無責任賛歌
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| 2004年09月30日(木) |
男が男に恋をする。まあ、自由だけどよ/DVD『鋼の錬金術師』9巻 |
劇団ホームページの方の日記、ここんとこずっと加藤君が飛ばしっぱなしであるが(いや、以前からずっと飛ばしっぱなしなのだが)、最近は特に読むたび膝を叩いて笑わせてもらっている。 つーのがもうねー、加藤君と其ノ他君がさ、最近とみに親密になっているのだけれど、そのアツアツぶりを彼が日記でトウトウと告白しやがるもんだから、もう読んでるこっちは笑顔がフリーズするしかなくってねえ。オトコがオトコにホレることは確かにあることだろうが、かと言って、ホントのホンネは語れず書けずの私には逆立ちしたって書けない文章なのである。いや、これ貶してるんじゃないからね(さらに誤解のないように書いとくが、其ノ他君はちゃんとノーマルで、鴉丸嬢というりっぱな彼女さんがおられる。加藤君はどうか知らないが)。 http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=ZVF11173&n=dan
例えば昨29日の記述には以下のような文章が。
> でもね、付き合いが深まれば深まるほど、○○○さんいい人!! > つか、いい男!(ウホッ)
「○○○」の部分は其ノ他君の名前である(本人は気にしてないみたいだけど、芸名あるんだから、できるだけそっちで書こうよ)。 「付き合いが深まれば」って、この「深まる」って表現が、私にはどうしても使えないのである。根が劣等感の塊なので、誰かに「深く付き合ってもらえている」と考えること自体、なんだか相手に対してすごくおこがましい態度を取ってるような気分に陥ってしまうのである。「じゃあオマエとオレとは浅い付き合いなのか」と怒られたら返答のしようもないのだが。 女性を誉めることに関しては私は全く遠慮はしない。なにか下心があるんじゃないか、と誹るやつもたまにいるが、私には女性に関して内心何か思ってるのに黙ってるほうがカクシゴトをしているようで好きになれないのである。もっとも、私も独身のときには女性を誉めたことはなかった。それこそ相手に「誤解」されたら困るからで、結婚して何が一番助かったかというと、堂々と女性を誉められるようになったことかもしれない(^o^)。もちろん、たとえ女性であろうと、「誉める必要はない」と判断した女性を誉めたりしないのは当然である。 でも男はなあ、独身だろうが結婚してようが、なんか誉められないのだねえ。身内意識が強ければ強いほどどんどん誉められなくなる。これにはともかくベタベタしたのを極度に嫌う職人の家に生まれたという「育ち」の問題もあるんだろうとは思う。 加藤君のように素直にオトコを誉められるって、羨ましいのだれど、それでもこれだけは言いたい。「ウホッ」はやめよう、「ウホっ」は(-_-;)。
> 見た目コワモテですけど、すんげー優しいし、しっかりしてるし、誠実だし、清潔で美しく健やかな(略) > もう憧れるところが多すぎてねぇ…
男が男を誉めることのムズカシサは、こういう文章に表れてしまう。 つまり其ノ他君に比べると加藤君は、反作用的に「見た目は優しいけれど、実はすげー冷たいやつで、へにょへにょしていて、卑劣で不潔で薄汚い病気持ちである」ということになってしまうのである。 そこまで自分を卑下してしまうと、其ノ他君がどんなにすばらしい人間でも、そのホメ言葉がウソっぽく「見え透いたお世辞」のように聞こえてしまう。男が女を誉めてもあまりお世辞に聞こえないのは、男と女がそもそも全く違った存在だからだろう。 「言葉は意味を伝える手段としてはあまりにも拙劣である」と感じるときはまさにこういうときで、ホンネで言ってるのかソラゴトなのか、表現上は区別がつかない。加藤君の気持ちを疑っているわけではないが、愛を語ることには誤解が常に伴うことを覚悟せねばならない。雄弁は絶対に沈黙以上のことが語れないのだ。
> 同じ歳の男がこんなにもいい男になってるというのに > 俺のこの有様はどうだ。 > 泣けてきます。ほんとに股間に同じモノぶら下げてんでしょうか。 > ひょっとして俺のうまい棒かなんかじゃねえの?
「うまい棒」って、それは「誰かにしゃぶってほしい」という謂か(^_^;)。 そういうタトエを乱発すると、またハカセに吐かれちゃうぞ。 これもまた誤解を生じるといけないのでクドクド書かねばならないのだが(書いても分からんやつには分からんのだが)、いろいろ加藤くんの文章を俎上に挙げているのは「こんな文章書くもんじゃない」と規制をかけているのではない。ウェブ上に公開された文章に関してはどんな感想を持たれるのも覚悟せねばらない、ということなのである。たとえ事前に「オレの文章キモいですよ」と防波堤を作っておいても、「いやほんとにむちゃくちゃキモいね」とサラッと突っ込んでくるのが「世間」というものなのだ(^o^)。あるいは「沈黙」でもって答えるのね。 「軽く半泣き」くらいですんでるのなら、まだまだ今の「試練」は軽いのだ。
さてまたトンガリさんは休みである。いいなあ、一週間に一回の出勤。 こっちは相変わらずトンガリさんの仕事を一部肩代わりしてもうテンテコマイだってのに。昼間はずっとメシを食えず、しかも残業で帰りは8時。 しげに迎えに来てもらって、帰りに「庄屋」に寄ったのが今日、最初の食事だった。これからしばらくはこんなふうにちょっと忙しい毎日が続きそうなので、トンガリさんの顔を見ないですむのなら、精神衛生上は気が休まるのだが。けれど仕事してほしいときにはサボって、いない方がいいときにはジャマしに来るのがトンガリさんの常だから、決して私の神経が休まることはないと思うワケである。
DVD『鋼の錬金術師』9巻。 第31話から34話まで、強欲のグリードは結局たった4話の出演でした。どっちかと言うと「アニメ派」な私だが、原作でも好きなキャラだったんで、うまく本筋に絡められなかった脚本、演出にはかなり不満。 スロウスがきれーなねーちゃんになってたり、ラースが大総統じゃなかったりって変更には、文句ないんだけどね。原作の量が少ないんだから設定をあれこれ補完するのはやむをえない処置だろう。ラースの手と足の設定なんか、「等価交換の法則」自体を揺るがすことになるわけで、テレビ放映時に見たときもゾクゾクしたし。蓋し、予定調和に「ゆらぎ」が生じたとき、物語は面白くなるのである。 もっとも、ホーエンハイムがまだ出てこないのは最終回までには間があるので仕方のない変更なのだろうけれど、おかげでグリードの行動原理がイマイチはっきりしないという欠陥を生んでしまった。カッコつけてるばかりで、何しに現れたのかわかんないままに死んじゃうんだからねえ、ストーリーエディターの會川昇と実際に脚本を担当した大和屋暁とのコンビネーション、うまくいってなかったんじゃないか。ホーエンハイムの代わりに、ダンテ婆さんとかライラとか、新キャラクターまで出しといたのに、こいつらがまた思わせぶりなだけでグリードにうまく絡んでない。「見せるところは見せる」ことしないと、客は引くぞ。このへん、『エヴァ』に影響受けたと正直に告白してる水島監督の弱点が露呈してる感じね。 グリードとエドをきちんと対決させたのはよかったけど、「釜茹で」はやっぱり見せるべきじゃなかったかなあ。マーテルさんが助かったのは嬉しかったんで、一応評価はプラマイゼロ(^o^)。
アニメの新作情報については、いちいち感想を書いててもキリがないのでたいてい省略してるのだが(実際にゲンブツ見たときに書きゃいいんだし)、ちょっと「なんじゃこりゃあ!」な企画をまた知っちゃったのでとりあえず書いとく。いや、一部、すっげえ怒るか呆れ果てるかするおヒトがいるだろうから(^o^)。 え〜、どんなんかっちゅーと、『戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん』。あの、神林長平の『戦闘妖精雪風』を“美少女萌えアニメ”に「改作」したという、いったい誰が発想したんだと呆れてしまう点では、『サムライ7』か『岩窟王』に匹敵するんじゃないかってくらいの脱力企画である。もともとはアニメーターの山下いくとさんのイタズラ描きから生まれたものだそうだけれど、随分前から模型誌とかに発表されてて、話題になってたとか。そっちの雑誌まではチェックしてなかったから、私が知ったのは今日が初めてである。原作ファン、激怒しないのかなあ、こういうの。 けれど、スタッフ自体はそう悪くない。監督・脚本はもりたけし、絵コンテはもりやまゆうじである。すごくおもしろくなるかもしれないけれど、おもしろくなったらおもしろくなったで、「いいのか、それで?」ってフクザツな心境になっちゃいそうな、ちょっと困ったアニメになりそうなのである。なんかホントに最近、アニメはなんでもアリだわ。 http://www.comptiq.com/top_news/04_09/28_b.html
タカラから“好きな夢を見られるマシン”『夢見工房』ってのが発売されてるそうな。 その正体はと言うと、「照明」、「音楽」、「アロマ」、「音声」の四つの効果で、寝ている間に脳に働きかけて好きな夢を見せようというもの。つまりはいわゆる「睡眠学習」の応用なんだね。受験勉強でこれを試してみた人は結構いるんじゃないかと思うけれど(英単語カセットに吹き込んで、ヘッドホン付けたまま寝たりしてな)、成功したって話はあいにく、聞いたことがない。もっとも、パッケージには「『夢見工房』は、見たい夢に近づくことをサポートするマシン。確実に見られるわけでなく、それをサポートことがコンセプト」と書いてあるそうだから、詐欺にはならんのだろうけれど。 一番の“効果”を上げるのが「音声」で、見たい夢を表すキーワードを3個、本体に録音することができて、これが睡眠中に自動的に再生され、記憶を刺激するのだそうな。例えば、「ハーレム」「ヌード」「もえもえ〜」とか入れたりすると、まっぱだかのせくしぃなねーちゃんとか美少女とか眼鏡っ娘にもみくちゃにされる夢が見られるかもしれないのである。もっともまっぱだかの黒人たちに火だるまにされる夢になっちゃうかもしれないが。つか、自分の声で延々と耳元で「ハーレム」「ハーレム」とか囁かれ続けても、悪夢しか見られんって気しかしないぞ。 ちょっと試してみたいようにも思うのだけれど、価格がいちまんごせんごひゃくよんじゅうえんと、おもちゃにしてはいささか高過ぎるのである。だって、自分でMDに声録音して流すのと何が変わらんの。録音、再生だけなら、2、3千円で安いMDデッキが買えるっしょ。アロマ効果の装置が付いてるとしても、こういうのってせいぜい五千円程度じゃないのかなあ。おもちゃの値段の相場なんて知らんから、「こんなもんだよ」と言われたら「はい、そうですか」としか答えようがないけど。なんかねえ、一瞬は確かに「おもしろそう」とは思うのだけれど、値段聞くと、こんなキカイに頼らんと、自分の意志だけで夢くらい見たらんかい! と言いたくもなるのである。 まあ、世の中は広いから、それでもやっぱり万円出しても買ってる人はいるんだろうな。なんでそこまでして好きな夢見たかったのか、どんな夢を見られたかよりもそっちの気持ちの方を聞いてみたくなるのである。 http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040930/toy159.htm
2003年09月30日(火) 映画の栄華/『ロン先生の虫眼鏡』1巻(光瀬龍・加藤唯史) 2002年09月30日(月) 今時の格闘オタク/アニメ『天地無用! GXP』第1話/『Heaven?』4巻(佐々木倫子)ほか 2001年09月30日(日) 新人さんの名前は?/『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー)ほか 2000年09月30日(土) 邪馬台国と背後霊と泥繋がりと/映画『モンティパイソン 人生狂騒曲』ほか
| 2004年09月29日(水) |
保険屋の勧誘を断わるには/久米田康治『勝手に改蔵 SPECIAL SELECTION』 |
昨日からしげは病院のデイケアに通うようになった。 今のとこ、「火曜日だけ」なのだが、気に入ったらほかの曜日も通いたいと言う。根が体育会系なので、スポーツの日とか行く気マンマンなのである。 まだまだ精神病患者に対する偏見の強い日本においては、こんなふうに気軽に病院通いすることも憚られたりしてしまう場合も多かろうから、しげのように積極的に行けるというのは喜ぶべきことなのであろう。どの程度の治療効果があるか、しばらくは様子見だろうけれど。 昨日のSSTは、しげは初めてなのでとりあえず「見学」扱いだったとか。 患者さんたちが「お題」を出しあって、それにどう返事したらよいか、みんなで考えましょう、という治療法なのだが、何しろお題を出すのも患者さんなので、どこかトンチンカンなのである。 例えば「保険屋に仕事を聞かれたらどう断わるか」とか。なんかシチュエーションが今一つよくわからない。要するに訪問販売にいきなりやってきて、「ご主人のお仕事はなにしてらっしゃるんですか?」とか訊かれたことがある人が出したお題らしいのだが、保険屋ってそんなことまでズケズケと聞いてくるものなのだろうか。私の知り合いの保険屋さんはだいたいムリに勧誘してくるようなことはあまりないんだけどね。もっとも糖尿だのなんだので何度も入院歴のある私を勧誘しようって保険屋もそうそういないだろうが。 プライバシーをやたら聞きたがる保険屋っての、ありえないとまでは言わないけれど、多少は誇張が入ってんじゃないかって気がする。それとも「ちょっとこのひとアタマのネジがちょっくらひん曲がってんのかな」ってことに気付いて、興味本意で詮索した保険屋とかいたんだろうか。だとしたらどうにも腹立たしいことである。 しげはSSTの様子を見ながら、自分もお題を出したいなあ、とウズウズしてたそうな。患者さんで一人、やたら発言したがりのオジサンがいて、「こいつ、うぜえ」と思った、ということなのだが、自分自身、日頃からなにかにつけウルサイくらいに発言したがりなくせに、全く「何を言うのか」なのである。で、患者さんたちが結局どんなふうに勧誘を断わったのかは昨日のことなのにもう覚えてないんだよなあ。SST、役に立ててないじゃん(-_-;)。 しげに、もちっと文才がありゃあ、こういう病院でのデキゴトも面白く語って伝えられるんだろうが、なにしろ言葉に不自由してるし記憶力もないやつなんで、どういうことがあったのか、ディテールについてはよくわからない。そのあたりをうまく説明できるようになれば、しげのコミュニケーション能力も上達したってことになるんだろうけれど、そんな日が来ることがあるのかなあ。デイケアに「作文」ってカリキュラムはなかったような気がするんだけど、そういう日も必要なんじゃないのかな。
ここんとこ三、四日、沖縄で停滞していた台風がようやく九州に上陸。いや、別に待ち望んでたわけじゃないけど。 今年はもう三度目の上陸だけれども、日本上陸自体も8個目で、最多記録を更新したとか。“当たり年”って言い方が適切かどうかは分からないけど、確かに「またかよ」って感じはする。そのわりにそれほど鬱陶しくは感じないのは、福岡自体は大した水害に遭ってはいないせいだろう。例年、水害のたびに父の店は海に沈んでいるのだが、今年はその被害もなし。 今回の台風、海にいたときはやたら進み具合が遅かったくせに、上陸した途端に福岡を避けて、大分から四国に向かってあっという間に通り抜けて行ってしまった。風がひどかったのは午前中から午後にかけての数時間くらいのもの。電車もバスも普通に動いていたし、私ももちろん普通に出勤した。休んでばかりのトンガリさんまで五日ぶりに出勤してたから、普通過ぎるくらいである(仕事が進んでた様子はなかったが)。 退社時間にはまだ雨がかなり降っていたものの、帰宅したときにはほぼ小雨になっていた。感覚的にはちょっと風が強かった、というだけの日であったが、夕刊を見ると、鹿児島あたりの道路はやはり冠水してビルが海に沈んでいるのである。被害状況にやたら差が生じているようだが、福岡だけがまあまあ無事ってのもちょっと気味が悪い。まさかまたどでかいのが次に控えちゃいないかと心配になるが、記録更新はイチローだけで充分なんで、台風には別に頑張ってもらいたくないのである。
『月刊ガンダムエース』11月号。 安彦良和『機動戦士ガンダム ジ・オリジン』はいよいよ完全オリジナル『シャア・セイラ編』の開幕。ネコミミセイラに萌え〜なオタクもウンカのごとく涌いたと思われる今話であるが(^o^)、私としてはシブいオッサンがたくさん出てきてくれるのが楽しい。こないだ死んだガルシアさん見ても思うけど、安彦さん、絶対美少年美少女よりオッサン描く方に力入れてるよな。アニメ本編じゃ名前しか出てないジンバ・ラルとか、あっという間に死んだラスロ・ザビとか、いい味出してんだ、これが。って、オッサンフェチかい、わしゃ。 唐沢なをき『犬ガンダム』、トニーたけざきみたいに毎回単発ネタで行くのかと思ってたら、ちゃんとストーリーが繋がっていて、マチルダ犬も登場。マチルダさんに似せようとすると唐沢さんの絵柄っぽくならないのはご愛敬か。 関係ないけど、うちで昔飼ってた犬は一度も食糞しませんでした。おふくろの躾方、すごくうまかったから、ストレスなかったんだろうなあ。
『手塚治虫マガジン』11月号。 『新・聊斎志異 女郎蜘蛛』にチラッと「手塚治虫のひいじいちゃんの額」が出て来るんだけど、これ、顔はちょっと違ってるけど『陽だまりの樹』の手塚良庵(のちの良仙)だな。発表が『陽だまり』以前の1971年なので、実はこのころからご先祖さまのことを描きたかったんだろう。『手塚治虫マガジン』の評判、必ずしもよくはないようだが、私も全ての手塚作品を読んでるわけではないので(世の中にはそういう御仁が実際にいらっしゃるから怖いのだが)、毎号、未読の短編を読めるのに重宝しているのである。つか、長編は全部読んでるのに自分でも驚く。我々の世代にとって手塚治虫マンガがいかに血肉となっているかの証左であるが、私より数歳下になると、もう手塚作品をあまり読んでない連中が圧倒的に増えるのである。今読んでも面白い作品、たくさんあると思うんだけどなあ。 『陽だまり』もひっそりとアニメ化されたけど、近年の手塚アニメの中じゃ一番、出来がよかった気がする。今度の『ブラック・ジャック』はどうなるかねえ。「これまでの映像化の中でも一番原作に近い」ってのが売りみたいだけど、たいていそういうのって裏切られるからなあ。
マンガ、久米田康治『勝手に改蔵 SPECIAL SELECTION』。 単行本は3巻で買うのやめちゃってたので(例によってしげが「いつまでこんなつまんないの買うんだよ」と嫌ったからである)、完結記念にせめてもの「セレクション版」買い。まあ「つまんない」と言われるのも仕方ないのである。これ、ギャグマンガになってないから。じゃあ何マンガかと言われると困るんだけど、読んでて作者の精神状態が心配になる点では吾妻ひでお、鴨川つばめ、冨樫義博の系列の作家さんなんだよねえ。それはマンガの面白さとは「別物」なので、ジャンル分けなんてできないんである。
任天堂の山内溥相談役が、突然「“劇場用アニメ”を制作する」と発表。 いや、それ自体はそんなにオドロキでもなんでもないのだが、問題はその“題材”なんだね。発表した場所ってのが、山内相談役が理事を務める「小倉百人一首文化財団」が建設した記念殿堂「時雨殿」地鎮祭後の会見の席で、記者から「百人一首をモチーフにした作品を任天堂で展開する予定はありますか?」という質問に対して、「例えば、アニメ映画を制作して、ゲームと連動させたりといったことを提案しようと考えている」とコメントしたというのだね。 「百人一首アニメ」って、何それ(~_~;)。 なんだか「その場限りのコメント」という気がして仕方がないのだが、何をどうやったら百人一首が“映画”になるのか、想像もつかないのである。単に王朝を舞台にして、それに「和歌」を絡めるんかなあ。少なくとも「アニメ」にするんだから、ただ平安貴族が歌読んで終わり、程度のものじゃ売れるわけもない。『陰陽師』みたいにアクションやオカルトで「見せ場」作らないとモノにはならんやろ、と思うんだけれど、なんかなあ、こういうシャチョーさんが自ら音頭取った映画って、大コケするパターンが多いからなあ。『ファイ○ルファ○○ジー』とか(^o^)。 まかり間違っても、『紫式部 源氏物語』とかにならないよう、任天堂の人たちは山内さんを「監視」しとかなきゃマズいんじゃないでしょうかね。
2003年09月29日(月) 痛痒な腰痛/『だめんず・うぉ〜か〜』5巻(倉田真由美) 2002年09月29日(日) やっぱり被害に合うのはしげ。/アニメ『サイボーグ009・地上より永遠に』/DVD『マジンカイザー』第7巻最終話ほか 2001年09月29日(土) 郵便ポストが赤いのも/『エクセル▽サーガ』8巻(六道神士)ほか 2000年09月29日(金) Sashimiと震災の真実とバーブラと/『爺さんと僕の事件帖』2巻(しかくの)ほか
| 2004年09月28日(火) |
立てよ鉄人!/DVD『サムライ7』第1巻 |
休み明けで、今週は4日仕事すればすぐ連休。 なんだけど、そう思うとかえってその4日が長く感じられるのはなぜなんだろう。 仕事の話となるとやっぱりトンガリさんの話になってしまうのだが、今日もまた欠勤。ホントに週に一日、二日しか出てきやしない。トンガリさんに比べたら、オレってなんて仕事してるんだろう、と一瞬、錯覚してしまいそうになるが、最低ラインを基準にして考えても意味はないのである。 「上見て暮らすな下見て暮らせ」ってのはしげのモットーであるが、上も下も見始めたらキリがないからなあ。そもそも絶対評価なんてものがありえるのかどうかという議論はあるが、相対評価に重きを置くことの弊害は確かにあるのである。 なんかまた仕事が遅れるなあ、派遣でもなんでもいいから代わりの人材ほしいよなあ、とかブツブツ文句言いながらパソコン開くと、驚いたことに遅れてた仕事が少しではあるがこなしてある。なんで? 先週は放置されたままだったのに、いつの間に? と思って更新記録を見てみると、なんと日付けは昨日である。 昨日って、土曜出勤の振り替えの休日だったじゃん! つまりなんだ、トンガリさんは昨日が休日であることを忘れて出勤し、とりあえずちょっと仕事して帰った、ということらしいのだ。 アタマほんとにボケてやがんな、出勤してきて誰もいないので(留守番に誰か一人くらいはいたかもしれんが)、きっとビックリしたんだろうな、お気の毒さんなことだ、とは思うが、日頃の行状を思うと同情する気にはなれない。一応、仕事はしたんだからいいじゃないの、と言えればまだいいのだが、それほどの量はこなしていない。昨日まる一日仕事していたわりには溜まった仕事の五分の一も終わってはいないのである。もしかしたら反日くらいで帰っちゃったんじゃないか。こっそり仕事するなら、ちゃんと全部片付けとけよな。 当然、昨日出勤したからって出勤記録には残らない。自主的に休みの日に出て来て働いたってだけのことであるが、トンガリさんのことだから、もしかしたら昨日の分の出勤も給料よこせ、とか言い出すかもしれないなあ。でもって今日はまた休んでるんじゃ、意味ないのである。 仕事が遅れてることに関して「いったいどうなってるんですか」と突き上げ食らってる面もあるんだが、そんなのは給料泥棒飼っててノホホンとしてるおエライさんたちに言ってほしいのである。
今日はしげもマジメに仕事。 迎えには来れないというので、バスで博多駅を回って帰る。バスセンターの紀伊國屋に寄ると、予約していたDVDがどちゃこんと来ていた。『カレイドスター』を全巻買い終わったので、つい安心してほかのシリーズ買いを増やしちゃってたのが、かなり溜まっていたのである。 つか、『ウルトラQ ダークファンタジー』、なんでいきなり2〜3巻同時発売するかな。第1巻だけ特別価格で2000円と客を惹いといて、あとは一気に通常価格1巻につき4000円って、ちょっと商売の仕方、アコギとちゃうか。ちょっと買うのをセーブしたいところなのだが、一度頼んだものは仕方がないので全部買ったけどよう。……ってまさか来月もまた3巻同時発売とかするのか? こないだ返品した『カレイドスター』がダブってた件については、今日は担当責任者の方がいて、丁寧に謝られた。こないだはこの方がいらっしゃらなかったので、代理の人では事情が分からず、多少モメはしたのだが、こうして改めて謝罪されるとかえってこちらのほうが恐縮してしまう。非常に口調がハキハキとされてる方で、印象は「クラスの女委員長タイプ」(ショートカットの眼鏡っ娘なんで、ますます「まんま」である)、そのあたりがちょっと苦手ではあるのだが、DVDが入荷するといちいち連絡を入れてくれるので、仕事ぶりは実に堅実なのである。誰かさんは見習ってほしいくらいだ。 月に二回は確実に連絡が入るので、ついに私の携帯には「紀伊國屋」が登録されてしまった。……なんか、劇団のメンバーより親しくなってないか(^_^;)。
コンビニで「タイムスリップグリコ」の新シリーズが出ていたので、ちょっとばかしオトナ買い(と言っても6個くらいだけど)。今回は『鉄人28号』のみのリリースなので、それなら、と買うことにしたのである。以前は「なつかしシリーズ」とかで、昭和の風俗シリーズとか別にほしくないようなものまで混じってたからなあ。 嬉しいことに、鉄人、ブラツク・オックス、モンスター(ロボットのほうね)と、ダブリなしでゲット。これがミニチュアだってのに関節が実に自在に動く! しかもそれでちゃんとバランス保って立つんだよ、これが! パッケージに、鉄人がブラック・オックスを持ちあげてる写真が載っていたので、試みに、鉄人にモンスターを持ち上げさせてみたら、それでもちゃんと立つのだ! なんという造形! いや、マジで感涙ものですよ、これは。 「フィギュアって呼ぶなよ、食玩じゃん」とワルクチ言ってる人もいるけれど、ここまでのクォリティで作ってくれてたら、これはもう立派にフィギュアって言っていいんじゃないか。ついついパソコンの前でジオラマ作って遊んでしまうのだが、こういうおもちゃを手に入れるとついトシを忘れて没頭しちゃうというのは、基本的に精神年齢がが小学生のころから一歩も前進してないってことなんだなあ(^_^;)。
DVD『サムライ7』第1巻。 「黒澤明原作」って触れ込みだけれど、『七人の侍』の脚本は橋本忍、小國英雄との共作である。これって橋本さんあたりから文句来ないのかなあ。じっさい、「宇宙SF」に仕立てていながら、キャラクターはカンベエにキクチヨ、カツシロウと『七人の侍』そのまんま、“農村の水車小屋で長老が「やるべす!」と言う”シチュエーションまで全く同じというのは、宇宙ものに仕立てた意味が希薄になっちゃってて、言いたかないが「珍品」と評するしかない。そのくせ「百姓」は用語規制で「農民」に言い換えられてるのな。 それにしても自らをサイボーグ化した「野伏せりさま」が、「米俵」を奪っていくってギャップ、こういうのは面白がるべきなのか呆れるべきなのか。とりあえず主人公はイマドキのアニメだからちゃんと美少女(農村の巫女さん。多分、これがいずれカツシロウと恋仲になるんだろうな)になってます(^o^)。ああ、キャラデザインは一応草剪琢仁だけど、過剰な期待はしないようにね。
2003年09月28日(日) 女優に有情/舞台中継『赤鬼 RED DEMON』/『砲神エグザクソン』6巻(園田健一)ほか 2002年09月28日(土) こんぴーたなんて使えません/『まいっちんぐマチコ先生』1・2巻(えびはら武司)/DVDBOX『電人ザボーガー』 2001年09月28日(金) さらば長嶋/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�掘��検憤舵�良和)ほか 2000年09月28日(木) 百鬼夜行とヤオイSFとデクノボーと/『イミューン ぼくたちの敵』(青木和)ほか
| 2004年09月27日(月) |
波瀾万丈……だったかもしれない一日/DVD『北九州モノレール』 |
土曜日に休日出勤だったので、今日は珍しくも平日休業。 一日寝て暮らすというのも選択肢の一つであるが、せっかく平日にうろつけるのであるから、普段行きつけないところに行きたい、ということで、北九州スペースワールドに行く計画を立てていたのだが、天気予報を見ると、あいにく雨のち曇りである。窓の外を見ると、なるほど、結構まとまった雨が降っている。それでも「のち曇り」なら、出掛けても損はあるまい、と判断して、お出掛け決行することにする。
最初は朝から遊び倒しの予定だったのだが、しげが「ちょうどいいから、アタマのおかしい病院にアンタ行かない?」と言う。しげが神経科に通って一年になるので、病院の先生が一度おいで下さい、と言っていたというアレである。……いつも思うのだが、しげが神経科のことを「アタマのおかしい病院」と呼ぶのはどんなもんだろ。病院のアタマがおかしいわけじゃないだろうに。 私は今度の土曜日に行こうかと思っていたのだが、しげは「きっと混むから、今日にしようよ」と言うのである。なるほど、それは確かにその通りだ。 けれど、そうなると午前中はほぼ病院で時間が潰れてしまうわけで、スペースワールドで過ごす時間がかなり取られてしまう。それでもしげは構わんのだろうかと思っていたら、逆にしげから「遊ぶ時間が減るけどいい?」と聞かれてしまった。なんかこの「自分が思ってること」を相手の気持ちにむりやりすりかえて許諾を求めるというのもしげの悪い癖だが、こういうところも何度注意しても改まらないのである。全く、こないだからずっと「デートだデートだ」と心ここにあらずって感じだったのはどこのどいつだよ。
そんなわけで、雨の中、朝の9時から病院へ。 待合を覗くと、それでも2、3人は患者さんが待っている。平日だからと言って、お客さんが少ないというわけでもないらしい。 院長先生と、しげと一緒に面談。先生からは予想していた通り、「この一年で、何か変化はありましたか?」と聞かれる。 「ヒステリーを起こすことは少なくなりましたが、相変わらず家事はしようとしません。一人で活動することができなくて、仕事も休みがちです」と答える。しげにも同じことを聞くが返事は同様。とにかく自分で判断して行動することがどうしてここまでできないのか、なぜここまで物忘れが激しいのか、それがわからない、と訴える。 「父も家内のことは心配してるんですが、『車の運転もできるし、パソコンも扱えるのに、家事ができないとはどうしてだ』って言うんですよ」 「それはそうですよ。車の運転やパソコンは機械的ですからかえって簡単なんです。自分で判断しなきゃならない家事の方がずっと難しくて、今の若い人はその能力自体、低下してるんですね」 しげの生活能力の低さはとてもそれだけだとは思えないが、肝心なのはこれからどうしていくかということである。 「知り合い以外からは電話も取れないとか、不安や恐怖心がかなり強いようなんですが」 「奥さんは奥さんなりに合理的に努力してますよ。何かするときに事前にシミュレーションしたりするのはその表れです。子供のころに経験した外部からの恐怖心が蘇ってくるところに奥さんの場合は、問題の原因があるように思いますね。そのせいで『気持ちはある』けれど、それが実際の行動に移せないんです」 院長先生はそう言って、作業療法士の方を呼ばれた。 「週に一度、火曜日に『SST』、“Social Skills Training”と言って、何か問題に遭遇したときにどう対処するかを実際にトレーニングしてみる療法を行ってるんですが、これに参加してみませんか?」 要するに演劇における「エチュード」である。そういう療法があることは私も聞き知っていたので否やはない。傍らのしげの様子を伺ってみると、目がランランと輝いている。演劇が絡むと途端に元気になるのだから、実に分かりやすいのだが、全くどうしてこの元気が生活一般に発揮されないものなのか。
療法士のSさんに案内されて、教室を見学。SST自体は火曜日しかやっていないのだが、毎日何かしらカリキュラムが組まれていて、患者さんが集まって習字とかもの作りとかスポーツとか、いろいろ行っているそうな。 教室はそう広くはなく、テーブルが三つほど、それぞれに療法士さんを交えて3、4人の患者さんが座っている。奥には畳みの座敷もあって、そこで休むこともできるそうだ。実際、そこで寝っころがってる人がいた。壁には患者さんたちが書いたとおぼしい習字が貼られていて、棚にはフィギュアが飾られている。Zかなんだかのガンダムがあったので、しげが「これどれ?」と私に聞いてくるが、私は「ガンダムはファースト以外認めない」派なので、そんなのは知らないのである。 教室に隣接している別室にはパソコンも置いてある。ネットもできるということなのだろうか、なかなか至れり尽くせりの設備、という感がある。Sさんにそこで今後の説明を聞いて、早速明日から通うことに即決。Sさん、「ここの食事は普通の病院食と違っておいしいですよ」と仰る。これもしげにはかなり魅力かもしれない。
なんだかんだで、病院を出たのが11時。 父に連絡を入れて、店の駐車場に車を置かせてもらう。そこから博多駅までは徒歩、駅弁を買って快速電車に乗り込んで昼食、スペースワールド駅(昔の枝光駅)に到着したときには1時になろうとしていた。雨はまだやまない。しげは「あれとかこれとか乗れないかなあ」と心配していたが、午後から晴れるという天気予報が当たることを祈るばかりである。と言ってもしげが乗りたがるアトラクションはたいてい「水もの」なので、雨でも関係なく動くのだが。
入園すると予想していた通り客は閑散としている。これが休日となると一つのアトラクションに乗るのに20分、30分待ちは当たり前なので、遊園地はやはり平日に限るのである。 最初に観覧車に乗って、しげは駅弁を食べる。さっき買ってたのを、電車内では食べないでいたのである。本当は、観覧車内は飲食禁止なのだが、「ゴミ出さなきゃいいよ」と平然と食っている。全く困ったやつなのだが、煮豆だのサラダだの、食い残したのをいきなり「はい」と手渡されたので、慌てて食った。もう降り口近くて、係員さんの姿が見えかけていたのである。 そのあと、中央スペースドームで、9月末まで開催中の「ゴジラ展」を見る。 年末の『ゴジラ ファイナルウォーズ』を視野に入れてのイベントなので、何か新情報でもあるかと期待していたのだが、中身はこの5月に上京した時、大丸でやってたゴジラ展とほとんど同じ、これまでのシリーズの回顧展だったので拍子抜けしてしまった。スチールやジオラマ展示でさしたる目玉もなく、パンフレットも用意されていない。「ファイナルウォーズ」の設定資料も、さんざん雑誌やネットで紹介されてたイラストがあるばかりで、せめて着ぐるみの写真くらい展示しろよ、と腹が立った。なにかいい土産ものでもあればとショップコーナーを見てみたが、「スペースワールド限定商品」と書いて売ってたゴジラの爪とか背ビレのレプリカ、これがまたやっぱり大丸で売ってたものと同じである。 まさか東京と福岡と、両方のゴジラ展を見にくるバカはいなかろうと思って大うウソこいたのだろうが、バカはやっぱりいるのである。油断するものではない。
水もの好きなしげに誘われて、「アドベンチャークルーズ」に「ファンタジークルーズ」をハシゴ。ここで百円のカッパを買う。山からコースターで池の中に落ちて行くので当然飛沫がかかる。搭乗者はみんなこれを買ってるのだが、おかげでまわりはにわかテルテルボウズの群れか白装束集団、という雰囲気になっていて、なんとなく不穏なムードがなきにしもあらず。雨も降っているし、ちょうどいいと言えばちょうどいいのだが。 しげは「濡れるのが好きだから」と言ってこのカッパを買おうとしない。白い集団の中で、一人だけ黒いというのもなんとなくヒキョウな。まあ錯覚なんだけど。もちろんしげはびしょぬれになったのだけれど、けたけた笑っていて嬉しそうである。このあと「惑星アクア」にも乗ったのだが、やっぱりけたけた笑いまくっていた。だからおまえ、こわいって。
今しかやってないイベントはあと「バイオハザード4Dエグゼクター」だが、看板にはしっかりミラ・ジョボビッチがいるのだが、アトラク映像には登場せず。なんかこれも詐欺にあった気分である。しげは案内役の「タカヤマ」さんが滑舌悪くて気に入ったみたいだったが。客は私たちと若い女の子4人連れだけだったのだが、この子たちが実にけたたましく悲鳴をあげてくれるので、そちらの方がおもしろかった。会場から出て、一人が「うるさくてすみません」と謝ってきたが、なあに、全然謝るこっちゃない。 そのあと「ブギウギスペースコースター」「クリッパー」「宇宙博物館」などを回る。 最後はやっぱりしげのお気に入りの「アクア」を乗り倒す。閉園時間ギリギリまで乗ったのだから、しげも充分満足だろう。「あんたは楽しくないと?」としげは心配そうに聞くのだが、別に楽しんでないわけではなくて、私はもともとアトラクで声を出したりしない、というだけのことである。 適当に土産を買って帰るが、「宇宙ポテト」とか「宇宙クッキー」っていうネーミングセンスはどう判断すべきでしょうかね。ここで珍しくも『北九州モノレール』のDVDを発見する。モノレールに乗ったときの運転手席から見た映像を延々映しているだけというDVDなのだが、こんなん誰が楽しくて買うんだ。かなりなトンデモ物件じゃないのかねえ。もちろん私は即買いしましたが(^o^)。 しげが、こんなの東京にも絶対にないよ! 東京のグータロウさんにプレゼントに送ってあげようよ!」というのだが、滅多にないものがすべて価値があると思っているのなら、それは大きな勘違いというものであろう。
博多に着いたのが7時。 父と待ち合わせて、「ひらお」でてんぷら定食。テレビで人気の店らしく、やたら人が混んでいた。ネタ自体は屋台の味で、まあすごく誉めるほどのものじゃないけど、値段が安いのと、イカの塩辛が食べ放題なのが魅力のようである。 父、帰りしなにその塩辛を買って、土産にくれる。瓶にたっぷり詰めてあるので、一週間くらいは持つだろうか。 帰宅して、『北九州モノレール』を見ていたら、猛然と睡魔に襲われて、そのまま落ちる。……運転席からの映像って、前方の線路しか見えないんだよね。眠くもなりますって。
『天国にいちばん近い島』の作家、森村桂が自殺。享年64。 平成9年ごろから体調を崩し、鬱病による入退院を繰り返していたそうで、その果ての自殺だとすれば、あまりにもその作風とのギャップがひどくて、やりきれない。 森村さんがどれほどのベストセラー作家だったのか、その著書を殆ど見かけなくなってしまった現在では、どんなに言葉を尽くして説明しても若い人にはピンと来ないだろう。昭和40年代、文庫ブームが起きた時の主流作家の一人は紛れもなく森村さんだった。地方の小さな本屋でも、森村さんの文庫本は書棚のひと棚からふた棚、いや、へたをすると三棚くらいは軽く占めていて、他の作家の追随を許さない感があったのだ。 当時は、まさかこれだけ売れている作家が、数年後には誰からも見向きもされなくなるとは、とても想像がつかなかった。私が所持している昭和59(1984)年刊の『続天国にいちばん近い島』の巻末には40冊以上の著書が出版されているように記載されてはいるが、実はそのころには既に現物は殆ど絶版状態だったのである(十年ほど前まで、角川文庫は、おかしなことに絶版本のタイトルを、あたかも現在もまだ流通しているかのように平然とカタログに載せていた)。 しかしそれでも『天国にいちばん近い島』だけは別格だった。なによりもこれは森村さんの出世作であり、その内容も、作家である父・豊田三郎の残した言葉を信じて「この世界のどこかに“天国にいちばん近い島”がある」と、単身ニューカレドニアに渡っていき、そこでさまざまなトラブルに巻きこまれながらも優しい人々との出会いを通して森村さんが自己を回復していくという、ロマンチシズムにあふれた波瀾万丈の傑作冒険物語だったのだ。森村さんが、ウベアの澄み渡った青い海に足をひたして、「お父さんに会った」と感じるその情景、この描写に心を打たれ、涙した読者は何万人、何十万人といることだろう。 「自分さがし」と言ってしまうと今ではすっかり手垢がついて陳腐な表現になってしまったが、父をなくし、社会にもうまく適応できず、それでも「人間らしく生きることとはどういうことなのか」、懸命になって考え、旅に出た女性の、これは魂の放浪記だったのである。大林宣彦監督、原田知世主演の映画は、原作の内容にかなり改変を加えてはいたが、その根幹の部分ではそういった原作の精神を踏襲していたと思う。 角川文庫版は、昭和44(1969)年の初版発行以来、順調に増刷を重ねて来たが、平成6(1994)年に改版され、副題にあった「地球の先っぽにある土人島での物語」が外されてしまった。本文にあった「土人」もすべて「島の人」に書きかえられてしまっている。森村さん自身は「南洋の土人サンのマンガ(※島田啓三『冒険ダン吉』のことかと思われる)で育っていた私には、この言葉が異人サンと同じイメージの、ロマンチックなよび名だった」と語っていたから、この改変は無念なことであったろう。もともと差別性なんか微塵もない言葉だし、ニューカレドニアの人たちが「土人」という言葉に反応するはずもなく、こういう無意味な自主規制は作品の質を落とすものでしかない。改版後ほどなくして、ついに『天国にいちばん近い島』ですら絶版になってしまった。 森村さんの存在は、ある年代以上の女性たちにとっては「救い」であったと思う。めまぐるしい社会に馴染めず、コミュニケーションがヘタで、それでも夢はきっと実現するものと信じ、性善説を信じ、病気や離婚にもめげず、そしてついに新しい伴侶も得て、日本にもう一つの「天国にいちばん近い島」を見つけて、お菓子づくりや絵描きの毎日で、幸せな晩年を過ごすはずだった。そういう人は、絶対に自殺なんてしちゃいけなかった。 そんなふうに思うのは、もちろん読者の勝手な押しつけである。病気の上での自殺であるなら、どんなにやるせなく感じようが、これはもう諦念するしかないことである。森村さんの心からは、かつてはあんなに溢れていた夢も希望も、活力もすべて失われてしまっていたのだろう。どんなに明朗に見える人間もタノトスから完全に逃れる術はない。森村さんの死に、そのことを切実に思う。
