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2025年10月25日(土)
oasis live '25 tour

oasis live '25 tour@東京ドーム

現在燃えカス

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 26, 2025 at 0:37

ノエルとリアムがハグを…グータッチを……信じられん、初めて見た……ボーンヘッドもいたのよ(書き割りで)!

前日の寝つきがめちゃめちゃ悪かった。遠足か。2009年のメッセ(12)以来のoasisです。この年のフジが最後の来日だったんだよね。その翌月ノエルが脱退するんだけど、当時はそんなことが起こるとも思わず……日記を読みなおしたらこのときもライヴ前日に「遠足か」とか書いてた。進歩ない。ていうかoasisって震災のときにはもういなかったのか。震災とコロナが記憶の区切りになっている……しかし彼らは帰ってきた! 人生何があるかわからない!

再結成ツアーが発表されて一年ちょっと。チケットがとれたときに「発券一年後だって。実感がわかん」「でもなんだかんだであっという間に当日になるんだよー」とか話していたけどホントにあっという間だった…世の中的にもいろいろあり過ぎてな……。10月に入り、チケット発券開始のお知らせが来た辺りから「本当に…来るな!?」となりようやくソワソワし出す。発券したあとは「なくさないようにしなきゃ!」「病気になったり事故に遭わないようにしなきゃ!」と気が気じゃなかった。

10月に入ってから兄弟の鎹といってもいい(笑・いや笑ってる場合ではないが)ボンヘが癌治療のため来られなくなったとお知らせがあってしょんぼりしたり(絶対治して次回は一緒に来て!)2日前に『「Oasis」ご来場の方へ重要なお知らせ』というお知らせが来て肝を冷やしたりと落ち着かない日々を過ごす。メールが来るとすわ中止か、何があったと思うじゃないか(トラウマ)……当日持ち込み禁止のものとかの諸注意だったんだけど、長傘がダメとかエラい細かい。予報雨なのに! めんどくさい! でもライヴ観られるなら守る!

当日はやっぱり雨。ゲートの看板撮りたいひとや、傘たたまないひとで入口付近がめちゃめちゃ混雑。“LIVE FOREVER”とoasisを一緒の画角に収めたい(ツイート拝借)よね、そりゃね。こんなシチュエーションそうそうないもんね! 雑踏事故が起こりそうでヒヤヒヤするくらいだったが、現場はというと見知らぬひと同士で写真撮ってください、撮りましょうかとかやってるし一塁側こっちですよとか教えあってたりするし、そろって笑顔でニンゲン、いいやつ! と思えるハッピーヴァイブスに溢れているヨ! 皆この日を楽しみに待っていたんだなあ。初めてoasisを観るであろう若い子も多い。どなたかが「運動会?」といっていたくらいadidasジャージ着用率もめちゃ高い。待望の、憧れの、ロックンロールスターがやってくる! 祭りだ! ハレの日だ!

OAは当日2日前に発表になったASIAN KUNG-FU GENERATION。いきなり決まるもんなんですね……。「リライト」がシンガロングになったり(鳥肌!)めちゃめちゃ盛り上がりました。OAでこの反応、これにはちょっと驚いた。「oasisに衝撃を受けてバンドを結成して30年、名古屋でoasisのOAをして20年」「これから皆さん唄いまくると思いますので、ウォームアップにこの曲(「リライト」)を一緒に唄ってくれたら」「素敵な夜にしてください」というゴッチのMCにジーン。そうか、ここにはアジカン経由でoasisを聴き始めた子もいるんだろうな。ゴッチのnoteがとても素敵な文章だったのでリンク張っとく。

・oasisの来日公演に寄せて┃Masafumi Gotoh┃note
・ドサクサ日記 10/20-26 2025┃Masafumi Gotoh┃note
ASHとの付き合いも長い。いい関係が続いているんだなあ。って、『(What's the Story) Morning Glory?』を部外者ではじめて聴いたのはASH、って話初めて知った!

当日は皆で観に行く予定でチケットとってたって、いい話。しかしこれ読んで我に返ったのは、アジカンのメンバーが「アラフィフ」のこと。あ、そうか、そうよね……。転換時、にゃむさんと自分より歳下だとずっと若い子ってイメージだよねーお互い歳取ってんのにねーなどと話す。そこから昔は洋楽のライヴって1時間とか平気で開演遅れたよね、今では信じられない、という話などするが、緊張を紛らわすために喋っているようなものなのでどちらも上の空という感じで、お互い「えっ今なんていった?」の繰り返し(笑)。

前置きが長い、ほぼ定刻に暗転、SEの「Fuckin' In The Bushes」、スクリーンには“THIS IS NOT A DRILL”、再結成が決まってからの報道記事やSNSのテキスト、兄弟の歴代アー写等のコラージュが映し出される。大!歓!声! そう、これは練習じゃない、今夜一度きりの本番だ! 本当にoasisのライヴが観られるんだ! そして遂に兄弟が姿を現した。手を繋いで! その手を挙げて! “今夜夢が現実になる”!!!!!

