対気づかないよな。
 中身の感想は特になし。
 なんか、この『パンツの穴』シリーズって、第一作こそ菊地桃子主演で正統派アイドル映画的扱いがされてるけど、本質的にはB級C級アイドルの底上げ救済映画じゃなかったか。だって日本映画データベースで検索かけてみたけどさ、全8作中、私が知ってるアイドルって、志村香と中野理恵と西尾悦子(らんま1/2の主題歌歌ってころはあんなに脱ぎまくることになるとは思ってなかったなあ)くらいのもんだったぞ。私が無知なだけかもしれんが。丸典善カイって誰だよ。


 ナンシー関『何もそこまで』(角川文庫・500円)。
 買い忘れてた旧作。話題は1995、6年ころで、世間が阪神大震災とオウムで騒然となっていたころ。アニメでは『エヴァ』が始まった年だね。もう七年前になるのか、時が経つのは早い。
 けれどそんな世間の流れに逆行するようにナンシーさんはテレビ番組のみを切っていく。オウムにナンシーさんが触れるのは、横山弁護士のコワレっぷりを描写する時だけだ。この態度がホントに潔くてよかった。
 もちろん七年前の記事だから、今やナンシーさんの読みが外れたねってところはある。「『徹子の部屋』にホンジャマカは招かれても爆笑問題は招かれない」というのは今やニュアンスとしても事実としても違ってしまっている。
 けれど当時の我々の「感覚」はそうだったのだ。爆笑問題がほんの5、6年ほど前までアナーキーだったことを覚えている人も若い人の中にはいなくなってきつつある。説得力のある「時代の表現」をなくしてしまったという空虚な気持ちは、今、じわじわと広がってきている。

2001年08月07日(火) 代打日記
2000年08月07日(月) 胃袋には限界があるのだ/『江戸幻想文学史』(高田衛)


2002年08月06日(火) プールサイドの妖精……誰が?/映画『パワーパフガールズ ムービー』ほか

 広島に原爆が落ちた日である。
 なんだか今更そんなこと書くのも当たり前すぎてバカバカしい気もするが、そういう感覚こそが歴史の記憶が風化してるってことの何よりの証明なんで、事実の記録として、一応書いておくに如くことはない。

 現実にもう、今時の10代、20代の若者には、冗談ヌキで、57年前、日本がどこと同盟を組んでどこと戦ったか、知らないやつがゴマンといるのだ。アメリカと組んで朝鮮と戦ったってマジで言ってたやつ、知り合いにいたよ。
 ここまで来れば、親は何してる、教師は何してる、というレベルの問題じゃない。いい悪いではなく、現実として既に日本人自体が、もうあの戦争のことを忘れてしまっているのだ。夏が来れば思い出したようにテレビでは戦争特番が作られる。しかし、そういう「期間限定」で戦争の記憶が呼び起こされるというのは、裏を返せば普段はそんなこと忘れちまってるってことなんだよね。
 8月6日に、8月9日に、8月15日に、あの戦争は封印されているのだ。

 我々の子供時代には、まだ神社の境内に箱を持った傷痍軍人が立っていた。
 両親に「あれなぁに?」と聞いたけれども、二人とも黙ったまま、何も答えてはくれなかった。戦争を経験していようがいまいが、多分、そんな親が圧倒的に多かったのだろうと思う。戦争の風化は日本人の総意だったと言ってもいい。

 諸外国から、戦争の加害者であったことを忘れるのか、と非難されるのは当然ではあるのだろうが、さて、ではあの戦争の記憶を日本人は未来永劫抱きつづけていたほうがよいのか、ということになると、ことはそう単純ではない。アラビアンナイトのツボの中の魔人の話ではないが、ある境遇を強いられた者の感情は十中八九、恨みに転化するものだからである。
 映画好きの私であるが、亡母からこの映画だけは見るな、と厳命されている映画がある。『ひめゆりの塔』だ。理由は「アメリカが憎くなるだけだから」。別に『ひめゆり』に限らず、『黒い雨』だって『はだしのゲン』だって、マジメに見てりゃ、アメリカ憎しの感情が起こるのもおかしかない。憎まずに、ただ戦争の罪のみを糾し、世界に平和を希求するなんてキレイゴトを通すことがはたしてできるものだろうか。人間は不器用だから、戦争の罪を許すには忘れるしかしかたがない面もあると思うんだけどね。
 あの戦争に関しては未だにあまりにも観念論とイデオロギーが付きまとっている。マジメに戦争を語ったりすると、右か左かと見られるならまだしも、バカか道化のように見られるのがオチだ。で、実際に今、戦争を語ってる連中って、右も左もなんだかわかんないのもこぞってバカばっかりでしょう(^_^;)。
 ……いや、ようやく小林よしのりの『戦争論2』読んだんだけどね、なんか感想書くのがバカバカしくなってきてねえ。と言っても、内容が間違いだらけ、ということを今更指摘したいんじゃなくて、ああいう「物語」が語られる段階で、戦争って、本当に風化してしまったんだなあ、ということを実感しちゃうのよ。
 小林さんの主張を全てウソだと断定はしない。しないけど、あの本読んでるとさ、大東亜戦争自体が大いなる虚妄であったのではないか、なんてことも日本人はほとんどマトモに論議してこなかったんだなって、実感しちゃうのよ。小林さん、未だに「公」がどうのと主張してるけれど、公共道徳の「公」と、全体主義による個人の思想の弾圧をいっしょくたにしちゃいけないよな。
 全てを忘れてしまえ、とまで言うつもりはない。けれど、庶民レベルではもはや、「せんそうはいやだ、ひとがおおぜいしぬから」と、その程度の認識でしか、あの戦争は理解されなくなっている。っつーか、それでもマシなほう。小松左京の『戦争はなかった』は、マジで現実化しているのだ。
 あの戦争を理解するには、あまりにも戦後の「事情」が錯綜し過ぎたのだ。

 いやねえ、戦後すぐの小学生の日記なんかを読んだりするんだけど、これがもう、一年前まで戦争してでしたって感じがヒシヒシと伝わってくるんで、こりゃもう、戦争を知らない世代がヘタなこと言えるもんじゃないよなあ、と思うよ、ホントに。
 

 午前中だけ、出張。
 一時的に落雷、大雨が降るが、幸いタクシーに乗っていたので、濡れずにすむ……って、よかないんだよ。上司から、最寄りの駅から現場までタクシーで10分、とか聞いてたから安心してたら25分もかかったぞ。タクシー代が馬鹿にならんほどかかった。でも、これって職場から出してもらえないんだよな。
 出張先で昼飯に食った炒飯がこれ以上ないってくらい不味い。油でべとついてモチ状態になってんだよ、これが。胃にもたれる気はしたが、なんか癪に障るんで犬ぐいする。案の定、腹をコワす。何やってんだ、オレ。

 昼2時、竹下駅でしげと待ち合わせて、帰宅。
 すぐに穂稀嬢から電話連絡があり、グッディまで来ているとのこと。詳しいスケジュールは知らされてなかったのだが、どうやら穂稀嬢のおトモダチのM子嬢の車でプールに向かうことになってるらしい。
 昨日買ったばかりの海パンに帽子、度付き水中メガネやバスタオルをコンビニのビニル袋に突っ込んで出かける。「そんなんでいいと?」としげがオヤジを見るような眼で見るが、粋なバッグなんてのは持ってないからしかたがない。
 オヤジはよう、天神に出かけるのにもサンダル履きが普通だからいいんだよ。わが父君は、新幹線で上京する時、シャツ一枚にスリッパで行ったこともあるからまだ私のほうが負けている。勝ちたくもないが。

 穂稀嬢、マンションの下まで迎えに来ている。
 以前より髪の毛が三倍くらいに伸びている。夏場に髪を伸ばすのはお菊人形だけでたくさんだ、と心で思うが口には出さない。たまに、心にもないことを口にすることもあるから、気をつけておかないといけないのである。オトコの趣味に合わせて伸ばしてるのかな。穂稀嬢、最近、またオトコ引っかけまくってるって話だからなあ(あ、ウワサですからね、ただの)。
 ちなみに私もロングヘアは好きである。一時期、しげにもロングでいてもらったことがあるのだが、怖がりのしげ、夜中に自分の髪の毛がフトンに広がってる様子が怖くて悲鳴をあげるので、すぐに短く切ってしまった。せめてボブにしてくれたらなあ。ボブも実はルイズ・ブルックス(古いね)をスチールで見て以来、大好きなのである。でもしげには多分似合わないな。
 グッディの駐車場で、M子さんの車を初めて見たが、車種はよく知らないが、シルバーでメタリックな、しかもやたら平べったくて縦長な大型乗用車である。なんだかちょっと昔の「スーパーカー」が入ってます、みたいな。「飛ぶの? これ」と冗談を飛ばしたくなったが、ウケそうにないのでやめる。
 しげ、乗ってる間ずっと、「車高低い、怖い」を連発してうるさい。他人の車に乗るときはマナーを考えろと、私には散々言ってるくせに自分は全くデリカシーというものがないのである。