2003年09月27日(土) のべつ差別/アニメ『妖獣都市』/『仮面ライダーSPIRITS』5巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) 2002年09月27日(金) トンデモさんがいっぱい/オペレッタ『マリツァ伯爵夫人』 2001年09月27日(木) 「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか 2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)
| 2004年09月26日(日) |
To be or not....../竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻 |
朝方、起きぬけのしげがなんだかベソかいたような顔をしている。 なんだまた鬱か、と思ったらそうではなくて、「オレ、茶碗割ったかもしんない」と言って、真っ二つに割れた茶碗を持ってくきた。 「なんか、足がゴリゴリするなあ、と思ったら、割れてた」 「……そりゃ確実に割ってんだよ」 しげの寝相はかなり悪いのだが、特にその足の破壊力ときらまさに悪魔的と形容するほかはなく、私も何度となく被害に遭っているのである。つか、足元の茶碗くらい片付けてから寝ろよ。 うちにある茶碗だの皿だの、食器類がわじわと減ってきていて、気が付いたらカレー皿やら小振りのどんぶりやらは、今や一人分しかない。私一人のときにはここまで茶碗割ったことはないのになあ。またそのうち百円ショップで皿とか買わにゃならないなあ。うちじゃあ食器の新陳代謝はしょっちゅうなのに、どうしてしげの脳みそは新陳代謝してくれないのだろうか(注・しげのに限らず人間の脳みそは新陳代謝しません)。
しげはひと足先に芝居の練習。私はカメの日光浴と、水換え。 ひところ元気のなかった竜宮亀太郎も、エサを生き餌に変えてから前にも増して食欲旺盛になって、自分よりも2倍弱はデカくなった玄武をモノともせずにその上に乗っかり、エサを食らっている。でも食い方がドヘタくそで、噛んだエサがすぐに口の中からポロポロこぼれるのである。だもんで私は日に一回くらい、しかも少量しかエサをやらないようにしているのだが、しげは「亀キライ」とか言ってるくせに、スキを見てはすぐに水面いっぱいに広がるくらいに餌をばらまくのである。 「だってこいつら、ちょっと顔近づけただけで『エサ?エサ?』って思ってバタ狂うんだもん」としげは言うのだが、だからって大量にやったら、結局は食い残してしまうのである。しばらく経つとそれが下に沈殿して、糞と混じって腐敗する。これですぐ水が濁っちゃうんだよなあ。「部屋の中がカメ臭くなる」って文句言ってるくせに、そうしてる一番の原因はしげにあるのである。 本当は、日光浴は毎日させてやりたいし、水換えも三日に一度はしたいんだけど、しげはそういう協力はする気ないのな。させても水槽割るからさせないけど。
午後から練習に参加。今日の出席者は、桜雅嬢、加藤君、鴉丸嬢、其ノ他君、穂稀嬢。 昨日のことがあったので、果してしげをこのまま使っていいものかどうか、演技の様子を見てみたが、殆ど上達していない。歩き方から「普通に歩く」ことができないのだから、これはかなり重傷である。 普通、人は足を前に出すとき、カカトから真っ直ぐ降ろしていくものだが、しげはガニまたで、足のウラをほぼ平面にぺったんぺったんと降ろしていくのである。幼児かペンギンの歩き方を想像していただければよかろうか、みっともないと言うか滑稽だと言うか、ともかく、こんな珍妙な歩き方では、演じる役柄がどうしても限定されてしまう。シリー・ウォークじゃないんだから。 この十年ずっと、「歩き方がヘンだ、演技にならないから矯正しろ」と言い続けてたのだが、しげは全く改善しようとしなかった。「やってみたけどうまくいかん」ということならともかくも、「普通に歩くとキツい」とか言ってすぐやめてしまうのだから、どんなにエラそうなことを言っても、しげには本気で芝居をする気がないのだ、と断定せざるを得ないのである。キャスト変更したいものの、ともかく人材がいない。はっきり言っちゃえば、ある人くらいしか代役ができる人はいないのである。しかし、「しげの代役なんだけど」と言えば、恐らくは固持されるのは想像がつくのである。となると客演を頼むしかないが、いきなりの主役を依頼できるものでもない。にっちもさっちもいかないのである。 鴉丸嬢からは夕べ電話があって、事情を説明したのだが、「しげさんくらい、芝居のこと考えてる人はいないよ」という返事だった。そんなことは分かっているのである。考えてることを「表現」できないからアタマを抱えているのだ。 「演技の才能とは何か?」というのは実はすごく簡単で、「自分の表現が他者からどのように見られているかを客観的に把握できる」ということである。つまりは「鏡を見ろ」ということなのだが、しげは全然鏡を見ようとしない。 ではしげに演技の才能が全くないかというとそうではなくて、「恥を知らない」がゆえに、「これはできない」という役は基本的にはないのである。これは本来、演技者としては相当な「強み」になるはずなのだが、努力が全く伴わなかった。この十年、直観だけで芝居をしてきたツケがここに来てしげのクビを締めているのである。 加藤君、其ノ他君にも、このままでいいのかどうか聞いてみたのだが、「構わない」ということであった。 「いつ『鬱』が来るかわかんないよ? いいかな、それでも?」 「そのときはなんとかします」 其ノ他君がそういうからには、これは口先だけではない。何かあったら本当になんとかするだろう。となれば、私にはもう何も言うことはない。しげの芝居が形になろうがなるまいが、このまま行くしかないのである。
桜雅、穂稀両嬢は先に退出、残ったメンバーで何となくの流れでカラオケに。カラオケ自体も随分久しぶりだが、加藤君が歌うのを聞くのも今回が初めてである。と言っても日本全国、オタクの歌いっぷりはみんな同じで、アニソン歌えばみんな絶叫するのである。でも声のノビが実にいい。これが演技の時の発声に生かせてないのが残念なくらいだ(^o^)。しげと交互に戦隊ものなんか歌いまくって、盛りあがること。 このメンバーだと全く酒が入らないので、歌いながら乱れてクダ巻いたり、つまんねえオヤジギャグ飛ばしたり、マイク持って離さないようなマナー知らずなやつもおらず、安心して歌えてありがたいのだが、最初に『誰がために』とか絶叫系をリクエストされて、調子に乗ってそんなのばっかし歌ったおかげで、一時間足らずでもう声が出なくなった。其ノ他君の『アニメタル』に合わせて歌ってたときにはもう声がカスレ状態である。明日が仕事じゃなくてホンニよかった(^_^;)。 帰宅したらもうヘロヘロ。日記も付けずに寝る。
マンガ、星里もちる『ルナハイツ』3巻。 少年マンガ描いてたころと違って、最近は時々混じってくる殺伐としたネタがなんだか神経に障る(やりすぎると柳沢きみおになっちゃうからなあ)。今回も怪文書バラまく同僚がいたり、まどりに言い寄る後輩に南條が異常なほど嫉妬心を抱いたり、「作り過ぎ」ていてどこかいやらしい。それでもギリギリ「読める」のは、のほほんとした重さんがいるおかげではなかろうか。この人も今巻ではちょっとだけ殺伐入ってたけど。
野間美由紀『新・パズルゲーム☆はいすくーる』2巻。 掲載誌が変わったせいで、タテ広告のスペースを使っての作者のダベリングコーナーがなくなっちゃったのがちょっとサビシイ。話は相変わらず他愛無いし、トリックと言えるほどのものはないけれど(「春巻き」とかねえ。)、まあ、ムリして作ってないだけ微笑ましい。かと言って過大評価は禁物でミステリ好きには勧められないけど。
竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻(完結)。 あんまり売れ行きよくなかったんで打ち切りだそうな。それでも7巻まで続いたのは竹本さんにしては長期連載なんだけれど。イーナスが美人系じゃなくてカワイイ系だったら、あと3巻は続いてたかな。いや、それより竹本さんのSFが今ひとつ受けないというのは残念でならないのだ。「女神能力」なんてアイデア、そうそう思いつける人いないぞ。ただ女の子どうしがキスしまくるだけのマンガじゃないんだってば。
『悲しみよこんにちは』のフランソワーズ・サガンが24日、心臓疾患のため死去。享年69。 『悲しみ』は今ベストセラーになってたら絶対『かなこん』とか省略されちゃうんだろうな。小説も読んだし映画も見たことは確実なんだけれども、かなり昔なんで、もうおおざっぱな筋しか覚えてない。映画は原作に忠実だったって記憶があるけれども、ホントにそうだったろうか? ファザコンな少女がヤモメな父の新恋人を事故に見せかけて殺すって話だったから、見ようによってはこれもミステリーである。今だったら特にショッキングな物語でもないけれども、当時大ヒットしたのは、それがやはり「18歳の少女」によって書かれた(しかも美少女)という事実が、話題をスキャンダラスなまでに大きくした要因だったろう。 ただ、そう言いきってしまうと、じゃあサガンは「年齢のせいだけで」売れたのかって勘違いされてしまいかねないのだが、必ずしもそうではなかったのではないかと思う。小説自体ウロオボエの私が言い切っちゃうのは多少乱暴ではあるのだが、「つまんなかった」という記憶はないので、充分内容を伴ったものだったろう、と推測しているのである。 ではサガンは綿矢りさのルーツなのかってことになるけれども、『蹴りたい背中』のように、読んではみたけど、改めて大の大人がああだこうだと語り合うにはどこか気恥ずかしく感じる雰囲気ってのはサガンにはなかった。綿矢りさは「現象」だけれども、サガンは「事件」だった。だからかつては女子学生が「サガンを片手に歩く」というのがステイタスたりえたのである。残念ながら日本の女流作家で、たとえ作品が読まれてはいても、そのような形でステイタスたりえた作家はまだいない。いったいサガンの「何が」ほかの作家たちと違っていたのだろうか。 それはヌーヴェル・バーグの雰囲気を直接的には知らない私には、これこれこうとうまく説明はできないし、個人主義がどうのこうのと、マコトシヤカなウソを並べたてる気はないのだけれど、『悲しみ』が「少女」という存在を、圧倒的な「強者」として成立させた、という点だけは間違いない事実だと思うのである。その「思想」は換骨奪胎されて、日本の「少女マンガ」にも受け継がれた。少女が主導権を握る時代を予見したということで、サガンは少女マンガ家たちの心のルーツでもあるのである。
2003年09月26日(金) 真剣に死刑/『ワイド版 風雲児たち』16巻(みなもと太郎)/『サトラレ』5巻(佐藤マコト) 2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか 2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか 2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ
| 2004年09月25日(土) |
だから鬱になってるヨユーなんてないんだって/『鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』 |
いよいよ仕事が立て込んできて、なんかまだ病み上がり感覚の身にはいささかキツイ。 取りまとめなきゃならない仕事が二つ三つ重なってるので、あちこちの関係者に進行をせっつかないといけないのだが、思った通り、だいたいみんな仕事してくれてない。そのことは見越して、当然スケジュールに余裕は持たしてるのだが、各所に頼んだ仕事、ちゃんとシメキリ通りに仕上げてくれた人が一人しかいないというのは、ちょっとみんな仕事サボリすぎじゃねえのか。これじゃあトンガリさんから「あんたたちだって仕事してないでしょ!」と逆ギレされるのもムリはないのである。もちろん、トンガリさんも、頼んだ仕事、見事にぶっちこいてくれてましたとも。
でも今日はトンガリさんのことで腹を立てる段ではなかった。 またまたまたしげが鬱に入り、ひと騒動やらかしてくれてたのである。 朝方は「迎えに行くから電話よこしてね」と言っていたしげ、帰りになって連絡を入れても、どうやら携帯の電源自体切っているらしく、「お留守番サービス」にしか繋がらない。 仕方なく帰宅してみると、今日は仕事のはずなのに準備もせずに寝こいている。 「仕事は? 昨日もおとといも休んでるから、今日は行くんじゃなかったのか?」 「行かん」 「どうして」 「……」 具合が悪い時にはしげはちゃんとその旨はっきり言う。黙っているということは、ただのサボリだということだ。 「なんで理由が言えないんだよ」 しばらく押し問答をしていたら、ようやくか細い声で「理由はない」と答えた。 「……もう、仕事したくないのか? 店、やめるのか?」 「……」 「仕事せんと、芝居もできんやろうが。どうするとや?」 「……」 「仕事ちゃんと行ってこい。今からなら間に合うやろ」 「もう『行かん』って言ったもん」 「だから、それを『行きます』ってもう一度連絡しろってんだよ。まだ間に合おうが」 「……」 「芝居もする気ないとや?」 「……」 「自分のしたいことも言えんのか。だったら公演なんかできんめえもん。仕事行かんのなら、みんなに公演は中止するってメール送るぞ。それでもいいとや?」 「……」 これはもうどうしようもない、と、しげの目の前で次のようなメールを劇団の主だったメンバーに送った。
> 女房がやる気なくしたんで、今度の公演は中止します。突然ですがすみません。連絡も取らないで下さい。
実際に本気で公演を中止するつもりだったのかどうか、と疑問に思われる方もいらっしゃるだろうが、9割9分本気だった。私の目から見ればしげは全くと言っていいほど芝居に本気で取り組んではいない。今まで何度もしげに芝居のキャストだのスタッフだのに引きずりこまれながら、私が途中で抜けることが多かったのは、「お前がヒステリーを起こすようなら芝居には協力しない」という約束を一度もしげが守れなかったからである。「起きるものは仕方がない」などという言い草はモノ作りには通らない。医者が手術の失敗を「調子が悪かった」で済まされるものではないのと同じだ。 何でもそうだが、「本気でやりたい」と思うのなら、誰でもそのための下準備はする。それは単に先立つものが必要、とかそういう物理的なことだけでなく、自分の心構えの問題でもある。生活を切り崩してまで芝居に打ちこむ覚悟があるなら、それはそれで構わない。しかし結局は私に甘えることでしか芝居がやれない、というのなら、そりゃ根本的に生き方自体、間違えている。自分で自分の生活立てた上で芝居やるんじゃなきゃ、何の意味があるか。なんだかんだでしげは既に私に7万円、返せるアテもない借金を作っているのだ。練習に出ても演技プランをマジメに考えてる様子もない。これでは私もこれ以上は協力のしようがないのである。被害が大きくなる前にやめさせるのも仕方がないと、考えていた矢先だった。 ただし、「連絡を取らないで下さい」と書いたのは、残りの1分、しげが改心する可能性をそれだけは残しておいたからである。これは「少し時間をくれ」というPPのみんなへの「腹芸」だったのであるが、それに気が付かずにすぐさま「どういうこと?」とメールを送ってきたのが若干名いた(^_^;)。全く、行間を読むことができないヤツラである。 メールの返事はほったらかしといて、しげに詰め寄る。 「仕事もやめるなら、挨拶に行こう。一人で行けないなら、オレも付いてって、一緒に頭を下げてやる。ウソついて仕事休んでばかりですみませんって謝ってやる。劇団のみんなにもちゃんと謝ってまわれ。それくらいのケジメは付けれるな?」 「……」 「返事せんか。もうみんなにはメール送ったんだから、これからどうするかは決定したろうが。いったん『行けない』って連絡入れたら、もうあと戻りはできないんだろ?」 「……」 ……まあ、このくらいの「ほのめかし」ではしげは私が何が言いたいかはわからない。 「さっき、仕事に行けって言ったとき、『もう、一度“行けない”って言っちゃったから、訂正はできない』って思ったんだろ?」 「……」 『黙っとったってわからんやろうが。なんで自分の意志なのにはっきり言えんとや。結局、おまえは何がしたいとや?』 「……」 「したいことはないんか」 「……芝居がしたい」 「聞こえん」 「芝居がしたい」 まだ全然か細い声だったが、泣いてはいなかった。 「仕事はどうするとや」 「行く」 「なら、店に電話してこい」 しげが電話している間に、私は劇団のみんなに「お詫び」のメールを送った。
> 先ほどは、突然の内容のメールでご心配をおかけしまして申し訳ありません。 > 実は、女房がまた鬱になってしまい、仕事もここんとこずっとサボリ、今日も病気だとうそついて休もうとする、当然、収入がないからパピオの使用料も払っておらず、私からも既に七万円借りたままで返す当てもない、いったいこれからどうするつもりなのか、問いただしてみても返事もしない、もうどうしようもない状態になったので、これはとても芝居がやれる状態じゃないと思って、PPのメンバー全員に先ほどのメールをお送りしたのです。 > メールを送っている間、情けないことに女房は私を止めようともしませんでした。 > そのあと、「言いたいことも言えんで芝居やろうなんてふざけたこと言うな!」と言ったら、ようやく「芝居やりたい。仕事も行く」と言い出しました。 > みなさんご存知の通り、女房は心の病気で意志薄弱です。優しくものを言っただけでは、自分で決断せずにすぐに逃げようとします。一旦は追い詰めないと、ちゃんと返事させることもできなかったのだとお察し下さい。 > 予定通り公演は行いますし、明日の練習もありますが、女房はこういう感じでいつまた鬱になって逃げようとするかわかりません。キャスト変更も含めて、どうしたらいいか、みんなで相談した方がいいと思います。明日はそういう話もしたいと思いますので、お見えになれない方もご意見をお寄せ頂けると有り難いです。
正直、しげのキャストだけは変えてしまいたいのだが、ほかにやる気のあるやつがいないのである。と言うかよ、やる気ないヤツが揃ってるのに、劇団維持する意味なんてないってホントに思うんだけどねえ。しげが「今度の公演で引退する」って宣言したあとも、「じゃあ自分が引き継いで」って言い出したやつは現れなかったし。 私は芝居が好きだ。好きなのだが、だからこそ本気で芝居が好きでもないやつと組んで公演を売ってく気なんて、サラサラない。今度の芝居を最後に解散してしまっても構わないと思っているのである。
『TVアニメ 鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』。 原作ファンの方には申し訳ないが、私は原作よりアニメ版のほうが面白いと思ってる派である。もちろんメディアが違うので単純比較はできないし、優劣を競うのも無意味だ。「面白い」ってのはただの「感想」なんで気にしないように。ただ、そこには当然理由があって、それはこのシナリオ集の水島精二監督の脚注を見ればよく分かる。私が「ここのセリフはうまく原作をシェイプアップしてるな」って思ったとこ、脚本家の會川昇さんの功績かと思ってたら、殆ど水島さんの改訂だった。原作の量が少ない分、構成に手を入れてはいるものの、元の會川さんの脚本はかなり原作に忠実なのである。 映像にする場合、「語りすぎ」「描きすぎ」は禁物なんで、原作にあった「いいセリフ」「いい絵」ってのは必ずしも全部は使えない。ましてや、少ない原作を補完するために多数の設定の付け加え、改変を行わざるをえなかったので、やむをえずカットしたってとこもあると思う。逆にそこをカットできないと、作品はふやけたものにしかならない。原作に人気があってもアニメはコケてって例は多いけど、これはやっぱマンガのアニメ化としてはかなり理想形に近い演出で作られてるのは間違いないのである。井上敏樹の脚本の回だけはふやけてるけど(^o^)。
横山光輝原作・長谷川裕一漫画『鉄人28号 皇帝の紋章』2巻。 新アニメシリーズの辛気臭さ、無意味な勿体つけ、青臭くて鼻につくメッセージ性に比べると、長谷川さんの「まんが」っぷりには感動すら覚えてしまう。正太郎、ちゃんと「探偵」してるしさ(アニメ版の正太郎は慨嘆するばかりで冷静さがない)。「なぜオックスは飛べないのか?」なんてセリフ、ゾクゾクするよ。ロボットバトルロイヤルも次巻はいよいよ大詰めになりそうな予感。鉄人・オックスのタッグ対ギャロンか? これは燃えるぜ!
和田慎二『スケバン刑事』(完全版)2巻。 描き降ろしカバー、海槌麗巳が随分優しい表情になってるけど、これって『if』を書いた「後遺症」かな?(^_^;) サキも今描くとかなり「カワイイ系」に近くなってる。連載当時ですら古臭い絵で、説明的なセリフは多いし、キャラの底は浅い、正直つまんないマンガだったんで、少女マンガ誌じゃなきゃ目立ちもしなかったろう。それでも今巻の『無法の街』とかは好きなエピソードだったな。町ぐるみ排他的ってとこは、実際あるしね。
島本和彦原作、『逆境ナイン』の実写映画化が進行中である。 原作者の島本さんのHP『島本和彦外伝』の本日の日記で、その撮影現場の様子が“熱く”レポートされているのだが、ちょっとサビシイ気分になってしまったのは、「原作のマンガが現在手に入らないのが申し訳ないが」とか、「エキストラの女の子の99.999%は原作マンガなんて知らないんだろうなあ(笑)」なんて自嘲的に書かれているあたり。 ごく一部の島本和彦ファンが撮影現場にも来ていて、島本さんに気付いてサインを求めてきたのだが、そのあと「あれは誰?」とばかりに「島本和彦なんて知らない人」までもが我も我もと押し寄せて、「団扇だとかTシャツとか帽子とか携帯の電池入れ(を外した裏)だとか紙コップを開いたもの」にサインを求めたのだという。これにまた島本さんが腹を立てもせず、いちいち全部サインしてあげてたというのだから、もう泣けてくるじゃないか。島本さん、「あの場所ではアレが楽しかったからやったのだ。漫画家はそれくらいしか感謝の気持を表せないからなあ」なんて書かれてるけど、別にエラぶった人でなくたって、これは断っても当然のことだ。感謝って、自分のファンでもない人たちになんで感謝の印を見せるんだよ。いい人過ぎるよ島本さん(+_;)。紙コップに描いてもらったサインなんて、そいつ、ウチに持って帰ったら捨てちゃうに決まってるじゃないか。 なんかすごくアタリマエなことを書くのは気が引けるのだが、サインって、憧れの人のものをほしがるものじゃないのか? たとえ有名人であっても、別にファンでもなんでもない人のサインをもらって嬉しいのか? シティボーイズのギャグで「海老名みどりをおっかけてどうする」ってのがあったけど、「有名人ならそれでいい」っていう態度、例えば「宅間守のサインが欲しい」ってのと同レベルで「島本和彦のサインが欲しい」と言ってるのに等しいんだぞ(ここで「宅間守のサインなら欲しいよ」とか突っ込む人、アンタは帰れ)。 昨年だったか、私は天神で、歌手の白井貴子のサイン会に偶然出くわしたことがあった。実は私は、学生のころ、彼女のコンサートに一回だけ行ったことがある程度のファンではあった(^.^)。すんごい小さい方なのだけれども、いつでも可憐でパワフルで、今でも好きなことは好きなのだ。けれども、最近はCDも買っていないので、これで「ファンでござい」とサインの行列に並ぶのはあまりにも失礼だと思った。たとえあちらにファンかそうでないか気が付かれないとしても、サイン欲しさに「フリ」をするような下劣なまねはしたくない。別にカッコつけでも何でもなく、自然にそう思うのだ。結局私は、白井さんのトークをちょっと聞いただけでその場を離れた。 『逆境ナイン』のコミックス、とうに絶版になっている(つか、キャプテンコミックス自体が全部入手不可能になっている)。マンガがアニメ化されたことだって殆どない(『炎の転校生』がオリジナル・レーザーディスク・アニメになったくらいだが、レーザーディスクがまだ普及してないころで、これがもののみごとに売れなかった。製作したガイナックスは大馬鹿である)。一般に島本さんを知らない人がいるのもムリはない。 けれど、一般人は知らないかもしれないけれど、もしも誰か評論家が本気で「現代マンガ史」を編もうとしたら、島本さんは絶対に外せない人なんだぞ(と思うんだけどなあ)。パロディでコメディを描くマンガ家さんはそれまでにもたくさんいたが、“パロディでストーリーマンガを描く”なんてスタイルを発明していきなり確立しちゃったのは、島本さんが殆ど初めてなのである。“エポック・メーキング”な人なのだ、島本さんは。それなのにご本人自身が謙遜するように「知られてない」みたいなことを仰るなんて……嗚呼(TロT)。 だから逆に、この映画がきっかけになって、コミックスの復刊とか、そういうことがあったらなあと思うのである。もっと知られよ島本和彦。羽住英一郎監督、もしかしたら“それを狙って”『逆境ナイン』を映画化しようと企んだのではなかろうか。ともかく原作に惚れこんでいなければ、数ある島本マンガでもよりによってコレを「映画にしよう」なんて発想は、絶対にありえない。なんつーかね、野球マンガのフリしてこれ、ぜんっぜん野球マンガじゃないんだから。 梶原一騎的“やればできる”精神主義を、本質的にはただのヘタレな連中にあえて語らせて「ズレ」を生じさせてギャグに落とす。「逆境に燃える」のは分かるけど、実力が伴わなきゃ、普通は絶対勝てないもんだ。つまり、こういう「勘違いな連中」が、ストーリー展開としてはケチョンケチョンにやられて終わり、というのが「これまでのギャグマンガ」の笑いどころだったわけだ。 ところがこのマンガではそれをムリヤリ「勝利」に持って行くという、ありえないことをやらかしてるんだね(^o^)。登場キャラクターたちはみんなその「勝利」に感動してるんだけど、読んでる方はただひたすら「唖然」である。 これは実は、ジャンプ的「友情・努力・勝利」の完全否定なんだね。当然この観念も梶原一騎の影響下にあるもので、彼らの勝利は「真の」友情の結果でもなければ、「真の」努力の成果でもない。どんなに「それらしい燃える言葉」が羅列されようと、彼らの勝利は「なぜか勝ってしまった」としか言いようがないものである。客観的にヒレツな行為ですら、登場人物たちの“誰一人として”ヒレツだと思わなければ(つか、「堂々と言い放って」言いくるめられれば)何となく許されてしまう。主人公の不屈闘志の「堂々としたヒレツ」なキャラクターに、ほかのキャラクターたちが全て巻き込まれて「洗脳」されていってしまい、結果的に「誰もがヒレツだけど立派に見えてしまう」という、トンデモない世界が現出してしまうのだ。散々非道なことやっといて、「それはそれ!! これはこれ!!」と堂々と言い張るようなもんで(ちゃんと作中でそう言ってるのである)、基本的に詐欺と変わらんのだよなあ、このマンガ(^_^;)。 でも、だからこそ面白い。梶原一騎的熱血スポコン漫画だったら、こいつらは真っ先に「粛清」されてしまう軟弱キャラだ。だって、こいつら、基本的に精神主義ではあるけれども、カジワラ的な「修行」はしてないから。つか、カジワラの修行にだって実は意味なんてなかったのだが、その「無意味な修行」がなぜか結果を出してしまうという点をパロディにして最後までそれを押し通しているのである。彼らは「自分たちは軟弱ではない」と「根拠もなく」思いこむことによって、ただ勝利していく。結果的にそこでは友情も努力も、そして勝利の価値さえも無化されていく。島本マンガの本質は「燃える無意味」なのであり、「勘違い人生でどこが悪い。みんな勘違いして生きてんだ!」という堂々たる主張なのである。もっとも、キャラクターたちはみんなバカなので、自分たちの行動が客観的にどう見えるか全然自覚してないが。 ……まあ、ホントに「努力が大切」と信じてる人には嫌われるし、人気は出ないわな、こういうマンガ(^_^;)。でも、羽住英一郎監督は島本マンガの本質をちゃんと「分かってる」と思うのである。でなきゃ、サカキバラ・ゴウ役にココリコ田中を起用したりしませんて。まあたいていのマンガファンは藤岡弘、(「、」を忘れないでね)のイメージでサカキバラを見てるとは思うんだけど、藤岡さんに演じさせたら藤岡さん自身のセルフ・パロになっちゃうから、それはあまりに失礼というものなのである。藤岡さんはいつだって真剣にヒーローを体現すべく努力されているのだから、ファンを自認する者ならば、たとえそれが「藤岡弘、探検隊」であろうが決してツッコんじゃいけないのである。
2003年09月25日(木) 文化の分化/『浪花少年探偵団』(東野圭吾・沖本秀子)/『探偵学園Q』12巻(天樹征丸・さとうふみや) 2002年09月25日(水) まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか 2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき) 2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか
| 2004年09月24日(金) |
週末だけど週末じゃない/『なんてっ探偵アイドル』18巻(完結) |
もう出勤してくれなくていいのになあ、と思っているとやっぱりしぶとく出勤してきたトンガリさんであるが、なんか反省したかというともちろんそんなことするわきゃないのである。それどころか、私が出した資料について、「ここんとこがおかしいのではないか」と文句を付けてきた。 あのさあ、そこんとこはね、アンタが資料提出してくんなかったから、私が調べて訂正したとこなんだよね(-_-;)。そのこと、会議の席上でも言ってたのに、何も聞いてなかったんだなあ。つか、聞いていてもトンガリさんのつるぺたな脳みそでは理解できなかったに違いない。なるほど、会議に出たがらないはずである。 この分だとトンガリさん、この先またどれだけミスをするか見当もつかない。完璧な人間なんてものはいないが、かと言って、ここまで無能なのがハッキリとした人間もそうはいない。これで堂々と給料貰ってるんだから、全く、世の中をナメて生きてく人間も増えようというものである。
仕事の合間に、職場の若い連中と、映画の話などで弾む。 アタマの回転はそんなによくはないのだが(^o^)、やたら映画が好きなやつがいて、月に数本は映画を見に行っている。若いやつらの財政状態を考えれば、これは充分「映画ファン」と称してよいくらい、見に行っている方だと言えるだろう。 最近は『ヴィレッジ』を見に行ってきたそうだが、ちゃんと「マナー」を守って、見てない連中がいる前ではオチを言わない。この程度のことも守れないヤカラが多いことを思うと、なんだかすごく貴重に思える。 お喋りしているうちについつい気分が高揚してきて、 「映画も本もさあ、世間の評判とか人の批評とか気にしなくていいんだよ。自分が面白いと思ったものは、ほかの誰が何と言おうと好きだって言わなきゃな」 とか、エラソウなことを言う。でも実際その通りなんで、一つの映画を「語り尽くす」ことなんて、もともと不可能なことだ。結局、人は自分の知る限りの範囲でしかものが見えない。自分の「限定された知識と教養」に基づく視点でしかモノは語れないのである。意見が対立する、というのは、実際はお互いの「視点」が違っているに過ぎない場合も多い。だから、事実誤認による勘違いなどは除いて、よっぽどのことがない限り、映画の感想で「間違って」いることなどはありえない。だから、自信を持って映画を語って構わないのである。
仕事のないしげ、定刻通りに迎えに来る。 しげ、今日のカウンセリングで、担当のカウンセラーさんに本を勧められたとか。 タイトルは、『高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て』(吉田友子・著)というもので、どうやらカウンセラーさんは、しげの病気はこれではないか、と考えていらっしゃるらしい。 私には「自閉症」の知識は殆どない。単なる「ヒキコモリ」ではなく、脳の疾患かなんかだったような、ってことをなんとなく聞いたことがあるが、そう言われてみると、しげの症状に当てはまるような気もしてくる。カウンセラーさんは私にもこれを読んでほしいような感じだったらしい。しげは「専門家でもない人間がそういうの読みたがるのってヘン?」と聞いてくるが、別にヘンでもなんでもなかろう。「人間」に興味のある人なら誰でも一度は心理学関係の本に手を伸ばすものである。 しげがすぐにでもその本を買いたいと言うので、「ダイヤモンドシティ」に行く。 回転寿司屋で食事をしたあと、「フタバ図書」へ。ここは本の検索ナビがあるので、特定の本を探すのには便利である。面積や書籍数だけでなく、こういうサービスがあるかないかでも本屋の差は生じてくる。ほかの本屋に比べて紀伊國屋やフタバ図書をついヒイキしてしまうのも、検索ナビがあるって点が大きいのだ。 フタバ図書では目的の本が見つからなかったので、とって返して博多駅に向かう。 いつもは本屋を何軒も回るのはめんどくさがるしげなのに、今日はえらく積極的だ。こういう積極性がどうして家事に向けられないのか不思議なのだけれども。 紀伊國屋では、本は一発で見つかった。ここで見つからなかったら、天神あたりまで足を伸ばすしかなかったのでホッとする。……そう言えば天神の「本屋戦争」、状況はどうなっているのかな。書籍数ではビルまるまる一つが本屋の「ジュンク堂」が筆頭だろうが、本の数が多いからと言って、必ずしも勝負が決するわけでもない。裏通りのジュンク堂より、三越の「八重洲ブックセンター」や福ビルの「丸善」、天神コアの「紀伊國屋」の方が客は入りやすかろうし。もっとも私が天神で入る本屋は、「福家書店」と「アニメイト」が専ら。天神くんだりまで出て、なんでわざわざ普通の本屋に入らなきゃならんか。……あー、でも「まんだらけ」と「とらのあな」はやや避けてます。だって雰囲気、暗いんだもん。
金曜日の夜はたいてい映画に行くのだが、明日が休日出勤かつ早朝出勤の予定なので、早めに帰ることにする。本もたくさん買いこんだし、結局夜更かしすることになるとは思うのだが(^_^;)。
読んだ本、ハイ・コンラッド『名探偵はきみだ 証拠をつかめ』。 『2分間ミステリ』に代表される推理クイズ集の一冊。前書きで「かなり難しいトリックです」とか、作者が威張って書いてたんで、ちょっと期待したんだけど、実際の出来はごく普通。クイズ集なのでかなりムリなトリックもあり、「この程度のレベルだろう」と目算を付けて読んで行けば、殆どのトリックは見破れる。ミステリマニアならこれをもとに「もっといいトリック」ほ思いつくことも可能だろう。やっぱこんなクイズ集じゃなくて、一冊まるごと「小説」を読んだほうがオモロかろ。
マンガ、奥田ひとし『新天地無用! 魎皇鬼』7巻。 車椅子の少女が絵本作家になるまでを描く42・43話とか、『天地』シリーズがまさに旬のころに読んでたら、すごく感動したと思うんだけど、なんかもう今更って感じね。つか、『天地』でやんなくてもいい話じゃんか。奥田さん、こういうの描ける実力あるんだし、もう『天地』から離れてオリジナルマンガ描いた方がいいと思う。初期のころはアニメの絵にできるだけ近く描こうとしてたけど、今やレッキとした「奥田絵」にもなってんだから。
井上敏樹・北崎拓『なんてっ探偵アイドル』18巻(完結)。 ああ、やっと終わった。アイドルで探偵というシチュエーションと、北崎さんの描く女の子の絵が昔から好きだったから、ともかくも買ってきたのだけれど、まさかここまで続くとはねえ。でもラストはアキラたちのネクスト・ジェネレーションも登場して、それなりに感動っぽくまとまったので、まあいいか。「アイドルはいずれ衰え、消えゆくからこそ真に美しい」ってセリフ、陳腐ではあるけど真実だ。このセリフが聞けただけで充分満足。
『MIND GAME』のSTUDIO4℃が製作するインターネットアニメーション『きまぐれロボット』、表題作ほか、星新一のショート・ショート10本をYahoo! JAPAN内の特設サイトで無料配信して、その後DVDとして販売するとか。 無料配信するんだったらそのあと売れるんかい、という懸念がないわけでもないが、星新一だしなあ、STUDIO4℃だしなあ、音楽も『MIND GAME』のときと同じ『山本精一と不思議ロボット』だしなあ。 オレ、うっかり買うかも(~_~;)。 少なくとも、製作したアニメの9割が実は駄作というガイナックスの『小松左京アニメ劇場』よりは絶対に面白くなると思うんである(『王立』とか『エヴァ』とか、傑作は数本しかないぞ、あそこは)。ああ、思い出すに、ありゃひどかった。ビデオ買ったけど。 声優はインパルスの板倉俊之と、タレントのMEGUMIの2人だけ、全作二人芝居の形式で行くってことだけど、『鉄腕アトム』出演時のMEGUMIの声聞いてるとさあ、不安が・ちょっと・ねえ(^_^;)。ニュース記事じゃ「MEGUMIが声優に挑戦」とか書いてるけど、『アトム』はMEGUMIにとっては「なかったこと」になってんのか? 今度のも結果的に「なかったこと」になっちゃわなきゃいいけど。……いや、あの子は決してチチだけの子じゃなくて、タレントとして才能はあると思うけど、声優道はあまり修行にゃなんないと思うんだけどねえ。
ゲームにはもうとんとご無沙汰なんで、そっち方面の「カン」はすっかり鈍っているのだけれど、年内発売が予定されている任天堂の新ハード、ニンテンドーDS、これは買うべきなのか買わざるべきなのか、いったいどっちなんでしょ? セガサターンの二の舞になんなきゃいいんだけどねえ。 気になってるソフトがひとつあって、セガがこの新機種に参入するタイトルのひとつで、『きみのためなら死ねる』というもの。思わず「岩清水」(もちろん『1・2の三四郎』の方である。アレまでまさか「探偵マンガ」になるとはなあ)を連想した方はもう相当なご年配(^o^)。 次々に訪れる彼女の危機を、タッチパネル機能など様々なDSの機能を使って救っていく「恋愛?ゲーム」だそうな。……気になりはするけど、プレイして行くうちにだんだん引いてきゃしないかなあ。タイトルからして、プレイヤーそっちのけでキャラが勝手に暴走して行きそうだし。救おーが救うまいが、どーだっていー、って気持ちにさせちゃうとコケるんじゃないかなあ。
2003年09月24日(水) クノイチのミノウチ/『新天地無用!魎皇鬼』5巻(奥田ひとし)/『全日本妹選手権!!』5巻(堂高しげる)ほか 2002年09月24日(火) チチに弱い男ばかりじゃねーぞ/『アフター0 著者再編集版』3・4巻(岡崎二郎)ほか 2001年09月24日(月) 荒らしを起こして♪/DVD『マジンカイザー』1巻/『KUNIE』1巻(ゆうきまさみ)ほか 2000年09月24日(日) ○○と○○はどちらが臭いか…汚ねえな/『いつも美空』1巻(あだち充)ほか
| 2004年09月23日(木) |
クレーマーになんかなりたかないが。/『暗号名はBF』3巻 |
昨日、朝食用にとサンドイッチを買っていたのだが、冷蔵庫の中に置いてない。 買い物を冷蔵庫に仕舞ったのはしげなので、いったいどこに片付けたのか聞いてみたのだが、「ちゃんと冷蔵庫に入れた」と言うばかりである。 「だってあったもん!」としげは力説するのだが、事実、ないものはないのである。 こういうときは十中八九、しげの思いこみで、実際にはあのあほがどこかに置き忘れたとか、別のところに片付けたのを勘違いしているとか、そんなんなのである。 で、今日になって、しげがサンドイッチをどこに片付けていたかが判明した。「冷蔵庫」にではなく、うっかり「冷凍庫」の中に片付けていたのである。サンドイッチはカチンカチン。多分、無意識のうちにそこに突っ込んでしまい、そのまま自分では「冷蔵庫に入れた」と記憶を捏造していたのだろう。人にはこういう勘違いもたまにはあるものだが、しげの場合はしょっちゅうなので、これが実に困るのである。
で、今日は実はもう一つやらかしてくれたのだった。 こないだの大掃除以来、DVD『ケロロ軍曹』の1巻がどこかに行ってしまっていた。まあ、かなりな量の本の山の中で暮らしているから、アレがどこに行ったコレがどこに行ったというのはしょっちゅうなのだが、『ケロロ』の場合は、私が「確かにここに置いといたのになあ」と思っていた場所になく、どこかに雲隠れしてしまっていたのである。 これもまたしげの仕業かもしれないと疑いながら、一応、自分が置き忘れた可能性のあるところは全て探してみた。私だって、何かあったときいつでもしげに責任を負わせているわけではなく、自分自身にも疑いの目を向けているのである。それでもどうしても見つからないので、しげに「『ケロロ軍曹』、どこかに片付けてないか?」と聞いてみたが、「見たこともないよ。緑のカバー?」の返事。 これで、逆に「しげが犯人だな」と見当がついた。「自分では扱わない」と言っていながら「緑」というイメージだけはちゃんとある。しげの貧弱な想像力で「緑のカバー」なんて言葉が出てくるはずがない。やはりどこかに片付けといて、その行為自体忘れてしまっているのだが、色のイメージだけは残っているのである。 しげが山積にしていた本の山を探してみると、やはりそこにあった。DVDは上に乗せられた本の重みで今にも潰れそうである。慌てて上の本を床に降ろして、DVDを取り出した。幸い、損傷はなかったようだが放置しといたらそのうち割れてしまっていたろう。これだからしげの言葉は信用できないのである。 そういうわけで、しけが積み上げてた山を居間の床に広げたので、また部屋は床面積が狭くなってしまいました。……ウチの中が整理できる日はいつ来るのでしょう(T∇T)。
