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2025年09月26日(金) ■ |
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『だれか、来る』 |
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『だれか、来る』@SCOOL
SCOOL『だれか、くる』 購入した家に引っ越してきた幸せな(筈の)ふたりと、その家を売却した人物。ゆっくり平易に話される言葉と極力固定された表情がホラーの様相を見せてくる。面白いやら怖いやらで思いの外体感時間は短かった
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Sep 27, 2025 at 1:12
というのも、「上演時間は2時間半休憩なし」「非常に眩しい光や大きな音の出る演出があります」と事前にお知らせがあり、かなり身構えて行ったのだ。2時間半という長さはさほど問題ないのですが、会場的に椅子がヤバいんじゃないかと…清澄白河SNACと同じ感じだろうからと思い……。案の定入場してみればパイプ椅子は1列分しかなく、あとは折りたたみ式の小さな簡易椅子とスツール、残りは桟敷と立ち見。背もたれのある、長時間座りっぱなしでもキツくなさそうなパイプ椅子を選んだものの、終わってみれば腰がガッチガチ。暗転時、皆一斉に姿勢を変えるのでギシギシギシと音が響き笑ってしまったが、そりゃそうなる。身体的には結構辛い。案外立ち見がいちばんリラックスして観られたんじゃなかろうか。
とはいうものの、あまりに緊張感のあるシーンが続くので(上演前にも「非常に静かなお芝居です」とのことわりがあった)いやいやいやこれどうなる? 怖いよー! と固まって観ていたら結構あっという間に終わった。すごく面白かった、面白かったといっていいのか? という内容でもあるが。
という訳でお初のSCOOL。SNACクローズ後、しばしの放浪ののち三鷹にオープンしたHEADZと吾妻橋ダンスクロッシング運営のスペース。で! 今回の目玉は!! HEADZ主催である佐々木敦の初演出作品であること!!! 個人的にHEADZといえば音楽という印象が長く、佐々木さんが演劇批評を始めたときには驚いたものだった。その後演劇作品のプロデュースも手掛けるようになり、今回遂に演出家デビュー。出演者はSNAC時代から関わりの多かった飴屋法水、伊東沙保、矢野昌幸。
2023年にノーベル文学賞を受賞したノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセの戯曲。調べてみると日本初演は2019年、演出:太田省吾、出演:品川徹、荻野目慶子、綱島郷太郎。その後何度か上演されている。今回の上演を観たあとだと、ああ〜品川さんと荻野目さん、めっちゃハマりそう! などと思う。というのも、敢えて戯曲を読まずに観たので、不思議に思う場面が沢山あったのだ。見たままを、聴いたままを信じていいのか?
登場した飴屋さんは燕尾服のような黒いジャケットと白いシャツ、よく似合ってる。同じく白いシャツに黒いジャンパースカート(ノルウェーの民族衣装、ブーナッドっぽい)姿の伊東さんもとても素敵。ふたりは「やっとふたりきりになれた」「家を買った」「誰とも会いたくない」といったことを交互に話す。この字面だと、結婚式を挙げたふたりが新居に引っ越してきたんだな、幸せなんだな、と思うだろう。しかしどうにも違和感がある、ありまくる。
台詞はひとことひとことゆっくりで、感情はフラット。表情も変わらない。話される言葉とは裏腹に、そこに立っているのは目を見開き前を向いたまま、感情を表さずに話す人物。
やがてふたりは「だれか、来る」と怯え始める。程なくふたりのもとに、この家を売却した人物=彼(便宜上そう書く)が訪ねてくる。夫(便宜上以下同)は会おうとしない。招き入れた妻(便宜上以下同)に、彼は自分が短期間この家に住んでいたこと、その後この家には祖母がひとりで住み、ここで死んだことなどを話す。家を売ったことで「金がある」とも。その後も彼は何度も家を訪れ、ふたりは居留守を使うなどしてやり過ごすが、それも限界となり妻は再び彼を家に招き入れる。夫は妻と彼の仲を疑い始める。
家の外にいる「彼」の描写がめちゃくちゃ怖い。演技スペースは客席と地続きの角地で、照明はそこにしか当たらない。「彼」は照明の当たらない場所にずっと立っているのだ。しかも、暗転を境に少しずつ、ゆっくり動いている。だるまさんがころんだ状態といえば楽しそうだが全然楽しくない、めちゃくちゃ怖い。この「彼」を演じた矢野さんは、開演前の諸注意を朗らかにアナウンスしたり、ひとりでソファやテーブルを動かす等場面転換も担当していたので、最初は演技ではなく何かあったときの対応のためハケないでいるんだな、と思っていたのだ。途中で彼が「来訪者の彼」だと気付いたとき湧き上がった恐怖感を誰かと分かち合いたい。
家に入った彼は妻と話をするのだが、その言動がもうずっと怖い。何する? 何かする? と勝手に想像が膨らみまくって怖い。恐怖の根源ってほんと「わからない、自分の想像が及ばない」ところから来るんだなと改めて実感。だって終わってみれば、彼は別に何かをした訳ではないのだ。家を買った人物に会いにきた、家の思い出を話した、お酒を持ってきて勧めた、電話番号を渡したということだけ。思い出話は世間話の域だったし、お酒は家を買ってくれたお礼とも考えられるし、電話番号は何かあったときの連絡先として。変に勘ぐる必要はない。でも彼の「何かしそうな気配」が妻に涙を流させた。あの涙は恐怖から来るものだったのか、自分の中に不実を感じた申し訳なさからだったのか、ずっと考えてしまう。
見たままだと飴屋さんと伊東さんはとても歳が離れて見える。飴屋さんは長い髪を無造作にまとめたおじいちゃんなルック。これがおじいちゃんを演じているのか、おじいちゃんルックのままで妻と同世代の人物を演じているのか一瞬迷う。動きもゆっくりで、伊東さんに手を引かれて歩いている感じ。え、大丈夫? なんて失礼なことも思ったのだが、途中急に機敏に動くシーンがあり、そこで初めて「ああ、あのゆっくりした動きは意図的なんだ」と納得する。思い返せば7月に観た『塹壕』では、飴屋さんはとても軽やかに動いていたじゃないか。
帰宅後初演が品川さんと荻野目さんだったと知り、では見たままを信じてよかったのか。歳が離れたワケありのふたりが、恐らく周囲からあまり祝福されない形で一緒になり、自分たちを知っているひとがいないところへ引っ越してきたのか。と解釈する。下世話ではあるが、嫉妬深い夫とよろめく人妻の図式も考えられる。だってーーー意味ありげ過ぎるんだもん彼。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』みたいだったもん。この家ベルないんでノックだったけど。てか最初にドアがノックされたとき椅子から飛び上がりそうなくらいビックリした! 照明が当たってる方に集中してたから、ノック音不意打ち過ぎた!!