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ネタバレもないわともはや予習の勢いでセトリはチェックしていたが、それにしたって「Hello」で始まるのって粋すぎる。おかえり! おかえり! 次が「Acquiesce」ってのも憎い展開。てか「Acquiesce」を! 兄弟が! ちゃんと交互に! 唄う!!! 感極まる!!! 畳み掛けるように「Morning Glory」、もう何が何だか…ちゃんと見えるし聴こえてるのに何が起こってるんだ!? という感じでフワフワしてたわ……。てか「Morning Glory」の前にリアムが「いいね、このドーム」みたいなこといったよな。思えばoasis、初めての東京ドーム。ここら辺でようやく音が…いいな……? と気付く(遅)。

いや、最後に東京ドームでライヴ観たのって多分2006年のマドンナで、音のディレイが凄かったんですよね。会場のデカさからしてこんなもんなんだろうなと思っていたんだけど……。今回はディレイも全然気にならず(なかったといっていいくらい)、ヴォーカルも、各楽器パートもクッキリ聴こえた。そして音が厚い。思えばサマソニのマリンスタジアムも年々音が良くなっていったし、ノウハウの蓄積により、機材、設備、エンジニアやオペレーターの腕が進化していっているのだなあ。

ツアーが発表された当初「日本の会場は国立競技場」って噂が出たこともあったけど、終わってみればドームでよかったと思う。雨も降ったことだし。

兄弟の他はお馴染みゲムとアンディに、サポートでドラムにジョーイ・ワロンカー、キーボードにクリス・マッデン、そしてボンヘの代打はリアムのバンドにいたマイク・ムーアの7人編成(数曲スポットでTb、Tp、Tsの3管が入る)。今回ギターが3本ってのがすごくいいと伝え聞いていたので、APACツアーはひとり欠けるのか……と思っていたけれど、編成を変えずに来てくれた。プロの矜持ですね。てかプロの〜とかoasisにいうようになるとは……と、思ってしまうくらいバンドのコンディションがよい。いや驚いた、今が最高なんじゃなかろうか。何よりリアムの声がめちゃめちゃ出てる! ようやくメンテに気ぃ遣うようになったか! あの声、あの声だよーーー!!!

ちなみにボンへは書き割りでいました。もともとこのツアー、ステージにマンチェスター・シティFCの監督であるペップ・グアルディオラの等身大パネルがいるのだが(愛!)、パネルがふたりになった。スクリーンに映り込む度に笑いが……てかボンへとペップ、感じが似てるのでいちいち今どっちだった? となる(笑)。全然変わんないな〜と思っていたゲムはロマンスグレーになり、アンディはひとりまぶしい白シャツ姿で目立っていて、はー兄弟兄弟いうけどこのふたりも長くバンドを支えてきたよねえとしみじみする。そうそう、今回初めてじゃないかな、メンバー紹介あったの。ほろり。ノエルがリアムを紹介したりもした。信じられん。

信じられんことはいくらでもあった。手を繋いでの登場シーン(ツアー始まってからずっとこの演出なんだけど実際目の当たりにするとすごく狼狽える)は勿論のこと、ノエルのヴォーカルコーナーでリアムが退場する際グータッチしたり、演奏中にリアムに抱きつかれてもお兄ちゃん怒んない。いや前は邪魔すんなって感じで無視してたじゃん! 今回抱きつかれてもお尻叩かれても笑顔だったよ! 昔はリアムがノエルにじゃれつくときって「何カッコつけてんだよ〜(別にお兄ちゃんカッコつけてない)」「演奏を邪魔してやる〜(むっちゃ真剣に弾いてるときに)」って感じだったじゃない……。ノエルも「近づいてくんなよ……」って感じだったじゃない。それがこんな。しかもさなんというか、茶化してるとかファンサービスとかじゃなくて、ホント素直に出た行為って感じだった。やったぜ兄弟、今日もいいステージやれてるな! このまま最後迄突っ走ろうぜ。そんな感じ。