午前中は買い物、「レッドキャベツ」で水を汲んだあと、博多駅の紀伊國屋へ。 ここのDVD売り場でずっと『カレイドスター』のDVDを買っていたのだが、単品シリーズとボックスと、中身がダブっているのに二重に買ってしまっていたので、単品の方を返品に行ったのである。 なんでそんな勘違いをしたのかというと、『カレイドスター』は、通常版とボックス仕様になっているものと、2種類に分かれていたのだが、まさかそのボックスまで単品シリーズと総集編版との二種類に分かれてるとは気がつかなかったのである。 ややこしいのでまとめると、『カレイドスター』は、 「1、単品シリーズ通常版」 「2、単品シリーズ付録つきボックス仕様」 「3、総集編ボックスシリーズ」 の、3種類が出ていたことになる。この2と3の外見上の区別がつかなかったのだ。だって、単品の方にはいちいち「Stage1」「Stage2」とか、番号が振ってあるのだが、総集編ボックスの方にはオモテに「幻の大技BOX」とか「私の夢になってよBOX」「やってやれないことはないBOX」って書いてあるだけで、「Stage○○」という通し番号が書いてなかったのである。だから店も私も、これは別モノなのかと勘違いして、中身にダブリがあることに気がつかなかったのだ。 実はもっとややこしいのは、『カレイドスター』のDVDシリーズがこの3種類に分かれたのは2クール目の放送分からで、1クール目の時には「1と2」しかなかったのだね。そりゃいきなり途中から「3」が増えりゃあ、気がつかずに「2と3」をうっかり買っちゃうやつも出るって。だからメーカーもよう、途中でDVDの出し方の形式、変えるのやめてくれよう。せめてボックスに「Stage5から8まで収録」とか記載しとくべきだったんじゃないのか。そうしとけば勘違いしなくてすんだのに。今回一番責任があるのはポニーキャニオンだと思う。 売り場の店員さん、初めは受け取りを拒否していたのだが、予約して取り寄せていたのは店のほうで、私が棚から間違えて取ってきたわけではない。私のミスで間違えて買ってしまったのなら、まだ諦めもするが、ダブリがないと勘違いして売りつけたのは店の方である。こりゃ、店の方に責任があるだろうと、ゲンブツ見せて談判したら、ようやく納得して引き取ってもらえた。 こういうことしてると、またしげから「このクレーマーめ」と言われてしまうのだが、BOXの方はちゃんと全部買ってるわけだし、難癖つけてタダにしろとか言ってるチンピラとは違うのである。 ……しかし思うけどよ、『イノセンス』とかもそうだけど、こんなふうに何種類もDVD出すってのどうかと思うな。せいぜい通常版と特別版の2種類で充分なんじゃないのか。
夜、WOWOWで、舞台『浪人街』の中継を途中まで見る。 殺陣を使った時代劇は舞台には向かない。「真剣勝負」というのはリアルでなければ成立しないものだが、どうしたって舞台での立ち回りは「段取り」や「様式」が優先せざるをえない。ナマの俳優を目の当たりにしていても、実は役者と観客の間には映像以上の距離がある。別役実が「中景の芸術」と呼ぶのはその点だ。近景でも遠景でもなく、その中間の距離、ということである。 舞台上の殺陣は、「観客の広く暖かい心」が必要以上に働かなければ、成立はしないのである。歌舞伎ならばこれが「約束事」として既に成立しているから観客は納得して舞台を見ている。そこでこの『浪人街』も、随所に歌舞伎的様式を取り入れ、「非リアル」な世界を作りあげることでその殺陣の不自然さを緩和しているのだが、もともとこの『浪人街』の原作自体、侍の現実を描こうとしたものであったので、その結果、内容と表現形式が乖離してしまっている。つまんなくはないけどなあ、なんか違和感を覚えちゃうんだよなあ。 でもこの感想は途中までの印象によるものなので、続きは録画しといた後半を見たあとで。
マンガ、田中保左奈『暗号名(コードネーム)はBF(ベビーフェイス)』3巻。 連載自体は『サンデー』本誌で打ち切られてしまっているので、あと1巻で完結だろう。師匠の椎名高志さんも、HPの日記で「我々大きいお友達にとって少年誌はもうあまり居心地のいい場所ではないのかも」と慨嘆しておられたのだが、実際、強力なライバルとの知恵比べを見ていても、うまく展開していけば、これは「サンデーの『デスノート』」になる可能性だって秘めていたと思うのである。ここで切られるのはあまりにも無残だ。
で、田中さんのお師匠さんの椎名さんであるが、『てれびくん』12月号から『ウルトラマンネクサス』のコミカライズを連載するとか。 うわあ、なんかすげえ嬉しいような、不安なような(~_~;)。だって「あの『GS美神』の椎名さん」が『ウルトラマン』をやるんだよ?! 高田雄三の『ウルトラマン・ザ・ファースト』よりよっぽど期待しちゃうじゃないか! それがどうして『特撮エース』でなくて『てれびくん』なんだよ! 椎名さんなら、毎回たっぷり100ページくらいあげて、堂々たる正統派特撮コミックを描いてほしいじゃないか! 低学年誌だと充分ページももらえないんだろうし、果たして単行本になるほど溜まるのかって心配すらある。ああ、来月から『てれびくん』まで買わないといけなくなるのかなあ。 今度新発売の『美神』のDVDには、『美神』の新作マンガもフロクで付いて来るそうだ。ああ、これもまた私に「買え」という啓示なのであろうか(T∇T)。
ハリウッドでのリメイク実写化進行中の大友克洋原作の『AKIRA』であるが、やや暗礁に乗り上げつつあるようである。 フランスでのインタビューに大友克洋監督が答えて、脚本の初稿を読んだこと、その出来に満足していないこと、大幅なリライトを要求したことを告白しているが、まあ、オオトモ脚本の出来の悪さは、これまでの『AKIRA』『スプリガン』『メトロポリス』『スチームボーイ』等々の諸作で充分証明されているから、かえって改悪されてってんじゃないか、という気がする。だいたい大友克洋はマンガ、アニメーションとしてのビジュアルこそ評価されてはいるものの、ストーリーに関してマトモに誉められたことって滅多にないんである。それを「実写映画化」することにどういう意味があるのか、私にはようわからん。誰か期待してる人、いるのか。 逆に一時期製作が断念されたと伝えられていた『ブレイド2』『ヘルボーイ』のギレルモ・デル・トロ監督による『童夢』の実写映画化については、大友監督、「いくつかの懸案事項があってなかなか話が進まなかったが、問題点がクリアできたので、ゴーサインを出した」と語ったようである。早ければデル・トロ監督、『ヘルボーイ2』の前に『童夢』製作に入るかもしれない。……けどこれも、マンガ以上のインパクトをCGを駆使したところで表現できるものかどうか疑問なんである。……「そうだよ、ぼくだよ」のセリフは英語だと「It’s Me!」とかになるんかなあ。英語版のマンガ持ってる人、そのへん知ってる?
だんだんスパムメール報告となりつつある日記だけれど、今日来たのはこんなの。
> 差出人: 夢子 > 題名: 夢子です、昨日はありがとうね♪ > 昨日お店きてくれた時は、仕事を忘れて久しぶりに楽しめたよ〜何か三上さんとは相性がよさそうだね♪まだ一回しか会った事ないのにねっ^^最近本当に相性いい男の人と出会ってないから・・・ > それでね今度プライベートでデートしたいなぁ。お店以外で会うのは内緒だからね^^三上さん、今月の最後のおこずかいはたいて来てくれたんだよね、会う時はお財布持ってこなくていいからっ!だって本当気持ちよかったんだもん♪私物の勝負下着で行くから夢子のえっちなお願いいっぱい聞いてね > ^^お店休んで早く会いたいよ・・・いつ夢子と会えますか?
「夢子ちゃん」ですか。いかにもいかにもな源氏名ですねえ。鬼太郎のお友達とは関係あるのかな? 句読点の使い方はあったりなかったりでデタラメ、文章も稚拙、「おこずかい」という仮名遣いも間違っている。こういう詐欺メールの文章、やたらヘタクソなのが多くて、書き手の知性が低く見えるのが特徴的なのだが、本当に教養がないのか、それともわざと馬鹿のフリして受け手の優越感をくすぐろうという腹なのか、どっちかね? まあ、十中八九、前者だろうけど(^o^)。 一応、はっきりと「間違いメール」を偽装していて、「三上さん」とちゃんと相手に呼びかけてるところがミソではある。「私は三上さんじゃありませんよ」と返信してもらうことを期待しているのだね(本当に「三上さん」に送られてて、しかも前日に「お店」で遊んでたら面白いよなあ)。 名前の呼びかけがないメールより、こちらのほうがウッカリさんの返信率は高かろう。私は返信する気はサラサラないが、当然、既に「間違って送っちゃいました。ごめんなさい。せっかくですからあなたともお付き合いできませんか?」みたいな返事が準備されているのであろう。そのときにはもう名前の呼びかけはなくなってるのだろうな。 一つ、この手のメールの作り手さんに言っときますけど、アノ手のオミセのレディがプライベートでお客さんと会うのは基本的にご法度、滅多にあるこっちゃございません。仮にメールを送られた人がふるいつきたくなるようなイロオトコだったとしても、そういう人はかえって騙されません。そういう人こそ、「一回会っただけでそこまで関係が進展する可能性は万分の一もない」ということを知悉しているからです。 多少の地方差はありましょうが、アノ手のお仕事って、不況なこのごろでもひと月一所懸命働きゃ、軽く海外旅行の一つだってできる程度のまとまったおカネが入るショーバイなんですよ? リスク犯してまで、一人の男に入れ揚げたりするもんじゃありませんてば。 だから本気で騙すつもりなら、もちょっと、リアリティってものを考えましょうよ。……って屑相手に何をレクチャーしてやってんだろうかね、私ゃ。
2003年09月23日(火) お盛んな大阪/映画『總篇 佐々木小次郎』/『Q.E.D. 証明終了』16巻(加藤元浩)/『魁!! クロマティ高校』7巻(野中英次)ほか 2002年09月23日(月) なんだかいろいろ/『一番湯のカナタ』1巻(椎名高志)/DVD『ハレのちグゥ デラックス』第2巻/舞台『天神薪能』ほか 2001年09月23日(日) 行間を読んでね/映画『ラッシュアワー2』&『ファイナルファンタジー』 2000年09月23日(土) 昼寝とDVD三昧の一日/映画『スリーピー・ホロウ』ほか
| 2004年09月22日(水) |
イノセンスな情景/『のだめカンタービレ』10巻 |
こないだの練習以来、しげが「ショック」を受けている。 日記で、「夜通し、カトウ君と芝居やゲームや恋愛話を熱く語っていた」と書いたのだが、実際には私は寝ていたので、ホントはどんな会話をしたかまでは知らないのである。どうせそんな話しかしちゃいないだろう、とあてずっぽうで書いたのだが、あとで聞いてみると、ホントに芝居とゲームと恋愛の話しかしなかったとか。寝ろよ(~_~;)。 その「恋愛話」の中でまあ、御互いの恋愛観やらを語り合ったそうなのだが、そこでカトウ君、しげのことを「しげさんのことは人としてはともかく、恋愛対象としてはキライです」と言ったというのである。 そりゃ、傍若無人、無知蒙昧、狷介孤高なしげのことを恋愛対象として見る人間がこの世にあろうとは思えない(人としても評価はしがたい)。ごく当たり前の感想なので、今更いったい何がショックなのかと聞いてみたのだが、「別に自分からコクる気もない相手にいきなり『キライ』って言われるんだもん」とフクレているのである。 なんか、島本和彦の『炎の転校生』で、戦闘フォーが滝沢昇に「ぼくには好きな人がいるんだあ!」と言われて「別に好きでもなかったのにショックだわ」とか言ってたの思い出したな(^o^)。 戦闘フォーの場合はカワイイ子ばっかなので、ショックを受けるのも順当と思えるが、しげの場合は「鏡を見ろ」である。いや、面相だけの問題ではなく、性根の問題である。「恋愛感情」ってのは、相手に対して「憧憬」と「独占欲」が同レベルで存在していないと成立しないものであるが、しげのどこにも憧れるような部分はないし(あれだけ自分に無責任に生きられる点は羨ましいと思うが)、アレを独占して何か特することがあるのか。見返りもないのにわざわざ重い荷物を背負いこむ馬鹿はいない。嫌われるのがごく普通の人間の反応であろう。 それに、恋愛感情なんてのは、本来、人と人とを結び付ける要素としては、殆どその効力を発揮しないものである。世の中には恋愛原理主義者が腐るほどいるが、全然その本質に気付かずに離合集散というか、惚れた切れたを繰り返しているのは全くご苦労なことである。一生、ユメを見てたい気持ちも分からんではないが、ユメの中にしかいないというのもちょっとどうだろうか。 しげにもこの「ユメ」見る部分は多分にあって、だからこそ「ショック」も受けたのだろうけれど、これまで自分の中に「憧れられる」ものとか、「独占したくなる」ものを作りあげ磨いていく努力をなんか一つでもしてきたのか、と言いたい。人として女として自分を磨くことも全くしていないのに、惚れられるだけのことはありたいと望むというのは、世間一般では「おこがましい」と評されることなのである。 私の場合、なんでしげとくっついてるかっていうと、何度も書いたことではあるが、恋愛感情とかではなくて、これが「縁」だからだ。抽象的でよく分からん、ということであれば、しげといることが「人生の仕事」だと認識しているのだ、ということでご理解いたただきたい。いやさ、「仕事」じゃなきゃ、普通、あんな人間の屑と一緒にゃいませんて。こういうことを言うと、しげは「愛がないの!?」って怒るのだが、ない袖は振れない。それがイヤなら初めから私と違って「マイ、ハニー!」とか言って毎日抱きしめてくれるような恋愛至上主義者を相手にすればよいのである。私のような冷血漢と結婚した時点で、甘い生活を期待するのはやめてもらわなきゃ。
昨日に引き続き、トンガリさんは休み。うわあ、ホントに五連休にしやがったなあ。出勤してんの、平均したら週に三日くらいじゃないのか。どうしてそんなに休めるんだか、それこそトンガリさんの口癖じゃないが、「分かりません」。仕事はどんどん滞ってきているのだが、こうなったらもうトコトン出てこないでほしいなあ。中途半端に出てこられたら、またしたくもない口論をしなきゃならなくなるし。 同僚とトンガリさんのことを話していたのだが、「結局、これって上司の『管理不行届き』じゃないのか」と憤慨される。そりゃまあ当然の怒りなのだけれども、おエライさんたちが実情を知っていて何の対処もしないというのは別に今に始まったことではない。例のホモオタさんだって、閑職に回されているとは言え、クビになっているわけではないのだ。他にも不祥事を起こした人間はいくらでもいるが、かなりこりゃ問題なんじゃないのか、と思われるケースであっても、さしたるお咎めナシ、という場合も多い。 おエライさんたちは、ともかく外面と言うか、世間体を取り繕うことばかりを優先するので、ヘタに問題のある者をクビにしてしまえば、そもそもそういう困ったちゃんたちを雇った自分たちの責任問題になってくるのである。それを避けたいがために「ことは穏便に」という方向に行くのだろうが、問題を放置しといて、それが危機的状況になった場合、どうしたらいいかってことまでは考えようとしないのだ。……だからその問題の収集に東奔西走させられてるのが我々したっぱなんだってばよ。全く、すげ替えたいクビはほかにもあることである。
ひと月くらい歯医者に行きそびれていたが、そろそろ何とかならんかと仕事帰りに寄ってみる。前にしてたツメモノを詰めて、また新しく詰め替えて終わりなのだが、そのあとどうするかはやっぱり説明なし。この先延々と詰め替えだけをしていくのかなあ。差し歯とかなんかする予定はないのだろうか。いつも治療が終わって、先生はすぐに引っ込んでしまうので、そのあたりのことを聞くタイミングを逃がしてしまうのである。
今日読んだ本、山田風太郎忍法帖短編全集4『くノ一死ににゆく』。 山田風太郎の描く女忍者はみな切なげである。忍者に与えられた使命は常に苛酷なものだが、それがくの一の場合は、男以上に失うもの、犠牲にしなければならないものが大きいからだろう。さらに哀れを誘うのは、くの一が命を賭して使命を果たしたからと言って、それで何かが報われたかと言えば、何もないことである。作者は最後の最後で意地の悪い「冗談」を仕掛けたりもする。さながらこの世界自体が壮大な「冗談」であるかのように。
読んだマンガ、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』10巻。 パリ編のスタートだけれど、のだめはやっぱりのだめ。留学したのにアニフェス行ってどーするかね(しかしフランスのオタクって「サザエさん」のコスプレとかするんだろうか〔p.117〕)。これまでライバルらしいライバルがいなかった千秋の前に現れたモテモテ男(死語)のジャン。物語としては、これで一応、盛り上がってきちゃいるんだけど、本当のライバルは小心者なんだか大物なんだかよく分らない片平さんではなかろうか(^o^)。
天樹征丸原作、さとうふみや漫画『探偵学園Q』17巻。 さとうさんの絵、最近とみにナヨッとしてきてないかな。リュウはともかく、キュウまで絵によっては女の子に見えるぞ。トリックのチャチさはもう今更。付録に立体視カードなんかつけるのも全然意味がない。つか、カード付けてる時点で、この作者、自分からトリックをバラしてるじゃん(いくらチャチとは言え)。じゃあ、読者だってミステリーのマナーを破って、トリックを言いふらしちゃってもいいのか?
昨日買ったDVD『イノセンス』リミテッドエディションを見る。 特典映像の押井守×鈴木敏夫対談は、相変わらずの押井節が聞けて(ちゃんと宮崎駿へのワルクチも満載♪)、ヘタすりゃ本編よりも楽しかったりする。 押井監督の映画について、よく「人間の情感が存在していない」という批判がされることがある。それこそ「アンチ押井派」は金科玉条のようにこれを繰り返すのだけれども、もともと「そんなものを描くつもりはない」ことを今回の対談でも監督は強調している。「そんな人間の感情とか、一部のものではなくて人間の存在全体を描こうとなぜしないのか」と監督は憤慨しているのである。でも、なぜったってねえ、そりゃ大半の人間が、自己の「感情」を肯定することによって「癒されたい」と思っているからでしょうよ。感情に流されるの、みんな好きだからねえ。 それは実は「愚か」であることと同義語なんだけれども、これは「愚かでなければ生きていくのがツライ」という判断に基づく「世間知」でもあるのである。だって「アタマがいい」ということは無理解も忘却も責任回避もヒキコモリも人生に希望を持つことすら許されないということなのであるから。 逃げ場のない人生、希望のない人生を送りたいなどと誰が思うだろう。「アタマのいい生き方」というのは、実は「絶望」を前提として、「存在が存在していることの意味など、この宇宙のどこにも存在していないことを明確に自覚して生きる」ということなのだ。しかし、仮にそんな生き方を選べば、神ならぬ人ごときが導き出せる解答は結局「絶望」に落ちついてしまう。たとえ愚かと言われようが、この世にある者で「生きたい」という感情に忠実であらざる者は滅多にいない。生きるためには愚かでなければならないというのは、そういうことなのだ。宮崎駿の『もののけ姫』が「生きろ」をコピーとし、「馬鹿には勝てん」のセリフで締めくくられるのは、つまるところは「希望を持つこと=馬鹿であること=生きること」であることを喝破しているのである。 人はいつまでもユメを見ていたいと思う。『セカチュー』みたいに古色蒼然とした「お涙頂戴」映画が未だにヒットを飛ばすというのも、『華氏911』のように「キミにも正義が行える」と甘い錯覚を与えてくれる映画にトロンとしてしまうのも、みんな、現実の絶望と向き合うことから目を逸らしていたいからである。冷静に考えてみればよろしい。この世界に、気休め以上の希望がいったいどこにあるだろうか? 押井監督が「現代人は肉体を失っている。結局人間には『言葉』しかない。肉体だと思っているものだって『言葉』によって規定されたものに過ぎない。その、言葉に規定される以前の、本来の『人間』を回復するためには、肉体に対置する存在としての『人形』をそこに置く必要がある」という、これまでに何度となく述べている『イノセンス』製作の動機を語っているのは、言ってみれば「絶望」を前提として、それでも人間が存在することに意味を求め得るのかという、殆ど解答の出しようがない命題を自身に課しているのと同義であろう。 けれど結局、言葉にだって意味はない。意味があるように見えるものがそこに存在しているだけだ。押井監督がやろうとしていることは、すべからく徒労に終わることが運命づけられている、ドン・キホーテ的行動なのである。だからこそ、『イノセンス』は極めていとおしい映画になっているのであるが。 カンヌ映画祭で無冠に終わった押井監督が、「『映画が好き』と語る人々は“過去”の映画を見ているだけだ」と語ったのを「負け惜しみ」と取る人もいるだろう。けれど実際、受賞した『華氏911』には、新しいものなど何もなかった。あれを評価している人々が、ドキュメンタリーという看板にうまいこと騙されて、単に自分に心地よい幻想に浸りたがっていただけだということに気付くことはあるのだろうか。
2003年09月22日(月) 記録の魅力/『ロケットマン』6巻(加藤元浩) 2002年09月22日(日) 変なビデオは買いません/映画『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』ほか 2001年09月22日(土) 気がついたら食ってばかり/映画『カウボーイビバップ 天国の扉』 2000年09月22日(金) 徳間ラッパ逝く……/ドラマ『ケイゾクFANTOM 特別編』ほか
| 2004年09月21日(火) |
マーシーって愛称もなんか好きになれなかったが/DVD『Re:キューティーハニー』天の巻 |
三連休が明けて、まだややからだの調子が戻らない状態で出勤。 こないだ相当な口論をしたので、トンガリさんはどんな顔して仕事しているやらと覗いてみたらまたまた欠勤だった。てことは四連休か。明日も休めばその次の日も休みだから一気に六連休、さらに二日休んだら十連休まで行っちゃうけど、いっそのことそのまま出て来なけりゃいいのになあ。そうすりゃさすがにおエライさんたちも、「代わりの人を」って判断してくれるだろうから。
明日は父の69歳の誕生日なので、プレゼントを買いに仕事帰りにしげと博多駅に。 プレゼントの選択はしげに任せて、私は紀伊國屋を回って、仕事関係の資料を探す。まあついでにDVDやら本やらも買ったけれど。 DVDは、予約していた『イノセンス』のリミテッドエディション2、『鉄人28号』3巻、『Re:キューティハニー』1巻。他にもほしいものはたんとあるのだが、今月はお出かけの予定が多いので、泣く泣く諦めたものも多い。ああ、ビリー・ワイルダーボックス、冬のボーナスが出るまで売り切れてませんように(T.T)。 しげ、最初はお風呂用品を何か買うと言っていたのだが、適当な品がなかったとかで、ダヤンの携帯ストラップとボーチを買ったとか。70歳目前のジジイが付けるものとも思えんが。
七時過ぎ、父の店へ行く。信号にいくつか引っかかって、5分で行ける距離が10分ほどかかってしまったが、父は店の前で待っていた。中にいてもよかろうに、トシ取るたびにせっかちになっているようである。プレゼントを渡して、夕食に誘う。あいにく目当ての店は駐車場が満杯で、仕方なく近所の焼肉屋へ回る。 父は牛刺しにビールに焼酎、私としげは焼き肉を適当に見繕う。誰もダイエットなんて考えてないんじゃないかってメニューだ。できるだけ肉はつままないで野菜ばっか食うようにはしたけど。 父、酔いが回るにつれてこないだの電話の件でまたまたクダを巻く。 内容は同じことの繰り返しで、父は幼馴染の友人に対して、「なんでしげさんの育ちが悪いとか、そんな理由でお前たちを別れさせようなんて言わないかんか。おれは差別するやつが一番好かん」と立腹しているのである。 当のしげは「育ちの悪いのは事実らしいんで」と苦笑しているが、酔っぱらった父はどうにも止まらない。「あの人も、子どものころ、人から差別されたことがあるったい。自分も差別されとって、なんで自分も他人ば差別するか? おれにはそれが分からん」と、どうにも腹の虫が収まらない、というふうである。 「自分が差別されとうから、他人ば差別するようになるんよ。仕返しみたいなもんやろ」 身もふたもない言い方だが、傷つけられた人間が痛みを知るが故に他人を傷つけないようになる、なんてのは理想、と言うよりはただの幻想である。たいていの人間は傷つけられればただの人間不信に陥る。そして時には“意図的に”他人を攻撃することすら厭わなくなる。で、殆どのオトナがそれまでの人生の中で一度も傷つけられなかったことなんてないから、他人を平気で攻撃し傷つけるようになるのである。それが現実だ。 だから、「自分は昔、傷つけられたことがあるから、他人を傷つけないようにしている」などと堂々と言ってのける人間は、ウソを平気でつくことのできる詐欺師か、そうでなければ無意識のうちに他人を傷つけまくっている最も迷惑な“善人”である。この「善人」が実に始末に悪くて、過去に「傷ついた」経験が、他人に対して何か説教できる資格を与えたかのように本人を錯覚させてしまっているのである。心が「自分は正しいことを言っているのだ」という確信に支えられているから、もう他人の言葉は全く届かない。具体例はあえて挙げないが、多いよな、こういう手合い。 まあ、父も実はその「手合い」とやらの一人なんで、脳天気に「差別された人間は他人に差別しなくなるものではないのか」なんて理想論を言ってしまえるわけなのだが。私だって差別は嫌いだが、差別をすることでしか人は自己の精神を安定させられない、ということも知っている。そこに例外はない。単純に「差別反対」なんて言えるものではないのだ。 まあ、父の憤懣も所詮は酔っぱらいのクダマキであるから、マトモに聞く必要はない。父とそのご友人、端から見てると今にも取っ組み合いのケンカでもし始めるんじゃないかってくらい、怒鳴りあったことも何度となくあるのだが、小学校時代からの腐れ縁なので、大ゲンカしたあともケロッとまた仲良くなってしまっているのである。お互いの欠点も知った上で好きなだけ言いあってるのだから、夫婦ゲンカみたいなものだ。犬も食わないもんに茶々入れたりするものではないわな。 父、食事を終えたころにはやたら機嫌がよくなっている。「今日はありがとうね」を繰り返して少しばかり千鳥足。父のマンションまで送るが、玄関で別れると廊下で蹴躓きそうなので、裏庭の近くまで車を寄せる。鍵を開けるのに少し手間取っていたようだが、なんとか部屋の中に入るのを確認して、その場を離れる。 父ももともと酒に強い方ではなかったが、年を取ってかなり弱くなってきたようだ。けれどどうせこのあとも飲みなおすのに決まっているのである。全く、糖尿はどうしたんだ。 帰り道、スーパーに寄って食材を買い込む。と言っても今、ウチでは「親子丼」がハヤリなので、買うものと言ったら鶏肉とか鶏肉とか鶏肉とか卵である。私自身ももう少しレパートリー、増やしたいのだけれども。
帰宅して、DVD『Re:キューティーハニー』天の巻を見る。 トワーニが解散ってことは、このアニメシリーズも3話で終わるのかなあ。いや、そりゃあまりにももったいないってくらいの快作。実写劇場版の3倍は面白い……と言い切っちゃったら四代目ハニーを熱演していたサトエリには悪いけれども、どうしたってアニメのキレのある動きとテンポには実写は敵わない。 特に1話の監督を務めた今石洋之監督は、止め絵にコマ落としを効果的に使ったマンガチックな演出で、いかにも“永井豪らしい”ギャグを連発してくれる。いやあ、万年係長が実は『廃人二十メンチョ』のイボ痔小五郎だったとは! 下半身ケツ丸出し(噴血もちゃんとあるでよ)の係長なんてセクハラじゃないのか(^_^;)。ということは、実写版の万年役の松尾スズキも実はイボ痔か(^o^)。 当然、社員の寺田リンコと高橋真弓は、イボ痔の助手の手寅あけびと割目モモ美が演じているのだけれど、もともと原作『ハニー』(新作)に寺田リンコというキャラクターが登場しているし、高橋真弓はもちろん『けっこう仮面』のキャラクター、だけど真弓のビジュアルはなぜか女子アナに流用されていて、なんかすごくややこしいことになっているのである。ってそんな細かいこと、永井豪ファンじゃなきゃ分からんわ。いや、ちょっとだけ登場のキャラクターを挙げていけば、不動明や牧村美樹を初めとしてキリがない。快ケツ婦警さんまで出るとはいったい誰が想像したろうか。まさに豪ちゃんファン必見のアニメになってるんである。 極め付けは、なんとへんちんポコイダーとへんきんタマイダーの初のアニメ化! ゲスト出演とは言え、声もちゃんと付いているぞ! ポコイダーフリークのいしかわひでおくんにのだじゅん。ちゃんだ! そのあたりの事情は特典映像で確かめよう(^O^)。 実写版では見せ場のなかったゴールドクローもアニメ版ではちゃんと捲土重来、ハニーをギリギリまで追いつめてくれる(この「ギリギリ」ってのは当然“露出度”のことね)。実写版での「もう一歩」感がこのアニメ版でスッキリ解消された気分である。やっぱ実写版でもシタチチくらいまでは見せるべきだったんじゃないのかね。それがハニーなんだから。 それと、ハニーもいいけど、アニメ版ではつるぺたくーるびゅーてーな夏ちゃんがすんごくイイぞ! 原作から離れて女警部という設定にしたことは、実写版でも効果を上げていたことだけれども、天衣無縫なハニーとの対比で、お互いのキャラクターをよりいっそう魅力的に見せることに成功している。女はやっぱり強くてカッコよくなきゃイケナイのである。うん。
読んだマンガ、島本和彦『炎の転校生』(文庫版)7巻。 巻末にデビュー作『必殺の転校生』を分載したのは、「全巻買わないと最後まで読めませんよ」という卑怯なワザなのか、「稚拙過ぎて、とても一気読みはさせられない」という羞恥心ゆえなのか。成長した滝沢を描いた続編も収録されているけれど、尻切れトンボで終わってるので、まだこれが最終形ではないのかも。確かに続きを読みたい気もするけれど、冷静に考えればどうしたってデビュー当時の勢いは再現できないものである。1巻のころの描き足しも違和感あったし(島本さん自身、恥ずかしくなったのか、途中でやめてしまった)、やめといた方がいいよなあ。
さて、またまたアカラサマな有料サイトへの勧誘メール。
> 差出人: amaryllis@***.famille.ne.jp > 題名: チャリ盗まれたぁー!!? > もぅ最悪だよぉ〜o(>_<)o > 先週買ったばっかりなのにぃ!!! > チャリ2コもってたよね??1コかしてぇ〜o(>_<)o
こんな下品な口調のメールを送ってくるやつなんて、私の知り合いにはいません(~_~;)。しかも人の自転車を勝手に「チャリ」なんて呼んでやがるし、貸せとかくれとか気安いぞ。こんなヤツにものを貸したら二度と戻ってこないことは確実だ。 さらに言えば、自転車の数え方は「1台、2台」で、「個」じゃないぞ。何でも「個」で代用できるなんて考えてんじゃねえ、この無知蒙昧な大馬鹿野郎めが。若いもんどうしはこういう一般常識もない下品な会話してるのかもしれないが、私を非常識の世界に巻きこむな。 なんか、ニフティの迷惑メールフィルター、あまり役に立ってないよなあ。アドレスや題名に出てくるキーワードで分別してるんだろうけれど、ハッキリ「未承諾広告」ってタイトルにあるのに、すり抜けてくることもあるんだもんなあ、いったいどうなってんだよ。一応9割はカットできてはいるようだけどさ。 スパムメールは、結局、相手への呼びかけができないから、一発で勧誘メールってことがバレる。「間違いメール」のフリをするなら、かえってアキラでも、ユージローでもなんでもいいから呼びかけりゃいい。その方が「宛先、間違ってますよ」と返事を送る人の数はグッと増えるだろう。それをしないってことは、送り手は自分の手口が中途半端だってことにも気付いてないのである。ばーか。 こんな見え透いたメールなんて、いくら送ってもムダなんじゃないかって思うんだけれど、どういうわけだかこういう単純な手口にも簡単に引っかかってしまうピュアな方は、この広い世の中にはやっぱりたくさんいらっしゃるようなのである。なぜって、いつまで経ってもこの手のメールがなくなる気配がない。雑踏に石投げりゃ、必ず馬鹿に当たるってなもんである。新興宗教と同じで、引っかかるやつは心底馬鹿だから、騙すほうも罪悪感、感じないでいられるんだろうなあ。 こういうのを減らすことって、なかなかできるとは思えない。一回引っかかった人はそうそう引っかからなくなるだろうけれど、どうせまた新参者がネギ背負って来るから。地道な努力だけれど、できるだけ多くの人が、迷惑メールを極力目に触れるようにネット上に晒していって、ピュアな方々を「啓発」してかなきゃなんないんだろうね。 ネット上をあちこち検索してみると、迷惑メールをコレクションしているサイトもあったりする。「こういうのに気をつけましょうね」と注意を喚起してくれるのはいいことなのだけれども、中には「手口が巧妙になってきた」とか寸評してるところもあって、思わず「どこがや」と失笑して、そのあと落胆してしまう。最近のスパムメールは、手口はむしろどんどん形式化、定型化していて、稚拙になっていると言ってもいい。それを「巧妙」なんて誉めそやすから、この手のメールが一向に減らないのじゃないのかな。
「おいおい、またかよ」の田代まさしの逮捕。ネットをあちこち覗いてみても、話題にしてる人多いなあ。隠れ田代まさし“ファン”って、そんなにいたのか。芸人としてもお笑いタレントとしても三流で、私はとてもファンにはなれないのだけれども。でもこうして事件そのものに興味を持ってしまうってのは、やっぱり心のどこかで田代まさしに「惹かれる」ものを感じているのか? やだなあ。 20日夜、中野区新井の路上に乗用車を停めていたところを、警官から職務質問を受けた田代まさし、初めは「バタフライナイフの不法所持」が発覚しての、銃刀法違反の現行犯逮捕であった。 それが、同乗していた女性のリュックサックから覚醒剤約2グラムと大麻樹脂約4グラムが発見されたため、女も覚醒剤取締法違反容疑で逮捕、そこで田代容疑者が「自分のものだ」と証言したために、同じく覚醒剤取締法違反ほかの容疑で再逮捕された、という経緯である。 以前のスカート盗撮事件に続いて、覚醒剤所持もこれが二度目で執行猶予中だったから、もう実刑は免れまい。まあいかにも「懲りてない」感じだから、軽くても4、5年はくらいこんでたらいいんじゃないかと思うが、それでもちゃんと更生できるものかどうか。なんだか第2の清水健太郎になりそうだなあ。出所したらコンビ組んだらどうだ。一応「ケンちゃんとマーシー」だし。まあシミケンにバカ殿はできないだろうけど。 「一度クスリに手を染めた者は、そこから抜け出せることはない」と言うけれども、実際にはそこから更生した人もたくさんいる。芸能人で、好奇の目に晒されているから一般人に比べて更生しにくい、という説もあるが、これもちゃんと抜け出せた芸能人もいるからウソである。結局は田代まさし自身に全ての責はあるのであって、同情の余地はない。批判、嘲笑を受けても仕方がないのである。 お笑い芸人は、自分はお客さんを笑わせてるつもりでも、実は「笑われている」タイプと「嘲笑われている」タイプとに分かれている。田代容疑者は自分が後者であることに、いつまで経っても気付かなかったのだろう。
ニュースでは田代容疑者のことを「元タレントで会社員」と説明していたが、ということはもうタレント業から完全に引退してカタギになっていたのか。でもそれなら覚醒剤はどこからどう入手していたのか。やはりどこかでそのスジに“つながり”があったのか、それとも今の「会社」とやらがやっぱり“そのスジ”だったのか。執行猶予がつくためには、更生のための環境が整っていることが必要条件だから、後者の可能性は少ないのだけれども、どっちにしろ前の逮捕のときに裁判所をうまいことだまくらかした事実に違いはないのである。 いったん、人間としての評価が地に落ちているわけだから、そこから這い上がることが容易でないことは分かる。世間の白眼視に対して抗弁のしようがない状態で“どこかに”救いを求めたくなる気持ちも分かる。だが、人間の「更生」はそこで「救いを求めない」ことでしか得られるものではないのだ。そのことに人は往々にして気付かない。いや、そうだと理解している人もいないわけではないが、実践は極めて困難である。それを実行できるほどに人間の精神は“勤勉ではない”のである。それは人間の最大の“愚かさ”ではあるのだが、その愚かさがなければまた、人は自らの精神の重さに耐えられなくなる。従って、全ての人間は“堕落する人生”しか歩むことはできない。単にその人生という名のスロープを、ボーゲンでヨタヨタと降りて行くか、直滑降で一直線に滑り降りていくかの違いがあるだけだ。自分にとって「救い」と見えるものの正体は、実は目の前に広がるアイスバーンなのである。
田代容疑者が求めた「救い」が「クスリ」だったのか「女」だったのか、そこはどちらとも断定しがたい。本気で田代容疑者を「救おう」と思う人がいるなら、逆説的な言い回しにはなるが、一切の救いの手を差し伸べないことである。ほんの少しでも誰かが救いの言葉をかけようものなら、彼は自らの罪すらも「肯定されたもの」と無意識のうちにすり返るだろう。愚かな人間への救いの手はその愚かさを助長させる効果しかない。その結果がどうなるかは容易に想像がつくだろう。「再犯」とはそのようにして行われるものなのだ。 ……なんか、「救い」がどうのこうのって、結局私の意見としては、田代まさしに復帰してほしいのかほしくないのか、いったいどっちなんだ、と仰る方もおられるかもしれないが、別に人間一人の運命をどうこう言おうなんて大それたことは考えていない。どんな極悪非道の犯罪を起こそうと、もし「世間」がその存在を認知しようと動けば、その存在を否定することなど、誰にもできることではないのである。「禊」があるかどうかは時の運ってね。
2003年09月21日(日) 劇団の激談/『美女で野獣』3巻(イダタツヒコ)/『バジリスク 甲賀忍法帖』2巻(山田風太郎・せがわまさき) 2002年09月21日(土) 世界の王/『パラケルススの魔剣 アトランティスの遺産』(安田均・山本弘)/『パンゲアの娘 KUNIE』5巻(ゆうきまさみ) 2001年09月21日(金) 子供のころは本屋さんになりたかったのさ/『多重人格探偵サイコ』7巻(大塚英志・田島昭宇)ほか 2000年09月21日(木) 笑顔とブレゼントとオタアミと
| 2004年09月20日(月) |
爆睡の一日/『名探偵コナン特別編』22巻 |
朝方、枕元で何やら喋り声が聞こえてくるので、顔を起こしてみると、しげとカトウ君が何だかアツク語っている。時計を見ると9時である。 どうやら一晩中、一睡もせずに芝居のこととかゲームのこととか恋愛のこととか(^o^)、語り合っていたらしいのだが、今日は練習の日だろうに、ちゃんと寝とけよって。 夕べ寝たのが3時か4時くらいだったので、私ももうひといきくらいは眠っていたかったのだが、今度はしげたちが今から仮眠するというので、起きてなきゃならない。2時間経ったら、もうしげたちは出かけなきゃならないのである。 朝飯は昨日の鍋の残りにご飯をぶちこんで雑炊。しげにはそばを作ってやる。そのあと私は風呂に入ったが、そこでウトウトして落ちた。ハッと目覚めて居間を覗いてみると時計は12時を回っていて、二人の姿はとうにない。なんだ、別にムリに起こさなくてもちゃんと目が覚めて出て行ったんだ、と思うと気が抜けてまた眠くなる。そのまま横になったら、夕べの眠りはかなり浅かったのだろう、ぐっすり眠りこんで夜まで起きず。 練習には途中から参加の予定だったが、どうやら呼び出しの電話にも全く気がつかなかったらしい。完全に熟睡していた。何だか随分練習に参加しそびれているが、来週はなんとか体調を整えて参加するつもりなんで、ご勘弁。
テレビで『名探偵コナン1時間スペシャルデジタルリマスター版 呪いの仮面は冷たく笑う』を見る。2000年に放送されたものの再放送だけれど、これがアニメでの初の長編オリジナルだとか。それで“左右対称の”「館」もので「密室殺人」というのは、なんだかかかなり「新本格」を意識してる感じ。謎の双子の雰囲気など、設定そのものは好みなんだけれども、青山さんの絵柄だとどう頑張っても怪奇なムードは出ない。殺伐とした作品が多いわりに、『コナン』が世間的に俗悪アニメ扱いされずにすんでいるのは、この絵柄にみんな騙されてんだよな。
読んだマンガ、青山剛昌原作・山岸栄一『名探偵コナン特別編』22巻。 小学生向けの特別編のはずなんだけれども、こちらの方も内容がだんだん殺伐としてきているような。殺害方法に陰湿なものがかなり多いんだよねえ。サンデー連載版と違って、ページ数も限られていて人間心理の掘り下げまではムリだから、どうしても「推理クイズ」の域を出ない。それでいて扱う事件は残酷なのが増えてるからどうにも中途半端な印象が強くなってきた。でもまだまだコドモに人気はあるんだろうなあ。どこに惹かれてる?