やっと「ふたりきり」になれた、数々の困難を乗り越えたであろうふたりがちょっとしたことで疑心暗鬼になる。人間関係の危うさをイヤ〜な感じで見せる作品でした(身も蓋もないいい方)。だってさあ、彼のこと疑いまくってんのに来訪したら「俺は出ない」って隠れちゃう夫、ヒドくね? おまえ! 出ろよ! 不貞寝してんじゃねえ! なんて思ってしまったもんね。妻はそれでいいんか! 余計なお世話ですか! と思いつつ、そうそうひとって疑い始めると底がないよねーと我が身を振り返ったりもし、しょんぼりした気分になる。それをいったらこの話、実は夫の走馬灯かも知れないじゃんね…妻は彼と出ていき、その後長い間ひとりこの家に暮らし続けた夫が死の間際に見た夢……だから夫だけおじいちゃんルックなんじゃないの……ってえっそれもめちゃ怖い! つらい!
そして日本に住む者からすると、家を丸ごと(家具も調度品も、飾られていた写真も)売る/買うという感覚に慣れないのでそこがもう怖いと思うなど。知らないひとの写真飾ってあるの怖いじゃん。誰! って思うじゃん…ヨーロッパでは珍しいことではないのかも知れないが……にしても彼もさあ、家売るんだったら掃除して引き渡せよ! おばあちゃんが使ってたおまる(尿が残ってる。ヒィー)とか片付けろよ! キエー!!! と、真面目に観乍ら心で叫んでいたことは付け加えておきたい。
ソファやテーブルを移動させ、白いクロスを被せるだけで食卓、リビング、寝室のどこか了解させる演出が達者。食卓の場面だけ、卓上に一輪挿しで赤い薔薇を飾ったのもいいアクセント。映像や照明、音響も手堅く洗練されている。フィヨルドを思わせる映像も美しかった。アナウンスされていた「眩しい光や大きな音」はラストシーンにドカッと来るのだが、修復不可能な人間関係を表しているようなやるせなさがあった。ドロドロ劇といえなくもない作品を、さまざまな解釈を呼び見応えあるものにした初演出に拍手。
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・だれか、来る┃SCOOL 井の頭公園(多分)で、和気藹々とした雰囲気で写真に収まる3人。宣美と作品内容が全然違う、というか想像つかないよ! こんな話だとは! 皆さんいい笑顔。照明が「光」、音響が「音」と表記されているのが興味深い
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2025年09月23日(火) ■ |
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東京バレエ団『M』楽日 |
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東京バレエ団『M』@東京文化会館 大ホール
しばしのお別れ、次は5年後か10年後か? 「待ちましょう」、また会えるといいな 東京バレエ団『M』楽日
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今回は神奈川公演がないので(今ホールがないもんね…)東京全公演観たかったな……。スケジュール的に無理だったんだけど。てか私、これで改修前の東京文化会館最後になるかも? ベジャール作品観るのは確実に最後だ。寂しい。
あっという間に千秋楽、イチ〜シと少年以外はほぼ初役かな。何度観ても新しい発見がある。振付は勿論のこと、美術、衣裳、音楽、何もかもが見どころあり過ぎる。ベジャールの空間認識力と色彩感覚の凄み、演出家としての凄み。そしてそれを見事に具現化するバレエ団。個々のダンサーの魅力、目を瞠る群舞の美しさ、瞬きする時間も惜しい。
ベジャールの作品は、その独特な振付もそうだが、“余白”の使い方が恐ろしい。ダンサーの肉体を虚飾なく見せるためか。ほぼ裸舞台、音楽も全くない状態でイチ、ニ、サン、シをありったけ踊らせ、直後に長い時間ポーズをとらせる。あれだけ踊ったあとなのでダンサーたちの息は上がり、肩や腹筋がどうしても動く。静まり返った客席からは、堪える息が漏れ聴こえ、汗で光る肌が見える。人間の身体はこうも美しいものか。三島由紀夫が言葉を駆使して描写した肉体の美を、ベジャールとダンサーたちは言葉を一切使わず数秒で表現してしまう。劣情をもよおすどころか、ただただその美しさに見惚れてしまうエロティシズム。実存というものの強さ。「バレエはただバレエであればよい。雲のやうに美しく、風のやうにさわやかであればよい。人間の姿態の最上の美しい瞬間の羅列であればよい。人間が神の姿に近づく証明であればよい。」と書いていた三島が観たらさぞや喜ぶだろう、いや、悔しがるだろうか、なんてことも考える。
対する聖セバスチャンのソロはあくまでも軽やか。何しろ美の象徴、しかし踊るのは実存するダンサー。大塚卓の聖セバスチャンは現れただけでハッとするような、場が明るくなるような、光のような聖セバスチャンだった。シと対峙するとき、少年が離れていってしまうときに見せる陰も魅力的で、強くも儚いいのちの輝き(というとミャクミャクになってしまうが)を感じさせる存在感。弓を投げたり受け取ったりする所作も危なげない。
危なげないといえば池本祥真。踊りに関しては安定と信頼の池本さん、なのだが、というのもこの役、踊る以外にもやることがいっぱいあるのだ。衣装の早替えもそうだし、マジックもやらねばならないし、黒板に字も書かねばならない(笑)。だが、ヒヤリとするところが全くなかった。それにしても、本当に池本さんは凄かったな……祖母がもう祖母なのよ。何をいっているのか。いや、初演に比べるととにかく祖母が全然違ったのだ。背中の曲がり具合、ゆっくりとした歩き方、少年に寄り添い遠くを見やる仕草。所作のひとつひとつが死に近い、死を間近に控えた人間のそれだった。そんな祖母が、死の世界に活き活きと生きる“シ”に変身する鮮やかさ。少年を死の世界に迎え入れたあとの歓喜、慈しみ、そしてやっぱりこちらに来てしまったかとでもいうような退屈さ……全てが凝縮されたかのようなあの表情、あの仕草。池本さんのシが観られることは本当に幸せだ。
鹿鳴館パートが興味深い。祖母は勧められたドレスを断るが、楽しそうにダンスをする人々を笑顔で少年に指し示す。その延長線上で少年に銃を渡し、撃たせる。ここでの祖母はおそらく朝子の役割なのだが、西洋文化を拒否する女性たちを、ひとりの男性のバレエダンサーが演じているという矛盾に面白さを感じた。
そしてこの矛盾は、自決のシーンにも繋がっていく。実際には修羅場でしかなかったであろう三島の最期は、このシーンに直結するものではないように思う。あれは死の場面であると同時に、死ぬ迄懸命に「生きた」ことの尊さを表現したものではなかったか。光に溢れ、桜が舞う。一生を走り抜いたことへの労いすら感じるあの明るさは、実際の事件とは切り離されているように感じる。三島由紀夫の一生をこうも美しく描けたのは、あの日を異国から見やったベジャールだからこそ出来たことなのかもしれないと思った。そしてベジャールは、最後に三島作品の登場人物たちが集う場面を用意した。生きる者も、死んだ者も、皆いつかどこかでまた会える。少年は起き上がり、彼らのもとへ走っていく……。命の賛歌は、こうして幕を閉じるのだ。