ノエルのヴォーカルコーナーは「Little by Little」がもう素晴らしくて……歌も演奏も、会場の雰囲気も。「Don’t Look Back In Anger」もだったけど、お兄ちゃんが唄う曲で観客の灯したスマホのライトが星のようでさ……スタンドが先にライトをかざし始めて、それに気付いたアリーナも、という感じで星が拡がっていくさまが本当に美しかった。

観客、といえば「Cigarettes & Alcohol」。今回のツアーではこの曲のイントロでポズナンをやるのがお約束になっている。ポズナンというのはマンCのサポーターがフィールドを背にして肩を組みジャンプするアクションなんだけど(てか今回のツアーチェックしてて初めて知った)、この日はやるひとがほぼいなくてリアムが困惑するというシーンがあった。いや、これは仕方ない…予習してないとわからんて……。なんかリアムが「椅子があるけどポズナンやって」みたいなこといったんだよね。海外の会場ってアリーナはスタンディングなので、椅子があるとやりづらいかなというリアムの気遣いよ(微笑)。でもリアムの英語ってほんっと聴き取れないし(…)ポズナンもその単語を知らなければ何それってなるじゃん……。帰宅後SNSをチェックすると「ポズナンというのは」「明日はポズナンやろう!」という書き込みがたくさん。2日目はめちゃめちゃ盛り上がったそうで、こういうところSNSのよさよなあと思った。

そう、リアムたくさん喋った。有難うって日本語で何度もいったし(これは流石に聴き取れる)。どのMCも(聴き取れた限りでは)待っててくれたファン、初めてライヴを観る若いファンへの愛と感謝に溢れていた。そして会場に入れなかったひとたちのこともわかってるよ、というように、「Live Forever」のとき「今日ここに来れなかったやつにも捧げる」みたいなこといったんだよ。リアムーーー!!!(泣)

とはいうものの、今迄が今迄なので「信じて…いいの……?」という思いはなかなか消えない(笑)。リアムがモニターを指して何かいってるのを見る度に退場しないかドキドキした(トラウマ)。返りが聴こえなかったのかな。そんなこと全く感じさせない歌だったけど。そう、リアムの声めちゃめちゃ安定してた。しかも最後迄。北米ツアーで喉の調子ちょっと悪かったらしいけどこの日は完璧だった。だってさリアムが唄う「Whatever」や「Wonderwall」が聴けるなんてよう。ライヴではお兄ちゃんが唄うことも多かったじゃん。「Wonderwall」は終盤も終盤なので、セットリスト知ってても「まだ? お兄ちゃんだったりする?」なんてソワソワしてしまった。いやお兄ちゃんヴォーカルの「Wonderwall」素晴らしいけどね。

本当にリアムがやる気になったんだなあなんてしみじみしました。兄弟のハモりがまた聴ける日が来るなんてと「Stand By Me」でさめざめ泣く。終盤は「もうすぐ終わってしまう」という寂しさと「来てくれて有難う」という感謝の気持ちでいっぱい。オーラスが「Champagne Supernova」というのも余韻がある。寂しいけど時というものは過ぎるんだよ、時間は誰にだって平等だ! だからoasisがいる未来は誰にでもやってきたんだ! 今はoasisがいる世界だ!!!(話が壮大になってる)

といいつつ「Whatever」の映像が男塾みたいだ!(前日こんなツイートを見たので尚更ウケた)とか「Champagne Supernova」の映像は富士山? これ日本会場のオリジナル? と笑いも絶えず。そういえばオープニング映像の日本語の記事は万国共通なんだろうか。あそこはわざわざ差し替えないか?

エンディングは日没の映像で、メンバーがステージを離れて以降も日が沈む様子が流れていて何この終わり方……! とまた笑い乍ら泣く。一日限りの“NOT A DRILL”は終わった。4日経った今でもまだフワフワしてる。脳内ではずっとoasisが鳴ってる。元気でいてね、また来てね。今度はボンヘも一緒にね。

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setlist(setlist.fm)

SE. Fuckin In The Bushes
01. Hello
02. Acquiesce
03. Morning Glory
04. Some Might Say
05. Bring It On Down
06. Cigarettes & Alcohol
07. Fade Away
08. Supersonic
09. Roll With It
10. Talk Tonight
11. Half The World Away
12. Little by Little
13. D’You Know What I Mean?
14. Stand By Me
15. Cast No Shadow
16. Slide Away
17. Whatever
18. Live Forever
19. Rock ‘N’ Roll Star
encore
20. The Masterplan
21. Don’t Look Back In Anger
22. Wonderwall
23. Champagne Supernova

