無責任賛歌
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| 2004年06月30日(水) |
ヒトとしてダメになりかけてる日。いつもかも(^_^;)。 |
……今日こそは仕事に行くつもりだったんだけど、朝起きて立ちあがろうとしたら、目の前がクラクラして立てなかった。様子見て半日でもいいから出勤しようと思ったけど、結局休み。……復帰できるのか? 私(+_;)。 夕方までずっと横になって安静にしてDVDを見る。安静にしてないか。『モンティ・パイソン ドイツ版』『モンティ・パイソン 人生狂騒曲』『モンティ・パイソン ライブ・アット・ハリウッド・ボウル』『モンティ・パイソン・アンソロジー』と、モンティ・パイソン尽くし。 エリック・アイドルの歌う『Always look on the bright side of life』を聞いてたら泣けてきた。ちょっと心がダメになりかけているのである。明日は、明日こそ、仕事に行こう。これじゃ引きこもりだ。
夕方、しげも起きてきたので食料を買い出しに行く。本当は出かけたくなかったんだけど、3000円渡してしげに買ってきてもらおうとしたら、「3000円ぽっちじゃ、オレが食いたいもの買えんやん!」と文句を付けられたのである。仕方なく銀行に寄ることにして、私も出かけるハメに。……こういう態度一つ取ってみても、しげが夫の体調を気遣う気などないことが分かるのである。もちろん、私がくたばってる間、家事なんてしてないぞ。私が青息吐息で料理を作っているのだ。……オニだよ、こいつ(T∇T)。
夕方、テレビで中村獅堂主演の『丹下左膳』を見る。歴代の左膳の中では、ベストと言ってもいいくらいに役にハマッている。勝手に決めつけちゃうけど、多分、映画の豊川悦史より出来はいいと思うぞ。これはぜひシリーズ化してほしいなあ。
今日読んだ本、マンガ、ツガノガク『時をかける少女』2巻、矢上裕『住めば都のコスモス荘』3巻。どっちも完結編で、涙腺がすっかり弱くなってるせいもあるのか、滂沱の涙。
マンガ家、あだち充さんのお兄さん、あだち勉さんが今月18日、胃がんのため死去していたことがわかった。享年56。 あだち充よりもデビューが早く、学年誌に連載も持っていて(タイトルは忘れた)、昔はお兄さんの方が有名だったんだけれど、あっという間に弟のほうが追いこしてしまった。けれど、それで嫉妬することもなく、弟の縁の下の力持ちに徹して『実録あだち充物語』なんてのまで描いてたんだから、心の優しく広い方だったのだろう。『タッチ』の、兄・達也の弟・和也への複雑な思いは、なんとなく實歳のあだち兄弟のイメージにもかぶってくる。どちらがどちらとも言えないが。
ほかにもいろいろニュースはあったけど、もう疲れた。こんなもんでカンベンして下さい(^_^;)。
2003年06月30日(月) ダンボールの迷宮/『新世紀エヴァンゲリオン DVD−BOX』 2002年06月30日(日) 荒む心、続く/DVD『マジンカイザー』5巻/『忍者飛翔 雪の章』(和田慎二)ほか 2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか
| 2004年06月29日(火) |
林原めぐみさん、ご出産♪ |
昨日、病院でウィルスを貰ってきたのか、朝方起きられず、仕事を休む。声出ねえよ。 急ぎの仕事はないから、多分、二日くらい休んでも大丈夫だとは思うけれども、明日から三日間がチトしんどいことになるかも。 午前中はずっと寝てたので、こともなし。昼から少し起きて、焼きうどんを作る。 DVDで『モンティ・パイソン』をずっと見る。劇場版の『アンド・ナウ』と、テレビシリーズ。定期的にモンティ・パイソンを見るのが、精神衛生上は頗るよろしい。 ……ってどんな精神やねん。
劇団の某嬢に関して、すっげー面白い話を聞いたのだが、面白過ぎて具体的には全く書けない。昔話にもできそうにないので、永久に書くことはないだろう。誰についてのどういうことか、知りたい人は、直接某嬢に聞くように。って、某嬢が誰かわからないと、聞きようもないか。 私が面白いことは何でも日記に暴露する人間だと思ってる方もいるようだが、判断基準はちゃんとあるのである。逆に言えば、以前、「あんなこと書きやがって」と怒ってる人は、どうしてそんなことを書かれたのか、ムネに手を当てて考えていただきたいものである。
今日読んだ本、渡辺やよい『走る! 漫画家』、マンガ、きくち正太『おせん』其之八、道原かつみ『ファイナル・ミッション/ジョーカー・シリーズ8』。
昨28日、声優の林原めぐみさんに長女が御誕生。 お・め・で・と・う・ございま〜す。:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*: いやまあ、一時期はアルバムも買って、エッセイ集も買ってたくらいのファンなもので。殺伐とした事件が多い中、心から喜べるニュースが一つくらいあった方が、心が和むってもんですよ。林原さんご自身が以前、「魂で歌えた」と仰っていた『Midnight Blue』を心の中で歌ってお祝いいたします。 でもオトシを聞いて、改めてビックリ。1967年3月のお生まれなので、37歳。もうそんなトシになってたのだなあ。もちろん私よりは年下なので、ずっと「妹」感覚で応援していたのだけれど(初々しい新人のころ、『ガンヘッド』に乗ってきゃあきゃあ言いながらレポートしてたのが懐かしいなあ)、20代のアニメファンにとっては、充分オネエサマなんだねえ。『エヴァ』のころだって、まだ20代だったのに、やっぱり30代から40代までの時間の進み方って早いよ。 これからは育休だって取らなきゃならないだろうし、もう以前のように、毎週どこかのアニメで林原さんの声が聞けるってほどにはならなくなるのかなあと思うと、ちょっと寂しい。『ポケモン』と『コナン』があるから、ある程度は大丈夫だろうけれど。 ……って、今は代役、誰がやってるんだ?(゚o゚)
しげが、改めて「恋愛頭脳」をやってみたところ、前よりヒドイ結果が出た(前とは名前を変えてあるけれど、「だにえる」というのはしげのことです)。 ここをクリック! 【総合判断】 論外 【恋愛観レベル】 危険(14段階中13番目) ★ 全世代から見ただにえるさんの… 【恋愛観支持率】 0% 【恋愛スタイル】 中期低テンション恋愛型 【印象】 頼り甲斐があると思われています。どことなくギラついてて怖いイメージがあります。 【総合コメント】 だにえるさんの恋愛観は、完全崩壊しています。あまりに恋愛観がかけ離れているので、喜怒哀楽を共有できませんし理解もされません。もしだにえるさんに彼氏彼女がいるとすれば、相手を黙らせるだけの魅力を備えていなければ長くは続かないことでしょう。だにえるさんと相性のいい人も数が限られており、付き合いが少なければこの恋愛観はますます独走します。柔軟な姿勢で広い価値観を求めましょう。 【ジャンル別コメント】 〔人生における恋愛〕論外 だにえるさんはあまりに恋愛軽視の傾向が強すぎます。ヒマな人や寂しがりやの人との相性は最悪です。彼氏彼女ができてもお金を使うのがもったいない、時間がもったいない…などと本音で思っていませんか?合理的に生きるだけが人生ではありませんよ。 〔社会における恋愛〕極端 だにえるさんは、恋愛より社会を優先します。恋愛について非常にリアルに捉え、ロマンチックなどという言葉とは掛け離れ、他人事のように自らの付き合いを眺めます。彼氏彼女にしてみれば、本当に自分のこと好きなのだろうかと不安になることが多いことでしょう。 〔自己犠牲の精神〕極端 まさに恋愛商人。だにえるさんは恋愛から「儲け」を出すことばかり考えているようです。相手のためにしてあげることの全てを自分の喜びとする聖人も、だにえるさんにとってはただの獲物にしか見えないのかもしれません。 〔ルックス〕変 だにえるさんはあまりに内面重視の傾向が強いようです。決して好みのルックスでなくとも、相手の熱意や優しさに触れると心が揺れ動く傾向にあります。半信半疑のまま戸惑いつつ付き合い始めることも多いのではないでしょうか?腐れ縁をつくりやすいのも情の移りやすいだにえるさんのようなタイプと言えるでしょう。 〔財力〕極端 お金があれば全てうまくいく、とだにえるさんは勘違いしていませんか?財力があればあるで良いものの、ここまで執着していると、何か大事なことを見落としたまま年をとってしまいそうです。まず「人」ありきで、その「人」の副産物としての財力に期待しましょう。 〔安定と刺激〕変 安定志向に偏っています。彼氏彼女を次々替えて楽しもう!とは言いませんが、ひとりの人と付き合うにしてもあまりに安定志向では愛想を尽かされるかもしれません。だにえるさんと同じ安定志向の人と付き合えばそれこそ安定はしますが、世間の色恋沙汰から隔離された寂しさを味わうことでしょう。 〔駆け引き〕論外 恋愛テクニックなど必要ないのか駆使できないのか、だにえるさんはワザよりココロで接します。素敵でしょ、などとうかれてはいられません。一般平均より大幅に「駆け引き軽視」であることは、だにえるさんが相手に振り回され疲れ果てるリスクの高さを示しているからです。 〔許容と束縛〕論外 どこまで束縛すれば気が済むのでしょうか?100人調査すれば、だにえるさんの束縛度は3位以内確定です。だにえるさんとデートにいけば手錠をかけられた気分になるでしょうし、同棲をすれば部屋が10倍狭く感じられることでしょう。彼氏彼女にはあきらめの早い人をおすすめします。 〔将来への意識〕論外 だにえるさんは極端に場当たり的な感覚で付き合います。相手が友達の恋人でも無職でも既婚でも借金大王でも好きになってしまえば関係なし。先のことなんて考えません。それで幸せになれるのなら最高ですが、やはり多くの場合は大きな怪我を負うことになるのでしょう。 (・判断基準 全世代/・判断基準となるデータ人数 9681人)
殆ど「人としてどうか」って診断だな(^_^;)。ついでに、私との相性診断もやりなおしてみたら、これがまたレベルダウン。
藤原敬之さんとだにえるさんの相性レベルは犬猿です。(相性 21%) 〔人生における恋愛〕 × 藤原敬之さんとだにえるさんの恋愛観に温度差がありすぎます。 〔社会における恋愛〕 △ 付き合ってもだにえるさんに熱いものがこみあげてきません。 〔自己犠牲の精神〕 × 藤原敬之さんがだにえるさんに見返りのない愛を注ぎ、いずれ朽ち果てます。 〔ルックス〕 × 藤原敬之さんはルックスばかり気にし、だにえるさんは無関心。対立します。 〔財力〕 × 藤原敬之さんはお金に疎くだにえるさんはお金も重要。トラブルになります。 〔安定と刺激〕 ◎ 問題なし。 〔駆け引き〕 × だにえるさんは完全に藤原敬之さんの尻に敷かれ、逃亡を企てます。 〔許容と束縛〕 × だにえるさんが縛るからこそ藤原敬之さんが自由を求める悪循環になります。 〔将来への意識〕 × だにえるさんは短絡的すぎ、藤原敬之さんは先のことまで考えすぎです。
まあ、しげの支持率が0%だから、どんな人間とだっていい相性が出るわきゃないんだけれども、それにしてもちょっとヒドかないかな。けれど、前回は「ルックス」の項目、私が無頓着でしげが拘りすぎと出たのだけれど、全く逆の結果になっている。参加人数で診断に変化が出るといっても、逆になるってのは普通はないんじゃない? 診断の結果にちょっと疑問を感じてしまうのである。
2003年06月29日(日) 明日はどっちだ/『コミックマスタージェイ』10巻(田畑由秋・余湖裕輝)ほか 2002年06月29日(土) 能古島紀行/『ワイド版 風雲児たち』1・2巻(みなもと太郎) 2001年06月29日(金) フェイト教授、さようなら/『スカルマン』7巻(石ノ森章太郎+島本和彦)ほか
| 2004年06月28日(月) |
新作映画のことなど。 |
病院回りのため、今日は仕事をお休み。 眼科と内科のハシゴで、目の方は特に変化なし。つまり悪いままってことだけど、とりあえずモノは見えてるからいいか。糖尿の方も特に変化なし。運動がなかなかできなくなってるので、次の検査結果のほうが怖いけど。
食事は家の近所のココイチで。ここのカレーくらいコクがなくって旨味のないカレーもないんだが、トッピングはいろいろ選べるからなあ。でも味を考えると、あと3割は値段を安くしてくれないと、しょっちゅう通いたいとは思えないのである。あの、マジで自分で作ったカレーのほうが美味いんですけど? 帰宅して横になったら、そのまま寝た。最近、まる一日活動するのがつらくなってきたなあ。
今日読んだ本、酒井順子『枕草子REMIX』、マンガ、森永あい『僕と彼女の×××』2巻、唐沢なをき『さちことねこさま』2巻、『月刊ガンダムエース』8月号。 『ガンダムエース』、トニーたけざきの『ガンダム漫画』が載らなくなったので魅力半減だったが、唐沢なをきさんの『犬ガンダム』が新連載を始めたので、ちょっと持ちなおし。ガンダムキャラが全部犬という、ただそれだけのマンガなんだけど、でもこんなの唐沢さん以外には誰も思いつかんだろう。さすがは唐沢さん、他の「突っ込みパロディ」とは一線を画した出色の出来である。でも、ギャグとしては一発芸に近い気がするんで、長期連載は苦しいんと違うかなあ。……セイラ犬やフラウ犬より、ミライ犬のほうがカワイイというのはどうなのよ。
夕方寝て起きたら、午前様。テレビで『サルヂエ』とか『爆笑問題のススメ』(福井晴敏ゲスト)のあと、浦沢直樹原作の『MONSTER』第二回を見る。放映が関東よりかなり遅れたので、先週から始まってることに気づかなかった。これだから地方はよう(-_-;)。 出来はムチャクチャいいんだけど、ここまで原作に忠実だと、地味な印象すらして新鮮味がない。けれど、演出は堅実だし、こういうアニメがファンの話題にあまり上らないというのは、やっぱり残念な気がして仕方がないのである。
新作映画の情報がいくつか。 まずはゴンゾ・ディジメーション・ホールディングとフジテレビが共同で製作する長編アニメ、宮部みゆき原作の『ブレイブ・ストーリー』が始動。……原作はどっかそのへんに転がってるけど、まだ読んでねえや(^_^;)。 製作費に10億円をかけ、ウォルト・ディズニー社傘下のブエナビスタ・インターナショナルも製作に出資、北米、欧州、アジアなど世界規模での配給を目指しているということで、今時この程度のラッパを吹くのは珍しくなくなっちゃってるんで驚かない。公開するだけならできるんだしね。インディーズで。アニメや日本映画の海外進出でウカレちゃう人は多いけど、結局はナカミが面白いかどうって問題なんだよねえ。一部のオタク以外に支持された日本アニメって、実はそんなにないんじゃないかって思うけどね。それにこの企画自体、何となく『千と千尋』の二番煎じに思えちゃうんだけど、気のせい? ジブリ風に作るつもりか? そういう方向は、ゴンゾには合わないと思うけれど。でもかえって妙にアメリカナイズされたキャラデザインにされてもつまんなくなると思うけどね。 でもいつもいつも「脚本が弱い」と酷評されてたゴンゾだけど、今度はしっかりした原作があるから何とかなるんじゃないか……って、原作あってもアレだった『戦闘妖精雪風』ってのもあったっけ。宮部さんもそこそこ面白いの書くけど、爪の甘さはいつも感じちゃうからなあ。ともかく、ゴンゾが取り組む作品としてはこれまでで最大級の作品になることは間違いないわけで、真価が問われることになるんでしょう。『青の6号』以来のファンとしては、がんばってほしくはあるのだ。
も一つ、映画化の話題。 京極夏彦の「京極堂」シリーズ第1作、『姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)』が“ついに!”映画化決定。まあ、待ち望んでたファンも多いんだろうけど、「イメージ違う!」と怒り出しそうなファンもまた増えそうな(^_^;)。 気になるキャストは、京極堂こと中禅寺秋彦に堤真一。「知性が表現できる演技力の持ち主」というのが抜擢の理由だということだけれど、私ゃてっきり佐野史郎あたりがやるんじゃないかと思ってたんだけど、もうトシが行き過ぎてるか。まあ御先祖様が近藤正臣なら、堤さんというのも流れとしては悪くない感じである。京極堂の友人、作家の関口巽に「巻き込まれキャラクターが似合う」という理由で永瀬正敏。身もフタもないけれど、これくらい納得の行く理由もないね(^o^)。私立探偵・榎木津礼二郎には阿部寛、これまたアヤシさ大爆発。刑事の木場修太郎には宮迫博之、久遠寺涼子・梗子の2役を原田知世。うーん、年齢的にはちょっと苦しいけれども、あまりトシを感じさせない人ではあるし、うまく演じられれば、『時かけ』以来の代表作になるかも、という気はする。 出来がどうなるか、ということはミステリーの映像化の場合、いつも気になることではあるけれども、小説をお読みになっている方はおわかりだろうが、これはそもそも「映像化不可能」なトリックである。小説の方ですら「インチキ」感を持つミステリーのわかんねえヤツもいるくらいだから、このトリックをそのまま映画にしてしまったら、絶対「なんじゃこりゃ?」と言い出すヤツが出てくるに決まってるのだ。しかも監督が実相寺昭雄と来れば、そのあたり何の考えもなしに撮っちゃうのは目に見えている(^o^)。 つまり「ミステリー映画としては」全く期待はできないわけで、これはもう最初から「雰囲気」を味わうつもりで見にいきゃいいんでしょうね。
さらにも一つ、『テニスの王子様』も映画化だそうで。うちのメンバーでも、約1名、狂喜しそうな人がいるけど、まあ狂喜して下さい。
昨日、本を買った袋の中にチラシが入っていた。 小説やエッセイなどに取り上げられた九州を取り上げた新聞記事を紹介するチラシである。作品は、野沢尚の『ラストソング』。福岡のライブハウスで人気を集め、ロックスターを目指して上京した若者たちの成功と挫折、別離を描き、本木雅弘、吉岡秀隆主演で1994年に映画化もされた。そのライブハウス「飛ぶ鳥」のモデルとなったのは、福岡天神の「照和」。チューリップや海援隊、甲斐バンド、長渕剛らはここで歌い、実力を磨いていった。野沢さんの筆は、店の雰囲気を「そこは熱気と言うより重力だった」と表現する。小説化、映画化を野沢さんに決意させたものは、まさにその「重力」だったのだろう。 大なり小なり、野沢さんの書く脚本や小説には、何かを書きたい、表したいという欲求の裏に、何か「重いもの」に引きずられているような印象があった。それはデビュー作である城戸賞受賞作、『七人の侍』の少女版である『Vマドンナ大戦争』のころからそうだった。野沢さんの作品に登場する主人公たちは、自らの意志と世界とのギャップに苦しみ、傷つき、痛々しい姿を晒していた。 最初期の脚本である『ステイゴールド』。川原由美子原作の、水源を求める少女たちの旅を描いたこの作品には、自殺した少女の想いをどう受けとめるかというモチーフがあった。最近作『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』にもまた、全く同じモチーフが描かれる。人はなぜ自殺をするのか、そして残された人々はその痛ましい事実をどう受け入れていけばいいのか、野沢さんはそこに常に「明るい未来」を見出そうとしていたが、そのモチーフに何十年も引きずられていたこと自体、現実においては未来が何も見えなくなっていたのかもしれない。
日記を書き終わってネットを開いて、訃報を知った。 今日の午後2時半ごろ、野沢さんの事務所で、野沢さんが首をつって死亡しているのが発見された。遺書もあり、多分自殺だろうということである。内容がまだ公表されていないので自殺の理由については現段階ではまだわからない。享年44。 代表作に、テレビドラマ『親愛なる者へ』『素晴らしきかな人生』『この愛に生きて』『恋人よ』『青い鳥』『眠れる森』『氷の世界』などの脚本、映画『マリリンに逢いたい』『その男、凶暴につき』『さらば愛しのやくざ』『殺人がいっぱい』『赤と黒の熱情』『課長島耕作』『私たちが好きだったこと』『不夜城』などの脚本、『破線のマリス』『深紅』などの小説がある。『眠れる森』の向田邦子賞、『破線のマリス』の江戸川乱歩賞など、受賞も多数。映画の遺作は、前述した『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』になる。駄作揃いの映画『コナン』シリーズの中ではまだマシな出来だった。 自分で書いた作品に、食い潰されてしまった印象を持ってしまうのは、私だけだろうか。
2003年06月28日(土) ちくしょう、目医者ばかりではないか/北村薫サイン会/『とんち探偵一休さん 謎解き道中』(鯨統一郎)ほか 2002年06月28日(金) 犬も歩けば/『仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂』(村枝賢一監修)/DVD『続・黄金の七人 レインボー作戦』吹替版ほか 2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�機��供憤舵�良和)
午前中で何とかホームページコンテンツの映画評をアップして、午後からは練習に参加。 3時には練習場に到着する予定だったのだが、バスの中で寝過ごして、終点の博多駅まで行ってしまう。と言ってもひと駅乗り過ごしただけだから、ちょっと歩くだけでさほど問題はないのだが。 ついでなので、紀伊國屋で本やDVDを買う。『みんなのうたDVD−BOX』を取り寄せて貰おうと思ったのだが、店員さんに「通販のみの扱いなんですよ」と断られる。なんでもやはり予約しようとしたお客さんがいて、その時に調べてみてわかったのだとか。ちゃんとアレを買おうとした客がいたか。子供のために、と考えるにはカサはあるし値段は張るし、十中八九、オタクであろうな。それにしても、通販でしか入手できないとなれば、割り引きは全く利かない。ボーナスが出るまで買うのは待つしかないのであった(T.T)。 そのあと、「ゲイマーズ」にも回って、買い損ねのコミックなどを物色。結局、かなりな荷物になった。DVDとコミックの紙袋をぶら下げて、「パピオビールーム」に向かうが、こんな姿で「オレ、オタクじゃないもん」と主張するのは確かに通らないのである(~_~;)。
練習、今日の参加者はカトウくん、鴉丸嬢、其ノ他くん、穂稀嬢、しげに私。其ノ他くん、最近仕事がかなりキツイらしく、「胃が痛い」と床でゴロゴロしている。鴉丸嬢も胃薬を飲んでいて、何も病気まで共有せんでも(^_^;)、と同情すればいいのか微笑めばいいのか。 キャストのセリフの入り具合、少しずつ進展。ノってくればかなりいい出来になりそうな予感はあるが、いつでもその前に公演日が来ちゃうのだな(^_^;)。スケジュールだと夏までにセリフはカンペキに入ってもらう予定なのだが、芝居は実はそこから始まる。だから今のところは私も「ともかく声に出して読まないと覚えないよ」くらいしか言うことはない。いくつかのシーンを「流し」て、練習は終了。
何度かこの日記にも書いたが、穂稀嬢(ハカセ)のモノシラズぶりは群を抜いていて、いったいどこでどうやって生きてきたのかは世界七不思議の一つと言われている。マコトシヤカに「ハカセ5歳説」が流されているくらいで、言葉を知らない、小学校低学年レベルの漢字も読めないなどの驚くべき事実は我々メンバーの中ではつとに有名だったのだが、今日もまた強烈なのを連発してくれた。 今回の台本の中に『鉄腕アトム』に言及するくだりがあるのだが、そこでハカセが言うには、「私って、『アトム』って見たことないんですよねえ」であった(このくらいではもう「ハカセだから」ということで驚かない)。 たまたま私が『手塚治虫マガジン』の最新号を持っていたので、『ホットドッグ兵団』の巻を見せる。「これがアトムだよ」。 「はあ、わかりました。で、作者は誰なんですか?」 「『手塚治虫マガジン』なんだから手塚治虫だよっ! これに載ってるマンガ、全部そうなの!」 「読んだことないです」 「『火の鳥』くらいあるだろ。やたら映画やアニメになってるし、今もやってるし」 「『火の鳥』と『フェニックス』って、同じなんですか? どっちも燃えてるじゃないですか」 ……なんだか頭痛がしそうになったので、「こいつ手塚治虫も知らないぞ」と、ネタをしげの方に振った。 「でも、藤子不二雄の区別はつくよね?」 「ああ、3人いるんでしょ?」 「3人!?」 「藤子不二雄Fと、藤子不二雄Aと、藤子不二雄Bと」 「誰だよ“B”って!」 「『ドラえもん』描いた人」 「……おまえ、あとで“校舎裏呼び出し”な」 藤子・F・不二雄原理主義者のしげにこういう発言をすれば、どんな目に会うかは自明なのである。……それにしても「B」って誰の頭文字なんだ。阪東英次か(-_-;)。
「ヤマダ電器」でDVD‐Rを買って、「バーミアン」で食事。二人でチャーハン、あとは肉炒めと焼きそばをつつき合う。朝から食事をしていなかったので、つい余計に食べてしまったが、帰宅して体重を計ってみたら、やっぱり79キロまで増えていた。便を出せばもう少し減るとは思うが、ともかく80キロのラインは越えないように注意しないといけないのである。 そのあと、DVD『鋼の錬金術師』6巻と『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd』1巻を見ながら寝る。しげはもう草臥れていたので、8時くらいにはやばやとダウン。これで明日の昼までは目覚めまい。
今日読んだ本、マンガ、滝本竜彦原作、大岩ケンヂ漫画『NHKにようこそ!』1巻、『手塚治虫マガジン』8月号、『デビルマン×キューティーハニー』vol.5。 カトウくんが『NHK』を見て、「そのマンガの『引きこもり』像って、偏ってませんか?」と言っていたが、世間はきっと広いから、こんなヤツも絶対どこかにいるだろう。一応、引きこもってるけど実は才能はあるって設定になってるし(「救い」になってるのか?)。
今日の「恋愛頭脳」、昨日まで「中学生」ランクに落ちていたのだが、今日はいきなり「大人」に回復。けれど「判断基準となるデータ人数」が、昨日までは40000人くらいいたのが3000人くらいに減っているのである。いったいどういうことかな? 単にコンピュータの誤作動なのか、それともこれまでは「のべ人数」の人数を出していたのを、何度も同じ調査をしてくる人を一人と計算し直して実質人数にしたのだろうか? まあおアソビだから厳密なデータを要求したいわけではないけれども。 しげはと言えば、順調に14段階中の下から3番目、「恥」をキープし続けている。そのせいか、相性診断の方は「せいぜい友達どまり(38%)」まで落ちた(^_^;)。相変わらず「駆け引き重視」に偏ってるのは自分で納得がいかないのだが、しげは「当たってる」というのである。「だってすぐ言葉でワナにハメるじゃん」と言うのだが、「具体的に何をどうハメてるんだよ」と突っ込むと、「ホラそういうとこ。オレがちゃんと答えきらんと思って、わざと質問するやん」と言ってむくれる。……あのさあ、オマエが答えられないのは自分自身に記憶力がないせいであって、別に私がワナを張ったわけじゃないでしょう。こういう言いがかりを付けるほうがよっぽど「駆け引き上手」だと思うんだがねえ。
夏休みに愛知県で、「世界コスプレサミット2004」というのが開かれるらしい。つか、去年も開かれてたのか。(↓参照) http://www.tv-aichi.co.jp/event/cosplay2004/ 何と申しましょうか、「『世界』大会がどうして愛知で?」というのはちょっと感じるところではあるけれども、それはまあいい。外国のコスプレイヤーがたった8名で、日本から100人集めて、それで「世界」って冠するのはどうなのよ? ちょっとばかし恥ずかしくないですかね。まあ、愛知ってそういう土地柄なのかもしれないけれど。 おそらくはこの外人のお姉ちゃんたちもアチラでは立派なオタクなのであろうが、ご自身のスタイルには相当自信を持っておられるのだろう。確かに、ご面相も含めて、決して悪くはないのだ。けれどどうしてアニメのコスプレした途端に、日常からここまで乖離した印象を与えてしまうものなんでしょーかねえ? 日本人の女の子がコスプレしても、実写版『美少女戦士セーラームーン』のように、確かに多少の違和感はあるのである。けれど、もともとアニメのキャラクターはスタイルよさそうに見えて実は結構幼児体形だ。日本人のスタイルにはまあまあ馴染めはする。けれど、本当に八頭身の外人さんが身に纏うとどうしたってツンツルテンに見えてしまうし、何よりも外人さんは、顔が濃いからねえ(^_^;)。だから『カードキャプターさくら』のコスプレにアメコミキャラの顔が付いてるようなもので、言っちゃなんだが気持ちが悪いのである。これがアチラのディズニーアニメの『白雪姫』とか『シンデレラ』のコスプレだったら、別に違和感は覚えないんだけどねえ。 でも世の中、人のシュミは様々である。あれでも「萌え萌え〜」になるって奇特なお方も、きっと、たくさんたくさん、いらっしゃるのであろう。ただ、もうそこまでになると、アニメファンとか特撮ファンとかの域、越えて別の次元にイッちゃってんじゃないですか、って気が私にはするんだけれど、どうなんでしょう? 当事者には「イッてて悪いか!?」と怒鳴られそうだけれど、その作品を愛しているのとは全然違ってるように感じてしまうわけですよ。だってまるで「ホンモノ」と違ってるのだもの(美醜は関係ない)。実写版『サンダーバード』とかに感じる違和感も、これと似たようなものなんだけれどもね。 コスプレそのものを否定しようってつもりはないけれど、基本的にアレは女装と同じ「なりきりたい願望」の現れで、「軽い変態」である。世間の偏見と戦わなければならないのは運命のようなものである。だからまあ、虎縞ビキニから肉のはみ出した鬼娘がコミケを席捲していて、それをバチバチ写真に撮るカメラ小僧がウヨウヨしていた時代から、何だかなあと思いながらも彼ら彼女らの「勇気」自体は称えていたものであったのだ。けれどねえ、よくテレビのインタビューに答えてるコスプレイヤーたちの声聞いてるとねえ、どうもあの人たち、単に「何にも考えてない」だけらしいんだよねえ。少なくとも写真に撮ってる連中が考えていることは一つだけだろうね(^_^;)。なんとかショーをかぶりつきで見てるオッサンと、どこが違いますかね。……やっぱり、公衆の面前ではちょっとはヒカレますって。 でも、別に人の趣味にとやかく言うつもりはないので、萌えたい人は萌えてくださって構わない。逆に周囲からどんな目で見られようと、おのれのポリシーを押し通していただきたいものである(よく誤解されるので、念のために言っとくが、私はどんな変態さんだろうと、ヘタに周囲を巻きこんだりしなければ、何をしたって自由だと思っている。ただ、それこそ「趣味の違い」というのは人それぞれにあるのだから、自分の趣味がさも正当だと言わんばかりに人に押しつけるのはどうだかねえ、と言いたいわけだ。バスの中や病院で携帯電話使ってるのと同じで、「場所を弁えようよ」ということなんである。よく知らないけど、会場の「大須観音」って、そういうイベントやっていいとこなんですかね?)。 彼女にコスプレさせて参加するのなら、100組限定だけれどもカメラマンとして随伴もできるそうである。東京や九州くんだりからもわざわざ出かける人間、いるんだろうなあ。……いや、私は行かないですよ。妻に何のコスプレをさせるというのですか。……ピカチュウ?(~_~;)
2003年06月27日(金) マンガを舐めるな/CD『アヴェ・マリア』(本田美奈子)/『キノの旅�察戞併�雨沢恵一) 2002年06月27日(木) 緩やかな統制に異議を/『七人のナナ』&『アベノ橋魔法☆商店街』最終回/『王妃の離婚』(佐藤賢一) 2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』
| 2004年06月26日(土) |
宛先間違えてないかな(~_~;)。 |
日本ユニセフ協会からダイレクトメールで、募金のお願いが届いた。 今のマンションに住むようになってからは初めてのことだが、こういうものを一通送るだけでも費用はそれなりにかかっているはずで、どれくらいの世帯に何通送っていて、総額はいくらになっているのだろうかと、つい計算したくなってしまう。実際にはデータがないので細かい計算はしようもないのだが。 これを送られた人全てが募金に賛同して送金するわけではあるまい。一口3千円以上で、と指定があるのだが、仮に一通送付するのに十円かかるとしたら、三百人のうち一人は一口以上送金しないことには、募金の意味をなさないことになる。別にユニセフを疑っているわけではないが、募金活動自体に胡散臭さを感じてしまうのは、そのあたりのおカネの動きがあまりに不透明だからだ。 本来、行政が成り立っていないからこそ飢餓の問題は生じているわけで、募金による一時的な救済は対症療法にしかなり得ない。本気で飢餓を何とかしたいのなら、行政の立て直しからやらなきゃ無駄な散財を繰り返すばかりだと思うのだが、実際、ユニセフが何十年間がんばっても一向に世界から飢餓がなくなる気配がないのは、そこんとこに問題があるからと違うんかね。募金活動に反対はしないが、せめてこんな効率の悪い形で庶民に「たかる」ようなマネはせずに、大企業から大口の募金を一括して集めたらどうかと思うんだけど、そのへんどうなのかねえ。
ゆっくり朝寝、食事は買い置きのうどん、そば。しげに求められるままに作ってやるが、小一時間もしたらすぐに「腹減った」と言い出すので、気がついたら一日五食くらいになっているのである。落ちつかないとすぐ食欲に走るそのクセを治さない限り、ダイエットは絶対無理だと思うぞ。
コンテンツの原稿を書きながら、一日しげと一緒にDVDを見る。 『恋は邪魔者』、メイキングもかなり充実。これが遺作となったトニー・ランドールのインタビューも収録されているが、「まだ生きてたのかって思われてるよ」と笑って答えているのが何だか寂しい。ダブル・テイクを披露して見せているあたり、さすが年季の入ったコメディアンは「違う」のである。 『乱歩R』は一話から最終話までを一気見。これもそのうちコンテンツに載せようと思ってるんだけど、どうやって時間を捻出しようか。