 3時過ぎ、プール到着。
 どこに行くのかと思ってたら、アクシオン福岡の近くだった。
 アクシオンってのは比較的新しくできた運動施設で、福岡で国際的なスポーツ選手を育成しようってな目的があるらしく、結構な予算をかけてぶっ建ててるんで、見た目だけはやたらとバカでかい。
 「アクシオンの中にあるの?」と穂稀嬢に聞くと、
 「その隣です。古いほう」と答える。こんな山奥にはあまり来たことなかったから、そんな昔からプールがあるとは知らなかった。
 残念ながら、入口で二手にに分かれる(当たり前だ)。サイフを持って来るのを忘れたので、しげに入場券を買ってもらったら、しげ、「ワザと忘れたと?」とブツブツ文句を言う。私にたかるときは思いきりたかるくせに、人間のウツワが狭いと言うか、ヒキョウ者と言うか。

 水中メガネ、10年も前に買ったやつだが、一番度の強いやつでも私の視力を強制できるものではない。普段つけてるメガネですら矯正視力が0.3なのに、多分このレンズだと0.1程度。それでも気休めにはなるので、つけてプールサイドに出るが、ヒトの姿がぼんやりとしか見えない。
 しげたち、どこだよ。あのへんの「人だかり」がそうかな? と見当をつけていく。これで「やあ」とか声かけてみて、アカの他人だったら、大恥をかくところだ。いや、たまにホントにやるし。
 そういうわけで、しげや穂稀嬢の水着姿やスタイルの細かい描写はできないので悪しからず。まあ勝手に釈由美子とか優香とか想像して下さい。

 プールと言っても、別に泳ぐつもりはなかったのである。
 全身運動になればいいなあと思っていたので、歩いて往復しようかとか、軽く考えていたのだが。
 ……水深が2メートルあるなんて聞いてないぞ。しかもなんでタテが50メートルもあるのだ。CIAの陰謀か。
 穂稀嬢とM子嬢はスイスイ泳いでるのだが、中年でしかも数年泳いでない私が、一気に泳げるはずもない。学生のときだって、75メートルを超低スピードで泳ぐのが限界だったってのに、私に溺れて土左衛門になれというのか。誰もが思いつくダジャレを思いついたが、ウケないことが解りきってるので言わない。ますます腹が膨れるやんけ。
 しかたがなく、プールのヘリに掴まって、「からだを送る」。全身運動と言うより、ひたすら腕の筋力を鍛えている気がしてくる。段々愚痴が口をついて出る。
 「なんでみんな泳げるんだよ、人間は水に浮くようにはできてないのに」
 「できてますよ」
 すかさず穂稀嬢がツッコミ。できてるんならなぜ私だけ沈むのだ。
それでもたまに泳ぎに挑戦。クロールも平泳ぎも異様にスピードが遅い。息よりも体力が続かず、10メートル進んではヘリに掴まる。その横を穂稀嬢がひゃらら〜っと泳いで抜いて行く。足を掴んで沈めたくなる衝動に駆られるが、犯罪者に間違えられたらいけないので、あきらめる(犯罪だって)。
 ふと、しげを振りかえると、ボードに乗ってぴちゃぴちゃ遊んでいる。こいつも泳ぎは得意ではないのだが、水遊び感覚なので、全然苦になってないらしい。へらへら笑ってやがるし。いいなあ、コドモは。

 でもなんだかんだで二時間以上遊んでいた。
 いや、プールって好きなんだよ、実は。泳いだあと、ついポカリスエット飲み過ぎるから、運動の意味がないんだけど。


 5時過ぎに帰宅して、しげ、仮眠を取る。
 昨夜も夜通し仕事、今日は昼からプール、そして夜はエロの冒険者さん、ぴんでんさんと映画を見る予定なので、しげには寝る時間がほとんどないのである。私は昨夜はたっぷり寝てるから、多少の夜更かしも平気だが。
 待ち合わせの時刻は8時半にトリアス久山で、ということだったが、車で行くのは初めてである。けれどまあ1時間見ておけば余裕かと、7時半までしげを寝かしておく。2時間くらい寝ておけば少しは持つだろう。実際には、山を越えて45分で到着したので、あと15分は寝かしてあげられていたが。
 交通機関を使うと、トリアスまでは福岡空港を迂回する道しかない。乗り継ぎもあって軽く2時間はかかってしまうのだが、意外と家から近かったことに気づいたのは発見だった。

 早めに着いたので、腹をすかして泣いてるしげとケンタッキーフライドチキンで、軽めの食事。軽めと言っても、二人ともチキン2ピースくらいは食う。映画のあとは食事も予定しているので、私は控えたかったのだが、しげがあまりに「腹減った腹減った」とうるさいので根負けしたのである。だつたら、しげだけ食河、私は食わなきゃいいじゃん、と言われそうだが、やっぱり目の前で一人だけうまそうに食ってるのを横目で見てるだけってのもねえ。

 エロさん、ぴんでんさん、お二人とも待ち合わせ時間に15分遅れて到着。
 この程度の誤差は博多時間の範囲内だから、私は全く気にしていないのだが、しげは明らかに不安げであった。待ってる間ソワソワしていたので、「まあ、予告編の時間もあるし、ギリギリでも絶対込んでないから」と言って安心させる。
 まあ、見る映画が『スターウォーズ』だったらこんなことは言えないが、『パワーパフガールズムービー(字幕版)』だからな(^_^;)。けれど面白さにおいて両者には格段の格差があったのであった。

 映画『デクスターズ・ラボ/ニワトリ男の恐怖』。
 『パワーパフガールズ』の本編が81分と短いので急遽くっついたと思しい短編が先に上映。
 天才科学者の少年(デクスター)に、乱暴女の姉(ディーディー)のコンビってのも、なんだか日本のマンガにあったような気がするが、思い出せん。マッドサイエンティストの姉に気弱な弟が振り回されるってパターンなら、あろひろしとか描いてそうだけどな。
 オマケ映画だから、ツマンナイかというと、さにあらず、天才が、日常的な常識には欠けている、というのは、シャーロック・ホームズからパタリロに至るまでの黄金パターン。これを生かしたメリハリのいい短編にしあがっている。
 全身に水疱瘡ができたデクスターを見て、ディーディーが、「それ掻いちゃうとニワトリに変身しちゃうわよ」、ウソをつく。と言ったって掻かずにはいられないデクスター、ロボットに電気ショックを浴びせてもらったり、超巨大メカを作って、カラダを縛りつけたり(どでかいワリに、機能がカラダを縛るだけってところが秀逸なギャグ)するけれどもやっぱり掻いちゃう。
 もう劇場の大画面に、全身を掻きまくって狂喜するデクスターの痴態が踊る踊る(^o^)。こういうキタナイキレテルネタを堂々とやってくれるところがいいねえ。