プレイリストはこちら

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見直す度に鳥肌をたて、そして泣く


そうそうビッグイシュー売ってた。いい特集だったので沢山のひとに読んでほしい! ていうか「俺もほしい」と伝えるノエルも素敵だよ〜(泣)

・オアシス奇跡の日本公演レポート リアムとノエルが手を取り合い歓喜の大合唱、問答無用の完全復活ライブ┃Rolling Stone Japan
心の中で願い続けていれば、こうやって夢は叶うのだ。彼らが「Rock 'N' Roll Star」で歌っていたように。
荒野政寿さん(ex. CROSSBEAT)のレポート。読んでたら涙が〜

・オアシス(Oasis)が自分たち自身を更新したライブだった――予想を超える熱狂と祝祭感に満ちた、16年ぶりの来日公演初日レポ┃Sony Music
それぞれの事情で来場できなかった人も多いだろう。そういう方たちに、ちゃんと本ライブ評が届けばと願いながら書いている。オアシスがオアシス自身を更新した非の打ち所のないライブだったことが、伝わればと思う。
妹沢奈美さんによるオフィシャルレポート。またほろり



2025年10月08日(水)
『ワン・バトル・アフター・アナザー』

『ワン・バトル・アフター・アナザー』@新宿バルト9 シアター4

あ、アメ〜リカ〜(The KLF)THEアメリカといえばPTA、PTAといえばTHEアメリカ〜! めちゃめちゃ面白くてめちゃめちゃ怖い! てかこれの原案ピンチョンの『ヴァインランド』だったの!? いやマジおっかねえ 『ワン・バトル・アフター・アナザー』

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 9, 2025 at 0:17

「今何時?」の合言葉はThe KLFにいわせれば「What Time Is Love?」だな!

『ヴァインランド』は池澤夏樹編集の河出書房新社版(2009年)で読んでいた。1998年と2011年に新潮社版が出ている(全て訳は佐藤良明)。いわれてみればこういう話だった…そう、いわれてみなければわからない、ヒッピー、ニンジャ、ハローキティ……「アーッこんな話だった!」「エーッこんな話だった?」の塩梅が見事、見事過ぎた。予備知識も何も入れずに観て、キエー面白かった! とエンドロールをぼんやり見ていたら「inspired by the novel "Vineland" by Thomas Pynchon」って出てきて再びキエーとなったのだった。ポストクレジットにも愛がある、あれでまた余韻がグンと深まった。THEアメリカでTHE映画。

久々ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)。『インヒアレント・ヴァイス』以来……って10年ぶりだわ、そんなに経つか! 大好きな監督なのだが、ランタイム的にも内容的にも、いつも観終わるとふらふらになるので体力(+情緒)が要り……とちょっと疎遠になっていた。今回もノーマークだったのだが、予告編でベニシオ・デル・トロが出ているのを知って慌てて観ることに。で、やっぱりふらふらになって映画館を出た。思えば『インヒアレント〜』もピンチョン原作だった。そんでベニーも出てた。

ストーリーはシンプル。登場人物の心理は複雑。1シーン毎の情報量がめちゃ多い。長尺なのに体感時間が短い。父子間の確執。生きてる人間がいちばん怖い。クラシックでホラー。と、いうのがPTAスタンダードだと思っているのだが、今回はそのスタンダードを維持しつつこれ程エンタメに振ったのかという驚きも。原案があるからか、PTAにしてはやさしみもあった…あんなだけど……。

いやーしかし、このひとが? こんな? エンタメに振った映画を? 10年の間に何があった? それでも今作が突出してエンタメなのか? あれだ、以前どなたかがいっていた「リュ・スンワンは映画が上手!」だ。「PTAは映画が上手!」。話の転がし方といい、緩急の付け方といい、リズム感のよさといい。木から落ちるとこととか、果てしなく続くように見える〰〰〰(この書体機種依存かな、出るかな。出てくれ)な道路のカーチェイスとか。おらワクワクしっぱなしだぞ。で、緊張のあとのカタルシスもちゃんと用意されている。そして、なあ、あんな爽やかな終わり方…おばちゃん泣いちゃうわ……。いつもある父子間の確執、というのが父と息子、ではなく父(母)と娘、というところは原案ある故だろうか。そして父は娘から学ぼうとしている。they/themにしても、スマホのフラッシュにしても、そして“革命”にしても。娘は父とは違う、新世代の闘い方を実践している。そこに未来を見る。

といいつつ、3人のサクリファイスが用意されているところは流石の厳しさ。泣いちゃうとかいってられん。ロックジョーは文字通り生贄にされたが、センセイとデアンドラのその後が祝福に満ちたものであることを祈る。祈ることしか出来ないこのもどかしさ。