読んだ本、大塚ひかり『源氏の男はみなサイテー』、マンガ、野間美由紀『新パズルゲーム☆はいすく〜る』1巻、加藤元浩『ロケットマン』8巻、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』9巻。
一昨日の24日、ワーナー・ブラザースが、何度も企画に挙がってはポシャっていたタツノコアニメ『マッハGoGoGo』(英語タイトル“Speed Racer”)の実写版映画制作を再開すると発表。てっきりもう作られないものと思っていたのだけれども、俳優のビンス・ボーンが、自分でストーリー原案をワーナーに売り込んだおかげでGOサインが出たんだとか。また意外な人が『マッハ』のファンだったのだねえ。まあ、アチラでは『マッハ』のファンがかなりいることは知ってたけれども、日本じゃ正直な話「忘れられてる」アニメだからねえ、同じタツノコアニメでも『ガッチャマン』や『キャシャーン』や『ハクション大魔王』(^o^)はリメイクされても、『マッハ』にはそんな声が全然かからないし。同じレースものなら、自分とこの『チキチキマシン猛レース』でも映画化すりゃいいのに……って、ありゃ『グレートレース』のパクリだったか(^.^)。 『マッハ』の映画化企画が頓挫していたのは「予算の関係」だったそうだから、かなり規模を小さくして、レースシーンも少なくして、「家族愛の物語」の映画になりそうだということである。ならなんで映画化するのか、やっぱりよくわかんないね。 ……そう言えば、『アトム』や『ドラゴンボール』はどうなったよ。
2003年06月26日(木) 書かでもの記/『コミック★星 新一 午後の恐竜』(白井裕子ほか) 2002年06月26日(水) イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか 2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか
| 2004年06月25日(金) |
演劇人必聴! 森田順平さんのお話。 |
しげの「恋愛頭脳」、ついに「非常識」を通りこして「恥」にランクダウン。でも私も「中学生」になってしまったのだった(~_~;)。相性も「普通」に落ちる。……誰か一生懸命「オトナ評」、増やしてないか?(^_^;) けれど14段階あるというランクのトップ評価はなんて名前になってるのかなあ。「神様」かな? ラスト14番目は「崩壊」だったけれども(URLコピーし損なったら「崩壊」と出たのである)。 ヨシヒト嬢もやってみたそうなのだが、あまりいい結果は出なかったようだ。「あなたの恋愛観は壊れています」ということだそうだが、さていったいどんな質問の答え方をしたのやら(^_^;)。
今日もトンガリさんと会うつもりはなかったのだが、今度はいきなり呼びつけられた。だから少しは人にも仕事があるってこと考えろってば。 いったい何の急用かと思って行ってみると、一昨日提出した書類に、不備があったというのである(つまり一日仕事サボってたってことだな)。……今わざわざ呼ばなきゃならんほどの用事かい。それに、その書類、もともとアンタが作らなきゃならないやつなんだってば。あんたが仕事できないから代わりに作ってやってるのに文句を付けてくるたぁ、いい度胸をしている。だいたいそれだって、トンガリさんが会議に出てればチェックできてたはずのものなんである。さらに言えば、私に裁決求められたって、本来それも上司に確認取ってもらわないといけないことなんで、私は何かを言える立場にはない。なのにわざわざ私を呼びつけたというのは、イヤガラセ以外のナニモノでもないのだ。 腹が立ったので、「会議にも出ないで文句付けられても聞けません」と言い置いてとっとと帰ったが、どうせまた脳内変換して、自分の方が被害者であるような気になっているのであろう。あの人がいる限り、今後も足を引っ張ってくれるのは目に見えている。来年はもう別の部署に転属させてもらおう。うん、絶対にそうするぞ(~_~;)。
仕事は午前中で半ドン、午後から某所にて、俳優の森田順平さんの講演会・朗読会を聞きに行く。 「某所」って、なんかアヤシイ感じだけれど、実は会員制の集まりで私は本来入れなかったのだが、知り合いに頼んでこっそり忍びこませていただいたのである。だもんで、どこで聞いたのかは書けないの(^_^;)。 森田さんと言えば、何と言っても『3年B組金八先生』の陰険な(最近は丸くなっちゃったが)乾先生役が有名だけれど、もともと文学座で活躍されていた舞台俳優(現在は退団)。最近は洋画やアニメの吹替の仕事も多く、『WX�掘ゝ‘扱抻.僖肇譽ぅ弌次戮寮亳狂舅此蔑�上自衛隊一佐)役や、『ぼくの孫悟空』の三蔵法師なども演じておられる。プロフィールにはよく福岡県北九州市の出身、と書かれてあるが、本当は京都生まれで、福岡には3歳のころ引っ越したのだそうな。 ご本人は当然、乾先生のようにインケンなはずもないのだが、役者が役柄と同一視されてしまうことはよくあることである。『金八先生』放映後、近所の子供たちから「あっ、カンカン(乾先生の仇名)だ!」と指を差されて石を投げられた話などを語られて、当時はかなりつらい思いもしたという。まだ若く、憎まれ役を演じることに抵抗を感じていたのを、演出家に飲みに誘われて激励され、ようやく吹っ切れたこと、今は25年に渡って一つの役を演じられるという貴重な経験を役者として誇りに感じていることなど、順風満帆に見える経歴の陰の苦労は、やはり聞いてみなければわからない。 「乾」という役が掴めたのが第1シリーズ第9話で、「教師になったのは、倒産はないし、夏休みはあるし、安定しているからだ」というセリフをもらってからだという。 「人間はみな、『フリ』をして生きています。『人生は舞台』というのはまさにそのことです。みなさんも演技をされているわけですが、私がプロの役者であるということは、みなさんよりも一段上の演技を要求されている、ということなんです。そこでこのセリフを『なんてトンデモナイことをいうやつなんだ』と思ってしまっては、役を演じることはできなくなってしまうんですね。 劇作家のディドローが、『演技のための逆説』の中で、こう語っています。『役への感想は、役者自身ではなく、観客が感じるものである。観客を感動させるためには、自分自身の感動に溺れてはならず、常に冷静を保っていなければならない』。 つまり、逆に、『乾』とはこんなトンデモナイセリフを堂々と迷いなく言える人間なんだ、という見方をしなければいけないんです。『乾』という人間とはどんなやつなんだろう、どんな経験をして、どんな考え方をして生きてきたのか、そこから『乾』という人間の現実主義、個人主義が見えてくる。そこを考えることで、ようやくこのセリフを言えるようになる。これが、『役』の内面を作る、役を一つの大きな木に譬えるなら、その『幹』の部分を作る、ということなんです」 これは、内面から役を形作っていくという、『ガラスの仮面』でもお馴染みの(^o^)、アクターズスタジオのメソッド、即ち、演劇人には常識のスタニスラフスキー・システムがベースになっていることである。 「常識」と書きはしたが、近代演劇の基礎理論であるにも関わらず、若い役者の中にはこんな言葉、聞いたこともない、という人も少なくなくなっている。西洋の演劇に範を求めた新劇の勃興以来、ひところまで日本では、猫も杓子もスタニスラフスキー、スタニスラフスキーとやたら喧しかったものだったが、その反動もあってか、最近の演劇シーンでは(特に小劇場系では)必ずしもスタニスラフスキーシステムは重要視されなくなっているのである。しかし決して無視してよい理論でないことは、自分が役者として演技してみて、「内面のない演技」が説得力を持ちえない事実に気づき、初めて理解できることである。「スタニスラフスキー復権」を唱える演劇人ももちろんいなくなってはいない。 ただ、森田さんが仰るとおり、スタニスラフスキー・システムは「役」という木の「幹」を作る作業である。木の「枝葉」を作るには、「内面から形」を作るのとは全く逆の、「形から内面を作る」作業も必要になってくる。 「アクターズスタジオでは、『アニマル・エクササイズ』という演技術も行われています。これは、ミハイル・チェーホフ(アントン・チェーホフの弟)の唱えた『サイコロジカル・ジェスチャー(心理的身振り)』を元にしているもので、平たく言えば内面の表現を行うために、ほかのもののマネをする、動物の仕草などを取り入れる、というものです。 例えば、マーロン・ブランドが『ゴッドファーザー』で演じたヴィトー・コルレオーネという役です。ブランドとという人はもともとあんな鈍重な演技をする人ではないんですが、あの指で机をなでるような動きは、ゴリラの手の動きを真似たものなんです。 私もある舞台で、台本のト書きに『時期社長の椅子が用意されてはいるが、全くといっていいほど覇気がない。ひたすら情けない男』とあって、全く自分とはかけ離れた役で、どうにも自分の中に取っ掛かりがなくて、途方に暮れたことがありました。仕方なく、『形から入る』ことにしまして、鏡を見て、とにかく『情けない顔』を作ってみたんです。猫背で歩いて、その時自分の気持ちがどう変化するか。そうするとだんだん気持ちが情けなくなつていくんですね。そうやって、自分の『気持ち』を作っていくんです。 みなさんも試しに演じてみてください。『好いとう』というセリフを、まずは“普通に”言ってみる。次に“俯いて”言ってみる。“両手を上げて”言ってみる。“両手を広げて”言ってみる。気持ちが変化しませんか?」 1時間半あまりのお話の中で、やはり一番興味を惹かれたのは、文学座での経験を話されるあたりである。杉村春子さんから「役者はセリフが言えなくっちゃね」と言われたことが森田さんの座右の銘となっているそうだが、最近の若い役者に対して森田さんがつくづく感じているのは、「肉声表現の経験の少なさ」であるとか。 「『ゆゆしき』『つとに』『よんどころない』、こんな言葉を聞いたこともなければ使ったこともない若い人が増えています。それこそ『ゆゆしき』事態なんですが、文化庁はこれを“年長者との会話が減った”“活字離れ”が原因と説明しています。けれど、多分それだけではないでしょう。私の考えるに、そこには『肉声表現の経験の少なさ』があると思います。 『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝さんが仰っているんですが、人間は、たとえ意味がわからなくても、言葉を声に出すことで脳が活性化していく、というんですね。脳はどんなに栄養を与えても成長しない。脳が成長するのは『知識』によってなんです。 携帯電話が普及していますが、若い人は声で会話なんてしていません。みんなメール交換ばかりです。バスに乗っても、みんな黙々としてメールを打っていて、その音だけが響いている。テレビを見ていても、バラエティ番組では、たいてい下にタレントが今何をしゃべったのか、そのままテロップが出る。つまり言葉を『話す』時代から『書く』時代に変わって来ているんです。時代の趨勢は変わりようがないとし、昔に戻れと言う気もないのですが、忘れてはならないこともあるのではないでしょうか」 ちょうど、警察庁が、昨24日に、「万引などで補導、逮捕された『非行中高生』が1日に携帯で電話をかける平均回数は7.7回、メールが42.6回で、それ以外の『一般中高生』を大きく上回っている」ことを発表している。かなり恣意的な超さで、この結果から「肉声表現が疎かになったために、非行も増えた」という結論を導き出そうという予断がミエミエで、腹立たしさすら覚えるのだが(そんなにメールが打てるのは単に学校に行ってないからだろう)、伝言ならばともかくも、今現在、会話ができるのに、メールのやりとりですます、という若い人の感覚は確かにわからない。そんなに相手と喋りたくないものなのか? 私も、携帯電話を使うようになって(しげに無理矢理持たされて)、数年が経つが、メールのやりとりは専ら「今、電話で会話できない状況」の時に限られている。職場にいるとか、バスに乗ってるとか。あとは「喋り過ぎると電話代がかさむ」からか(^_^;)。 森田さんは、今テレビで見て「素晴らしい」と思える番組はNHK教育の『にほんごであそぼ』だけだという。時間帯が合わないので私は見たことがないのだが、小学生に狂言や落語ブームを起こしているのはこの番組だとか。……そう言えば、本屋の児童書のコーナーにやたら『寿限無』が平積みにされてたなあ。まさしく、『意味がわからなくたって、言葉を使うこと自体が楽しい』のが落語であり狂言だろう。こういう文化が小学生に浸透していくのなら、確かに森田さんも仰っていたが、「日本もまだまだ捨てたものではない」のである。 講演会の締めは、森田さんの、中島敦作『山月記』の朗読。 普通の人が耳で聞くには、漢語だらけでチトつらい話ではあるが、一応ブンガクブでもあるし、私もこれは好きな小説で、暗誦はできずとも文脈自体は概ね諳んじている。「あの単語、どういう意味だったっけ?」と迷うことなく、作品世界を楽しむことができた。 ただちょっと気になったのは、冒頭の「隴西の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね……、」の「隴西」を「ろうさい」と発音していたこと。これ、実は初版以来のルビの「誤植」で、ほんとうは「ろうせい」と発音しないといけないんだよね。山西省は「さんせいしょう」だし、陝西省も「せんせいしょう」、「西安」は「せいあん」だ。京大系の学者は「ろうさい」に固執してるらしいけれど、中島敦は東大だから(^o^)。 でもそういう細かいところはどうでもよくて、やはりセリフが感情表現になっているところがさすが役者さんである。『山月記』は淡々と読むと、テンポがいいだけに眠くなっちゃうんだけど、獰猛、冷徹、自恃、哀願、自嘲、さまざまな感情が交錯する李徴のセリフを、緩急自在に語る森田さんの朗読術は素晴らしいの一語に尽きた。 ここしばらくの『金八先生』は見ていなかったのだけれども、秋から撮入という新作も乾先生目当てで見たくなってきた。
しげと待ち合わせて、ダイヤモンドシティへ。今日はしげも仕事休みなので、ゆっくりと買い物もできるし映画も見られる。 回転寿司で食事をすましたあと、「夏に向けて服でも買ってやろうか」と言ったら、しげ、「浴衣がほしい」と言い出す。ちょうどジャスコで浴衣の割り引きセールをやっていた。帯と揃いで2千円〜3千円という激安価格、さらにチラシで一割引きというんだから、ジャスコは庶民の味方である(^o^)。 ゲタも一緒に買ったのだが、しげ、「今でもこういうの『ポックリ』って言う?」と聞く。いや、言わないのか? フタバ図書を回って、本を数冊、DVD『恋は邪魔者 特別版』などを購入。 映画はワーナーマイカルシネマズ福岡ルクルで『21グラム』。お話自体はまたぞろカミサマがどうとかという日本人にはピンと来ないネタなんだけれど、ともかくショーン・ペンを始め、役者の演技が上手いのと、時間軸がやたら交錯する構成が見事なので、2時間を飽きさせない。ラストにちょっと無理があったけど、まあ佳作だろう。『ザ・リング』のナオミ・ワッツの、なんとまあキレイなキレイなバストも見られます(* ̄∇ ̄*)。
今日読んだ本、林静一・吉元由美・谷村志穂ほか『小梅ちゃん』、マンガ、さとうふみや『探偵学園Q』16巻、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム スプラウト』4巻。たがみさん、後書き読むとあの薬やこの薬とかなり精神安定剤服用してるようだけれど、大丈夫だろうか(-_-;)。
2003年06月25日(水) 暗い話、えとえと、……何題?/『風雲児たち 幕末編』3巻(みなもと太郎) 2002年06月25日(火) 揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) 2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング
| 2004年06月24日(木) |
子どもの日は端午の節句ではないのだ。 |
一日激しくはないがずっと雨降り、ジメジメと鬱陶しい一日。 同僚から何気なく、「こんなに雨が降るのに、6月のことをどうして『水無月(みなづき)』って言うんですか?」と聞かれたので、旧暦と新暦の季節のズレについて説明をする。一昔前は、カレンダーと言えば日めくりの方が一般的で、どこの家でも床の間の柱なんかに柱時計と一緒にこれがかかっていたものだったが、それにはたいてい一緒に「旧暦」も記載されていた。だからそういう「日常」を知っている者にとっては、今の六月は、昔なら四月〜五月にあたること(一月半ほどズレるのである)を常識として知っているのだが、日めくりよりも月めくりカレンダーのほうが一般化した現在では、「旧暦」もすっかりトリビアになってしまっているのであろう。 「だから『水無月』っていうのは、今なら7月から8月にかけてってことになります。夏の真っ盛りですから、確かに『水の無い月』なんですよ。梅雨は逆に5月の雨なんで『五月雨(さみだれ)』になります」 「じゃあ、『皐月晴れ(さつきばれ)』って言うのは? 5月は雨が降ってるんじゃないんですか?」 「梅雨のさなかに、たまに晴れる日があるでしょう。あれを『五月晴れ』って言うんです。だから今の暦で5月に『五月晴れ』っていうのは間違いなんです。同じように、正月も七夕も今の暦で祝うのは季節がズレてしまってるんで、本来なら間違いです」 同僚は「知らないことっていっぱいありますねえ」と感心していたが、この旧暦と新暦の季節のズレ、現在では実際にどの程度の認知度があるんだろうか。どうかすると、若い人だけではなく、50、60代の人ですら知らない(あるいは忘れている)場合もあるのだ。それで特に生活に不自由はないのだから、そんな瑣末な知識は忘れてしまっても無理はないのかもしれないが、季節のズレに鈍感になっているということは日本人から「四季」を味わう感覚も失われてしまっている、ということだ。 正月休み、盆休みの風習はまだ生き残ってはいるが、核家族化が進んでいる現在では、実質上、ただの休みで、特段の「行事」を行うわけでもない。花見は飲み食いの方がメインで(でも、これは昔からそうか)、正月に雑煮を食べたことがない、盆に墓参りなんてしない、という家庭の方が多くなっているのである。 ……そう言えばもう、何年、獅子舞を見てないかなあ。商店街が消えて、スーパーとコンビニばかりになれば、そりゃ獅子舞だって各家庭を回ることはなくなるというものである。……あなたは、子供のころ、獅子舞にアタマを噛んでもらったことはありますか? 何だかもう、若い人と話をしていると、同じ日本人だということが信じられなくなってくるし、ここまで自分の「常識」が通じないと、会話をすること自体、怖くなってくることもある。「ハタチ過ぎたらオジサン、オバサン」という感覚は実際その通りで、十代の人間から見れば、40代の人間などは遥か彼方の歴史上の人間になり果ててしまっている。我々40代は中年ではなく老人なのである。「今時の若いやつらは」と言ってるうちはまだ世代の断絶に憤る元気があるが、たいていの老人はヒネクレて寡黙な頑固ジジイと化していくのであろう。30代の諸君、君たちももうすぐそうなるのよ(~_~;)。
今日は幸いなことにトンガリさんには一日合わず。別にアチラが職場に来てなかったわけではなくて、私が会いに行かなかっただけである。私にだって私の本来の仕事があるし、しょっちゅうあのヒトの仕事の代わりばかりしているわけではないのだ。 ああ、でもそれだけで気が楽になるんだから、私のストレスの最大の原因がアレであることは間違いないのである。
冷蔵庫の食料が底をついているので、買い物に行かねばならないのだが、迎えに来るはずのしげがいつまで経ってもやって来ない。電話を入れても音沙汰なし。痺れを切らしてタクシーで帰ると、やっぱりイビキをかいて寝こいていた。 叩き起こして「レッドキャベツ」まで出かけていって買い物。なかなか買い物に行くのも難しくなってきていたので、思い切り買い込む。 帰宅して、さて、本でも読もうかと思ったのだが、疲れ果てていたのか、昨日に引き続きそのまま落ちる。だからまだ8時だってぇのに(^_^;)。だもんで、今日読めたのは『新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド2nd』2巻、あとは『キネマ旬報』7月上旬号と『言語』7月号のみ。これについても記事読んでるといろいろ感想書きたくなるけど、キリないから省略。気が向いて時間と体力があったら明日の日記にでも書くかもしれん。
アイドルのDVD付きお菓子とか、名曲やアニメソングCD付きお菓子はもう珍しくなくなったけれど、ついに名作映画DVD付きお菓子までがでることになったそうな。カバヤ食品から7月中旬に発売される予定の『水野晴郎シネマ館』というのがそれ。何と値段が315円でレンタルDVDなみ、ガム一枚噛みながら映画を1本自分のモノにして見られるという、いったい喜んでいいんだか情けないんだかよう分からん企画。 日本の映画料金は欧米に比べてもバカ高いから(外資系のシネコンが席捲し始めたころ、入場料金を千円以下にしようとしたら、地元の映画館の反対くらって、高くしたって話もある。オトナ1800円って、ボリ過ぎなのである)、これだけ安くしてくれるのは嬉しいことは嬉しい。もともと映画は、大衆がヒマツブシにぶらっとキラクに入れるものだったんで、カップルのおしゃれなデートの場にされてもねえ、ってところはあったのだから、駄菓子買う感覚で映画を買うのも悪かないかな、とは思うのである。 けれど、何となく「映画がバカにされている」って感じもするのは気のせいなのかなあ。だいたい映画がもっと気軽に映画館で見られる状況があれば、映画をコレクションしようなんて気だって起こらずにすむのである。時代の趨勢は変えようがないことではあるけれど。 映画のラインナップは以下の通り。 『キリマンジャロの雪』(1952年) 『ふたりの女』(1960年) 『マクリントック』(1963年) 『愛のアルバム』(1941年) 『片目のジャック』(1961年) 『アンナ・カレニナ』(1948年) 『バリ島珍道中』(1952年) 『キング・ソロモン』(1937年) 『古城の亡霊』(1963年) 『黄金の腕』(1955年) 既に持ってるのもあるけど、一通り揃えてみるかなあ。全部買ったって、たった3150円なんだもんねえ。
2003年06月24日(火) 暗い話更に二題/DVD『ななか6/17 <めもりーふぁいる>』/『羊のうた』第1章 2002年06月24日(月) 役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか 2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか
| 2004年06月23日(水) |
ゴジラボックスと、ハモノを持った人々 |
さて、ここんとこすっかり「トンガリさん観察日記」になってる観があるけれども、「観察」だけではすまなくなって参りました(^_^;)。 いやね、もうね、あのヒトについてはね、「心の壊れたヒトだからなあ」という同情はしないことに決めたの。ともかく基本的に仕事をしたくないだけの人なんだな、というコトがスカッと見えちゃったので、遠慮したって仕方がないと気づいたってわけ。気づくのが遅過ぎたんだろうけど。同情も優しさも、この場合は明らかに偽善だわ。 実際、今日、パソコンのデータを取り出してくれるようにトンガリさんに頼んだら、早速イヤガラセをされたのである。「私は愚か者でマニュアルを読んでも理解ができませんから、オウチ(=あなた)で読まれてご自分でされたらいかがですか?」 以前は上司が同じことを頼んで断られ、私が頼むとやってくれるというイヤラシイことをしてくれていたのだが、ついに私もトンガリさんの「敵」に正式認定されたようだ。上司はそれで引き下がったのだが、私は「ああ、そうですね、そうします」と言って、トンガリさんのパソコンに割り込んで、データを取り出した。もちろん要領なんか教えてくれるわけがないから、マニュアル見ながらである。見えない目でやってんだから、当然、私はトンガリさんより仕事ははるかに遅い。その間、トンガリさんは手持ち無沙汰。「自分でやれ」と言った手前、私に向かって「早くしてください」とも言えなくて困っている。しょうがなく、鉢植えの手入れなんかしていたが、これだけでもトンガリさんが「仕事する気がない」ことは明白だ。 イヤガラセに対してイヤガラセで対抗したわけで、気持ちのいい方法ではないが、イジメられて潰れるようなタマじゃないから、これくらいは軽いものである。それに、結局はトンガリさんのやらなきゃならない仕事を肩代わりしていることは事実なので、結局は私の「負け」なのである。でも、負けてもいいから、ともかく仕事を進めないと、ヘタすりゃトンガリさんの「不正」の責任が、こっちにまで振りかかってきかねないんだから。世の中ね、キレイゴトだけじゃすまないものだからね、ある程度はオトナとして汚い仕事も引き受けなきゃならないものなんだけれどもね、おカネの流れだけはクリーンにしておかないとヤバイんだからね。 でも、オレ、経理の専門家じゃねえのに(つか、やったこともねえぞ)、なんでこんなことやってんだよう(T∇T)。 泣き言はここまで。負けて仕事してやってんだから、せめて刺したりはせんでくれよ、トンガリさん(-_-;)。
晩飯はコンビニで買った幕の内。買い物に行きたいのだが、しげと時間が合わないので、「うどん職人」になれない(~_~;)。 疲れていたのか、横になってマンガ読んでるうちに落ちてしまう。……ってまだ8時くらいだぞ。 12時に目覚めて、NHKBS2で、『バットマン・フォーエヴァー』を見る。映画館で見た時には前2作に比べてつまんなくなってるなあ、ヴァル・キルマーの大根演技、なんとかならんか、とか思っていたのだが、まだティム・バートンが製作でいる分、次作の『バットマン&ロビン』よりは数段マシだったんだなあと確認。まだまだあのダークなムードを充分残しているし、ニコール・キッドマンの美しさと、ジム・キャリーのキレっぷり(「アイム・バットマン!」)を見られるだけでも楽しい。リドラーにはぜひジム・キャリーがまだ動けるうちに「復活」してほしいんだけれども。
そのあと、日本映画専門チャンネルで『ほしのこえ』を見ていたら、しげが仕事から帰って来る。 溜め息をついて「今日警察呼んだよ」というものだから、いったい何があったかと聞いてみたら、店に来たヨッパライの客が、注文をした途端にテーブルに突っ伏して爆睡、呼んでも押しても起きなくなってしまったのだそうな。そのまま身体を壊されても困るし、お巡りさんを呼んで、食べてもいない食事代を払わせてお帰り願ったそうだが、またあとで「なんで食ってもいない食事の代金払わせた!」とかクレームつけてこないかね。そんなやつ多いし。
「Yafoo!オークション」に出されていた鴉丸嬢のイラスト(ちょっとえっち)が、めでたく2300円で落札された。初め500円からの競りで、ここまで釣り上がったのだから、なかなかのものじゃなかろうか。もっとも、そこまで釣り上げたの、しげだけど(^_^;)。 でも落札したのは結局どこかのオタクさんらしい。ほかにも『ときめきメモリアル』なかのイラストを落札しているから、そちら系がお好きな方なのだと思われる。ちゃんと「お使い」いただけるのであれば鴉丸嬢も本望であろう。 ……しかし、鴉丸嬢のイラストの値段の相場がそのくらいということは、うちのホームページにお願いしてるイラストにも、もう少しイロつけてあげなきゃいけないかな。とか言いながら、まだ全然貰ってないんだけれども(^_^;)。でも公演がひと区切りつくくらいまではチョイ無理かな。
今日読んだ本、マンガ、加藤元浩『Q.E.D.』18巻、ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』5巻、島本和彦『炎の転校生(小学館文庫版)』6巻。小説類は継続して四、五冊を平行して読んでるので、今日読了したものはなし。
東宝が、『ゴジラ』シリーズ全作品を収録した30枚組みのDVD-BOXを発売することは既報だったけれど、その特典が決定した。 映像特典を収録した3枚組みの『ゴジラ スペシャル・アーカイブス』で、海外版『怪獣王ゴジラ』『SF 怪獣シンセサウンド ゴジラ伝説』『SF 交響ファンタジー ゴジラファンタジー』、全て以前ビデオで発売されてたものだけれど、一応は「初DVD化」が謳い文句。 あと封入特典として、品田冬樹造形のソフビ製彩色済み「初代ゴジラヘッド」を付属。サイズはゴジラの着ぐるみの頭部と同じという大型のもので、DVD-BOXを収納できるようになっているとか。つまりコレクターは部屋にドンとゴジラの頭部を置いて悦に入れるってわけである。 ゴジラファンの私なら、こういうのも垂涎じゃないかとお考えの方もおられようが、残念ながらそこまでではない。自分がオタクじゃないなあ、と心底思ってしまうのはこういう時で、もともと「グッズ」にそれほど惹かれるほうではないのだ。そりゃ、Tシャツだのマグカップだのを買うことはあるが、それはあくまで「使う」ことが目的なので、コレクションすることではない。オーディオコメンタリーが好きなのは、関係者のナマの声から、映画製作の現場に思いを馳せ、想像の翼を広げることができるからである。興味があるのは「人」であって、「物」ではない。特典として「無理矢理くっついてくる」ものは基本的に好きではないどころか、モノによっては「余計なものが付いて来るから買わない」ことだってあるのだ。 ……あのさー、私が単品でなくてボックス買いするのは、基本的に「収納スペースを少なくする」のが目的なんで、逆にどでかい特典が付いて幅取っちゃうのはメイワクなんだよね。『エヴァボックス』も、それ自体はデカイけれど、トールサイズで全7巻とか出されるよりは本棚に収納しやすかったので助かっているのである。アンタ、『スペクトルマン』だって、あんな本棚に入れられねえ「スペクトルマン頭部ボックス」なんかにしなけりゃ絶対買ってたって。頼むから単発ディスクで出しなおしてくれよ。『悪魔くん』は全26話を2巻、『仮面の忍者赤影』は全52話を4巻にまとめてくれている。別に私ゃ、本棚に全集並べて威張りたい類の人間ではないので、こういうのが一番ありがたいのだ。 だから東宝にも言いたいんだけれど、毎回毎回ゴジラ作るたびに通常版とスペシャル版の両方を出してるけどよ、特典ディスクを余計にトールケースで付けなくても、2枚組ケースで充分対応できるだろうがって。それでちょっとだけ分厚くなるとか、グッズが付くなら付くで別添えだったりするなら、こちらも特に文句はないのである。 思うんだけど、こういう商売が成り立っちゃうってのも、見た目だけの「形」に乗せられてしまう「痛い」オタクがやたらいるからなんだよねえ。それが事大主義であり権威主義であることの証左であるってことに、なして気づかんかね。それとも気づいててやってるのかね。だったらオタクが馬鹿扱いされても何も文句は言えんぞ。「馬鹿でもいい」と笑ってられるならいいけど、「馬鹿」と言われると怒るからなあ、ホンモノの馬鹿は。私ゃ、自分が馬鹿だと分かってる馬鹿は好きだが、馬鹿だと分かってない馬鹿は見たくないよ。 実は『ロード・オブ・ザ・リング』も、三部作ボックスを予約しちゃってるんだけれど、これも単発でそれぞれ買うよりゃコンパクトになってないかな、という期待があるからだ。で、買ってみてやたらドデカかったりしたら、アタマ抱えることになるんだけれど(『アメリ缶』のときにはちょっと参ったね)、店頭買いしようとしたらもう売り切れてたってこともあるから、カンで予約するしかない面もあるのである。特にカサ張るオマケが付いてた風でもないし、割高になってた感じもないから、多分大丈夫だと思うんだけれど。 ……というわけで、「ゴジラボックス」は買わないから、安心しなさい、しげよ(^o^)。