三島由紀夫の、いや、どの人間でも、その人格は多面的で複雑なもの。一面化することは出来ない。初日の感想にも書いたが、この作品の一部だけが拡大解釈されることなく、上演され続ける平和な世の中が続くことを願っている。
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この日のカーテンコールは感動的だった。池本さんもようやく笑顔に。そして何度目かのコールで、少年役の岩崎巧見がひとり緞帳前に現れた。綺麗なレヴェランスを見せたあと、所在なさげに緞帳の奥を覗く。出てきた笑顔の池本さんが両手を広げて迎える………あんなん親御さん泣いちゃうよ。それにしても岩崎さんは大役を堂々と務めたな。思えば今作、当日パンフレットでは少年役がトップクレジットなのだ。イチ〜シとともに聖セバスチャンのソロを見守るシーンでは、長い時間微動だにしなかった。正座して扇を拡げる迄の時間もとても長いし、その後倒れて最後に駆け出す迄の時間は更に長い。素人は足痺れてない? 大丈夫? なんて思ってしまう。見事だった。三島が観たらさぞや以下同。
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ほら、笑顔(涙)。東バのinsta、画像も動画もいっぱい載せてくれてます
飯田宗孝さん(2022年死去)だ……(涙)
2日目の画像、なかよしイチ、ニ、サン、シ(にっこり)。綺麗に身長順にもなってる
今回の宣美は横尾さんじゃないのねと思ったけど、5年前のキャストがほぼ揃っているから舞台写真使えていいですよね。横尾さんは横尾さんで11月の『MISHIMA』で舞台美術をやるんだよなあ、気になる…
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Sep 23, 2025 at 20:06
平日一回きりなのよね。しかもこれ、映画『MISHIMA』とのその音楽フィリップ・グラスがモチーフなんだよ〜日本公開出来ないやつ! ちなみに映画での美術は石岡瑛子! (20251001追記) とかいってたら『MISHIMA』の上映が決まってビックリ。今のところ東京国際映画祭のみなんだけど、一般公開あるかな? 遺族の許可出たんかな…或いは権利者が変わったか……
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2025年09月21日(日) ■ |
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SPC 28th Anniversary event / 29th Anniversary Special Session 高橋徹也クインテット『異郷』 |
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SPC 28th Anniversary event / 29th Anniversary Special Session 高橋徹也クインテット『異郷』@Star Pine's Cafe
ちょっと軽々しくは書けない内容だったな……久々バンドセット、そしてお初の編成。どジャズから(アシッ)ドジャズ迄演奏はそりゃもう凄まじかった、特別な夜になった
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--- 高橋徹也(vo, g)、鹿島達也(b)、坂田学(dr, electronics)、松本健一(ts, fl)、山本隆二(key) ---
高橋さんのデビュー29年/SPCオープン28年のアニバーサリーシリーズ、今年は『ある種の熱』レコーディングメンバー+坂田さんのクインテット初お披露目。一夜限りのセッションとのことだが、既にまたの機会を待っている。高橋さんご本人には今後のプランがあるのかもしれないが、「来年30周年だけど何をやるかは考えていない」「音楽を続けるかもわからない」的なことをうそぶいてもいたのでなんとも。同時に音楽に対する愛情と情熱も口にしていたし、新作のレコーディングも始めているので彼が音楽を手放すとは思えないが。
数年前から高橋、鹿島、坂田のトリオはセッションが続いていたのだが、観られずにいた。というのもこのトリオのライヴが開催される440、コロナ時期から基本スマチケオンリーになってしまったのよね…当方スマホなしおなのでな……以前はiPadでもスマチケ使えたのに! 高畠俊太郎や松竹谷清はバンド受付があって助かった。当日券を狙えばいいんだけど、前売り確保出来ない時点で気力が尽きる+他の予定入れちゃうからな。意志が弱い。
という訳でようやく観られた高橋さんの後ろに控える坂田さん。いやー強い、っょぃゎ。フィルが巻き舌! ズタッじゃなくてドゥルタッ! 巻き舌でグルーヴ! スウィングもビバップも、レギュラーグリップでズバズバ繰り出してくる。
えっここでシンバル入れるん? てとこあったけど、それが既存の楽曲の新しい顔を引き出してくる。シビれた。「夜明け前のブルース」の走らせ方、鳥肌ものだったな……。対する高橋さんのギターも強い。ヴォーカルの入るジャズアレンジというと、ギターは柔らかい/丸い音なのが常套だが、高橋さんは金属的ともいえる硬質な音でカッティングを繰り出してくる。これは新鮮、かつ攻めたアプローチに感じた。声も安定していてじっくり聴けた。高音で倍音が出ているよう。つくづく類稀な声だ、と感じる。
鹿島さんはアコースティックとエレクトリックのベースを使い分ける通常運転だが、リハのセッションから生まれたであろう新しいフレーズがいくつも聴けた。松本さんはスポットで出入りするのかなと思っていたが、テナーサックスとフルートで全曲に絡む。山本さんは寡聞につき『ある種の熱』以外の仕事を存じ上げず、ライヴで聴くのも初めてだった。エレピとシンセでバッキングからソロからめちゃめちゃ格好よかった。そう、ソロ! 「夏の出口」のアウトロとか最高だった! そして個人的に『ある種の熱』といえば「惑星」なので、あのピアノのイントロが聴こえてきた時点でブワー泣きましたよね(上田禎さんのことを思い出したというのもある。「上田さん、アルバムってどうやって作るんですか……!」)。弱ってる。
それにしても「赤いカーテン」のアレンジがアシッドジャズのそれで歓喜。いや音源でもそうなんだけど、今回のクインテットにこんなに似合うかー! マーチのようなスネアなんだけどこれがまた巻き舌でえれえグルーヴを生んでいた。ハイハットの裏打ちもシンセの入れ方もめっちゃアシッドのそれ! たまらん! 最高!