 映画『パワーパフガールズ ムービー』。
 本国での公開は既に終わり、前評判はよかったものの、興行自体はイマイチ伸び悩んだようだ。製作費2500万ドル(換算すると約30億円? どっひゃー!)に対して興行収入は1000万ドル。やっぱり『ポケモン』ほどの認知度はないのかなあ。アチラの批評じゃ、「テロ事件を連想させてよくない」なんてのもあったそうである。バカはいるよな。
 なんかねー、『クレヨンしんちゃん』についても「だって『クレヨンしんちゃん』でしょ?」と、自分のアタマでモノ考えずに見ないやつらは腐るほどいるからねー、『PPG』を普通の子供向けアニメだと思ってツマンナイと決めてかかってるオトナ、多いんじゃないかなー。確かに『サウスパーク』みたいにハッキリオトナ向けを打ち出しちゃいないけど、そんじょそこらのファミリー向けアニメとは格段に質が違う。
 いやあ、ある意味実験アニメといっていいくらい、これまでのアニメ技術の粋を集め、それを更に発展させて表現している。単純な線のキャラクターだから勘違いする客もいると思うけれど、一見、テレビアニメの延長線上にありながら、その演出が映画としてブローアップされてるのがすごい。そのすごさがわかりにくい点では『となりの山田くん』並なんだけれども(^_^;)。
 もちろん、全編がデジタルで作られてるんだけれど、あのCG映像の無機質感が見事なくらいに払拭されている。すなわち、セルアニメの柔らかな質感を残しつつ、カメラアングルは自由自在、ということをやってのけているのだよ。
 日本のセルアニメは、もともと奥行きを表現するのには、もっぱら「職人の技術」に頼っていたわけだけれども、デジタルを導入することによって、一応以前よりは楽に奥への動きを表せるようになった。けれど、『どれみ』とか見ててもわかるけど、まだまだ「タテへの引き」にしか見えない部分が多いんだよね。『PPG』がすごいというのは、アニメでありながら、きちんとカメラを意識したアングル、レイアウトを常に意識していること。
 たとえば、テレビシリーズでも、キャラクターにカメラが迫っていく時に、遠景、中景、近景と、何段階かに分けて近づいていく、という映画的技法を使っていたけれども、こういうのは単にただアップにしていくより、ずっとキャラクターの心理と観客の心理がシンクロする効果があるのだ。カットを割るだけでなく、少しずつ近づいていきながら、絶妙のタイミングでキャラクターのアップに迫る。うまい!
 ほかにもあそこの構図はどうの、あのタイミングはどうのといろいろ言いたいことはあるんだけどさ、キリがないから省略。けれど、こういうさりげない演出をキチンと評価していかなきゃ、アニメがいつまで経っても子供のもの(この場合の「子供」は「バカ」と同義の差別語だ)で終わっちゃうよな。

 まだ書き足りないが、規定枚数を越えたので、今日はここまで。明日の記事に続く。

2001年08月06日(月) 復活日記(笑)1・加筆もあるでよ/村上春樹『約束された場所で』ほか
2000年08月06日(日) まぬけ三態/『テレビ消灯時間2』(ナンシー関)


2002年08月05日(月) いのち棒に振って/『おせん』其之四(きくち正太)/『ワンピースブルー』(尾田栄一郎)

 昨日の日記で書き忘れてたこと。
 こうたろう君との電話の中で、某サイトで知り合った方の消息が知れなくなっているので、どうしちゃったんだろう、と会話。
 ホームページをお持ちだったのだが、何度行っても「forbidden」の表示しか出ない。ここの掲示板で呼びかけをしても、全く応答がない。メール送ればいいじゃん、と言われそうだけれど、うっかりしていてメールアドレスを控えてなかったのよ。
 某サイトの管理人さんならメールアドレスをご存知かもしれないが、ある事情で絶縁しちゃってるので、そちらに問い合わせすることもできないのだ。
 うーん、何か事故にでもあってるのか、それとも国際的な陰謀に巻き込まれて命を狙われてるのか、○○に○○れて○○○○○るのか。
 お元気ですか? 保美絶塘さん。ご消息をご存知の方がいらっしゃいましたらご一報を。


 職場にちょっと神経を病んでらっしゃる方がいて、気がついたら、半日くらいずっと、クドクドとその方の愚痴を聞いている。
 あまり大きな声では言えないが(で、勝手に憶測されても困るのだが)、私の職業は、毎年必ず心を病んで退職する人がン万人いると言う、ハードな職業なのである。私の日記からは全く想像できないだろうが(^_^;)。
 普段はそーゆー人から相談を受けても、まあまあ、とかテキトーなこと言って誤魔化しちゃうんだけどねー、今日はちょっと事情が込み入っていてたんだよねー。
 なんたって、その方、「私、あの人を殺します」とか本気で仰ってるのだもの(^_^;)。いくら人非人を自認する私であっても、さすがにこれは止めないと、ホントにやっちゃったら寝覚めが悪い(それが理由か、オイ)。
 もちろんホンネでは「勝手にすれば?」と思ってるのだ(やっぱり人でなし)。でも、ここで止めておかないと、万が一、この人がホントに事件を起こした時に「有久さんに唆されました」とか言われかねないしな。
 「あんなやつのために、あなたが人生棒に振るなんてもったいないでしょ」とか言って説得するが、このセリフって、裏を返せば「そんなことで人生棒に振るのなら、アンタの人生ももともと価値なんてない」と言ってるのと同じことなんである。もちろん相手はバカなんでそんな私の言葉の含みには気がつきもしないが。
 いや、実は私は怒っているのだ。
 その人が心を病んでらっしゃることは見て確かに分かることだ。殺意もまた本物だろうと思う。殺意を抱くに至った過程も、理解できなくもない(納得はしないが)。だが、なぜそれを口にするかな。本気で人を殺したいなら、それは秘密裏に行うべきことだろう。口にすることで止めてほしい、という言い方はしていない。「もし殺してしまったら許してください」だ。
 許してください? 仮にも人一人の命を奪おうというのに、その罪を背負う覚悟もなく、許してもらおうなんて甘えくさってるのか? 結局は、実際に人を殺すような度胸もないってことなんだろうが。
 自分一人が被害者だって思いこんでるあたり、周囲でも鬱陶しく思ってるのだが、なんでこういうやつに限って、私のところに相談に来るのかね。相談相手が人でなしかどうかくらい見分けてくれよ。


 仕事が終わって駐車場で待ってたが、しげ、迎えに来ない。
 また寝てたんだけど、昼間、オートバックスにカー用品なんかを買いに行ってたんで、寝る時間が少なかったとか。どうせほんの少しの買い物に1時間も2時間も掛けてたんだろうな。

 何の気なしに、しげが「明日、アンタが仕事休みならプールに誘うのにな」とつぶやくのを聞いて、「あ? 出張があるから午前中だけで休みだよ? オレ」と答える。
 「じゃあ、プール行く?」
 「いいけど、ウチ、水着あったっけ?」
 「オレのはあるけどアンタのは、もう、どこへ行ったかわからん」
 「じゃあ、買いに行くか」
 というわけで、急遽、海水パンツを買いに、グッデイに行く。けれど、ホームセンターって、水着は置いてないらしい。仕方なく、大野城サティへ回って、しげに海パンを見立ててもらう。
 しげ、「アンタばっかり買っていいな」と指をくわえて羨ましがるが、だったら自分も新しいの買えばいいじゃん。日頃甘えて食い物たかってばかりいるくせに、更に何かプレゼントをしてもらおうなんて、甘いのである。


 ネットを見てると、安達祐実と黒田アーサーの21歳差カップルのニュース。
 ……いたなあ、黒田アーサー。もう何の番組に出てたか忘れてるけど。安達祐実はこないだ『ナースのお仕事』に出てるのを見たけれど、グラビアでどんなにえっちなポーズ取ってても、ほかの女優と並んで動いてるの見るとどうしたって子供なのである。実年齢差以上にこのカップル、無理っぽくないか。
 思わずしげを呼んで、「これもオトナへの背伸びなのかなあ」と聞いてみたが、返事はない。まあ、返事できることでもないってことなんだろうけれど、「私は違うよ」とかなんとか言ったっていいじゃん。一応ウチもトシの差カップルなんだし。


 夜、しげ、何かの用事で鴉丸嬢のウチへ出かける。
 帰って来て、久しぶりに藤田くんのウワサを聞く。
 鴉丸嬢の口に戸は立ってないので、彼女が聞き知ったたいていの情報は筒抜け素通り拡声器なのであるが、本人にはその自覚がない。ウチの劇団の黒柳徹子だね。戸が無理ならせめて暖簾ぐらい下げとけばいいのにとは思うが、性格だから仕方ない。
 で、そのウワサだが、藤田くん、なんと彼女ができたらしい。
 しかもどこでどう知り合ったかというと、あの最近問題になっている○○○○○○○というのがもっぱらのウワサ。だからそのウワサ、鴉丸嬢が広めてるんだって(^_^;)。
 どんな彼女か気になるところだが、私ゃ特に詮索好きではないので、「どんな人?」とだけ聞く(聞いてるやん)。
 「よく知らんけど、また藤田くん、趣味が変わったって」
 藤田くんはとてもモテたがり屋なので、彼女ができるたびに彼女に合わせて自分の趣味を変えるのである。健気と言うかアレと言うか。
 「で、どんな趣味」
 「……ビジュアル系?」
 ……はあ(゚゚)。
 えーっと、さて、藤田くんをご存知の方、彼がイザムとかアッチ系の人だと思うヒト、手をあげなさい。撃ちます。
 日本は自由な国だから、誰が誰とくっつこうが、自由である。自分を省みないのは周囲には迷惑だが罪ではない。それに被害があるとすれば私にではなく、其ノ他くんや鴉丸嬢とかにだろうから、私には知ったこっちゃない。
 これでまたしばらく楽しい話を聞かせてもらえそうである。