昨22日、韓国人貿易会社社員、金鮮一(キム・ソンイル)さんが、イラク武装勢力「唯一神・ジハード」に拉致・殺害された事件で、韓国内は「派兵反対」VS「戦闘部隊を派遣すべき」という、国論を二分する事態になりつつあるようである。 日本人の中には、例の三馬鹿ほかが無事解放されたことで、「イラクの武装勢力も『話せば分かる』人たちなんやねえ」とか脳天気に考えてる人もかなりいたようだけれども、これでちっとは「あいつら所詮テロリスト」という事実を認識してくれたんじゃないかねえ。認識してほしいけれども。 まあ、日本人拉致を行った「ムジャヒディン旅団」って組織は、場当たり的に結成されたイラク国内の抵抗勢力で、まだ宗教指導者の勧告を聞き入れる余地があったけれども、今度の犯行を行った「ジハード」は純然たるウサマ・ビンラディン麾下であるアルカイダのアブ・ムサブ・アル・ザルカウィが結成した組織であり、当初から人質に助かる見込みはなかった、という違いはある。テロリストにも「穏健派」と「過激派」の多少の差はあるってことなんだろう(~_~;)。 けれど、結局は、彼ら抵抗勢力の唱える反米、反西欧闘争とやらが、一般市民も巻きこむ無差別的、非人道的な、到底国際世論の賛同は得られないただのテロであることは疑いようもないことなのである。エドワード・エルリック曰く、「関係ない人間も巻き込む復讐に正当性もくそもあるかよ。醜い復讐心を『神の代行人』ってオブラートに包んで崇高ぶってるだけだ」なのである。 また同時に、マース・ヒューズ中佐が言うように、「なりふりかまわん人間ってのは一番厄介で怖ぇぞ」でもある(マンガって本当にタメになること言うよなあ)。狂信的な宗教団体の何が怖いって、その宗教の本義も目的も関係なくなっちゃって、手段と行為だけが突っ走っちゃうことなんだけど、ともかくあいつら、まさしく「刃物持ったキチガイ」になってるんだものなあ。日本人の中には、自国内でキチガイが刃物振り回して人を殺したら、すぐに「キチガイなんとかせえ」「さっさと死刑に」と堂々と主張する人が多いんだから、その論法を首尾一貫させるんだったら、「テロリスト殲滅」ももっと訴えなきゃならんのじゃないかね。 私も典型的な日本人であるから、何度も日記に書いた通り、「触らぬ神に祟りなし」、「イラクなんかに行くなよ、もう」が基本スタンスである。「復讐が何かを生むわけでもない」とも思っているし、ましてやアメリカの復讐心に追従するなんて言語道断だろう、多国籍軍だなんて、自衛隊、もう一線を踏み越えてるだろうが、さっさと引き上げぇと言いたい気分は山々なんである。 けれどもう、日本はウサマ・ビンラディンの「標的」になってしまっているのだ。「キチガイ」に理屈は通らない。「敵の殲滅」以外に、この事態を少しでも解決する方法があるのなら、教えてもらいたいものだ。取りたくはない方法だとしても、ロイ・マスタング大佐が語るように(またかよ)、「われわれもまた死ぬ訳にはいかないからな。次に会ったときは問答無用で潰す」しかないのだ。自称・平和主義者たちの言にいつだって説得力がないのは、ここで具体的な方法を示さずに「争いはやめましょう」「話し合いで解決しましょう」という「スローガン」しか示さないことにある。 ある一定の集団から完全にキチガイを排除はできないように、テロリストの根絶だって、それはただの理想論にすぎず、不可能なことは分かっている。犠牲者は常に生じ続けるだろうし、日本人だけが安全でいられるわけもない。福岡にだって軍事施設はあるし、標的にならないなんて保証はどこにもない。死者は出るのだ。けれど、その死者を、毎年百人、二百人単位で抑えるか、一万人、十万人単位に拡大させるかで判断するなら、どっちがマシなのか、「国家的判断」に基づくならば、答えは自明のことだろう。「テロ支援国家」ならばまだしも、「テロ組織」そのものが国家となるような事態を招聘してはならないんである(いや、既にそうなってる国はあるけど)。 何だかねえ、何言ったって虚しいばかりだけれどねえ、一庶民に過ぎない我々は、いざという事態は覚悟して、せめて自分が犠牲にならないことを祈ることくらいしかできることはないのよ。哀しいけどこれ、戦争なのよね。そうしたのはブッシュの糞野郎だが。 今回の事態で、韓国政府は拉致殺害事件を正式に「テロ行為」と認定、非難して、テロに屈せず予定通りイラクに追加派兵することを決定している。「国論の二分化」とは言っても、何と言っても60年前だろうが1000年前だろうが、他国から受けた傷は絶対忘れず復讐を誓うお国柄である。どっちみち「強硬手段」が世論を席捲していくのは時間の問題だろう。火に油を注いだと言うか、キチガイ同士が絡み合う結果になったと言うか、まあそれはアメリカ対アルカイダ、あるいはイラクの時点で既にそうなってはいたのだけれど、つまりは国が狂えば、人も狂うということだ。好戦を唱えようが反戦を唱えようが、狂気の時代にあってはそれはどちらも所詮は狂気だ。これから我々は否応なしに集団の狂気に巻き込まれていくのだろう。あとは積極的に狂うか、消極的に狂うかのどちらかを選択する以外にない。寒い時代だとは思わないか?(だからアニメで落とすなって)
2003年06月23日(月) 暗い話二題/『鉄腕バーディー』1巻(ゆうきまさみ)/『金色のガッシュ!!』11巻(雷句誠) 2002年06月23日(日) ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか 2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか
| 2004年06月22日(火) |
トンガリさんの逆襲……の失敗(^o^) |
今日もあまり長く書きたくはない気分。 気候の変化もこここんとこ激しい。一昨日、いきなり37.7度を記録したかと思うと、昨日は一転、昼頃まで涼しくなり、2時過ぎにはまた暑くなって、今日はやっぱり蒸し暑いのである。クーラーに当たっていなくてもクーラー病に罹りそうな塩梅である。 トンガリさん、昨日、仕事の不備を指摘されて少しはコタエたかと思っていたら、まるで(-_-;)。私を捕まえると、「仕事してないのはオウチ(←トンガリさん用語で「あなた」。どうやら長崎のほうの方言らしい)たちでしょう」と反撃してきた。とにかく相手を責めることしかアタマにないから、自分のミスについては一切認識できないようになっているのだ。いくら説明をしても、理解力自体に欠落がある以上、何を言ってもムダである。 同僚に「あまりきつく言って、イジメになるのもいやなんですけどね」と話をしたところ、「アレがそれくらいでメゲるもんかい」と言われたものだったが、まさしくその通りであった。結局また昨日と同じく、ダンマリし始めたので、「ともかく、仕事してないのは事実なんですから、やってください」と言い置いた。どうせしないだろうけど。
しげは今朝から体調を崩して夜まで爆睡。まあいつものことである。帰宅して、買ってきたコンビニ弁当を食わせてやる。一緒にCSアニマックス、『探偵学園Q』『妖怪人間ベム』『ドラゴンボールZ』『新エースをねらえ!』『銀河鉄道物語』『はいすくーる!奇面組』『萌えよ剣』『爆裂天使』などダラダラと見る。 しげが仕事に出た後は、DVD『乱歩R』。とりあえずは第1巻、『人間椅子』『吸血鬼』。放映中に見損なったエピソードもあるので、今日から全話ゆっくり見て行って、コンテンツに挙げようと思っているのだが、これもいつになるかわからんのである。
読んだ本、『ダ・ヴィンチ特別編集6 金田一耕助』、マンガ、田中保左奈『暗号名はBF』1巻、井上和郎『美鳥の日々』7巻、荒川弘『増刊 鋼の錬金術師』2巻。
クロアチアで開催された第16回ザグレブ国際アニメーション映画祭で、山村浩二監督のアニメ『頭山(あたまやま)』が最高賞グランプリを受賞。国内外のアニメーション賞を総ナメ、という印象だけれど、こうなると唯一『頭山』を落とした米アカデミー賞の“目の低さ”の方が際立つ格好になるね。 同時に宮崎駿も功労賞に決定。日本人の受賞は1984年の手塚治虫依頼でしかも二人同時というのは、快挙なのだけれども、さて、アニメ誌や世のオタク、腐女子連中がどの程度の感慨をもってこのニュースを受け入れるだろうか……って、たいした騒動になりゃしないってことはこれまでの流れから見当はつくのだけれども。モノの分かってるオタクなら、お二人の実力は先刻ご承知、静かに喜びはするだろうけれども今更驚きはしないだろう。はしゃぐとすればミーハーな方々だろうが、そもそもミーハーは「ザグレブ」ったって、「それどこ?」程度の認識しか持っちゃいまい。 しかし、『頭山』のどこがどう優れているのか、もともとの落語が持っているナンセンス性と、その映像化に際しての卓抜なアイデア、そのあたりはもっと分析、評価されていいと思うのである。宮崎駿がなぜ海外で高く評価されたかについても、あまり納得できる批評を聞いたことがない。 そういった「ナカミ」ついての論議がないままだと、結局は受賞した事実だって、日本においては形骸化しちゃわないかと、それが心配なのだが。もうしてるか(-_-;)。
例の『ゲーム脳』のトンデモ先生、長崎佐世保同級生殺害事件について、「長時間のパソコン使用が脳の働きに悪影響を及ぼした」なんて言っておられるそうである。 ……だったら、パソコン使いまくっている世のサラリーマンの犯す事件のほうが、より残虐で多発する危険があるはずなんだけどねえ。パソコンを長時間やってると、「創造力や理性など人間らしさに関係する脳の前頭前野と呼ばれる部分の機能が低下する」。と言ってるそうだけれど、これって単に「パソコン長くやってると、くたびれてイライラしやすくなる」ってだけのことじゃないの? そんなんご大層に分析せんでも分かりきったことじゃん。逆に、パソコンやり続けてたら、ホンワカ爽やかで優しい気持ちになったら、その方がよっぽど気味が悪いよ。それ、確実にラリってるから。 でもこれで世間じゃ、慌てて「パソコン禁止!」って騒ぎ出すオッチョコチョイも出るのだろうなあ。でも今回ばかりは「パソコンを破棄せよ」なんてキャンペーンは張れないと思う。なんたって、「パソコン」は既に大多数の人間にとって「必要悪」として認められているんだから(自衛隊みたいだな)。ムダなことやってるよね、ホントに。
2003年06月22日(日) 寂しいニュースばかり/映画『シベリア超特急2』『シベリア超特急3』 2002年06月22日(土) 発熱は冷やしてあげなきゃいけないもんでしょ/『楽勝!ハイパードール』vol.1(伊藤伸平)ほか 2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか
| 2004年06月21日(月) |
「××さんはいませんっ!」 |
書き出したらキリがないから、もう簡単に書く。 今日の会議、トンガリさんはやっぱり途中で逃げた。 上司が今日こそは何としても、と、別室でお茶してたトンガリさんを無理矢理会議の場に連れ出したのだが、これまでの仕事の不備を指摘されるたびに「わかりません、知りません」を繰り返し、あまつさえトンガリさんの“不正疑惑”に話が及ぶと(大きな声では言いたかないが、そういうのもあるのである)、「自分のせいではない、○○が悪いんだ」と、その場にいない業者に責任を負わせようとした(業者が悪いわけではなく、トンガリさんが嘘八百を並べたてていたことは後で確認した)。 さすがにそのヒレツさにアタマに来た上司が、トンガリさんを「××さん!」と怒鳴ったら、トンガリさん、「××さん、××さんって呼ばないでください! ××さんはいません!」と叫んで部屋を飛び出して行ってしまった。いや、確かにいなくなっちゃったが。追いつめられたらヒステリー起こすんじゃないかと思ったけれど、予想通りの始末である。 けど、名前を呼ばれたくないってどういう心理なんだろうね。それとも「トンガリさん」とでも呼んでほしいのか(~_~;)。個人的にこのフレーズ、受けてしまったので、イヤなことがあったらココロの中でつぶやいてみよう。 〈例1〉 「藤原さん、こないだの資料、ミスがありましたよ」 「はあ。(私を藤原なんて呼ばないでっ!)修正しときます」 〈例2〉 「藤原さん、最近元気ないんじゃないですか?」 「いえ、(私は藤原さんじゃないわっ!)大丈夫ですよ」 〈例3〉 「藤原さんの奥さん、お若いですねえ」 「いや、(藤原さんはいないわっ!)あれでも結構トシ食ってんですよ」 ああ、なんかすごくヤなやつ(^_^;)。 でも、これでまたトンガリさん、仕事をマトモにしなくなるだろうし、その分の皺寄せが私に来るのは間違いない。だからなんでこんな使えねえどころか人の足引っ張るやつ、雇い続けてんだよう(T∇T)。
定時に終わる予定の会議がトンガリさんのおかげで二十分押し。駐車場でしげ、待ちくたびれて膨れっ面。全く申し訳ないことだが、私のせいじゃないのでカンベンしてもらいたい。
博多駅の紀伊國屋に回って、本やDVDを買い込む。ついでに「大水木しげる展」と平賀源内展」のチケットも買ったが、しげと一緒に行けるかどうかは微妙。そのあとキャナルシティに回って、AMCで映画『カレンダーガール』。 ヌードカレンダーを作った女性連盟の実話が元になっているが、こういうのは許せて、サッチー野村の豊島園の水着CMや、コミケでのおばはんの元キャラ体重三倍増しコスプレが許せないのはいったいなぜなんでしょうね。 これで四日連続映画を見に行っていて、これはこれで充実してはいるのだが、拘束時間が長くなる分、読書量は落ちるのである。今日読んだのも六道神士の『ホーリー・ブラウニー』3巻のみ。明日はもちょっと本を読むつもりである。
2003年06月21日(土) こんにちは/映画『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』/『あひるの王子さま』6巻(森永あい)/『ななか6/17』12巻(八神健) 2002年06月21日(金) やっぱりカネがあると肉/映画『ウォーターボーイズ』/映画『アイ・アム・サム』 2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)
| 2004年06月20日(日) |
転がる石は憎めない。 |
「恋愛頭脳」(←クリック!)を試してから、自分の診断結果が変化してないかどうか、見るのが日課になっているのだが、最初は「高校生」レベルだったものが、今日はめでたく「大人」になった。参加人数が何百人か増えたので、中央の山が盛り上がって偏差値が上がったのであろう(^o^)。 それに比べて、しげの診断は、一時期は「ヘタクソ」程度だったものが「極端/非常識」が定着、最初は20%はあった「恋愛観支持率」も16.1%まで下がり、コメント内容も「アンタ妄想抱いてるんじゃないよ」というレベルのもので、どんどん悪化するばかりである。
>「しげ。さんの恋愛観は、まず一般のそれではありません。付き合った経験も、ドラマも漫画も何もかも参考にせず、まるで地図も磁石も持たずに砂漠を歩くような無謀な恋愛観を保っています。ひとりで砂漠を歩くうちは無害ですが、そこにパートナーができれば、進む方角を巡って衝突し、いずれ別々の方角へ歩いていくことは目に見えています。この偏った恋愛観を個性だと理解してくれる、器の大きなパートナーが見つかることを切に願います。」
……オレ、そんなに器大きくねえぞ(~_~;)。 相性診断も日々変化しているのだが、今日の診断は以下の通り。
> 「しげ。さんと藤原敬之さんの相性レベルは「普通」です。( 相性 50 % )」 > 人生における恋愛:× 藤原敬之さんとしげ。さんの恋愛観に温度差がありすぎます。 > 社会における恋愛:△ しげ。さんは大人ですが、藤原敬之さんからは壁があるように感じられます。 > 自己犠牲の精神:× 藤原敬之さんがしげ。さんに見返りのない愛を注ぎ、いずれ朽ち果てます。 > ルックス:△ しげ。さんはルックスばかり気にし、藤原敬之さんは無関心。対立します。 > 財力:△ 藤原敬之さんはお金に疎く、しげ。さんはお金も重要。トラブルになります。 > 安定と刺激:○ 問題なし。 > 駆け引き:× しげ。さんは完全に藤原敬之さんの尻に敷かれ、逃亡を企てます。 > 許容と束縛:× しげ。さんの度を超えた束縛に藤原敬之さんは不満がたまります。 > 将来への意識:◎ 問題なし。
それぞれの項目を突き合わせると矛盾も起こるようだけれど、人間、一面的な計り方はできないし、まあかなり当たってるかな、というところだろう。確かに私、かなり朽ち果ててるしな。(;-_-) =3 フゥ。 診断系のサイトにハマッたことはあまりないのだけれども、この「日々変化」ものには「やられた」(^o^)。もしよかったら、みなさんもパートナーとの相性とかこれで調べて楽しんでみませんか。で、できたら私にそれを教えてくださいな。メールでコソッと教えて下されば、ネットで公表はしないので(公表してもヘイキだよ、って方は、BBSにどうぞ)。
近づいていた台風、どうやら四国の方に抜けたらしく、福岡の街は平穏そのもの。でも風だけはやや強くて、しかも「暑い」と「生ぬるい」の中間くらいの気持ち悪さ。クーラー点けてなきゃ凌げるものでもないが、クーラー病も増えそうな一日である。 練習日だけれど、先週は役者が二人、ドツボにハマって「欠席」だったので、今日はどうなんだろう? としげに聞いてみると、「今日は二人とも来るみたいよ?」とのこと。様子が気になりはしたので、朝から付き合うことにする。 まずはしげの車で、鴉丸嬢を迎えに行く。 起きて来られるのかどうか、多少心配ではあったが、鴉丸嬢、元気に出てくる。「最近、浮き沈み激しかったけど、今日は元気」とのこと。「一人になるとさ〜、もうどうでもい〜な〜って、“しげさんモード”になってたよ〜」だそうである。 ダメだよ〜、鴉丸さん、ドツボにハマッたときのしげはもう「人としてサイテー」ランクなんだから(^_^;)。 3人とも朝飯を食べていなかったので、コンビニに寄って、パンなんかを買っていく。鴉丸嬢、店内で走り回ってるガキンチョを見て、「親、叱れよ!」と悪態をついていた。これが「いつもの」鴉丸嬢なので、ちゃんと元気は取り戻していたようだ。よかったよかった。
今日の参加者、カトウくん、鴉丸嬢、其ノ他くん、穂稀嬢、ラクーンドッグさん、しげに私。ラクーンドッグさんがいられるのが2時までなので、初めは黒子役などの打ち合わせを先にする……はずだったのだが、いつの間にかC−1藤田くん(兄ちゃん)の話になる。 前にも書いたか書かなかったか忘れたので書くが、お兄ちゃんは今回久しぶりに、たくさん出てくる「黒子」の一人の役で出演する……予定だったのである。 聞くところによると、役を打電されたお兄ちゃん、小躍りして喜んだらしい。いろいろあって、しばらくP.P.Produceでは役から離れていたのだが、別にメンバーがお兄ちゃんのことを嫌っていたわけではない。ともかく何をやっても憎めないところがお兄ちゃんの長所でもあり短所でもある。まあ、喜んで演じてくれるのなら、そりゃ、ありがたいことだなあ、とみんな思っていたのだ。 ところが次にお兄ちゃんの話を聞いたとき、一同、「はあ?」と口を開けて唖然としてしまった。 「お兄ちゃん、“黒子の衣裳”、買うってよ」 あの、「黒子」と言ってもね、それは別に歌舞伎に出てくる本格的な「黒子」のことじゃなくってね、そういう役柄を表してるわけであって、別に「黒子の衣裳」なんてものは必要ないのよ。普通、わからんかね、そういうことは。だからみんなで、黒いジャージかシャツでも着るようにしようか、てな相談をしていたところだったのである。誰もプロ仕様の服なんて揃えようとは考えていなかったし、だいたいそんな予算だってあるわけがない。黒子服だけで数万円も使えるかよって。 いやね、あなた、ちょっと考えていただければお分かりいただけようが、黒いTシャツの人々の中に、一人だけ、「本物の黒子」が混じっていたら、どれだけ違和感があるか。で、結局、お兄ちゃんがどうしても「黒子の衣裳が着たい」というのならば仕方がない、ということで、黒子の役は降りてもらって、カメラマンとしてそこにいてもらうことになったのである。これなら特に動かないし、舞台にいるわけでもないから邪魔にはなるまい、という判断である。 まあ、お兄ちゃんが「憎めない」というのはこういうところなんでねえ、ともかくお人好し過ぎるものだから、調子に乗ってしょっちゅう考えなしに先走ってはドツボにハマりまくっているのである。でも、自分がハマるだけならいいけれども、そのときは十中八九、他人も巻き添えにしてくれるのだよなあ。いや全く、お兄ちゃんの過去の「戦歴」をあれこれと挙げていったら、両手に余るほどで(~_~;)。今日もそのあたりの話が出て、みんなでタメイキついたり苦笑したりしていたのだが、その細かい内容については、壁に向かってズンと落ちこんでた弟くんに悪くて、ここではとても言えねえ、言えねえ(^.^;)ゞ。 おかげで、もしかしたら私が代わりに黒子やらなきゃならなくなるかもしれないのである。マジで公演前までにあと10キロ痩せて、身体も鍛えなきゃならないってか? このトシで。 だからよう、お兄ちゃんよう、もう充分「おなかいっぱい」だからさあ、そろそろこのへんで人を笑かしてくれなくてもいいから、地に足をつけた生活、考えろってば。
練習は5時で引けて、父と姉と、「大東苑」で待ち合わせ。 「父の日」のお祝いで、席を予約して、二人を招待したのだが、そのことがよっぽど嬉しかったのか、父は店を1時間も早く閉めて、待っていた。 連絡を入れるなり(それまで練習で地下にいたので、携帯の電波が届かなかったのである)、「いつまで待たせるとや!」と父からいきなり怒鳴られてしまった。な〜に言ってんだか、そんな、勝手に早仕舞いされても、もともと約束は6時じゃないのよ(-_-;)。普通、二時間も前から待っとく方がどうかしてるだろう。これだから「博多人は、世界が自分を中心に回っていると思っている」と言われてしまうのである。まあ、実際回ってるんだから仕方がないんだけど(^o^)。 店から二人を車で送って行こうと思っていたのだが、せっかちな父は「もう現地集合でよか!」と一方的に電話を切ってしまった。こうなると何を言ったところで聞く耳は持たない。距離としては父のほうが「大東苑」に近いので、私らのほうが遅れてしまうのは明らかである。顔を合わせるなり、また文句タラタラなのだろうなあ、と覚悟して、ともかく車を走らせる。また、間が悪いことで、大東苑の駐車場がどこにあるのだか、しげは発見できず、仕方なくちょっと離れたキャナルシティの駐車場に停めることにした。 時計はもう5時半過ぎ。父の店から大東苑まで、歩いて来たって、30分はかからない距離だから、こりゃあもう、絶対に店の中で父はブリブリ文句言ってるにちがいない、と思って中を覗いてみたのだが、どういうわけだか父も姉もまだ店に着いていなかった。 父と姉が到着したのは5時45分で、どうしてそんなに遅れたのかと言うと、バスが10分以上も遅れたのだそうな。そりゃ、歩いて来た方が絶対早かっただろう。怒鳴っといて自分が遅れて着いたものだから、さすがの父も決まりが悪そうである。「あんちくしょう(=バスのこと)、遅れて三台も続けて来やがって」と悪態をついてるが、日曜の夕方だし、道は当然込んでますって(^_^;)。 盛り合わせの肉を4人で突つくが、父はビールは飲むが、肉はあまり食わない。一応、糖尿のことを気にしているようだが、どっちかと言うと酒飲まないで肉食ったほうがまだマシなんだが。それでもとりあえず「今日はありがとうな」と言ってたから、気持ちだけは受け取ったのだろう。 ……ま、いっか。
父と姉と別れて、キャナルシティに回る。 時間はちょうど7時で、中央の舞台では、外人さんのパフォーマンスが演じられていた。休日の大道芸はキャナルの目玉の一つである。バイオリンで「ハンガリアン狂詩曲」「レットイットビー」「ビバルディの四季の『春』」などを演奏しながら、足でペダルを踏んでマリオネットを同時に三体も操るというなかなかのもの。こういうのを見せてくれるから、ついついキャナルに足を運びたくなるのである。 福家書店で本を買って、「ウェンディーズ」でお茶を飲みながら、9時まで時間を潰す。 今日読んだ本は、そこでの『エクセルサーガ』12巻(六道神士)のみ。練習やら何やらで本を読む間がなかったから、これはまあ仕方がないのである。
9時からはAMCで映画『メダリオン』。「ジャッキー・チェン生誕50年/日本公開50作記念映画」という触れ込みだけれど、まあそれほどの大作ではない。なんか以前見た『ゴールデンチャイルド』みたいな雰囲気だけど、まあ、ジャッキーにパクリがどうの、と言ったって仕方ないしな。生のアクションシーンが減って、ワイヤーワーク、SFX、CGに頼るシーンが増えちゃったのは哀しいが、ジャッキーが50歳を過ぎてまだアクション映画に拘ってくれていることのほうを喜ぶべきなんだろう。
19日に発表された厚生労働省研究班の「酒害」に関する全国調査で、アルコール依存症の人が全国で推計82万人、「酔っぱらいにからまれた」「無理やり酒を勧められた」など、酒で嫌な思いをしたことのある“酒害”経験者が、およそ3040万人いることが判明。 人口の1/4が「メイワク」と感じているわけだけれども、「嫌煙権」みたいに「嫌酒権」が広がって行くかどうかは難しいところだろうねえ。日本人は酒に寛容、というよりは酒の力借りなきゃ言いたいことも言えないくらい、フヌケてるやつが多いからなあ。 また博多のことを持ち出すか、とウンザリされるかもしれないが、「黒田節」の「黒田武士」ってのは、「酒を飲んでも乱れず舞った」というのが「誇り」なんである。それを見習えとまでは言わないが、せめて、「酒に“飲まれて”乱れるくらいなら飲むまい」と考えるくらいの判断力、というより羞恥心は持ってもらいたいね。 キレイな飲み方のできない人間は、大半の下戸から「糞以下」に見られてるってこと、ちったあ自覚してもらいたいんだけど、これがまた、セクハラ中年に限って、自分は哀愁を背負ってるから女の子から同情してもらえてる、なんて巨大な勘違いしてるやつ、多いんだよ。いや、真実言うけど、女の子は内心、「死んでくれ」としか思ってないって。
2003年06月20日(金) さよなら/『ナジカ電撃作戦』3巻(完結/田代琢也)/「『ぼくら』連載漫画版 妖怪人間ベム』(田中憲) 2002年06月20日(木) 癒してくれなくていいってば/映画『怪盗ジゴマ 音楽編』/『夏のロケット』(川端裕人)ほか 2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)
| 2004年06月19日(土) |
人生と恋愛と演劇について考えた日(^o^)/松本清張映画特集と「PA!ZOO!!」公演『はなめがね』 |
昨日見た『球形の荒野』が気に入らなかったので、ビデオ録画してあったテレビ版の『球形の荒野』を見返してみる。映画版は昭和50(1975)年製作だが、テレビ版は6年後の昭和56(1981)年に「火曜サスペンス劇場」枠で放映されたもの。時代設定は、映画は原作通り昭和36年だったが、ドラマ版は昭和42年に変更。できるだけ現代に近づけて、しかも「戦後秘録」としての原作の精神を生かすとすればこれが限界だろう。監督は恩地日出夫で、主役の野上久美子が映画版と同じく島田楊子。同じ役を2度演じることになるとは本人も思ってなかったろうなあ。映画版に負けじとばかりにキャストも超豪華で、三船敏郎、中村雅俊、香川京子、池部良、高橋昌也、西村晃、柳生博、荒木由美子、本間優二、それに特別出演が原作者松本清張。出来もこっちのほうがまだ見られるか。情に流された演出でメロドラマに成り果てている点では同じなのだが。でもDVDにするなら、まだこっちの方だろう、という気はするのだけれど。三船敏郎の泣き顔が見られる、というのもなかなか珍しい。
昼までちょっと仮眠して、しげを誘って、昨日に引き続いて福岡市総合図書館で松本清張特集、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』を見る。小林桂樹の小市民ぶりが見事な佳作なのだが、しげは気に入らなかったよう。「バカしか出てこない映画って嫌」と言うのだが、松本清張ってそういう「人間のバカ」を描く作家だから、それ言われてもなあ、とは思う。確かに現代の感覚では「浮気がバレたくないくらいで、ここまで人間、転落しないよな」という感じはするけど、それは「時代」というやつだし。小林桂樹が『夜ごとの美女』の筋を絶叫するラストシーンなどは、清張映画化の中でも屈指の名シーンだと思うんだが。
ホークスタウンを冷やかしたあと、キャナルシティに回る。 「ぽんプラザホール」での「劇団PA!ZOO」の二十回記念公演、『はなめがね』を見に行ったのだが、開演の7時まで間があったので、そこのロビーに置いてある演劇関連書を読んで時間を潰す。今はなき雑誌『新劇』のバックナンバーがあって、東京サンシャインボーイズ(もだ「三谷幸喜」の名前はない)の『ショウ・マスト・ゴー・オン』のシナリオが掲載されていたので、それを読む。たしかこれも持ってたはずなんだが、家では本の山の奥に沈んでいる(^_^;)。更に言えば、確実に読んでるはずなのに、やっぱり内容はスッカラカーンと忘れてしまっているのだ。初演版のものなので、私がテレビで見た再演版のものとはストーリー、キャストにかなりの違いがあった。……つか、再演版の方が本に無理があるぞ。女性のキャストを無理矢理男にしていた、なんてところもあったし。キャストにアテ書きする劇団では再演するとかえって舞台がつまらなくなることが往々にしてある。三谷さんが劇団を解散したのは、このあたりにも原因があるのかもなあ、と思う。
『はなめがね』、新しくできたショッピングモールに圧されて、古い商店街が生き残りを迫られている。その一軒である眼鏡屋が舞台なのだが、跡取り息子は起死回生を狙って青年会の仲間たちと商店街振興のキャンペーンを張ろうと計画している。そのことで保守的な両親と大喧嘩もしたばかりだった。ちょっとトウは立っているが結婚を控えている姉、真面目で心配性の妹、息子に憧れている近所の薬屋や、親友の靴屋の娘、姉に片想いしていた床屋の青年、近所の婆ちゃんなどが入り乱れる中で、ポップでファンキーな「商店街梅雨だからto Youキャンペーン」は着々と進められていくのであった、というお話。 前説からテンポがよく、舞台に引きこまれていったが、役者さんたちの演技に安定感があるので、安心して見ていられる。欲を言えば、クライマックスになる大きな山がもう一つはほしいところだが(跡取り息子が自暴自棄になってトンデモないことをしでかすとか)、全体の流れに特に無理が感じられるところがないのがよかった。時間が合えば次の公演も見に行きたいものである。
帰りはまたまたバスの時間が合わず、今日は二人で家までてくてくと歩く。でも舞台の話など、その間、話すことはいくらでもあるので、退屈することはない。 しげの「P.P.Produce」引退話だが、自分ではもう次の劇団名を考えていると言う。 「P.P.Produce内演劇同好会ってやつか?」と聞くと、「うん、それに『B面』がつくと」。 「B面?」 「『P』と『P』を足したら『B』になるから」 「……意味わかんねーよ」 「次の芝居もいろいろ考えてるんだけど、セリフができるだけ少なくって、踊ってるけどそれがちゃんと演技になっててって考えてくと、オレ、自分でやりたいのって、『暗黒舞踏』なのか? って感じになってきてるよ」 「土方巽かい」 「ダンダンブエノの『いなくていい人』みたいなのがやりたいんよ。……でもおかしい。引退して楽になるはずなのに、ラクーンさんとこには入るし、どんどん忙しくなってる」 「だから『引退して何が変わるんだ』って言ったじゃんか。役者は死ぬまで役者なんだから。それが『才能』ってことなんだよ」 「でもオレ、才能ないって思うようになったよ?」 「昔はあると思ってたんかい」 「昔はもっとあると思ってたよ。今はそうじゃなくなったけど、でも『自分には芝居が作れる』ってことはわかってきた」 「だから『才能』ってのは『一歩足を踏み出す』ってことでしかないんだよ。だからホントに『天才は1パーセントのなんとやら』なんだ。たった1パーセントでしかない。なのにそのほんの一歩を誰も踏み出そうとしないからたいそうなもののように見えるんだな。実際にはその一歩のあとに99パーセントの努力が絶対に要る。それもやらないから『なんで才能持ってるのに枯らすか』って怒るんだよ」 ……まあ、こういう青いことをついつい喋っちゃうから、恋愛診断で「高校生」なんて出ちゃうんだろうな(^o^)。
昨日の「恋愛頭脳」、しげもやってみていたが、結果は「総合判断:極端/恋愛観レベル:非常識(14段階中11番目)というヒドイものであった(^_^;)。
→ここをクリック 総合コメントが、「しげ。さんの恋愛観は、ほぼ壊れています。これは個性の範囲を大きく外れています。しげ。さんの考え方は多くの人と食い違い、衝突を生みます。彼氏彼女がいるならば、トラブルの種はほとんどしげ。さんの中にあると言えるでしょう。また、これほどに恋愛観が一般像とかけ離れていると、多くの場合、目指すべき理想のカップル像、将来像に共通のものを描けないはずです。まず聞く耳を持ちましょう。」というものでもうケチョンケチョン。いや全く、人間としてはクズだな(^o^)。 でも、私との相性診断をしてみると、これが「普通」と出るのである。つまり、我々の夫婦関係が成り立っているのは、ひとえに私の「努力」にかかっているということになるのだ。 しげは、「オレが『強いココロ』を持って、アンタが『広いココロ』を持てばいいとよ」と言う。「『強いココロ』ってなんだよ」と聞き返すと、「アンタとオレが夫婦でいるって思い込みだよ」と答える。……それは「目的」であって「手段」じゃないだろう。「そのために何をするか」ってのが欠けてるから、私が苦労するのではないか。 なんだか「一生私のために苦労してね♪」と宣告されたようで、目の前に暗雲が立ち込めたように感じたのは私の気のせいでしょうか。へ(゜∇、°)へ〜〜〜
読んだ本、マンガ、遠藤淑子『空のむこう』。
2003年06月19日(木) 壊れる妻/『ゆうきまさみのはてしない物語 〜天の巻』(ゆうきまさみ)/『ロケットマン』5巻(加藤元浩) 2002年06月19日(水) VS借金取り(^o^)。って、笑ってる場合かよ/『卓球戦隊ぴんぽん5』(桑田乃梨子)ほか 2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)
週末で映画を見るつもりなので、今日こそは残業しないぞ、の覚悟で仕事に臨む。なんたって週明けにはまた会議があって、トンガリさんが出席するかどうかかが焦点になっているのである。ココロに病気があろうがどうだろうがともかく、仕事をマトモにできてないのに給料だけもらってる状態を、社会常識的に許しておけるものではない。言葉通りの「給料ドロボウ」を飼い続けておくわけにはいかないのである。 たとえ話が通じなくて会議が紛糾しようが、いきなり立ち上がってナイフを振りかざしてこようが(誇張ではなく、しょっちゅう上司を「刺したい」と口走っていたことは何度かこの日記にも書いた)、もう覚悟の上で、何としてでもトンガリさんに会議に出てもらうように各方面から働きかけてもらっているのである。これで出席しないようなら、本気でクビをすげ替えてもらうように働きかけていくしかないぞ、ホントにもう。なんでイカレたやつ相手にこんな便宜図ってやらなきゃならんのかなあ。 多少、来週への積み残しはあったが、会議の資料の準備はほぼできた。予想通り、トンガリさんの仕事のサボリ、ミスのおかげで仕事の滞っている箇所が続出している。上司に報告して、会議にかけるかどうかを相談したが、「そりゃ、そうしてもらわないと」ということなので、腹を括った。あまり過激な「糾弾」という形を取るつもりはないが、どんなに優しいモノイイをしても、これまでこちらの意図を誤解し曲解し激昂し半狂乱になっててきたヒトである。おとなしく納得し、仕事をしてくれるようになるかどうかはフタを開けてみなければわからない。最悪の場合、週明けでこの日記が中断することになる事態になることもあるかも(~_~;)。月曜の日記をカツモクして待て!