レオナルド・ディカプリオの瞳の美しさをしっかり捉えているところに愛があった。序盤のスーパーマーケットでのショットとかすごかったもんね。見惚れた。ディカプリオに限らず、人物の顔面アップショットが多かったなあ。画面が強い! 力のあるツラ構えばっかり! そしてツラ構えといえば背筋も凍るショーン・ペン! いや〜キモかった(素晴らしかった)……もはや哀れを誘う。あの血管が浮き上がる筋肉はドープなのかCGなのか気になるところ。

背筋も凍るキモさといえば“クラブ”のメンバー。皆さんクリーンな血筋でですか、ああそうですか。見た目で選んだ(というか、そう選ぶしかない)悪意を強く感じるのだが、引き受ける側も偉い。これもアメリカの理想と現実、美徳と悪徳。演じる側にメンタルのケアが必要なのではとも思う。必要なかったらそれはそれで怖いが。そう思わせてしまう、死人のようなツラ構えのひとばかりだった。対して女優陣は生命力溢れるツラ構えのひとばかり。レジーナ・ホールテヤナ・テイラー、そしてチェイス・インフィニティ! チェイスはもう名前が格好よすぎるよな。走る姿も美しい。

で、ベニーですよ。センセイ…センセイが……何あれホワイトナイト? 王子様? 天使? ベニー、綺麗よ〜! ひととしてこうありたい〜! こういう役をベニーがやるとすごい説得力だわ……一週間で全く違うタイプの役柄を演じるベニーを2本も……! ありがてえありがてえ。

それにしても『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』ばりに音(楽)がデカかった。このひとの映画って総じて音がデカいけどね。最高! 音楽は毎度のジョニー・グリーンウッド。音楽そのものも毎度の凄まじさだったけど、今回はあのガジェット(“デバイス”な!)──仲間を知らせるあの音──もつくったのだろうか。あの音最高だったよね……。使用曲も含みがあり過ぎた。古き良きアメリカですか。ヴァン・ヘイレン作戦て。

先週観た『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』の共通点といえば、まずベニーが出ているということ(にっこり)、父と娘の話だということ、監督がアメリカ人であること、その監督はどちらもアンダーソン姓であること。ふたりのアンダーソンは、ひとりは相対的に、ひとりは真っ向からアメリカを描いたということ。絶好(最悪?)のタイミングで観てしまった気すらする。“憎むべきアメリカと愛すべきアメリカ”(後述リンク参照)はこれからどこへ向かうのだろう。

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・パンフレットのPTAのインタビューによると、センセイの“You Know What Freedom Is? No Fear. Just Like Tom Cruise.”という台詞はニーナ・シモン(!)の言葉がベースになっているとのこと。台本にはなかったけれど、現場でこの言葉をベニーの口から語らせるべきだと思ったのだそう。有難う有難う

・あ、“Just Like Tom Cruise.”の部分はニーナ関係ないです(笑)

・池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第2集┃河出書房新社
このシリーズの装丁が好きで好きで。『ヴァインランド』はこれの3冊目

・波 2011年11月号より ピンチョンと真剣勝負 佐藤良明┃新潮社
三度目の刊行の機会を得た。(中略)今まで気づかなかった原文の意味や仕掛けが見えて、背筋が寒くなり通しだった。
訳文はすっきりしたと思います。地図や年表の他、“時の森”を這う蔓(ヴァイン)のような語りの運動を図解したページも用意しました。憎むべきアメリカと愛すべきアメリカが、よりよく見える本になったと思います。
2011年版刊行時、訳者である佐藤さんによるレヴュー。こういわれたら2011年版も読みたくなるやん…年末年始にでも読むか……(すぐに手をつけ(られ)ないところがピンチョンズクオリティ)



2025年10月04日(土)
『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』

『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』@kino cinéma 新宿 シアター2

ザ・ザ・コルダやっと観に行けた〜 父と娘のロードムービー、てかあんなラストー! ベニーが! 有難うアンダーソン監督!