 マンガ、きくち正太『おせん』其之四(講談社/モーニングKC・580円)。
 描線のヌキが、随分浮世絵っぽくなってきたなあ。あの、ちょっと小さなダマを作るような感じね。それがうるさく感じないくらい、ペンで和風の絵を描くことに、きくちさん、慣れてきているのである。カラー口絵のおせんなんか、そのフォルムを厳密に見れば既に人間じゃないんだけれども(^_^;)、美しさ伸びやかさの方が先に立って、違和感を感じさせない。
 もっとも、おせんのキャラが立ち過ぎちゃってて、毎回のゲストキャラがみんな「味の分からん唐変木」ってステロタイプにハマっちゃってるキライはあるんだが。でもそりゃ料理マンガの宿命か(-_-;)。
 

 マンガムック、尾田栄一郎『ONE PIECE BLUE(ワンピースブルー)GRAND DATA FILE』(集英社/ジャンプ・コミックス・600円)。
 表紙はニコ・ロビンも入れて七人の海賊揃い踏み。チョッパーだけ背丈が合わないので樽に乗ってるところがかわいい(^^)。収録されてる作者インタビューによれば、黒澤明の『七人の侍』ファンだそうだから、ルフィ海賊団は一応これで打ち止めになるかな。キャラ的にも配分はこれがベストだろう。八犬士とか009とかもあるけど、これ以上増やしても、収集つかなくなると思う。
 構成の半分はキャラ紹介。チョイ役や落書きキャラに至るまで、ほぼ全登場キャラクターを壮観できるようになってる分、『RED』よりは読み応えはある。年譜見て、初めのころどんなエピソードがあったか思い出すことができるのも便利。いや、ホント、細かいところは忘れちゃうんだよねえ。
 ほかには描き下ろし四コマや、原稿の制作過程解説や、「ワンピース占い」など。ためしに占ってみたら、私は「Dr.くれは」タイプで、「現実から目をそらさずに、自由な人生を歩む」んだそうだ。それにしちゃ随分手枷足枷がかかってるみたいだけど。それ以前にくれはって、女じゃん(^_^;)。
 フロクのアイロンプリント、新書サイズだとちょっと小さ過ぎないか。

2001年08月05日(日) ちょっとさよなら/『シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロン大全 宣弘社ヒーローの世界』ほか
2000年08月05日(土) しまった、翌日になっちゃった/『人喰いの滝』(有栖川有栖・麻々原絵里依)ほか


2002年08月04日(日) 爆走……できねーなあ(^_^;)/『スーパーロボット烈伝』(石川賢)/『光の島』3巻(尾瀬あきら)/『黒ベエ』1巻(藤子不二雄A)ほか

 短くするとか言いつつ、また長くなってきてるぞ、書き出したら止まらない悪い癖だ。
 しかも休日だからDVDとか見まくってるし。こんなん全部感想書いてたら、原稿用紙が何10枚あったって足らんわ。できるだけ短めに書こう。できるのかホントに。

 朝寝したあと、DVD『刑事コロンボ』祭(^o^)。
 『野望の果て(Candidate for crime)』。
 原題は「犯罪立候補者」。あまりイキなタイトルではないね。概してコロンボシリーズ、邦題の方がうまい付け方をしてる。民放に移ってからはちょっとダサくなるけど。
 上院議員候補の犯人役を演じるのはジャッキー・クーパー。30年代、子役で有名ってことだけど、『チャンプ』とかに出てたんだね。私ゃリメイク版しか見てないけど。昔はこの人と、『チャップリンのキッド』のジャッキー・クーガンの区別がついてなかった。そういうことは映画ファンでも多いらしいので恥じゃない……ということもないが(^_^;)。
 子役は大成しない、というジンクスは東西共通のものらしく、この人もパッとしない時があったらしい。けれど、本作やクリストファー・リーブ主演の『スーパーマン』シリーズでホワイト編集長を演じたりと、ちょっとクセのある演技をするようになってカムバックした。その時代しか私は知らないので、なんだか大仰な人だなあ、という印象しか私にはない。
 悪徳政治家をコロンボが罠にかけていく様子は溜飲が下がるが、こんなバカに投票していいのか、とか思っちゃうな。声優は珍しくも中谷“弥七”一郎。コロンボシリーズは、日頃、声優をやらないような人を起用するところも楽しい。

 『二つの顔(Double shock)』。
 銀行マンと料理家の双子の二役を演じるマーティン・ランドー、こういう複雑な役のオファーはやっぱり『スパイ大作戦』(『ミッション・インポッシブル』のテレビ版だよ、と説明しとかないと今やわかんないよな)で変装の名人を演じてたからか。
 コロンボシリーズ初の「犯人あて」モノってことだけど、まあ、あまり工夫があるとは言えない。テレビで見たときトリックすぐ分かっちゃったし。
 コロンボがむりやりテレビ番組に引っ張り出されて、料理を作らされるギャグシーンがあるけれど、常識じゃあそんな飛び入り(しかも警察官)を許しゃしないよな。シリーズを重ねると、コロンボの別の一面も出そうと、こういう無理が生じるシーンを作ることも多い。ギャグがうまくハマると『逆転の構図』の救護施設のシーンみたいな名シーンも生まれるんだけどね。

 『意識の下の映像(Double exposure)』。
 原題はもともと「二重露出」の意味だけれど、これは当時まだ“subliminal”という単語が耳に新しかったからタイトルとしては意味不明、と思われるのを回避するためだろうな。実際私もこれで初めて「サブリミナル効果」の存在を知った。邦題も今だとなんだかまどろっこしい。
 サブリミナル効果については、本当に実効性があるのか疑問視する声の方が大きくなってるけれども、トリックとしては決して悪くない。「本人に喉の乾きがなければ、フィルムのひとコマにコーラの写真を挿入しても効果はない」ということは押さえてあるので、どうして被害者だけに効果が現れたかの説明になっているからだ。物語の中での整合性があれば、トリックは成り立つんである。
 犯人役のロバート・カルプはコロンボシリーズの常連で三度も出演しているけれど、今回の役が一番いい。
 ラストでトリックを見破られたあとも、自ら恃む思いに笑みを浮かべる憎々しさ。アチラで「理想の犯人役」と評されたのも分かる。声は毎回、梅野泰靖(『ラヂオの時間』のマネージャーさんですな。邦画ファンには『幕末太陽伝』の若旦那、と言ったほうが通りがいいか)がアテてるけれど、張りのある生意気な感じがいい味を出してる。


 アニメ『サイボーグ009』第41話「悪夢の未来」。
 作画がえらくイイと思ったら久しぶりの紺野直幸さん。この、紺野さん以外の作画がヘタレってのが本シリーズの一番のネックなんだよな。
 なんだか未来の描写がまんま『ターミネーター』なのが気になるが、ブラックゴーストが未来も存在してるってのは、『ヨミ編』ラストへの伏線かも。


 夜、こうたろう君に電話。
 彼も『スターウォーズ エピソード2』を親子連れで見てきたそうで、前半の退屈なシーンの連続には閉口したそうだ。
 「草の上を抱きあってゴロゴロって、どうしようかと思っちゃったよ」
 そりゃ、どうしようもないよ、ありゃ(^_^;)。
 やっぱり精神年齢が高校生で止まってるやつに映画作らせちゃなあ。
 いろいろまたまたここに書けない話など、1時間以上駄弁り。気がついたらWOWOWで録画してた『陰陽師』が終わっていた。全く、オタク話のタネは尽きない。


 しげが仕事から早めに帰って来たので、「びっくりドンキー」で食事。
 しげが「まだ飽きてない?」と聞くが、そりゃ何度か食べてりゃいつかは飽きは来る。ここのハンバーグもそろそろ味の見当がついてきたんだけれど、また「めしや丼」か「王将」に戻りたくはないし。
 というわけで(何が「というわけ」か)ハンバーグとスパゲティを食べる。