バスと地下鉄を乗り継いで、百道の福岡市総合図書館へ。「映像ホールシネラ」の今月の特集は「松本清張映画」シリーズである。既に先週から始まってた企画特集だったので本当は土曜日にまとめて見に行きたかったのだが、休日出勤で潰れた。だもんで平日に足を運ぶしかなかったのである。でもやっぱり翌日が休みじゃなきゃ、9時10時まで時間を使う元気はこのトシだともうないのであった。 今日見たのは『球形の荒野』だったが、昔(中学生くらいだったかなあ)見たときも「つまんないなあ」と思ったのだが、今見てもつまらなかった(-_-;)。星川清司の脚本が腑抜けてるのと、役者がみんな大根なのが痛い。うまく脚色すればすごく面白くなるのになあ。 帰りは地下鉄とバスの連絡がうまく行かず、家まで30分ほど歩く。帰宅して体重を量ってみると、一時期しげの水餃子攻勢で79キロまで増えていたものが、76キロまで落ちていた。結局、自分の健康は自分で管理しなければならないということである。やっぱりうちじゃ、女房飼ってるだけなんだなあ。
今日読んだ本、マンガ、安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て』、北条司『エンジェル・ハート』10巻。
「お気に入り」に入れている日記に、「恋愛頭脳」というサイトが紹介されていたのだが、これが普通の恋愛診断と違って、「学習型」機能付きであるのが面白い。
http://www.hanihoh.com/love/
※携帯電話からのアクセスするはこちら(http://hanihoh.com/love/lovemobile /index.cgi)
つまり、参加する診断者の結果から「偏差値」がどんどん変化していくのである。だからいったん診断結果が「最悪」と出たとしても、それを保存しておけば、いつかは「標準」になる可能性だってあるわけだ。 面白かったので、早速やってみたところ、総合判断の結果が「可」、恋愛観レベル「高校生」(14段階中6番目)と出た。 「高校生」とはちょっと青いことだが、そのへんは自分でも自覚はしていることである。「総合コメント」は「普通」で、それぞれの判断項目の殆ども「可もなく不可もなく」、正直なところあまり面白くはない。この手の診断では殆ど「常識人」という判断しか出ないので、いつもしげから「アンタってつまらん人間やね」と言われてしまうのだが、別にツマラン人間になろうと思って、そうなってるわけではない。どういうわけだか、私の周囲には非常識人だのイッちゃってる人間が集まってくることが多いので、バランスを取るために私が「常識」を標榜せざるを得なくなっている面も大きいのだ。いいよなあ、非常識を常識と思いこめる人間って。 詳しい結果を、劇団ホームページのモバイル版の連載の方にアップするが、こちらの日記だけ読んでる方のために、リンクも張っときます。日々変化するであろう診断結果にご注目を。私との「相性」も調べてみたい方はご自由に(^o^)。
ここをクリック
2003年06月18日(水) 「日本人」という名の妄想/『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』(はやみねかおる) 2002年06月18日(火) 狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか 2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)
| 2004年06月17日(木) |
本名のこと。(←意味深(^o^)) |
いつも長々と日記書いてるせいで、コンテンツがろくすっぽ更新できなくなってるのでそろそろ短めに書こうと思う。……ってこのセリフ、これまでに何度書いたか(^_^;)。
夕べ見ながら寝てしまった『カメレオンズ・リップ』、あさ早めに目が覚めた(と言っても午前3時だ)んで、続きを見る。なんたって、前後編合わせて3時間半ある大作だからなあ、根性入れて見ないとそりゃ寝るって。 なかなかの佳作で、これも劇場に見に行きたかったくらいだが、ところどころギャグが滑ってるところが気になった。これも詳しい感想はコンテンツに上げたい……っていつになるんだ、それ。
さて、この日記は「藤原敬之」というハンドルネームで書かれているわけだが、これはもともと「戯曲」を書くために考え出したもので、厳密に言えばHNではなくて「ペンネーム」である。 これはしげが主宰している「演劇集団P.P.Produce」のために作ったものだから、基本的にはうちの劇団以外の関係で使用する予定はなかった。ネットを始めて、いざハンドルネームを考えなきゃならない事態になったとき、一人の人間が二つも三つも名前を持って「別人のフリ」をするのって、ネカマじゃあるまいし何だかイヤラシいよなあ、と思ったので、そのまま流用することにした(また誤解する人がいるといけないので書いとくが、他人がいくつハンドルネームを使い分けていようが、それを咎め立てするつもりは全くない)。 だから、一時期、いくつかの事情が重なって、やむを得ず名前を複数持って使い分けていた時も、内心、かなり「不本意」ではあったのだ。今はようやく「藤原敬之」一つに絞れることになって、ホッとしている次第である。けれど、本音を申さば、本名一本で行きたいところなのである。 しかし、そうしたくてもこればかりは諸般の事情が許さない。実をいうと、私は本名でも本業の傍ら、演劇関係の仕事をしているのだが、本名で書く芝居、演じる芝居は、P.P.Produceで書いているものとは毛色が全く違っている。おふざけが一切許されない、カタイ、カタイ芝居なのである。そういうものを書いてる人間が、P.P.Produceでのようなオチャラケ芝居を作っていると知られたら、ちょっとばかしマズイことになる。 今日もある方と組んで、寸劇を演じることになったのだが、この方はそちらの仕事に、「私を見込んで(◎_◎;)!」仲間に引き入れてくれた方である。……どういうわけだか、私が本名であちこちに書き散らしている雑文をお読みになって、「この人とならコンビが組める!( ̄∇ ̄ ;)」と、思われて、声をかけてくださったのだ。いやねえ、「人はいろんなヤツがいていい、個性は大事だ」とか何とか、ありきたりのことしか書いてない駄文なんで、なんでそう思われたのかは謎なんだけど。 本名で演じた芝居だから、タイトルがどうでどこで演じたかとか、内容をここで事細かに記すことはできないが、マジメな芝居で笑いは一切取らない。しかも台本なし、打ち合わせをやったのみの即興劇である。実はかなり緊張していたのだが、私はその方を徹底的にイジメ抜くイヤラシイ役なので、思いきり辛辣に演じさせていただいた。またその方も上手い方で、実に的確に私の投げたポールを受けて、返してくれるのである。 年に一、二回はこうして本名でも芝居を書いたり演じたりをしているが、こちらの方はそんな「即興」的なものが多い。ところが綿密に練習した芝居より、いきなり舞台に立ってなるようになれ!で演じたものの方が意外に出来がよかったりするし、受けもよいのだから、世の中ままならないものである。 実際、今回も、上演後の客のアンケートは頗るよかった。若干気になるご意見もありはしたのだが、ほぼ絶賛に近い。自分自身の拙さはいつだって自覚しているので、誉められると恐縮してしまうばかりなのだが、その方にさほど迷惑をかけたのでないのなら、一応は安心できることである。 ……でもなあ、その方からいきなり「芝居やってくれ」って頼まれたの、わずか一週間前だぞ。おかげで今日は午前中、仕事休まなきゃならなくなったんだけど、そちらの調整がえらく難しかったのだ(その方には言ってないけど)。せめてひと月前くらいには打電しといてほしいものである。
午後は普通に仕事。そしてやっぱり残業(-_-;)。 8時近くになって、雨も降り出して来たので、仕事が休みのしげに連絡を入れて職場まで車で迎えに来てもらう。 帰りにレッドキャベツに寄って買い物。晩飯は買ったコロッケとネギを使って、友人が海外土産でくれた英語ラベルの「Sapporo Ichiban」。日本のものと比べて味がどうかというと、インスタントラーメン自体殆ど食べたことがないから、味の比較はできないのであった。シュリンプとチキンの2種類があったけど、片方は塩気がキツいばかりで、海老だか鶏だかよくわかんなかったし。
鴉丸嬢が「Yahoo!オークション」にオリジナルイラストを出品しているというので、しげ、パソコンを開いて一生懸命さがしているがなかなか見つからない。鴉丸嬢に電話して、どうやったら見つけられるか、いろいろ聞くのだが、どうもどこかに沈んでいるらしく、一向に出てこない。結局、IDを直接ぶちこんで、現物を見るまで1時間以上もかかってしまった。 エロマンガ家目指してるだけあって、ボインがどっぱ〜んでロリな小悪魔ちゃんが鎖に繋がれてる、という美味しそうなイラストだったが、好みを言わせてもらえれば、腰のあたりにもっとヒネリがほしかったところである。男というものは、スッとして姿勢のいい女性にだって性衝動を刺激されるものだが、それは清楚を売り物にしている女性の場合なので、ああいうエロなキャラの場合は、もっとポーズを「崩した」方がいい。 できればもっと顔を後方斜めにのけぞらせて、けれど目線だけはこっちに向けて涙目にしといて、首に鎖かなんかハメてるから当然そこは食い込んでて苦しげで、半開きの口からヨダレなんか垂らしてて、当然背筋だってエビぞりで、ボインはトップが右と左に揺れて垂れててツヤツヤしてて、もちろん弛緩したように投げ出された両足は汗ばんで大きく開かれてて……って、オイ、私ゃエロマンガ評論家とちがうぞ(~_~;)。 パソコンがずっと使えなかったので、仕方なくCSアニマックスで『美鳥の日々』6話見たり、『カメレオンズ・リップ』を見返したりした。
ようやくパソコンを開いてみると、この日記のカウンターが80000HITを記録していた。キリ番を取られたのがどなたかは分からないが、定連さん三割、通りすがりさん七割がうちの常であるから、多分通りすがりさんであろう。せっかく「ハローキティ博多出張版ミニタオル3点セット」をプレゼントしようと思っていたのに、残念なことである。 一日のヒット数が数万、数十万、なんて巨大サイトも世の中にはあるわけだから、8万程度で浮かれちゃってる私などはハナで笑われてしまうだろうが、嬉しいものは嬉しい。定連さんには今後ともよろしくお願いいたしますです。m(__)m まあ、飽きちゃったらいつでも放置プレイして下さって構いませんから(^o^)。
今日読んだ本、戯曲、鐘下辰男『続・殺人狂時代』、マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん』38巻。まあずっとビデオ見てたから読めた本はこんなものだ。
その『クレヨンしんちゃん』のアニメだけれど、去年、日本PTA全国協議会の「子どもに見せたくないテレビ番組」調査で堂々1位になっていたが、今年はその座を『ロンドンハーツ』に譲った。次いで『水10!』、『クレヨンしんちゃん』は三位である。 評判がよくなって、順位が下がってきたのかな。『ロンドンハーツ』や『水10』やってる時間帯に小学生の子供が起きてるってことの方が問題だと思うけれども。親の躾ができてないこと、自分たちで暴露してるぞ(^o^)。
2003年06月17日(火) どうせみんな買うんだ(T∇T)/『おまえにチェックイン!』1巻(桜木さゆみ) 2002年06月17日(月) 范文雀はプロレスラー!?/『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(武田康廣) 2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』
| 2004年06月16日(水) |
演劇とマンガと映画と。 |
なんだか一日、「もわっ」とした日。 風も涼しいし、気温も真夏日に比べればそう高くはないのだけれど、何だか気色が悪いのである。かと言って湿度がすごく高いというわけでもない。汗がかけそうでかけない、全身の毛穴が詰まっているような、そんな気持ちの悪さだ。具合が悪いとまではいかないのだが、確実に頭痛はしてくる。同僚もみんなダルそうで、元気なのは、飼ってる亀くらいのものである。 今朝もしげは体調を崩していて、車で送ってはもらえなかったのだが、この気候のせいもあるかもしれない。クーラーをつけてないと気持ちが悪いし、つけたらつけたでしげには寒いのである。 私も夕べは熟睡できず、何度か寝ては起きを繰り返していて、朝方、頭痛と吐き気がしていたのだが、これくらいでは仕事は休めない。まあ、動いているうちに何とかなるだろうと高を括っていたが、結局、一日頭痛に悩まされた。ケイレンが起きないときは頭痛なんて、難儀なことである。
しげ、帰りはなんとか迎えに来る。帰り道にどこかに寄る元気はないので、家に直帰。晩飯は買い置きの肉でまた牛丼。けれど、昨日はあとで作ったほうが「味が落ちた」とか言われたので、今度はモヤシ以外にも千切り大根やニンジン、菜っ葉を炒めて混ぜて、昨日よりは豪華にしてみる。とりあえず山盛り飯をコメツブ一つ残さずにペロリと平らげたから、不味くはなかったのだろう。
食事を終えて、先日WOWOWで放送された舞台『カメレオンズ・リップ』を見始めたのだが、やはりかなりくたびれていたのだろう、まだ宵の口だというのに、意識がふっと遠のいて落ちてしまい、半分も見られなかった。
寝ちゃったせいで、今日読んだ本は少ない。鳥飼玖美子『歴史をかえた誤訳』に、雑誌『ダ・ヴィンチ』7月号。明日はもちょっと本を読もう。
雑誌『國文学』七月号の『演劇回廊』で、大笹吉雄さんが、新国立劇場で4月に公演されたアリエル・ドーフマン作『THE OTHER SIDE/線のむこう側』について、「画期的」と批評している。何が画期的かと言うと、この芝居、世界的に有名なチリの劇作家であるドーフマンの、既成の作品をコヤにかけたわけではなく、わざわざこの「新国立劇場」のために依頼し、演じられたピカピカの「新作」だということなのだ。 これまでにも日本人が海外で演劇公演を行った例はあるが、海外の作家に新作を書かせ、日本を演劇情報の発信地としたのは、これが初めてだとか。しかも演出は韓国のソン・ジンチェク。このインターナショナルな布陣を組んだのが芸術監督の栗山民也である。 「画期的」と言われても、役者にしてみれば、新作だろうが旧作だろうが、演じる点では変わりがない。観客だって、出会う芝居が外国の新作か本邦の旧作か、それが第一の基準になって芝居を見に行っているわけではなかろう。その「新しさ」に専ら反応するのは、ヘタすりゃ権威主義的な演劇スノッブだけ、ということにだってなりかねない。もちろん、この試みに演劇シーンの拡大という意義を見出さないわけではないが、それが一度きりで終わってしまえば結局はたいした意味はない、ということになってしまう。「国境を超える」とはどういうことなのか、戯曲、演技、演出、その一つ一つに果たして民族を越えた普遍性がありえるのか、その視点が常に意識されていないと、「やってみました」という事実しか残らない。当たり前のことだけれども、「要は中身」なのである。 ――長い戦争状態にあると某国。国境近くの小屋で、老夫婦のアトム(品川徹)とレヴァーナ(岸田今日子)は、戦死者の身元確認作業をしている。若い男の死体を見るたびに失踪した息子(千葉哲也)ではと探るレヴァーナ。そして、待ち望んだ停戦の知らせが流れるが、国境警備隊が小屋を二つに分断し新たな国境を作ると言い出して……。というのが『線の向こう側』のあらすじだ。どこの国ともしれない場所を設定したのは、この国家と人間の関係の不条理が、まさしく「どこの国でもありえること」という普遍性を持って観客に訴えかけられているからにほかならない。 ああ、そういう芝居なら、見てみたかったなあ、東京に住んでないのは悔しいなあ、と思えるのはこういう時である。求心力を持った演劇というのは、インターナショナルな面を特に喧伝せずとも、自然にそういうものになっているのではないだろうか(宣伝が不必要と言いたいわけではないので念のため)。
椎名高志さんの新作『絶対可憐チルドレン』が、週刊少年サンデー39号(8月25日発売)から、4号連続で短期集中連載が決定。 ……待たすだけ待たせておいて、短期集中? どれくらいヤキモキしつつ待たされたかというのは、椎名さんのホームページの日記を、この「半年」読み続けていたファンの方にはご理解頂けようが、ご本人が「自称漫画家の中年」と自嘲するくらい、作品載せてもらえなかったのである。……生活できてたの、『GS美神』の印税だけだったんじゃないのかなあ。 サンデーも随分「保険」をかけることだなあと思うのだけれど(どうも日記の文面から察するに、サンデーに載るかどうかも怪しかった感じである)、マンガバブルの時期はとうに過ぎて、ベテラン作家さんだろうと、確実に「売れる」ものじゃない限り、出版社は二の足を踏むものなのだろう。それくらい、「連載」の二文字はとてつもなく重いのである。
その椎名さんがプッシュしてるマンガが、田中保左奈(ほさな)作『暗号名はBF(こーどねーむはベビーフェイス)』。お話は「フツーの中学生・七海団(ななみだん)が、ひとたび世界の危機が訪れた途端、スーパースパイ“BF〜ベイビーフェイス〜”として大活躍! スパイ産出国王家の末裔である団は、SOMAという薬品を注射されると、77分7秒間だけ大人のスパイに変身できるのだ」という、「魔女ッ子もの+スパイアクション」という、「なんじゃそりゃ!?」的な組み合わせ。「注射で変身」と聞いて、手塚治虫の『ビッグX』を連想した人はもう初老(^_^;)。でも、こんなふうに話がどう転んで行くか見当がつかないマンガというのは、「化ける」可能性を秘めてるので、ちょっと期待したいのである。6月、7月と1・2巻が連続発売されるそうだけれど、初版部数が「えらく少ない」らしいので、ファンの人は予約をお忘れずに。 最近、以前ほどには少年マンガ誌の立ち読みもしなくなってきたし、どちらかと言うと青年マンガの方に興味が移っていて、少年ものには距離置くようになっちゃったかなあ、と感じていたので、こういうハジケてるマンガが出てくれると嬉しい。
フカキョン主演の映画『下妻物語』のヒットが続いている。当初は40館規模での公開予定だったものが、156館での拡大公開、公開三週目でも動員数が落ちていないという驚異的なものである。見に行ってるのはやっぱりヤンキーが多いのかなあ、つか、イマドキの若い連中はみんな半ヤンキーだからなあ。おかげで怖くて私は見に行けないのだけれども。 『ハニー』は完全に圏外に沈んじゃってるからなあ。オタクはゴタクは並べるけれども、結局は映画館に足運ばないしね。それでいて「もっと面白い作品を」とか抜かしてるんだから、客としては殆ど「ひやかし」である。だからオタクがエリート意識ふりかざしただけのスノッブになってちゃ、世間から引かれるだけだって。『CASSHERN』や『下妻』のヒットを認められないのは、頑固とか意固地を通りこして、自分自身の目の低さを露呈しているだけである。ヤンキーの方が律義って、それどうかと思うんだけど。 それどころか『下妻物語』、世界上映までほぼ決定となった。先月のカンヌ国際映画祭のフィルム・マーケットで、英語字幕版を上映したところ、アメリカ、イタリア、中国、韓国など7カ国の配給会社からオファーが舞い込んだとか。特にヨーロッパの映画関係者からは「個性あふれる衣装や美術だけでも、十分配給の価値がある」との太鼓判を押されて、スイスのロカルノ、チェコのカルロビバリ、ベルギーのフランダースなど、6つの映画祭での招待上映も決定。こうなるとまさに「破竹の勢い」という表現がピッタリしてくる。 でもねえ、見てない映画について内容はとやかく言えないんだけど、英語タイトルが『カミカゼ・ガールズ』ってのはさすがにどうかとは思いませんか(^_^;)。いやまあ、それくらい「ねらわなきゃ」ってことなんだろうけどね。
2003年06月16日(月) 書くことない日はない/『Holy Brownie ホーリープラウニー』2巻(六道神士) 2002年06月16日(日) 悪態つくのは照れ隠し/『おしのび倶楽部』(横山えいじ)ほか 2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)
| 2004年06月15日(火) |
大物スターの小物ぶり。 |
しげの体調が悪く、朝は送ってもらえず。 日中、関東の方はかなり暑かったらしいが、こちらは気温はさほど上がらず、過ごしやすいくらいであった。トンガリさんも欠勤だったし、運動もできたし。 帰りも普通にバスで帰る。しげは結局、今朝がたから夕方まで、15時間くらい寝続けであった。カラダそのもののシステムが異常なんじゃないかと思うのだが、健康診断でもそんな結果は全く出ないし、何でここまで寝てられて、しかもまだ「疲れた」とか言ってるのかがワカランのである。
しげが仕事に出かける前に、昨日と同じく牛丼を作ってやる。ただ、ちょっとだけタマネギの切り方を変えてやや大き目に切る。昨日は細く切り過ぎて、タマネギが入っているのやらいないのやら、よくわからなくなっていたのだ。しげにはやや山盛りによそってやったのだが、ペロリと平らげる。 「だって腹減ってんだもん」というが、そりゃ、15時間寝続けてりゃ、腹も減ってて当然だろう。自分のメシくらい、自分で作って食っておけよ、材料はあるんだから。
テレビのニュースなどを見た後、CSアニマックスで『萌えよ剣』第3話、『爆裂天使』第1話、『天地無用!GXP』第9話と続けて見る。この時間帯、思いきりオタク仕様のラインナップになってるな。 『爆裂』、製作はGONZOだけれども、キャラがまた思いきり『エヴァ』を連想させるのはどうしたものかね。あれだけの技術持ってて、設定と脚本がいつまで経っても「どこかで見たような」って位置から、そろそろ脱却しないと、GONZOの名前で客が呼べなくなると思うんだけれども。
今日読んだ本、押井守『これが僕の回答である』、マンガ、江川達也『源氏物語・若紫』、藤臣柊子『幸せな結婚しようね』。
長崎県佐世保市の小6同級生殺人事件の続報。 ……の前に、いい加減、テレビは被害者の御手洗怜美ちゃんの写真を出すのやめたらどうかね。毎回毎回、写真掲げなくっても、報道はできるだろうに。 で、ニュースの内容だけど、長崎家裁佐世保支部が、加害者女子の精神鑑定の実施を決め、現在女子が収容されている長崎少年鑑別所で、今日から8月14日までの61日間、鑑定留置されることになったとか。 まあ、当たり前だけれども、「鑑定留置」が小学生に対して行われる例は極めて少ないということである。家裁の選任した精神医学の専門家が、女子と面談して、生い立ちや家庭環境について聞き取り調査をするほか、心理テストなどを行い、事件の背景や心身の状態を分析する、ということなのだが、さて、昨日『39』見て、「精神鑑定は鑑定人の主観に過ぎない」って主張、聞いたばかりだからなあ(~_~;)。もともと、「人間の“心の闇”なんて、当人にだってわかりゃしない」というのが私自身の感触なので、これで何がどれだけ分かるのかって疑問はどうしても浮かんでしまう。 20年前、片桐機長が「逆噴射」した時、精神鑑定の結果が「心身症」と出た。専門医が「心身症が即事故を起こした原因に結びつくわけではない」と主張したにも関わらず、世間の人々は、事件は殆ど「心身症」のせい、と決めつけた。似たようなことが、今回の事件でも起こりかねない。事実、「病名だけが一人歩きする危険がある」と警鐘を鳴らしている専門家もいるが、現実問題として、それを避けることは不可能だろう。とりあえず自分を納得させられる理由があれば、人はそれに飛びついてしまうものだ。すぐ、「映画」や「ネット」に責任転嫁したがるのだって、そういう心理の表れだし。……早速、「ネット禁止」を打ち出した小学校なんかもあるようだけど、それが「教育の敗北」であることに気づいてないあたり、大バカなんである。教師がバカなのは今に始まったことではないが。 いくら、事件前の加害者の行動が異常だった、と主張したところで、事件の真相を解明することは不可能だし、同様の事件の再発防止にはつながらない。ネットに残虐な小説を書いてる人間なんて腐るほどいるし、ヒス起こして壁に頭ぶつける程度のやつだって、別に珍しいことでもない。そんなのをいちいち異常者扱いして問題視していったら、結局はお互いがお互いを指差して責め合う事態に陥るばかりだ。 これまで、オタクが犯罪を起こせば、「オタクだからねえ」、中坊がやれば「中坊だからねえ」と、原因をその「範囲」の中に限定させることで、たいていの人々はその「外」に出て「自分はフツーの人」と思いこむことで安心していられた。けれどだんだんとそういう姑息な技は通用しなくなってきている。どんなに「あいつらは異常者だ」と言い募っても、そんなことを言ってる自分が、いついかなるきっかけで世間から「異常者」扱いされることになるか、分かりはしない。異常者と、そうでない人間を事前に識別する手段などないのである。 もう我々は、隣で愛らしく微笑んでいる小学生が、突然ナイフを振り上げて見知らぬ人間を突き刺し、「人を殺して見たかったから」と嘯いても、それが「現代」なのだと覚悟するしかない時代に生きているのである。……だから、もう、怖がって右往左往したところでどうしようもないんだってば。そんなに「人」が怖いのなら、できるだけ世間と交渉しないで生きることです。生き延びられたらこりゃもう、「運がよかった」ってだけなんだね。
イギリスの『Daily Mirror』紙に、ロック・スターの「しわいや」話が掲載。 落語の枕に使えそうなのがいくつかあるので、ご参考にされてはいかがでしょう。
(1)ポール・マッカートニー〔資産額:7億ポンド(およそ1,400億円)〕 2001年、妻・へザーのために開いた誕生パーティで、招かれたゲストはみな、「ドリンク代」を払わされた。 ……まあ、会費制のパーティーならそれも分かるけどねえ。ゲストは当然、奥さんへのプレゼントを持参してきたわけでしょうに。ポールは最近、ビートルズ時代以来の自分のヤク中の経験を告白してたけど、やっぱりこのときもラリってたのかねえ。 (2)ポール・マッカートニー〔資産額:7億ポンド(およそ1,400億円)〕 も一つ、ポールネタ(^o^)。 以前、家の修理を行なっていた業者に、ポールは「お礼だよ」と言って、「プレゼント」を手渡した。業者は喜んでその「プレゼント」を受け取ったが、中身を開けた途端、目がテンになってしまった。箱の中に入っていたのは、「ビール1本」だったのである。 ……やっぱりラリってるよ(^_^;)。 (3)ロッド・スチュワート〔資産額:7,000万ポンド(およそ140億円)〕 あるとき、LAのレストランで食事をして帰宅、それからレシートを見たロッド、頼んだ覚えのない「水1本」がチャージされていることに気がついた。途端に彼は烈火のごとく怒り、わざわざ35キロの道のりをドライブすると、件のレストランへ飛びこんで叫んだ。 「代金返せ!」 ちなみに、その水の値段は4ポンド(およそ800円)である。 ……水の値段としては確かに高いかな。つか、そういう問題じゃないけど。35キロを往復したら、ガソリン代はいくらになるでしょう? こりゃ、ケチというより「バカ」だねえ。 (4)ミック・ジャガー〔資産額:1億7,500万ポンド(およそ350億円)〕 日頃の苦労へのねぎらいとして、スタッフにクリスマス・プレゼントを贈ることにしたミック、エルトン・ジョンが「ベルサーチ」を用意した、というのを聞いて、「じゃあ、オレは」と選んだ品は、「鉢植え」だった。 ……いや、ミックのことだから、きっとすごくゴージャスな鉢植えだったんでしょう。蓬莱の玉の枝とか。どんなんなんだ、それ。
でも、札ビラで庶民の横っ面はたくような成金に比べたら、こういうのって微笑ましいなあと感じちゃうのは私だけですかね。
2003年06月15日(日) 父の日に父から奢られる話/映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』/『20周年アニバーサリー 死霊のはらわた』 2002年06月15日(土) 大宰府の赤い橋/DVD『幕末未来人』1〜3/DVD『ピンクレディ&ジェフ』 2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)
| 2004年06月14日(月) |
晴れた日の平日は仕事を休んで |
月曜だけれど、土曜日に出勤した代休でお休み。 けど、夕べ夜更かししたのと、先週までの疲れがかなり溜まっていたので、昼間は殆ど寝てました。えいくそ、今週は残業なんてしないぞ。つか、せいぜい週に一ん日か二日くらいにしておきたいものだ。 ほかの支社から今年、転勤してきた同僚が驚いていたのだが、うちみたいに8時、9時を過ぎても社員の3割が居残って残業しているなんて状況、余所では滅多にないということである(妻子持ちもみんな居残ってんだもんなあ。家事はどうやってるんだろう)。 と言われても、仕事が滞ってんだから、居残んなきゃしょうがないんだよね。でも、バスだってなくなってしまう時間まで居残って仕事したって、毎回、帰りにタクシーを使っていたのでは、経済的に困窮してしまうのだ(マジ)。トンガリさんが少しは仕事をしてくれりゃかなりラクにはなるんだが、あのイカレたアタマで仕事されてもミスが増えるばかり、結局はそのフォローでまた仕事がハードになるのである。……どうしたってラクはできない状況にあるのだな。
朝、10時過ぎに下村嬢はお出かけ。 しげに駅まで送らせようと思ったが、まだ睡眠薬が抜けてなくてボケボケで、なにか声をかけても反応がおちゃらかぴーだったので、お見送りもせずにお別れ。「また観たい映画とか泊まりに見に来ます」と言っていたが、ホントにいいのか。次来る時は多分またDVD増えてるぞ(^_^;)。 帰りしな、「悪い男に引っかからないよ〜にね〜」と挨拶したら、下村嬢、「職場の先輩から『男には妥協しろ』って言われましたけど」と答える。そのセンパイとやらも、いろいろ苦労していらっしゃるようである(^_^;)。
昼前、ようやく目覚めたしげと、「レッドキャベツ」で買い物。 安いパックの牛肉と、タマネギ、モヤシを買ってきて、昼は牛丼。もちろん作るのは私である。その分、しげには台所片付けをさせる。せめてこれくらいは家事してくれないことにはなあ。
昼寝して起きたら、もう時計は6時。しげがもうすぐ仕事に出かけると言うので、昼に作った牛丼を温め直すが、しげ、箸をつけた途端、「昼の方が美味かった」と文句を付けてくる。 「そりゃ、出来たての方が美味いに決まってるやろ。贅沢言うな」 自分でメシも作れないくせに、こういういっぱしの口だけは利くところがスットコなのである。
昨日CSで録画しておいた映画『39 刑法第三十九条』を見る。 当たり外れの差の激しい森田芳光監督なので、あまり期待もせず、公開時も見に行かなかったのだが、これはまあ、当たりの方だった。当てた褌が向こうから外れるような、一人よがりな演出がさほど目立たないのである。ミステリーとしてもなかなかのものなので、そのうちコンテンツにアップしたいところである。 主演の鈴木京香は、朝ドラの『君の名は』がコケた後、テレビの2時間サスペンスとかでいいように使われかけてたのが、なぜか若手ベテランを問わず、映画監督に好かれるようになって、すっかり平成の主演映画女優としての地位を確立している。日本風美人と言えば聞こえはいいが、一つ間違うと「野暮ったい」印象を与えかねない顔立ちで、演技力もまあそこそこ、といった感じなのだが、うまく「古風で懐かしい」という雰囲気に持っていけてるのが売れてる理由だろう。でも、中年過ぎてからのポジションがちょっと厳しいかな、という感じもあるんだけど。 杉浦直樹の中年教授の情けない演技は絶品。これだけでも見た価値はあろう。
読んだ本、辛酸なめ子『ほとばしる副作用』、宝島編集部『VOW王国 ニッポンの誤植』、マンガ、美樹本晴彦『機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル』3巻。
今日になって知ったのだが、関崎俊三のマンガ、『ああ探偵事務所』、七月二日から金曜ナイトドラマ枠(午後11時15分)でテレビドラマ化されるんだってね。出演は永井大、酒井若菜、辺見えみり、東幹久、川島なおみ。何かを期待できるキャストでは全くないが、関崎さんの生活がある程度保証されるんならまあいいか、という感じである。 でも、ドラマから入って原作読み始めた読者が、「ドラマみたいじゃな〜い」とか言い出したらヤだなあ。
2003年06月14日(土) 健康じゃないけどとりあえずは……/『名探偵コナン 特別編』19巻(青山剛昌・山岸栄一) 2002年06月14日(金) 狂ったヒトふたり。片方は軽いけどね/映画『模倣犯』 2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)
| 2004年06月13日(日) |
回想の『王立宇宙軍』 |