もともと『ある種の熱』はジャズやボサノヴァ要素のある作品。とはいうものの、菊地成孔の言葉を借りれば、高橋さんのつくるものは「ジャンルミュージックにお手本がな」い。手前味噌だが、以前『小林建樹と高橋徹也、と菊地成孔の話』で高橋さんの作曲手法は“野生の思考”によるものでは? と書いたのだが、少し前にご本人が「自分は音楽の理論的な部分についてほとんど知らない。ある時期からは意識的に無知でいることを選択してる。それでも長く多くの曲を作ってこれたのは聴いてきた膨大なレコードと本のおかげ。その断片を自分なりの解釈で曲にしているだけだと思う。今のご時世、無知でいることは意外と難しい気がする。」と書いており、やはりか、と改めてその思いを強くした。膨大な音源を聴き、独自の嗅覚をもって先人たちの蓄積と功績に辿り着く。それを自分のものにする。そしてその“発明”を他者がなぞったとしても、決して高橋さんの音にはならないのだ。
それは歌詞についてもそうで、音源と同じく膨大な読書量により文学作品から多彩なエッセンスを抽出(引用ではない)し、独自の世界を描く。この日は楽曲制作に際してインスパイアされたものについてポツポツと話してくれたのだが、ポエトリーリーディングがアレン・ギンズバーグ(「吠える」!)に代表されるビート族のイメージ、という話に強く頷いた。勝手な感想だが、高橋さんってバロウズじゃなくてギンズバーグってイメージだったので。で、やっぱりアメリカなのだな。「郊外のパラレルワールド」、何百キロも風景が変わらないような長い長い道を走り、辿り着いたダイナーやモーテルをクルマの窓外から眺める。エドワード・ホッパーの『ナイトホークス』が吉祥寺に出現する。
『ある種の熱』全曲を終えたあとは、夏の終わりをイメージしたナンバーを中心に。「バタフライ・ナイト」は、高橋さんの思いと、それに寄り添い支えるバッキングメンバーの演奏が奇跡のような場を創り出した。余談だが、2階中央の席には「予約席」が用意されていた。最後迄そこは埋まらなかったが(椅子の下は荷物置き場と化していたが…)、座っている方がいたのだろう(勘違いだったらすみません)。大切な思いをシェアしてくれたことにこちらも感謝する思いだった。
チェット・ベイカーのことをちょっと連想した。しかし高橋さんは、破滅的な方向へは向かわないと信じている。“Open End”は続いていく。
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高橋さんには青い炎が似合う。静かで、熱く、強い
鹿島さんも手応えあった様子
・鹿島さんは「目の上のたんこぶ」、「いや、先輩をいじるのは後輩の義務だから」。信頼関係が窺えました
・「タカテツー!」「サイコー!」と野太い歓声が飛んでいたのが新鮮。ガラの悪い(ほめてる)ジャズファンが来てるのかと思った
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2025年09月20日(土) ■ |
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東京バレエ団『M』初日 |
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東京バレエ団『M』@東京文化会館 大ホール
5年毎にやってくる三島由紀夫の生誕と没年。『M』も5年毎の恒例にしてほしい。武士道は『死ぬことと見つけたり』、しかし今回はラストの復活(輪廻転生)に強く心を動かされた。潮騒、呂の声、豊穣の海。海に始まり海に終わる、そしてまた始まる 東京バレエ団『M』初日
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Sep 20, 2025 at 19:07 割腹にあたるシーンを「扇をひろげる」という行為で表現した演出にも、今はとても意味を感じる。池本祥真は「シ=IV=死」は勿論「祖母」が素晴らしかった。5年前より、祖母が少年に与える影響の大きさを感じさせた。
鑑賞は三演目。前々回は2010年、前回は2020年だったので次は2030年かな……と思っていたのだが、5年で帰ってきてくれた。今年は昭和100年、つまり三島由紀夫生誕100年。
・2010年 東京公演 シを踊った小林十市の復帰&引退公演でもあった
・2020年 東京公演 神奈川公演 配信 コロナ禍真っ只中。東京公演のチケットは1回目の緊急事態宣言解除後の6月に発売されたものの、その後キャンセルになるかも+席が間引きされるかもとずっとヒヤヒヤしていた。神奈川公演は席を減らしてのチケット発売、その後様子を見つつ追加席を増やしていたけれど、5〜6割程の入りだったように記憶している。来場出来なかったひとのために配信もあった。これが素晴らしい出来で……パッケージ化してほしかったくらい。海外のひとにも多く観られた模様
・緊急事態宣言やまん防はいつからいつまで?時系列分析に役立つ過去発令期間やトピックスまとめ┃ビデオリサーチ すっかり忘れてたけどそうだ、まん防ってのもあったな……
そうそう、配信のエンドロールに感じ入って書き写してたのでそれも載せておく。当時舞台芸術の公演は不要不急のものといわれ、ここ迄ことわりを入れないとバッシングされる(入れても叩かれる)恐れがあったのだ。5年前だけど遠い昔のことのようでもある。
The safety and health of our Company and audiences are our first priority. The Tokyo Ballet and Japan Performing Arts Foundation presented the performances of “M” in October 2020 by taking a number of careful precautions and safety measures in line with current Goverment regulations to help audiences feel safe and enjoy their chosen performance. In addition, all the dancers and staff are taking daily hygiene precautions including to chek temperatures, to wear a mask, to disinfect and ventilate the studios and the facilities and others, to ensure COVID-safe classes and rehearsals. As of 17 November 2020, no COVID-19 cases related to the performances of “M” in October 2020 have been reported.
None Of Ones means nothing belongs to nobody. Without the other one, nothing could be created. And it contains two “one”s representing 11 (Eleven). When you hear their music, you will instantly understand the mutual respect and the joy they had during the creating process.
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前置きが長い、さて今回。『M』は男女ともプリンシパルが全員出演という非常に珍しい作品で、見どころがあり過ぎてうれしい悲鳴。なかでもI〜IVのメンバー(イチ=I:柄本弾、ニ=II:宮川新大、サン=III:生方隆之介、シ=IV=池本)がこれ以上ないといっていい程の充実ぶり。生方さんは今迄観たなかでいちばんオラオラドンドンなサンだった気がする。イチ、ニ、シが全員プリンシパルというのもあるのかな、すごい気迫だった。「禁色」パート、IIとIIIのパドゥドゥも官能的で見応えがある。体格も適材適所というか、スレンダーな宮川さん(上半身に筋肉がつかない体質のように見える)と筋肉質な生方さんがペアで踊る図の美しいこと。少年を乗っけて動きまわる役割もある柄本さんは、下半身が安定していて頼りになるイチ。あの騎馬戦体系になるところも、センターが柄本さんだと絵になる。