 マンガ、永井豪原作・石川賢とダイナミックプロ作画『スーパーロボット烈伝』(双葉社/アクションコミックス・1000円)。
 スーパーロボットシリーズとか、世界観が違うモノをムリヤリくっつけたやつって、私にゃ全然面白くないんだけれども、一応原作者本人が描いてるんだからちったあマシかと思ったら、つまんねーったらありゃしない。デカイ敵出して突っ込ませりゃいいってだけの話だもんなあ。
 しかも最後はマジンガーZ、グレート、グレンダイザー、ジーグ、ゲッターGの全ロボットが合体して、完成したロボットの名前が、「ダイナミックサーガ」って……。ばか?
 一応、本シリーズとはパラレルな設定になってるんだろうけれど、どうせそうするんなら読切単発で適当に話を繋げるんじゃなくて、一本筋の通った話にしてほしかったな。
 後半に行けば行くほど絵が荒れ出すし、ロボットばかりで人間キャラが出なくなるし、たまに出たかと思ったら、石川賢じゃなくて安田達矢が描いてるし。ジーグだからそれはいいんだけども(よくわかんないひとのために注。一応、全部永井豪原作ってことになってるけど、実際にはジーグは安田達矢の原作・作画なんである)。
 こういう「夢の競演」ってやつに弱いファンもいるみたいだけど、余りやりすぎると安っぽくなっちゃうんだけどなあ。『仮面ライダー』や『ウルトラマン』だって、後半に行くほど「ヒーロー競演モノ」がつまんなくなっていったでしょ。マジンカイザーくらいに留めておくのが無難だと思うけどね。


 マンガ、尾瀬あきら『光の島』3巻(小学館/ビッグコミックス・530円)。
 ふと思い出したけど、私ゃ昔、尾瀬あきらのマンガって、かわいい女の子キャラ目当てで買ってたんだよな。いや、『夏子の酒』のころじゃなくて『初恋スキャンダル』のころ。f(^^;)
 「松本めぐむ」名義で『バビル2世』とか書いてたころはあまり女の子の絵、うまくなかったけど、『初恋』でちょうどあだち充から始まる少年マンガのラブコメブームに乗ったんだよな。尾瀬さん自身はそのころの記憶は封印したいかもしれないけれど、実はキャラクターの表情の作り方は、だいたい『初恋』と『飛べ!人類』のころに固まって、それ以来たいして変わってないのである。
 なんでこんなこと書いたかというと、今巻新登場の美幸を見てて、このキャラをきちんとヒロインにしたてることができたら、尾瀬さんもう一つ化けられるかもな、と思ったからだ。
 言っちゃなんだが、『夏子』以降の小瀬さんのマンガはどのキャラもみんな同じ顔をしていてつまらない。深刻そうにテーマを語り、誰かに向かって叫び、説教臭いばかりでかえってリアリティに欠けている。ここで俯く、ここで目を見開く、ここでコブシを握る、要するに、型にはまった芝居しかできていないのだ。
 美幸は今までの尾瀬キャラと少し雰囲気が違う。まずかわいくない。面長でおでこは広いし鼻は低い。性格はヒネクレている。過疎で子供がノドから手が出るほどに欲しい、言い返れば大人のエゴで子供をほしがっている唄美島に自ら行こうとする。何を考えているかわからないところがある。
 予定調和的に「実はいい子」で終わってしまう可能性はあるが、こういうキャラは得てして作者の手に余ることが多く、とんでもない行動を取ったりするものだ。いわゆる「キャラが勝手に動く」ってやつね。そうなればまたぞろ「愛は地球を救う」的な展開で終わっちゃいそうなこの物語に、少しは「破」が生まれそうな気がするのだけれど、もしかしたら私は尾瀬さんを買いかぶっているのかも知れない。
 しかし、尾瀬あきらのファンって余り聞かないなあ。『夏子』のころにはまだファンがいたように思うが、三里塚扱ったあたりから毛色が変わってきたかな。政治を扱ってるからどうの、というより、マンガをテーマ主義で描いてるせいでマンガとしての魅力が減殺されてると思うんだが。


 マンガ、藤子不二雄A『黒ベエ』1巻(ブッキング/藤子不二雄Aランド008・410円)。
 昔、中央公論から出てた「藤子不二雄ランド」のAさんの分だけ移籍して再出版。更に言えば、もっと昔、サンコミックスから出てたときは、表紙の絵柄が黒ベエのアップでおどろおどろしく、怖くて私は買えなかった(^_^;)。……今見るとかわいいとこもあるよな、恐らく若いファンはその存在も知らないだろう安孫子さんの隠れた名作である。
 いや、隠れた、と言っても『怪物くん』ほどには有名ではない、程度の意味である。『黒イせぇるすまん』や『魔太郎がくる!』の原型になっている、という点ではこれぞ安孫子さんの原典とも言えるだろう。
 サラリーマン社会や学校に舞台が限定されている『せぇるすまん』や『魔太郎』より、どこからやってきてどこへ行くのか、得体の知れない黒ベエの方が、描かれる世界は広くなる。軍事教練を行う会社の施設にフラリと現れる黒ベエ。黒ベエの魔力(?)は、当然、訓練と称して社員をシゴき、イビる上司たちに向けられるが、その結末の付け方、今日の人権擁護の見地から鑑みればちょっとヤバい気がしないでもないが(^_^;)、最近の腑抜けた『踊るせぇるすまん』なんかに比べると、宝石の原石のような輝きがある。
 ……って、旧作で渇を癒さなきゃならないのって寂しいよなあ。


 イカン、やっぱり長い(^_^;)。

2001年08月04日(土) やっと入院準備/映画『猿の惑星』/『20世紀少年』6巻(浦沢直樹)ほか
2000年08月04日(金) 特許成金、夢じゃない?/『20世紀モノがたり』(紀田順一郎)ほか


2002年08月03日(土) 手帳求めて花いちもんめ/DVD『刑事コロンボ 別れのワイン』/『忍者飛翔 桜の章』(和田慎二)

 いい加減、日記の更新が滞りまくってるので、短く書こう。
 今度こそホントに。内容がウス味にはなるかもしれないけれど、まあもともとボケた頭で書いてるから大して変化はないかも。

 しげ、昨日の今日で盗難のショックで立ち直れていない。
 手帳を改めて買いたいと言うので、今日は朝から出かける用意をしていたけれど、いっかなしげが起きて来ない。
 昼を過ぎてついにシビレを切らし(いつものことだ)、しげを叩き起こして天神へ向かう。
 LIMBのポイントカードが溜まっていたので、『刑事コロンボ』『サイボーグ009』など、DVDを5枚ほど、2万円分も買ったが全部ロハ。随分儲かった気もするがそれだけBOX買いをしているせいであるから、贅沢している点に変わりはない。
 しげが注文していたダン・エイクロイドが出演している『ハリウッド・アドベンチャー』、まだ届いていない。店員さんの話によるとどうやら絶版らしいとのこと。「在庫がないか、ほかの店舗に聞いてみます」とのことだが、望みは薄かろう。どなたか見かけた方はご一報を。ほかにも、ダン・エイクロイド情報をご存知の方がありましたら、しげのHPの掲示板にでも書きこんでいただけると嬉しい限りです。

 http://homepage3.nifty.com/aykroyd/aykroyd.html

 丸善を回ってしげの手帳を探すが、手ごろなものがない。一応、気に入ったものがありはしたのだが、値段が6000円。とてもそこまで身銭は切れないので、しげ、泣く泣くあきらめる。おまえが買ってやれよ、と言われそうだが、私とて金欠病で私のサイフには常に見えないアナが開いていて、おカネはそこを素通りしているのである。ンなバカな(-_-;)。
 天神コアのレストラン街に行くと、「カレー研究所」という新しいカレー専門店ができていた。メニューを見ると各国のカレーを「研究」しながら出しているようだ。面白そうなので入ってみる。
 ベースはやっぱりインドカレーが多いようだが、スパイスや具が国によって違うらしい。私は名前だけで笑える「アメリカンステーキカレー」を注文。肉入れりゃいいって発想が大雑把なアメリカ人だ。
 しげは甘口のチキンカレー。味見に一口食べてみて、それでも辛かったらしく、チャツネをボックスから小さな匙で掬ってカレーに入れようとするが、不器用でうまく匙からカレーに落とせない。「もういい!」と泣きベソをかいていたので、仕方なく私がスプーンを使ってキレイに落としてやる。全く気の短い幼稚園のガキを連れてるみたいだ。
 福家書店を回って本を買いこみ帰宅。
 途中、「はかた文具館」にも寄るが、やっぱりしげの気に入る手帳はない。チャック式で、丈夫で、メモ帳の入れ替えが可能で、ペンも入れられるとか、いろいろ機能が付いてなきゃいけないらしい。
 「もしもどうしてもいいのが見つからなかったら、誕生日の祝いにあの6000円の買って」と、ねだられる。
 「誕生日って、来月15日?」
 「そんなに待てんよ! 早めに貰うと」
 ……早いとこ、安くて使い勝手のいい手帳が見つかることを祈ろう。