ここんとこ、何だか毎日のようにDVD『東京ヴォードビルショー第58回公演 その場しのぎの男たち』を見ている。ただ流しているのではなくて、オーディオコメンタリーで見たり、ダブルキャスト版を見たり(DVDの特典映像で、伊藤博文を伊東四朗さんではなく、山本龍二さんが演じている地方公演バージョンもハイライトシーンが収録されているのである)しているのだが、昨日聞いたオーディオコメンタリーで、佐藤B作さんが、「初演、再演、再々演と行って、再演の時だけ、後藤象二郎役の石井愃一が出演していないが、タイム・ランはほぼ同じ」と言っていたのが気になった。 で、今朝は以前録画しておいた1994年の再演版をテレビで流し、同時に2003年の最新版をパソコンで流し、同時に見る、ということをやってみたのだ。……いや、ホントにほぼピッタシだったわ (◎_◎;)。再演版はもちろんキャラクターが一人分、少ないわけだけれども、セリフをうまく各キャラクターに配分して、違和感がないように仕立てているのである。その腕前は確かにさすがは三谷幸喜、と感心してしまうのだが、芝居の出来自体は、やはり最新版の方が格段に面白い。伊藤博文と松方正義の間をコウモリのように右顧左眄する後藤象二郎のキャラクターが芝居に深みを与えているばかりではなく、再演版の時はわざとらしさが目立って笑いにつながらなかった各役者の「力み」の演技、これが悉く「上手く」なって、解消されているのである。 例えば、傷を負ったニコライ皇太子を見舞おうと、青木周三(市川勇)、後藤象二郎(石井愃一)、西郷従道(坂本あきら)の3人がコサックダンスを踊るのを見て、松方正義(佐渡稔)が呆然としながら、「これで戦争が回避できるじゃろうか」と呟いた途端、陸奥宗光(佐藤B作)が「私は戦争の方がいい」と嘆息する間の取り方。タイミングも最新版の方がよくなっているのだが、ただ怒鳴るだけだった再演版に比べて、落胆、憤慨、羞恥、そういった感情がないまぜになって、噛み締めるように呟く最新版の方が、その悲痛さゆえによりいっそうの笑いを誘っているのである。 芝居はコヤや、当日の観客次第で、いかようにも変わる。やっぱり一度見ただけではなかなか判断が下せるものではない。だから高いとわかっちゃいるけれども、劇場通いがやめられないのである。
今日は練習に役者さんが二人休むというので、私もちょっと休ませてもらうことにする。先週一週間が冗談じゃなくて目眩がするほど忙しかったので、ひと休憩しないことには身が持たん、と考えたからだ。黒子さん役の人たちは結構集まる、と聞いていたので、お会いしたい気はちょっとあったのだが、そういう事情なのでご勘弁頂きたい。 その間、本読んだり、日記書いたり、ひと寝入りしたり。メシは朝、昼、晩とも焼きうどん。具はたっぷりのネギと野菜コロッケで安上がり。 読んだ本、いしかわじゅん『いしかわ式』、マンガ、よしながふみ『愛すべき娘たち』、雑誌のバックナンバーのパラ読みなど。
練習を終えて、しげが下村嬢を連れてくる。こないだ下村嬢の芝居を見に行って以来だが、相変わらず楽しく遊んでいらっしゃるようだ(^o^)。明日、福岡の方に用事があるとかで、今夜はお泊り。で、ウチに泊まる、なんてことになったら、例えうら若きオトメであろうがあるまいが、当然のごとくDVD責めに会ってしまうのだが、ちょうど私がDVDで角川映画の『人間の証明』を見ていたので(夕べ『2001』を見たので、こちらも見返してみたくなったのである)、あちこち突っ込みながら解説する。 ……あれもなあ、原作のムダなところ刈り込んで(轢き逃げされた范文雀がらみのエピソードなんて要らん)、重なり過ぎる偶然と因果応報な古色蒼然とした展開を変更して、殺人の動機にもっと説得力を持たせて、深みのない観光案内みたいな絵造りをやめてちゃんと「ドラマ」を成立させるための絵を撮って、松田優作と岡田茉莉子をもちっとマシな役者と取っ換えれば、まだ見られるものになったと思うんだけどなあ。殆ど全部か(^_^;)。 いや、ワキの役者だけはムダにいい人ばかり使ってるんだよねえ。見終わった後、しげは「地井武男と峰岸徹って、どこに出てたの!?」と言ってたが、あの人たちですらその他大勢の一人だからなあ。確かに金だきゃ掛けてるんである。「音楽だけはいいんだけどねえ」としげがしみじみ言ってたが、そりゃ、公開当時から言われてたことである。 そのあと、立て続けに『金田一耕助の冒険』『キルビルvol.1』『DAICONFILM版帰ってきたウルトラマン』などを見せる。普通の神経の持ち主ならば、こんなヘンなものばかり見せられたら、当然閉口するところだろうが、下村嬢もツワモノで、「ここに来なかったら、一生見ることがなかったものばかり見せていただきました」なんて言っている。 何だかんだで、2時を回ったので就寝。と言っても既に本とビデオで寝るスペースすらなくなりかけている我が家、寝室に下村嬢、居間にしげが寝たら、私は椅子で寝るしかないのであった(^_^;)。奥の書庫、そのうち片付けなきゃなあ。
お気に入りさんの日記で、ガイナックスのデビュー作『王立宇宙軍 オネアミスの翼』について熱烈な思いを語られている方がいらっしゃった。お若い方のようなので、多分映画公開時は小学生くらいだろうと思われるのだが、そんなころからあの映画の魅力を感じてくれてる人がいるというのは、昔からのガイナファンとしては嬉しい限りである。
しかし、当時を思い返すだに哀しくなってしまうのだが、記念すべきガイナックス製作第1弾であるあの映画は、興行的にはまるでヒットしなかったのである(厳密に言うとそれなりにヒットはしたのだが、シロウトに毛が生えた程度のスタッフの力不足による哀しさ、投下資本がデカ過ぎて、製作費が回収不能になってしまっていた。そのために、『王立』1作を製作して解散する予定だったガイナックスは、仕方なく会社組織として次作を作り続けて行かざるを得なくなる。シロウト集団である点にこそ誇りを持っていた当時の庵野秀明が、ガイナックス存続に激怒したというのは有名な話)。 『DAICON FILM』で、素人ながらプロ顔負けの実力を持つと絶賛されていたスタッフ(『風の谷のナウシカ』の「巨神兵」の作画で「庵野秀明」の名は既に知られていたが)による手抜きの一切ない製作過程は、『アニメージュ』誌上に毎号のように掲載、逐一報告されていたし、宮崎駿もまたその出来映えを「バンダイを騙して作っている」と皮肉を交えながらも応援していた(宮崎駿は当時からこういうヒネクレた誉め方しかしないヒトであった)。 当然、アニメファンの間でも評価は思いきり高く、結果として第5回日本アニメ大賞最優秀作品賞、第10回アニメグランプリ、第19回星雲賞メディア部門受賞など、賞にも恵まれていたのだが、いかんせん、劇場に一般客だけは来なかったのである(-_-;)。
宮崎駿がいみじくも喝破した通り、『王立宇宙軍(『オネアミスの翼』というタイトルは、劇場公開に際して『王立宇宙軍』のまでは求心力に欠ける、と判断されて付け加えられたもので、現在は原タイトルに戻されている)』は、配給元であるバンダイをうまいことダマくらかして作られた、壮大なデッチアゲ映画である(誉めているので誤解なきよう)。「SF」の意匠を付けてはいるが、それはアナロジーに過ぎない。 主人公シロツグ・ラーダットを始めとする「宇宙軍」の正体はその名通りのそれではなく、当時のアニメ、特撮ファンであったガイナックスのスタッフたち自身、つまり「オタク」たちであった。何しろ主人公のシロツグたちは「宇宙軍」だというだけでバカにされている。なぜ「宇宙軍」だとバカにされるのか、説得力のある説明は劇中ではなされないが、これを「オタク」と置き換えるとすんなり理解できてしまうのである。 例えば、冒頭のシロツグのセリフは以下の通りである。
> いいことなのか、悪いことなのか、わからない。でも多くの人間がそうであるように、俺もまた自分の生まれた国で育った。そしてごく普通の中流家庭に生まれつくことができた。だから貴族の不幸も貧乏人の苦労も知らない。別に知りたいとも思わない。 > 子供のころは水軍のパイロットになりたかった。ジェットに乗るには水軍に入るしかないからだ。速く、高く、空を飛ぶことは何よりも素晴らしく、美しい。 > でも、学校を卒業する2ヶ月前に、そんなものにはなれないってことを成績表が教えてくれた。 > だから、宇宙軍に入ったんだ。
「だから、オタクになったんだ」 このセリフをそう読み変えたからこそ(というか、それはもうバレバレであった)、「戦争を知らない世代」であるあのころのオタクたちは、同じオタクであるガイナックスの作ったこの映画に、すっかり感情移入してしまった。ノンシャランで無気力、好きなことをやってはいるが、それが世の中の役に立つことなのかどうか、果たして生きがいと言えるものなのかどうか、答えを出せないクセに、いっぱしの性欲だけはあるというダメ人間・シロツグは、まさに「我々」だったのである(多少、誇張表現は入っているので、みんながみんなそうだったとは思わないように)。 こんなダメなやつを相手にしてくれる女なんて、宗教にハマッてるリイクニ・ノンデライコくらいしかいない(^_^;)。……ああいう雰囲気の、澄んではいるけどちょっとアブナい目の女の子って、あの当時は結構いたのである(今もかも)。私もちょっとだけ勧誘されかけたことあったなあ……「○理」とか「○○○の○」とか(~_~;)。シロツグとリイクニの「ダメ人間」どうしの、ベクトルが違っているためにどうしてもズレてはしまうのだが、どこかシンパシーを感じないではいられない微妙な関係は、オタクたちの陥っていたコミュニケーション不全の状況そのものであった。 この「オタクである自ら」をアナロジーとして描く、という手法は、後に『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』と、ガイナックスの製作するアニメーションに悉く継承され、着実に「オタクによるオタクのためのアニメーション」路線を築き上げていくことになる。
『王立』が製作されたのは1984年のこと。実際、当時の「オタク」のイメージはと言えば、宅八郎がその代表のように言われていたことでもお分かりいただけようが、ただ自分の好きなアニメ、特撮、フィギュアに入れ込んでいるだけで、「あいつらは何の生産性もなく、コミュニケーション能力もない、引きこもり型の気持ち悪いやつだ」、という偏見と憎悪に満ちた最悪のイメージでしか受け取られてはいなかった。 今でもオタクのそのようなマイナスイメージが完全に払拭できているわけではないが(痛いオタクは実際にいくらでもいる)、少なくとも当時の、変態か犯罪者でも見るような目つきで見られ、毛嫌いされていたような状況はかなり軽減されている。……冗談ではなく、たとえ知人であっても、相手がノーマル(~_~;)な人であったら、「オレって実はオタクなんだ」とカミングアウトすることすら憚られていたのである(この状況は、1988年の宮崎勤事件を経て、1990年代半ばに至るまで続いた。「オタク」のイメージが必ずしもマイナスなものばかりではない、と世間的に認知されるようになったのは、もとガイナックス社長である岡田斗司夫さんの展開した「オタクエリート論」と、そしてガイナックス製作の『新世紀エヴァンゲリオン』の1995年から翌々年にかけての大ヒット現象によるところが大きい)。 実際、当時のオタクたちに「何かが作れる」とは、誰も考えていなかった。いや、もちろん各大学のサークル、同人活動を通じて、マンガ同人誌や自主製作映画、アニメーションを作っていた連中はたくさんいたのだが、世間的な認知は今ほど高くはなかったのである。ガイナックスの前身である「DAICON FILM」のスタッフたちも、SF大会のオープニングアニメーションや『快傑のーてんき』『愛國戦隊大日本』『帰ってきたウルトラマン』などの自主映画を製作していたが、ファンジンの外にいる一般人たちにとっては、「あいつら何をバカなことやってるんだ」という目でしか見られてはいなかった。 オタクたちには等しく、そういった世間の偏見と迫害に堪えてきたルサンチマンの歴史がある。しかし同時に、「その程度の“軽い”心の傷」しかオタクたちにはない、ということが、一つ前の全共闘世代、更に前の戦中派、といった人々に対しての劣等感のようなものまでオタクたちの心の中に形成させていた。庵野秀明の「ぼくたちにはアニメや特撮しかない」という発言の裏にある空虚感、喪失感は、自分たちが何か人間としてケツラクしているのではないかという強迫観念が生み出しているものである。オタクは、その劣等感ゆえに、偏見の目で見られているにも関わらず、それをきっぱりと撥ね返すことができない。『王立』には、そういったオタクたちの「空気」が蔓延していた。 だから、そこで負けたくはなかった。 「宇宙になんて上がれるはずがない」=「たかがオタクに何かが作れるはずがない」 宇宙船打ち上げのたびに失敗に失敗を重ね、諦めかけた同僚たちにシロツグは叫ぶ。
> ここでやめたら俺たちゃなんだ……ただのバカじゃないか。ここまで造ったものを全部捨てちまうつもりかよ。今日の今日までやってきたことだぞ。くだらないなんて悲しいこと言うなよ、立派だよ! みんな歴史の教科書に載るぐらい立派だよ! > 俺はまだやるぞ。死んでも上がってみせる!
アニメや特撮を消費するだけではない、「創造者」としての「オタク」の姿がここにはある。 これで泣けないオタクはオタクではない(T.T)。 もちろん、映画として見た場合、打ち上げまでに出た犠牲者の扱いが軽い、戦争アニメとして見た場合、人間の「死」の重さがリアルに表現されていない、という欠点はある。しかしそれこそがこの映画が「戦争」を扱った「SFアニメ」ではない証拠なので、戦争やってるおエライさんたちはオタクを理解しない「オトナたち」の謂いであるし、途中でリタイアしていった人々は、よくある「オタクどうしの内輪モメ」で消えていった人々なのである。それらをオブラートに包むように「死」という記号に転換させてしまったのは、仲間うちの人間関係のドロドロをそこまでリアルに描くことが、さすがに当時のオタクたちには心の傷が深すぎて、できることではなかったからだろう。その点を突っ込めば、『王立』は「まだまだ甘い」「所詮はオタクの癒されたい系アニメ」と批判されても仕方がないところはある。 それでも当時のファンの読者投稿などを読めば、『王立』から「オタクからオタクへの強いエール」を感じていた者がどれだけいたかが見て取れる。私もまたその中の一人だった。自分たちの好きなもの、やってることは、決してムダなのではない。決して取るにたらないことではない。後指を差されようが、決して恥じる必要はない。勇気を出して、前を向いていいのだ。……そういう「エール」である。「オタクが楽しめる娯楽としてのアニメ」なら、それまでにも数多く存在した。しかし、「オタクを応援してくれるアニメ」、そんなものは、これまでにただの一本だってなかったのだ。『王立』がまさにその「最初の一本」だったのである。ガイナックスがどうして『王立宇宙軍』というタイトルに拘り、『オネアミスの翼』というタイトルを捨て去ったか。それはまさに「宇宙軍」=「オタク」であるからにほかならない。 ガイナックスは現在までに、良かれ悪しかれ、「オタクの代表」としてのアニメを作り続けて来た。だからある意味「オタク否定」とも取れる『エヴァ』については、「裏切られた」と感じたオタクたちから、感情的過ぎる反発、非難、罵倒もあった。しかし、今でもガイナックスは、「オタク」の看板を降ろしているわけではないと思うのである。かつて、庵野秀明は『トップをねらえ!』について、「オカエリナサイBOX」のライナーノートで、はっきり「オタクのためのアニメ」と明言した。だとすれば、新作『トップをねらえ2!』もまたそうであるに違いない。 「その人」が本当の「友人」ならば、彼は自分とともに笑い、ともに怒り、ともに泣き、時には落ちこんでいる自分を叱咤し、時には苦言を呈して忠告したりもしてくれるものだ。もちろん、「その人」自身がヤサグレてしまって、こちらが怒る場合だってある。ガイナックスのアニメは、どの作品もまさにそういう「インタラクティブなアニメ」であり続けた。 だからまあ、この10年以上、未だに「製作継続中」である『蒼きウル』も、いつか必ず作られるものと期待し続けているし、『トップ2』だって、「どんな出来になろうが付き合おう」と思いこめるのである。『フリクリ』や『アベノ橋』あたりからガイナックスアニメに付き合い始めた若いファンの人にはちょっとわかりにくい心理かもしれないが、「思い」には必ず「歴史」が伴っているものなのである。 『王立』のラストシーン、宇宙で一人漂うシロツグの脳裏に浮かんだのだろうか、エンディングのタイトルバックとして、それまでの「この国の歴史」の1ページ、また1ページが、紐解かれるように流れる。それは全てこの作品のために創造された架空の歴史、現実世界から見ればただのファンタジーであるのだが、そのファンタジーにこれだけの労力をかけたという証明でもあるのである。それは既に現実をも凌駕しえる、強いエネルギーを孕んでいた。よく、アニメのエポックメーキングは「ヤマト」「ガンダム」「エヴァ」であるとは言われる。しかし、『エヴァ』の先駆的作品として、この『王立』が存在していること、『王立』が存在していなければ『エヴァ』だってありえなかったこと、それは紛れもない事実なのである。
2003年06月13日(金) ある正義の死/『日本庭園の秘密』(エラリィ・クイーン) 2002年06月13日(木) 暗い木曜日/『名探偵コナン』37巻(青山剛昌)ほか 2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか
| 2004年06月12日(土) |
夫婦の写真をお見せできないのが残念です。 |
休日出勤でしかも残業。でも今日はあまりトンガリさんと関わることはなかったので、少しはラクであった。向こうから寄ってきて、昨日提出した書類にやっぱり文句は付けてきたが、それはこちらのミスではなく、トンガリさんが渡してくれた元資料自体にミスがあったので、こちらに文句を言ってくる筋合いのものではないのである。 今日は、用事があって、しげがちらっと職場に来たのだが、何人かしげの顔を見た同僚が、後で同じように口をそろえて「お嬢さんですか?」「お嬢さんですか?」「お嬢さんですか?」と聞いて来る。「いえ、妻です」「いえ、妻です」「いえ、妻です」とまた、私も同じように答えるのだが、そしたらまたみんな慌てて「お顔がソックリなんで、てっきりお嬢さんかと」「お顔がソックリなんで、てっきりお嬢さんかと」「お顔がソックリなんで、てっきりお嬢さんかと」と言い訳するのだ(^_^;)。 しげと私が似た者夫婦(性格ではなく顔立ちが)であることは知人はつとに有名なのだが、初対面の人間に一様に感心されてしまうというのは、やっぱり前世の因縁とかそんなのがあるのだろうか。
帰宅して、晩飯は瓦そば。私はネギをたっぷり使うので、あまり油臭くはならない。 CSチャンネルNECOで『人間の証明2001』を見る。 テレビ東京製作の『女と愛とミステリー』第1回放送、主演の棟居弘一良刑事を渡辺謙が演じたやつで、これは本放送時には見損なっていた。 渡辺謙の相手役が、原作のケン・シュフタン刑事から、高島礼子演じる下田美里刑事に変更されているのが最大の違いだが、進駐軍の米兵が沖縄の駐留兵に変更されてたんで、なんだ、今度の連ドラがそうなるんじゃないかと勝手に想像してたが、既に使われてた手だったのかと拍子抜けした。となると今度のやつは、いったいどういう形でジョニー・ヘイワードをハーフに仕立てるんだろうか。同じ手を使うか、時代設定を原作通りにするか、くらいしか思いつかないんだが。
そのあと、DVD『その場しのぎの男たち』を、今度はオーディオコメンタリー付きで見る。お喋りは佐藤B作、佐渡稔、あめくみちこの3人。伊東四朗さんに関する話に一番耳を傾ける。佐藤B作が、伊藤さんと組むまで、「お笑いの人じゃないか」と内心馬鹿にしていた、と正直に告白していたが、ちょっと驚いてしまった。役者をお笑いの人と演劇の人とに分ける感覚が私にはないからだが、一般的には「お笑いは格下」って感覚があるのかなあ。
読んだ本、長谷川法生『こりゃたまがった!』、マンガ、ゴツボ×リュウジ『ササメケ』1巻、秋月りす『OL進化論』21巻、『さべあのま全集6 ライトブルーペイジ』。
レイ・チャールズが10日、肝臓病による合併症のため死去。享年73。 ただの錯覚に過ぎないのだが、『ブルース・ブラザース』に出演していた俳優やミュージシャンたち、全く死にそうに見えない。みんな、死んでも生きていそうな、そんなムードがあの映画にはあった。でも実際には、ジョン・ベルーシはもちろん、キャブ・キャロウェイも、ジョン・キャンディも、この世の人ではない。 私は特にR&B、ソウル・ミュージックのファンというわけではないので、『ブルース・ブラザーズ』でのレイ・チャールズしか知らないが、あののけぞったように歌う独特のフリを、『サタデー・ナイト・ライブ』でジョン・ベルーシがマネしているのを見て、「なんて面白いおっちゃんやろう」と、すっかりファンになってしまった(そっちでかい)。 今もしげは、車のBGMに『ブルース・ブラザース』と『ブルース・ブラザース2000』のサントラをミックスして流している。レイ・チャールズの『シェイク・ユア・テイルフェザー』を私はほぼ毎日聞いているのだ。それはもう母親のお休みの子守唄なみに「日常」になっている。センチメンタルな意味合いでなく、だからレイ・チャールズは今も私にとっては生き続けているのである。
SF作家のレイ・ブラッドベリが、スウェーデンの「ダーゲンス・ニュヘテル」紙のインタビューに答えて、映画監督マイケル・ムーアの新作『華氏911』について、「私の『華氏451度』の題名を断りなくまねている」と言って憤慨しているとか。 インタビュー記事なんて煽情的に大袈裟に書かれるのが普通だし、ホントのところはブラッドベリがどの程度怒ってるのかは分らないけれども、もし本気だとしたら、ブラッドベリもケツの穴の小さいことである。 もちろんマイケル・ムーアがブラッドベリの『華氏451度』を知らなかったはずはないし、そのタイトルに“掛けて”、映画のタイトルとしたことは間違いないだろうが、こんなのは、盗作とかパクリとかいう類のものでは全くない。本歌取りほどにもならないただのモジリで、これを問題にしていたら、世の中の小説、映画、モロモロの芸術作品のタイトルの大半は「パクリ」ってことになってしまう。「華氏」という言葉は普通名詞でブラッドベリのオリジナルでも何でもないし、数字に至っては言わずもがなだ。だいたいそれを言い出したら、ブラッドベリ自身の『火星年代記』は先行する数多の『〜年代記』のパクリってことになってしまうではないか。 この手のモジリの宝庫はもちろんAV業界で、小説、映画、マンガ、アニメ、ありとあらゆる作品がただひたすら「エロ」のキーワードのもとに変換されてしまっている。そちら方面に私はあまり詳しくないので、とっさに思い出せるタイトルは、『ちびまる子ちゃん』が、『ちちまる子ちゃん』って、なってたのがあったなあ、くらいのものなのだが、確かに作家の立場からすれば、あまり気持ちのいいものではなかろう、とは思う。けれどだからといって、さくらももこがこれを知ったからと言って、「困ったな」くらいは感じるかもしれないが、憤慨するとはとても思えない。 インタビューでブラッドベリは、「『華氏911』の内容は自分の政治的な見解とはまったく相いれない」、と語ったそうで、タイトルそのものよりも、映画やマイケル・ムーア本人への不快感からの発言のようだ。案外、インタビューした記者のほうも“政治的に”マイケル・ムーアに対して反感を持っており、誘導してブラッドベリに言わせた、という可能性もあるように思う。できればそうあってほしいと願いたくなるのは、好きだった作家さんの「衰え」を認めたくはないからだ。しかしブラッドベリももう御年83歳で、ボケが進んでる可能性だって否定できない。だとしたらそちらの方がよっぽど悲しい。 私が理想とする一番のボケ方は水木しげる御大(もう半分は妖怪でいらっしゃるそうな)なのだが、誰でもが年を取ってああなれるとは限らない。自らの運命を受け容れる覚悟くらいはしておきたいのだが、私なんかきっとボケたら、今以上にトンチンカンなことばかりやらかしてしまうのだろうなあ。どこぞでノタレ死んでいたら、線香の1本でも手向けてやってください。
それにしてもアチラではタイトルに関するトラブルが多いことと言ったらない。いつぞやの日記にも書いたことだが、ティム・アレン、ジェミー・リー・カーティス、ダン・エイクロイド出演のコメディー、『スキッピング・クリスマス』が、そのタイトルがベン・アフレック主演の『Surviving Christmas』と似ているという理由で、『Christmas with the Kranks(クランク一家とクリスマス)』という味も素っ気もないものに変更させられてしまっている。『スキッピング』の場合、ジョン・グリシャムの原作が同タイトルで既にちゃんとあったというのにこの始末である。日本公開の際にはぜひ、原タイトルのままで公開していただきたいものなのだが。 それに引き換え、ある意味「パクリ天国」な日本の出版、映画、音楽業界は、逆にタガがゆるみすぎてるような(野島伸司の『人間失格』はさすがに太宰治の遺族からクレームがついて、『人間・失格』と間にクロマルが付いたが、この程度で済んじゃうのである)。『トップをねらえ!』とか、製作当時からタイトルだけはみんなトホホだなあ、と思っていたものなのだが、今度はそれのまた『2』が作られるってんだから、恥も外聞もないのである。もちろん、タイトルだけでなく、「おねえさま」とか「鉄ゲタ」とか「宇宙怪獣」とか「ユング・フロイト」とか、そういうダサさ、センスの無さすら「武器」にする「開き直り」が、オタクたちの支持を得た理由の一つなのだが。考えてみりゃ、「ガンダム」とか「ニュータイプ」なんてネーミングだって、初めて聞いたときはSFファンはこぞって「やめてくれよ」と思ったものである。ダサかろうがなんだろうが、いっぺん「認知」させちまえば、生んだもん勝ちなのだな、この世界。 ……で、その『トップをねらえ2』の公式ホームページが開設されたのだが、またまたガイナックス、「やらかしてくれている」。なんたってねえ、主人公たち超能力者たちの総称がねえ、「トップレス」だもんな(^o^)。でも、主人公たちのコスチュームはどっちかっつーと流行り(?)のメイド風なのであった。
http://www.top2.jp/
2003年06月12日(木) 正義に勝たれても/『少年名探偵 虹北恭助の新冒険』(はやみねかおる) 2002年06月12日(水) 悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか 2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)
| 2004年06月11日(金) |
一日顔面ケイレン(-_-;)。 |
昨日に引き続いて、今日も仕事に合間がない。 何が腹立つって、またトンガリさんの話になってしまうのだが、いつもいつもこちらが仕事を頼むと「いきなり言われても困ります」というのが口癖で(ひと月先がシメキリでも、この人にとっては「いきなり」である)、会議にも出ないせいで連絡は二度手間三度手間になるわ、実際に仕事に取りかかっても出来あがりは遅いわ、散々苦労させられているのだが、病休中の同僚の代理の仕事もいろいろ頼まれてる最中に、突然、「今週中に、この仕事やってください」と頼んで来たのだ。もちろん、本来は私がしなければならない仕事ではなくて、トンガリさんがやらなきゃならない仕事である。 「今週中って……、今日で今週、終わりですけど」 「はい」 ……「はい」じゃねえだろ(-_-;)。けど何度も書いてる通り、実質的にこの職場での「トンガリさん担当」は私になっているのである(特別勤務手当てがほしいくらいだ)。四の五の文句をつけてたら、仕事そのものが滞ってしまう。 ええ、ええ、引きうけましたとも。何とか時間を都合つけて、トンガリさんは定時通りに帰るから、それまでに何とか仕上げて、持って行きましたよ。そしたら、「ともかく私に連絡が来ないことが多いですから、ちゃんと連絡してくださいね」と来たもんだ。 ……だからそんなのはアンタが会議に出ればすむことだし、第一、「連絡が来てない」ってこと自体、ちゃんとしてるのに本人が忘れてるだけだろうがよ。 あああ、顔のケイレンが止まらないよう……(TロT)。
しげと待ち合わせをして、父の店まで、昨日買ったスポーツシューズを届けに行く。 父の日にはちと早いのだが、すぐ使えるものだから、早めに渡しといた方がよかろう。ついでに散髪をしてもらったが、しげは芝居の公演のために髪を伸ばしている最中なので私だけである。姉と二人で私の頭を見て、「つみがいのない頭やなあ」と嘆息しているが、そう作ったのはアンタだろ(~_~;)。生え方がマバラなので、短くつんでもなんとなく冴えない感じになるのである。かといって伸ばすともう、髪が薄くなっているのでペタンとしてしまう。このあたり、亡くなった母はうまいことつんでくれていて、ひと月くらいは軽く持っていたのだが、父は言っちゃなんだが母よりは腕が落ちるので、本当なら2週間に1回くらいは通わないといけない。まああんまり不義理をするなということなんだろうが、でもやっぱり不義理をしているのである。 しげが私に、「とうちゃん、いくつかね?」と聞くので、「来年70だよ」と答えると、「もうそんなに!?」と驚く。帽子でハゲを隠すことが多いので、トシより若く見られているが、もう、そんなである。母が死んだトシも、去年越した。けれど、糖尿でガタが来ていると言ってるわりには仕事を続けられているのだから、まあ、もちっと頑張って、酒を控えてくれると助かるのであるが。
帰宅して、食事は焼きチャンポンを自分で作る。女房が作った料理(モドキ)より、男の手料理の方が美味いというのは悲しいことだが、受け入れるしかない事実である。 DVD『その場しのぎの男たち』、こないだ見かけて後半眠ってしまったので、最後まで見る。読んだ本は、井沢元彦『逆説の日本史8中世混沌編』、マンガ、奥田ひとし『新天地無用!魎皇鬼』6巻、城平京原作・水野英多作画『スパイラル 推理の絆』11巻。 『スパイラル』、ついに「ブレード・チルドレン」の正体が判明。……引いた読者、多いだろうなあ。何しろまたぞろ「○」と「×」の戦いだもんなあ。でも、実はそれはフェイクでって可能性もちゃんと示唆されているから、ギリギリのラインでミステリーとして成立はしてるのである。設定そのものが破綻しまくりの『名探偵コナン』よりははるかに評価したい。いや、それくらい私は「ミステリー」の定義を広く考えているのである。
先日、しげが劇団のホームページの方で「引退」を表明して、それが波紋を呼んでいるのだが、曲がりなりにも7年間劇団を続けて来たわけだから、ここいらでひと区切り付けて、という気持ちは分らないでもない。気力と体力だけで芝居をやって行けるのは20代から30代の半ばくらいまでで、さらに次のステップに進もうというのならば、何か+αになるものが必要になってくる。しげもそのあたりを感じ始めた、ということなのだろう。「もう自分の好きな芝居を、自分の好きな役者、スタッフとだけ作りたい。コヤを使うのに神経を回してなんかいられない、照明とかも殆どないところでやってみたい」と言っている。 私も自分で演技をしたい、というエネルギー自体、かなり以前からなくなっていて、芝居に対する情熱はひたすら「面白い役者と出会えるか」という点にかかっている。つまり、「ああ、この役者さんをこう使ったら、こういう芝居が作れるなあ」ということで、自分がこういう芝居を作りたいから、それに合わせるように役者を演出する、というのはあまり考えていないのである(もちろん、「演出不在」の演劇などはありえないから、これは役者の地をそのまま舞台に反映させればよいという単純なことではないのだが、その話をし始めると長くなるので省く)。 しげが今イメージしているのは、「音楽や踊りだけで成り立つような、セリフの極力少ない芝居」ということで、出演者は3、4人、男性が中心で、場合によっては自分が役者として出なくてもいいと言う。「私は踊っても映えないし」というのだが、もともと日本人の体形自体がダンス系の芝居には不向きである。だからこそ逆に、「日本人の体形によるダンス」というものも考案できるんじゃないかと思う。つか、すでに「盆踊り」やら「阿波踊り」とかは、実際「日本人の踊り」なんだよね。あれを手足の長い外人さんがやっちゃったら、かえって映えないだろうよ。まあ、「盆踊り」で全編通す、というのも無理はあるが、世界各国の民俗ダンスを盛りこんで行くとか(ものマネで充分である)、そのラインで考えて行けば、面白い芝居が作れるんじゃないか。しげは「今度の芝居が終わったら、どこかのダンス教室に通いたい」と言っているが、そういう方向におカネを使うのならば、私は出し惜しみをするものではない。もちろん際限はあるが(^_^;)。 で、その脚本を書いてくれないかと早速頼まれてしまったのだが、一応、「好きなスタッフ」として、私はしげの眼鏡には叶ったということであるらしい。またまたプレッシャーをかけてくれることであるが、「セリフに頼らない芝居」というものも書いてみたいとは思っていたので、渡りに船ではある。ただまあ、そのためには私もまた勉強をしなければいけないわけで、年々衰えつつある自分の脳との戦いをすることになるのはいささかツライ。全く、少しも私を休ませてくれない妻ではあることだ(←イヤがってるわけではないので誤解なきよう)。
「迷惑メールフォルダー」を使うようになって、9割方のスパムメールは予め削除できるようになった。相変わらず大半は外人さんからのもので、ヘタすりゃ、日に100通近く来ることもある。よくもまあこうも、極東の黄色いサル(と内心思っているであろう)相手に、しょーもないエロサイト(だと思う)ばかり紹介してくれるものだと、その親切心には感激してしまうが、できれば腐れたジャップなんぞ相手にしてないで、猫肉ハンバーガーと砂糖たっぷりのコーンフレークと農薬オレンジのおかげで、きっと脳ミソのシワもすっかり伸びてツルンペタになってるだろうおリコウさんな同国人に、もうこれ以上は脳ミソを使わなくていいようなリビドー全開の娯楽を提供していただきたいものである。 それでもたまに、うまいことニフティのガードをくぐり抜けてくる「ツワモノ」もいらっしゃる。こないだから、何度もアドレスを変えてはアクセスしてくるのが、自称「熟女」さんで、文面はいつも同じ。
> どんな相手に癒されたい?彼女?まま? ママ的存在の人に癒されてみませんか?相手の方も癒すだけで自分も癒される。 そういった方がいます。何で癒されたい?心?体?¥?何がいいか指定して下さい。 完全無料・架空請求一切なし!