先日亡くなった小田部通麿氏を偲んで、『仮面の忍者赤影/卍党編』を1話から見返す。第3部以降は、登場忍者が増えて怪獣(赤影の場合は「怪忍獣」と呼ぶ)も多数登場するようになるので、一部の準レギュラー俳優を除けば敵の忍者の出番が少なくなってしまい、一人一人の忍法もさほど目立たない、ありふれたものになってしまうが、この第2部卍党編は違う。魚麟流伯の溶解液や、白臘鬼の伸縮自在の身体、黒道士のパラソル飛行など、ビジュアル的にもかなり奇天烈なモノが多く、横山光輝の原作を逸脱して、さらに元ネタである山田風太郎の世界に肉薄しているのである。 小田部さんが演じていた不知火典馬もその名のごとく火炎攻撃を仕掛けるのだが、これはからだ中に油を仕込んでいるので、その油が切れると火炎攻撃ができなくなる、という弱点があった。一番ハデな忍法使うわりに、一番リアルな設定だったのだ。原作にも不知火典馬は登場しているが(ただし「不知火典膳」という名前)、外見は全く違っていて、普通の忍者の格好である。それに引き換え、テレビの卍党うつぼ忍群、みんな赤だの青だの緑だの、全身カラフルなのだが、こんな忍者、目立って仕方がないよなあ(^o^)。 Google検索をかけて小田部さんを偲ぶ記事がないか探してみたが、新聞の追悼記事ばかりが上位に来ていて、日記などで追悼しているような様子がほとんどない。小田部さんを知らないオタクのほうが多いのか、ネットはまだまだ狭い世界なのか、どっちにしろ寂しい話である。
永井豪原作・那須博之監督の実写版『デビルマン』に、ドイツ、イギリス、スペイン、オランダ、ロシア、ノルウェーなどの北欧、韓国、香港、などなど、約40か国から海外配給のオファーが殺到しているとか。 東映作品としては『バトル・ロワイアル2』の上映30か国を越えて、最終的な海外セールスは50か国に達する新記録を打ち立てそうだということである。 予告編を見る限りではCG映像の非リアル感は如何ともしがたく、なんかこれ、最近のCG映画に比べても技術がかえって後退してないか、という雰囲気なのだけれども、みんなプロモーションビデオを見た上で買い付けようとしてるんかね? 海外人ももう、一連のCG作品の「非リアルな動き」などは商売上のネックにはならないと判断しているのかなあ? まあ、『シュレック』や『モンスターズ・インク』程度で満足できるんなら、それもそうなんだろうけれど。単に「オファーしてるだけ」で、現物見たあとで「やっぱ、買うのやめます」にならなきゃいいけどね。“公開直前、試写会後”にこういうニュースが流されたってとこから考えても、これ、映画の評判が悪かったための切羽詰った宣伝政策じゃないかって気もするな。でも「海外のオファー」が云々って、そんなに宣伝効果あるかな? 『キューティーハニー』の「世界配給」ってのも全く効果なかったけどね(アレはホントに海外で公開されるんだろうか)。 現物はまだ見てないけど、あの長大なスケールの映画を2時間程度の映画に収めようというのだから、まずどこかにムリが生じるのは仕方がないと思うのである。製作費10億円というのも、規模を考えれば安すぎる。だからそこには多分なにか“日本映画らしい”「知恵と勇気」(^o^)のアイデアが盛りこまれてないとウソなわけで、さて、そこが評価の分かれ目になるんじゃないかと思う。 いや、ともかくも見に行きますよ。今年はともかくマンガ・アニメの実写化はとことん見に行く覚悟だから。
2003年09月20日(土) 優柔な憂愁/『よみきりもの』5巻(竹本泉) 2002年09月20日(金) ついに発売! アレとアレ(^o^)/映画『インソムニア』ほか 2001年09月20日(木) ま、映画さえ見られりゃいいんだけどね/『夜刀の神つかい』4巻(奥瀬サキ・志水アキ) 2000年09月20日(水) 頭痛と頭痛と頭痛と……/ムック『山下清のすべて』
| 2004年09月19日(日) |
大掃除大パーティ/『かりん』2・3巻 |
早朝3時、仕事から帰ってきたしげ、舞台中継『ミッドサマー・キャロル』を見たいというので、録画したDVDをかける。けど、今日はよしひと嬢のお宅に焼香に行く予定であるし、そのあと何やらパーティもするとか言ってるのに、寝る時間が全くなくなってしまうが大丈夫なのだろうか。 私の方は早々に落ちて、9時過ぎまで眠る。その間にしげは出かけて行ったようだった。……部屋の片付け全然済んでないんだけど、どうするつもりなんだよ。
昨日は雨時々曇りで、玄武亀代と竜宮亀太郎に日向ぼっこをさせてあげられなかったので、今日はベランダに出してやる。 食欲旺盛な玄武に食餌を取られて、竜宮の方が食が細くなってしまっていたので、一時期、二人を別居させていたのだが、それまで与えていたレプトミン(ビタミン・ミネラルフーズ)をガマルス(ヨコエビ)に変えたら、竜宮も一所懸命食べるようになった。大きさはやっぱり玄武の方がひと回り以上もデカいのだが、竜宮がイジメられている様子はないようである。 その間に風呂場で水槽を洗う。浄水ポンプのおかげで水自体は澄んでいるように見えるが、洗うとやはりかなりカメ臭い。週一のこの水槽洗いが習慣になっているが、二人がもっとデカくなって水槽も大きいのに買い替えないといけなくなったら、この作業、かなりひと苦労になりそうである。
休日のうちに未見のDVDを片付けようと、映画『切腹』を見る。 映画自体は随分前に見ているのだが、これはずっとDVD化を待っていた一本だった。なんとなれば個人的にちょっと思い出があるのである。 生前の母はこの『切腹』について、「見てられないくらい残酷!」と、まるで怪談話をするかのように身振り手ぶりを交えて、聞かせてくれたものだった。それはもちろん、石浜朗が竹光で自分の腹をかっさばくシーンの再現なのであるが、普段は豪胆で肝っ玉かあさんな母が「竹光だから腹を刺しても切れなくて、もう何度も何度も突き刺してね。背筋がぞっとして『早く映画が終われ!』って思っとったよ」なんて眉を顰めて言うものだから、それはいったいどれほどオソロシイ映画なのかと、小学生の私は見てもいないうちからそのグロテスクな描写を想像して怖れおののいていたのだ。けれどあまりに「残酷さ」ばかりを強調するものだから、詰まるところ映画として面白かったのかどうか、母の話だけではよくわからなかった。 実際にこの映画を見ることができたのは20代に入ってからだった。監督が小林正樹だから、映画の底流にはどうしたって社会主義思想、反権力と言ったものが流れているのだが、殺陣を初めとした描写そのものに迫力があるので、そのあたりのイデオロギーがさほど鼻につかない。例の竹光での切腹シーンであるが、今の目で見るとそんなに「残酷」という印象はしない。けれどそれは私の方が数多の残酷描写に慣れきっているためであって、40年前にはこれは充分、目を背けたくなるほどの悲惨なシーンとして大多数の観客には受け止められていたのだろう。母の受けた衝撃も、やはり初見のインパクトの強さゆえだと思われる。 シャワー中の惨殺シーンで観客に失神者も出たというヒッチコックの『サイコ』の公開が1960年、時代劇にそのリアル描写でショックを与えた黒澤明の『用心棒』が1961年、そして血飛沫の決闘を描いた続編『椿三十郎』が1962年。そしてこれまた大ブームを起こしたヤコペッティの『世界残酷物語』が同じ1962年。『切腹』の公開も1962年だから、まさしくこの映画は「残酷描写ブーム」の流れの上にある。けれど、もともとリアル志向の強かった小林監督にとってはこのブームは渡りに船だったのではないか。東映時代劇がただ残酷であればいいと、不必要なまでのグロ描写を持ちこんで失敗作を量産していたのに対し、『切腹』の残酷描写は物語が求めた必然である。そういう流れを意識せずに見ることのできる現代の方が、この映画を真に評価するのには適しているのではなかろうか。 1962年公開ということは、母は私の妊娠中にこの映画を見に行っていたことになる。……なんかすげえ胎教に悪いことしてないか? 当時、「胎教」なんて知識はあまり普及してなかったから仕方がないけれども。もっとも胎児の私には武満徹の音楽だけしか聞こえちゃいなかっただろう。……いや、武満さんの音楽だけで充分、赤ちゃんにはよくないかもなあ。もしかしてこの映画のせいで私は……。いやいやいや。
昼から映画を見に行こうかと思っていたのだが、とっちらかったままの部屋を放置しておくわけにもいかず、しげが出かけている間に少しでも片付けておこうとまずは山積みのDVDから手を付ける。しげも全く部屋の片付けをほったらかしていたわけではなくて、私にせっつかれて床面積だけは空けていたので、本棚の隙間を見つけながらとりあえずDVDをぶちこんでいく。けどもうスペース自体か殆どないので、本当は読まなくなった本などダンボールに入れて押し入れにでも突っ込むしかないのだが、そこまでの時間的余裕はない。なんとかDVDだけ片付けた時点で、しげたちが北九州から帰ってくる。 本日のお客さんは鴉丸嬢、其ノ他君、カトウ君、圭To嬢(通称ヒゲちゃん)、細川嬢(通称ボインちゃん)。部屋の中に入るなり、鴉丸嬢が「部屋が一つつぶれてる〜!」と泣き笑い。しげが適当に積んだ山積みの本が背丈を越えるほどになっていて、部屋の入口が埋まって中には入れなくなっているのである。隙間をうまく使うことができないというか、大きさも合わせずにただ本を積み重ねているだけなので、バランスは頗る悪く、これもいつ雪崩れを起こすか分からない。こちらはとても手をつけられないので、掃除の対象は主に台所、寝室、居間になる。 居間は特にパーティ会場を作らなきゃならないので、ゴミを拾い集め、掃除機をかけて特に念入りに。総出で季節外れの大掃除であるが、もうゴミが出ること出ること。バケツリレーのようにゴミを外に出して捨てて行くが、ゴミ出し日は本当は明日である。……まあ、1日くらい早いのはいいか。紙ゴミばかりで生ゴミ類は殆どないし。 寝室の本はほとんどしげが持ちこんだもので、枕元に重ねた本が雪崩れを起こしていたのを私が分類して積み重ねていたのを、鴉丸嬢がやっぱりバケツリレーの要領でヒゲちゃんボインちゃんの二人に手渡していったん居間に出して、それからスペースを作り、もう一度崩れないように積み戻して行くという作業。 ときどき鴉丸嬢の悲鳴と笑いが聞こえてくるが、どうやらダニに噛まれているらしい。しげは掃除機をかけることを全然しないまま万年床なので、そりゃダニくらいわいているだろう。つか、しげだって寝てるときダニに噛まれてるはずなんだが、鈍獣だから気が付いていないのだろう。 「掃除機の替えのフィルターはどこっ!?」 「えーと、どこだっけ?」 「そこの引き出しの中でしょっ!? こないだ片付けに来た時、私が片付けたんだからっ!」 「すごーい、オレよりウチの中のことよく知ってるー」 「そんなこと言われても、ぜんっぜん嬉しくないっ!」 鴉丸嬢としげの会話を端で見ていると、まるでボケとツッコミの漫才コンビである。この雰囲気のままに今回の芝居の台本を書いたのだが、自然体の二人のほうがはるかに面白い。いや、鴉丸嬢にとってみれば「なんで自分たちで家の中のことくらいできないのだ」ということになるのだが。いやね、私は今、鴉丸嬢が感じているのと同じ疲労感を結構当初から数年、散々味わって、もう疲れてしまったのですよ。 台所担当は主にカトウ君、其ノ他君だが、カトウ君は今日の待ち合わせに寝坊して遅れたとかで、一番大変な場所を割り当てられている。ゴミ溜めと化している流しを片付けながら、「虫が涌いてないだけマシですよ」と言っていたが、もちろん虫は涌いていたのをさすがにこれは、と私が掃除しておいたのだ。もちろんしげには何度も「片付けとけ」と言っといたのだが、いつも通り無視されてしまっていた。 結局掃除に3時間ほどかかってしまったが、終わったあと、みんなの手は真っ黒に汚れていた。日頃の掃除がちゃんとされてれば、こんなことはないんだけどねえ。
食材を買ってきて、いよいよ鍋パーティ。名目は9月生まれが多いので、合同誕生会である。具は鶏肉、豆腐、春菊、白菜、人参、えのきだけ、なめたけ、とオーソドックスだが、なぜか豚しゃぶまで用意されているのは、しげの好みだろう。鶏と豚、普通は一緒にしないけど、「味がかち合って相殺される」というのは『美味しんぼ』がこじつけた俗説で、美味いもんは美味い。 ご飯は手巻き寿司をめいめい勝手に。刺身に卵焼き、キュウリにシーチキンサラダをご飯と一緒に巻いて食べるのだが、ここでもしげ、口に頬張りきれないほどの具を海苔の上に乗せて、食いきれずに天を仰ぎながら無理やり手で押し込んでいる。おかげでしげの手や顔は海苔の粉だらけだ。全く幼稚園児と一緒に食事してるような気分になる。 食材は相当量があったと思うが、ほとんどみんなで平らげる。其ノ他君が一括して食材を買ってきたのだが、費用を聞いてみると驚くほど安い。居酒屋とかに行くよりも、こういうホームパーティーの方が食えるものは食えるし、いいかもしれない。もっともウチでパーティやると、食事よりも掃除の方がメインになるので、落ちつかなくてよくない。今度こういう催しをやるなら、誰かもっと広い部屋持ってる人のうちでやろうよ。
しげがヒゲちゃんボインちゃんを車で送っている間、カトウ君、其ノ他君とDVDなどを見る。其ノ他君は仕事疲れもあって早々に寝てしまったが、カトウ君には『サムライチャンプルー』や『DAICON版帰ってきたウルトラマン』『八岐之大蛇の逆襲』などを見せる。うちに遊びに来る人はちょっとでもオタク臭が漂ってると、こういうものを見せられてしまうので覚悟が要るのである。『八岐之大蛇』はつまんないので飛ばし見だけど。 カトウ君、書架のDVD群を見ながら、「ここは『夢の島』ですねえ」と言い間違える。それ、「ゴミの山」って意味だって。 しげと鴉丸嬢が帰宅してきてからは、今度は『幻想水滸伝』ほかのゲーム話。こちらの話題にはあまり付いてけないので、私は傍観。みんなで『ダンスダンスレボリューション』を始めたので、私は一足先に寝た。……みんな体力有り余ってるわ(-_-;)。
読んだマンガ、影崎由那『かりん』2、3巻。これも大掃除の最中に山の中から発掘。こんなふうに買ったはいいけど読み忘れてる本がまだ山とあるのである。 吸血鬼とか増血鬼とか(^o^)、普通、主人公の正体が人間にバレてからの展開はつまんなくなりやすいけど、これは「なぜ、かりんだけが増血するのか」というもう一つ奥の謎を取っといてるので、まだまだ先が読めない。実は私は、高一の子持ちにはトテモ見えない(セーラー服のコスプレに違和感がないというのはなあ)文緒母さんの行く末の方が気になってるのだが。
2003年09月19日(金) 回想の妻/『にっちもさっちも 人生は五十一から』(小林信彦) 2002年09月19日(木) 騒ぎどころが違うぜ/『仮面ライダー龍騎 13RYDERS』/映画『恐怖の火星探検』/『ロケットマン』3巻(加藤元浩) 2001年09月19日(水) ヤンキーたちの好きな戦争/『日露戦争物語』1巻(江川達也)/『探偵学園Q』1巻(さとうふみや) 2000年09月19日(火) 塩浦さん、今度はご夫妻で遊びに来てね
| 2004年09月18日(土) |
アナリストたちの誤算/『毎日かあさん カニ母編』 |
昨日の日記が字数オーバーしてしまったので、書けなかったこと。 しげの通院がそろそろ一年になるというので、病院の先生が「一度ご主人にも来てもらえませんか」と仰ったとか。家事がまともにできない、物忘れがひどい、罪悪感がない、すぐヒステリーを起こす、そのあたりの状況がどれだけ変わったか、話を聞こうというのだろう。私の感触としては、最初の三つはたいして変化がないが、ヒステリーだけはあまり起こさなくなってきたように思うのである。これはやはりクスリの効果なのだろう。今後も通院して治療を続けるかどうか、という相談もあろうとは思うが、10年かかって殆ど進歩のなかったしげが少しは落ち付くようにはなったのだから、効果は微々たるものでも、やはり今後もお願いしたいところである。 それよりも私の方が「だいぶ神経やられてますね。入院治療が必要です」とか言われなきゃいいが(^_^;)。
しげは今晩が仕事、明日はパーティだというので、クスリを飲んで爆睡している。部屋の片付けもまだ残っているというのに気楽なことで、少し広くなった居間で、仰向けになってバンザイ、足はガニマタという実にみっともない格好でイビキをかいている。 見てるとなんだかむかっ腹が立ってきたので、携帯カメラで写真を撮ってやった。あとでしげに見せて笑ってやろうと思ったのだが、夕方になって起きてきたしげ、写真を見てひとこと。 「こんなのに惚れるアンタっておかしいよ」 なんか、肉を切らせて骨を断たれたような。
WOWOWで舞台『ミッドサマー・キャロル ガマ王子対ザリガニ魔人』の中継。 7月にPARCO劇場で録画したものだが、やはり舞台を映像で見るのはかなり魅力が減殺されてしまうことを痛感。役者の対話を切り返しで見せるだけでもカメラが自由に動けるわけでもないからかなり違和感が生まれているし、芝居の流れを無視した編集もあちこちに見受けられた。これで初めて後藤ひろひとの作品を見たという人には、「ホンモノの舞台はこんなもんじゃない」と言っておきたいところである。 役者さんたちの演技も、私が見た千秋楽の時の方がはるかに上達していた。福岡での客の笑いなどの反応がよかったこともあるのだろうが、例えば伊藤英明が「安達祐実……ジョディ・フォスター、ドリュー・バリモア!」と叫んで泣くシーンなど、放送版よりも千秋楽の方が客の反応を見つつ、かなり間がよくなっていた。長谷川京子も放送版ではただ「突っ立ってる」だけの演技がまま見受けられ、なんだかハラハラしてしまったのだが、それが千秋楽では立っているだけに見えても相手の役者とちゃんと対峙するようになるまで上達していたのだから、大したものなのである。記録に残すんなら福岡版流せ、と言いたくなるくらい「差」があったのだ(伊藤さんが1ヶ所だけ吹いてたけど、放送版でも木場さんが1ヶ所トチってたからトントンだろう)。 芝居のチケットは確かに高い。けれどやっぱり舞台はナマで見ないとその真価はわからないのである。
読んだマンガ、西原理恵子『毎日かあさん カニ母編』。 オビの「家庭円満マンガを描いていたら、連載中に離婚してしまいました(笑)」という作者談が全てを物語っているな。家庭や子どものことをネタにしてマンガを描く作家さんは多いけれど、子供が長じてそれを見るとたいてい、「なんでこんな恥ずかしいことまで描くんだよ」と怒ってグレたりする。でも西原さんとこの子どもは相当なこと描かれちゃいるけどあんまり怒んないんじゃないかなあ。こんなにいい母さん、ちょっといないから。 こしのりょう『Ns‘あおい』1巻。 こうしょっちゅう入退院を繰り返していると、医者ものマンガに惹かれてつい買ってしまうのだが、正直、これはいい! というものは少ない。リアルっぽく見せかけて結局お涙頂戴で締める『ブラック・ジャックによろしく』とか読んでて腹立ってくるし。このマンガも構図やら展開やら『よろしく』の影響をモロに受けてるんだけど、まだ嫌悪感が少ないのは主人公がナースだからかな。
おかずが尽きているので、朝食はそば、昼と夜はスパゲティに、それぞれネギだの千切りキャベツを混ぜるだけで肉ナシ。 しげが「給料入ったら親子丼ね?」と言うが、こないだまでは給料入ったら「肉肉肉」とうるさかったのだが、親子丼なら安上がりで重宝する。しげが二食分食ったって、300円くらいしかかからないもんな。
映画『ホーム・アローン』シリーズに主演した元名子役のマコーレー・カルキンが、17日に、規制薬物とマリフアナ所持の疑いでアメリカ・オクラホマ州の警察に逮捕。 莫大な出演料を巡っての両親の確執、離婚とか、本人の17歳での結婚、破局とか、まあ、これまで散々アメリカの子役が辿ってきたスキャンダルの歴史を、見事になぞってきたカルキン君だったけれども、その期待に答えるようにクスリに手を出しちゃいました。あとは服役後の自伝執筆と来るかな。 それこそ散々言われ尽くしている「子役の大成は難しい」だけれども、本当は全然難しくないのである。大成する前に引退すりゃいいんだから。5歳やそこらで「将来は役者になりたい」という大志を抱く子どもというのもそう多くはなかろうから、子どもが映画に出演するというのにはやはり何らかの形で親が関与しているわけで、単に子供時代の思い出として学芸界のお遊戯感覚で演技をさせたいのか、それとも本気で演技者の道を歩ませたいのか、そこで子役の運命ははっきり分かれてしまうと言える。なんかカルキン君の場合は前者で出発してヘタに大金が親のフトコロに入っちゃったんで、トチ狂っちゃったって感じがしてならないね。 子どもが主人公の映画がヒットすれば、雑誌の見出しにすぐ「天才子役」の文字が踊るけれども、本当に子供の頃から内面の表現としての演技力を評価できるような子役なんてのはそんなにいるもんじゃない。たとえ子どもであっても、「どう、ボクってお芝居うまいでしょ?」って感じの「鼻につく」演技をする子は、かわいらしさで一時的な人気は得るものの、じきに化けの皮が剥げる。カルキン君に関しては、やはり子役時代のイライジャ・“フロド・バギンス”・ウッドと共演した『危険な遊び』でかなり“臭く”なっていたので、ちょっと心配してはいたのだが、案の定じきに失速した。現代版「魔少年」という役どころで、親としては『ホーム・アローン』のイメージを払拭しようとあえてスキャンダラスな役に挑ませたのだろうが、当時は「あんなヒドイ役をやらせるなんて!」という批判の声の方が強かった。イライジャ・ウッドとの明暗の差は明らかで、親が欲をかいて失敗したというお定まりのパターンである。 『E.T.』のヘンリー・トーマスもスキャンダルこそないものの、役柄に恵まれず(『サイコ4』ではなんと若き日のノーマン・ベイツ!……だもんねえ)、地味な脇役になっていった。『シックス・センス』のハーレイ・ジョエル・オスメントが、『A.I.』の興行的失敗にも関わらず“まだ”失速していないのは、イメージを裏切るような役を演じていないからだろう。『ウォルター少年と、夏の休日』以降の活躍も期待されるところで、子役の生き残りにいかに役の性質が深く関与しているかが分かる。『ダウンタウン物語』『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターや、『アダムス・ファミリー』のクリスティーナ・リッチとかは、もともとヨゴレ役が多かったからもう何を演じても平気、という感じで見事に生き残っている。女の子の場合はかなり真剣な演技を要求される例が多いので、生き残りやすいという面はあるのだろう。なんせあのドリュー・バリモアですら復活できたのだ。ダヴェイ・チェイスもダコタ・ファニングも、多分大丈夫だ。 カルキン君の場合、『ホーム・アローン』というその後の“期待される”役柄のイメージを強く持ち過ぎてしまったのが敗因だったのだなあと思う。もう24歳だが、今の写真を見てもただのとっぽい兄ちゃんにしか見えず、今後浮上することはかなり難しかろう。もうムリに役者するんじゃなくて、転職した方がまだ傷は少なくてすむよ、きっと。なんせオトナになって人殺しまでしちゃった子役だっているものなあ。
ここんとこあちこちで話題になっている野村総合研究所(NRI)の「国内のマニア消費者(オタク)主要4分野(アニメ・アイドル・コミック・ゲーム)の市場規模は約2600億円」報告。 オタクが分散化の一途を辿っているのに、それをいっしょくたにして大市場のごとく語るのはどうかという気もするのだが、この数字の大きさに惑わされてか、どうも「バブル」のときと同じように有頂天になっちゃってるギョーカイの方もいらっしゃるようで、なんかあまり騙されない方がいいんじゃないですか、と他人事ながらお節介なヒトコトも言いたくなるのである。 先日、森永卓郎氏はこの「2600億円」という数字に疑義を申し立てて、『夕刊フジ』の「森永卓郎サラリーマン塾」で、「1,メディアの融合化」「2,消費者と供給者の融合化」「3,新品と中古の融合化」の3点を挙げ、「オタク市場は現時点ですでに数兆円の規模に達しているだろう」と結論付けていた。 その分析自体にそう間違いはないと思うけれども、だからと言ってオタク産業の全てが成功するわけではないのは、先日のトワーニの解散も象徴していることである。映画、アニメ、コミック、フィギュア、トレーディングカードなどなど、それこそメディアミックスを駆使しまくった映画『キューティーハニー』が見事にコケたのは、まさに「笛吹けど踊らず」だったのではないか。だいたい『ハニー』は、昔ながらのオタクの間では『CASSHERN』よりは“少なくとも”評価が高かったのに、ヒットはしなかったのである。『ハニー』は『フラッシュ』で少女マンガになったことでも判るように、本来の読者である男の子だけでなく「女の子にも」受けたマンガではあったが、だからと言って女の子がファンになるメインストリームの作品ではない。『ハニー』の公開中、ちょくちょく映画館に足を運んではいたが、ともかく女の子が入る様子がなかった。 先日も日記に書いたが、男女間、世代間のオタク同士の断層はかなり深くなっていて、我々の世代のオタクにターゲットを絞ったところで「売れない」という法則がもうできあがりつつあるのだろう。
msnの「インテリジェンスの業界レポート」では、 「『otaku』はいまや、『shogun』『karate』『sushi』と並んで世界に通用する日本語だ。かつては『暗い』と同じ意味で、否定的に使われたが、そのイメージも変わってきた。また、オタクは重要な存在として注目されるようになっている」 「知財立国を目指す日本にとって、まさにオタクは“国の宝”ということになるかもしれない」 と、なんだか手放しの誉めようである。でも、この手のプロパガンダはこれまでにもしょっちゅう語られてきていて、その最たるものは岡田斗司夫さんの「オタクエリート論」であるのだが、それを真に受けてイタイ目に合ってきたオタクも決して少なくはないのである。 実際に周囲を見回してみて、オタクに対する世間の反応をよく見てみればよろしい。本当に「イメージ」は好転しているのであろうか。少なくとも私が知っている男性のオタクは若いヤツから中年に至るまで何10人何100人といるが(一応、顔だけは広いのである)、明るくて女性にもモテる、なんてやつは殆どいない。もっとも、女性が好きになるタイプの男性は殆ど一点集中なので、オタクであるなしに関わらずモテないヤツはとことんモテないのであるが。 しかし、興味のない相手にまで押し付けがましくオタクな話を熱心にするキモオタ男が男性女性を問わず嫌われているのは厳然とした事実である。
この二つのレポートにケツラクしているのはそもそも「オタクとは何か」という捉え方がおおざっぱな点だ。 「オタク=特定の趣味分野に時間や所得をかける人たち」と簡単に言うが、その「特定の」ってのが現実には、分野どころかかなり狭く限定された作品やキャラクターレベルにまで絞られている場合も多い。必ずしも作品同士のファンの相互乗り入れが行われているとは言えない状況もあるってことを、キチンと把握してはいない。 例えばテニプリファンの腐女子が、テニプリ以外のアニメ作品のグッズ収集などにどれだけ金をかけるというのか。そんなことをすれば、仲間うちからヘタをしたら「浮気したな!」と捉えられ、阻害されかねない。なんつーか、キャラクターの誰が受けで誰が責めかとか、その解釈の違いだけで反目しあう世界だからねえ(-_-;)。 ファンは一つの作品に飽きるまではあまりヨソの作品にまで真剣に興味を移したりはしないものである。「いいえ、私は複数の作品が好きですよ」と仰る方も、好きな作品は『SEED』と『ハガレン』と『最遊記』とか、やっぱり明らかに「そっち」方面に偏っているので、間違ってもこういう方は『クレヨンしんちゃん』や『あたしんち』のDVDを買ったりはしない。描いてる同人マンガもみんな似たり寄ったりで、誰かしんちゃんとカザマくんのボーイズラブくらい描いてみたらどうだ、と言いたくなる(「もうある」というウワサは聞いたことはあるが「主流」じゃないよな)。 「アニメなら片っ端から見る」なんて昔ながらのファンなんてのは殆ど絶滅しているのだ。興味関心が分散化しているだけではなく、マンガアニメ全般に時間やお金をかける余裕がないのも大きな原因の一つなので、だから「オタク受けを狙おう」と思って、「狙いどころを絞り損なう」と、砂漠に水を注ぐがごとく「誰も買い手がいない」という悲惨な結末を迎えることになる。 40代を過ぎた古株のオタクはいかにもインテリ然とした態度で宮崎駿作品を「あれはオタク心をそそられる作品ではない」とこき下ろす。しかし、毎日毎日『となりのトトロ』を繰り返し見て、部屋中をジブリグッズで埋め尽くすような子供をオタクでないとどうして言えようか(ここでは作品に対する分析批評ができるかどうかという質的な意味での「オタク」を述べているのではないので誤解なきよう)。当然、宮崎作品の収益は、全国津々浦々にまで拡散した「老若男女のオタクたち」によって支えられている。単純に「特定の趣味分野に時間や所得をかける」という特徴を挙げるのなら、既に日本人の殆どは「オタク化」しているのであり、そりゃ何10兆円だろうが市場が存在しているのは当たり前で、そんな分析には何の意味もないのだ。2600億とか数兆とか、こんなとんでもない数字は、それこそ200円のガチャポンを買い集めるガキンチョまで含めた数字だということを考慮に入れないといけない。 だからオタクをあくまで「市場」として考えるのならば、作品の訴求力がどの世代、どの階層、男女のいずれに偏るものなのか、2600億とかそんなユメみたいな数字に惑わされずに分析し、どの程度の資本投資が可能なのか冷静に判断することが必要なのである。それしなきゃ、みんなトワーニの二の舞だ。 ……まあ、だからこの手のニュースを見て、「オタクにも日の光が当たってきたんだ!」とか、「ボクももしかしてモテルようになるかも!」とか期待しているそこのキモオタのキミ、それはキミのことではないから勘違いするとかえって傷ついちゃうよ(^o^)。
2003年09月18日(木) めんどくさいのは私も好かんけど/『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』(大塚英志) 2002年09月18日(水) 復讐するは誰にある?/映画『恐怖のワニ人間』/『Q.E.D. 証明終了』13巻(加藤元浩) 2001年09月18日(火) 声だけ美少女/『スタジアム 虹の事件簿』(青井夏海)ほか 2000年09月18日(月) ゴキブリと音痴娘と構造記憶と/『僕らは虚空に夜を視る』(上遠野浩平)ほか
| 2004年09月17日(金) |
爆発120%!/『カミヤドリ』1巻 |