 ロイヤルホストで食事。
 暑い日が続くので、かき氷が目当て。「ずんだ氷」というなんだかよく分らない名前のかき氷があったが、白玉がふにふにした食感で美味。「ずんだ」という名前のイメージは何となく東北っぽいが、どこかの名品なのかな。
 

 DVD『刑事コロンボ 別れのワイン(Any old port in a storm)』。
 これももう何度目かの再見だけれど、何度見返しても飽きない。誰もが誉めそやす、コロンボシリーズ最高傑作である。LDも持ってるし、前にも感想を書いたかもしれないけれど、まあいいや。
 原題は「嵐の中のオールドポルト」の意。ある意味トリックのネタバラシになってる芸のないタイトルなので、日本語タイトルの方がずっといい。
 毎回、コロンボ役のピーター・フォークと、犯人役の名優との丁々発止が楽しい本シリーズであるが、実際には、歴代犯人の中には、名前が売れてる割に演技が大根って人もいて(誰とは言わんが、『○○ー○○ッ○』シリーズの○ー○船長で有名なアノ人とか。見るからにアホなのに、二度も犯人役演じてるんだよなあ)、作品自体が腑抜けた印象になっちゃってるものも多い。
 その点、『別れのワイン』の犯人、エイドリアン・カッシーニを演ずるドナルド・プリーゼンスは文句なしの配役である。一般には『007は二度死ぬ』の初代ブロフェルドで有名だが、『大脱走』、『鷲は舞い降りた』ほか、100本以上の出演作がある名優中の名優。残念なことに、あまりに重要な役が多すぎて、晩年は『コロンボ』に出演したことはすっかり忘れちゃったらしいが(^_^;)。
 しかし、この犯人がシリーズ中最もユニークな犯人であることは間違いない。なにしろ、全犯人中ほぼ唯一、コロンボの共感を得るという稀有な役柄なのである。ワイナリーの経営権を、ワインの価値も分からぬバカな弟に奪われることを阻止するために犯した犯罪。視聴者の同情は被害者にではなく犯人側に注がれることになる。
 オタクならばこの犯行心理は容易に理解できよう、子供のころ、せっかくコレクションしたオタクグッズを親に捨てられそうになって、殺意を抱いたことがなかったかどうか。私の場合、あまりにそんな経験が多すぎて、母親が死んだときも恨みが晴れた気持ちの方が大きくて、全然哀しくなかったくらいである。多分、親父が死んでも哀しくないな。須らくオタクの道は外道の道か。
 コロンボが、ワインコレクターであるエイドリアンと対等に会話するために、“本気で”ワインの勉強をするところがまさにオタク泣かせ。その懸命の努力があったればこそ、犯人もまた、彼になら逮捕されても悔いはない、と観念するのだから。オタクは、自らの価値を知るもののために死ぬものだ。ちょっと違うか(^_^;)。
 もう一つ、犯人がコロンボに逮捕される決意をするのが、秘密を知った女秘書に結婚を迫られたから。やっぱ、オタクは女よりグッズを選ぶよな。厩火事厩家事(←意味の分らない人は落語通に聞いてみよう)。

 気になるのは、以前は封入パンフに書いてあった、追加声優(NHK放送時には本編がカットされていたので、完全版では追加アフレコをしなければならなかったのである)、なぜか今巻から記載されなくなっている。
 コロンボは故・小池朝雄に代わって銀河万丈さんだということが前巻までの記載で分かるのだが、ドナルド・プリーゼンスの声が誰だか分からない。オリジナルの中村俊一ではないのは間違いないのだが、追加のセリフがヒトコトだけなので全く見当がつかない。
 こういうところ、手を抜くなよユニバーサル。大事な記録なんだぞ。


 マンガ、和田慎二『忍者飛翔 桜の章』(メディアファクトリー/MFコミックス・599円)。
 3巻が先に出たけど、これが『忍者飛翔』シリーズの第一作。
 「幼馴染どうしの恋」とか、「陰ながら少女を見守る少年」とか、今の和田慎二の諸作よりもよっぽど少女マンガマンガしてる展開だけれど、それでも「忍者」って設定だけで当時は充分少女マンガ界から浮いてたんじゃないかな。
 無意味に脇キャラを死なせるあたり(しかも爆死させたり食わせたり、悪趣味が鼻につく)、やっぱり作劇はヘタだけれど(手塚譲りだな)、長編ものよりはまだ見られる。長編になると設定の破綻が激しくなるからな。読み切りシリーズの方が和田さんはまだ体質に合ってると思う。

2001年08月03日(金) 1周年!/TVスペシャル『ルパン三世・アルカトラズコネクション』ほか
2000年08月03日(木) 巻頭言&近頃の若いやつぁよぉ……/『ジェームズ・ボンドへの招待』(ジェームズ・チャップマン)ほか


2002年08月02日(金) 復讐正露丸/『快傑ズバット』第一話/『芥川龍之介 妖怪文学館』/『秘宝耳』(ナンシー関)


 朝、というより夜中の1時過ぎ。
 当然、私は安らかな眠りについていて、鳥の囀りのように軽やかなイビキをかいて(もちろん想像である。熟睡してるんだから自分でイビキをかいてるかどうかなんて分るわきゃない)いたのだが、けたたましく鳴り響く電話のコール音に
飛び起きた。
 仕事中であるはずのしげからである。
 「どしたん? 夜中やん」
 「……車上荒らしにあった」
 「はあ?」
 「窓ガラス割られてね、バッグ盗られたと」
 「ケガとかしとらん?」
 「うん。駐車場に停めてたら、お客さんが盗まれたって言ってたから、見に行ったら盗られとった」
 「おカネとかは?」
 「いや、お金は盗られてないけど、練習用のバッグだから、着替えとか、スケジュール書いてた手帳とか、全部盗られた」
 「うーん、まあ、そんなもんで済んでよかったと思わにゃ」
 「あれ、正露丸入れとったやろ」
 「だっけ」
 「うん。泥棒があのバッグ開いて、正露丸の匂い嗅いで『なんじゃこりゃあ!』って驚くのがせめてもの救い」
 「……そういうもんか?」
 「じゃ、警察行ってくる」
 電話を置いて、一息ついて思ったこと。
 確かにしげにとっては大変な災難ではあったろうが、なんでわざわざ私を叩き起こして電話してくる必要があったのか。朝になって報告すればよかったんじゃないのか。今日も朝もはよから、私、仕事があるんだけど。

 しげのロドリゲス(車にそういう名前をつけてた気がするが、もうしげ本人もそんな名前で呼んでない。薄情なやつである)、窓が割られたままなので、職場へはタクシーで行く。
 ところが、帰りはしっかり窓ガラスを入れて迎えに来たのでビックリ。
 「どうしたん? もう、保険が降りたの?」
 「計算してみたらこれから払う保険代のほうが高くつくから、2万円で入れてもらった」
 ほかに、バッグや手帳や着替えを買い直したら、結局5万円くらいはかかりそうとのこと。「もう出て来んよね」と繰り返すが、今頃はどこかのゴミ箱行きだろう。まかり間違って、犯人がヘンタイだったとしても、着替えの持ち主がしげのようなやつだと分かったら幻滅するのではないか。ジャージには正露丸の匂いが染み付いてるし、嗅いでも嬉しくないだろうな。
 「しーじゃっく」で寿司を食って、マルキョウでトイレットペーパーを買って帰宅。


 2004年から紙幣の肖像が切り替わるそうな。
 なんだかついこないだ夏目さんと新渡戸さんと福沢さんに切り替わったばっかりのような気がするのは気のせいか。20年くらい経ってんの? もう。
 1万円札の福沢諭吉は変更ナシだけれど、5千円札は樋口一葉、千円札は野口英世だって。どういう基準で選ばれてるのかは分らないけれど、なんでこの人? って違和感を感じるほどではない。女性文学者を誰か一人、ということになるとやっぱり一葉かなって気はするし。与謝野晶子や林芙美子がなぜダメなのかは触れないでおこう(^_^;)。
 テレビのニュースでは、野口英世の姉さんの孫って人が喜びのコメントしてたけど、そんなに嬉しいものなのかね。まあマイクを向けられたら喜びのコメントしか言えないだろうけど。
 今回のニュースを見て初めて知ったことだけど、この肖像選択に際しては、子孫とかに事前の連絡や許可を求めたりってこと、一切しないんだね。樋口一葉記念館の人が「そう言えば以前役所から写真くれって言ってきたのはこのことだったのかと」って言ってたのはちょっとマヌケだったな(^o^)。
 けどなー、まるで比較するように、新渡戸稲造の子孫や道後温泉の従業員にコメントを求めてたのは、ちょっとばかし失礼ではないの? んなこと聞かれたって、「淋しいです」以外に返事のしようがないやん。マスコミが失礼だってことは昔から分ってたけどさ、それ以前に視聴者は誰もそんなこと聞きたいと思ってないってこと、わかんないのかね。
 まあ、夏目房之介さんにコメント求めに行かなかっただけまだ理性があるのかな。もっとも、実はコメント求めてて断られたのかもしれないけど。「おじいさんがお札から消えてしまいますがどう思われますか?」なんて質問、返事のしようがないよなあ。