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 5, 2025 at 0:49

まあ移動の殆どは飛行機なのだが。でも、父と娘が互いを家族と認める迄の“試用期間”を“移動”とともに見せているとすれば、やっぱりこれはロードムービー。

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』以来、ウェス・アンダーソン×ベニシオ・デル・トロのタッグです。てか主役〜! 当て書き(なんですって)〜! 『フレンチ〜』でのベニーは殆ど話さない役で、話しても唸り声とかで、衣装も囚人服で終始していたけど今回は! 衣裳替えがたっくさん! しかも全てがスタイリッシュ! 貴重だわ…殺し屋とか工作員とか麻薬王とか麻薬中毒者とかNGO職員とか、いいおべべ着てる作品あんまないから(特殊工作員はコスチューム萌えがあるかもしれんが)……ちなみに天界のシーンは『フレンチ〜』使いまわしなのかと思った(笑)。あのヒゲといい。

あっでもハムレットやったな、『ウルフマン』の劇中劇で(急に思い出した)。貴重なコスチュームプレイ…とはいえこれも結局狼男になるからな……。あとは『スナッチ』が強盗時と普段時両方とも素敵なルックだったけど、今回程ヴァラエティに富んだルックのベニーが観られたのは初めてのことだと思います。

ちなみにベニー曰く「『どのように役作りをしますか?』と聞かれた時、『ウェスの脚本とほんの少しの自分らしさ、そしてミレーナ(・カノネロ)の衣装』と答えました。ミレーナとウェスは、帽子から靴ひも、そしてその間にあるすべてにおいて息ピッタリで、ベストな衣装を作り出してくれるんです」(パンフレットより)。という訳でミレーナにも有難う! こういうこというベニーも素敵!

さて今作、1950年代のお話。事業のためならどんな汚いことでもやってきた大富豪。多くの恨みを買っていて、敵はものすご〜く多く、これ迄に6度暗殺未遂に遭っている。てか6度暗殺されかけて死んでないのがすごい。飛行機落ちても死なない。撃たれても死なない。不死身か。でも本人は自分のことを不死身じゃないと知っているので(そこんとこ身の程を知っているというか謙虚よね)後継者を選び、最後の大仕事“フェニキア計画”に着手する。

後継者に選ばれたのは修道女見習いの娘。この男は自分の母親を殺したのだろうか? それを知るため、そして善行となるかもしれないフェニキア計画の成功を祈るため、これ迄全くといっていい程交流のなかった父との旅に同行する。

アンダーソン演出ならではの、最低限の表情で、カメラ目線で、マシーンのように早口で語る演者たち。読めない心のうち。それでも少しずつ、父親が娘のことをよく思っていること、一般的な意味でそれを伝える術を持たないこと、娘もそんな父親のことをもっと知りたいと思っていることが見えてくる。とても残酷で、とても美しい父子のやりとり。何度も死にかける父親は何度も天界の入り口に立つ。しかしその都度入場を阻まれる。それは生前(いやまだ生きてるけどな)犯した罪の多さに「おま、あんだけのことやっといて天界に入れると思ってんのか」という拒絶ではなく、「こっちに来る前にまだやることがあるだろ?」と促されているかのよう。何しろ神は“赦す”ものだからだ。

そして娘も“赦す”側ではなく“赦される”側。修道女になりたい希望を何度伝えても、教会は許可を出さない。成程確かに彼女は「貞潔、清貧、従順」のどれも遂行していないように見える。父から贈られた“世俗的な”ロザリオを身につける。葡萄酒以外はとことわりつつビール3杯呑んじゃう(シーンが進むと空のグラスが増えてるのが最高)。父から贈られたこれまた世俗的なコーンパイプで喫煙する。それも全て祈れば“赦される”。メイクも世俗的=魅力的でしたね、華やかなフェイスカラー、真っ赤なルージュ。これがまたかわいくてなあ。多分彼女も天界の入り口で差し戻しだな(笑)。演じるミア・スレアプレトンがまためちゃめちゃキュート。仏頂面であればある程かわいい。実は予告編観たとき彼女のことをスカーレット・ヨハンソンだと思い込んでいた。仏頂面が絵になる女性といえばスカジョだと思っている節があるんですが、ミアにはその系譜に連なる大物っぷりを感じました。

それにしてもその“世俗的な”あれこれを手掛けたのが超一流のブランドばかりというのもなかなかな皮肉。邸宅に飾られている美術品も全て実物。そのなかでも特に気になったのは、実は輸血道具なのだった。あれはどうなん、本物なん? 1950年代当時はあんな手動でシュカシュカやってたん? てかあんなスピードでシュカシュカやってたら具合悪くならん? あとオモチャみたいな嘘発見器も可愛かったな。ホントと嘘が入り乱れるアンダーソンワールド。