書くだけでムカムカしてくるので、もう簡単に書くけれど、トンガリさんがまた難癖をつけてくる。昨日の会議で決まったこと、やっぱりよく分かってなくて、全然仕事に手を付けようとしてないばかりか、「昨日の会議の内容がよくわかんなかったから、まとめて書類にして出してくれ」と言うのである。出ても出なくても結局一緒かあんたは。 「わかんないわかんないって、そりゃ仕事できないってことじゃないですか!」 「あなたは私を無能呼ばわりするんですか! 大概にしてくださいよ!」 「実際その通りじゃないですか! あなたがここにいたらそれだけで迷惑です!」 「あなたも最近は元気だからそんなこと言うんでしょうけど去年までは病気で仕事もロクにできなかったじゃないですか!」 ……ああ、この人、こないだまで私が入院してたことも知らないのである。もちろん自室に閉じこもって外に出てこないからそれも当然なのだが。 なんかもう、どうしようもない応酬をしたあと私がどうしたかと言うと。 ……資料作ってトンガリさんに渡したのである。だって仕事してもらうことが目的なんであって仕事やめさせようってわけじゃないんだから。 ああ、でもハラワタが煮え繰り返ると言うか、血管ぶち切れると言うか、なんとも腹の虫が収まらない。いやホントにこのヒト自分からやめてくれた方がどれだけの人が胸をなでおろすことだろう。けれど心臓だけは毛が生えてる感じだもんなあやめろったってやめないよなあ。 一連のやりとりを上司に報告したら、「藤原さんには悪いけど、笑っちゃうね。挨拶一つできない、礼儀も知らない、仕事もしてない人からしてないだろうって言われるのは。あの人の代わりに資料作ってあげてるのはどこの誰なんだろうね」と言って慰労されたのだが、心が慰められた気分には全然ならないのである。
いやなことは二つも書きたくはないのだが、帰宅したら父から電話がかかってきた。 いや、電話自体は私の病後を心配してかけてきたのだが、あとの話題がどうにも腹が立つ内容だったのである。 父の幼馴染の友人で、私も子供のころからかわいがってもらっていたある方がいらっしゃるのだが、どうもしげのことを気に入らなく思っているらしい。どこでどういう話を仕入れてきたのか分からないのだが、しげの育ちが悪いだの何だのと父に告げて、「なんで別れさせないのか」とか談判したと言うのだ。 思わず電話口で「はあ?」と言ってしまったが、父の親友と言っても私とは赤の他人である。何の義理があってそんな余計な口を叩くのかワケが分らない。しげとその人とは顔を合わせたことだってそう多くはない。まだしもしげの家事ほったらかしぶりをよく知ってる劇団の連中から言われるほうがリクツは通るというものだ。 しかも我々夫婦を別れさせたい理由が「しげの育ちが悪いから」とはいったい何なのだ。ついそばにいたしげに「お前、育ちが悪かったのか?」と聞いてしまった(^_^;)。しげは笑って「よくはないぞ」と威張っていた(威張るなよ)。 そもそも「育ちがいいか悪いか」なんてこと、客観的な線引きができるものでもない。「あんたは育ちがいいかね?」と聞かれて「いいよ」と答える人間は大馬鹿だろう。結局は「自分の方が格上である」という差別意識があるからこんな発言が平気で出るのである。時代錯誤も甚だしい。 「でもどうしてわかったの?」としげは自分が蔑まれたことよりもそちらの方を不思議がっていたが、確かにそれが謎である。単に当てずっぽうでそんな中傷をしてるだけのような気もするが。 当然父も怒ってその方とはかなりな口喧嘩になったそうなのだが、父はこれまでにもその方とは何度となくこの手の話題で口論を繰り返してきているのである。今後、その人の性格が改まることはまずあるまい。 世の中には親切ごかしでこんなことを言う人がたまにいる。自分では「この人のために何かしてあげなければならない」「この人に意見ができるのは自分だけだ」と思いこんでいるのだろうが、そんなのはただの思いあがりで、実際は「そういう『親切な自分』を演じる」のが好きなだけなのである。自意識の塊のようなこういう人種にからまれると、全く鬱陶しくて仕方がないのだが、こういう手合いは天災のように忘れたころにやって来るので、関わり合いにならないでいることはなかなか難しい。私的な付き合いなら縁を切るだけですむのだが、仕事上でこんなのに関わった日には逃げることも叶わないからもう胃に穴が空くのも仕方がないのである。 さらに悲しいのは、たまに私がそういう連中と同一視されることがあることである。私の言動を見たり、この日記の文などを読んでいれば、そういう「余計なお世話」の類が大嫌いだということが分かりそうなものなのだが。読解力がないというか、人を見る力に著しく欠けているというか、何か意見を言われただけで「干渉」だとか「強制」だとかヒステリックにがなりたてるのがそういった連中のパターンなのだが、これもそもそも自分自身が他人に意見を押しつけたいタイプだから、他人の意見が全て「干渉」にしか見えないのである。まず自分の姿を鏡で見ろってば(-_-;)。 全く、世の中は自意識過剰と被害妄想の二種類の人間しかいないのだろうか。タメイキ。 父は「どこでそんなウワサ聞きつけたか問い詰めてみようと思う」と言っていたが、「余計なことはしなくていいよ」と言っておく。ウワサが本人のところに届いている時点で、そのウワサはかなり広範囲に広まっていると判断して間違いはない。そんなもんのルーツをいちいち探るだけ労力のムダだし、知ったところで何がどうなるものでもない。人を蔑みたいやつは相手がどういう人間かということより蔑む行為自体を楽しみたいのである。具体的に商売上の不利益を被るとか、そういう被害がない限りは、ほっといたらいいのである。 もっとも、そのお節介な父のお友達にはかなり本気で腹が立っているので、父はいざ知らず、私の方では今後お付き合いをすることはなかろうと思う。昔の恩義(といってもたいしたこっちゃない)と今の不快感を天秤にかけたら、やっぱ今の不快感の方が大きいのである。
夕食は昨晩と同じで親子丼。しげは当然ドンブリめし山盛りを米ひと粒残さずに食い尽くす。4日分くらい買いこんでいた材料が二日で尽きてしまった。恐るべしビッグ・ストマック。明日のおかず、何もなくなったぞ。 テレビで『ザ・ジャッジ 2時間スペシャル』を見る。 叶姉妹のネタのところで「いくら姉妹でも許せないことがある」とかいうセリフがあったが、それ見て「おいおい、あんたら『叶姉妹』ってユニットで、ホントの姉妹じゃないだろう」と突っ込んだ人、多かったろうなあ。 森光子が80歳にして白髪が全くないというのはちょっと信じられない話だが、あの舞台での活躍ぶりを見ていると、それもなんだか納得できてしまうのである。
読んだマンガ、三部けい『カミヤドリ』1巻。 感染症により怪物化した人間をハントするってのは基本的にゾンビものの変形であまり新味は感じられないけれど、絵柄とヴィヴィのキャラクターはなかなか好み。やっぱハードな設定の中でコミュニケーション不全の少女が人間らしい心を取り戻して……というパターンが好きなのだな。ただ、ヴィヴィはともかく、他のキャラまで表情の付け方が固いのは絵としてはやや読みにくい印象を受けた。
早いとこ単行本になってくれないかと毎号楽しみにしている『言語』の斎藤美奈子さんのエッセイ、『斎藤美奈子のピンポンダッシュ』であるが、10月号の第22回、『信長か秀吉か家康か』と題して、小学校6年生の「社会」の授業の内容が紹介されている。 それによると、いわゆる「ゆとり教育」の一環として、「もしなれるなら信長、秀吉、家康の誰になりたいですか」という問題があるという。斎藤さんの知人の息子さんは、その三人の誰にもなりたくなくて困ったとか(^o^)。 ほかにも「なぜ頼朝は弟である義経を追いつめて殺したのか」「タイムマシンに乗って杉田玄白にインタビューするとしたら」とかいう問題もあって、かつての知育偏重を反省し、歴史をただ知識として覚えるのではなく、その「人間性」にまで迫ろう、というのが主旨であるようだ。斎藤さんはそれを「だれそれの気持ちになって考えるのがそんなに大切?」「『人間性』を主軸にしたら、必然的に『気性』を云々しなければならなくなる」と言って疑義を提しているのである。 でもこの「三人のうち誰に」っての、私も小学校のころに先生から聞かれたことがあるな。やっぱり5年か6年のころで、今時の若い人はよく知らないかもしれないが、例の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)」「鳴かぬなら鳴かしてみしょうホトトギス(秀吉)」「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス(家康)」の三つの俳句を引いて、「あなたならどのタイプになりたいですか?」という質問をされたのである。 小学生も高学年となればチエも付いてくるし、先生が「どんな答えをほしがっているか」くらいは見当がつく。間違っても「信長」と答える子はいなくて、たいていは秀吉か家康タイプに分かれる。内心では「でも好きなのは真田幸村なんだけど」とは決して言わないのである(NHK人形劇『真田十勇士』なんかを見てたらそりゃ秀吉のファンにも家康のファンにもなりようがない)。けどそうやって「教師の気に入るように慮って」答えた解答にどんな「教育的成果」があるんかな、と疑問に思うのは斎藤さん一人ではあるまい(まあ媚の売り方は覚えるだろうがね)。だいたいそんな「俗説」のイメージを歴史の真実であるかのように語るというのは、それこそ「歴史の捏造」ではないのだろうか。それは私も小学生の時分から疑問に思ってはいたのだが、なんだかそのあたりの現代教育、どんどん妙な方向に歪んでいっているように見える。 思うに現代の教育界、「ゆとり」どころか「あせって」いるのだ。犯罪の低年齢化が進むにつれて、学校は何をしているんだ、子供の心をちゃんと見ているのか、などなどと突き上げられる。何か事件が起きてしまえばいったい誰の責任なのか、校長か担任か親なのか、スケープゴート捜しに奔走し、誰かの一瞬の油断が責められババを引かされる。おかげで教育界はノイローゼ寸前、これではトチ狂った先生たちによって「なんだかなあ」と言いたくなるような授業方法が生み出されても仕方がない。ともかく求められるのは「即効性のクスリ」なのだから、副作用まで考慮する余裕はなくなっているのだ。いや、もしかすると即効性すらない気休めを与えられているに過ぎない場合もあるかもしれない。結局、彼ら教師たちは、子供の心に「思いやり」と「優しさ」を取り戻すことができれば犯罪を防止することができるという極めて短絡的でノーテンキな思考しかできなくなっているのである。 別に「世の中が悪い」と言いたいわけではないが、犯罪の低年齢化は社会の必然である。共同体がとうの昔に解体し、高度な情報化社会と化している現代においては、人間もまた一つの情報にすぎず、「ワン・オブ・ゼム」としてしか機能しない。現代では本当に必要な人間など誰一人存在していないのである。にも関わらず、学校では先生対生徒、生徒間においてさえも一人一人が互いに必要としあっているような擬似関係をムリヤリ作らされている。目端の利いた生徒なら、その欺瞞を何年も続けさせられていればいい加減で嫌気がさすのは当然で、中には堪え性なくぶち切れるガキが出てくることもあり得ようというものである。そこに「思いやり」なんてキレイゴトを投げかけるのは火に油を注ぐようなものだ。別にこんなことは私一人が語ってることじゃなくて、これまで何万編も語り尽くされてることなのだが、そういうことが分かっていてもなお「生きる力」云々のキレイゴトを語り続けなければならないところに現代教育の一番の病根があるんだろう。 でもみんなどうして「今の教育はダメだ」とか「おかしい」とか言いながら子供を学校にやるかね。行き先を見失ってるバスと知ってて乗っかる乗客も所詮はバカだと思うけど。「だって他に交通手段がないじゃないか」と言うのなら、そもそも今の教育界を安易に批判する資格はあるまい。 それに、“本当に”学校に通わせること以外に教育方法の選択肢がないのかどうか、世の親がどれだけ考えたというのだろう。いったい今の学校の授業の中で、社会に出たときに真に役に立つ勉強がどれだけあるというのか、子供にキチンと説明している親がいるのだろうか? 小学生の親はただ託児所がわりに子供を学校に追いやり、中高生の親は自分の見栄のために通わせているだけではないのか? そこが生徒間のいじめや暴力、教師の手前勝手な思想の押しつけ、あるいは下らぬ校則での管理など、社会の理不尽な現実のミニチュアであることを知った上で子供を送り込んでいるのだろうか? もし「それこそが社会勉強だ」と主張するのなら、もう私には何も言うことはないけれども。 映画『誰も知らない』で、YOUが演じていた母親が「学校なんか行かなくてもえらくなった人はいっぱいいる」と言い放つシーンがある。アレを見て「なんて無責任な母親なんだ」と憤る人はいるだろうが、実は一昔前の親というものはどこでも同じセリフを吐いていたのである。だって本当に「学校に通わせるだけ時間のムダ」と思っていた親が多かったから。現代だって、「学校以外の選択肢」を選ばせた方がいい子供は本当は何万人、何十万人という単位でいると思う。
レイモンド・ベンスンによるOO7・ジェームズ・ボンドシリーズの最新小説『赤い刺青の男』は、ご存知の方も多かろうが“あの”『OO7は二度死ぬ』の「直接の」続編で、日本を舞台にしている。 このほど映画化とロケ誘致の実現を目指す署名活動が、北海道登別市で始まったそうな(同じく小説に登場する香川県でも既に署名活動を開始)。 けれどもここんとこOO7シリーズの映画は殆ど映画オリジナルとして作られており、原作は存在していない。巷に流れている小説版はあくまでノベライズなのである。 ジョン・ガードナー、ベンスンと、イアン・フレミングの衣鉢を継ぐ形で書かれてきた小説オリジナルシリーズは、これまでただの一本も映画化されたことはなかった。フレミングの原作があったころにはたとえ原作をかなり逸脱した内容であろうと原作のネームバリューは無視できず、タイトルはあくまで原作を踏襲してはいたのだが(第15作『リビング・デイライツ』まで)、映画製作会社であるイオン・プロダクションとしては「別にガードナーやベンスンの小説をムリに映画化しなくても、映画オリジナルの方が、客が集まるし」といった判断でもあるのだろう。スペクター再登場の話などもあって、決してつまらなくはないのだが。 だから、北海道や香川県がいくら署名運動を展開したところで、映画化はかなり難しいと思うのだが、『赤い刺青の男』をお読みの方はご承知の通り、あれにはなんと『二度死ぬ』のタイガー田中が再登場しているのである。タイガーと言えばもうこれは丹波哲郎以外の役者は考えられないので、もしも映画化されるのなら、丹波さんには失礼ながら、時間的な余裕はそんなにないと思うのである(^_^;)。OO7シリーズでボンド以外のゲストキャラが同一同俳優で再登場した例はリチャード・キールのジョーズなど、数えるほどしか例がない。それを考えると、これは確かに映画化してもらえんものかという気はしてくる。 ピアース・ブロスナンのOO7降板は決定して、次作のボンドはどうやら『エバー・アフター』『ミッション・インポッシブル2』のダグレー・スコットになるらしいが、もしも『赤い刺青の男』が映像化されるとすれば、“若返ったボンド”(スコットは来年40歳)と、トシを取ったタイガー(丹波さんは現在82歳)との共演になるわけで、いくら「ボンドはトシを取らない」ことが暗黙の了解だからと言っても、どうしたって「同一人物の再会」と言い張るにはムリがあるのである。やっぱり映画化はムリですかねえ。 豆知識だけれど、丹波さん、『二度死ぬ』の中では「グッモーニン、ミスター・ボンド」と発音もアクセントも実に見事な英語を披露している。丹波さんのプロフィールを覗いてみると「戦後GHQの通訳をしていた」というこりゃまたビックリな経歴も記載されているので、丹波さんの英語はホンモノだ、と思っている人も多いと思うのである。けれどこれ、真っ赤なウソで、ご本人が「全く喋れない」ことを『笑っていいとも』にゲスト出演したときに告白しているのだね。 それで通訳なんかできたんか、とビックリされるだろうけれど、まあ戦後すぐのことだからいくらでも嘘八百がまかり通った時代だったというか、そこにいただけで何も仕事しなくてもしたフリするくらいの演技力は丹波さんにとってはおちゃのこさいさいだったというか(^_^;)。ともかく『二度死ぬ』の英語はあれ、外人さんの吹替えで丹波さんの生声じゃないんである。ちょっと聞いただけだと丹波さんの声に似てるんでウッカリダマされちゃうんだけれども(私も昔は本人の声だと思いこんでました)。
2003年09月17日(水) そう言や久しぶりのカラオケだったな/『雑多なアルファベット』(エドワード・ゴーリー) 2002年09月17日(火) 放生会の掘り出し物/『博多の心』(朝日新聞福岡総局)/『魁!! クロマティ高校』5巻(野中英次) 2001年09月17日(月) 祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか 2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか
| 2004年09月16日(木) |
小田部通麿氏ご逝去/あさりよしとお『まんがサイエンス�宗� |
やりたくないけどやらなきゃなんないトンガリさんを囲んでの会議。 もともと今日は会議の予定はなかったのだが、当初予定していた会議の日と、トンガリさんの出張が重なったので、ほかのメンバーの方々との時間の調整等、四苦八苦してようやく今日の時間が設定できたのである。 でもやっぱりトンガリさん、予定の時間に遅刻してくる。いや、ほかにも遅刻してきた方はいらっしゃるのだが、「みなさんが遅刻されるので私も遅刻していいと思いました」と、こう言い訳する。なんだよ、その言い草。 今回に限ったことではないが、この人はいつも「○○さんがこれこれこうだから私もズルしていいと思いました」と言い訳して自己正当化を図ろうとする。なんか小学生の「だって○○君もイタズラしてたんだもん。ボクだけじゃないもん」と同レベルであるが、もちろん「そんなの言い訳にもなりませんよ」と言っても、「ああ、そうですか」と言ってプイと横を向かれるだけなのだ。 当然、列席のみなさん、ムッとされているのだが、もう「この人には何を言ってもムダ」と諦めきっているので、ただ沈鬱な空気が漂うばかりである。 けれども会議の進行役は私なので、内容によってはトンガリさんにネタを振るしかない場合もある。でまあ、懸案のちょっとおかしなお金の流れについて質問をしたのだが、「そこはこれこれこのように処理をしております」と、平然と言う。処理していないことはこちらの調べでハッキリしているので聞いたのだが、よくもいけしゃあしゃあとウソをつけたものだ。でもこれがウソではなくて自分では本当に仕事をしたように思いこんでいる可能性もあるから始末に悪い。 「処理なんかしてないですよ。こちらでちゃんと調べてますから」 「そんなはずはありません、そちらの勘違いじゃないんですか?」 「現実に未処理のままです。処理をしたのなら、どこにそれが記録されてますか?」 そんなに強い口調で問い詰めはしなかったのだが、トンガリさん、突然席を立つと、無言でバタバタと部屋を出て行ってしまった。残された私たちは呆気に取られた。またヒステリーを起こしてどこぞに雲隠れしたのか? と溜め息をついて、仕方なく残りの議題について話を進めることにした。 ややあって、なぜか涼しい顔で戻ってきたトンガリさん、屈託もなく「ああ、私の勘違いでした。未処理のままでした」と言って、全くナニゴトもなかったかのように椅子に座った。いや、「勘違いしてました」ってそれだけか。「すみませんでした」の一言もなしか。 列席のみなさんも、憮然とした顔で押し黙っているが、この空気の重さにも気がつかんのかアンタは。 「……じゃあ、これから処理していただけるんですね」と声をかけたが、トンガリさん、無言のままである。やる気あるのかないのか。はらわたが煮え繰り返りそうになるが、なんとか抑える。でも抑えると胃に悪いのかなあ。かと言ってここで怒鳴ったってやっぱり胃に悪そうなんだよなあ。だからどうすりゃいいのよ。 会議が終わったあとで上司が「今日のトンガリさんはちゃんと出席したしわりと協力的だったね」とニコニコ笑いながら言っていたが、あっちこっちから圧力かけてムリヤリ出席させただけじゃん。トンガリさんのナカミはまるで変わってないのである。これからだってどうせまたミスをやらかして、それを誰かの責任に転嫁して、自分はのほほんとしてるに決まっているのである。そう予測がつくだけに、今からもう胃がキリキリと……。 ああもう、これ以上は何も書きたくない。
夕食は昨日買ってきた材料で親子丼。 鶏の胸肉、千切りキャベツにエノキ茸、卵は二つ、片方は黄身のみで味を濃くして、つゆは焼肉のタレにマヨネーズを混ぜてお湯割り。これでつゆだくの親子丼のできあがり。3人分作って、しげには二人分をどんぶりに山盛り割り当てたのだが、これをやっぱりペロリと平らげた。で、最後に言ったセリフが「おかわりないと?」 ……ないよ(~_~;)。
帰宅はちょうど6時。WOWOWの『青銅の魔人』放送にギリギリ間に合う。 前編の『怪人二十面相』の方は昔見たことあったんだけど、今回のこの続編は初見。 魔人の中に二十面相が入ってるにしろ(ネタバレだけどこのトリックがわからんやつなんてまずいないから書いたって構うまい)、その能力は殆どロボットだからこれはもうSFっていうしかないんじゃないかね。もちろんこの場合、誉め言葉としては使ってない。何がイヤって、明智小五郎がなにやら分けの分からん液体の瓶を取り出して、魔人に向かって「これをかけると機械の継ぎ目から入ってお前のからだを溶かしてしまうぞ!」とすごむところ。で、実際にかけてるし。明智がそんな芸のない脅しをするかい。……いやまあ、低予算の添えもの映画に文句つけたってしょうがないんだけどね。
マンガ、あさりよしとお『まんがサイエンス�宗戞� もう9巻。連載は10年越えてると思うんだけれど、これだけ続いてネタギレしないというのもまさに世に科学のタネは尽きまじ。と言いながら巻末付録の専門家一覧見ると、ドクター脳とかミスター脳とか似たようなキャラがしょっちゅう出てきてるけど。学年誌連載だからこの程度のダブリは仕方ないか。ウンコの話なんかは「学校でウンコをしよう」運動があってたころの話なのかな? 胃弱になっちゃった身としては実にタメになります。
俳優の小田部通麿氏が、8月29日、再生不良性貧血のために死去していたことが判明。享年77。 「おたべ・みちまろ」と聞いて、はて、どんな俳優さんだったかとパッと思い出せない方もおられるだろうが、特撮オタクにとっては、いや、悪役俳優ファンにとっては忘れようったって忘れられない方である。たとえ名前は知らなくても、そのいかにも悪役然とした目つきに獅子鼻の異相、あれは一度見たら決して忘れられるものではない。出演したドラマは思い出せなくても、あの時代劇この時代劇と、脇役で散々ヤクザとかをされていたから、40代以上の人間なら、小田部さんを見たことがない人はまずいないだろう。写真を見れば、「ああ、この人!」と言ってきっとポンと手を叩くに違いないくらい印象深い方なのである。あのご面相で本職はお寺のご住職だったのだから、まさに鬼神も三舎を避けるといった雰囲気だったのではなかろうか。 私にとって小田部さんと言えば、何と言っても往年の特撮時代劇ドラマ『仮面の忍者赤影』第2部「卍党編」で演じた不知火天馬役が極め付けである。 いきなり「ファイヤー!」と叫んで火炎攻撃、火柱と爆発で赤影を散々苦しめたあのド迫力! 時代劇なのに英語? という文句は『赤影』に関しては付けてはいけないのである。 東映時代劇の役者さんにはこういう豪快な悪役さんが多かったが、小田部さんはその中でも特に郡を抜いた迫力であった(『赤影』には第3部「根来編」にも魔風刑部役で続けて登場)。 『燃えよ剣』では珍しく善人役で最後まで土方歳三に付いていく壬生の伝蔵役を演じておられたが、やはりその本領は悪役にあったと思う。『赤影』の悪役さんはもうかなりの方が物故されてしまっているが、もともと甲賀幻妖斎の天津敏さんを初め、阿波地大輔、汐路章、二見忠男といった諸氏も小田部さんも、みな大部屋出身で脇役専門、日の当たる主役を演じる機会はないに等しかった。それでいて自らの立場を卑下することもなく、かえってその強烈な個性を持って役を全うし、時には主役をも食うほどの存在感を見せておられたのだ。今、若手でそんな役者がどれだけいるというのだろう。寂しい。
2003年09月16日(火) 狂熱の一夜/映画『南の島に雪が降る』/『C級さらりーまん講座 付和雷同編』(山科けいすけ) 2001年09月16日(日) オタクの輪ッ!……古い(^_^;)/『(週)少年アカツカ/おまわりさんを追いかけろ!号』(赤塚不二夫)ほか 2000年09月16日(土) 電波とスケルトンと二人乗りと/アニメ『バットマン マスク・オブ・ファンタズム』
| 2004年09月15日(水) |
みんなゴミの山に踏みこむ覚悟はあるのか/『武装錬金』4巻 |
早朝出勤が続いてるせいで、やや寝不足の毎日。 職場でウトウトすることも少し多くなってきたけれど、これは糖尿の薬のせいもあるようである。何にせよ、居眠りしていたのでは仕事は捗らないので、頑張って目を開けていようとするのだが、そうするとアタマが重くなってきて、仕事にならない。 どうすりゃいいのか、と悩んでいたら、鼻水がズズズと垂れてきた。なんだ、アタマが重かったのはカゼのせいか。 先週からこっち、しげが鼻水をズルズルさせていたので、それが移ったものらしい。病み上がりで体力ないところに持ってきて、風邪まで引いたのではまた寝こんでしまうことになりかねない。定時に退出して、近所の内科に行くことにする。
迎えに来たしげに「おまえの風邪が移ったぞ」と言ったら、「オレもアンタから移されたんやけん。おあいこやん」と言い返される。 「同じ風邪が移るか。オレはお前が風邪になる前は胃痛で入院してたんで、風邪じゃないの!」 私がなぜ入院したのかも、もう忘れているのだ。いったい誰のせいでストレス溜まったと思ってるのか。胃に、胃に、穴まで開いたのだぞ。記憶力のあるないを云々するどころの話じゃない、しげのやろうはひとでなしの糞ったれである。 ふと、気になって、「お前、今日『そして誰もいなくなった』の先行予約の日だけど、頼んでおいたの、忘れてないだろうな?」と聞いてみた。 しげはケロリとした顔でこう言った。 「ネット予約だから今日中にやらなくてもいいんだよ」 ああ、やっぱりしげは大馬鹿だ。 「『ピクニック』からハガキで案内が来たんだから、ネット予約とは関係ないよ! 電話で予約しなきゃならないんだよ!」 モノ忘れだけならまだしも、記憶まで勝手に捏造して頼まれごともサボっていたのだ。チケット取れなかったらどうしてくれる。ああ、また胃痛がぶり返して来そうだ。 診療時間終了間際に滑り込むように診察をしてもらう。熱は7度。これからどうやら熱が上がり始めそうな気配なので、風邪薬のほかに解熱剤も頂く。 具合は悪かったが、食料が尽きかけていたので、「レッドキャベツ」に回る。水のボトルをぶら下げるだけでダルくなるが、水ももうないので、イヤでも汲んで帰らなきゃならない。しげはこの間作ってやった親子丼が美味かったらしく、「親子丼親子丼」と連呼しているが、普通、私の方が具合が悪いってのに、看病する気もなく、メシまで作らせようというのは人として……。 そうなんだよ、ヒトじゃないんだよしげは(T.T)。 料理を作る元気はないので、ほか弁によってハンバーグなどおかずのみを買って帰る。一応、今日がしげの本当の誕生日なのでイチゴのショートケーキをデザートに。
しげ、今度の日曜日にP.P.P.のメンバーで集まってパーティを開くとか言っている。9月生まれの人間が多いので、誕生会だということなのだが、会場を何とウチにするという。 「パーティって、いったい何人来るんだよ」 「うーん、5、6人?」 居間はビデオと本の山でとっちらかったまま、横になって寝る空間すらないというのに、そんな人数が入るわけがないのである。それなのに、しげは少しも片付けようとする気配がない。というかそれ以前に、ウチがそういう状態だということはP.P.P.のみんなも知ってるはずなのに、なんでウチで開くことに賛同したのか。意地悪かイヤガラセか。 私に怒鳴られて、しげは渋々部屋を片付け始めたが、果たして明々後日までにこの腐海と化した部屋が片付くかどうか、どうにも心許ないのである。
昨日に引き続き、『コナン・ドイルの事件簿/死者の声』。 本物のドイルは死ぬまで霊魂の存在を信じていたけど、その辺史実とちょっと変えられてるのは仕方がないところか。 マンガ、和月伸宏『武装錬金』4巻。 敵方の生徒会長コンビ、『るろうに剣心』でもやってた「姉と弟」パターンで新味がない。さらに言えば、『るろうに』のころと比べると、和月さんの線がかなり「固く」「直線的に」なっているので、キャラクターの深みまでなくなってしまっている。普通マンガ家さんは画力も作劇力も上達して行くものだけれど、この人の場合、どんどんヘタになってるのがフシギだ。ギャグもワザとらしくなりすぎて白けるし、自己弁護の解説がまた鬱陶しくてねえ。
熱は収まったが薬のせいか急激な睡魔に襲われる。 ホームページのプロフィールの部分を更新していたら、ふと意識が消えた。こりゃ危ないと思ったので、日記も書かないまま就寝。 いちいちホームページのトップに飛ばなくてもプロフィールが覗けるようになりましたので、おヒマなお客さまはどうぞご笑覧下さい。
NHKが、来年3月末から放送する朝の連続テレビ小説『ファイト』のヒロインに『スウィングガールズ』で一番“萌え”要素が高かっただろうと思われる眼鏡ッ娘(^o^)を演じていた本仮屋ユイカちゃんを抜擢。平成生まれのヒロインはこれが初めてだそうな。 うーん、各キャラクターの描き分けがはっきりしていた「スウィングガールズ」だからこそあの眼鏡ッ娘は目立ってたのだけれど、単体だと地味過ぎやしないかなあ。かわいいことはかわいいんだけど、すごく平均的な顔してて、ポートレイトをしげしげと見ても次見た時には忘れてるんじゃないかって印象なんだけど。もっともアクがない方が朝ドラ好きの奥様方には受けやすいかもしれない。 でもどうせ勤務時間の関係で、私は殆ど見られないんだよ。……ああ、いかん、映画自体はイマイチと思いながら、出演者の女の子たちにはしっかりハマッてしまっているぞ(^_^;)。
2003年09月15日(月) 西手新九郎は「心の遊び」に留めておこうね/『アレクサンドロス 〜世界帝国への夢〜』(安彦良和) 2001年09月15日(土) オタクなばーすでぃ/映画?『スペースカッタ2001』in「山口きらら博」ほか 2000年09月15日(金) ネパールとサウスパークとおだてブタと/『ブタもおだてりゃ木にのぼる』(笹川ひろし)ほか
| 2004年09月14日(火) |
「宅間守」という“役者”の死/『ああっ女神さまっ』29巻ほか |