「禁色」パートの男男、女女、男女のパドゥドゥ〜聖セバスチャン(樋口祐輝よかった!)が少年に薔薇の花を手渡し、そこにシが駆け込んでくるシーンが大好き。今回も堪能。聖セバスチャンが与え、シが奪う規則性。あと今回は『鏡子の家』パートにいたく感じ入った。上野水香の超絶技巧! ベジャール独特の型が、長い腕と脚、剛柔併せ持つ身体で表現される。
射手の南江祐生も美しい所作。通常のバレエにはない振付、しかもこのシーンには音楽も全くない。そこで射法八節を見せるあの時間、めちゃめちゃ緊張するだろうな。それを固唾を呑んで見守る観客。針が落ちただけでも聴こえそうな静けさだった。あのキャパで、だ。シビれた。
池本さんは本当に凄かった。とうとう役をモノにしたというか(偉そうですみません)……前述したように「祖母」が格段に進歩した。5年前と全然違った。無邪気で屈託のないシ=死とは対照的で、体感的に死が近いことを自覚している祖母の風格があったといえばいいか。ゆっくりした所作のひとつひとつも老人のそれで、摺り足も美しい。見入ってしまった。カーテンコールではそっと少年を前へ押しやり自分は背後に控える。シという役柄だからこそ、という陰を感じた。衣装は真っ白なのにね。
船乗り役、前回は丸山明宏を彷彿するブラウリオ・アルバレスでほおぉ…となっていて、彼が退団した今どうなるんだ? と気になっていたが、今回の安村圭太もハッとする美しさ。菊池洋子のピアノを聴けるのも目玉。演奏(愛の死!)だけでなく、シと視線を交わし退場する一連の所作が素晴らしかった。
この5年で日本は、世界は凄まじいスピードで変化した。排外主義が跋扈し、分断が進んだ。しかもこれは進行形だ。この作品も、場合によっては危うい解釈で持ち上げられそうな不安がある。『M』は三島の生み出した作品と彼の人生がモチーフにはなっているが、彼の政治的主張を賛美するものとは思わない。
しかし今、あのときと同じことが起こったとしたらどうだろう。影響力のある作家が民兵組織を結成し、割腹自殺したら。そしてその生涯が作品化されたとしたら。それをどうメディアが取り上げ、どう民衆に拡がるだろう。初日の夜SNSで感想を探していて、ある議員が「ナショナリズムが〜」と書いているのを読んだ。「祖母」のことを「母」と勘違いしていた(「母」は「海上の月」として登場している)。芸術鑑賞に知識は必須といいたくないが、それでも首を傾げずにはいられなかった。ただでさえデリケートな作品なのでどう利用されるかわからない。この作品が上演され続ける平和な世の中であってほしい。
楽日にもう一度観る。楽しみ。
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・「M」2025 公式サイト┃NBS日本舞台芸術振興会 ・ベジャール振付『M』、初演ダンサーが語る創作秘話┃NBS日本舞台芸術振興会
・東京バレエ団『M』(振付:モーリス・ベジャール)公開リハーサル・レポート┃SPICE
・インタビュー 横尾忠則と上野水香が語る東京バレエ団「M」 モーリス・ベジャールがつないだ2人┃ナタリー 横尾 ベジャールが三島由紀夫につながっていくのは、最初からわかっていたことでした。ベジャールに初めて会ったとき、彼はもう三島さんの“残像”をいっぱい抱えていましたから。
・十市さんがinstaストーリーズに東バからのメッセージ動画を載せていた。「初日開けました、十市さん、有難うございましたー!」って出演者が皆で手を振ってるの。今回はリモートで指導していたとのこと。現場に行けないのを残念がっていたけど、今はBBLとご家族の傍にいないとね
・子役さんの関係者(らしかった)の方々に囲まれたような席ですごい緊張感、つられてこちらも緊張して観たがご本人は堂々と少年を演じきっていた。ダブルキャストじゃないんですよね、あの歳であの役をひとりで…すごいな……
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2025年09月17日(水) ■ |
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SMASHING PUMPKINS ROCK INVASION 2025 |
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SMASHING PUMPKINS ROCK INVASION 2025@日本武道館
オープニングからフィナーレ迄スマパンでスマパンのスマパンだったわよヨヨヨ ヨヨ〜
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Sep 18, 2025 at 1:12
今もう燃えカスみたいになってます。今夜夢が現実になる(Tonight, Tonight)! ていうかさーまだ日本にいるのよね……夢のようだ。
12年ぶり、イハとジミー帰ってきてからは25年ぶりの来日だそうです。幸か不幸かあのミスチル地蔵事件があったサマソニには行ってないんですよね。ここからパッタリ来日しなくなるとは……。あれ以来ツアーが何度あっても日本に来ない。明らかに外されてる。なんでなんで? と思っていた頃、instagramストーリーズの「ビリーだけど何か質問ある?」で「日本にはもう来ないの?」と訊いた方がいたのです。それにビリーは「日本のファンは僕たちを見限った」と答え…これはショック大きかった……。おまえ、『Adore』のとき評価してくれたのは日本のファンだけだよーいうてたじゃないか! その思い出を忘れたか! とはいうものの、サマソニの件かと思い当たりもする訳で。日本における洋楽不況も無関係ではありませんよね。返す言葉もありません。
イハとジミーが帰ってきてからも「来ないんだなあ」と諦めていたのですが、その空気が変わったのが今年に入ってから。年頭に開催された『rockin'on sonic』で、「スマパンもリストに入っていた」という主催者の発言があり、来日の芽がある? 来年のロキソニ出演ある!? と期待が膨らみ……と思っていたら、6月にいきなり単独公演が発表され出先だったのにデカい声出た。しかもえらい細かくまわるな! 広島とか福岡とか……どうした!?
前置きが長い。あっという間に当日です。半蔵門線は武道館へ向かうひとでいっぱい。歴代のスマパンTシャツ博覧会みたいになっていてもう楽しい。田安門をくぐるとコウモリが飛んでいる。に、似合う! スマパンのライヴにピッタリ!(何が)と浮き足立つ。武道館に来たのブンブン以来(じ、12年ぶり)だったのですが、トイレは綺麗になってるし動線もスムーズだったな……便利になったもんです。初日の名古屋は5分早く始まって客大慌て、というのをSNSで見ていたので早めに席に着く。予算の都合上A席(2階席後方ブロック)をとったのですが、それでもAでは最前列だったらしく、前の列のひとが「Sでここかよー」といっていた。往年の滝沢歌舞伎を思い出しました。滝沢歌舞伎は全ての席が同価格でしたっけか……。音はイマイチでしたが(特に序盤。PAが探り探りだったのかな)視界はとても良かった。アリーナは段差がないため見づらい場所もあったようだし、結果的にはスタンドでじっくり観られて良かったかな。
後ろのひとが「今のベースおじさんなんだよ」「おじさんなの?」「おじさんなんだって」「おじさんかあ〜…」と話していて密かにウケる。スマパンの歴代ベース初のおじさんだっけ? ちなみにジャック、ピーター・フックの息子さんだと後日知りめちゃ驚いた。ベースのポジションがえれえ低いなと思ってたけど、あれは父ちゃんのスタイルを踏襲してるんだろうか。
定刻通りに開演。「Today」のイントロで大泣き後はずっとワーギャーいってた。あれもこれもそれもやるんかいの大盤振る舞い!!! このセトリ(後述)でやられてみい、泣くしかないし笑うしかないわ。“Today is the greatest day / I've ever known”だよ! そんで“Can't live for tomorrow / Tomorrow's much too long / I'll burn my eyes out”なんだよ! もう明日になっちゃったけど! 「Cherub Rock」イントロのスネアでギャアアアいうてしまったが隣の若者もぎゃーいうてたからまあいいか。皆ギャーいうだろ、いうよね。