獰猛、ぶきっちょ、エレガントな父親。そんな彼の、「料理がうまく、皿洗いもうまい」という伏線が回収されるエピローグ。ザ・ザ・コルダが失ったものと得たものが描かれる、夢のようなラストシーン。父子は一から出直しだ、しかし父の罪が消えた訳ではない。彼はまた殺されかけるのだろうか、或いは殺されてしまうのだろうか? そんな不安を抱えつつ、それでも厨房でトランプに興じる父と娘のぶきっちょな交流に笑顔になってしまう。父子の交流を捉え乍ら、カメラは世界から離れていく。エンドロールが流れる暗闇に鳴り響くのはストラヴィンスキーの「火の鳥」。なんて粋な。何度でも甦る不死鳥は、こうして父子を祝福する。

あ、当て書き? 当て書きなの? プライヴェートをほぼ明かさないベニーのこれが? いやーそういう意味でもめちゃめちゃ楽しみました。ベニーがずっと手負いってところもいいわ〜。アンダーソン監督、ファニーでチャーミングなベニーを有難う! 『フレンチ〜』ではベニーとエイドリアン・ブロディの共演が観られて感無量だったのですが、今回はベニーとベネディクト・カンバーバッチ(あのヘアメイク!)の取っ組み合いが観られて感無量でした。おじさん同士の取っ組み合い、最高だね! アンダーソン監督有難う(何度でもいう)!



2025年10月03日(金)
イ・ラン ジャパン・ツアー2025『SHAME』

イ・ラン ジャパン・ツアー2025『SHAME』@グローリアチャペル キリスト品川教会

イ・ラン『SHAME』ツアー最終日はグローリアチャペル キリスト品川教会で、イ・ヘジ(チェロ)とのデュオ。教会にいると気分がいいけど同時にイライラする、という言葉は「親に宗教を決められた」こどもに共通するものかもな。そして教会という場だからこそ生まれる空気というものもある。ここも方舟

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 4, 2025 at 1:15


一年ぶりの再会、イ・ラン『SHAME』ツアー最終日はキリスト品川教会でイ・ヘジ(チェロ)とのデュオ。昨年のバンドセットが素晴らしかったので、同編成の東京キネマ倶楽部公演と迷ったけれど、まだ観た(聴いた)ことのなかったデュオ編成を選択。というか昨年が過去最大規模の来日公演だったんですよね。それ迄はこのヘジさんとのデュオセットと、弾き語りによるひとりセットがメインだったように記憶しています。

天井の高いチャペルのステージには、小さなライトがいくつもぶら下げてある。歌詞を映し出すスクリーンも大きく、後ろの席からでもよく見える。ランさんのMCとのタイミングからして、おそらく手動でオペレートしている。つい劇団☆新感線の音響を思い出してニヤニヤしてしまう(長らく行ってないけど、今も手動ですよね?)。ランさんの歌において歌詞はとても重要で、ご本人もスタッフも、歌詞を伝えることをとてもだいじにしていることがわかる。フォークソングだ。

ランさんは深紅、ヘジさんは漆黒のドレスで登場。素敵! ところがランさんが出てくるなりステージを降りていく。袖(といってもこちらから丸見え)でスタッフと話し込んでいる。トラブル? と緊張するも、ヘジさんは構わずチューニングとセッティングを進めている。どちらもマイペースというか、これがデュオでのいつもの光景なのか……? 結局何だったのかわからないまま開演。数曲演奏したあと、戻ってきたスタッフから受け取ったブレスレットをランさんが身につける。「友達がつくってくれたお守りのようなもの。楽屋に忘れてきてしまって」。ホッとしました。

囁き、呟き、叫び。よく通る声で唄う。ポエトリーリーディングもある。どの歌にも今を生きることの困難さが描かれている。と同時に、近くにいるひと、関わりのあるひとの幸福を願うものでもある。どうしてこんなに、ただ生きていくことがたいへんなのだろう。世界と社会への疑問は消えることなく、次々と湧いてくる。お姉さんを自死で亡くしたこと、彼女がどういう人物だったか、どんな癖で、どんな顔をして笑ったか、それを憶えている自分がいる限り、彼女の存在は生きていること。そんな存在が誰にでもあること。冒頭のツイートにも書いたが、彼女は教会にいると「イライラする」といった。「生まれたときから」「親が決めた宗教」のもとで生きていることの面倒を語った。彼女の歌にはクリスチャンの善性があると感じる。それは確かに幼い頃からの刷り込みであるかもしれないが、信仰は自分に都合のいいところだけを吸収すればいい。教えから外れたことをしても、罪だと苦しむ必要はないのだ。そう決めている自分も宗教2世なのだった。