ここんとこ自分とこの日記を更新するのが手一杯で、ヒトサマの日記を覗きに行くことが少なくなっていた(いつものことという説もある)。 この日記は「エンピツ」の「アニメ/漫画」の項目に登録してあるのだが、同じ項目の方々の日記も覗きに行くのは「お気に入り」に登録して下さっている数人だったりするので、今まで殆ど気付いてなかったのだけれど、ここの方々、殆ど女性で、男って私一人くらいしかいないのね(^_^;)。 ……いや、今まで気付かなかったのがどうかしてると言われそうだけれども、私が最初に登録したときには人数そんなにいなかったから、登録者の男女比なんて、たいして気になってなかったし。それが今や、中高生の女の子たちが「アニメイト」でキャイキャイ言ってるところに、中年のオッサンがうっかりノソッと現れてしまったような、実に居たたまれない雰囲気になっているのである(-_-;)。 昔ほどにマンガの感想も書かなくなっているし(それどころか読んだ本のタイトルすら書かなくなってしまっていた)、どこか別のところに引っ越そうかとも思うのだけれども、適当なところがほかにない。「映画」の方に行っちゃおうか、相当考えたのだけれども、あちらは毎日更新してるような活発な日記が少ないので、ご近所さんを覗きにいく楽しみがあまりないのである。 マンガの感想用に別コンテンツ立てたはいいものの、そちらの更新もままならなくなっている。やっぱりこちらでちょっとだけでもいいから以前みたいにマンガの感想書いてったほうがいいかなあ、と考えなおしているところなのである。でも、そうなると相当思いきって短く書かなきゃなんないんだよね。そりゃわかってることなんだけれども、これがそう簡単にはいかないのである。 だいたい何で文章が長くなるかっていうと、「このマンガを紹介するためには、筋とかキャラクターとかもある程度書いとかなきゃ知らないヒトにはワケわかんないんじゃないか」なんて考えてしまうからなんだね。「要約プラス感想」なんてことしてりゃ、そりゃ文章長くなるばかりだって。 ほかの方々の日記を読んでると、そこんとこはもうすっ飛ばして、「読んでる人には説明不要」で感想だけ書いてるから、割り切ってそうしちゃえばいいのである。なんか、ここまで「看板に偽りあり」状態が続いていると、心苦しくて仕方がない。……いやねえ、これまで細々と目立たず日に五、六十件のアクセスしかなかったのが、ここんとこアクセス数が毎日100件越すようになっちゃったんで、なんか毎回内容のない駄弁りばっかり書いてるのも申し訳ない気分になっちゃってね。
というわけで、やっぱり思いきってマンガの感想もこれからちょっとだけ書くことにした。ただし、どんなに説明不足になろうと「(画面フルサイズで)五行以上は書かない」という枷をつけよう。でないと、本当に更新なんて不可能になってしまうのである。 今日読んだマンガの1冊目。まだ読んでたのかの藤島康介『ああっ女神さまっ』29巻。 ウルドがようやく1級神試験を受ける。もっともこれまでどれだけ1級と2級に差があるんだって感じだったんで、今更なんだけど。最近、藤島さんは絵柄をまた変えたけれども(一つの絵柄描き続けると飽きるんだそうな)、ファンじゃなきゃ気がつかない程度の差異なんだろうな。アオリでチチ強調したり、かなりエロ度増してるんだけどね。テレビアニメ化決定だそうだけど、かなり線を安定させるのが難しそうな今の絵柄でやれるのかなあ? もう1冊は、岡野剛『未確認少年ゲドー』1巻。懐かしの『ぬ〜べ〜』のマンガ家さんね。「妖怪」が「未確認生物」に変わっただけで基本的には同じマンガだ。しかし気になるのはゲドーの目で、「エジプトの壁画から取った」って書いてるけど、「ねこぢる」じゃないのか、アレは。かなりムリのある設定ばかりであまり面白くないんだけど『ぬ〜べ〜』の時も「絵柄が好み」ってだけで買ってたんだよなあ。
本格的に仕事再開、初日でもうバテる。 何だかまた少し風邪を引いたみたいで、鼻水が詰まって息が苦しい。そろそろ涼しくなるかと思って、長袖で出勤したのも敗因。いやもう昼から暑い暑い。これでまたぐたっとなって、予定していた仕事が捗らず。仕事のやり残しは明日以降に響くからなあ。病み上がりだってのに持つのかオレ。 残業してもおっつかず、そぼ降る雨の中、くたびれて帰宅。今日はしげも早出の出勤で迎えに来れないので、バスで帰ろうとしたら今出たばかりで30分以上待たなきゃならない。トテモそんな元気はないのでタクシーで帰る。あまりムダ金は使いたくないのだけれども、今は体力温存のほう優先しないとしょうがないのである。
帰宅して、NHKBS2で、『コナン・ドイルの事件簿』第2話「惨劇の森」を見る。 昨日の第1回は映画に行ってて見損ねてた。イアン・リチャードソンのベル教授は肖像画の本人にソックリで、さすがはBBC、と拍手したくなる。ただ、全体的な雰囲気は悪くないんだけど、ベル教授があんなに事件に対して積極的ってのは、何かイメージが違う。もちろんそうしないと推理ドラマにならないってのはわかるんだけど。話自体はオリジナルなんだろうけれど、いかにもドイル的な因縁話。そのあたり、脚本家がいかにも原作を読みこんでる印象なんだけれど、それがイマドキおもしろいかどうかということになると、ちょっとだけ疑問符も付くのである。
アメリカの人気テレビ番組がこちらで放送されることはBS・CSでだって必ずしも多くはない。ドラマならばまだしも、バラエティ番組となれば殆ど見る機会なんかないと言っていいが、以前、『キネマ旬報』で紹介されていて、「うわ、これ見てみてえ!」と思った番組が一つある。それが『The Apprentice(見習い人)』なんだけれども、これ、ただのバラエティ番組ではない。 番組のホストはあちらの不動産王ドナルド・トランプ。 「28歳で独立し、市内の老朽化ホテルをよみがえらせ、1983年には世界一豪華といわれた黄金ビル『トランプ・タワー』を五番街に建設。1990年代の不動産不況で資産を失ったが、事業を建て直して不動産、ホテル、カジノ経営で、資産30億ドル超といわれる立志伝中の人物」だそうな。 番組は毎回、一般からの出演者を募り、数十人がトランプ氏のもとで13週に渡って勝ち残り方式で実業家訓練を受けていくシミュレーション方式。芳しい成績を上げられなかった参加者は、トランプ氏から、「You're fired!(首だ!)」の宣告を受けて脱落していく。最後に残った1人は、トランプ氏に“本当に”採用されて要職に就くことができるという、言ってみれば会社の採用試験をそのまんまバラエティ番組にしてしまったものである。まあ、日本にも似たような番組がこれまでになかったわけじゃないけれども、その規模のケタが違う。料理勝負とか、資金を何百万円か出してもらえるとか、そんなささやかなものじゃなくて、ムリヤリ日本でたとえるなら石原慎太郎が都庁の役員をバラエティ番組で選んじゃうようなもんだからだ(もっと凄いか?)。 アメリカさんはさすがに考えることが違うねえ、と感心してしまいそうだが、アチラでだって『The Apprentice(見習い人)』は相当に型破りな番組なのである。13日に、グローバル・ランゲージ・モニターが発表したテレビ流行語の新リストで、先ほどの「You're fired!(首だ!)」がトップになったが、それだけアメリカ人もみんなワクワクしながらこの番組に注目しているのだ。もちろんこの人気もブッシュ政権の赤字経済のせいで失業率が増加していったことなどと無関係ではあるまい。毎回トランプ氏が出演者たちに任せる事業は“現実の”子会社の経営なのであり、そこでのトラブルをいかに解決するか、本当の危機管理能力が試されているのである(らしい)。視聴者だって、これからの世の中、いかに自分たちが生き残っていくか、ある意味“本気で”この番組を見ているのであって、これは、大統領の無能な政策に対するトランプ氏の挑戦であると見ることもできるのだ。 アメリカで何か番組がヒットすると、追随したような番組が日本でも作られることが多いが、これはさすがに簡単にマネはできないだろう。だからこそこの番組そのものをちょっとだけでもいいからCSとかで放送してくれないかと願ってるんだけど、なかなかムズカシイかねえ。
2001年、大阪教育大付属池田小学校で児童8人を殺害した宅間守の死刑が執行。 死刑反対論者ででもない限り、妥当な結果、と考えている人も多いと思われるが、なんだかどうも釈然としない。事件自体もそうだが、死刑に至るまでのプロセスは全ては宅間死刑囚の独擅場だった。 「家庭が安定し、恵まれ、勉強できた人間でも、アホで大けがして展望のない腐りきった自分のようなおっさんに、たった五、六秒で刺されて死ぬ。そんな不条理さをわからせてやりたかった。いくら勉強できようとがいつ死ぬか分からん人生。世の中勉強だけちゃうぞと一撃を与えたかった」「エリートでインテリの子をたくさん殺せば確実に死刑になれると思った」などの手前勝手な主張を聞いて、我々は憤った。しかし考えてみると、宅間死刑囚の思惑は全て図に当たってしまっているのである。 被害者の子供たちは全く不条理に殺された。そして宅間死刑囚は死刑になった。けれどそれは全て彼が望んだ通りの結果なのである。 いや、宅間死刑囚は、最期には自分の罪をちゃんと認識していたぞ、というご意見もあるかと思う。一見、反省とも取れる言葉を、接見した東海女子大の長谷川博一教授に彼は語っているからである。「殺された子供の立場に立ったら無念だったろう」「自分のしたことで不幸になった人がいるのは分かっている」。けれど私に言わせればこんなのは悔悟の言葉でも何でもない。ただ自分のしたことの因果関係を事実として確認しているだけのことである。結局、彼は蕭然として自ら首を縊ったも同然である。 私がどうにも釈然としない、というのはここなのだ。 これは「死刑」ではなく、ただの「自殺」ではないのか。法は、彼に罰を与えるどころか、彼の自殺を手伝ったただけではないのか。もちろん、彼を死刑にするべきではなかった、などと言いたいわけではないが、“本人にとって何の罰にもなっていない”刑に、いったいどんな意味があるのか、どうしても納得し難いものを感じないではいられないのである。 これは、たとえ死刑になろうとも、法が宅間死刑囚の前に「敗北」した瞬間なのである。「劇場型犯罪」と呼ぶなら、これは、俳優・宅間の演技に我々が無理矢理脱帽させられてしまっているのである。悔しいとは思わないか? ……ドス黒い感覚であると知りつつ、あえて言おう。 宅間死刑囚にはどこかで自分の罪を悔悟してほしかった。そして、自分が死刑になる恐怖におののいてほしかったのだ。13階段を上りながら、「死にたくない! 俺が悪かった! 助けてくれ!」と身を捩じらせ醜く泣き喚く彼を死刑にしてこそ、我々の溜飲は下がったはずなのだ。しかし、どんなに時間をかけ、説諭を繰り返したところで、まさしく「腐りきった」彼にそんな瞬間が訪れることはなかっただろうと思う。 どんなに怒りが収まるまいと、我々は、彼が語ったごとく、腐りきった人間にごく普通の子供たちが(宅間死刑囚にとっては小学生でもエリートに映ったようだが)殺されてしまう“不条理”、それを、臍を噛みつつ、事実として受け入れるしかないのである。 ……せめてラクに死なせるんじゃなくて、指一本ずつ切ってくとか、なんかそういう苦しめて苦しめて苦しめた末に殺すくらいのことはしてやりたかったよ。
2003年09月14日(日) タイトルを付ける元気もね〜や(;´_`;)。 2001年09月14日(金) カリメンしげ/『モーツァルトは子守唄を歌わない』1巻(森雅裕・有栖川るい) 2000年09月14日(木) 通院と残暑と誕生日プレゼントと/『世紀末アニメ熱論』(氷川竜介)ほか
| 2004年09月13日(月) |
『スウィングガールズ』&『ヴィレッジ』を見た日。……ああそうそう、それから妻の誕生日(^o^)。 |
しげの公式の誕生日。 しげももう31であるが、未だに20代前半みたいな童顔だから(つか、年齢不詳だね)、私と並んで歩くとホント、釣り合いが取れないのである。そう言えばこないだ救急車で運ばれた時に、救急員の人から「お父さん、大丈夫ですか!?」って声かけられたっけ。パッと見、私とじゃ20歳以上トシが離れて見えるから仕方ないんだけれども。それでもまだ白髪染めとかはあまりしたくない。
朝、日本映画専門チャンネルで市川崑監督版『吾輩は猫である』を見る。 公開当時は盛りあがりに欠けるだの何だの酷評されてたけど、もともと散漫な原作をよく纏めていて、市川崑の映画の中では佳作の方だろう。仲代達矢、波乃久里子、島田楊子、伊丹十三、岡本信人、篠田三郎、左とん平、前田武彦、神山繁、三波伸介、岡田茉莉子、篠ひろ子、緑魔子などなど、これだけの癖のある役者を集めてしかもそれをアンサンブルのように見事に演出して見せた腕の冴え、もっと評価が高くてもいいと思うのだがなあ。 原作にない、「吾輩」の死後を描いたラストが特に好きなのである。「あのときお前は泣いていたねえ」という苦沙弥先生(仲代達矢)の茫洋としたセリフが実にいいのである。
ちょうど休日出勤の代休だったので、昼から誕生祝を兼ねて外出。つか、私の目的は映画なんだが。 福家書店を回って、ゆうきまさみの『鉄腕バーディー』6巻、和月伸宏の『武装錬金』4巻、桑田乃梨子『豪放ライラック』1巻、『アニメージュ』と『Newtype』の10月号を買う(全部読んだけど、感想書いてるとキリないので省略)。 天神コアの食堂街で、和食。ランチプレートで、かしわ、焼き肉、揚げ出し豆腐、カツオのたたき、などがちょいちょいとあって、デザートにムースが付いてくる。ゆっくり一品ずつ味わうように食べながらふと向かいのしげを見ると、まだ5分と経っていないのにもう全て平らげている。 「早いな、もう食ったのか」 「だっておなかすいてたんだもん!」 ハラが減っている時ほどゆっくり食べないと、かえってくちらないものなんだが、そういうアタマもしげにはない。私はゆっくり食べたので充分おなかいっぱいになったのだが、先に食い終わったしげは、しきりに「おなかすいた」を連呼するものだから、鬱陶しくて仕方がない。コイツの背中に10リットル入りのボトル背負わせて、そこから四六時中、流動食を管で口に送りこんでやりたい気分だ。そうすりゃこいつのムダなおしゃべりも聞かずにすむし一石二鳥である。 慌ててかっくらったせいだろう、テキメンに腹を壊したしげ、「痛い痛い」と言いながら、岩田屋Z−SIDEでトイレに駆けこむ。だからいつも「慌てて食うな」と言ってるのに、学習能力のない猿はこれだからどうしようもない。しかもトイレから出て来たしげ、近くのケーキ屋のショーウィンドーを見て、もう「あれ食いたい!」と抜かしやがるのである。もういくらでも好きなもん食って、勝手に腹でも脳でも壊してしまえばいいのだ。脳はもう充分壊れてるか。
天神東宝で『スウィングガールズ』。 矢口史靖監督の前作『ウォーターボーイズ』に比べると盛りあがりにも欠けるし、かなり地味な印象であるが、女の子がみんな可愛いからまあヨシ。でももう2、3曲は演奏シーンがほしかったし、谷啓さんをわざわざ出演させといてトロンボーンの演奏シーンが殆どないってのは、矢口監督、今一つのところで「わかってない」のである。 しげは「結局、『楽器がうまく演奏できるようになりました』ってだけの映画じゃん」と頗る機嫌が悪いが、でもそういう映画なんだからなあ。
そのあともう一度Z−SIDEに寄って、ケーキ屋で、モンブランのショートケーキ420円ナリ、を買う。ホールのデカイので3000円ってのもあったらしいが、そんなん買ったって食い切れないだろうし、確実に太るだろう。「ダイエット」とのべつ幕なしに口にするわりには全然決意が定まってないのである。舞台公演までに必ず痩せるって言ってたのはどうなったんだ。
いったん帰宅して、夜までひと休憩。 しげがあまりに「腹減った」とうるさいので、ありあわせの材料で親子丼を作ってやる。ドンブリに山盛りいっぱい作って、「二人分だから、俺の分残せよ」と言ったのだが、一人で全部平らげた。「だって美味しかったんだもん!」とまた言い訳。だから本気で芝居作る気もないくせに、見せかけだけ努力してるフリなんてするなってんだ。 で、私の食う分がなくなったので、仕方なく今度はうどんを作ったら、それまでピンハネしやがった。 「ええい、しげの胃袋はバケモノか!」(池田秀一の声で)
夜を待って、今度はキャナルシティでM・ナイト・シャマラン監督作品『ヴィレッジ』を見る。 毎回「ネタバレ禁止」のシャマラン作品だけれども、今度のは隠さなきゃいけないほどたいそうなもんじゃないんとちゃうか? 一応隠してやるけど。 つか、あのSF、このSFと、これまでやたらと使われて来たネタなんだよねえ。意外性がないっつーかさ、タイトルの「ヴィレッジ」と、冒頭5分の展開だけで、どういうオチだかSF慣れしてる人には(あるいはそうでない人にも)わかっちゃうだろう。私もわかったし(つか、まさかこんなつまんないネタで落とす気じゃなかろうなと思ったらその通りだった)。役者の演技はいいんだけどねえ、全体的に地味だし、見てる最中ずっと退屈で仕方なかったよ。 ところがしげは、『スウィングガールズ』よりこっちの方が面白かったと言う。 「だって面白そうに見せかけといて最後に脱力させるオチを楽しむのがシャマラン映画なんでしょ?」 というのだが、それって単純に「つまらない映画」ってことじゃないのか。
帰宅してしげ、「誕生日なのに携帯に『お祝いメール』が2件しか入ってない」と拗ねる。 実は今日のはしげのお父さんの届け間違いがそのまま戸籍に載っちゃったニセの誕生日で、本当の誕生日は明後日15日ってことなので、よかったらみなさん、15日にしげの誕生日を祝ってやってください。
2003年09月13日(土) 言論にはリスクが伴うということ/映画『羅生門』 2001年09月13日(木) コロニー落としの報復は/『ヘブン』『ヘブン2』(遠藤淑子)ほか 2000年09月13日(水) シゲオと誕生プレゼントと009と/『遊びをせんとや生まれけむ』(石ノ森章太郎)
| 2004年09月12日(日) |
スタジオジブリ、金のオゼッラ賞 |
今日は練習にドッグさんとこの公演もあったんだけれども、体力温存のためウチで一日ゆっくり。役者が揃うんなら無理してでも行こうかと思ったけれども、カトウ君が来ないことになったようなので。 カメの水の張り替えをして、日本映画専門チャンネルで『御用金』を見る。五社英雄時代劇の代表作と言っていいと思うけれども、これもずっと見たかった映画だったのに、今まで機会がなかった。インタビュー番組が先にあって、主演の仲代達矢が「当時共演の三船敏郎さんが降りたのは、『体調不良のため』ということになってましたが、実は私が酒の席で三船さんと喧嘩したせいでした」と告白していたが、映画を見ると役柄としては『座頭市と用心棒』の二番煎じみたいな役で、これは「軽く」演じてくれていた代役の中村錦之助の方が適役だったと思う。映画自体も骨太だし、三船さんがやるとどうしても豪快になるから、全体として「重く」なりすぎてしまう。そこをコメディリリーフ的な萬屋さんの演技がうまくバランスを取った格好になっていた。 でも物語としては「幕府の苛斂誅求に抵抗を試みる」という、当時やたらと流行った『影狩り』とか『子連れ狼』のパターンで、仲代達矢もどうしても室戸十兵衛みたいに見えてしまって(映画で十兵衛を演じたのは石原裕次郎だったが、ありゃやっぱり仲代さんの方が似合ってる役だ)もう一つ魅力に欠けるのがネックであった。ほぼ全編、雪山でのロケというのはなかなか迫力があったけれども。
昼メシは自分で湯がいて作ったそば。こないだそば食ったあとで吐いて腹痛に襲われたことを考えると、ちょっと怖かったのだが、今度は問題なし。もう完全に普通食に戻してよさそうである。 夜、七時半からNHKでようやく『名探偵ポワロとマープル』を見る。今回は「総理大臣の失踪・後編/真実はイギリスに」。 ええっと、これは誘拐された総理大臣は実は……っていう他愛ないトリックだったな。文字だと騙されるかもしれないけど、映像にしたら一発でバレバレになっちゃうから(だからこれも叙述トリックなのである)、そもそもこれを選んで映像化しよう、というスタッフの神経を疑うのだけれど、少しは映像的に工夫してるかと思ったら、全然してないのな。なんでそんなアホなことしたのかなあって考えたんだけど、NHKだし、「子供向け」ってことを考慮して、わざと「わかりやすいまま」アニメにしてるってことなのかもね。でも「子供騙し」なアニメは結果的には子供にもつまんなくなると思うんだけど。これを楽しめるのってせいぜい小学生までじゃないのかなあ。今時の学生って馬鹿も増えてるから、中学生でも面白がるやつはいるかもしれないけど。 技術的にも音楽だけがやたら過剰なだけで、アニメがそれに付いていっていない。人物はともかく、ポワロのマンションとか、背景ですらアップが多いのは、美術の手間を省いてるだけだろう。 あちこちから散々悪評判を聞かされていたので、どれほどヒドイもんかと思って見たけど、普通に面白味のないアニメでした。オー・エル・エム製作ならこんなもんでしょ。
第61回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門の授賞式が11日開催。 注目の金獅子賞は、下馬評通り、マイク・リー監督の『ヴェラ・ドレイク(“Vera Drake”)』が受賞。内容は「中絶が禁止されていた1950年代の英国を舞台に、不本意な妊娠をした女性たちに非合法中絶を施した労働者階級の主婦をテーマにした作品」だそうだけれど、何だか山田風太郎の荊木歓喜か『サイダーハウス・ルール』みたいな。 私は基本的に中絶反対派で、遊んでガキ作ってまた遊ぶのにジャマになるから降ろすとか、「今は中絶できるようになってラッキー」みたいな連中はこの糞野郎どもがという気分になってしまうのだが、「不本意な妊娠の中絶」まで禁止しろとは言わない。ただ、それでも母体への悪影響や、何よりどんな形で生まれてくるにせよ、既に意志の萌芽しつつある命を一つ奪うことに関しては、熟慮が必要だと思う。その辺の解釈について、マイク・リー監督がどんな「答え」を用意しているのかが気になるところだ。 監督賞に当たる銀獅子賞には、これも観客の圧倒的な支持を受けていた『空き家(“3-iron”)』のキム・ギドク監督が、グランプリ(批評家賞)にはアレハンドロ・アメナーバル監督の『“Mar adentro”(“Out to Sea”)』が選ばれた。 注目の宮崎駿監督の『ハウルの動く城』だけれども、金獅子賞こそ逃したものの、製作会社であるスタジオジブリには「金のオゼッラ賞(技術貢献賞)」が贈られた。まあ、これだけでも充分たいしたことである。ただ、「金獅子賞」ではないことで、興行収入に多少の変化は出てくるかもしれないね。日本人って、オリンピックでもそうだけど、金メダル以外はあまり注目しないから(情けない)。 『ハウル』は公式上映後のスタンディング・オベーションがすごかったらしくて、日本の各紙も「金獅子賞最有力!」とか書いてたんだけれども、岡田斗司夫さんも「OTAKING SPACE PORT」の9日付近況報告で、「金獅子賞は確実らしいですよ」と、いかにもイワクありげな書き方していた。ああ、もしかして岡田さん、ヒミツの情報ルートを持っていて、既に結果を知っているのだろうか、とか考えていたのだけれども、今日の近況を見てみると、「リド島での上映後5分間のスタンディングオペレーションを見て、現地に駐在していた日本の新聞・TVマスコミ関係者たちも『ほぼ確定』と見込んでいたので、かなり意外です」とか書いてたんでガクッと来た。日本のマスコミ関係者の判断なんかアテになるわけないじゃん!(~_~;) スタンディング・オベーション自体が必ずしも審査結果に反映されないことは常識みたいなもので(全くない作品が受賞すればブーイングが起こるが)、期待と自国ビイキの願望コミの「確定」情報をまんま信じちゃうってのも、岡田さん、ちょっとどうかしてるんである。もちろん、『ハウル』は上映後の星取表でも満点の五つ星を取っていたし、だからこそ「最有力」とは言われていたのだけれども、「確実」ってことはない。日本にいたおかげで、ほかにも「最有力」な作品が目白押しであったことが海外通信を通して伝わってきていたので、「『ハウル』はきびしいかなあ」と客観的な判断ができていた。ヴェネチアにいたために、岡田さん、かえって状況が見えてなかったらしい。 岡田さんはさらに「アニメ夜話で某氏が『カンヌ選考委員の中にはアニメを映画や俳優に敵対するもの、と捉えてる人がいた』と楽屋で話していたのを思い出しました」と書いているが、これもかなり勇み足な記述である。と言うか「受賞確実」よりもこちらの方がずっとタチが悪い。そういう人がいないとは言わないが、選考そのものに偏向があったかのようにミスリードするのは、著述家としての姿勢を問われかねない大問題だ(しかも判断元はやっぱり「楽屋話」である)。現地の批評家はちゃんと『ヴェラ・ドレイク』が最有力と捉えていたし、観客の反応が最も高かったのは『ハウル』ではなくて『空き家』だった。別に選考結果に「おかしい」ところはない。不当ジャッジの証拠もないのにこういう身ビイキに取られる書き方をしてしまうと、かえって『ハウル』の評価自体を貶めかねないが、そんなことにも気付いてないのだろうか。まさかそのことが目的で書いてるんじゃないとは思うけれど。 サービス精神が旺盛と言うか、お祭好きなのは別に悪いこっちゃないけれども、余計なヒトコトが多いと言うか、2ちゃん情報レベルの憶測をよく吟味せずに垂れ流し続けるのは、岡田さん、あまりにシロウトっぽ過ぎると思うのである。我々シロウトの書く日記と、プロの書くそれとは自然、「重み」が違って来るからね。今更シロウトには戻れないんだから、もうちょっと考えた書き方してほしいもんである。 ……しかし、アニメ関係の日記書いてる一般の人たちの日記で、このニュースに触れてる人って少ないね。どうでもいい?
東芝・ワーナーブラザース・日本テレビの均等出資で作った映画製作会社トワーニ(頭文字取っただけの名前なのな)が、映画『キューティーハニー』が興行収入わずか2億という惨敗に終わったことで、解散とのニュース。結局トワーニが作った映画って、『さくや妖怪伝』、『ドッペルゲンガー』、『天使の牙』に『ハニー』の4本だけだったんかね。 『ハニー』は企画から何から、「オタク」にしか観客対象をしぼってなかった映画だから、そのオタクから厳しい評価が下されてしまったら、惨敗も必至、撤退も余儀ないことだとは思うけれども、なんかもう、世のオタクどもってさ、えらそうなゴタクは並べるくせによ、単に「心が狭い」だけで、本気で映画も特撮もアニメも愛してなんかいやしないんじゃないかって気がしてくるよ。映画を見もしないで「サトエリだし」「アンノだし」で中身決めつけてた意見がどれだけ多かったことか。 そりゃあ確かに私だって「サトエリ=ハニー」にはムリがあるとは思う。けれど、「事前情報好き」のオタク諸氏ならば、各種インタビュー記事やキャンペーンなどを通して、庵野監督が、佐藤江梨子が、この映画にどれだけ「愛」を注いで没頭していたか、気が付かないはずはない。そこに意気に感ずるものがなくて何がオタクか。つくづく感じることだけれども、かつて岡田さんが展開していた「オタクエリート論」は完全に空中楼閣と化してしまったのだ。今、日本に蔓延してる「自称オタク」の大半はただのミーハーかスノッブだ。流行を追うようにあのアニメからこのアニメと渡り歩いて、空虚な自分の心を満たし癒されたいと思ってるだけで、文化総体としてのアニメ、特撮、映画という表現そのものを愛しているわけじゃない。「俺、オタクだけど、『ハニー』やアンノにも、もともと興味ないし」って人、だからアンタはオタクじゃないんだって。 『CASSHERN』が成功し、『ハニー』が失敗したという事実は何を物語るか。「本気で」オタクをターゲットにした映画は今後作られなくなるということである。『CASSHERN』が成功したのは明らかに「オタク以外の観客」を取り込むことができたからだし(オタク映画であんなにオシャレな女性客が殺到した風景を私ゃ見たことがない)、リメイク映画のラッシュだって、かつてのファンだけを対象にしているわけではなく、さまざまな「新しい観客層」の開発を試みようとしている。商売上、それは仕方がないことだけれども、その分、作品の中から「冒険」が消え、「センス・オブ・ワンダー」が消えていくのだ。 製作母体が消滅して、『ハニー』の続編は作られなくなってしまった。それどころか、庵野監督が今後作品を作っていけるのか、心配になってきた。『エヴァンゲリオン』のあと、『彼氏彼女の事情』、『式日』、『流星課長』と、決してヒットしてきたとは言いがたい監督作品を見れば、そろそろ「遺産」も尽きたかという気がしてくるのである。かと言って、『トップをねらえ2』(監督はしてないけど)はないよなあと思う。できれば大向こうを唸らせるような波瀾万丈なSFアニメをこそ作ってほしいと切に願うものなのだが。
2003年09月12日(金) 誉められ下手な話/『ガウガウわー太』7巻(梅川和実) 2001年09月12日(水) 誰かあの飛行機に「テロチルス」と仇名をつけたやつはいないか(^_^;)/『あずまんが大王』3巻(あずまきよひこ) 2000年09月12日(火) 打ち身とワンピースの続きと/『ONE PIECE』6〜15巻(尾田栄一郎)
休日出勤の早朝出勤。仕事はないけど、外には出てなきゃならず、炎天下で半日過ごすとやはり頭痛がぶり返して来る。医者からもらった頭痛薬を飲んだが、これでクスリも切れた。明日以降が若干心配だけれども、今朝やっと出た便は、普通の状態だったので、胃腸の様子、なんとか元に戻ったようである。 今日はしげの迎えがないので、弁当を買ってタクシーで帰る。ほんとはバスで帰るつもりだったけど、急に雨がぱらついてきたもんで。 しげには豚角煮まんを土産に。こないだからしげは、自分がワガママなせいで私が入院したのだとブルーになっているのだが、ブルーになっているだけで反省して家事を始めるわけではない。単にウジウジしてるだけで鬱陶しいことこの上ない。この分だと私がまた倒れるのも時間の問題だ(T∇T)。
しげは昨日、病院に行って「障害者手帳」が取れないか、先生に相談してみたらしい。先生の返事は「取ると差別されるからやめたほうがいいよ」だそうな。他ならぬ精神科の医者がそういうことを言っていいのかどうか、という問題はあるが、非常に現実的なオコタエではある(^_^;)。おかげでしげは「自分は障害者としても半端モノなんだ」と、非常に複雑な悩み方をしているが、もともとの目的が「携帯代が半額になる」だから、そういう考え方をする人間が手帳を取ったりしちゃいけないと思うのである。 しげ、ブルーが高じてまた「仕事行きたくない」と言って、「職場に仕事休むって断りの電話入れて」と私に頼んできたが、「理由もないのにそんなこと言えるか」と突っぱねる。だからお前がブルーになってること自体「僭越」なんだよ( ̄△ ̄#)。
「迷惑メールフォルダー」をすり抜けてまたまた一般メールのような顔をしてSPAMメールが届く。内容からしてまた出会い系サイトに接続させようってハラのやつみたいね。なんかもう、「あの手この手」って感じだけど、どうもここんとこ「巧妙」な感じのものが少なくなっている。もう少しチエ働かせて頑張らないと、商売上がったりだぞ詐欺師諸君!