そう、結構若い子がいたのです。ビリーが「Young fan, New fan」いうてた(そして「Old fan」といわれる私ら)。しかもさビリーその若い子らに「僕らを見つけてくれて有難う」っていったの! そんで「昔からのファンも有難う」って!!! そんですごく深いお辞儀をしてさ……。往年の曲と今の曲に分け隔てなく接した若い世代は来日を願っていたし、バンドと同じ時間を過ごした世代は半分諦めつつも、いつか再びと来日を待っていた。そんなリスナーが一緒にライヴを聴ける幸せよ。
かつてスマパンの曲を求めるオーディエンスに「今を生きることが出来ないのか?なぜ過去を生きなければいけないんだ?」と叫んだビリー。あれから20年も経って、自分の成し遂げたことを過去だと意固地になる必要はないと思っているかな。過去は財産でもある。自分が創りあげたものはエヴァーグリーンなのだ、と受け入れていればいい。Black Sabbathのカヴァーを披露したとき、7月のサバストリビュートライヴで子どものようにはしゃいだり子どものようにはにかんだりしていたビリーを思い出し、あなたが愛するサバスの楽曲も不朽だよ、スマパンもそうだよと思う。
と感動しつつも、ビリーのスモック(といってしまう)のボタン、サバストリビュートのときは紫だったよね(勘違い、靴が紫だった)。スマパンのときは赤なのね。細やかな拘りがかわいらしいわ〜などと思っていた。そしていちばんの謎、Berlinの「Take My Breath Away」カヴァー。トップガンのあの曲! タイトル思い出せなくて帰宅後調べた。しかもハンドマイクでカラオケ(つってもバックは豪華生演奏だが)。何? 何なのこのコーナー? 今でもわからない。このコーナーは今ツアーで欠かさずやっているようで、ハンドマイクで唄い乍らステージ上を練り歩くビリー、絡まれてハイハイと相手するイハ、というおもしろ動画が連日のようにSNSにアップされている。今日も日本のどこかでビリーがカラオケを……想像するだけでニヤニヤしてしまう。
といえば、「Ava Adore」でもビリーはハンドマイクで唄ったんだけど、ちょっと袖に引っ込んだあとタオル(?)を被って出てきたのが面白すぎた。「Ava Adore」MV(大好き)のイメージでゴスシスターコスプレ? といい方に解釈しようとしたけどジャミラに見える。後日マリス師に「カオナシみたいだった」といわれそれだ! となりました。これも何だったんだ……。ビリ公は終始ご機嫌で、「Mayonaise」前にイハと漫談したりしてた。ビリーの「(イハが)武道館に立つの25年ぶりだって。あのときと比べてどう?」というフリに「It's better.」と答えたイハに大歓声が飛びました。てかイハ「Yes, I do.」を連発しててそれもおかしかった。
真面目な話(?)もしよう。演奏はやはりジミーが帰ってきたのが大きい。歴代ドラマーには感謝しているけれど、スマパンのドラムはジミーだなとしみじみ……あのスネア、あのツーバス、あのタムの多さと手数の多さ、にも関わらずヘヴィーでハードなオルタナサウンド。これがあってこそのスマパン。「いろいろあってもビリーが手放さないのがよくわかった」といってる方がいたけどホントにね……一度は解雇したくらいだったのに。ジミーこれからも頼むよ! クリーンでヘルシーでいてください!
そしてある意味驚いたのはギター3本のバランスがかなり均等だったこと。以前はビリーのギターだけ格段に音デカかったもんな。イハのトリッキーかつ的確なリフも、キキのアグレッシヴなコードもちゃんと聴こえる。このギター3本で「Cherub Rock」や「Jellybelly」や「Stand Inside Your Love」のリフ鳴らされてみい! 漲るわ! 最高でした。キキの存在感もいい効果。フライングVの似合うこと! ビリーたちより二世代くらい下なのかな、若くて勢いがあるギタリストがいるのっていいね……開演前にファンサしたり、会場にピックを隠したから見つけてね! とサプライズを仕掛けてくれたり、SNS経由でツアーを楽しんでる様子を伝えてくれるのもうれしい。武道館のあとでプロポーズされたそうでおめでとうございます! お幸せに!
ビリーのギターを存分に聴けたこともうれしかった。あの独特のストローク、リフ、フレージング。あの大きな手で楽々握られるコード。長尺ソロも聴けたし、自分から積極的にイハやキキに寄っていって向かい合って弾いたり、当時の俺が俺だけが引っ張らなあかんってなぼっちビリーからは想像出来ないアンサンブルで感動すらした。いやホント今のビリーが、スマパンが観られてよかったよ……。
バロック調の曲でフィナーレ、アンコールはないと確信。ひとつのストーリーのようだったライヴにアンコールは必要ない。BGMに合わせてゆっくりステージの端から端迄歩き、何度も手を振りお辞儀をするビリー。有難う有難う、また来てほしい、絶対来てほしい! まずは今回のツアーを無事終えられますように!
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Setlist(setlist.fm)
01. Glass' Theme 02. Heavy Metal Machine 03. Today 04. Bullet With Butterfly Wings 05. Muzzle 06. 1979 07. Edin 08. Pentagrams 09. Take My Breath Away (Berlin cover) 10. Mayonaise 11. Disarm 12. Tonight, Tonight 13. Cherub Rock 14. Sighommi 15. Bodies 16. Porcelina of the Vast Oceans 17. Jellybelly 18. 999 19. Ava Adore 20. Stand Inside Your Love 21 Zero 22. The Everlasting Gaze (preceded by teases of Lenny Kravitz's "Are You Gonna Go My Way" and Black Sabbath's "NIB"&"Paranoid")
Note: First performance in Tokyo since 2010. First performance in Tokyo with James Iha and Jimmy Chamberlin since 2000.
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そういや今更だけど「Disarm」や「Tonight, Tonight」のストリングスって誰が音出してた? シンセのサポートいなかったよね
おまけ。というのも2000年のスマパン解散ツアー最終日に苦い思い出があり…そのヤジを飛ばしてた連中ってのがNINのTシャツ着てたんですよね……。今でもスマパンの現場にNINのTシャツ着てるひとがいると身構えてしまうわ。デヴィッド・ボウイの「僕はふたり両方とも仲がいいし、あっちも僕を慕ってくれるけど、あのふたりが顔を合わせると……」って話を思い出します(…)。 ちなみに武道館、千代田区Wi-Fiが入りました。便利になったもんだ(隔世の感)
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2025年09月15日(月) ■ |
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『ブロークン 復讐者の夜』 |
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『ブロークン 復讐者の夜』@シネマート新宿 スクリーン1
ブロークン観た〜 韓国映画は牛骨を超える鈍器を生み出そうという模索がずっと続いてる気がする(がなかなかないよね、牛骨以上て)…久々に薄気味悪い(のにカッコつけてるといわれる)よく食べよく殴るハジョンウでございました
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今作の鈍器は配管と冷凍カツオ(かな?)。緊迫した場面でいきなり魚で殴るから笑ってしまった。
原題『브로큰(ブロークン)』、英題『Nocturnal』。2025年、キム・ジンファン監督作品。本国公開から半年ほどで日本公開、キム・ナムギル効果かな? 有難い〜と観に行ったが…なかなかううーん……という作品でした。パク・ソンウンの『THE WILD』に通じるものがあった。DV男とか、ヤクザがカラオケ唄ってる傍で殺人の後始末をする女性とか、そういうのを! ワイルドと思ってそうなところが! しょうもない!