 唐沢俊一さんのWeb現代『裏モノ見聞録』番外編に、品田冬樹さんが、戦前の瀬尾光世(男性ですよ)のアニメ『くもとちゅうりっぷ』に登場するてんとう虫ちゃんのフィギュアを制作したとの記事。
 『くも』は、戦前の日本のアニメ技術がディズニーにひけを取るものではなかつたことを示す好例だけれど、特にこのてんとう虫のキャラの可憐さと色気を同時に体現した滑らかなフォルムと動きは、未だに誰もまねできない高みを築き上げている。
 そんな最高のキャラクターをフィギュア化しようってんだから、こりゃちょっと無謀な試みではある。実際、写真を見る限りでは、出来はやはりイマイチと言わざるを得ない。品田さんご本人が、「ノスタルジーでやるというのではなく、今の子どもが違和感なく遊べるように、少し顔などは現代風にしました。」と仰ってるが、そんな改変をするなら初めから作る意味がないのである。出来上がったものはごく普通の、キューピーかペコちゃんもどきの人形。買う人どれだけいるのかなあ。


 昨日から、CSファミリー劇場で、『快傑ズバット』が放送されている。録画しといたのをしげと二人で見た。しげもこれを見たくて見たくて見たくて見たくてたまらなかったのだ。なんだか一緒に同じドラマを見るのって久しぶりだなあ。
 本放送時は、東京ローカル(12チャンだよ)だったせいで、福岡じゃ一度も見られなかったのだが、ようやく見られた。全く、長生きはするものである。
 しかし凄いね(@。@;)。オープニングからトバしまくりっつーか、なんで私立探偵がセスナに乗って飛んで来て、しかも降りてきたらギター抱えたカウボーイスタイルで投げキッスにウインクするんだよ。聞きしに勝るというのはまさしくこのこと。宮内洋氏が自ら代表作と言うのも分るよ。長坂秀佳のどうしようもないバカ脚本を、ここまでヒロイックに演じ切れているのはまさしく宮内洋あってこそだろう。
 いや、脚本がヒドイってのは、結局ズバットのやってることって、悪人相手とは言え、リンチで犯罪だからな。『必殺』シリーズみたいな闇の稼業ならともかく、堂々と警察が後ろ盾についてるってのはマズイっしょ(^_^;)。『仮面ライダー』だって、一応は密かに戦ってたって設定だったのに(後半どーでもよくなってったけどな)。
 でも、見てる間それが気にならないのは、やっぱりヒーローが宮内洋だから(^o^)。うん、宮内洋なら何をやっても許せる。飛んでるピストルの弾丸に更に弾丸を当てる、なんて芸当が宮内洋と片岡千恵蔵以外の誰にできると言うのか。親友の死に夕日に向かって泣きながら歌を歌おうが、誰もいない草原でポーズ決めてようが、「正義のシーロー」ってセリフがナマってようが、宮内洋ならオッケーである。
 これは全話録画しそこなわないようにしないとなあ。


 東雅夫編『伝奇ノ匣3 芥川龍之介 妖怪文学館』(学研M文庫・1575円)。
 巻頭に芥川自筆の妖怪画帖も付いてて、彼の怪奇文学を概観するにはお得な一冊。
 と言っても、国語の教科書で『羅生門』しか読んだことのない人には、芥川が怪奇文学に興味を示し、相当数の実作をものしていたことは意外に思えるかも。
 まあ、コッチコチのブンガク馬鹿じゃなくて、実際に芥川の作品に触れてる人なら、芥川が怪奇・ホラー小説もユーモア小説もものしていた(というより自らの創作の主としていた)エンタテインメント作家だってこと、分ると思うんだけどな。
 ウソじゃないぞ、『羅生門』だって本人がちゃんと「明るい小説を書いた」って述懐してるのに、後世の評論家が勝手にエゴイズムだのなんだのとコリクツこねてブンガクに仕立て上げちゃったんだから。

 芥川の怪奇小説の分析能力に関しては、解説の東さんも力説してるけれども、まさしく慧眼、当時の第一人者と言ってもよかったのではないか。メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』も、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』も芥川は読んでいたし、しかも「怪奇小説としては駄作」と切って捨てている。このことについては、原典を読んだことがある人には理解できると思うけれど、ゴシック・ロマンとして面白くはあっても、怪奇小説としてはクドイばかりでちっとも恐くないのだ。この二作は映画化作品があまりに有名になっちゃっために原作まで過大評価されてるところがある。
 芥川が第1級の怪奇作家と誉めているのは、エドガー・ポーや、アンブローズ・ビアス、M.R.ジェイムズ、アルジャーノン・ブラックウッドあたり。『新青年傑作選』あたりを読まないと今ではなかなか読むことの出来ない作家もいるが、当時でもこのあたりの作家に食指を伸ばしていたというのは珍しい。この「なんでも読む」姿勢は師の夏目漱石に通じるものがある。こうなると、ラブクラフトも読ませてみたかったなあ。
 果たして、当時のブンガク作家たちでこれだけ怪奇小説に造詣の深い人間がどれだけいたことか。芥川以外は怪奇小説のアンソロジーを編んだ岡本綺堂くらいのもんじゃないのかね。師匠の夏目漱石が49歳の若さで死なず、昭和の世まで生きていたら、芥川もキチンと評価してもらえて自殺しなかったかもしれないな。

 本書の巻頭に載っている『妖婆』、これ、佐藤春夫からケチョンケチョンに貶されて芥川はすっかり落ちこんじゃったやつである。佐藤さんもロマンチシズムの作家のように見られてるけれども、実際には結構理詰めで作品書いてる人なんで、『妖婆』が作品としてどうこう、というより、同じ理知派の代表と見なしていた芥川が、得体の知れない妙ちきりんなものを書いたってこと自体、気に入らなかったらしい。
 でも、実際に読んで見れば分るけれども、書き出しなど、「都会の恐怖」の本質をつかんでいる名文である。残念ながら結末の付け方があっさりしていてあまり恐くないけれども、駄作とまで断じるのは早計だろう。
 何より、『河童』は芥川のユーモアとホラーの両面が融合した集大成だろう。ラストなどは、東宝映画の『マタンゴ』にも影響を与えていると思しい。本書は、ブンガクなんてツマンナイんじゃない? って思ってる人にはその思い込みを転換できるきっかけになる一冊であると思う。

 巻末収録の怪談会・座談会もレアもの。芥川全集にも未収録のやつじゃないかな。メンツの豪華さと言ったら、泉鏡花・久保田万太郎・白井喬二・長谷川伸・平山蘆江・菊地寛・柳田國男……といった人々が、それぞれの持ちネタを披露してくれてるのである。こんなのが今まで日の眼を見てなかったってのは、ブンガク研究者がどれだけ不勉強かってのを露呈してるよな。大学でブンガクブに進もうなんて考えてるやつは、須らく明治から文学史を全部読み変えてく必要があるだろうな。

 
 ナンシー関『秘宝耳』(朝日文庫・546円)。
 『小耳にはさもう』文庫化第5弾。
 出版予定は生前からあったはずだが、結果的にこれが追悼出版の形になった。
 解説を「ナンシー関」の名付け親、いとうせいこう氏が担当しているが、あまりにも悲しい名文。そして、第1級のナンシー関論である。
 「もしも本当に彼女がいなくなってしまったとするなら、我々は社会から正論を失ったということになる」
 これは既に怒りだ。事故で死んだわけでも、誰かから殺されたわけでもない。けれど、なぜナンシーさんが死なねばならなかったか、その事実を認めたくない思いは怒りという形でしか発露しえなくなっている。