> 題名: 気になったのでメールしてみました。 > 文面からなんでも相談に乗ってくれそうな気がしたので > メールを出して見ました。このアドレスでいいんですか? > ------------------------------ 水野亜沙美 ------------------------------
いつもいつも思うんだけど、普通のメールに見せかけるつもりなら、相手に呼びかける言葉くらい、付け加えようよ。「○○さん、初めまして」とか。「文面」ってのも何の文面なんだか、どうとでも取れるしねえ。そこでもう「スパムメールだな」とバレちゃうから、やっぱり送る相手に合わせた個別の文章を作らない限り、引っかけるのは難しいと思うんだけど。 だいたい出会い系サイトにアクセスしようなんて下半身にしか中枢神経がない猿は(猿はちゃんと脳があるから猿以下か)、こんなスパムメール送らなくったって自分から勝手にアクセスしてくと思うんだけどね。
『華氏911』がらみで、米大統領線の行方が気になるようになっちゃったが(どっちが勝つかと言うよりも、マイケル・ムーアの「キャンペーン」が果たして効を奏するのかどうかという興味である)、9日に発表されたワシントン・ポスト紙とABCテレビの合同調査では、ブッシュ大統領が民主党候補のケリー上院議員を9ポイント上回っているとか。 先日、「イラク戦争は間違いだった」と明言したケリー候補だけれど、劣勢を打開する明確な手段が見出せずに、ついうかうかとムーアの尻馬に乗っちゃったような感じだね。イラク戦争に対して否定的な態度を取るにしても、そこまで言い切っちゃうと「じゃあ、これまで数多の米兵の血が流されたのは何だったのだ」ってことになっちゃうからねえ。戦略的には不利だと思うのだけれども、それだけもうなりふり構ってられないところにまでケリー候補が追いつめられてるってことなんだろう。 『華氏911』は既に映画としての評価を離れて、「あなたはブッシュにYES?NO?」イベントの中心としての位置を占めるようになってしまっている。けれど、もしこれでブッシュが再選されるようなことになったら、「自分の活動が歴史を動かせるかも」ってユメ見てるムーア礼賛者のみなさんはどうなっちゃうんだろうか。絶望して人生投げ出しちゃうだろうか。まず絶対そうならないのは確実で、それまでと同じ何の変哲もない日常を過ごすだけだろう。それだけでも『華氏』に感動した連中が一時的なロマンチシズムに酔い痴れてるだけなのは証明できてしまうのである。 どんな運動でもそうだが、絶対の正義を振りかざすように他人を洗脳しようとすれば、ピュアだったりイノセントな方は別として、普通の神経持ってる人はまず「引く」ものである。確かに歴史は人が動かしていくものだし、小さな一人の力が歴史に大きく関与し影響していった例もあるが、だからと言って、「あなた」がその一人である可能性は限りなく低いのである。つか、「自分がそうかも」と思いこんだ時点で歴史の流れは「あなた」から離れていくものなのよ。自意識過剰っつーかさ、自我肥大起こした人間がどれだけ鬱陶しいものなのか、ちょっとくらいは考えてみてね、お願いだから。 ちょうど『ビートたけしの!こんなはずでは!!』で、あの同時多発テロが「ブッシュの謀略」だとか放送してたけど、そういう奇説に心惹かれる人々もやっぱり自意識過剰で、自らの満たされぬ心を「誰かの陰謀のせい」にしたがっているところがある。 なんだかなあ、トンデモを笑うってのはやっぱり本人にもトンデモな気質があって、同族どうし相惹かれる面があるんだよなあ。『華氏』にハマった人を私がついつい罵倒してしまうのも、私にだってムーア擁護派の人々のように、「誰かを悪者にすることで、自分自身にも責任があることを自覚したがらない」部分があるからである。心のどこかに自らを「善人」だと思うことで免罪符を得たい、ラクな生き方をしたいっていう願望があるんだね。 実はそこにピュアな方につけ込まれかねない「心の穴」があるのである。その「穴」に向かって「無理をしないで、悪いのは君じゃないんだから」なんて囁かれたら、もう私はべそべそ泣きたくなって、囁いてくれた相手に「一生付いて行きます」みたいな気分にだってなりかねないのである。幸い、これまでの人生でそんなこと言ってきた人にはあまり出会わなかったけれども、どこかで一歩間違えてたら今頃どこかの山で修行してたかもしれないね(~_~;)。甘言には用心、用心である。
2003年09月11日(木) アニメの世界は広いんだぞ/『Heaven?―ご苦楽レストラン』6巻(完結/佐々木倫子) 2001年09月11日(火) 地球が静止した夜/『ななか6/17』3巻(八神健) 2000年09月11日(月) ミステリとワンピースと/『ONE PIECE』1〜5巻(尾田栄一郎)
朝6時に起きて、WOWOWで東映・高倉健主演版の『悪魔の手毬唄』を見る。数ある金田一シリーズの中で、これは未見のうちの一本だったので、WOWOWさんには大感謝である。 珍品とは聞いてたけど、高倉健の金田一耕助、サングラスに咥え煙草で白いスポーツカーを飛ばして鬼首町に乗りつけるあたり、確かに横溝正史の世界じゃない。これじゃ探偵じゃなくて、イキがったヤクザのあにいだよ(~_~;)。 本格ミステリとしても原作の傑作ぶりを思えばあまりに物足りない。なぜか『八つ墓村』っぽい「たたりじゃ婆さん」も出てきたりして、ありとあらゆる部分で原作を無視しまくっているのだが、ともかく原作と違って童謡殺人モノではなくなっていて、「手毬唄」がトリックに全く関わっていないのが羊頭狗肉じゃないか、という感じだ。 脚本家は「原作読まずに書いた」とか言ってるんだけど、ストーリーもプロットも全く別モノでありながら、キャラクターや展開の一部など、原作ラスト近くの要素もいくつか取り込まれてはいるので、全く読んでないというのはウソじゃないかという気がしてくる。長大な原作をうまく映像化する方法を考えつかなかったから、勝手に物語デッチアゲちゃっただけじゃないのかなあ。 横溝正史ブームがあれだけ激しかった70年代後半ですらテレビ放送もされなかったのは、やっぱり原作ファンの総スカンを食らうと判断されたせいかもしれない。 辰造役でエノケンのパートナーであった中村是好が出ていかにもなカジモド演技を披露していたのは嬉しかったが(これが片岡千恵蔵の金田一シリーズだったら、当然高倉健は辰造に変装したはずである)。 今月から来月にかけて、WOWOWや日本映画専門チャンネルではなかなか見ることのできない日本のミステリ映画が放送されるが、その中にはやはり未見の河津清三郎版金田一耕助の『幽霊男』や池部良版金田一耕助の『吸血蛾』も放送される。どれも珍品だろうということは分かるのだけれど、全く、生きててよかったと思う次第である。
今日も仕事はないので、出勤して来週の準備をするだけ。ちょうどトンガリさんが欠勤だったので、サクサクはかどる。 しげに迎えに来てもらって、父の店へ、借りた入院費の残りを返しに行く。 なんでもそうだが、借りたものは一週間以内に返そう。でないと絶対忘れちゃうのだ。逆に自分が人にものを貸す場合は、紛失されてしまう覚悟をしといた方がいい。つか、貸し借り自体、あまりしないほうがいいんだけどね。 でもこう言ってる私だって、借りっぱなしで忘れてる本とかきっとあるのだ。……とか言ってたら昔、C−1くんに本を借りてたのと、鴉丸嬢のお父さんにも本を借りてたの思い出した。あああ、あの本、この山積みの本の中のどこにいったろう。(°°;))。。。 ……ごめんなさい、見つけたら必ず返します。m(__;)m ほかにも「これ返してもらってないぞ」という心あたりのある方がいらっしゃいましたらお知らせ下さい。ただしお金は借りたことは一度もないので、ウソついて騙し取ろうとしてもムダですよ(^o^)。
明日が休日出勤なので、今日は帰宅してゆっくり休む、という選択肢もあったのだが、映画『IZO』が公開一週間で早朝上映のみに切り替わることがわかったので、キャナルシティまで見に行く。 「岡田以蔵が現代に転生して斬りまくる」というからアクションものかと思ったら、中身は全くのアングラ演劇でした。登場人物たちがいかにも意味がありげななさげな哲学的言語遊戯を弄んでる間、IZOが気にくわないヤツをただただ斬りまくるという、「実写版ケンペーくん」みたいな話である。そりゃカンヌで特別上映されるわなあ。 こういうヘンな映画もすごく好きなんだけれど、だからと言って2時間25分も見たいもんじゃない。作品自体の「底」がね、自分が作る芝居とたいして変わらないからね、なんか自分の恥部を延々と見せられてるようでさ、もう映画の最中、恥ずかしいのと退屈なのとか混ざりあってね、居心地悪くてしょうがなかったのよ(^_^;)。最初の10分でオチまで読めるから、せめて1時間半にしてほしかったよ。 ああ、でも何でも斬っちゃう以蔵が夏樹陽子の女教師だけは斬れずに一礼しちゃうところと、以蔵の妻の桃井かおりがなぜか現代の会社で“そのまんまの姿”でOLやってパソコン打ってたのはおもしろかった。 しげの感想はひとこと、「わがんね?」。よくこんなの一般上映できたなあ。 座って映画見るだけだから、たいして疲れないだろうと思ってたのだけれど、予想以上にぶっくたびれた。帰宅すると日記も書かずに寝る。
ディズニーの「ナイン・オールドメン」(レス・クラーク、マーク・デービス、オリー・ジョンストン、ミルト・カール、ウォード・キンボール、エリック・ラーソン、ジョン・ラウンズベリー、ウーリー・ライザーマン、フランク・トーマス。ディズニーアニメファンなら、この9人の名前をソラで言えなければモグリである)の一人、フランク・トーマス氏が、今月8日に死去、享年92。今年に入って脳出血を患っていたとか。 日本の「作画監督」システムとは違って、ディズニーアニメーションは昔からキャラクター別にアニメーターが「通し」で担当する方法を取っているので、どの作品でアニメーターを務めた、というだけではその人の真価はよく分からない。 『ピノキオ』のピノキオ、『シンデレラ』の継母、『ふしぎの国のアリス』のハートの女王、『ピーター・パン』のキャプテン・フックなどを担当した、と説明しないといけないのである。こうキャラクターを並べてみると、どちらかと言えばコミカルなキャラクターのほうを得意としているように思われてしまいかねないが、あの『わんわん物語』でスパゲッティのキスシーンを担当した、ということを知れば、その演技の背景のリリカルな嗜好を見て取れるだろう。 ミルト・カールの愛弟子、ブラッド・バードが監督した映画『アイアン・ジャイアント』が、フランク・トーマスとオリー・ジョンストンにオマージュを捧げたものであることは、『アイアン・ジャイアント』の中にフランクとオリーがキャラクターとして登場していることで分かる。蒸気機関車の老機関士がフランク、話を促すのがオリーだが、この二人、なんと声までアテている! 『アイアン・ジャイアント』の叙情性は、今思い返せば“そういうこと”だったのだ。 ナイン・オールドメンのうち、私が一番好きだったのは来日時にご尊顔を拝したこともあるウォード・キンボール氏だったが、氏も先年亡くなり、今またトーマス氏も逝かれた。残ったのはオリー・ジョンストン氏のみである。
2003年09月10日(水) 祭りの終わり/『ヒカルの碁』23巻(完結/ほったゆみ・小畑健) 2001年09月10日(月) 憎まれっ子世に……/『RED SHADOW 赤影』(加倉井ミサイル)ほか 2000年09月10日(日) 睡魔と戦いつつこれを書いてます/『星降り山荘の殺人』(倉知淳)
| 2004年09月09日(木) |
ホモでオタクな“あの”ストーカー |
久しぶりの職場復帰。でも上司から、「ご自分の身の回りの仕事をゆっくりされて下さい」と言われたので、さしあたってはすることがない。今週いっぱいは(と言ってもあと三日だけだが)ゆっくりして、来週から本格的に復帰、という職場のありがたい恩情ではあるのだが、かと言ってたいした仕事もないのに職場に来るだけは来ているというのはなんだか忸怩たるものがあるのである。とは言え、まだ便は水状態なので、ムリはできないのである。
レターボックスを覗いてみると、ワープロで打った葉書があった。 ああ、あれか、と苦笑する。 以前、7月6日(火)の 「『ストーカー法』に引っかからないストーカーの仕方」と8月25日(水)「美人プラス1」で書いた、例のホモでオタクでストーカーな元同僚からの葉書である。うっかり会っちゃって、なんかまた関わってくるんじゃないかと思っていたが、やっぱり来たんだなあ。期待を裏切らない人と言うか、行動が読みやすい人だと言うか、こうして日記のネタを定期的に提供してくれるのだから、トンガリさん同様、ちゃんとした呼び名をあげとかないといけないかな。ホモでオタクだからホモオタさんにしとこう(とんねるずの石橋さんみたいだな)。 以下はその文面だけれど、一応、本人ではなく他人が出した、という体裁にしてあるのはこれまでと同じ。私の知り合いの名前を騙ることもあるが、今回は無記名だった。でも、消印を見ると、ウチとその人の住まいとのちょうど中間にある郵便局なんだな。住所をゴマかしたいんだったら、もうちょっと遠方まで行きましょうよ(^_^;)。 一応、私の職業が分かってしまう部分は伏字にしたり省略したりしたけれど、これだけでも充分、ホモオタさんがイッちゃってる方だということが分かると思いますよ。
> あなたが八月二十五日に××××(出張先の名称)にいて、××××(ホモオタさんの所属する支社の名称)のA(ホモオタさんの本名)にからもうとしていたと聞きましたので、葉書を書きます。 > あなたはAに対して××××(私がホモオタさんと知り合った前の職場の名称)でストーカー行為をしていたと既に調べはついています。そして、××××(親会社の名称)はあなたを擁護している事も知っています。 > しかし、Aの後ろには国がついているのです。自衛隊との関係が深く司令官名で基地行事にVIP待遇で招待されてる人です。このテロ関係で緊張が高まっている時に手出しするのは得策ではありません。(中略) > さらに神道関係にも深く関わっていて、その関係から皇室とも付き合いがあり、宮内庁に何回も足を運んでいて、国家権力と深く関係しています。 > 演劇関係ではプロの俳優の指導を依頼されて行ったり、写真関係では国に提出する写真撮影を公式に撮ったりもしています。 > つまり、Aを××××(親会社の名称)は全く評価していませんが、国はかなり高く評価しているのです。 > あなたが××××(親会社の名称)から信用されているから大丈夫だと考えて、たかり行為をまた始めた場合、××××(前の職場)の時とは状況が激しく違います。たかり行為やストーカー行為は明確な犯罪です。犯罪はやめなさい。
八月二十五日に誰がからもうとしたかなあ。ちらっと見ちゃっただけだっちゅ〜の。つか、できるだけ関わらないようにしようとしてたのに、相変わらず妄想全開してるんである。 「既に調べはついている」って表現もねえ……。アンタは八丁堀の同心か! (^o^)。安手の時代モノによく出てくるモノイイで、ホモオタさんの語彙力、表現力の貧困さが見えちゃうけれど、そう言えば昔、まだ中傷ハガキを出してることをしらばっくれてたホモオタさんに向かって、「そうですよねえ。こんな知性のカケラもないアホな文章、書こうったって書けませんよねえ。このハガキの差し出し人は相当の猿ですな」と言ったら、どんどん不機嫌になっていったっけ。自我肥大起こしてて、いっぱしの文章家のつもりでいるから、さぞやはらわたが煮え繰り返っていたと思うが、全く笑える話である。 特に最後の、「犯罪はやめなさい」というのが笑えてしまう。というのも、ホモオタさん、こういうハガキを自分が気に入らない人にはやたら送りまくってるものだから、それを責められて「犯罪はやめなさい」ってしょっちゅう言われてたんである。あんまり言われてるものだから、誰かに言い返したかったのだなあ(^o^)。 しかしまあ、何が馬鹿かって、クニだの何だの、いろんなところに評価されてVIPなんだよと主張してる人が、どうして今現在、子会社の閑職にすっ飛ばされてるってのに、どこからも助けの手が伸びてないのか、ってことなんだけどね。もちろん国とか自衛隊とか宮内庁とか、全てがホモオタさんの妄想なのである。ちょっとそこまで散歩に行ったとかいう事実はあるかもしれないが、心の中でその事実にどんどんと脚色が加えられて行ったのだね。 ともかく書かれてあることはデタラメばかりで、私に関することも全て根も葉もないウソである。私は別に、昔同僚だった頃に、ホモオタさんにたかったこともないし(もともと職場関係の人に金を借りたことは一度もない)、当然ホモオタさんにストーカー行為をしたこともない。それどころか、ストーカーされてたのは私の方だったのは、前にも書いた通りである。 もともと同僚だったころにもホモオタさん、やたらと電話をかけてくるさびしんぼうさんだったのであるが、別支社に転勤してからも、私の家に毎日のように電話をしてくるのである。それが決まって夜の11時とか12時過ぎとか、真夜中だった。私にだって明日の仕事もあるし、やめてくれと言っても聞かない(向こうは私と勤務時間帯に少しズレがあるので夜はゆっくりできたのである。自分の都合しか考えないんだよなあ)。こっちからは決して電話をかけないのだから、嫌われてるんだと気付けと言いたいのだが、そこは「鈍獣」で、まるで気が付かないのだ。仕方なく、ある程度相手をしてやっていると、話すことといったら上司への恨みツラミばかり。それだけでもウンザリなのだが、今回のハガキにもあったように、「自分には国のバックがついてるんだ」とか「自分は映画もアニメも写真もミリタリーも自転車競技も権威なんだ」と嘯いていたのが(昔、自主制作アニメを作った程度のことはあったようだ)、どんどん狂気度を増していって、「自分は霊界と更新できるんだ」とか「天候も自由に操れる」「その気になれば人を呪い殺すことだってできる」とか、もう、処置ナシ状態になっていったのである。 皇室につながってるってのも、なんか有栖川宮事件みたいだなあ。熊沢天皇とかナポレオン狂と同じで、自分に何の力もないと認識するのが怖くて、権威とか伝統に自己同一化しようとする妄想症の典型なのである。こんなんずっと聞かされ続けたらたまらんし、中傷ハガキをばら撒きまくる人だと知った段階で、ナンバーディスプレイの電話機を契約して受信拒否してしまった。そしたら今度は私がストーカーハガキの対象になっちゃったという次第。 私自身にハガキを送りつけるだけではなく、ホモオタさんは、「私の名前を騙って」、誰彼なしに中傷ハガキもばら撒いていたのだが、どうしてこんな人物が親会社からもう二十年以上にも渡って放置されているかというと、結局、「葉書を送る」程度では法律的にたいした罪にはならなくて、決して「イタズラ」以上には見なされないからなんだね。 でも、私の名前を騙ったということは、そのために私の名誉が傷つけられたのではないか、名誉毀損で訴えることができるのではないか、と仰る方もおられようが、そうはならないのだ。なぜかと言うと、このハガキの文面、書かれてある内容は全部デタラメなのだが、一つだけ本当なのは、「親会社に私は信用されてるが、ホモオタさんは信用されてない」ということで、つまりホモオタさんがいくら私を陥れようとしても、全く効果がないからなのである。……だってもう、私が知ってるだけで被害者は数10人、八百枚以上のハガキを送りまくってるんだから、周囲がこれを知っても「ああ、あの人の仕業だね」で終わっちゃって、誰一人私がそんなハガキを送ったとは思わないのよ。私の名誉は全く毀損されてないから被害も生じていないというわけ。ホモオタさん、無駄な努力をしてるよなあ。けれど、私が被害を受けたら訴えられちゃうから、結局、「訴えられない程度に」ハガキを送る、ことしかできないのである。基本的に小心者と言うか、根性なしなのだ(^o^)。 思うに八月二十五日当日は、私が美人さんと仲良く話をしていたので、ホモオタさん、ジェラシッちゃったんだろう。……いや、だから私はノンケなんだから、私に言い寄ってどうにかなると錯覚した時点で、ホモオタさんの勘違いなんだってば(^_^;)。言ってみりゃ、一人相撲の逆恨みなんだけれど、それが十年以上も持続し続けているっていうのが執拗っつーか、根性なしのくせに不幸ブリッコだけは一人前なのである。江口寿史の描く「うしみつくん」だよなあ、まるで。まあ、今はこうして向こうはこちらに関われなくなっているし、端で見てる分には楽しいだけなんだけれど、直接、顔をつき合わせなきゃならないときは、とりあえずは向こうの顔も立ててあげないととか考えてたのでエラい苦労しましたよ(´。`;)。 ホモであることは悪くない。オタクであることももちろんだ。けれどホモでオタクと二乗されると救いようがなくなってしまうのはなぜなのか。いや、そう断定するのは私の本意ではないのだが、シツコイのがホモやオタクの本質じゃなかったはずなのに、そういうイメージがホモやオタクを規定して縛ってるのはどうしてなんだ、という問題なのである。そのマイナスイメージを補強し助長しているのが必ずしも世間の偏見ばかりではなく、ホモやオタク自身の思いこみ、被害妄想、世間に対するルサンチマンにも起因しているという事実をちょっとは考えたほうがいいんじゃないか。人を恨みに思えば嫌われるよ、当然。 自分の妄想で自分を追いこんでいったって、結局自分の身を不幸にするだけだ。不幸せを他人のせいにしていれば、そりゃ楽だけれども、自分が嫌われ疎まれるのもその本質的な原因は自分自身の中にある。世の粘着質のオタク諸君、オタクはモノに拘るのが当然と自己正当化してる人もいるかもしれないけれども、だからと言って、拘り過ぎるのも時と場合によっては善し悪しだってこと、少しは認識しとかなきゃならないんじゃないでしょうかね。
しげに迎えに来てもらって帰宅。パソコンを開くと、またヘンなメールが。いや、内容はありふれたHメールなんだけれど、タイトルと文章がヘンなのである。
> 題名:今日守なばし > 今日は旦那だ主張で留守なので暇です。 チョットHな気分なので、誰か遊んでください!
日本語ヘンな人とは遊びません(^o^)。 「旦那だ主張で」ってのは「旦那が出張で」、「チョット」は「ちょっと」のことなんだろうけれど、タイトルが全然意味不明。同様のメールを受け取った人はいないかと思ってGoogle検索かけて調べてみてようやく分かったのだが、このタイトル、もともと「今日は旦那が留守なので羽を伸ばしたい気分!!」だったのが、なぜか脱字しちゃったのだね。分かるかこんなの(~_~;)。 タイトルをコピーしてる間にミスっちゃったのかなあ。本気で相手を引っ掛けようと思うなら、やっぱり大量送信するような大雑把なことしてちゃダメだわさ。
夕方6時からWOWOW(ふと思ったが、未だに「WOWWOW」と書く人が時々いるのは何なんだろうね。ゲシュタルト崩壊してるのか?)で『蝶々失踪事件』を見る。再放送で、以前見た時にも感想は書いたが、本格ミステリに拘ろうとする気概は見えるものの、メイントリックの一部をカットしたりしいて、原作をうまく映像化しきれなかったことは、何度見返してみても残念でならない。由利警部役の岡譲司はホームズっぽくて悪くはないんだけど、由利先生(原作は警官ではない)はやっぱり白髪の名探偵じゃないとなあ。数年前のドラマ版の石坂浩二の由利先生もダメダメだったし。 昔、NHKで放送されてた坂本九の朗読によるテレビ絵物語『幽霊鉄仮面』、あれがちゃんと原作通りの由利先生だったけれど、横溝正史研究のサイトは腐るほどあるのに、その点に言及してるところがただの一つもない。画竜点睛を欠くと言うのは全くこのことだ。
ドラマ『南くんの恋人』第10話、『人間の証明』最終話、続けて見る。 『南くん』はまあ、こんなもの。これでもう三度目のドラマ化だそうだけれど、原作者は一応毎回出来には満足してるって言ってるみたいだが、ちゃんと原作通りの形で見てみたいね。 『人間の証明』は、役者は悪くないのに、脚本と撮り方と音楽がなんか安っぽかったなあ。『キネ旬』では誉めてたけど。原作は殺人の動機に“かなり”甘さがあるんだけど、それがドラマになっても解消されてなかった。これはかなり減点になるし、ケン・シュフタンの殉職をテロップ一つで処理しちゃうのもダメでしょ、やっぱり。DVDが出たら買うかどうか、かなり迷う。 『BSアニメ夜話』は『カードキャプターさくら』。これもツッコミ入れだしたらキリがなさそうなので省略。感情だけで語るゲストが昨日より多かったなあ。
2003年09月09日(火) で、『CASSHERN』に樋口可南子はホログラフィーで出るのか?/『鉄腕バーディ』2巻(ゆうきまさみ) 2001年09月09日(日) 見え透いたウソにすがるココロは/DVD『ウルトラマンティガ THE FINAL ODESSEY』 2000年09月09日(土) なんでこんなにバカなのか
| 2004年09月08日(水) |
入院顛末4・絶食したのに太るフシギ |
ようやく退院の日。それでもやはり朝食はまだお粥である。 夕べはまだ食欲が出なくて、ちょうど見舞いに来ていたしげに、おかずの白身魚に揚げ豆腐を半分分けてやったので、朝はさすがにおなかがすいている。けれど病院の朝食というのはたいてい一汁一菜なので(実際、梅干と吸い物だけである)、そう腹が膨れるものでもない。せめてあと一品、何かもうちょっとしっかりしたものが食えればなあ、という気分になったが、ということは取りも直さず、現実にだいぶ回復してきたということなのだろう。もっとも退院後も服用するようにと、胃腸薬だの頭痛薬だの抗生物質だの、七種類くらいもらいはしたが(^_^;)。 一応、吐き気だの血便だの、症状がぶり返さない限りは通院する必要はないとのことなので、ひと安心である。
午前10時、しげが迎えに来るが、目覚めたのがギリギリで、病院にはやはり行き損なったとか。予想通りである。父に借りた金を返しに行く前に、病院に寄ろうと相談する。 受付で支払いを済ませて、いったん外に出たはいいが、診断書をもらい忘れて、慌てて受付に戻る。問い合わせてみると、昨日のうちに頼んでおいたのに担当の女医さん、ケロッと忘れておられた。ま、よくあることである。けど、対応した受付の方がえらく馬鹿丁寧に「申し訳ありません!」と頭を下げられたので、いや、何もそこまで、とかえって恐縮する。今通ってる眼科の先生も“毎回”診断書を忘れてくれるのだけれども、受付の対応がまた、「細かいこと頼みやがって」みたいな態度でよ(⌒―⌒メ)。素直に謝るのが普通なんだよなあ。 行き付けの病院で、しげの風邪薬を処方してもらい、父の店に回る。お金を返したあと、「バーミヤン」に寄って昼飯。もちろん、まだたいそうなものは食べられないので、お粥とほうれん草の水餃子を注文する。しげは麻婆豆腐定職高なんだかを頼んでいたが、「辛い辛い」と言って食が進まない。麻婆が辛いのは当たり前なのにならなぜ注文するのか、理解しがたい。 なんやかやで、帰宅は2時近くになった。職場に、明日から復帰する旨、連絡を入れるが、上司と連絡がつかず、伝言のみ。忙しいんじゃないのかなあ。ホントにいいのかなあ、出勤しなくて。 改めて体重を量ってみると、なんと入院したときより1キロ以上増えている。まる二日、完全絶食してたのに、なぜだ、と思ったが、考えてみればその間ずっと点滴打ちっぱなしだったのだ。恐るべし点滴の栄養力! つか、私のからだもからだで、入院時は脱水症状を起こしていて血管が潰れていて、点滴の注射針を射しても点滴が流れていかないくらいへにょへにょだったのに、いったん栄養を吸収し出すと、スポンジが水を含むように増えているのである。太りやすいなら簡単に痩せてくれてもいいのになあ。
夕方から、メルパルクホール福岡に向かう。近所のロイヤルホストで夕食(注文したのはやっぱりホタテ粥)したあと、PARCOプロデュースによる舞台『鈍獣』を見る。これ、当然チケットを買っておいたのだが、もし退院が一日ズレてたら、キャンセルしなきゃならないところだった。つか、殆ど諦めてたので、なんか嬉しさもひとしおである。 宮藤官九郎初の舞台劇、最初でここまで作りこんだ芝居が書けたらもう充分及第点だろう。生瀬勝久、古田新太、池田成志君、役者もみんな熱演。古田新太さんの歌う『どぅお〜んペ〜りでゃあ〜んす』『ゴートゥヘル横浜』の2曲は惚れ惚れするくらいの美声で、幕間に思わずサントラCDを買っちゃったくらい。生瀬さんの演技はまさに舞台でこそ花が咲く。池田君は、随分うまくなった(^o^)。山の手事情社のころは見てらんないくらいヘタだったけど、本来の柄ではない役をキャスティングされていながら、それをなかなかのセンまで見せているのである。でも逆を言えばそれはキャスティングに問題ありということなので、それも含めて河原雅彦の演出には多少首をひねるところがないではない。それに、「ウェルメイド」な芝居というのは作りこみ過ぎるとどうしても先が読めてしまうのがネックだ。一幕を見終わった時点で、二幕のオチまでの展開が全て読めてしまうのはちょっと損だった。ここはもうちょっと台本刈り込んで、ノンストップ休憩ナシで一気に見せ切った方がよかったんとちゃうかなあ。西田尚美、乙葉、野波麻帆ら女優陣も悪くないけど、ちょっと男優人に食われちゃった印象。
帰宅して、『BSアニメ夜話/あしたのジョー』を見る。『マンガ夜話』よりも録画な分だけかなり見やすいが、1時間のワクではやっぱり言葉足らず、説明不足で、作品の捉えかたも時代の切り取り方も決して間違いとは言いきれないが一面的なものが多く、また基本的な事実の紹介も不充分で、リアルタイムでその時代を経験していない人間には分かりにくい面、誤解しやすい面がやたら多いのは難点であった。これはもう、テレビという媒体の限界だろう。 細かいツッコミを挙げてったらキリがないから、一点だけ。 例えば「入射光」の演出が出崎統の特徴であることをみなさんトウトウと語っておられたが、確かにそれはその通りなんだけれども、あの紹介の仕方ではそれ以前にはそういった「透過光」の演出が全くなかったかのような錯覚を視聴者に与えてしまいかねない。いかにも出崎統が「透過光」そのものの創始者であるかのように思った若い人もいるに違いないのだが、もちろんそんなことはないのである。……そう言えば、大学のころ、やっぱり『エースをねらえ!』にハマッたもともとさほどアニメファンというわけでもなかった知り合いが「あれって、ホンモノの光を使ってるんですってよ!」と興奮して言ってたので、「いや、昔から東映動画でもホンモノの光は使ってたけど」と教えて、シラケられたことがあったが、「本物の光を使って」という言い方をすると、どうしても「じゃあそれまでは本物の光を使ったことはなかったんだ」と勘違いされてしまうのである。せめて「透過光そのものは昔からあったけれど」のヒトコトがほしかったところだけど、当然みなさんご存知であっても、そこまでは気付かなかったんだろうなあ。 そんな細かいところ気にしなくても、と仰る方もおられるかもしれないが、これ、アニメ技術の発展史の根幹に関わる問題なんで、決して瑣末なところに拘った揚げ足取りの指摘じゃないのよ。 まあ全体としてはやっぱり10代、20代の若いアニメファン向けで、語られる情報も少なくてどうにも食い足りないんだけれども、だからこそ若い人もあれを見て安易に「へええ、そうだったのか」とか関心して終わりにしないで、自分で『あしたのジョー』を見たり、当時の資料とか批評とかも博捜して調べたりして、もっと多角的な見方をしてほしいなあと思うのである。あれは別にアニメの検証番組じゃなくてただのトークショーなんだから。ああいうので昔のアニメを「見た」「わかった」気になられてもちょっとねえ。それじゃ「あらすじで見るナンタラ」になっちゃうからさ(それで平気って人が増えるのは困るのである)。
ネットでいろいろニュースを見ていつたら、この3、4日の間にもいろいろ面白い事件は起こっていて、みやむーに子供が出来たり、大五郎が密輸してたり、ウィリアム・ピアスンが死んだり、水上勉が死んだりしているが、とても全部には触れていられないので、省略しますが悪しからず。
2003年09月08日(月) ボンちゃんって呼び名も懐かしい/ドラマ『血脈』/『×××HOLIC』1巻(CLAMP) 2001年09月08日(土) 半年分の食い散らし/『あなたの身近な「困った人たち」の精神分析』(小此木啓吾)ほか 2000年09月08日(金) 這えば立て、立てば歩めの夫心/『ビーストテイル』(坂田靖子)ほか
朝から台風。 こないだの台風の時も病院にいたけれども、今度も病院で台風を迎えてるのは何かの暗合か。 ようやくベッドから離れて動けるようになったので(昨日までの移動は全て車椅子だったのである)、職場に連絡を入れる。昨日はしげが上司と連絡が取れなかったと言っていたのでうまく繋がるか心配していたのだが、すぐに電話口から上司の声が聞こえてきた。 「すみません、突然休んでしまいまして。救急車で運ばれたもので、連絡が遅れました」 「いえ、大変でしたね。おからだのほうはどうですか」 「胃潰瘍だそうです。ストレス性だと言われましたが」 「それはそれは」 「でも、さいわい、ガンじゃありませんでした」 「いやあ、それはよかったですねえ」 「で、今日、退院して明日から出勤したいんですが」 「もう大丈夫なんですか?」 「医者からは、明日まで養生しろと言われてますが、あまりご迷惑をかけるのも……」 「いやいや、差し出がましいことを言うようですが、医者がそう言われるのでしたら、ぜひ明日までお休み下さい」 「いや、そんな」 「いえ、ぜひ」 何だか、誰も彼もが優しくて涙が出そうになるが、一番自分に近い人間が一番優しくないって、どういうことなのよ。
検査は昨日で全て終了しているので、今日は様子見。嘔吐や腹痛がなければ、明日は退院である。嘔吐感はほとんどなくなり、便秘も座薬を入れたら一気にすっきりした。しかし便は下痢状態で、痔が切れてもいないのに血が混じっている。 食欲は戻っていたので、昨日までの絶食は解かれてお粥食が始まっていたが、点滴はまだ外せず、おかげで血糖値は上がりっぱなし、一時は381を記録した。インシュリンを何度も打つが、なかなか200を切らない。 熱は37度5分。夕方には36度2分まで下がった。総体的に、健康になったとまではいかないが、まあ、過激な活動をしなければ普通に生活できる程度には回復したと言えるだろう。 明日退院となれば、テレビカードを買ってテレビを見るのももったいない。昨日持って来てもらったカバンの中に入っていたエリザベス・フェラーズの『私が見たと蠅は言う』と、竹久夢二の『童話集 春』を読む。
夕方、しげが洗面用具を持って来る。 明日退院だから今頃持って来るのは遅いのだが、三日もずっと歯も磨けない、髭も剃れないではやはり気持ちが悪いので、それだけでも持ってきてくれとメールで頼んでおいたのである。 寝ていた私の足をくすぐって起こしたしげ、洗面器を入れた袋を床に投げ出すと、さっさと逃げ帰ろうとした。野性のカンで「何か言われる」と思ったのだろう。こういうところもしげの人間的に卑劣なところだ。 「用事はまだ終わってないよ」 しげを呼び返して、まず、父から預かったお金を取り上げる。 「親父から『金を預かっとけ』と言われたことの意味、わかるか?」 ここしばらくのしげのだらしない行動、肝心な時にマトモな対応ができない情けなさ、何より、父の信頼を失っていることなど、どう考えているかを問い質すが、いつものごとく、はかばかしい返事は返ってこない。 「オレの病気、ストレス性の胃潰瘍だってよ。オレにストレスがかかってるとして、一番の原因は何だと思う?」 「オレだって言いたいっちゃろ!? 分かっとうよ、そんなこと!」 「分かってるって、お前、ホントに自分が悪いと思ってるのか?」 「父ちゃんのチケット、ムダにしたのは悪かったと思う」 チケットの方がオレの健康損なってることより「申し訳なさ度」が上か。ああ、もう情けな過ぎて泣く気も失せる。 「親父に電話するなってあれだけ言ったのに、どうして逆らった? おかげで親父、一睡もできんやったって言いよったぞ」 「だって、入院承諾書に父ちゃんのサインがいるから、次の日電話しても連絡つかんかったらいかんと思って」 「連絡つかなくて何が困るよ。サインなんてあとでもいいやん」 「そんなこと、今気付いたもん!」 「連絡遅れたらそれはそれで文句言われるかもしれんけど、治療も済んで、もう大丈夫ですって状態でいたら心配かけずにすむんだよ。逆にそうしなかったせいで、お前が遊び呆けてオレをほったらかしにしてたってことが親父にバレたやんか」 「ほったらかしにしてたのは事実だから言い訳できんもん」 「オレはお前が『あてにできない人間』だって親父に思われたくないって言いたいの! 結局お前が馬鹿だから、劇団のみんなまで遊び仲間と思われて、巻き添えにしとるやないか」 「だからごめんって言いようやん!」 そう言ってしげは泣き出してしまったが、これもいつもと同じパターンである。全く、病院でまで泣くのかこの馬鹿は。気遣う立場の人間が逆に気遣われる行動を取っている時点で、いくら「ごめん」と言っても、反省したことにはならないことにいつまで経っても気付かないのだ。 「どうせオレちゃんとできんもん、あんたと一緒におらんほうがいいんやもん、もう劇団もやめる仕事もやめる病院ももう行かん」 これでしげはもう30歳である。小学生が駄々をこねているのと何の違いもない。このヒステリーも今まで何万遍聞かされたか分らないが、「恥を知れ」と言ってもまるで理解できないのである。これだけ明白に幼児退行を起こしているからこそ、精神科に連れて行きもしたのだ。もう通い始めて半年以上経っているのに、全然治る気配もない。精神科の先生、何やってるんだか。 「お前は結局、自分のことしか考えてないよ。この三日、おまえは結局一度もオレの具合がどうか尋ねなかったぞ? 自分に何かをしてもらいたがってるばかりで、オレのからだを気遣うつもりなんてないんだよ。いや、俺に対してだけじゃなくて、誰に対してもそんな態度取ってるんだよ。なんで人を思いやる気持ちが持てんか? なんで自分の頭で考えんのか? オレはおまえに『誰でも気がつく程度の判断力』を持てって言ってるだけなんだよ」 けれど、このセリフももう何万遍……。 そう、いくら説教したところで、一日経てば全て忘れる相手に何を言ったってムダなのである。馬鹿に対して馬鹿になるなと語ることの虚しさをもう10年以上も味わってきているのだが、年を取るにつれ、もう気力も体力も続かなくなってきた。本人に自己改善の意志も能力もない以上、私一人じゃもうあのイカレた頭をどうにも矯正のしようがないのである。 私がどうにも腑に落ちないのは、劇団の連中もかなり長いことしげと付き合っているというのに、このイカレ具合に振り回されもせず、なぜ平気でいられているのだろうか、ということだ。そこでつい「類友だから」という答えがパッと頭に浮かんでしまうのだが、もしそれが事実だとしたら、ソラオソロシイことである。ウチの劇団、みんなしげの群れか。 いつまでもしげを泣かしといたままでもしょうがないし、このままだとまた胃に穴が空くのは目に見えているので、「いいよ、もう、オレはどうせお前と心中するんだから」と言ってなだめる。ああもう、ドウエル教授でもフランケンシュタイン博士でもブンゼン博士でもいいから、しげのアタマ、もちっとマトモなのと取っかえてくれ。
しげ、少し風邪気味なようなので、明日早々に医者に行くように勧める。 つか、今しげがいる「ここ」がまさに「病院」なのだ。当然最初は「受付に行って、内科で見てもらえ」と言ったのだが、しげ、途端に「客が多くて待たされるからイヤ」、と言ったのである。そういう返事をすること自体、相手の気遣いを無視した行為になってるんであって、やっぱり何も判断してないし反省もしていないのだということを……もういいや、どうでも。どうせ明日になったら医者に行くこと自体、忘れてるだろうし、勝手に風邪でも尿毒症でも悪化させりゃいいのである。ウィルスに侵されたほうがかえって馬鹿がマトモに近くなるかもしれんかな。
結局、私はしげとの間で死ぬまで不毛な会話を続けていくことになるのだろう。まあ、そんなに長い時間はかからなくてすむかもしれないが(T∇T)。
2003年09月07日(日) 「時代劇の復興」というのはこういうのを指すのだ/映画『座頭市』ほか 2001年09月07日(金) 夢の終わり/映画『王は踊る』ほか 2000年09月07日(木) 涙のリクエスト/『冷たい密室と博士たち』(森博嗣)ほか
| 2004年09月06日(月) |
入院顛末2・ブラッククイーン? |
朝、誰かに肩を押されて目を覚ますと、しげと、そして父がベッドの横に立っていた。一瞬、驚きはしたが、しげが父に連絡したのだな、と気付いた。夕べしげには「入院したことは親父にはまだ連絡はするな」と言っておいたのだが、ここんとこ私の言うことに逆らってばかりのしげは、この言いつけも無視していたのだった。しげに「今何時?」と聞くと、「7時45分」と答える。しげが朝起きて連絡したにしてもいやに早い。いやな予感が頭をよぎる。 「具合はどげんや」 父の問いに「昨日よりはいいよ」と言って、右手の点滴を見せる。 「夕べはいきなり12時に起こされて、一睡もできんやったぞ」 ああ、やっぱり。そうなると予測がついたから、知らせるなよと念を押しておいたのに、全くムダだった。その場でしげを怒鳴ることもできずに、また父になんと詫びればいいか分からずにただ口をへの字にしていると、父はさらに続けてこう言った。 「今日はだいたい博多座で北島三郎ショーがあったとばってん、親戚に譲って来た」 あちゃあ、そいつは大失敗。父の口調は別に恨みがましい感じではなかったし、それを口にしたからと言って腹蔵があるわけでないのは分かるのだが、なんだか取り返しのつかないことをしたと言うか、救急車なんて呼ぶんじゃなかったと後悔してしまった。もちろん、もっと後悔しなきゃならないヤツはほかにいるのだが。 しげに、今日からしばらく欠勤することを朝のうちに職場の方に伝えておいてくれと頼んでいたのだが、それもまだだった。しげに、病院の外に行って電話をかけてくるように頼んで、その間、父と語る。 「夕べの電話じゃ、しげさん、いっちょん要領を得んやったばってん、お前のそばにはおらんやったとや」 「……うん、まあ」 どうにも「遊び呆けてました」とは答えにくい。 「どこかで遊び呆けとったとやろ」 「……うん、まあ」 先に言われてしまっては、そうだと答えるしかない。 「さっき銀行に行って、入院費を卸しとる。しげさんに渡しとるけん、あとで“確実に”受け取っとけ」 「……わかった」 つまり、しげにお金を渡したままでいれば、使いこむから気をつけろ、と言っているのである。しげの名誉のために、そりゃいくらなんでもありえないよと否定してやりたいところだが、金に汚いしげの性格を考えれば絶対にないなんてことは言い切れない。いや、問題はしげが使いこむかどうかということではなく、「そういう人間だ」と父に認識されてしまった、ということの方が厄介なのだ。 私がしげに「親父には知らせるな」とキツクキツク厳命しておいたのは、父に心配をかけたくなかったからだけではない、こんなふうにしげが父から信用されなくなることを避けたかったからこそなのだ。それなのにボンクラ頭のしげは、自分からまた墓穴を掘ってしまったのである。ああ、もうほんとに椿三十郎じゃないが、「味方にケツを切られてる」気分である。 戻ってきたしげ、職場の上司に連絡がつかなかったと伝えてくる。一応、伝言は頼んでおいたとのことだったが、念のため、昼過ぎにでももう一度連絡を入れておいてくれと頼む。これくらいのことは忘れずにやってもらわないと、本気で困る。 父も、とりあえず今のところは私の様子見にちょっと来ただけなので、これからかかりつけの医者のところに行くと言って出て行く。 しげのほうは、父を車で送ったあと、父に何やら言われたらしく、紙袋に下着の着替えを入れて戻ってきた。けれど、やはり昨日から全然寝ていないと言って、すぐに帰って行った。紙袋の中を見るとホントに下着だけでタオルの1枚も入っていない。まだ私が「入院」しているのだという事実を認識しきれてないんじゃないか(--;)。