殺された弟が有名作家の書いた小説と同じ死に方! 主人公が謎に迫る! という感じの惹句も、なんとかして面白い映画だよ〜と宣伝したい配給側の努力を感じた。クロックワークスさんがんばった。いや〜コレ、売るの難しいよね…微妙過ぎる……小説の謎も謎っていう程のもんでもなかったし。時系列や話の流れがやたらあっちゃこっちゃ行き来する編集も、そうでもない謎をなんとか謎らしく見せるための苦肉の策にすら見えてしまった。主人公がハ・ジョンウで作家がナムギルさんなんだけど、どっちも勿体ない起用だったように思います(めちゃくちゃいう)。
とはいうものの、アクションとか、ひとつひとつのシーンは見応えあるところもあった。演者が輝く場面を用意しようという作り手、それに応えようという演者の意欲は感じた。食べるハ・ジョンウとか走るハ・ジョンウとか殴るハ・ジョンウとかな。終盤の乱闘シーンで喪服着せたのも格好いいからですよね。でもなー、そういうのが透けて見えるってのがもうさあ……。
それにしても、ハ・ジョンウが缶詰開けただけで「食べる? 食べる?」とウキウキするのやめたい(猫缶だった)。猫缶と事前に分かってたとしても「食べる?」とウキウキしてしまうけどな。それはもう病なのよ。しかし落ち着いて思い返してみれば、あの猫も何のために? というシーンではあった。主人公は心優しいところもあるんですよ〜か、或いは動物には優しくても人間には容赦ないんですよ〜といいたいのか。ただただ猫がかわいいシーンだった。
どっちにしろひたすら弟が大好きな気味の悪い人物だったな……弟のDVに耐えかねて逃げた女性をその度捕まえて連れ戻す兄とか気味悪すぎる。ソウルから地方都市に流れてきた設定なんだけど、何度も「カッコつけやがって」といわれていたのも気になる。見た目だけではわからん…むしろ見た目は結構くたびれた感じだった(役がね)……。訛りがない喋り方とかなのかな。ハ・ジョンウのパブリックイメージがスカしてる感じなのかしら。実際格好いいけどな。
帰り道「ナムギルさんの良さが出てないわ!」と熱弁している方がいて、そうね……と密かに頷きました。あとイム・ソンジェがいい仕事してて、先日久しぶりに『ただ悪より救いたまえ』観たばかりだったこともありかわいいねえ、デキる子ねえとニコニコ観てたら気の毒な最期を迎えてしまいしょんぼりした。『ただ悪〜』でパク・ジョンミンが連れて行かれた警察でボケたことばっかいう子です。今トロント映画祭に出ているヨン・サンホ監督作品『얼굴(顔)』でもパク・ジョンミンと共演しているようで公開が楽しみ……てか日本公開してください!
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・ブロークン 復讐者の夜┃輝国山人の韓国映画 いつもお世話になっております。今回パンフレット販売なかったからキャスト表有難い! そうそう音楽がファン・サンジュンだったんですよ! ジョンミンさんの弟さん!
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2025年09月14日(日) ■ |
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『最後のドン・キホーテ THE LAST REMAKE of Don Quixote』 |
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KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『最後のドン・キホーテ THE LAST REMAKE of Don Quixote』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール
初日でした〜 不安な社会を逞しく生き抜きたいけど怖くて仕方がないひとが、死ぬ前に、いや死んだあとにも「いや〜ほんっと大変だったよね、色々あったよねえ」って振り返りたくなるお芝居でした。これ即ち人生。 『最後のドン・キホーテ』
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この日しか行けないのでとったんだけど、ケラさんの芝居の初日観るの初めてだわ確か。長塚くんが入口で挨拶してたりして、ロビーや客席に独特の緊張感と祝祭感がある。SNSで演劇関係者が初日に「おめでとうございます」と声を掛け合ったりしているのを見るのも好き。やっぱり特別な日ですよね。それにしてもいい初日だったな……客席はこの作品を初めて観るひとばかりで埋まっていて、物語がどんな結末を迎えるか知らない。謎が謎を呼ぶ一幕目、「この話はどこへどう転がるの?」「これからどうなるの?」という幕間のざわめき。冒険が混迷を極める二幕目は笑いの連続、そして涙。カーテンコールにはブラボーの声も飛びました。
ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテの冒険』のリメイク、という打ち出し。原作は昔児童書で読んだくらい、そして殆ど忘れている。あとテリー・ギリアムの映画からの知識しかない。という訳でケラリーノ・サンドロヴィッチの作品として観た。KERAさんの描く物語としか形容しようがない世界がそこにあった。
騎士道物語の読み過ぎで自分を遍歴の騎士(ドン・キホーテ)と思い込んでしまった人物、を演じるうちに自分のことをドン・キホーテと思い込んでしまった老人。どこかで起こっている戦争、あっけなく殺される市民、死体から金目のものをくすねる子どもたち。そんな世界を生き抜いた資本家が、死の間際に見る幻の冒険。遍歴の騎士となった彼は今際の際に何を見るのか。暴虐の限りを尽くした(らしい)老人と、その影響を真っ向から被った(らしい)家族の憎しみと赦しは。
KERAさんが描く世界において、死ぬことは安息と福音だ。ご本人が書いていたように、今作は『カラフルメリィでオハヨ』に通じるものがあった。人生とはこんなにも滑稽で、辛く苦しいもの。でも、「人間の死亡率100%」なのだ、誰にとっても。ぼやけていく記憶、動かなくなっていく身体の痛みが、忘却とともに安らぎを迎える。散々振り回された周囲の人間は、死へと旅立つ老人を穏やかに看取る。彼の身体から出てきた宝石の鑑定結果がガラス玉であっても、だ。
天使のような“姫”が、現実をどんな思いで生きているか。脚の悪い果物屋と、その父の間にはどんなやりとりがあったのか。ちょっとした会話のふりをして少しずつ明らかになっていくさまざまな人生。その原因や理由を相手が知ることなく、二度と会わないふたりがいる。命を落とすひとがいる。それでも人々は笑い、観客も笑う。虚構に呑み込まれる恐怖と愉悦。
抜群のリズム感で台詞が交わされる。笑いとシリアスのスウィッチングが絶妙、これもリズム感の賜物だ。大倉孝二の魅力が満載。何をやっても面白いのに、臨終の場では涙を誘う。たまらん。KERAさん演出の大倉くん大好き。咲妃みゆは歌が素晴らしい(ていうかあの歌詞をあの美しい声で唄うのがもうおかしくて)のは当然として、コメディエンヌとしての才気に驚かされる。次は『クワイエット・ルームにようこそ』ミュージカル(!)に出演するとのこと。KERAさんの次は松尾さんか……す、すごいな。現実世界の苦難を一手に引き受ける(それだけにあの最後、胸に迫る)サンチョ・パンサ安井順平も、ジャンバラヤを食べられない(笑)菅原永二もいい味出してました。
そうそう、演奏陣も最高だった! さまよえる楽隊は、ステージ上手側のブースだけでなく作中の世界にも現れる。祝祭の空間を鮮やかに彩り、死者を送り、傷付いた人々とともに行進する。二幕とも導入が関根真里によるドラムソロ、これにはシビれた。当日パンフレットにミュージシャンのクレジットも入れてほしかった! 公式サイト(後述)には全員の名前が出ています。ギターがダブルキャストで、初日は伏見蛍さんでした。
スタッフワークもいつものごとく(いつも、っていえるのがもうすごいよね)素晴らしい。最強タッグである上田大樹×KERAのプロジェクションマッピングは、今回メリーゴーラウンド状のランタンに映し出される。ランタンのシェードはカーテン状の紗幕になっていて、回転するとヒラヒラと風に舞う。シネマトグラフのような質感で切れ切れになる風景。不安で怖い、でも美しい世界を映し出してくれた。美術は松井るみ。そういえば前日に観た『ライフ・イン・ザ・シアター』も松井さんの美術だったな。眼福眼福。
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・『最後のドン・キホーテ THE LAST REMAKE of Don Quixote』┃KAAT 神奈川芸術劇場 初日開けたので舞台写真も載ってる。やー写真見るだけであれやこれや思い出してニコニコしちゃうな
ところでKAAT行ったの一年ぶりくらいだったんですが1階のカフェがTGI FRIDAYSになってた。『復讐の記憶』でソンミンさんがバイトしてたとこ! 次回は入りたい!