ステージから客席が少し遠く、「皆一緒にハミングしてくださいね」といわれた「イムジン河」では、終わったあと「本当に唄ってました?」と指導が入る(笑)。聴こえなかったらしい。確かに客席から聴いていても消え入りそうな声だったわね……奥ゆかしいひとが多いんだよきっと! でも「パンを食べた」のコーラスはがんばったよね! ズシンとくる歌が多いけれど、ほぼ全て日本語で話されるMCにはそこかしこにユーモアがいっぱい込められていて、和む場面も多い。

「イムジン河」は1番を日本語、2番を韓国語、3番はハミングで唄われた。日本語詞はフォーク・クルセイダーズ版(作詞:松山猛)。リリース当時、さまざまな配慮(或いは政治的な思惑)から放送禁止になったりレコードが発売中止になったりしている歌だ(経緯はWikiとか見て)。南北分断は日本による植民地支配から始まった歴史でもある。その日本人が書いた歌詞をどういう思いで唄っているのだろう? そんなことを考え乍ら聴いていた。唄い終えたランさんは、「最近になってお父さんに『お前がこの歌を唄っていることをお母さん(ランさんのお祖母さん)は喜ぶだろうな』といわれた」「何故かと訊いてみると、お祖母さんは北に住んでいて、韓国戦争が起こったとき、南へ移動してきただからだと」「初めて知ったことだった」と話した。

個人的な問題は、必ずしも歴史と無関係ではない。自分ひとりで生きている訳ではないし、ひとりきりで生きていける筈もない。社会、政治と個人は切り離せない。世代を越えて対話があったからこそ知ることも多い。全ては繋がっている。そうそう、彼女は朝鮮戦争ではなく韓国戦争といっていた。

ところでこの曲、普通に小学校の授業で唄っていたので馴染み深い。80年代の話。半島と距離的にも近い九州(宮崎)だからだろうか。他の地域ではどうだったんだろう?

ヘジさんは体調を崩されているそうで、ランさんも決して万全のコンディションではない。創作意欲はあるが、ツアーは体力的にも精神的にも辛いものらしい。お金の問題も必ずついてまわる。エア代、宿泊代、そして楽器の運搬代。ゴルフクラブは無料なのに楽器には何故追加料金がかかるのか。ゴルフは趣味でしょ、楽器は仕事道具! と空港でやりあったエピソードを披露して、だからお金がかかるんです、物販買ってください、と話を落ち着かせるところにもユーモア。来日公演があるのはうれしいし有難いけれど、負担になっているのだとしたらいつでもやめて休んでね、とも思う。物販は勿論買います(笑)!

「いつ迄こうしてライヴがやれるかわからない。だから必ず来てくださいね」という言葉に頷き拍手を送る。オリオン座、こぐま座。天井を見上げる。ちいさなライトがやさしく輝く。ひとつひとつバラバラに、ゆっくりと瞬くそれは星座のようだった。星の光を目にしたとき、その星は消えているかもしれない。演じ手と聴き手の距離感をも表わしているようだった。

昨年の来日公演で彼女は「裁判をしている」といっていた。訴訟相手である尹錫悦政権はその数ヶ月後に倒れた。裁判はどうなったのだろう? 激動といっていい時代、決していい意味ではなく歴史に残る出来事が世界で次々と起こっている今、ここだけは安全でいられると思えるような公演だった。教会の壁には、こどもの描いた大きな方舟の絵が飾られていた。あの時間、教会は方舟だった。

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Sweet Dreams Pressとグローリアチャペル、といえばジョアンナ・ニューサム! と今でも鮮明に思い出せるくらいなのですが、今回も星座のような照明、歌詞がしかと伝わるスクリーン、あたたかな物販コーナーと素晴らしい場づくり。楽しい記憶が上書き、ではなくまたひとつ上積みされました

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— kai (@flower-lens.bsky.social) Oct 4, 2025 at 1:20

Sweet Dreams Pressとグローリアチャペル、といえばジョアンナ・ニューサムの記憶が今でも強烈で、この招聘、この場所でイ・ランを観られるなら……! という思いもあったのでした。物販の方のふるまいがすごく素敵だったのが印象に残っているのですが、今回のスタッフさんも、長蛇の列のお客さんひとりひとりに丁寧な対応をしておられました。
そうなのよ、終演後意気込んで物販コーナーへ向かったんだけど、絶対買う〜と決めていたカッサが私の5人前くらいで売り切れてしまったのよ……。オンラインでも販売しますから! とやさしいスタッフさんに教えていただき待つことに。しかしいいよね〜アーティストグッズでカッサ! ランさん本人が愛用しているものから作ったそうです

・余談。ランさんが折坂悠太のこと「折坂」って呼び捨てで話すのが好き(ニッコリ)