いつもいつもやっぱりどうしても分からなくて困ってしまうのだが、こんなもんに引っかかるヤツっているのだろうか。いや、リクツではもう、ある一定の割合で、どんなに見え透いた手段であっても引っかかる阿呆がいるのだということは分かる。しかし分かるだけで感情的に納得できてはいないのだ。幸か不幸か、私が今まで知り合ってきた知人友人、通りすがりの方々で、こんなしょーもないお誘いに引っかかった人はいない。もしかして実は引っかかったことがあるけれども、隠してるだけかもしれないが、まあ一見してそこまでの馬鹿はいそうにない。常識というものは時代と文化によって大きな振幅のあるものだということも理解しているつもりではあるのだが、少なくとも、私の常識では、こんなものに引っかかるヤツはよほどの田舎者か脳ミソをどこぞに落としてきたタリラリランで、まあ、実際にはいるわきゃない、としか思えないのだが。いやホントに、小学生だって引っかからないと思うんだけどなあ。 エセ宗教に引っかかる人間、というのは感情的にも分からないでもないのだ。医者に見放された病人が宗教に入った、なんて話を聞くと、そりゃ止めようったって止まらないよなあ、と思う。「オレオレ詐欺」だって、現代人の孤独につけこんでいる。「身内の声もわからないのか」という憤りは、騙された人間に対してというよりも、そういう「時代」の方に向けられて然るべきるものだ。 けれど、この手のエッチメールに引っかかるというのは、どうヒイキ目にみても脳ミソ膿んでるとしか思えないのだ。もちろん人間もケダモノであるから、その性欲を否定するものではないが、かといってそれのみで生きているわけでもない。本気で性欲を解消するための相手が欲しいのなら、実生活でそれなりの「努力」をしなきゃ相手は得られるものではないし、興味本意で覗いてみたくなるとしても、そのリスクを考えればちょっとアブナイかも、という判断が浮かんできてもよさそうなものである。それが浮かばないんだったら根っからの馬鹿だし、浮かんでも「やっちゃった」んだったら、こりゃもう性欲が脳内犯しきってて、実際に性犯罪犯してもおかしくない域にまでイッちゃってるんじゃないか、という気がしてならない。 もしかしたらこういうメールって、世間に埋没してる性犯罪者予備軍をピックアップしようとするケーサツの一大プロジェクトなんじゃないか(^o^)。こういうメールに返事をした人間だけをチェックして、こっそりリストなんか作ってるんじゃないか、とかね。 もちろん、これは妄想なんだけれど、実際にやったら「効果」は上がりそうな気はするなあ。
2003年06月11日(水) 夢の中のもどかしさ/『ガゥガゥわー太』5・6巻(梅川和実) 2002年06月11日(火) 有久家の崩壊……直前?/『パタリロ西遊記』4巻(魔夜峰央)/『くらたまのお蔵だし』(倉田真由美)ほか 2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)
| 2004年06月10日(木) |
チャイナってそういうイメージか? |
しげと鴉丸嬢の、昨日の撮影時の裏話を聞く。 鴉丸嬢、今回は中国人の役なので、チーパオ(中国服)を着用しているのだが、彼女のバイト先の近くの公園で、朝もはよから撮影をしていたところ、偶然、そのバイト先の店長さんが通りかかったのだそうな。 しげが鴉丸嬢に、「挨拶したら?」とか何とか言ったのだが、格好が格好でもあるし、鴉丸嬢は遠慮したとか。てっきり自分のことには気づかれてないものと鴉丸嬢、思っていたらしいが、さにあらず、あとになってその店長さん、トンデモない勘違いをしていたことが判明した。 店にいた奥さんに会うやいなや、店長さんが叫んだとか。「おい、あそこの公園で、本妻と愛人が痴話ゲンカしてるぞ!」 ……チーパオって、そういうイメージで見られているのかねえ。でもしげの服は例のドギツイ色のアロハだったんだが。
今日は何とか仕事を定時までに片付けて、しげとキャナルシティに回る。 しげが、もうすぐ父の日なので、今年は「靴を買ってあげたい」と言い出したのである。父も糖尿で、今、家から店まで歩いて通勤しているので、プレゼントには運動靴がちょうどよかろう、ということなのだが、連日の仕事で私の方はフラフラ、「スポーツオーソリティー」でしげが靴を選んでいる間、椅子に座りこんで船をこいでいた。
帰宅して、WOWOWで映画『スピード』。実は今回が初見なのだが、劇場公開された時には、あらすじを聞いて、「スピードを落としたら爆発」云々のあたりが「よくあるネタだなあ」と思って食指が動かなかったのである。本邦の『新幹線大爆破』も同様のネタだが、あれもアイデアはいいものの、「人間ドラマ」の部分が鬱陶しくて、映画の流れをかなり損なっていた。日本製のアクション映画は、どうしてもアチラの映画のように、理屈抜きで畳みかけるように作るってことができない。『スピード』はそういう愚は犯してはいなかったが、無理矢理サスペンスを作り出そうとする展開が多く(バスの裏に入りこむシーンなど、タルイばかりであまり効果がない)、全体としては大味な印象で、出来はそこそこといったところか。主演のキアヌ・リーブスもここでは感情的で魅力に乏しく、サンドラ・ブロックもまあ、誰が演じてもかまわない、と言った役どころ。ジョー・モートンやデニス・ホッパーは実に楽しそうに演じているが、「これだけいい役者使ってるのに、見せ場をもうちょっと作ってやれないものか」と言いたくなるくらいに脚本がフツーで、「決め」のシーンというものがない。使いどころを間違えてる感じで、なんか「もったいない」のであった。
しげと、ネット上をダン・エイクロイドの情報を探して回る。今年、久しぶりに彼の映画が2本連続して日本公開される予定なので、新着情報などはないかと思ったのだが、『50 First Date』の方、既に本国で見た人の感想を見ると、映画の出来はそこそこ面白いものの、主演はあくまでアダム・サンドラーとドリュー・バリモアで、ダン・エイクロイドはチョイ役らしい。主演映画が数年に一本の割合に減っているので、ちょっと寂しいことである。 あちこち散策していると、淀川長治が『ブルース・ブラザース2000』を絶賛している記事を見つけた。晩年の淀川さんは、かなりカラクチの批評家になっていて、『タイタニック』などはケチョンケチョンに貶していたから、これはかなり本気で誉めているのである。あのシツコイまでのカー・クラッシュシーンを、お定まりのカーチェイスに対する皮肉、と看破しているのはさすがに慧眼である。第1作に比べて、ジョン・ベルーシがいない、とか、スジが1作目と同じ、とか、ないものねだりな批判で不必要に貶められることの多い『2000』だけれども、決して引けを取ってはいないのである。ストーリーがヘン、と言うなら、第一作目のころからありゃデタラメな映画だったぞ。JBが啓示を与えるシーンで既にこりゃマトモじゃない、と見抜けなきゃなあ。
読んだ本、チーム・ティースリー『思いもよらない疑問に鋭く答えた本』、、マンガ、尹仁完原作・梁慶一作画『新暗行御史』8巻、阿部川キネコ『wakiwakiタダシさん』1巻。続きもので読んでるやつはもうコンテンツにも感想を上げていないが、『暗行』は一時期流れが停滞してたけれども、映画化が決まってからはまた盛り上がって来た。個人的にはもっとミス・黄を活躍させてほしいのだが(^.^)。
2003年06月10日(火) 遠くなった人たち/『きみのカケラ』1巻(高橋しん) 2002年06月10日(月) 騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか 2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか
| 2004年06月09日(水) |
『ハニー』、苦戦!(+_;) |
長崎の小6同級生殺人事件関連で検索をかけてきた通りすがりさんたち、昨日まではまだ200件近くいらっしゃっていたのだが、ようやく今日あたりになって50件程度に落ちついてきた。来て頂いた通りすがりさんに恨み言を言うつもりは毛頭ないが、正直な話、この程度の回り具合の方が、私としては落ちつく。 日記にカウンターを付けるかどうか、日記を開いた当初はおよそ30秒くらい(^.^)迷いもした。「ためらい」の原因は、日に何人お客さんが来てくれるものか、いちいち気にかけるのも気苦労だなあ、と考えたからだが、付けないなら付けないで、あえて来客数なんか気にしてないよって感じのポーズを取ってるみたいでみっともない気もした。まあ機能があるなら使わにゃ損かと思い、さして深くも考えずに結局は付けてみたのだが、こんなふうに何かの事件に対するネットでの反応の仕方が分かるようになるとは思ってもみなかった。いや、面白い。 もっとも、この怒涛の一週間のおかげで、アッという間にカウンターが76000、77000、78000と回ってしまい、キリ番をゲットしたのが誰なんだか分らないばかりか、まだまだ随分先だろうと思っていた80000ヒットが意外に早くやって来そうな気配になってしまった(それでもまだひと月くらい先にはなりそうだが)。80000ヒットまでにはもちっと面白いコンテンツの企画が立てられないものかと思っていたのに、アイデアを練る前に数字が追いついてきそうである。
事件後の報道も、一週間も経過すれば、「こんなことまで現段階でいちいち掘り起こして報道せんでも」という類の情報も増えてくる。「事件直後、教師たちがどのように動いたか」なんてのはその最たるもので、気が動転した教師たちが、現場に群がろうとする生徒たちを一部制止しきれずに、凄惨な状況を覗かれてしまったことをさも重大な「過失」のように報道している新聞があったが、そんな追及は、ジャーナリストか作家があとでレポートを1冊にまとめる際にコメントすればよいことである。昨日の加害者女子の作文に、識者とやらに無理矢理コメントを付けさせたりするのもその一例で、総合的な分析がなされない段階でのそういった報道は、情報の精査が全く行われていないどころか、何をどう何のために報道したいのかが全く見えなてこない。「ともかく報道」というほどに世間は情報に飢えちゃいないと思うのだが。当該の女子は、精神鑑定されることが正式な決まったようで、この事件についてまた何かを考えるのならば、その結果を待ってからで充分だろうと思う。
映画『キューティーハニー』の興行成績が振るわない。 先週、初登場でなんとか7位に付けてはいたものの、同時期公開の『クリムゾン・リバー2』『下妻物語』の半分以下の成績で、しかも今週は早々と圏外に消え去ってしまった。一般客がつめかけた『CASSHERN』とは好対照で、劇場に足を運んだのはオタクばかりということか。いや、最近のオタクは「どうせDVDを買うし」とかで劇場に足すら運ばないヤカラも多かろう。パート2が作られるためには、ホントにDVDが売れてくれなきゃしょうがない、という事態になりそうだ。 どうにも実感せざるをえないのは、やはりオタク的趣味ってのは決して一般的には好かれちゃいないということである。今、40代を越えるオタクたちはこぞって「かつてオタクがいかに迫害されて来たか」を語って、「現在、これだけオタクが認知されてる状況は幸せだ」と主張しているが、表だった批判が減っただけで(そりゃあ、社会の中枢に少なからずオタクが存在していれば、批判はしにくかろう)、一般の反感や嫌悪感は潜在化しているように思う。表だって現れる弾圧に対してならば、正面切って戦うこともできようが、潜在化した勢力に対しては、オタクたちがいかに理論武装し、論陣を張ろうとも、暖簾に腕押しだ。 なにが悔しいって、『踊る大捜査線』以降、『トリック』、『木更津キャッツアイ』など、オタクテイストの高いドラマのヒット、映画化が続いているにも関わらず、それはどこか適当にオタクネタを散りばめただけの、「上澄みを掬っている」作品にすぎないという印象が拭えず、肝心のオタクの心臓ど真ん中ぶち抜きな『ハニー』などが苦戦を強いられていることなのだ。 ……なんだか、女性の社会進出が認められ始めた80年代、「一応、女性が働くのは認めてやるけどさあ、会社に花を沿えるのが目的で雇ってんだから、経営にまで出しゃばって口出しなんかするなよ」って態度取ってた会社が多かったことを連想してしまって、癪に障るのである。『キネ旬』の批評でも、「映画派」の批評家たちには、『ハニー』の評判は頗る悪く、誉めているのはオタクな轟夕起夫くらいのものなのだ。……いやね、あの雑誌のどこがイヤかって、「一応、オタクも認めてやるけどさあ」な姿勢が子飼いの評論家連中に蔓延しているところなんだよね。かと言って、『映画秘宝』は『映画秘宝』で、あの、編集者やライターどうしが実は毛嫌いしあってるような誌面の余裕のなさ、ギスギスした雰囲気もちょっと馴染めないのだけれども。 『ハニー』は確かに絶賛するには痛い、シロウト臭さを感じさせる演出が多々見られはするが、かと言って、フツーの映画を庵野秀明が撮ったって、そりゃもっとつまんなくなると思う。オタクしか支えるファンがいない映画を、オタクが支えようとせんでどうするかと思うのだが。 ……早い話が、オタクなら打ち切りに会う前にとっとと『ハニー』を見に行け、ということなのよ。『下妻』ですらまだ圏内にいるってのによう(あれも「オタクの上澄み掬い映画」っぽいよなあ)。
早朝、鴉丸嬢がいきなり来訪。チラシ撮影の帰りにしげが連れて来たのだが、素っ裸で寝ていた私は焦った。見られて恥ずかしがるようなトシでもないが、見せたらセクハラである。部屋も相変わらず乱雑極まりないというのに、しげも時と場合を考えて案内してほしいものだ。 撮影後であるから、鴉丸嬢、当然チーパオのままである。しげが私を職場まで車で送った時も、もちろんそのまんまの格好である。チーパオ姿の妙齢の女性に見送られるというのを職場の誰ぞに見られたら、どんな噂が立つやら、見当もつかないが、幸いにも私が到着した時、職場の玄関には誰もいなかった。天はまだ私を見放してはいないようである。
仕事は昨日にも増して苛酷、残業はまた8時過ぎまで。 パソコンの前で目を血走らせていた(のだろう)ところ、同僚から「魂詰め過ぎじゃないですか? 少し休まれた方がいいですよ」と心配されてしまった。実際、どんどん眼が見えなくなって、キーボードを打つスピードもどんどんのろくなっていくのである。 だからこの仕事だって、例のトン……もう、いいや(+_;)。
帰宅して、BS2で映画『シャレード』。映画自体はかなり昔に見たので、細部はかなり忘れている。オードリー・ヘプバーンとケーリー・グラント主演映画であることはかろうじて覚えていたが、ウォルター・マッソーが重要な役で出演していたのを失念していたとは、いったいどういうことか。記憶力減退にも程があるなあ、と、しばし落ちこんでしまう。
読んだ本、今日も少なめ。 大槻ケンヂ『オーケンのめくるめく脱力旅の世界』、マンガ、あだち充『KATSU!』12巻、高橋ツトム『スカイハイ 新章』2巻、たかの宗美『白衣な彼女』1巻。 でもなんか情報が眼から脳にまで到達してないような気がする。
2003年06月09日(月) いや、落ちこんでるわけじゃないんだが/『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(北崎拓)ほか 2002年06月09日(日) チキュウは狂気で回ってる。/『全日本妹選手権!!』1・2巻(堂高しげる)/『おごってジャンケン隊』5巻(完結/現代洋子)ほか 2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか
| 2004年06月08日(火) |
食えるものなら食うのだが(-_-;)。 |
終日曇り。ちょっと雨が降ったような形跡もあり。職場の亀が今日は何だかやたら暴れていたけれども、何か予知でもしたのかな。 倒れた同僚、どうやら長期入院、ということになりそうである。代理の仕事が山のように来ることになったが、こちらまで倒れることにならないように気をつけないといけない。でも「元凶」であるトンガリさん、今日も今日とて、何だかよく分らないことを持ちかけてきては、私の頭を混乱させようとしてくるので、疲労は弥増すばかりだ。 どうやらトンガリさんのパソコンがイカレたかどうかしたらしいのだが、そんなことを私に持ちかけられたって、管轄外なのである。しかも、何が言いたいのか分らないので問い質そうとしたら、「歯医者に行かないといけない」と言って、さっさと帰ってしまった。ヒトがアンタの仕事まで引き受けて働いてるのを邪魔しといて、それで自分の都合だけは通そうとするんだから、自由に生きてる人は、ほんなこつ、幸せやね。 そんなこんなで今日もまた8時まで残業。連日の残業で、また疲労が澱のように溜まりつつあるが、他の同僚はもっと居残っているので、愚痴はこぼせないのである。イナカのバスは8時を過ぎると殆どないので、仕方なくタクシー。ハードワークで体調も崩すかもしれないが、それより先に金欠で死にそうである。
帰宅すると、伝言版にしげが「なべ、ボール」と書いている。つまり「鍋とボールに食事が用意してあるよ」という意味なのだが、冷蔵庫を覗いてみて目を疑った。 確かに食事は用意されてある。しかし、鍋いっぱいに溢れるほどの水餃子って、これはなんだ。こないだ、大量に作っても食えないし、今の時期、冷蔵庫に入れてたって、長持ちはしないから少しずつ作れ、と言ったばかりだったのに。 けれどこれはまだマシな方で、ボールに2つ、山盛りだったのは、全部糸コンニャク。しかも、ポタージュスープに漬けてある。見た目も気持ち悪かったが、恐る恐る味見をしてみて、吐き気を催した。最悪も最悪、糸コンに絡みついたポタージュがドロッとして気持ち悪いのなんの。どんなバカ主婦だって、こんなグロテスクなものは作るまい。なんでしげは普通に食事を作らないで、こういうみょうちくりんなものばかり作るのだ。……そう言えば、結婚当初も、しげがあまりにキテレツな物ばかり作るので、しかたなく料理は私が作ることにしたのであった。 いくら「普通のものを作れ」と言っても、言われた先から忘れて、次の「創作料理」とやらに挑むのである。しかも自分では「不味いから」と言って食べようとしない。しげの心の病気は、やっぱり全く治っていないのである。 こんなふうに食材を大量にムダにするくらいなら、作ってもらわないほうがいい。いや、カロリー計算をハナから考えてないしげに食事を作らせていたら、また体調を崩すのは火を見るよりも明らかである。今度から食事はやっぱり私が作ろう。
くたびれていたので、あまり本などは読めず。 『キネマ旬報』6月下旬号を読んだあと、CS「アニマックス」で『萌えよ剣』第2話、『ギルガメッシュ』最終話、『天地無用GXP』第8話、「キッズステーション」で『ゆめりあ』第2話を見たあと、DVD『鋼の錬金術師』第5巻を見返す。このあたりで体力が尽きて寝た。
以前から話が出ては消え、消えては出を繰り返していたハリウッド版『鉄腕アトム』、監督候補に『サムライ・ジャック』『パワーパフ・ガールズ』『スター・ウォーズ/クローン大戦』のゲンディ・タルタコフスキー監督が浮上してきた。製作会社であるソニー・ピクチャーズは、脚本もオファーしているということだが、まだその程度の段階にしか到達していないのなら、実際に映画が日の眼を見るのはかなり先になリそうである。つか、結局立ち消えになると踏んでるがな。「あくまでロボットより人間が上」の西洋人に、『アトム』が本気で受け入れられるとは思えない。かつて『アストロボーイ』がヒットした時だって、アメリカ人はアトムをロボットだとは認識してなかったらしいしな。 この映画企画自体、当初はCGと実写を合成する予定だったものが、『トイ・ストーリー』や『シュレック』のヒットを受けて、全編CGにすると企画変更、それが今回、タルタコフスキー監督が登板するとなるや、また実写とアニメーションをミックスする形に変更と、もう二転三転を繰り返している。実質的に暗礁に乗り上げてると考えた方がいいと思うがなあ。
子宮がんで子宮を摘出したため、アメリカ人女性による代理出産を行って話題を呼んだタレント、向井亜紀の双子の子供が、法律的には実子として認められないことになりそうだ。法務省が、向井さんとその夫の子として提出された出生届を不受理とする方針を決めたからである。 受精卵が向井さんのものである以上、遺伝子的には双子は間違いなく亜紀さんの血を引いている。代理出産を危険視して、国内での代理出産を認めていない日本の立場も理解できないではないが、生まれてしまったものはもう元に戻すってわけにもいかない。一方で親子の認定を出生地主義ではなく血縁主義を取る日本が、向井さんの子供を子供として認めないというのは、どうにも腑に落ちない。結局は、「子を産んだ女性を母親とする」というこれまでの法解釈そのものが、有名無実なものだったということだ。 一応、そのあたりの法整備の不備も法務省は自覚しているようで、「子供の日本国籍は認める。養子とする方法もある」ということで、向井さんらに出生の経過についての書類の提出を求めているそうだが、実の子供を養子にしなきゃならないなんて、そんなバカな話があるものか。こういう小手先のゴマカシで事足れりとしようとするあたりが、クニに対する信頼感をどんどん失わせていっているのである。とっとと法を改正して、「両親の遺伝子を受け継いだものが子である」とかなんとか、認定基準を変えろって。 向井さんは、代理出産を目指し受精卵を米国人女性の子宮に移植。昨年11月下旬に双子男児が生まれた。米国では州によって代理出産を依頼した女性も母親になれる。 法務省によると、向井さん夫婦は米国の裁判所から夫婦が実の両親との判決を受けたという。しかし日本では、最高裁判例がある。
長崎県の小6同級生殺害事件で、加害者の女子が作ったホームページの詩や小説を、精神科医が分析した記事が掲載されたが、これがまあ何ともお粗末なシロモノ。 まず、HP全体の印象を「他人の目を意識した文章が多く、人に見せるために書いているようだ」と語ってんだけど、それ、全てのホームページが基本的にそういうものでしょう。逆に他人の眼を意識しなかったら、「一人よがり」って評価を下されちゃうと思うんだけど。「他人への不信感と、認められたい願望が共存し、批判にものすごく傷つきやすい印象を受ける」と分析も、11歳という年齢を考えたら、たいていの少年少女がそうである。つか、例外を探す方が難しくないか。 同じように「傷つきやすい」少女が膨大に存在しているのに、なぜ、加害者の少女だけがあのような残虐な行いをしでかしたのか、その原因が潜んでいるであろう心の深奥に、この分析はかすりもしていない。つか、こんな底の浅い分析でいいんなら、誰にだってできるだろう。ホントにこのヒト、「専門家」なんだろうか。 他の分析も同様で、女子の書いた「『バトル・ロワイアル』モドキ」の小説についても、「暴力的といってもどこかから借りてきたような表現ばかりで、内面の奥底が表れているとは思えない。むしろ、借り物の言葉で内面を形づくってしまったところに、危うさを感じる」だなんて、これで「分析」してるつもりになってるんだから笑わせる。この精神科医、イマドキの小学生の書いた文章、殆ど読んだことがないんじゃないか? この女子のものと殆ど区別がつかないくらい、そっくりの文章書いてるぞ? つまり、この年頃で「自分の文章」が書ける子ども、「借り物」に頼らない文章を書ける子どもなんて、皆無に等しいってことなんである。若者の「学力低下」は、知識的な問題なのではなくて、まさに内面的な問題になってるんだね。まあ、イイトシをしたオトナだって、「借り物」でない言葉をあやつれる人間ってのははきわめて少ないんだけれども。 実際、あの程度の内容が「危険」だと言うのなら、現代の小学生の8割は「危険人物」に認定されてしまうと思うぞ。……まあ現実に危険なのかもしれないが(^_^;)。 私は何度も書いている通り、女子は「異常者」ではあったが、我々とごく近い存在であったと思うし、誰でも何かのきっかけで、ああなることはありえると思っているのである。ちょっとみなさんも次の詩を見てみて、彼女が本当に我々から「遠い」存在であったか、判断してみたらいかがだろうか。
◇詩@嘆きの賛美歌 闇夜の空に沢山の星がちりばめられる、夏の空 心地良い草の香りのする草原、リンリンと鈴虫の鳴く音 田舎だが、私はこの環境がすきだ。 都会に無いモノがあるのだ。 人間は自分たちの生活が豊かになるために、 木を沢山切ったり、ゴミ、不燃物などを平気に捨てたり… そんな事をしているらしいが本当に豊かなのだろうか? 熱帯雨林、環境破壊、有毒ガス、生活が豊かになる一方、 数え切れないくらいの自然破壊が多数ある… 川が汚れ、魚たちが死にいたり、森も破壊され 生き物たちの生きる場を失っている。 聞いて欲しい、人間の生活が豊かになるのはいいが 私たち、生き物・自然に迷惑をかけないで、 この地球に住んでいるのは、人間だけではないのだから。 わかっているのでしょう? 自然や生き物のこのままでの未来が。 わかってよ… 今では人間が生き物を殺すと何もならないことが多いけれど、 私たちは人間が生き物と同じ、 虫も 魚も 動物も 木、花も たった一つだけのかけがえのない、 「命」をもっているのだから…… 殺さないで、沢山殺して殺して殺して殺して…… 森の木も人の手によって焼き払われたりしたよ。 「自然も生きているのだから、息をしているのだから」 木や花も動いたり、話したりはしないけど、 生きているのだよ……。 生きているのだから、全て生きているのだから。 神様はいるのですか……助けて下さい…
2003年06月08日(日) 別れの予感/DVD『八つ墓村』/『HUNTER×HUNTER』��17(冨樫義博)ほか 2002年06月08日(土) いろいろあって書ききれねー/『あずまんが大王』4巻(完結/あずまきよひこ)/映画『少林サッカー』 2001年06月08日(金) 子供の命は地球より軽い/映画『ハンニバル』
昨日の日記に書き忘れてたが、「ダイヤモンド・シティ」は全て禁煙で、喫煙コーナーはごく一部、しきられたボックスの中だけでしかできないようになっている。愛煙家の方には申し訳ないが、本来、これが「街」の自然な姿だろう。 福岡市が条例で歩き煙草を禁止し、罰金を科すことにしているのに、実際には煙草を吸いながら堂々と闊歩している若者はまだまだいる(いいトシをした大人は殆どいない。この件に関しては、「大人が悪いから、子供も悪くなる」という理屈は通らないようである)。当然、煙草はポイ捨て。こういう脳がニコチンに犯されてる狂人は、どうせマナーがどうとか言ったって、聞きゃしないのだから、罰金くらいではナマヌルイ。タイホしたって構いはしないと思うのだが、そこまで主張すると「たかが煙草で」と引かれちゃうんだよなあ。でも、本当にどうして煙草が刑事罰の対象にならないのか、私はそちらのほうが不思議なのである。タバコと万引きと酔っ払いにはえらく寛容だよねえ、この国って。
終日、雨で蒸し暑い。運動もできないから、何となくハラがだぶついてきた気がするのである。せっかくこないだ医者で誉められたというのに、ちょっとヤバイかな。 アノ仕事コノ仕事と、次から次へと舞い込んできてくれるので、ひと息つくヒマもない。同僚が突然倒れて(文字通り、仕事の最中に倒れての休職)、代理の仕事がまた一つ増えてしまった。同僚の病気の原因も当然「過労」である。ともかく毎年のように、病人、退職者が出るので、昨年からかなりな仕事の整理を行っていたにも関わらず、今年もやっぱり病人が出てしまった。実は我々、昼休み時間も実質的に全くないのである(昼メシは仕事の合間に弁当をかきこむか、あるいは絶食が普通である)。 昼休みも時間以上にきっちり取るわ、定時にぴったり帰るわ、余裕カマシてくれてるのはウチではトンガリさんだけである。 ……だからよう、今度倒れた同僚だって、そのトンガリさんの仕事代行してるんだって。この仕事、自分に与えられた仕事だけコナシてれば成り立つってものじゃないのだ。慢性的な人出不足で、みんなどこかカラダを酷使し、家庭を犠牲にし、しなくていいはずのムチャだってやっちゃってるのだ。今日も残業、明日も残業、それでもみんな、愚痴一つ言わずに(ちょっとは言ってる人もいるが)頑張っている。なのにやたら休んで(一応「病院」ということではあるが、それにしちゃやたら頻繁である。私ゃできるだけ土曜を使ってるんだけどねえ)、仕事を遅らせてて、それでも平然として、文句だけは付けてくるのである。ご本人はすぐにキレて、「誰それを刺したい」と口走っておられるのだが、アンタが刺される方が先だろうがと言いたい。
てなわけで、今日も残業。けれど今日はしげの仕事が休みだったので、迎えに来てもらえた。しげは、昨日テレビで録画を仕掛けておいた「ダンダンブエノ」公演の『いなくていい人』が、途中で切れていた、と嘆いていた。どうやらテレビタローの記載上の時間とはズレて放送されたらしい。残念だけれど、BSでの放送だから、また再放映の機会もあるだろう。 一緒に晩御飯をジョリーパスタで。以前は、ここの前の道が工事中で、近所にあるにも関わらず、立ち寄りにくかったのだが、道が開通したおかげで来やすくなった。ただ、カロリー的にはかなりギリギリである。朝飯昼飯食うヒマなかったので、これくらいはよかろう、と食事。 しげもここが気に入って、カルボナーラ(ハーフサイズ)を頼んだ。一応、ダイエットも考えているようである。 しげ、ここのところは心が安定しているかと思っていたのだが、「PPの日記に、『青いこと』書いちゃったよ。はずかし〜」なんて言っている。今度の公演を最後に、本人は「引退する(第1次)」と言っているので、そのあたりのことを書いたらしい。やりたいことがなくなったわけではなく、「形態」が変わるだけなので、私はさして心配はしていない。役者は、その人が本物であるなら、引退しようが死ぬまで役者である。原節子も、高峰秀子もそうであるように。 ……いや、しげがこの二人並の役者だと言いたいわけではなくて、「役者の心」の問題としてね。ああ、畏れ多いこと。ヾ(;´_`A``アセアセ。
帰宅してみると、パソコンの上に子供用の「伝言板」が置いてある。あの、字を書いてレバーをひくと、書いた字がスッと消えるというやつだ。 「なに、これ?」と聞いたら、「会えん時、それで伝言できるから」と言う。いい工夫だとは思うが、それだけ二人の生活が離れてしまったのだなあ、と思うと、ちょっと寂しくなる。
京都大の学内ベンチャー企業「ロボ・ガレージ」の開発した二足歩行ロボット「クロイノ」、腰の位置を低くして、軸足が外側に傾くように設計されており、軸足のひざを伸ばしたまま、より人間に近い歩行が可能になったとか。これって、「アシモ」はもう古くなっちゃったってことなのかな。あれはあれで中腰スタイルが何となく「しもべ」っぽくって、好きだったのだが。昨年のシティボーイズ公演での中村有志さんの「アシモ」演技も、わずか一年で過去のものになってしまうわけである。、これだけ科学の発展が著しいってのに、どうしてまだ宇宙ステーションの一つもできんのだ(問題が違うって)。
佐世保の同級生殺人事件で、加害者の女子が、殺害に至る過程を詳しく供述し始めた。 5月27日、加害者が怜美ちゃんにおんぶしてもらったとき、怜美ちゃんから「重い、重い」と言われたので腹を立て、「失礼じゃない」と文句を言ったけれど無視されたのが、殺害を決意した直接の理由だとのこと。こういう理由で殺されなきゃならんのなら、私はしげに百万回殺されている。猫だって生き返れねえぞ。 「最初は首を絞めてやろうと思ったけど、暴れたりしたら無理だと思ったから止めた」ということで、事件のあった当日1日、カッターの刃を新たに替えて、筆箱から出したり入れたりを繰り返していた。このあたりの行動も既にキちゃってるとしか言えない。 昼休みになって、怜美ちゃんに「ちょっとおいで」と声をかけて、現場の学習ルームに呼びだし、カーテンを閉めて、椅子に座った怜美ちゃんの後ろに回って、左手で目隠しをした後で、首の右側を深さ10センチになるほどに切りつける。このあたりの殺害方法は、明らかに映画『バトル・ロワイアル』に影響を受けている。 これでまたぞろ、「あの本は危険だ」とか言い出す阿呆が、モグラかミミズみたいに、にょこにょこ出て来るかもしれないけれど、もう大きな運動にはならないんじゃないかな。いい加減、これだけ事件が続けば、この国の大衆も、子供を操って犯罪に走らせているものの正体が、「本」だの「アニメ」だの「ゲーム」などという、ソフト自体にあるのではなく、それを乗せているハードである「メディア」の「煽り」だってことには気が付いているだろうから。 加害者は、その後、約15分間、現場にとどまって、怜美ちゃんが生き返らないことを確認して、血のついた自分の手をハンカチで拭いたりして過ごしたという。 この殺害状況から、ようやく「精神鑑定」の声も出始めたようだけれど、殺人に際してこれだけ冷静な行動を取っているのに、「狂ってる」と言えるものなのだろうか。もう充分「大人」だって考えてもいいんじゃなかろうか。子供の犯罪が起きるたびに思うことだけれど、幼いからこそ、判断力が付く前に法の手で「処分」してあげるのも一つの恩情だと思うんだよ。だって、この子に「悔悟」の気持ちを植えつけたとして、この先60年か70年か80年の人生を、ずっと「監視付き」で過ごさせる気なのかね?