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「仲間をニックネームで呼び合い、性別や年齢、国籍に関係なく、全員でお客様のハッピーの為に協力し合っています。」という素敵なお店。ジジイ同士の取っ組み合い映画(©人間食べ食べカエルさん)『復讐の記憶』でのソンミンさんはフレディ、バディを組むジュヒョクくんはジェイソンってニックネームでした。いろんな意味でナイスネーミング
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2025年09月13日(土) ■ |
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『ライフ・イン・ザ・シアター』 |
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シス・カンパニー『ライフ・イン・ザ・シアター』@IMM THEATER
舞台に生きる人生と、舞台を生きる人生。衰える記憶力と体力、観客の前に立つことの恐怖、観客を前にして沸き上がる感謝。役者が役者を演じる怖さに身が縮む思い。それでも舞台はやめられない 『ライフ・イン・ザ・シアター』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Sep 14, 2025 at 1:16
角野卓造さんや、先日お亡くなりになった吉行和子さんが、ある時期を境に舞台をスパッと辞めて映像のみの芝居に移行した(おふたりとも理由を公表してらした)ことを思い出してしみじみ。でも、演じることはずっと続けられる。そして、芝居を長く続けていると、堤さんのようにジョンとロバート両方を演じられるときがやってくる。素敵なことだな。
……とはいうものの、役者として生きるとはそんな美しいことだけではない訳で。デヴィッド・マメットの辛辣さは、残酷といってもいいくらい容赦がない。
若手のジョンとベテランロバートが、劇場で過ごす長い時間。演劇の世界に入ったばかりで、尊敬する先輩役者の演劇論に目を輝かせ首肯するばかりだったジョンが、やがてその言葉に疑問を持ち、タメ口を聞くようになってくる。一方ロバートは自身の衰えを自覚しつつ、ボヤき乍らも、引き際を見失っている。ふたりが舞台に立ち続けるのは、演じることが大好きだからでもなく、演じることに取り憑かれている訳でもなく、ただ生きる糧(食べるため)としてのようでもある。彼らは終演後一緒に呑みに行っても、ケンカした後でも、同じ舞台に立ち続ける。イライラし乍ら。やれやれといったテイで。
そうでいて、彼らは観客のどよめきと笑いを恐れ、拍手に感謝する。舞台に立つことでしか得られない幸福を知っている。
厳しいのは、映像作品のオーディションに受かり主役級の仕事を得たらしいジョンが、次のシーンでもやはり舞台を続け、最後にはロバートに金を借りるようになっていることだ。ロバートもそれに嫌味をいう訳でもなく、いつものことだという風情で金を貸してやる。映像の世界で名を馳せ、舞台に“帰ってきた”訳ではない、と見せつけるいやらしさ。ずっと「舞台は下積み」という風潮には乗れないのだが、それでも「儲からない」という事実を否定しきれないことが切ない。
今回の演出家である水田伸生は、主にテレビで活躍されている方。こういった人選すら皮肉に映って興味深い。そもそもマメット本人も、映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』や『アンタッチャブル』といった名作の書き手だ。舞台はあの(あの! といってしまう)『オレアナ』や、『エドモンド』といった皮肉に満ちた作品が多い印象。日本で上演された作品は3作しか知らないが……他の作品ってある?
そんな脚本と演出により、舞台役者を演じるのは堤真一と中村倫也。おふたりとも舞台と映像両方の世界で活躍しているのがちょっとした救い……と思うのは観客の勝手だな。何をして成功というのだろう。今作の登場人物の悲哀は、全ての舞台役者が演じられる筈だ。
舞台設定は劇場の地下にある楽屋。階段を上がった先に舞台が設えられている。役者たちは楽屋で言葉を交わし、準備が出来ると舞台中の舞台へと上がっていく。観客は作中の舞台に出演する彼らを背後から見守る。うまくいった日は軽やかに、冴えなかった日は足取り重く楽屋へと帰ってくる彼らを、複雑な心境で見つめることになる。松井るみによる装置が素敵。それにしても衣裳替えの多いこと! 何作も演じるからね、やってる方混乱しそうだな〜。でもふたりとも段取り数の多さでは群を抜く劇団⭐︎新感線に出演してるから! きっと大丈夫! ……といいつつも、アドリブなのかアクシデントなのかの境目が怪しいところもちらほら(笑)。それが面白さに繋がってしまうのもこの作品の恐ろしいところ。台詞がもにゃもにゃとなった片方に「何?」とニヤニヤして聞き返すもう片方、出トチりならぬハケトチりっぽい箇所があったところにも笑わせてもらいました。本人たちは冷や汗ものだったかも知れないが。
フランス革命であったり、南北戦争であったり、恐らく実際にある舞台作品が再現されているのだろうシーンが次々と出てくる。台詞は勿論、衣裳や小道具でどの作品かわかるよな? とでもいうような目配せも感じ、観客も試されてるわ……と恐怖に震える。もしかしたら全部架空の作品なのかも知れず、それならそれで「あ〜わかんないだ〜」ってニヤニヤされてるみたいで、マメットこええ〜となるのだった。全方位に厳しい作品でした。
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IMM THEATER初めて行きました。東京ドームシティのエリア内に新設された劇場なんですね〜ってか当日迄TOKYO DOME CITY HALLが改名したのだと思っていた。着いたらTDCホールはKanadevia Hallという名に変わっており、ウルトラマンショー(?)の入場開始したところで長蛇の列が出来ていた。ネーミングライツ制さあ〜ほんっと混乱するからやめてくれよ! そしてIMM THEATERどこ! めちゃめちゃ焦ったよ……(近くにあった)。
で、IMM THEATER。昔の赤坂ACTシアターを思い出すロビーの狭さと導線でまあ入口の混雑がすごい。しかしトイレの数はめっさあって長い行列でも待ち時間は少ない。客席の視界はとてもよかったです。
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