 本書の内容は、1999年から2000年にかけてのものが多い。
 よくもまあ、これだけヒトの言葉の揚げ足取りが出来るものだ、と鼻白む思いをしていた人は多いのかもしれない。いや、確実にいたはずである。でなければナンシーさんの言質を単純に「毒舌」というコトバで括れはしなかったはずだと思う。
 ナンシーさんの眼はテレビの中の芸能人だけに向いていたわけではない。サッチー・ミッチー騒動時に、「人間の欲望が際限なくふくらんでいくものであるなら、商品もまたどんどん増える」と、彼女たちの醜態もまた、視聴者たちの需要のもとに成立していたことを喝破した。
 ナンシーさんを毒舌家と呼んでいた人たちは自らを省みることなくテレビの「毒」に身を任せていた人々であろう。
 ……もう一月が過ぎようとしている。
 芸能界は相変わらずクダラナイ、卑俗な、どうでもいい事件とも言えない瑣末な出来事を垂れ流し続けている。しかし、ツッコミを入れてくれるナンシーさんの文章を今は読めない。これでは、それらの出来事が本当にクダラナイ、卑俗などうでもいいことになってしまう。
 ナンシーさんはどこかで、やはりツッコミを入れているはずだ。そうでも思っていないことにはどうにもやりきれない。


 疲れ果てて寝たので、日記更新できず。さあ、どんどんたまるぞ、大丈夫か、私。

2001年08月02日(木) 『題未定』ってタイトルのエッセイ集があったな/『キノの旅�検戞併�雨沢恵一)ほか


2002年08月01日(木) MANGA ATACK!/テレビ特番『パワーパフガールズムービー』/『トランジスタにヴィーナス』4巻(竹本泉)ほか

 『少年ジャンプ』が、11月から全米で発売されることになるそうである。
 と言っても、現行のものをそのまま英語訳するのではなく、『ドラゴンボール』や『幽遊白書』『ワンピース』『遊戯王』『シャーマンキング』など、アニメ化されたものばかりをピックアップして月1回のペースで発行するとか。
 日本人にとっては今更なラインナップだけれども、アメリカで果たして人気が取れるものかどうか。日本のアニメがどの程度アメリカに浸透してるか分らないけれど、商売が成り立つほどに日本マンガのオタクはいるのかね。まだまだ全米レベルでは少数派なんじゃないかと思ってたんだけど。
 以前、『北斗の拳』の単行本が全然売れなかった、という話は聞いたことがあるけれど、人気至上主義の集英社が、まさか安っぽいリベンジを考えてるわけでもあるまい。更に市場を開発できるというリサーチでもしたんだろうか。夏目房之介さんあたりに聞いたりして(^^)。
 一応、『ドラゴンボール』はアニメがアメリカでも高視聴率だったそうだし、映画化を当てこんだんだろう、という想像が一番妥当な気はする。けれど、映画の企画は途中でポシャることも多いし、時期尚早だったって結果になる危険もあるよな。20万部発行予定って、そんなに捌けるものなのかどうか。
 それでも日本文化がどの程度グローバルなのかってことを計れはするから、できれば成功してほしいね。単に本の綴じ方を変えるだけじゃなくて、中身もいろいろと改訂されるだろうから、どう変更されたかを見てみたい。『シャーマンキング』とかが宗教上の問題に引っかかったりしないことを祈ろう(^_^;)。


 血便はしょっちゅうなんだけれど、今日は更に下痢が重なる。
 医者から「長く続くようなら肛門科に」と言われてたけど、またケツカメラぶちこまれるのやだしなあ。
 職場でもちょっと立ってられなくなってきたので、午後から休む。
 
 休んだおかげでと言っちゃなんだが、テレビをつけると、偶然、明後日から始まる映画『パワーパフガールズムービー』の宣伝番組をやってた。
 『とびきりキュート めちゃ元気! パワーパフガールズムービー カンペキ攻略!!』ってやったら長ったらしいタイトル。ここ10年くらいか、この「攻略」って付けるメイキングものや宣伝ものが随分増えたけれど、ゲームじゃないんだから、はっきり誤用だとみなした方がいいと思うんだがどうか。
 映画の名場面のクリップの合間に、the brilliant greenの川瀬智子、少年ナイフの山野直子、ナレーションの小堺一機のインタビューを差し挟む構成。……こんな昼の時間帯にこの人たちのファンがこの番組見てて、「わあ、『パワーパフガールズ』見てみた〜い♪」なんて思うものかいな。喋ってることもたいしたことない。川瀬さんは「すっごい流行ってるから〜」だし、山野さんは「原色系で好き〜」だし。監督のクレイグ・マクラッケンが少年ナイフのファンだったって打ち明け話にゃ驚いたけど。全くこのひた〜、どこまでオタクなんだか。
 小堺一機はさすがに「いい人も悪い人もみんな正しい、誰にでも憧れられるアニメです」と、的確に解説してくれてるけれども、ゲストは少なめに抑えて、テレビシリーズの「おさらい」編なんかを参考にして、もっとキャラクターの特徴なんかを掘り下げてくれたほうがよかったなあと思う。フィーチャーしてるのがPPGとモジョ・ジョジョ以外は名前だけの紹介だもんな。
 ちょっと面白かったのは、本国版の声優のアフレコ(プレスコ?)風景が見られたこと。地声全然違うんだなあ、よくあんな声が出せるもんだ。あと、マクラッケン監督が学生時代に習作したオリジナル版『ウーパーズガールズ』をチラッと見せてくれるけれど、これはもう私はDVDで見てるから、それほど得した感はなし。宣伝番組は記録的な意味でも充実させなきゃってアタマを持ってほしいもんだ。


 『クレヨンしんちゃん』のスペシャルの再放送を見る。
 新聞の番組欄だと何の話かわからなかったけれど、前に見た、魔法使いしんちゃんと、家を建てる大工さんの話だった。しげに一緒に見ないかと誘ったが無視される。どうやら寝室でプレステ2『幻想水滸伝』の何番目かをやってるらしい。ゲームに関わったら最後、しげは日頃以上に家事をしなくなるので、もう私との生活は完全に家庭内別居状態。これでしげの野郎、私のことを「構ってくれない」と文句をつけるんだから勝手なもんだよなあ。


 ドラマ『サトラレ』第5話、サトラレ同士がニアミスする話。
 原作マンガじゃ主人公と子供だったが、ドラマではオトナ同士にアレンジ。どうやって会わせないですますか、そこが脚本家の腕の見せ所だろうけれど、あまりうまくはない。里見を無理矢理福引きに行かせるというのはちょっとワザトラし過ぎだったね。
 けれど、クライマックスの処理はよかった。
 もう一人のサトラレ、矢沢の妻・珠子が心臓発作に襲われ、そこに居合わせた法子はとっさに携帯をかけて里見に助けを求めてしまう。谷沢もいるその現場にタクシーで駆けつけようとする里見。法子は二人を合わさないために、心臓マッサージの仕方を里見から教わる。命に関わることだから、シロウトの法子が里見に指示を仰ぐのも全然不自然じゃない。
 設定として、サトラレ対策は充分取られてるはずだから、周囲がオタオタし過ぎるのはかえって興を殺ぐ。ムリにギャグを作らなくても、サトラレって設定だけで自然な感じでスリル感を出せるようにしないとねえ。


 マンガ、竹本泉『トランジスタにヴィーナス』4巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・580円)。
 23世紀の諜報部員、周りに人死にを出さないという特殊能力の持ち主、エイプリル・イーナスの活躍(だかなんだか)を描く、竹本泉の一番えっちなマンガ(^o^)も第4弾。
 しかも、今回はまるまる一冊使ってのエピソード、『リスボンのねずみ』。
 ご本人はあとがきで「長い話は苦手なんですけどー」とか仰ってるけどどうしてどうして。短編のときにはあまり見られなかった映画的なコマ割りが駆使されてて、いつもよりずっと読みごたえがある。うーん、この日記に絵がアップできれば(その技術が私にあれば)、どれだけドラマチックなコマ割りがされてるか、説明できるのだが。少なくとも、竹本さんが手塚治虫、石森章太郎の直系だってことは間違いない。キャラクターが単純なんでサラリと読めてしまうけれど、できればコマを追ってじっくり読んでいってほしいなあ。
 川獺に似てふわふわでかわいいけど実は凶悪なウロボース人の護衛を、彼らの正体をそれと知らずに依頼されるイーナス。同じウロボース人同士の争いに否応なしに巻きこまれるうち、ウロボース人の悪巧みも徐々に明らかになっていく。そこには失われた文明である謎の三角人の宇宙船の秘密を奪い合う虚々実々のカケヒキがあったのだった。
 ……ってこう書くとすごくシリアスなドラマみたいだな。でも読んでる間はどんなにあぶない展開になってもどこかほんわかしてるんだよね、この話。ホント、どこかでアニメ化してくれないかなあ。『ナジカ電撃作戦』より面白くなると思うんだけど。

2001年08月01日(水) 掲示板変更&21世紀の夏/『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。 朝まで生テレビ!』(田原総一朗)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)