午前中はエコーだの胃カメラだの、検査続き。 担当の医者は女医さん。これまで十数回の入院経験のある(誇張ではない)私であるが、女医さんに診てもらうのは初めてである。年頃はまだ20代の半ばくらいか、タレントの千秋をさらに美人にしたような感じの方で、表情もあまり動かなくて、ちょっと尖がった感じの口調も千秋に似ている。クール・ビューティーな女医さんのイメージそのまんまと言うか、『ブラック・ジャック』の「U-18は知っていた」に登場したワットマン博士のような……って、タトエ、分かりにくいか。なんとなく、「あ、あなたガンね」と簡単に告知してくれそうな雰囲気なのである。 いや、実際はそんなこと言わないけど、腹のレントゲン撮ったら、「あー、便がかなり詰まってますねー」とサラッと言ってくれたから、まあイメージはそう離れちゃいない。実にテキパキされているので、若い女医さんにあちこち触られて照れるとか嬉しいとか、そんなこと感じてる余裕もなかったのであった(^_^;)。
父が戻ってきたちょうどその時に、胃カメラの結果が出た。 女医さんが、赤黒くて引き攣れた胃の内壁の写真を見せながら、「かなり出血してますねー。嘔吐の原因はこれでしょう」(千秋の声で読んでね)と説明する。 父は写真を覗きこんで、「こりゃひどい!」と言って私を脅そうとするのだが、ついうっかりと「初めて見たけど」と付け加えてしまったので、脅しにならないのであった。 「食中りかなんかじゃなかったんですか?」 「こういう潰瘍は、普通、ストレスによるものです」 私にストレスを与えてるものと言えば、こりゃもう、アレとアレしかないよなあ。 女医さん、またまたサラッと「たまに脳に疾患があって、嘔吐を催すこともありますから、CTスキャンもしておきましょうか?」と言う。「脳に疾患」って、親父よりよっぽど怖いことを言うてくれてるのだが、まあ、これまで誇張でなく死にかけたことが何度となくある身にしてみれば、こんなふうに単刀直入に言ってくれる先生の方がむしろ気持ちがいい。これまで、いい医者、悪い医者、すごく悪い医者、とてつもなく藪な医者と、いろんな医者に当たってきたが、どうやらいい医者に当たったようである。 父ともども「お願いします」と頼む。
父は、しげが下着しか持ってきていないことを知ると、「もう少し気が利くかと思うとったばってん」と軽く溜め息をついた。 「気が利くわけないやん」と私が苦笑いすると、父は「そういうのをお前が選んだん_けんしゃあないたい」と、いつぞやも言っていた言葉を繰り返した。 「今日はもう、しげさんは来んとや?」 「夕べ寝てないから、あとは寝るって」 溜め息ばかりを父につかせたいわけではないが、そういう返事しかできない。気がついたら私も溜め息をついている。 「湯のみくらいは買うてきちゃろう」と言って父は売店に向かったが、湯のみだけでなく、お茶の「伊右衛門」も2本、買ってきてくれた。ヨメより男親の方が気が利いているというのも滅多にあるこっちゃない。 父は、帰りしなにポツンと「ストレスか」とつぶやいたあと、「まあ、俺はお前たち二人が仲良くやってくれたらそれでよか」と俯いたまま出て行った。 台風が近づいていて、外はまだ夕方にもならないのに暗かった。もしかして夕方からしげが来るかもと、ほんの少しだけ期待したが、もちろんそんな期待が報われたことはないのである。
CTスキャンの結果も異状なし。ホッとしたけど、つまり病気の理由はやっぱり「ストレス」のみってことだな。……コラ、そこのストレスの原因、そこんとこちゃんと自覚してるのかよ。
2003年09月06日(土) 学校が守っているものは何か/『死神探偵と幽霊学園』第1巻(斎藤岬) 2001年09月06日(木) 裸という名の虚構/『アイドルが脱いだ理由(わけ)』(宝泉薫)ほか 2000年09月06日(水) 妖怪っぽい〜妖怪っぽい〜♪/『ブロックルハースト・グロープの謎の屋敷』(シルヴィア・ウォー)
終日、ほとんど寝床から動けず。 嘔吐感はいよいよ強く、便所と寝床を行ったり来たりしては、吐いちゃ寝、吐いちゃ寝、の一日。パソコンもいったん開いてはみるのだが、日記も何も書き込む元気が出ない。 吐き気と言っても、どうもこれまでとは感じが違うのである。喉に固いボールがあって、それが舌を押し上げてくる感じで、生唾がとめどなくあふれてくる。それを吐いているうちに気分がますます悪くなって、げろげろと吐き出すのである。意識がかなり朦朧とし始めていたからその時は気がつかなかつたが、その時、吐瀉物には血が混じっていたのだ。 体力が毛穴から抜けて行くような気分で、水を飲んだら飲んだだけ吐くので、何の意味もない。当然、食事も出来ず、朽ち果てるように寝床で失神している。
しげは朝方になって帰って来たが、ぐったりしている私を見ても声もかけようとしない。じきに芝居の練習に行くので、その準備のことしか頭にないのである。やっと声をかけてきたかと思うと、責めるような口調で「今日は練習行かんとね!」である。 「昨日からげろげろ吐いてるんだ。行ける状態じゃない」 「ふーん」 しげはそのまま私に二度と声もかけず、出かけて行ってしまった。私の頭上に「鬼嫁」の2字が浮かんだが、考えてみたらしげはただの寄生虫で、嫁になったことなんかなかったよな、と反省する。って、そんなあほな反省なんかしている場合じゃなかったのだが。 その直後にまた吐いて、今度はトイレから出たところの床で失神してしまったので、記憶が夕方まで飛んだ。床で寝ていたので、からだのふしぶしがズキズキと痛む。それどころか、腹が張って苦しい。けれども、もうウンコをひり出す筋力もなく、ただただ腹が圧迫されたように痛むのである。 これはいったい何が原因か、到底風邪とかそんな軽い症状ではない。昨日食ったそばが当たったのか、水道水がよくなかったのか、いろいろ考えるが考える間も腹痛と吐き気は治まらない。もう胃の内容物は全て吐き出して、出るのは胃液ばかりなのだが、それでも吐き気は続くのである。 喉だけは乾くので、水だけは飲みたいが、もうとてもカルキ臭い水道水は飲む気になれない。外に飲み物を買いに行く力もない。そろそろしげの練習も終わっているころだと、電話を入れた。 「水がない、水だけでも汲んできて、早く」 もう、私にはそれくらいしか言う元気がなかったが、しげは、電話に出たかと思うと、「あ? わかった」と言ってブツッと電話を切ってしまった。 しげはその後私を3時間放置して帰ってこなかった。
しげに電話を切られたあと、これはもう、あの馬鹿しげには頼れない、親父に連絡して救急車を呼ぶしかない、と考えたが、ここですぐに病院に運ばれたら、当然、帰宅したしげは私がどこに行ったのかわからずに、半狂乱になるだろう。しげがどれほど自分勝手な生活を送っていて、亭主をないがしろにしているのか、父にもバレてしまうのである。父のしげを見る目が厳しくなるのは何としてでも避けたかった。……なんだかこの期に及んでも馬鹿しげの心配をしてやってる自分のほうがよっぽど馬鹿だとは思うが、これも私の業(ごう)である。 ようやく帰ってきたしげに救急車を呼ばせて、即、入院。「救急車呼んで」という私の声に対するしげの返事は、暢気に「なん。そんなに悪いとね?」であった。糞野郎。 てなわけで、また入院であります。こないだ退院したばっかだったような気がしてたんたけどなあ(T∇T)。
2003年09月05日(金) 土の下には虫くらいいます/映画『からっ風野郎』/『地震列島』 2001年09月05日(水) 中華幻想/『仙人の壷』(南伸坊)ほか 2000年09月05日(火) 日向ぼっこしてるヒマに本が読みたい/ムック『アニメスタイル』2号ほか
早朝から「シネテリエ天神」で、今日から公開の映画『バレエ・カンパニー』を見る。 いつものようにせっかちなしげにせっつかれて時間より30分も早めに着いてしまったので、コンビニで焼き肉お握りとフライドチキンを一本買って、映画館の前の道端で、花壇の煉瓦の上に座って食べる。往来で何だかみっともないように思われるかもしれないが、場所が親不幸通りだから、大して違和感はない。夜になればもっと小汚い連中がところ狭しとジベタリングしている場所なのである。 「シネテリエ」も、名前とは裏腹に、ビルの地下に潜らないと行けない秘密クラブのような雰囲気のたたたずまいなのだが、上演開始を待って並んでいる客がなぜかみんなデブ。しげが「今日はデブの日?」とか言うが、じゃあオレたちはデブじゃないんか、と苦笑する。 ロバート・アルトマン監督と言っても『M★A★S★H』のころからの映画ファンもさほど多くはなかろうし、バレエ映画という内容を考えてみてもそうそうヒットする映画ではなかろうと思っていたが、初日の第1回目なので、ある程度はお客さんが入っている。座席数60席の小劇場で、40人ほどだけれど。 映画はもう、バレエ好きな人でなきゃ、ちょっと辛かろうな、と思うくらいに全編ひたすらバレエ、バレエ、バレエ、それのみで、『アラベスク』とか『テレプシコーラ』とかを期待して見に行くとそのドラマの余りのなさに困惑するのではないか、といった印象。もちろん、それがアルトマン監督の「ねらい」なので、考えてみたら『M★A★S★H』だって、設定はあるもののこれといった明確な「筋」はないのであった。そう考えると、幕間の楽屋裏を時折“ツナギ”として見せるだけで、ただひたすら舞台上のバレエの美しさを追ったこの映画、皮肉も諷刺も韜晦も何もないにも関わらず、やはりアルトマンらしい映画と言えるだろう。 いや、バレエシーンは眠くて仕方なかったんですが(^_^;)。でもしげはたっぷりバレエが見られてご満悦なのでした。 映画を見終わってロビーに出ると、そこにこないだ広島アニフェスで見た『ベルヴィル・ランデブー』のチラシが貼られてあって、驚く。思わず館員の人に「この映画、いつ来るんですか?」と聞いたが、「来るとは思うんですけど未定で」と言われてしまう。こういうのって、たいてい朝一とかレイトでってことになりかねないんだよなあ(T.T)。 東京にお住まいの方、このフランスアニメの傑作、来年の正月に新宿のテアトルタイムズスクエアでしかやらないので、ぜひお見逃しなく。 http://www.klockworx.com/belleville/
そのあと、父の店に寄って散髪。もう2ヶ月近く伸ばしっぱなしで、髪の薄いのはごまかせるとしても、さすがに襟足から鬢のあたり、もしゃもしゃした状態なのはかなりみっともなくて、これで御通夜に行けるものではない。 しげは夜仕事なので、昼間のうちに寝ておくように帰らせる。家にはもう飲み物がなかったので、帰り道、水だけ「レッドキャベツ」で汲んでおいてくれるように頼んでおいたのだが、実は頼んだ5秒後には忘れられていたのであった。あとで思うに、ここからケチはつき始めていたのである。
喪服に着替えて博多駅へ。 お通夜は夜からだが、時計はまだ昼を回ったばかりなので、かなり時間がある。紀伊國屋で立ち読みなどして、時間を潰す。 驚いたのは新刊コーナーの平積みに、例のイラクの人質三馬鹿の著書が、3種類揃って並んでいたことであった。あの目がイッちゃってた学生さんの本なんて二種類もあったが、立ち読みしてみたら、「結局ぼくはイラクに行って人質になって返って来ただけで、イラクの現状も何もわかりませんでした」というもの。だから「馬鹿」って言われてんのに、その「何もない」内容を記録にして本を出すのは馬鹿の二乗ではないのかな。「市民団体のみなさん、ありがとう」って謝辞を送ってるあたり、いくら「自分は政治活動家ではない」と言い訳したところで、信用されるものではないのである。 でもなあ、政府が「自己責任論」をぶち上げて自分たちの責任まで三馬鹿に押しつけようとしたおかげで、かえって同情票があの三馬鹿に集まっちゃったしな。こうして三者三様の本を出して儲けようって政治屋どもに口実を与えてしまったのは政策の大失敗だったと思うのである。……なんかね、あのムーミン女がね、解放された途端に日本の参事官に対して「どうして自衛隊は撤退しないんですか? イラクの人たちにとっては自衛隊は占領軍なんですよ! それがどうして分からないんですか!?」って食ってかかったって書いてあったけどね、その主張が「テロリストの主張と同じ」だということがどうして分からないんですかね?(~_~;) 2、3時間うろついて、買ったのは大場つぐみ・小畑健の『DEATH NOTE』3巻のみ。3巻あたりでどう展開させていくかが一つの山になると思ったけど、「第2のキラ」登場とは見事。『金田一少年』に始まるミステリマンガの流行の中で、唯一自前のミステリマンガを持ち得なかった「少年ジャンプ」がようやく生み出した作品がこれだけの傑作になるとは、全く「ジャンプ侮りがたし」だ。折り返しの原作者のコメント見ると、相当なミステリファンみたいだけれど、『金田一』や『コナン』のような「本格もの」に追従しないで、『ルパン対ホームズ』の現代的再生を図ったのが成功した理由の一つだろう。これからの展開、どうなるか予想もつかないのが楽しい(言っちゃなんだがもう『ワンピース』なんか「予想のつく」話の再生産で飽きているのである)。鍵はLがデスノートの存在にいかにして気付くかだけれど、そこに至るまで更にひと波瀾もふた波瀾もあってほしいね。ああ、くそ、単行本でまとめて読みたいものだから、雑誌は立ち読みしないようにしてたけど、どうにも先が知りたくて、またジャンプ立ち読みしたくなっちゃったぞ、困ったなあ。
夕方、北九州行きの電車に乗って、よしひとさんのお父さんのお通夜へ。 長居をすると自分の方が泣きたくなってしまうので、ご挨拶だけして帰る。また落ちついたら、お線香を上げに行こうと思う。
帰り道は、少し雨がぱらついていた。傘を持ってきてはいなかったので、少し濡れる。何となく寒気がして、喉が無性に乾いていた。 しげにお通夜が終わったことの報告と、水を汲んでくれたかどうかの確認の電話を入れたが、しげの返事は「あ、忘れた」。こういうヤツだとわかっちゃいるけど、平然と言われるとやっぱり腹が立つ。なんでこうまで馬鹿が治らんかな。治らんから馬鹿なんだろうけれど。 「なんか風邪引いたかどうかわからんけど、具合が悪いんよ。今からでも間に合うやろうから、仕事行く前に水だけでも汲んできといて」と頼むと、しげ「分かった」とヒトコトだけでブツッと電話を切る。こういう切り方をしたときは、返事とは裏腹で、たいてい面倒臭がって行く気がないのだ。 疲れて帰宅して、冷蔵庫を覗いてみたが、案の上、水は汲んできていない。頼まれたことを忘れたなら忘れたで、もう一度やり直そうととすればいいのに、ほんの少しの手間すら惜しむ悪癖、未だに治らないのである。 水は仕方なく水道水をそのまま飲んだ。そのあと、ともかく腹が減っていたので、ソバを作って食べた。 からだを休めようと風呂に入ろうとすると、湯船が血のように真っ赤である。いや、まさしく血の海で、昨日のしげの生理のあとだったのである。あれだけ「洗っとけよ!」と言っといたのに、やっぱり洗い流さずに放置していたのだ。あの糞しげはどこまで人を愚弄するか。気がついたら、涙が流れて止まらなくなっていた。 このままではとても風呂に入れないので、栓を抜くと、そこにしげの血塊がどろどろとぬたくっている。それを見た途端、吐き気を催して吐いた。自分の吐瀉物も一緒に洗い流して、湯桶を洗って新しくお湯を張ったが、その間ずっと吐き気が収まらない。こうして風呂をきれいにしても、明日になればまたしげは湯舟を真っ赤にして平気な顔でいるのである。それを考えると情けなくてやる瀬なくて、風呂から上がって寝床に入っても涙が止まらなかった。 こういう人間だと知った上で伴侶にしたのは他ならぬ私だから、自業自得ではあるのだが、人とは少しは成長するものだと期待はしていたのである。「反省する」と口だけでも言われれば、信じてあげたくはなるわな。そこにつけこんで実際には全く反省しないのだから、しげの性格、かなり腐っていのである。……その腐った性格、最近になるほどどんどん悪化してきているようなんだけど、時々私の目の前がブラックアウトしちゃうのは、単に目が悪くなってるだけなのか、絶望の帳がちらついてるのか、いったいどっちなんでしょ(T.T)。
2003年09月04日(木) また誤読する人はいるかもしれないが/『福岡口福案内 地元の美食家が自腹で調査』(口福倶楽部代表ヤマトモ) 2001年09月04日(火) 虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修) 2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』
久しぶりに妙ちくりんな夢を見る。 しげと映画に行く約束をして、映画館の前まで行くのだが、急にしげが倒れて、「私のことは構わないからあなただけ一人で映画を見て」と青息吐息で言い残し、救急車に乗せられて運ばれて行く。けれどもチケットが一枚余っているので、一人で見るのももったいないと、鴉丸嬢を誘ってみたのだが、「今、三頭身だからダメなの」と断られた。三頭身ならしょうがないよな、と一人で映画を見たのだが、よく考えてみたら、三頭身だとどうして映画が見られないのか、理由がよくわからない。つか、あの子は時々三頭身になってるのか。ちなみにその時に見にいった映画は『ダイ・ハード』だった。
忙しさが倍増中。 ここしばらく、炎天下での仕事が続いているので、体力の消耗がいつになく激しい。さらにもう二つ三つ、並行してやらなきゃならない仕事も控えているので、それの準備も重なって、休憩するヒマもない。昼飯だって食ってないんだからね。 だいたいこの時期になると決まっていきなり倒れてリタイア、という人が増えるのだが、既に今年も同僚が一人入院していて、肩代わりの仕事を頼まれたところなのである。そもそもウチの職場、安月給のわりに労働条件が苛酷だってこと、も少し上の連中にも考えてもらいたいものなんだがね。この6年間、労働時間は変化してないのに給料上がってるどころか減ってんだからな。余計なところに予算使ってるの切り詰めれば、もちっと人件費上げられると思うんだが、なんか余り工夫してるような様子見られないしなあ。 いや、私の給料増やせとは言わないから、新しい人あと三人雇ってよ(+_;)。
しげの鬱が治って、なんとか仕事に復帰することになったことは最近の日記にも書いたことだが、以前ほどの苛酷なスケジュールではなくなったことは、私にとっても、ありがたいことである。おかげで私の仕事帰りに、車で迎えに来てもらいやすくなったのだ。何度か書いてるけど、ともかく今の職場、交通の便が悪くて家まで直行で帰れない。車だと二十分の距離を、バスと地下鉄を乗り継いで1時間半かけて帰るのは、気力体力ともにかなり消耗するのである。 定時に駐車場で待ち構えていたしげに、今週で終わる映画もあるので、何か見に行くかどうか聞くと、「明日は仕事だし、明後日は練習だから今日はウチで寝る」と言う。それでも買い物だけはしたいと言うので、ダイヤモンドシティに向かうことにした。 「買い物って何を買うんだ?」 「新しいストラップとねー、あとねー……」 ところが、ダイヤモンドシティを目指している途中で、しげの携帯が鳴った。 よしひと嬢のお父さんが亡くなられたという知らせだった。 もう10年以上昔のことになるが、しげも私も、よしひと嬢のお父さんには随分お世話になったことがあるのだ。そのころのしげはかなり貧乏で、私にもよく「タカリ」に来ていたのだが、私だってそんなに裕福なわけではない。特に独身のオタクは食費削ってでもマンガなどに金を費やしているものであるから、しげにしょっちゅう奢ってやる余裕はなかった(つか、当時はそんな義理なかったはずなんだがなあ)。 で、しげがよく食事を奢ってもらっていたのがよしひと嬢のお宅だったのである。当時、しげとよしひと嬢とは演劇活動を通して知り合った先輩、後輩の間柄ではあった。しかし、だからと言って、人間、際限なく他人に甘えていいものでもなく、そこには何か節度というものがあって然るべきだと思うのだが、しげにはそんなものはカケラもなかった。よしひと嬢のお宅に何の屈託もなく押し掛けて行って寝泊りし、上げ膳据え膳、衣服の世話まで含めてまさに「衣食住」をあちらのご家族から世話をしていただいていたのだから、厚かましいにもほどがあるのである。しげの寄生虫性格はこのころから堂々としたものだったのだが、それを文句一つ言わず、優しく受け入れていたのだから、よしひと嬢を含め、ご家族のご寛容、心の優しさ温かさ深さにはただひたすらに感嘆するほかはない。これはもう、義理人情を云々せずとも、何がなくともしげがお悔やみに行かないというのは、到底お天道さんの許すところではないのである。 けれどしげはなんだかオロオロして、渋面を作っている。 「お通夜は明日? じゃあ、一緒に行くか?」と聞いたら、しげはベソをかいて、 「どうしよう、明日は仕事だよ」と言う。なるほど、確かに仕事に復帰したばかりで「また休みます」なんて話は通るものではあるまい。これだから簡単に鬱になどなるもんじゃないのである。 「オレはちょうど休みだから、明日、行ってくるよ。お通夜の時間と場所は?」 「あ、聞き忘れた」 全く、義理のある相手に対して後足で砂かけてるようなものである。仕方なく私の方から折り返しよしひと嬢に連絡を入れて、お通夜の時間と場所を確認する。そのあと、しげに、「出入りがあるから、ストラップはナシな」と言ったら、また渋面を作られた。 結局ダイヤモンドシティでは、しげの職場へのお詫びのお菓子、それと香典袋を買っただけで帰る。
帰宅して、風呂に入っていると、しげが何やら赤黒い塊を洗面器にぶちこんで来た。 続けて、「ケツが真っ赤〜♪」と笑いながら自分も裸になって湯舟に飛び込んできたが、塊の正体はしげの汚れたパンツであった。 「なんだよ、お前、生理か」 「うん、パンツ見てビックリ。もうだだ洩れ♪」 「喜んで言うな! しかも人がフロに入ってるのに、ケツ汚したまま来るか、普通!」 と、怒鳴ってみても、もう入ってしまったあとではどうしようもないのである。 私のほうが慌てて外に出て、「あと、ちゃんと風呂の栓を抜いて風呂桶洗っとけよ!」と言い置いたが、普通、女性ってものは生理の時は風呂の外で身体を洗うだけで、湯舟にはあまり浸からないものじゃないのだろうか。しげはそのあたり全く気にせずにお湯を血だらけにするばかりか、その湯を換えもせずにまた翌日もそのまた翌日も入ろうとするのである。いくらやめろと言っても聞かない。こういうところもまたしげの狂っているところなのだが、いくら狂っているからと言って、自分で気持ち悪くはないのだろうか。どうにも理解し難いのである。 おかげで生理中のしげはいつも生臭くて近寄りたくもないんだけど、周囲の人間は気づいていないんかなあ。気付いてて知らんふりしてくれてるのかなあ。とするとこれもまたしげが周囲に迷惑かけまくってることの一つということになるんだけど、いい加減で「無自覚の迷惑」、少しは自意識に上らせてほしいのである。それとも脳にシワがないから意識も全てツルンとすべってやがるのか。
玄武亀吉君であるが、どうもその成長の早さからすると、女だったようである。既に大きさは竜宮亀太郎君の1.5倍。女の毒気にあてられたのか、竜宮くんが一向にエサを食わなくなってしまったので、これはまずいと玄武嬢の方を小さめの別の水槽に移し換えてみたのだが、竜宮君の元気、すぐには回復しないようである。亀って飼い方簡単と言われてるわりになかなか繊細なところもあるようだ。 とりあえず、「玄武亀吉」という名前は、「玄武亀代」に変更します。で、やっぱりオトコだったってことになったら、また改名かな(^_^;)。
2003年09月03日(水) 不明を恥じるハナシ/『ビートのディシプリン』SIDE2(上遠野浩平) 2001年09月03日(月) 変わるわよ♪ ……何がだよ/アニメ『こみっくパーティー』第1話ほか 2000年09月03日(日) 警察も役所/『ら抜きの殺意』(永井愛)ほか
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孤独な狂気の果てには |
90000HITはグータロウくんがゲットしてしまいました。……狙ってたかな?(^o^) この分のペースだと、100000HITは来年の2、3月くらいかな? さすがになんかちょっとしたイベントでもしなきゃならないかなと思わないでもないのだが、またぞろ推理クイズとかも芸がないしなあ。いや、ホントは書きかけの小説、なんとか仕上げてね、解決編の直前で「読者への挑戦状」でも付けようかと思ったんだけれども、これがもう、書くヒマなくって(~_~;)。正月休みが充分取れたらいいんだけどねえ。
またぞろ『華氏911』の話題で恐縮なのだが、YafooのBBSを覗いてみると、マイケル・ムーア絶対礼賛の意見ってのはやっぱり少ない。情報操作を受けてるアメリカ人ならあの映画を見て「オレたちはブッシュに騙されてたんだ!」と憤るかもしれないけれど、日本人はたいてい「何を今更」って思ってんだよね。新しい切り口とか、そういうものが何もない。 逆に、何がなんでも「ムーア万歳!」を唱えたい人は、ブッシュ批判の根拠の薄弱さや恣意的な編集、突撃取材のいやらしさなど、問題点を指摘した書きこみに対して、知らんふりを決めこむか、「映画の出来よりも、内容を見て!」と叫ぶかしかしない。いやねえ、みんな内容もちゃんと見て「つまんない」って言ってる人が殆どなのに、何をトンチンカンなこと言ってんだろうね。結局はムーア批判に対して反論もマトモにできずに話を逸らそうとしてるだけなんだけど(それは町山智浩さんですらそうだ)、そこを突っ込まれてもますますヒス起こすだけだし、洗脳されちゃってる人には何を言ってもムダって典型になっちゃってる。 ムーア批判をしてる人だって、別にブッシュを擁護しようという人ばかりではない(というか、ブッシュをより批判している人の方が圧倒的に多い)。ムーアの批判の仕方が、逆にブッシュの立場を肯定し、強固にしかねないからこそ、「やり方間違えてるだろう」と文句をつけているのである。念を押すのもこれを最後にしておきたいけどね、ブッシュの、というよりアメリカの尻馬に乗らなきゃ生きていけない日本人が、“本気で”アメリカ批判をしようと思うのなら、アメリカの支配を脱却しても「やっていける」という根拠を示さなきゃ意味ないの。アメリカと手を切ったら中東の石油はどうするのか、防衛はどうするのか、それ考えてからモノ言おうよってね。 全く、狭い物差しでしかモノを見られないというのはお気楽なことで結構でござんすねえ。
トンガリさんに関するまたまた黒いウワサを聞く。 まあ、又聞きであって私自身が直接確認したわけではないから、どういう「ウワサ」であるのか、具体的なことはここには書かないけれども、もしそれが事実だとしたら、どう考えても処分の対象となるのが当然の「不祥事」なのである。 どうしてそんな重大な問題が放置されたままなのか、私には理解しがたい。だからこそ逆に、そんなことはただの「ウワサ」に過ぎないのかもしれない、とも思う。けれども、確実に言えることが一つだけあって、そこまでトンガリさんを嫌っている人がやたらあちこちにいるということである。 見るからにアタマのネジが緩んでいる方である。挨拶一つできなくて、機嫌が悪いときは相手を完全無視することもしばしば、そのくせ唐突に話題を振ってくるし、いったん喋り始めるとそのモノイイは主語や目的語が明確でなく、ただダラダラクドクドと無意味な言葉が垂れ流されるばかりで何が言いたいのか結局分からず、こちらが問い返すとヒステリーを起こして逃げ出すありさま、逆にそういう状況だったからこそトンガリさんには同情せざるをえなかったし、その奇矯な行動を見てもなお、なんとかフォローできないものかとあれこれと便宜を図ってもきた。それがかえってトンガリさんの逆恨みを買うことすらあった。それでも私の対応のほうが悪かったのかも、と反省したことすらあった。けれど結局、誰の、どんな尽力だって、トンガリさんには全く通じないものだ、というだけのことだったのだ。 今やうちの職場にトンガリさんの味方は誰一人いない。その「黒いウワサ」を私に教えてくれた人は、最後に残っていたトンガリさんの唯一の友達だったのである。ついにその人からもトンガリさんは見捨てられてしまったのだ。 単に狂っているだけなら罪ではないと思う。けれどその狂ったアタマで不正を働けばそれはやはり罪だ。相変わらず、トンガリさんの目は宙を泳いでいて、どこを見ているか分からない。だんだん私も「この人辞めてほしいなあ」じゃなくて、「辞めさせるべきなんじゃないか」という気にすらなってきたのだが、いくら訴えても未だに上司は何の対処もしない。つまり、仕事上のお付き合いはまだまだ続きますよ、ということなのである。なんでやねん。なんだか本当に誰ぞの弱み握ってるんじゃないかって気がしてきたよ。 尿に糖がまた出たって、そりゃストレス溜まるのも当たり前だっつーの。
帰宅してWOWOWで映画『怪人二十面相』(1954・松竹版)三部作を見る。 これが二十面相シリーズの最初の映画化だけれども、原作の『怪人二十面相』『少年探偵団』の筋を、概ねなぞってはいる。もっとも原作が発表されて20年近く経っているために、戦後の状勢に合わせて二十面相が狙うものが原子力開発の設計図ということに改変されている(そのくせ、二十面相はあとで「実は別にそんなものほしくはなかった」と述懐するのだからヘンな話である)。 まあ、低予算の添え物映画なので、お世辞にも出来がいいとは言えないシロモノ。二十面相の素顔が太い眉にメバリが入って右頬にでっかいホクロって、いったいどういうセンスなんだろね。しかもこの二十面相、明智小五郎に変装してもちゃんとホクロは残っているのである。なんじゃそりゃ。 でも、ワキの役者はすごくいいんだよねえ、羽柴博士に山形勲、大鳥宝石店の主人に日守新一、中村警部なんて、須賀不二男だよ! なんて役者のムダ使い。つくづく低予算なのが惜しまれることである。 見終わった途端に、東京のグータロウ君からメールがある。「『怪人二十面相』見たぞ!」……同じときに同じようなの見てんじゃないよ、もう(^_^;)。
作家・種村季弘氏が8月29日、胃がんのため死去。享年71。 澁澤龍彦さんも、松田修先生も亡くなって、ついに種村さんまで。 幻想文学、異端文学を評価してくれていた「大家」が、これでもう殆どいなくなってしまった。 悲しい。
2003年09月02日(火) 頼むから朝だけは送ってくれ/映画『大学の若大将』/『ハレグゥ』1巻&『アストロベリー』1巻(金田一蓮十郎)ほか 2001年09月02日(日) 風が痛いから?/『新天地無用! 魎皇鬼』1巻(奥田ひとし)ほか 2000年09月02日(土) 山本正之・あ・ごーごー
昨日に引き続き、今日はいきなり500人近くのお客さんが来られました。いやもう、カウンターが回る回る。九万ヒットが間近だけれど、この分だと、またキリ番ゲットは通りすがりさんだろうなあ。毎回粗品を用意して、そのたびにムダになってるのがちょっと寂しいのである。 話題が『華氏911』に関することだから、気がついたら名塚さんとこ以外にもいくつかのBBSとかにリンクが貼られているのだけれど、自分の文章が賛否両論の俎上に乗せられるというのもフシギな気分である。それだけ『華氏』が喚起した問題が多数の人々の琴線に触れたのだろうけれども、いくつか私の文章に疑義を呈している人の文章を読んで首を捻りたくなるのは、ブッシュが大統領を辞めれば歴史が変わるかもしれないとユメを見ている人が意外に多いということだ。……変わるかよ、アメリカが(~_~;)。それはマイケル・ムーアだって、映画の中で「ゴアだったらイラク戦争は回避できたのか?」と疑問符付きでしか言えなかったことなんだけどねえ。あの国が「定期的に戦争を起こさなければやっていけない国」だということは、別に私が言わんでも、いろんな人がこの「五十年以上に渡って」言い続けていることである。いちいち日記にそのあたりの話を全部書いてる余裕はないので、例えば参考までにC・ダグラス・ラミスの『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』あたりでも読んでみてちょ。 これはまあ言っちゃなんだが、映画評論家の町山智浩さんが6月25日の日記で、マイケル・ムーア礼賛しちゃった影響が大きいのだと思う。 「そもそも映画としての評価など関係あるかね?」と言って『華氏』が政治的プロパガンダ映画であることを全肯定し、「ムーアの目的はいい映画を作ることでも、公平なジャーナリズムでもない。ブッシュを一刻も早く止めさせること、少しでも無駄な犠牲を減らすことなのだ」と持ち上げる。更にはムーアへの賛同者をイイ気分にさせるために「でも、もしかしたら、一人の男が作ったたった一本の映画が大統領の暴挙を止めることができるかもしれないのだ。一本の映画が、何百何千という人の命を救うかもしれないのだ。歴史上、多くの宗教家や哲学家や芸術家やロックミュージシャンが戦争に反対してきたが、実際に止めることに成功した人はどれほどいるのだろうか? でも、もしかしたらそれが初めて実現するかもしれないのだ」とまで言い切る。 けど、その肝心のマイケル・ムーア自身がパルムドール受賞後のインタビューに答えて、「くれぐれも言っておくけど、『華氏911』は政治声明じゃないんだ。他の娯楽映画のように映画館で2時間、楽しんでもらいたいんだ。僕が映画制作をスタートする段階で最初に考えることは、自分自身が金曜の夜に観に行きたくなるようなものを作りたいということ。(中略)そしてその何時間後、何日後、何週間後もその映画の話をしてくれるような楽しい映画を作りたいんだ」って言ってるのは何なんだろうね? タランティーノだって、「政治は受賞に何の関係もない」って言ってたけど。 もちろん、ウソをついているのはマイケル・ムーアの方である。あれが政治映画でないはずはなかろうが。言っとくが私は政治映画がダメだなんて言うつもりは全くない。町山さんのような立場で、ムーアを支持する姿勢は決して間違っちゃいないと思う。私だってブッシュは大嫌いだから、「本当に」アメリカの戦争を批判した映画になら、いくらだって賛同はしたい。 けれど、明らかな政治映画をなぜ政治映画でないと韜晦する人間に、どんな信用を置けというのだろうか。ムーアのその言質はただの「逃げ」ではないのか。ムーアさんよ、ブッシュを「本気で」批判する気があるのなら、そういう覚悟のない態度を取ってていいのか? 笑ってしまうのは、私のムーア批判に対して、「批判するのは簡単だけど」とか掲示板に書いてた人がいたことである。ムーアがそもそもブッシュを簡単に批判してるけど、それはどうなるのかね。 第一問題は大統領のクビのすげ替えでどうにかなることではない。イラク戦争はブッシュが大統領にならずとも、確実に起こったろう。たとえ911以前にテロの危険がゴアに報告されていたとしても、やはり彼は動かなかったと断言できる。なぜなら、CIAやFBIから報告される「その手の」レポートは、彼らが職務を遂行していることを証明するために「定期的に」行われるもので、殆ど信憑性がないものと判断され、たいていは反古にされているからだ。で、実際に9割9分が根拠のないニセ情報である。それをテロリストたちは知っていたからこそ、911のテロは成功したのだ。問題は、そういうテロに対して無防備なシステムを作ったアメリカという国そのものにあるということにどうして気付かないか。 アメリカは思い上がったヤクザ国家でしかない。歴史上、侵略国家でなかったことなどない。自分がお山の大将、百獣の王だと思っているから、まさかネズミに食いつかれるとは思っていないし、食いつかれたらどんなに小さな敵でも激昂して踏み潰さずにはいられない。もしも、敵の姿が見えなくなれば、誰でもいいから敵に仕立てあげて潰してみせるくらいのことはする。ブッシュでなくともだ。 いや、そもそも日本人なら、朝鮮戦争で、ベトナム戦争で、「基地」として使われてきた歴史的過程を知っていれば、大統領が誰であろうと、アメリカは同じことをやり続けるのだということを理解していておかしくないはずなのに、なぜ今更ムーアの甘言にうかうかと乗せられるのか。 ムーアは決して「アメリカよ、これ以上戦争をするな」と言いたいわけではない。彼は戦争自体を否定などしていない。反戦主義者などではないのだ。よく映画を見ていれば分かることだが、彼は「もしもブッシュが真剣にビン・ラディンを追っていたら」ブッシュに対して「NO」とは言わなかった、と主張しているのだ。これは、もし、空爆の標的がサウジアラビアであったなら、そこで「テロリストの巻き添えを食らって」サウジの無辜の民衆がいくら死のうと構わない、と言っているに等しい。もし、上院議員たちが自分の息子を兵士として送る署名にサインしたら、ムーアは果たしてどう反応したか? もちろん、サインする議員なんていないだろうと予測してそういう方法を取ったのは明白だが、もし何人かでもいたら、彼らに対してバンザイをしなければならなくなるのではないか? いや、一人だけ、戦場に自分の息子を送った上院議員がいたが、なぜかムーアは彼を取材しなかった。そりゃそうだ。そこで「あなたはエライ」とでも言おうものなら、自分が好戦家であることがバレるからである。アメリカが「正義の戦争」を行っていると納得すれば、ムーアはただちに「戦争賛成」を唱えるだろう。勘違いしてはいけない。ムーアもまた「バカでマヌケなアメリカ人」なのである。 結局ムーアは、「ブッシュ、テメエの戦争に俺たちを巻き込むな」と言ってるだけだから、我々だって、「ムーア、お前個人のリクツに日本人まで巻きこむな」と主張して何が悪かろうか。私が言いたいのは、アメリカを批判するなら、ムーアみたいな胡散臭いヤツの尻馬に乗らずに、「自分の言葉で」批判しろよ、ということなのである。 まあ、批判したって何が変わるわけでもないから悔しいんだけどな。その悔しさを「緩和」させてくれた気にさせてるだけだから、あの映画、ゴダールから馬鹿にされるんだよ。
コンテンツに書こうと思ってたこと、かなり吐き出しちゃったなあ。でもまだキチンと論証してない部分も多いけど。 そんなに文句があるなら、ヤフーの掲示板あたりに行って、自分の意見書きこんだらどうだ、とか言われることもあるのだが、私ゃ自分の意見を人に押しつける気は毛頭ないので、そういうことはしません。意見書きこんで流すだけならいいんだけど、ああいうとこって、必ず反論のレスつけなきゃ気がすまない御仁がいるからねえ。 そもそも私は、ディベートの習慣のない日本人に建設的な論争はほぼ不可能だろうと考えている。論争というものはある一定の共有されたフィールドの上でしか成立しないものなのだけれど、日常会話でだって、たいていの場合、そのフィールドをズラされちゃうことが多い。それを私は「話の次元が違うよ」と説明するのだけれど、この「次元」とか「レベル」という言葉がまた、勝手に「アタマの出来が違う」と相手に誤解されて「オレをバカにするのか!」とキレられてしまう。これはちゃんとした論理学用語で、単に「場」の違いを表してるに過ぎなくて、別に知能とは関係ない。別にこの言葉を知らなくても、文脈から「別にバカにして言った言葉ではない」ということも分かるはずなのだけど、ここで腹を立てる人は結局、「筋道立てて話すこと」「相手と意思を疎通させようとすること」自体、まるで理解できてないことが露呈されるので、「ああ、この人とは会話ができないのだなあ」ということが察せられるのである。 何が悲しいって、この経験、しげとの間で起こることが一番多いんだよな。他人だったら適当に話を合わせて会話を打ちきっちゃうんだけれど、しげとではそうもいかない。だから「どこがどうズレているのか」説明してやんなきゃならなくなる。やたらムダな会話になっちゃうと言うか、ヘタしたら徹夜で語り合ったりすることもあるのよ。からだ持ちませんて(T∇T)。 えーと、そういった体力気力の問題がありますので、一部、私の文章に不快を感じられたサイトの方、私は別に怒ってもいないし、そちらに乗りこんでいって荒らしたりする気もありません。どうぞ、ご心配なく。
毎月1日は「映画の日」なので、仕事がハケてからしげに誘われて、「ダイヤモンドシティ」に行く。 もうさすがに混んじゃいないだろう、と『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を見たけど、お話まるで『ドラえもん』でしたね。ハリーがますますのび太に見えてくることったら。まあお話は可もなく不可もなく。オトナがみんな無能揃いってのは、いくらハリーたちを活躍させるためとは言え、ちょっとワザトラし過ぎるなあとは思ったけれども。まあ、ハーマイオニーが相変わらず可愛かったから、イイかな。グーで殴るとこ、最高(^o^)。 校長先生がマイケル・ガンボンに変わったので、先生たちが「メグレ警視と心理探偵フィッツとドーラ・チャールストンの名探偵共演だ!」と喜んでたんだけど、何のことかよくわかんないでしょうね。すみません。
予告編で、ロバート・ゼメキス監督の『ポーラー・エクスプレス』が流れたんだけれど、これ、『ジュマンジ』のクリス・ヴァン・オールズバーグの絵本『急行「北極号」』の映画化なのだね。けれど、見て驚いたのはてっきり実写映画化されるものだと思っていたら、全編CG映画になっていた。 ゼメキス監督は先日来日して、「絵本の油絵があまりにも美しかったので、その質感をスクリーンでも生かすためにはCGでやるしかなかった」とか言ってたけど、オールズバーグをバカにしてるのか? CG使ったってあの質感は再現できないよ。なんかもう「CG使わなきゃ」って信仰がアメリカの映画人の中にはできあがっちゃってるんかね。「11月に皆さんが本作をご覧になれば絶対納得するはず」とも言ってたそうだけど、既に予告編であのいかにもCGな気持ち悪い動きを見せられて「つまんなそう」としか思えなくなっちゃったんだけど。「油絵をアニメにすることが不可能じゃない」ことは、『老人と海』などでも証明されている。要は手間隙を惜しむかどうか、なんだけど、ハリウッドは最近、惜しむことしかしないもんな。 ピクサーの新作、『Mr.インクレディブル』も全然つまんなそうなんだけど、どうしようかなあ。
2003年09月01日(月) 「じゃないですか」って言ってる人が多いじゃないですか/映画『用心棒』/『呪恩2』(清水崇・MEIMU)ほか 2001年09月01日(土) 加藤夏季補完計画(笑)/『スペオペ宙学』(永井豪)ほか 2000年09月01日(金) 食って寝るだけの毎日も今日まで/ドラマ『横溝正史シリーズ・本陣殺人事件』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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