今日の読書は、コーエン兄弟脚本、村雨麻規編訳、小説版『レディ・キラーズ』、マンガ、北条司『エンジェル・ハート』10巻、石川賢『ゲッターロボアーク』3巻(完結)、姫川明『ASTROBOY鉄腕アトム』3巻(完結)とこれだけ。残業が響くと、これくらいしか読めないのである。
2003年06月07日(土) なんだか盛り沢山な日/映画『腰抜け巌流島』/DVD『怪獣大戦争』ほか 2002年06月07日(金) 野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』 2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか
| 2004年06月06日(日) |
やつぱり「亀」が好きな世代だから。 |
ウチのマンションは原則としてペット禁止なのだが、金魚とか、ご近所に迷惑をかけるおそれのないものについては問題ない、ということになっている。最近ちょっと、「亀」を飼いたいなあ、と思い始めた。 職場で亀を飼ってることは何度かこの日記にも書いたことだが、こいつがまあ、かわいいの何の。エサのことしか考えてないのは見てりゃわかるんだが、ペットというものはそういうシンプルな付き合い方ができる相手の方がラクでいい。犬、猫、あたりは妙に人間っぽい繊細な神経の持ち主もいたりするので、飼うにはかなりな覚悟が必要になるのである。 先日、しげに「亀飼っていい?」と聞いたら、始めは「いいよ」とか言ってたのだが、あとで鴉丸嬢とおしゃべりしているときに「ボウフラが湧くよ」と言われて、急に「反対派」に回ってしまった(「派」ったって、一人しかいないが)。あまりうるさく文句をつけてくるので、応対するのが面倒臭くなって、「わかったよ、ベランダで飼わないで風呂場で飼うよ」と適当なことを言ったら、今度は「ウチのバカは風呂場で亀を飼うつもりだ」とみんなに言いふらし始めた。 ……本気にするなよ、茹っちゃうだろうが、亀が(-_-;)。
俳優(^_^;)、ロナルド・リーガン、別名、エルヴィス・リーガン(知らない人も増えただろうから、ヒトコト説明しておくと、「レーガン」と表記するようになったのは大統領になってのち、「そちらのほうが原音に近いから」という本人の要望があってからのことである)が、肺炎のため死去。享年93。1994年にアルツハイマー病であることを告白していたし、もう相当な高齢であったから、まさしく大往生であったと言えるだろう。「20代、40代、60代……と、偶数ゼロ番代の大統領は人気をまっとうできない」というジンクスを破ったのも彼である。 実は60本近くの数の映画に出演している元大統領だけれど、その出演作の殆どは、戦前の二流・三流西部劇。主演もそれほど多くはない。私も、動いている「俳優」としての「“リ”ーガン」氏は、ジョン・ランディス監督のコメディ、『スパイ・ライク・アス』(1985)でチェヴィ・チェイスが見ているテレビの中に登場して、『I’ll be loving you』を歌っている姿を見ているだけである(結構いい声。吹き替えか?)。比較的評価の高いドン・シーゲル監督の『殺人者たち』(1964/これが遺作となった)も見ていない。 じゃあ、なんでわざわざ「俳優」として取り上げようって気になったかって言うと、これはもう、ロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)で、ネタにされていたから、という、故人には実にシツレイな理由ゆえになのである。 ご存知ない方のためにその「ネタ」を説明しておくと、1985年から1955年にタイムスリップしてしまったマーティ(マイケル・J・フォックス)は、ドク(クリストファー・ロイド)に自分が未来から来たことをなかなか信用してもらえなくて困るのだけれど、それどころか、ドクから「じゃあ、1985年にアメリカの大統領は誰になってる?」と聞かれて、うっかり正直に「ロナルド・レーガン」と答えてしまったために、ますます信用してもらえなくなったというギャグがあったのである。そのときドクは鼻で笑って、「大統領がレーガンなら、副大統領はジェリー・ルイスか?」とマーティに突っ込む。 1955年当時、レーガンはまだ俳優を引退してはおらず、またルイスはディーン・マーティンと組んで「底抜け」シリーズを連発、若者を中心に絶大な人気を誇っていた。もっとも翌年にはこのコンビは解消してしまうから、目ざとい観客の中ては、「やや下り坂」に見えていたかもしれない。コメディアンであるルイスと、西部劇役者のレーガンとを並べてみても、私には何だかピンと来ないのだが(かと言って、名優アーネスト・ボーグナインあたりを持ってきては、レーガンとでは役者の「格」が違いすぎて比較にならない)、それはアチラの文化をよく知らぬ私の勘違いで、レーガンは「そういう役者」として認識されているのかもしれない。ルイスの人気は一時凋落の一途を辿ったが、彼にオマージュを捧げる映画人も少なくなく、『キング・オブ・コメディ』などで復活を果たしている。レーガンもまた、別の世界で見事な「役者」ぶりを示した。 ジョン・ランディスもロバート・ゼメキスも、“役者”リーガンのことが好きだったのかもしれない。
朝から公演のチラシの撮影で、カトウくん、其ノ他くん、鴉丸嬢、しげ、私と、10時にパピヨンプラザに集合。やや小雨がぱらついていたが、撮影できないと言うほどではない。かえって日陰ができない分、あとでパソコンで加工するのにはちょうどいいだろう。 一応、演出補の肩書きがあるので、付き合って行ったのだが、特にああせいこうせいと言うことはない。やることと言ったら、荷物の張り番とパシリくらいのものである。 カトウくん、始めてパリッとしたスーツ姿で撮影に臨むが、これがなかなかの男前。しげはそれを見て「惚れるう〜♪」と嬌声を上げている。けれど、続けて「仕事に疲れて、男臭(おとこしゅう)がしてるとこがいいとよ!」なんて言うものだから、あまり誉めてるようには聞こえない。もう少し言葉を選ぼうよ。 鴉丸嬢はずっと旗袍(チーパオ)姿での撮影。当然一番目立っているのだが、通りすがりの人がみんな振り返って行くだけでなく、隣のレストランにいた中年オヤジたちも、食事中ずっとウィンドウ越しに鴉丸嬢のことを見ていたらしい。こちとら、曲がりなりにも役者なんだからな、それだけ見たなら木戸銭払ってけってんだ。 ……とか言いつつ、ウチの公演は未だにカンパ制で、基本的に無料なんだけどね。
昼からパピオビールームに移動、ここでハカセも合流、練習に入る。 ようやく私も演出らしきことを言い始めるが、あくまで「補」であって、みんなの合議制で作って行く方式だから、あまり具体的に動きを指定したりはしない。こないだ見た『ロスト・イン・トランスレーション』のカメラマン(ダイヤモンド☆ユカイ)の指示なみに抽象的である。 例えば、「ああ、そこは声優のくせに顔出しオッケーだと勘違いしてる関智一みたいな感じで」ってな調子である。関智一ファンが聞いたら激怒しそうな指示だが、これ、あくまでタトエだから(^_^;)。 動きもまだ付いていないし、イメージも固まっていないからギクシャクはしているのだが、アイデアをみんな出してくるので、ノリはいい。苦労するのはいつものことだが、これまでのウチの芝居の中では、一番、スムーズに流れている印象である。公演は12月だが、以外とあっという間に来ることだろう。それまでにどれだけ固めて行けるか。
芝居につかうCD、まだ数曲足りないので、其ノ他くん、鴉丸嬢を送ったあと、「ダイヤモンドシティ・ルクル」の「フタバ図書」に行ってみる。 鳴り物入りでオープンした「ダイヤモンドシティ」、もう夜も9時を回っていたので、空いてるかと思ったら大間違い。まだ三日目だと、大々繁盛の込み具合である。家から車で15分の距離なので、下手をしたら博多駅に行くよりも近いのだが、少し「落ちつく」までは、休日を避けて行った方がよさそうだ。ワーナーの映画館、17館あって、トリアスの20館よりは少ないものの、前の福岡東より増えている。結構行きつけになりそうである。 探しものは見つからなかったが、しげがバレエの本を見つけて、芝居の振り付けに使えるからと購入。踊るのはもちろんカトウくんであるが、はてさて、どんな振付を考えるつもりやら。とりあえず、来ただけの甲斐はあったか。
今日の読書、永井豪原作・鴉紋洋著『映画「キューティーハニー」小説版』、マンガ、流水りんこ『インド夫婦茶碗』3巻、横溝正史原作・長尾文子漫画『本陣殺人事件』、さべあのま『マービーとギジェット』、桂正和『ZETMAN』3巻、牛田麻希原作・木村文漫画『問題のない私たち』1巻、石ノ森章太郎原作・村枝賢一漫画『仮面ライダーSPIRITS』6巻。 練習はあったけれど、休日はやはり集中して本が読めるのがいい。
2003年06月06日(金) ココロさみし/映画『愛してる、愛してない…』 2002年06月06日(木) つまりシロクマって保護色?/『愛はめんどくさい』(まついなつき)/映画『原子怪獣現わる』ほか 2001年06月06日(水) フォークって民謡って意味なんだが/『メトロポリス』(手塚治虫)ほか
| 2004年06月05日(土) |
通りすがりさんはどこをどう読んでるんでしょうか。 |
ここ数日で、一気に日記のカウンターが回ってしまい、76000、77000のキリ番もアッという間に過ぎてしまいました(^_^;)。 掲示板にも書いていたことだけれども、キリ番報告のあった人には、「福岡限定・ハローキティのミニタオル詰め合わせ」(3点セットくらいにしようかと思う)をお送りしようと思っていたのだけれども、これだけ「通りすがりさん」がいっぱいだと、住所を教えてくれそうな人に当たる確率はかなり低くなりそうだ。さすがに同級生殺人事件直後の800人近くのアクセスは記録しなくなったけれども、それでも今日だけでもまだ300人以上の人が覗きに来ているのである。 けれど、どうやら「見つからない」と騒がれていた加害者のホームページも発見されたようだし(親、消しとけよ)、私のホームページをきっかけにそこを探しあてようというヤカラも減って行くとは思うのである(だから私ゃ事件の関係者でも何でもないんだから、探そうとしたってムダだってば)。 もう少ししたら、この状況も大人しくなっていくだろうから、そうすればキリ番もゲットしやすくなりましょう。実はキティちゃんの隠れファンで虎視眈々と狙っていらっしゃるお方も、もうしばらくお待ち頂けたらありがたいです。
「興味がない」とか何とか言いながら、「日記がそこにある」ことがわかれば、覗いてみたくなるのは人情である。 私も一部、その加害者少女の日記(らしきもの)を見てみた。散見してみただけだが、コジツケようと思えば、事件にコジツケられる文章がないわけではない。しかし、事件を全く知らない人に、「この日記どう思う?」と聞けば、「別に普通じゃん?」と答えるだろう、と思われるくらいに普通の、小学生の文章である。 事件前日は大久保小学校の運動会だったようだ。加害者少女は「今日運動会だったんだけど、バナナの皮で滑ったら・・・・・(ウソ)移動中にこけました。ギャグ漫画並みにずるっと。」と書いている。殺意を心に秘めながら、こういう普通の文章をサラリと書ける恐ろしさ、というよりも、少女にとっては、「殺人」もまた日常の延長線上にあったのだろう。あるいはせいぜい「運動会」と同列の「ハレ」のものか。まさしく、こういう子供たちはいくらでもいるし、彼女だけが特別ではない(「異常者」だという意味では明らかに「違っている」のだが、こういう子は平凡に遍在しており、決して少なくはないということである)。 ニュースで報道された日記の一部、「苦汁、絶望、苦しみが私を支配する」という部分だが、これも全文を読むと、「けれど、全てと戦い、闇を葬り光とこの身の有り難さをそのぶん欲したい。」と前向きな言葉があとに続く。しかしその「前向きさ」は、「殺人」という行為と全く矛盾なく少女の心の中に存在している。「光と闇の戦い」という、ありきたりなファンタジーのタームが、現実的な検証もなされずに日記の文章に綴られるあたりは、彼女の人生が未だ「借り物」に過ぎなかったことを思わせる。「借り物」だから、それが大人の眼から見れば言動不一致に見えても、彼女の心の中ではさしたる葛藤も見せずに存在しえていたのであろう。けれど、「借り物の言葉」しか喋れず、数々の自己矛盾にも気がつかない人間は、大人だろうと子供だろうと、今や当たり前になって来ているのだ。 昨日までの日記にも書いたが、彼女のような存在を「排除」しようとすることは事件の再発を防ぐことにはならないし、そもそも不可能である。あなたの隣にいるいたいけに見える女の子もまた、ひとつ道を違えれば、あの子のようになってしまう……どころか、あなたが「彼女」になってしまう可能性だって、否定はできない。確かに一生、何の事件も起こさずに一生を終える人間もいるし、そういう人間と、犯罪者との間の距離は果てしなく遠いとは言えるのだが、同時に限りなく密接してもいるのである。 加害者少女はまた、自分には親が死んでいない旨の詩を書いてもいる。もちろんこれは事実に反している。まさか寺山修司に影響を受けたわけでもないだろうが、そのように自らを仮構した少女の心理に、ある種のヒロイズムを見出すことは簡単ではある。しかしそういう分析が事件の本質を解析できるかどうかという点について言えば、私にはさしたる意味があるようには思えない。分析とは基本的にその対象の「特殊性」を浮き彫りにすることであるが、となれば分析が最も困難なのは「平凡」ということであり、彼女の最も明確な「特徴」がまさにそれだからである。
今日は休日出勤で、半日仕事。 昼、しげに迎えに来てもらって、昼食は久しぶりの「ジョリー・パスタ」。カルボナーラとたらこスパゲティ、それぞれハーフサイズなので、量的にはたいしたことがない。イタリア系の料理は油をたっぷり使っているので、このあたりの配慮も必要になってくる。 食事中、今度の公演の話をダラダラとしたのだが、一応、しげは今度の公演を最後に「引退」するつもりでいる。と言っても、芝居をやめる、という意味ではなく、「もう好きなことしかしたくないので、劇団内に『自分同好会』を作る」ということらしい。今までと何がどう変わるんだか私にはよく分らないのだが。 芝居は一人で作れるものではないのだから、当然しげは、「これはこうしたらいいんじゃないのかな?」と意見をみんなに求める。それに対して、賛同する人もいれば反論する人もいる。何も言わない人だっている。しげだって、自信をもってものを言っているわけではないけれども、言うときは言わないといけないと思う。だから、懸命にないチエを振り絞ってモノを言うのだが、そういう自分から見ると、「意見を言わない人」は、どうして何も言わないのか、その理由が分からない。「意見はないの?」と聞いても「ないです」と答えられてしまっては、それから先、どう会話を続けていけばいいのか。そういうやりとりにはもう疲れてしまったから、これからは話がツーカーで通じる相手だけ誘って、芝居を作りたい、ということだとか。もちろん、劇団として何か芝居を作る相談があって、それに誘われれば参加してもいいと考えてはいるのである。 自分がうまくことを運べないのは、しげ自身、頭が悪いからだと思っている。それで私にこう聞くのである。 「アタマがいいってどういうことなのかなあ?」 頭の悪い私にそれ聞いてどうするかねえ(^_^;)。 けれども、「会話ができる」という視点でものを考えれば、「頭がいい人」というのは、相手のレベルに合わせて言葉を選べる人である。 「コトバ」は一般的に考えられているような、「意味を伝達する道具」ではない。「コトバ」によって規定された「意味」は、語り手から放たれた途端に揺らぎ、常に「誤解」される運命にある。だからその意味をより正確に受け取るためには、受け手のキャパシティーが広いことが前提条件となる。でもこのキャパの広い人間がなかなかいないから、会話が成立しない、という現象は実に頻繁に起きてしまうことになる。このあたりのことを分かりやすく説明するのがまた難しい。 「たとえばさあ、『完全な人間はいない』ってよく言うじゃん。このコトバ自体は間違ってないよね」 「うん」 「『医療にミスは許されない』というコトバもある。これも納得するよね」 「まあね」 「じゃあ、医療ミスを犯して患者を死なせた医者を『完全な人間はいない』と言って擁護できるかってことなんだよね」 「それは……」 「つまりコトバってのは、それが語られる背景となる前提条件があって、それは実は全て全部違う次元にあるものなんだよ。だから違う次元のコトバをつき合わせたって、矛盾が起こるばかりなわけ。だから『アタマがいい人』ってのは、相手がどういう次元でそのコトバを発しているのか、理解できる人ってことになるんだな」 「じゃあ、何も喋れないっていうのは?」 「厳しい言い方になるけど、『語るコトバがない』ってことは前提となる条件を共有してない人なんだよ」 とっさの質問で、私の言い方もかなり乱暴になってしまったが、要するに相手と会話する気があるのなら、相手がどういう前提に基づいてモノを語っているか、類推する能力が受け手側に必要になってくるということである。極端な話、「以心伝心」が成立するのは、語り手が何も言わずとも、受け手が語り手の(語ってないのだが)ほんの些細な仕草などから、「意味」を類推してしまうからである。 ネットなどの論争で話が噛み合わなくなるのは、たいていある次元のコトバを、別の次元のコトバで反論しているからである。「ウソつきは泥棒の始まりだぞ」「でもウソも方便って言うじゃないか」このような反論は、それぞれの言葉が成立しているフィールドが異なっているのだから、突き合わせるだけ無意味なのに、そのことに一向に気がつかない人があまりに多過ぎる。 この「次元の違い」は具体的にいちいち説明し出すと膨大な時間がかかってしまうし、説明して分かってくれるような相手なら、そもそもトンチンカンな誤解はしないものだから、説明してみたところで徒労に終わることが多い。ほんの数年前まではネット環境の広がりが、そういう齟齬を軽減してくれるようになるかと思っていたのだが、全然そうはなっていないのは、そもそも「アタマの悪い」(=心の狭い)人間が多過ぎるからなんだろうね(-_-;)。
帰宅してひと寝入り、夕べあまり寝ていなかったせいか、夕方過ぎまで寝てしまった。起きてからは読書何冊か、『トンデモ本の世界S&T』、『山田風太郎忍法帖短編全集2 野ざらし忍法帖』、マンガ、青山剛昌原作『名探偵コナン特別編』21巻、石川賢『神州纐纈城』1巻など。 CSでアニメ『ファイブスター物語』、『ゆめりあ』第1話、映画『地獄』など。 数時間でこれだけの本が読めるのは、速読に慣れているからである。その分、内容はすぐに頭から抜けていくが(意味ないじゃん)。
2003年06月05日(木) なんかタイトル思いつかん/『キカイダー02』5巻(石ノ森章太郎作・MEIMU)/『ヒカルの碁』22巻(ほったゆみ・小畑健)ほか 2002年06月05日(水) 人間失格かな、やっぱ/『『鉄人28号』大研究』(飯城勇三)/『ちょびっツ』3・4・5巻(CLAMP) 2001年06月05日(火) 一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか
| 2004年06月04日(金) |
やっぱり出たよ、トンチンカンさん。 |
なんだかまた、長崎佐世保同級生殺人事件(こんな言い方がだいたい定着しつつあるようである)の追っかけ日記みたいになりつつあるな。 昨日の日記を読み返してみて、寝る前でウツラウツラしながら書いたせいもあるのだろうが、かなり激烈な書き方をしているのに、自分でも驚く。加害者女子を「鬼」とまで書いているのである。いや、そう書いたことは覚えているのだが、自分の意識の中では、このとき、「あまり激しい書き方はしないで、穏当な表現にとどめとこうかな」と考えて、「鬼」という言葉を選んでいるのである。なんでや(~_~;)。半分アタマが寝ているので、抑制が効かなくなっていたのだろう。 けれど、これはつい、加害者の少女にも“同情してしまいそうになる”自分を戒めようとした意識の反動かとも思われる。実際、十代前半のころの自分を思い出してみれば、この加害者女子ではないが、「こいつ、殺してやりたい」と思っていた相手は、そりゃあ両手じゃ足りないくらいいたものだ。肉体的な特徴をからかわれた、些細な失敗をバカにされた、先生に誉められたのを嫉妬されてイヤガラセをされた、ともかくちょっとでも欠点を見つけたら、そこを責め立てないではいられないのがコドモの残虐性である。生まれつき眼が悪くて、小学校に上がったころには既に牛乳瓶の底のようなウズマキ眼鏡をかけていた私などは、イジメっ子の格好のエジキであった。集団で取り囲まれてボコにされたことも何度かあるし、事故で頭蓋骨を骨折した直後は、アタマを標的に狙われて、殺されかけたこともある。コドモというものは「相手が死ぬことなどは何とも思っていないのだ」ということを実感させられたものである。 そういう仕打ちを受けていれば、「殺される前に殺そう」という意識は自然に生まれる。当時は学校にナイフを持ってくることに対する規制だってなかったから、一歩間違えば、ダークサイドに取りこまれて、誰かを刺すくらいのことはしていたかもしれない。私がそうならなかったのは、親の教育の厳しさのおかげだろう。ともかく、息子に向かって「アンタが何かをすれば、アンタを殺して、自分も死ぬ」と本気で公言していた親である。いじめっ子がいくら腐れた外道であろうが、親を巻き添えにして命を捨てる気にはどうしてもなれなかった。つか、いじめっ子よりも親の方が怖かった(^_^;)。おかげで随分打たれ強くはなりました。 加害者の女子の親が、私の親よりも甘かったのだろう、とは言わない。私が事件を起こさなかったのは、多分に「運」も関連していると思うからである。殺人犯となった彼女と、ならなかった私との距離は、さほど離れてはいない。だから、「悪口を言われた」ことで切れてしまった、という動機について、つい同情してしまいそうにもなるのだが、同時に、「それで切れずに、堪えてきた子供たちだって、世間には腐るほどいるだろう」とも思うのである。ネットの掲示板などを見ても、加害者が年端も行かぬ少女であるにも関わらず、殆ど同情論が見られないのは、「誰だってガマンをしているのに」という思いもあるからだろう。キレる10代を手厚く保護するような、社会的な甘やかしが蔓延している状況に誰もが不満を抱いている中にあっては、殺害の動機となった「悪口」とやらがどんなにひどいものであったとしても、いったん殺人者にまでなってしまった人間に対して同情しようという動きはそうそう現れはすまい。 人間の心の中から「闇」を取り除くことはできない。輝く太陽の下にも必ず悪はあり、降る星のごとく深い慈愛の中にも、ドス黒い憎悪は表裏一体で存在している。あなたは、自分が理性的に「正しい」と判断して行動した行為の中に、本当に一片の悪意も篭ってはいなかった、と断言できるだろうか? また、あなたが誰かに対して向けた非難や腹立ち、たとえそれに相当の根拠があったとしても、そこに歪んだ感情が全く混じってはいなかった、と言えるだろうか? もし言える、と言うのなら、そのこと自体が、あなたが「闇」にとらわれている証拠なのである。だから、本質的なことを言ってしまえば、誰も、人の「悪」を裁くことなどはできない。 それでも我々は、自らの悪を裁かないわけにはいかない。私が現実的には不可能だとしても、加害者の少女を処断したほうがいい、と考えるのは、彼女を異常者として排斥するためではなく、誰の心にもある「闇」を処断し、自らを律する道を選ばなければならないと考えるからである。単なる「排斥」が目的ならば、それは結局自分の「闇」を甘やかし、餌をやり、ムダに太らせていくことにしかならない。たとえ更生の道が犯人女子に残されていたとしても、彼女は批判はされてしかるべきである。しかしその批判は、自らもまた、処断されるべきものを抱えて生きているという自覚を持った上でのものでなければ、批判としての意味を持ちえないだろう。
テレビでも、ようやく加害者、被害者双方のホームページの映像が紹介されるようになった。それが全部ではないにしても、御手洗怜美ちゃんの「なんでアバターがなくなったりしてんの」「どうせアノ人がやってるんだろ」(加害者女子が被害者のホームページを「荒らし」ていたのである)とかいう記述、この程度で怒るのはやっぱヘンだわ、としか言えない内容である。もっとも報道はアテにならないから、これ以前に相当ヒドイやりとりがあったのかもしれない。 加害者女子は、HPの日記に「うぜークラス つーか私のいるクラスうざってー」「エロいこと考えて弁当に鼻血たらしたり」「愚民」とか書いていたり、事件の十日ほど前の5月下旬にも、教室内で夢中になって本を読んでいたとき、横を通った男子にのぞき込まれて、いきなりカッターナイフを握った手を振り上げたりもしていたそうだ。この加害者女子、やっぱりかなりテンパってた精神状態にあったんじゃないか。今は普通に見えていても、一応、精神鑑定はしたほうがよかろうと思うけれどもねえ。
こういった事件が起きると、事件そのものだけでなく、それが巻き起こした波紋のほうが滑稽で、馬鹿馬鹿しい展開を見せることがあるのは常ではあるが、井上喜一防災担当相の閣議後の記者会見の発言がまた、ぶっ飛んでいて、今さらながら、「大臣なんて、誰でもなれるんだなあ」と思わせることしきりである。 「従来の考え方をある意味で覆す。これまで男がむちゃやってなにかしでかすことはあったかもしれないが、女がやったというのは初めてではないか。最近は男女の差がなくなってきた。元気な女性が多くなってきた、総じてどの社会も」 どこからどう突っ込んだらいいか、わかんないくらいだねえ(~_~;)。 「従来の考え方」って、具体的にどういうことを言いたいの? 「女がやったというのは初めて」「男女の差がなくなった」ということから想像すると、「女は男の下で従順だったから、好き勝手できなかった」ということなのかな? だとしたら、アナクロにしても百年くらい古い「従来」だなあって気がするが。それとも「女の犯罪はこれまでになかった」と言いたいのか? もちろん、女性の犯罪なんて腐るほどあるんで、どう解釈したらいいんだか、全然わからないのよ。 で、極めつけが犯罪を「元気」って言うかよ、ということなんだけれども、コトバが不自由なのは、もう現代ニッポンにおいては老若男女を問わずであるから、これも大臣が「元気」である証拠だってことで、ま、いいんじゃないですか?
もう一つの「お笑い」は、またしてもテレビ放送等の「自粛」騒動である。 NHKは、『中学生日記〜私たちの名前はどの辞書にも載ってない』の5日の再放送を自粛。男子生徒がカッターナイフで自分の腕を傷つけようとする場面が出てくるためだって。 フジテレビは、4日午後9時からの2時間ドラマ『結婚相談員 末永卯月の推理案内状<5>』の放送を、「刃物を犯行に使用する場面があるため」という理由で中止。 TBSは、関東地区での5日午後3時30分からの2時間ドラマ『ざこ検事・潮貞志の事件簿』の再放送を別番組に差し替え。 ……刃物使ったサスペンスものを全部差し替えていくんじゃ、放送する作品、すぐに底をついちゃうんじゃないか?(^_^;) 放送局のみなさん、事件を楽しんでるよねえ。
週末だけど、今日も残業。いつものように、トンガリさんの苦情を「ハイハイ」と受け流していたら、トバッチリが秘書に来た。 気がついたら、自分の秘書でもないのに、トンガリさんに命令されて雑用をこなしているのである。しかもその雑用は、以前トンガリさんが「私の管轄外ですから」と言って、頼まれても拒否していた仕事なのだ。「自分の仕事でもないこと」を、なんで関係ない人間にやらせるかね。これだから、結局私がタテになって仕事をしなければならなくなるのである。……受け流しもできないか(~_~;)。 結局、帰宅は9時過ぎになる。それでも鹿島茂の『セーラー服とエッフェル塔』や尾田栄一郎のマンガ『ワンピース』の新刊を読んだり、昨日録画しといた先代巌治郎の『水戸黄門漫遊記』や、DVD『その場しのぎの男たち』などを見たりしているのである。 こんなふうに毎日映画を見たり、本読んだりはしてるのだが、相変わらず全然コンテンツにアップできない。やっぱ、こんなふうにタイトルだけでも日記に書いてくことにしようかなあ。感想書いてほしいものがあれば、それを優先的にアップすればいいのだし。
お気に入りの日記サイトを回っていたら、そのうちの一つに、例のアニメ『ゴースト囲碁王』(韓国版『ヒカ碁』ね)の映像が紹介されていた。佐為の服がチマチョゴリに変えられるんじゃないか、と以前日記に書いていたが、それどころか単に消去されて白いモヤの中に佐為のクビだけが浮かんでいるという、気色悪い映像になっている。 これ一つ取ってみても、韓国側の考える「文化交流」とやらがかなり手前勝手なもんだということがわかる。あくまで韓国は「教えを垂れる」側で、日本から学ぶものなんてないと考えているのだね。『ヒカ碁』を買ったのだって、韓国のアニメファンの要望に抗しきれなくて仕方なくってとこなんだろうな。自国でアニメを量産する態勢が整ってれば、本当はそんな「屈辱的」なことはしたくなかったのである。 もう日本の若い世代は、戦争のことだって知りゃしないし、知ったところで「自分の生まれる前のことじゃん、いつまでしつこくこだわってんの、バカ?」としか思わないのである。いい悪いではなく、「そういう人間」相手に、高圧的に説教したって、嫌われるだけだ。オタクが、自分のシュミを非オタクにも押しつけたがるようなものだな(^o^)。本当に「文化交流」をしたいのなら、「自分がそもそも上」って態度、変えなきゃ無理だと思うんだけど。
2003年06月04日(水) 無知の巣窟/『美女で野獣』2巻(イダタツヒコ) 2002年06月04日(火) 日常ってつまんない?/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』1巻(安彦良和)/『ヒカルの碁』17巻(ほったゆみ・小畑健)ほか 2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)
| 2004年06月03日(木) |
テレビドラマも映画も本も関係ない。 |
御手洗怜美ちゃん殺害事件の犯人の女子に、付添人に選任された弁護士が初めて接見。そのときの会話の内容を弁護士たちが会見を開き、報告した。これがまた、耳を疑うような内容だったんだけれど、ホントにホントなんだろうか? 曰く、犯行については、「なんでやったのか。よく考えて行動すればこんなことにならなかった。(怜美さんに)会って謝りたい」。 これからどういう人生を歩きたいか、という質問に対しては、「普通に暮らせればいいんだけど……」。 まあ、ここでウソをつくわけにはいかないのだろうけれど、これを聞いた人の大多数が、犯人の女子に対して怒りを覚えると思うのである。 「よく考えて行動すれば」って、よく考えた末の行動だったんだろうがよ、四日も前に殺害するつもりだったんだから。もちろんこれは「受け売りの言葉」であって、本人の心の言葉ではない。多分、親か教師が日頃から「よく考えて行動しなさい」とか言ってたんだろうけれど、本人はそれを今の状況に合う言葉かどうかよく吟味もせず、機械的に流用しているだけである。いたずらをして叱られた小学生の反省文によくあるTPOを間違えた発言の一つに過ぎず、ここに「意味」は存在していない。 「会って謝りたい」という言葉も同様で、もちろんこれは「自分も死んでお詫びしたい」という意味ではありえない。仮に正確にこのような言い方をしたのではなくて、「会えるものなら会って」だったとしても、「謝ることが不可能な相手」に対して「謝ろう」とする発言は、「謝れない相手にしてしまった」のは紛れもなく「自分自身」であるという事実から目をそむけようとする心理が深層で働いている。真実の反省の言葉ではない、というよりも、実は自分の犯罪について何の後悔もしていないと断言して構うまい。だから弁護士の見え透いた誘導尋問に対して、「普通に暮らせれば」などと、本音を漏らしてしまうのである。 ……思うんだけれど、この弁護士たち、本当はこの犯人女子を熱心に弁護するつもりなんてないんじゃないのかな? いや、そもそも刑事犯として裁かれることはないのだから、自分たちの点数には全く関わらないのである。犯人女子が世間からどう恨まれようが、本名や顔写真がネットに流されようが、構わないわけだ。そうでなければ、いくらでもボカして説明できることを、こんなにあけすけに言うものだろうかね? いや、私だって、この犯人女子に対して憤りは覚えている。だからと言って、弁護士がこんな犯人バッシングを誘導するような会見を行っていいものなんだろうか。それはまた別の問題だと思うんだけれど。それともこの弁護士たちも「何も考えていない」のか?
テレビもまた、この手の事件報道の定番、「昔の文集」をどこかから(同級生だった子の誰かからだろうな)発見して放送している。 それによると、被害者の怜美ちゃんの趣味は読書、パソコン、音楽鑑賞で、好きな小説は時雨沢恵一の『キノの旅』、井上雄彦の『スラムダンク』(小説じゃないじゃん)で、犯人女子は趣味がパソコンで、好きな小説は吉村達也の『ボイス』に、高見広春の『バトル・ロワイアル』だそうな(小説読んでなくて、映画のタイトル書いただけじゃないのか?)。 なんだかもう、この対比の仕方で、被害者の怜美ちゃんは心優しく友情に厚いよい子で、対照的に犯人女子は、心に危険なものを隠し持っていた怖い子供、という印象を与えたがっているようである。いや、マスコミの「標的」は、犯人女子ではなく、やはり「危険なマンガやドラマ」なのである。 実際に、女子は『バトル・ロワイアル』もどきの小説をホームページで書いていたというから、あの映画に「影響」は受けていたのだろう。しかし、たとえ“その通りであったとしても”、『ボイス』や『バトル・ロワイアル』を見ても犯罪に走らない人間のほうが圧倒的に多い以上は、それらに責任を転嫁してはならないのである。異常者は、たとえ宮崎駿の映画を見ようがディズニーの映画を見ようが、罪を犯すものである。
マスコミが「責任転嫁」の躍起になっている様子は、実際「そりゃいくらなんでもコジツケだろうが」と言いたくなるくらいに迷走している。 例えば毎日新聞は、「女児(11)が、県警の調べに『テレビのドラマを見て(殺害を)やろうと思った』と供述していることが分かった」と、いかにもドラマの影響で殺人が誘発されたかのように報道しているが、これは大きな間違いである。その女子が見たという『月曜ミステリー劇場 ホステス探偵危機一髪(6)』の中には、確かにカッターナイフを使った殺人が描かれていたそうだが、この番組が放映されたのは事件前日の5月31日。女子がまた、「3、4日前にも殺害を実行しようとしたが、カッターナイフを使う授業がなかったので諦めた」とも供述している内容と矛盾している。 これは明らかに、女子自身が、「事件は自分に責任があるのではなく、ドラマや映画に影響を受けたせいだ」と思わせたがっているのだ。なかなか“したたか”ではあるが、自己弁護にあまりに躍起になってしまったたせいだろう、矛盾したことを言ってしまっていることに、自分では全く気がつかなかったのだろう(^_^;)。その程度のことが、毎日新聞の記者に分からないはずはないから、これもまた“あえて”検証もせずに垂れ流しているのだ。記者もまた、「本当の原因はドラマだ」と読者に思わせたいのである。 ちょっとやり口がいやらしくないか。
現行法では、どうしたって未成年は処罰の対象とはならない。それどころか、どんな残酷な犯罪をしようと、「人権擁護派」の方々が、これから先、一生の面倒を見てくれるのである。今の町で暮らすことは不可能でも、遠く離れた土地で、名前を変え、就職の斡旋すらしてくれて、ごく普通の生活ができるようになる。そういう仕組みがこの社会にもうできあがってしまっているのだ。こんな「甘い」世の中はない。 彼女は確実に、平穏な一生を終えることだろう。「犯罪天国」にあって、誰が犯罪者にならないでいられるだろうか? イヤなやつの一人や二人、“未成年なら”軽く殺せようというものだ。 だから犯人の少女は、「異常者」ではあるが、精神異常者ではない。冷徹で狡猾な、一匹の鬼である。彼女に心の闇などはない。そういう子供達を、この国は営々として育て続けているのである。
眼のこともあってしばらく運動を控えていたので、カラダがかなりなまっている。 仕事は立て込んでいたけれども、なんとか時間を作って、職場の周りを五周する。ちょっと見ないうちに、草むらに花が咲き誇っていて、道の様子がすっかり変わってしまっている。花を踏まずに歩くのもひと苦労だ。かなり気候も初夏らしくなって、そろそろ背広姿のままで歩くのはちときつい。明日あたりからはジャージに着替えて歩くことにしようか。
帰りに、博多駅の紀伊國屋に寄って、予約しておいたDVDをいくつか買う。ダン・エイクロイドの出演作が一気に3本(『キャノンズ』『大混乱』『キャスパー』)も出ていたので、これはもう買うしかないのであるが、正直、このあたりの作品は映画の出来としては今一つなんだよなあ。いや、『キャスパー』だけはクリスティーナ・リッチが出てるから許すけれども(別に私に許してもらわねばならない筋合いのものではないが)。 『鋼の錬金術師』5巻、アームストロングさん、大活躍の巻。なんかオレ、このオッサンがエドとアルの次に好きかもしれんな(^_^;)。
普段はせいぜい4、50程度のアクセス数が、本日はいきなりの760。(@_@) なんやねん、と思ったら、ほぼ全部が佐世保事件に関してのアクセスであった(~_~;)。 キーワードが「御手洗怜美」「ホームページ」だったりするから、たいていの人が、まだ見つかっていないという被害者のホームページを探しているのだろう。でも、そのキーワードでグーグル検索しても、私のこのサイトはせいぜい100番目くらいにしか出てこないのだ。読んでみたって、ダラダラと事件についての勝手な文句垂れが続いているだけで面白くもなんともないと思うのだが。 ネットの人々が時折ふと怖くなるのは、そこまでいちいち丹念に調べてった人がやたらいるからである。被害者のサイトの「悪口」とやらを自分の目で確かめたいんだろうけれど、私にはよくわからん情熱だ。どんなにヒドイ悪口が書かれていたとて、それが「殺人」にまで発展していいわきゃない。確認の必要もないと思うんだけど、どうなんですかね。 それに、下手にアクセスされて、中傷の書き込みでもされたら遺族の方々もたまらないだろうから、とっくの昔に消去しちゃってるんじゃないかな。
2003年06月03日(火) 路傍の石のように生きたい/『ああ探偵事務所』3巻(関崎俊三)/『爺さんと僕の事件帖』4巻(しかくの) 2002年06月03日(月) 「八手三郎」は「やつでさぶろう」/『ふたつのスピカ』1・2巻(柳沼行)/『僕らのスーパーヒーロー伝説』(堤哲哉)ほか 2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)
| 2004年06月02日(水) |
年齢は関係ないのだ。 |
昨日起きた、長崎県佐世保市の大久保小学校で、6年生の御手洗怜美ちゃんがカッターナイフで首を切り付けられ殺害された事件の続報、今日もニュースの半分以上を締めている。 まず、全ての報道がそうではないのだが、いくつかのテレビニュース、新聞などが「殺された」と言わずに「死亡した」とか、まるで怜美ちゃんが死んだのは偶然の事故で、「うっかり死んじゃった」ような表現をしていることが気になる。これは、あまりに事件が陰惨なので、「表現をやわらかくした」ということなのだろうが、やはり「偏向報道」であり、一種の「情報操作」であることには違いないと思うのである。 いつもいつも思うことだけれども、一見、加害者の人権を擁護するように見えるこういう偽善的な報道が、かえって、世間の加害者に対する反感を募らせることになると、マスコミはどうして気付かないのだろう。「殺された」と言えば、当然、「そこまで言わんでも」という反応や、「使者に鞭打つ行為である」という批判は寄せられるだろうが、反感は生まれない。事実を隠蔽するような報道は、かえって視聴者の感情を鬱積させたり、ヒステリックな反応を牽引したりしかねない。事実は事実として冷徹に報道したほうが、よっぽど視聴者は冷静でいられると思うのだが、マスコミはあえて視聴者の神経を逆撫ですることを狙っているのだろうか。
殺害の動機についても、少しずつ、情報が流され始めた。昨日の段階では、私は「痴情のもつれだろう」と書いたが、一応、当たってはいたようだ。しかし、私が想像していたのよりも、ずっと幼稚で、馬鹿馬鹿しい動機だった。 「インターネット上で、自分のことについて怜美さんが書き込んだ内容が面白くなかった。いすに座らせて切った。殺すつもりだった」……何なんだろうね、これ。 実のところ、「痴情のもつれ」と書いたのには、「せめてそうであってほしい」という「願望」もかなり混じってはいたのだ。人ひとりの命を奪ったのである。それがあまりにもガキっぽい、あまりにも下らない動機では、救いがないではないか。……でも、やっぱり救いはなかったのだ。 けれど、現実には「こんなことで人を殺すかよ」という殺人事件は、大人の間でも腐るほど起きている。幼児化した社会で幼児的な犯罪が起きるのは必然なのだろう。 なのに、マスコミの報道の仕方は、相も変わらずの「責任転嫁」である。未成年の犯罪の場合はたいてい「親」や「教育」、「マンガ」や「ゲーム」、「アダルト本」など、「犯人以外のところ」に原因を求めよう、求めようとして、「標的」を探し回るものだが、今回は早くも「ネット危険論」が怒涛の勢いで報道され始めたのだ。自宅ばかりでなく、学校や塾などに、パソコンネットが普及していること自体が悪い、みたいな語られ方までしている。ネットを散々利用しているマスコミがそれを言うのかよ。近視眼的で一番幼児的なのはマスコミである。 もうねえ、今更また何度もこれまで書いてきたことを繰り返すのも何なんだけれどもねえ、危険なのは「ネット」とかではなくて、「人間」なんだってば。「環境が悪い」って言い出せば、全部が悪くなるんだよ。山ゴモリしてカスミでも食って生きろとでも言いたいのか。
私も、これまでにもこの日記で、誰かの批判をしたことは腐るほどある。「なんだあいつらは猿か」と、口汚く罵ったことだって、一度や二度ではない。しかし、根拠のないただの中傷をしたことは一度もないし、何の覚悟もなく、言いっぱなしでモノを言ったこともない。もちろん、私が「根拠がある」と思っていたことがただの勘違いで、反論が寄せられた場合も何度となくあり、その場合には必ず謝って訂正をしている。私が反省してないと見る向きは、それこそが「中傷」である。 翻って、ネットの掲示板などでの罵り合いは、殆ど脊髄反射的な感情のぶつけ合いでしかない。「傷つきたくない症候群」は、今やいいトシをした大人の間にも蔓延していて、「この程度のモノイイでここまで怒るか」と言いたくなるくらいに幼児的な言質が横行している。博多の「悪口文化(日常の挨拶が身内の悪口なのである)」の中で育ってきた身にしてみれば、「バカ」程度のモノイイで激昂する人間には、「あんたら、いくらなんでも苦労ってものをしなさすぎてんじゃないの?」とイヤミの一つも言いたくなってしまうのである。更に念のために注をつけておくが、私は「他人の悪口を言った人間」に対してしか悪口を言ったことはない。それなのに怒って噛み付いてくる人間は、自分は悪口を言いっぱなしなくせに、自分が言われることについては全く無自覚なバカなのである。責任感もなければ覚悟もない。 ネットに限らず、「発言」には本人がどうあがこうと、「責任」というものが伴ってくる。その点、この日記の「無責任賛歌」というタイトルに反しているように思われる方もいらっしゃるかもしれないが、この「責任」というのは、人間にはどうしたって取りようのない「原罪」のようなものなのだ。 これまでにも、「何かを書くことについては“覚悟”がいるのだ」ということを散々書いてきている。その「覚悟」というのがどの程度のものなのか、この日記を読んでる人でもピンときてない人がいるんじゃないかと思うので、改めて書いておくが、「自分の書いたことが、人をひどく傷つけるかもしれない。あるいは死に至らしめることもありえるかもしれない」「そのことで誰かから恨まれて、殺されるかもしれない」という「事実」を受け入れる覚悟なのだ。どんなに表現を抑えようと、どんなに人を傷つけまいと努力しようと、自分の書いたものが万人に受け入れられるということはありえない。どこかで、必ず誰かを傷つけているのである。そして、一度誰かを傷つけてしまえば、その責任など、取ろうったって取れるものではない。傷ついた人の心は、死んだ人間の命は、どうしたってもとには戻らないのだ(だから逆に私は、人から批判されたからと言って簡単に「傷ついたり怒ったり」はしないのである。それがスジというものだ)。 人は生まれながらにして罪を作ることでしか生きて行けない。これは厳然とした現実である。開き直って言うのではない、人は、「心」を持ってしまった時点から、自らの罪を十字架として背負って生きて行くことしかできない動物なのだ。もしもこれまでに誰も傷つけたことがない、迷惑をかけないで生きてきたと嘯く者がいたら、その人の本性は悪魔であろう。ネットに責任転嫁しようとしている人々も、自らの罪から目を逸らそうとしている分だけ、悪魔の側に足を突っ込みかけているのである。 ……でも誤解を招くタイトルなのは事実だからなあ、いい加減で別タイトルに変えちゃおうか。
あまり具体的に書いちゃうと、ビビッてしまう人もいるだろうと思って、これまでは「匂わせる」程度でしか書いたことはないが、この際だから書いてしまおう。 私は女房と結婚した時も、「こいつに殺される可能性も覚悟できるか」と自問自答し、納得して結婚したのだ。仮に、私がしげを裏切るようなことをして、しげに殺されることになったとしても、それを受け入れられるか。あるいは、しげや、我々二人の間に生まれてきた子供が人を傷つける行為を働いたとして、その償いにしげや子供を殺して、自分の身も処することができるか。その質問に「諾」と答えられたからこそ結婚する覚悟だってできたのである。突拍子もないことや過激なことを言ってるように思う人もいるかもしれないが、うちは親もそういう考えの持ち主だったし、死を常に身近に感じていた戦前世代の人の多くはそれくらいの覚悟はしていたのである。少なくとも人間と人間の絆を本気で考えるのならば、「死」を覚悟しないものは全て偽善でしかない。特殊なことを言っているわけでもなければ、威張ってモノを言っているのでもなくて、「覚悟」をすることが人としての「最低限の礼儀」なのである。
加害者の少女にも、被害者の怜美ちゃんにも、そんな「覚悟」があったとは思えない。10歳やそこらの少女にそれを求めるのか、という意見は、そもそも人間の能力をバカにしている。小学校高学年なら、「失われた命が元に戻らない」ことなど、熟知している子供の方が圧倒的に多いだろう。たとえ相手への殺意があったとしても(キレイゴトを言うつもりはないから、殺意を持つこと自体がおかしい、とは言わない。私だって少年時代、心の中では何度も親や友人を殺している)、それを実行に移すことの恐ろしさに気付かないのならば、それはあまりに鈍感で、明らかに精神的成長に異常を来たしている。 思い出してみたらいい、命の価値を、その重さを、あなたが最初に知ったのはいつだったか? 小学校高学年になっても、あなたはバカだったか? 殺したい相手がいたとして、実際にそれを実行し、その人がいない世界を自分が作り出すことの傲慢さに全く気がつかなかったか? 仮に残酷なマンガやゲームや、煽情的なサイト(昔はそんなものはなかったから、アダルト本でもいい)があなたの神経を磨耗させていたとしても、それ以上に命の素晴らしさを称え、どんなに無意味に見える存在にも存在し続ける価値があるのだという「教え」を訴える人や、物語はあなたの回りに全くなかったか? だから私は逆に、10歳も過ぎて、この程度のことで、精神のコントロールができなくなるというのは、やはりただの異常者だろうとしか思えないのである。この子がもっと大人だったなら……大人並の「痴情のもつれ」から行われた犯罪であったなら、本当に、まだしも、救いがあったのだが。できれば、事件の解明が進む中で、もっと「納得のできる」動機が判明してほしいと願うのは、不謹慎ではあるが、正直な感慨である。
昨日治療を受けて以来、左眼が暗くなった気がする。 仕事の休みが取れるかどうか、眼科の診療日とスケジュールが合うかどうか、調べて見たら、「今日しかない」ということに気がついた。いきなりであちこちに迷惑をかけてしまったが、予定をいろいろと変更して、午前中でバタバタと仕事を片付ける。 1時頃、しげに車で迎えに来てもらうが、今朝までしげは鴉丸嬢のところでチラシの打ち合わせをしていたので、殆ど寝ておらず、眠そうである。けれども瞳孔を開いたら、しばらくは外を一人では歩けないので、しげには無理を頼むしかない。しげは今晩の仕事を代わってもらうことにした。申し訳ないことである。 もうしょっちゅう休みを取るわけにはいかないから、多少痛くてもガマンしようと思っていたのだが、どうしたわけか、今日は昨日ほどには痛みを感じなかった。やはり昨日は体調が悪かったのだろう。昨日はいったいレーザーを何発撃たれたのか、数える余裕もなかったのだが、今日は三百発とちょっと撃った。けれどもこれはあくまで「予防」で、これまでに発生した飛蚊症が治るわけではないのがツライ。前の医者が「左眼も予防の必要があります」と言ってくれてりゃ、こんな苦労をする必要も、カネが素っ飛ぶこともなかったのだが。左眼が暗いのは、やはりこの「濁り」が右眼に比べて多いせいだとか。 ともかくこれで終わり、とホッとしていたら、「2週間後にまた来てください」と言われてガックリ。やっぱり休み取らんといかんか(+_;)。
そのあと、しげが来月の父の日に、プレゼントを買いたいと言うので、キャナルシティに回るが、お目当ての店が改装で閉店中。しげ、「オレって運が悪い?」と嘆くことしきり。 せっかく来たんだから、と、福家書店に回って本を買って帰宅。 晩飯はしげの手料理。昨日はおでんだったが(でもコンニャクやガンモドキに混じってタコ焼きが入っているのはどうかと思う)、今日は水餃子。水餃子のみオンリーで、実に独身男の手料理である。せっかく作ってくれてる料理だが、私が全く誉めないので、しげは随分ブスくれているが、ちゃんときれいに平らげているのである。そのあたりで私の気持ちは察してもらいたいものだ。
2003年06月02日(月) 人間みんなどこか狂ってるけどな/『るくるく』1・2巻(あさりよしとお) 2002年06月02日(日) 天動説健在/『ブレーメン�供截慨�(川原泉)/『殉教カテリナ車輪』(飛鳥部勝則)ほか 2001年06月02日(土) レトロポリス/アニメ映画『メトロポリス』(2001)
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まだ眼が痛いのよ(+_;)。 |
今日は仕事を休んで、退院3ヶ月後の再指導に、入院先の病院まで行く。 検査結果は、血糖値は108、ヘモグロビンA1Cは5.9、正常人と変わりない。中性脂肪も基準値の範囲内で、主治医の先生からも看護師、栄養師さんからも、「よく頑張りましたね」と誉められる。これなら、薬を一つ、減らしてもいいのではないか、とのこと。 自分でも体調が徐々によくなってきているなあと感じられるのは、張り合いが出るものである。ここんとこ、雨と仕事のせいで運動ができなくて、腹がまたちょっと出たなあということまで自覚できるので、節制しないといけないなあ、というのが具体的にわかるのだ。次回の再指導は10月の予定だけれど、そのときまでに、なんとか70キロ代前半までは体重を落としておきたいもんである。
眼科に回るまでに時間が空いていたので、しげと少し買い物。病院の近くのデパートの中に、ミッフィグッズの店があって、そこに無理矢理連れて行かれる。 以前、キャナルシティにあったミッフィグッズの店が今年の頭に潰れてしまったので、しげはかなりショックを受けていて(ポイントカードが全てパアになってしまったのだ)、その当時は泣きの涙であった。福岡市内でもミッフィの専門店は数えるほどしかないので、ここを先途と、ええブツはないかと目を皿のようにして棚から棚へと移動している。でもって、物欲しげにあのグッズ、このグッズを手に取ってはこちらをチラチラと見るのである。なんだかその様子を見ていると、なんとなく、職場で飼ってるカメを思い出した。エサをほしがってこちらを見上げて目をしばたたかせているサマがソックリなのである。ついほだされてバッグを一つ買ってやったけど、我ながら甘いことである。
眼科に回って、光凝固のレーザー治療。ところがこれが以前してもらったのとまるで感じが違っていて、痛みが半端ではない。私の場合、近眼が極度に進んでいるせいで眼球がかなり飛び出ているので、レンズを嵌めただけでもう痛みがひどいのである。「動かないで」と言われても、ショックで痙攣してしまうので、ちょっと継続できない感じになってしまった。途中で治療を中止して、後日、再治療することに。こういう面倒なことをしても視力が元に戻るわけではないので、こちらは何だか虚しいことである。 ……視力は落ちないって説明に書いてあったけど、ちょっと落ちた気がするぞ。もうちょっといい医者っていないんかなあ。
小学生による殺人事件が発生。 今日の昼、長崎県佐世保市の大久保小学校で、11歳の女子が、同級生の御手洗怜美(さとみ)さん(12)をカッターナイフで切りつけて殺害。佐世保署に補導された少女は、「すまないことをした」と泣きじゃくってるそうだけれど、動機はまだわかっていない。でも勝手な憶測だけれども、事件の性質からいって、「痴情のもつれ」以外には考えられない気がする。 まさか小学生が、と考えるのは、現実と隔絶した平和で幸せな世界に生きていらっしゃる方である。大人以上にドロドロした情念の世界に生きてる小学生だって、今日びはゴロゴロいるのだ。酒鬼薔薇事件以来、こういう事件は、早晩起こるだろうことは誰もが予想していたろうし、今まで起こっていなかったことが不思議なくらいだ(起こってたけど隠蔽されてたんじゃないか)。 これでまた、「学校の指導体制はどうなっていたのか」とか、「少年法の更なる低年齢化を」とか、責任をどこかに転嫁させたい論調がはびこって、問題の本質が奈辺にあるか追及されないままに終わっちゃうんだろうけれど、まあ、本質が掴めたからって、犯罪の防止には糞の役にも立たないのである。殺したあとでなら「すまなかった」といくらでも言えるからねえ。 事件は起きるときはどうしたって起きる。「命」の価値なんて、地球どころか、木の葉一枚よりも軽いという事実を、みんなはもう知ってしまっている。殺された女の子も、殺した女の子にとっては木の葉なみの価値しかなかったのだ。だったらその子も木の葉として扱ってあげるのが筋だって思うんだけれど、誰もハッキリとそのことを口に出せないんだよねえ。そんなにみんな、偽善が好きか?
2003年06月01日(日) 再開シンクロ日記(^o^)/映画『あずみ』 2002年06月01日(土) マトンウォーズエピソード0(^o^)/『ボンバーガール』1・2巻(にわのまこと)ほか 2001年06月01日(金) あえて美人殺しの汚名をきて/『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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